二十四話 「きょうは、とかげのまるやきのきぶんだな」
背中に荷物を背負うわけでもなく、手に荷物を持つわけでもなく。
まったく荷物を持たず、水彦は山の中を進んでいた。
山の中の道、ではない。
木が生え、斜面があり、下草が生えた、文字通り山の中を進んでいるのだ。
獣道ですらない木々の間を縫い、崖をよじ登る。
なぜ、水彦はこんなところを進んでいるのか。
理由は簡単。
道に迷ったからだ。
水彦が森を抜け、草原を歩いているときだ。
突然、目の前に扉が現れたのだ。
一瞬何事かと思った水彦だったが、直にその正体に気が付いた。
「ちょりーっす」
扉を開けて現れたのは、水彦の予測どおりの神物だった。
太陽神にして最高神、アンバレンスだ。
「やぁ水彦。アンバレンスおじさんだよ」
「おじさんだったのか」
「いや、お兄さんと呼んで欲しい所だけど水彦みたいな生まれ立てから見たらおじさんかなって」
「おにいさんだったのか」
「うわなんか心にやさしい響き。やっぱりお兄さんでヨロシク」
外見年齢二十代後半。
見た目的にも実年齢的にも、まだお兄さんで居たい微妙なお年頃のアンバレンスだった。
「それで、なんのようだ」
「うむ、良く聞いてくれた。実はお兄さんから旅立つ水彦くんにプレゼントがあるのだよ」
「なんかくれるのか」
無表情でそういう水彦に、アンバレンスは頷いてみせる。
「そうだよ。ちょっとまってなさい」
そういうとアンバレンスは、上着のポケットに手を突っ込んだ。
ちなみに今彼が着ているのは、フリースのジャケットだった。
お腹のところに有る大きなポケットをまさぐると、取り出したそれを高々と掲げる。
「ててててっててー! けーたいでんわー」
口BGMと妙なだみ声で宣言するアンバレンス。
その手に握られていたのは、赤鞘が持っていたのと同じスマートフォンだった。
「おお。けーたいだ」
「そうだよ。これはお兄さんが作ったカッコイイスマートフォン。その名もステキ、アンバフォン!」
「あんばふぉん?」
「うん、語呂が悪いね。普通にケータイでいいです」
「あんばふぉん?」
「やめて! お兄さんが悪かったからやめて!」
「あんばふぉん?」
「げっはぁ! もうやめて! お兄さんのライフはゼロよっ!!」
「それで、このけーたいは、どうつかうんだ」
「普通のと同じよ。まずここでロックを解除して……」
アンバレンスが作ったというケータイの構造は、水彦が知っているのと大体同じだった。
地球の物を模したであろうそれは、使い方もおおよそ同じようだ。
直におおよその使い方を覚えた水彦は、いたく感心しながらケータイを弄繰り回す。
「これ、ちずもあるのか」
「そーだよ。現在地も分かるよ。この機能があれば、道にも迷わないでしょ」
「おまえ、わざわざこれもってくるために、おれのところにきたのか」
「そうよ? 旅立ちのお供にね」
にっこりと笑うアンバレンス。
水彦はしげしげとその顔を見て、納得したように頷く。
「おまえ、いいやつなんだな」
「今頃気が付いた? お兄さん正義の味方なのよ?」
茶化すように言うその様子に、水彦は好感を覚えた。
たとえ相手が最高神でも無条件に認めることはない。
とてつもなく失礼な水彦だった。
「あ、でも一つだけ欠点があるから、それ」
「どんなだ」
思い出したように手を叩いたアンバレンスに、水彦は眉をひそめた。
アンバレンスは頭上、空の上を指差し、言葉を続ける。
「太陽の光が当たってる間しか、それ使えないから」
「なんでだ」
「だって俺の力で動いてるんですしおすし」
「あー」
水彦はこくこくと頷いた。
たしかに、太陽神であるアンバレンスの力で動いているのであれば、太陽の光がなければ動かないというのも納得がいく。
「でもあれよ。月の光でもいけるから」
「なんでだ」
「月は太陽の光を反射して光ってるから」
「かがくてきだな」
どうやら月が光る原理は地球と同じらしい。
再び納得したように頷く水彦。
「じゃあ、つきがでてれば、よるでもつかえるのか」
「そーよ。すごいだろぉ」
「さすがあんばふぉんだな」
「いやめてぇぇぇ!!」
断末魔のような叫びを背中に受けながら、水彦は颯爽と旅立った。
そんな便利アイテムを持っているにもかかわらず、水彦は道に迷っていた。
なぜか。
それは、現在が夜で、空が曇っているからだ。
夜である上に曇っていれば、月の光など当たるはずもない。
太陽の光がまったくないので、当然ケータイの電源は入らなかった。
そうなってしまえば、後は自分の方向感覚とケータイで見ていた地図の記憶を頼りに歩くしかない。
夜明けを待てば、多少曇っているぐらいならケータイは動く。
月明かりで動く物が、雲を通したぐらいで動かなくなる道理がないのだ。
夜明けを待って動けばまた地図を見ながら動けるので、それを待てば迷うことはまずない。
にも拘らず水彦が動き続けていたのは、一刻も早く街に着きたかったからだ。
べつに、アグニー達に少しでも早く道具を届けたかったから、ではない。
と、本人は心の中で強く主張していた。
こうして歩き回っている水彦だが、彼は恐ろしいまでの方向音痴だった。
ケータイにナビゲーションされながら歩けば迷うことはないのだが、自分の感覚や紙の地図を頼りに歩くのはからっきしだ。
それは、記憶、知識の大本である赤鞘が、重度の方向音痴だったからだ。
生前の赤鞘は「右が東で左が南」という良く分からない自分ルールで全国を旅する、武芸者だった。
正確には、全国を歩き回る壮絶な迷子だった。
彼自身はずっと、「家に帰る途中」と主張していたのだ。
赤鞘の自宅は関東にあったのだが、歩き回っていたのは主に東北や九州などだった。
時には蝦夷地や、九州、四国を歩き回ることもあった。
それでも、赤鞘本人はあくまで自宅に向かって歩いているつもりだったのだ。
もはや呪われているのではないかと疑いたくなるレベルである。
そんな方向音痴力が、水彦にも備わっていた。
日の光が差している間は確実に直線で目的地に向かうものの、日の光が届かなくなると恐ろしい勢いであさっての方向へ迷走しだす。
水彦にGPSをつけて動きを確認している物がいたなら、一体何が起きたのかと思うことだろう。
恐ろしいのは、水彦本人はあくまでまっすぐ目的地に向かっていると思っていることだ。
街道を歩いていたはずが、いつの間にか崖をよじ登っていたとしても。
道を歩いていたはずが、いつの間にか川を逆流するように泳いでいたとしても。
あくまで本人は目的地に向かってまっすぐ進んでいると思っていたのだ。
水彦の足ならば一日かかるかかからないか程度の位置にある目的地に向かい始めて、既に四日。
まだその影すら見えないにも拘らず、水彦は只管まっすぐ目的地に向かって歩いているつもりだったのだ。
ちなみに、ここで言う「水彦の足で」というのは、彼が走った場合だった。
ガーディアンである彼は、一日二日走り続けたとしても疲れることはない。
とはいえ、朝は人の目がどこにあるか分からないので、走るのは控えていた。
日があるうちは歩き、日が当たらなくなってから走る。
そのサイクルが水彦を目的地から着実に引き離していることに、水彦は一切気が付いていなかった。
日が出てからケータイを確認するたび、こうつぶやくのだ。
「またまちが、とおくににげた」
そう。
水彦の中では、自分はあくまでまっすぐ街に向かっていることになっているのだ。
逃げているのは、街のほうなのだ。
真っ暗な中を歩き始めて、一時間ほどがたった。
急に周りの景色が開け、小さいながら家が経ってるのが目に入る。
一瞬、目的の街に着いたのかと思った水彦だったが、どうも様子が違うようだ。
街にしてはずいぶんのどかというか、寂れているというか。
「ちがうところか。むらかなんかだろうな」
水彦の言うとおり、ここは目的の街近くにある小さな村の一つだった。
農業と狩猟で生計を立てている村らしく、夜もふけたこの時間には静まり返っていた。
一瞬、ようやく人里に出たと喜んだ水彦だったが、流石の彼もここが目的地ではないことは直に気が付いた。
「むらがおれのまえにやってくるとは」
が、自分が迷っているとはやっぱり思っていなかった。
水彦の中では、村が自分の進んでいる前に現れたことになっているらしい。
街が逃げるぐらいなのだから、そういうこともあるのだろう。
と、水彦は思っているのだ。
目的の村ではないものの、ここはその近くの村だろう。
そうあたりを付けた水彦は、とりあえず近くの民家に尋ねてみることにした。
上手くすれば、まっすぐ街に行く為の道などがあるかも知れないと思ったからだ。
こういう村の人間は早く寝ることが多いだろうが、もしかしたら一軒ぐらいおきている家があるかもしれない。
アグニー達が言うには、今の時期は農家は大忙しなのだという。
明日に備えて体を休めているであろう農家さんたちを、自分の都合で起こすわけには行かない。
水彦は忍び足で、民家の窓の下まで接近していった。
匍匐前進と迷ったのだが、草むらがないと意味がなさそうだと判断した。
実際はこういう場所をすばやく進む為の匍匐前進も存在するのだが、水彦に知る由はない。
窓の下に行くと、中から人の声が聞こえてきた。
物の動く音などから察するに、人数は三人といったところだろうか。
早速出入り口に回ろうとする水彦の耳に、彼らの会話が飛び込んできた。
別に聞き耳を立てているわけではないのだが、やたらいい水彦の耳には自然に会話が入ってしまうのだ。
「おっとぉ。くるしくねぇか?」
「ああ。だいじょぶだぁ、もう大分落ち着いたからの」
「おっとぉ、いき、くるしくねぇが?」
「だいじょうぶだ、だいじょうぶだで。ありがとなぁ。すまねのぉ。この忙しい時期さはたらけねで」
「なにいってるだぁ。体さ壊したんだぁ、しかたねぇべ」
「うんだ。おっかぁさ死んでから、働きづめだったもんな」
「せめて、アインファーブルへさ続く道のドラゴンさえのいてくれればのぉ」
「かれこれ一ヶ月になるがらのぉ。あのドラゴンのせいで行商の人もお医者様も通れねぇ。作物も売れねっからのぉ」
「いっちばん立派な道さまっすぐいけば、すぐに着くんだがのぉ……」
水彦はゆっくりと窓から離れると、村の中ほどへと歩き始めた。
見つけた井戸へ近寄ると、水をくみ上げる。
つるべ井戸だったので、使い方はすぐに分かった。
水彦は桶の中に手を突っ込むと、ゆっくりとした動きでそれを引き上げる。
桶の中の水が水彦の手に絡みつき、まるで水風船の様に球体の姿をとり始めた。
水彦の体は、水で出来てる。
有る程度の水であればすぐに体に取り入れ、自分の体積を変えることが出来るのだ。
そして、自分の体はかなり自由に形を変えることが出来る。
桶の水を両手で掴み、まるで粘土の様にこね始める。
引き伸ばし、丸め、再び引き伸ばす。
そんなことをしているうちに、水の表面がどんどん色づいていく。
最初は暗い鉄の色だったそれは、いつの間にか白銀へと変わる。
そして、一振りの刀へと形を変えた。
水彦はその刀の柄を握ると、大上段の構えを取った。
しばし構えたまま動かず、虚空を見据える。
そして、一振り。
刀は音も立てず、空気を動かすこともなく、まっすぐに足元へと振り下ろされた。
水彦の眉が、わずかに動く。
何かを考えるような表情を見せるが、それもわずかの間。
刀を肩に担ぐと、村の出入り口らしい看板を目指して歩き始めた。
赤鞘から与えられた知識がたしかならば、其処には「ココ村」というこの村の名前と、大きな道をまっすぐ行くと「アインファーブル」へ着くという旨が記されていた。
水彦がいこうとしているのは、まさにその「アインファーブル」だ。
ふと、水彦は看板の文字が良く見えることに疑問を持った。
上を見上げると、雲が晴れ、大きな月が出ている。
懐からケータイを取り出すと、問題なく起動した。
地図情報を確認しても、現在地と目的地は予想通りだ。
画面上には、危険なドラゴンが出没しているので、迂回してもいいかもしれない、というような警告文が出てる。
水彦は指先でその警告を消すと、ケータイを懐にしまった。
「きょうは、とかげのまるやきのきぶんだな」
そのドラゴンというのがどんな物か知らないが、水彦は今強烈にトカゲの丸焼きの気分なのだ。
丁度行く道に、ころあいのよさそうなトカゲがいるという。
ならば刀一本ぶら下げていくのが、筋という物だろう。
べつに、今しがた聞いた話を不憫に思ったから、ではない。
と、本人は心の中で強く主張していた。
水彦の体はたしかに病には効くが、副作用で何が起こるかわからない。
滅多に使えるようなものではないのだ。
遠回りしていくにしても、どうもこのドラゴンがいるという道以外、この村に来るのにまともな道はないらしい。
ならば急いでいって医者をつれてくるにしても、なんにしてもドラゴンは邪魔になる。
勿論、さっきの民家のおっとぅというのがどうこうというのとは全然関係ないのだが、なんにしてもドラゴンを倒してしまうのが一番早い。
そう考えながら、水彦は暗い夜の道を歩き始めた。
「どらごんって、どんなとかげなんだろうな」
そんなどうでもいいことをつぶやきながら、水彦は空を見上げてみた。
さっきまで隠れていたくせに、やたらと明るい月が道を照らしている。
良く踏み固められた道に、時折転がる白い石が、月の光を反射して一直線に伸びていた。
「これなら、まちもにげないな」
満足そうにそういうと、水彦は大きく頷いた。
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森林都市国家メテルマギト。
森の中にあるその都市の地下。
其処に広がる鉄車輪騎士団の基地の一角で、真夜中にも拘らず装備を装着している人影があった。
団長、シェルブレン・グロッソだ。
胸の前を覆うプレートに、鉄製の篭手、すね当て。
軽装備に見えはするが、それらは全て鉄板。
つまり、メテルマギト謹製の魔法道具だ。
軽装備には見えるが、その実それらを発動させる技量さえあれば、重厚な全身鎧すら超える防御力を発揮する。
装備を点検し終わったシェルブレンは、大きな外套を羽織った。
この世界で外套は、旅の必需品だ。
「隊長、何処かお出かけですか?」
かけられた声のほうを振り返ると、其処にいたのは彼の副官であるキース・マクスウェルだった。
シェルブレンは振り変えると、立てかけてあった大きな盾を背中に担ぎながら答える。
「ああ。少し旅行にな」
「へぇ。珍しいですね」
「例のアグニーがらみの作戦の褒美として、有給がかなり出たからな。消化してしまうつもりだ」
「どちらまで?」
「アインファーブルだ」
飛び出した街の名前に、キースはぎょっとした表情になる。
アインファーブルは国家に所属しない、ギルド固有の持ち物として発展している町だ。
どこの国にも属さず、どこの国にも利益を分配する、魔物狩りの聖地になっている。
近くに大森林や巨大地下洞窟が存在する其処は、恐ろしい魔物を求める物にしてみれば、まさに楽園だ。
何しろ普通の場所ではお目にかかれないような、人間が束になってもかなわないような化け物が溢れているのだから。
だが、今ここで出されたばあいは、「ギルドの街」以外にもう一つ意味を持っていた。
「アインファーブルって。見放された土地に一番近い街じゃないですか」
「ああ、そうだな」
驚くキースに、シェルブレンは事も無げに言う。
「ああそうだなって。ああそうだなじゃないですよ。何だってそんな所に?」
「コウガク様が彼の土地を遠視するという話があったな」
「はあ。ありましたけど。確かに」
「何故今になってだ。ステングレアにしても、今さら調査を依頼するのは妙だ。我々がアグニーを捕らえようとしていたという情報を事前に得られなかったからか? あの魔道国家ステングレアがか?」
「まあ。たしかに。妙ではありますけど」
言いよどむキースを他所に、支度を終えたシェルブレンは外へと続くドアへと歩いていく。
「どうにもいやな予感がする。何かが釈然とせん。いやな予感がするんだ」
自動で開いた扉をくぐるところで、立ち止まる。
「なに。休暇だ。無茶なことはせんさ」
「っとに。約束ですよー?」
ひらひらと手を振るキースに背を向け、シェルブレンは歩き始めた。
アインファーブルまでは、恐らく一日半もあればつくはずだ。
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魔道国家ステングレア。
標高の高い場所に開けた台地に建設されたこの国は、かつては腐敗と虚栄が固まって出来た国と呼ばれていた。
約百年前、神の怒りを買う戦争を起こすまでは。
戦争に勝つためという理由で当時の国王が強引に使用した、大量破壊魔法が放たれるまでは。
一つの土地を使えなくした挙句、神の怒りを買った国王は、即座に粛清された。
それと同時に、その側近達も愚行を止められなかった罪として、一切合財粛清される事になった。
王や貴族が一度に消え、統制の取れなくなった国を纏め上げたのが、現国王であった。
名を、ギノンベイル・ステングレア。
エルフと同じ200年の寿命を持つ種族、ドワーフの男だった。
まるで樽のような体型に、筋骨隆々とした肉体を持つ彼は、齢120である。
ドワーフとしてはまだまだ働き盛りだ。
彼は執務机に座り、じっと自分の手を見つめていた。
その手にあるのは、若い頃誇りとしていた剣ダコでも、自分の親達の手にあった金槌ダコでもない。
ここ数十年ずっと持っていた、一生持ち慣れることはないと思っていたペンで出来たタコだった。
戦場をかける一兵士だったギノンベイルが、なぜ今王の座にいるのか。
本人は未だにその理由を、神々が怒りのあまりいたずらをなさったのだと思っていた。
勿論、実際はそんなことはない。
国が傾き情勢が激しく動くときほど、優秀な人間と言うのは浮き上がるものなのだ。
「王宮魔道院筆頭、紙雪斎。お呼びによりここに」
物思いにふけるギノンベイルに、突然声がかけられた。
低く抑えられていながら妙に響き渡るその声は、どこにいるのかかえって出所がつかめない不思議な声質だった。
「呼び出してすまなんだな」
「閣下の御呼びとあらば」
ギノンベイルの目の前の空間が、突然ぐにゃりと歪んだ。
空間が歪み、其処から湧き出すように大きな一枚の紙があらわれる。
良く見ればその紙の片面に、周りとまったく同じ景色が映っていた。
紙はまるで自らの意思でもあるかのようにばたばたと折りたたまれていくと、その中から現れた人物の手の中へと収まった。
白装束に、袴の足首は布で纏められて足袋と一体になっている。
頭に載せていた縁にいくつもの布を下げた笠を外すと、其処に現れたのは鋭い眼光の狼人族の青年だった。
感情の高ぶりや魔力コントロールで体を獣へと変化させる能力を持つ種族で、強い肉体と筋力を誇る種族だ。
紙雪斎と名乗った男は床へ膝をつくと、深く頭を垂れた。
「実は、お前に飛んで欲しい場所がある」
「はっ」
「お前の選んだものを少数だけ連れて行け。場所は、アインファーブル」
紙雪斎の眉が跳ね上がった。
ステングレアにとってその町は、自分達の罪の証に最も近い場所だ。
「わしが師匠に……コウガク殿に遠視を依頼したのは知っておるな?」
「は。我が国のものが彼の土地への干渉することを避ける為に、と、聞き及んでおります」
「それに、コウガク殿以上の遠視の使い手は居らぬからな。その結果が、先日届けられた。異常なし。今まで同様無用な接触は不要と」
だが、と、言葉を止め、ギノンベイルは立ち上がる。
窓の近くに歩み寄ると、そっとカーテンをめくり、外を眺める。
「それを伝えるのとほぼ同時に、コウガク殿はまた旅に出たのだ。調べてみれば、どうも彼の土地に向かっている様子なのだ」
「なんと。それは……」
表情を険しくする紙雪斎。
ギノンベイルはカーテンを閉めなおし、近くの本棚にあった一冊の本を手に取った。
「我が国に報せるべきではない、報せてはいけないと判断されるようなことがあったのか。あるいは、本当に何も無かったのか。それは分からん。
なんにしても、ただ指を咥えて見て居るという訳にも行かん。かといって、干渉するわけにも行かん。我が国はかつて神々の怒りに触れた。
他国であれ我が国であれ、そのようなことをもう一度おこせば、この地に残って下さった神々もあるいは……」
「この世界をお離れに成られるやも知れぬ」
「それだけは避けねばならん何があっても。それだけは避けねば成らん絶対に。たとえこのステングレアが更地になろうとも」
ギノンベイルは手にした本を紙雪斎へと放る。
顔を上げぬまま片手を差し出した紙雪斎は、それをがっちりと掴んだ。
「彼の地近くに散らばせた影と接触し、彼の地を取り巻く守りをさらに強固に固めろ。もはや近付くものはメテルマギトとて許しはせん。
有象無象の区別なく、彼の地に近付くものは全て止めよ。神々の怒りに触れるわけには行かぬ。あの場所によることもならぬ。
いつか神々の怒りが晴れ、彼の地が開かれるそのときまで、彼の地を守り、彼の地に近付くものを払いのける。
再び神の怒りを買い、世界全てが彼の地の様になることを防ぐ為に。
行け、“紙くずの”紙雪斎。行って彼の地を守る影に伝え、守りをさらに強固に固めろ」
「御意ッ」
その言葉と同時に、わずかの紙片だけを残して紙雪斎の姿が掻き消えた。
かれがいた場所を、ギノンベイルが険しい表情で見つめる。
「罪の象徴であるあの場所に触れれば、何があるか分からんのだ。それなのにその近くで実験材料狩りなど」
各地、各国に諜報員を潜り込ませているステングレアには、メテルマギトがアグニー達を襲った理由も掴んでいた。
そういったことは、たしかに神々はとめては居ないし、禁止もしていない。
しかし、封印された土地近くで国同士、種族同士の争いを起こすということはつまり、神々の戒めを無視するということだ。
そんなことはあっては成らない。
けっして、何があったとしても、絶対にあってはならないのだ。
そんなことはメテルマギトとて分かっていると思っていた。
だが、現実は違った。
情報を掴み、警告する為の使者を出したのと前後して、アグニー達は襲われたのだ。
けしてあってはならないことが、けしておきてはいけないことがおきた。
今はまだ何の変化も現れていないが、何が起こるかわからない。
もしまだ何もおきていないだけだったら。
もしまだ逃げているアグニーがいたとしたら。
もしメテルマギトがアグニーを狙っていたら。
もしアグニーを追って、彼の地に近付こうとしていたら。
あってはならない。
起こさせてはいけない事態が起こらないと、誰が言えるだろう。
それだけは避けねばならないのだ。
罪を犯した国の王として。
罪を犯した国の一員として。
「何も無ければ…。何も起こっていなければよいのだが…」
彼の地の周りに近付くものを退ける影をステングレアが放っていることは有名な話だ。
時折国に降りてきて下さる天使様にも伝えてある。
紙雪斎を放ったのは、それを少し強くしただけの行為に過ぎない。
もし何も無ければ、それでいい。
今までどおりだ。
だが何かが引っかかれば。
何かが引っかかってしまったならば。
「何も、起きてくれるなよ……」
希望とともにため息を吐きながら、ギノンベイルは再び執務机の椅子に着いた。
戦闘シーンが予想よりも長くなってしまいそうになったので、ぶった切ってやりました。
次回はいきなり戦闘シーンから入れそうです。
じみーに盛り上がってまいりました。
赤鞘のあずかり知らぬ所で。
何のためにいるんですかね赤鞘。
今の所活躍していませんよね、全く。
さて次回は、アホのほうの彦、でお馴染みの、水彦がドラゴンと戦います。
一体どんなドラゴンなのでしょう。
勿論まともなドラゴンにはしません。
へんなドラゴンです。
へんなヤツ VS へんなどらごん
勝つのはどっちでしょう。