二十話 「かしこみかしこみ御礼申し上げ奉ります」
その山は、名前を呼ぶことを禁じられていた。
神が司る神域であるそこに名を付けることなど、恐れ多いとされたからだ。
ただ「山」とだけ呼ばれる其処に建つのは、巨大な寺院だった。
シャルシェルス教の総本山である其処は、世界中に散らばる修行僧達を統括する場所であった。
既にこの世界から去った森の女神シャルシェルスの名を冠した彼らの教義は、極々単純な物であった。
弱者を助け、守る事。
これが、全てだった。
外敵から助け、病から助けよ。
それは、心優しい、慈愛に満ちた女神の意思でもあった。
優れた力を持つのなら、ソレを分け与え誰かを助けて欲しい。
食べる物に余裕があるのなら、飢えた隣人に分け与えて欲しい。
まるで聖人君子のようなその願いは、神の願いであるというその一事によってきれいごとではなくなった。
その願いに感銘を受けた者が、一人、また一人と集まり、今では世界中にその教えを説く一大宗教組織へと変貌を遂げていた。
このシャルシェルス教の僧は、基本的に一つ所に留まらない。
常に旅をし、その地で出会った人を助け、去っていく。
勿論、見返りを求めることは無い。
彼ら修行僧にとって弱者を助けることは、修行であり、守るべき教義であり、また、喜びなのだ。
修行僧として各地をめぐる僧達は、まず「山」にある大寺院に集められる。
そこで、人々を救う為の知識と技術を与えられるのだ。
まず教え込まれるのは、高い医療技術である。
驚くべきことに、彼らは外科手術の技術を含む、高い医療知識を持っていた。
それらを叩き込まれた上で、ソレを可能にする道具の扱いと、魔法を教え込まれる。
たとえ山の中であっても盲腸の手術を可能にする。
魔法を前提にした治療技術は、世界最高水準と言っていい。
こうして高い医療技術を身につけた僧達は、それと平行して戦闘技術も徹底的に叩き込まれる。
弱者を助ける為には、時に戦わなければならない。
魔獣や盗賊などがはびこるこの世界では、力が無ければ弱者を助けられないこともあるのだ。
彼らが教えられるのは、徒手空拳による格闘であった。
何時いかなるときでも戦えるよう、武器が無くても弱者を守ることができるようにするためだ。
そして、もう一つ。
文字と言葉を組み合わせた独自の形式を持つ「経典魔法」だ。
刻まれた文章と、御経のような呪文によって構成されるこの魔術は、準備と発動に時間がかかる分、非常に魔力消費が少ない。
僧侶達は体を鍛え上げる傍ら、これらの文章を全身に刺青として刻み込み、発動に必要な長大な呪文を覚えていく。
神聖な山で女神の教えを学び心を鍛え、先達の手ほどきによって技を磨く。
そして、厳しい訓練によってその肉体を鍛え上げる。
心技体。
その全てを高水準で融合させ、弱者を助ける力を得たとき。
初めて、シャルシェルス教の僧は修行の旅に出立することを許されるのだ。
辺境に住むものや、医療技術の発達していない国の人々にとって、彼ら修行僧はまさに救い手だ。
魔獣に襲われても護衛を雇う金も無い村、病気になっても医者も居ない村、そんなものはこの世界にはごまんとある。
其処にふらりと現れ、魔獣を倒し、病気を癒してくれる。
勿論、何の見返りも求めない。
僧侶達にとって、その行為自体が修行であり、彼らにしてみれば「助けさせて頂いている」のだ。
そんな修行僧達は、どの国のどんな地域に行っても、絶大な支持を得ている。
他の種族を受け入れないことで有名なメテルマギトでさえ、彼らの事は無碍にはできない。
長い歴史を持つが故に、修行僧達に何度も救われた事が有るからだ。
そんな修行僧の一人が、コウガクであった。
正確には「紅楽」と記する名前であるこのコボルト族は、齢200を超える大爺だ。
寿命が50年と呼ばれるコボルト族にあってその年齢を迎えるコウガクは、赤鞘の世界で言えば「仙人」と呼ばれるような人物であった。
10歳になるころには修行の旅に出ていたという彼は、文字通り世界中を歩き回った。
あるときは疫病に襲われた村を救い、あるときは盗賊に襲われた村を救った。
見境無く暴れまわる凶悪なドラゴンを倒したこともあったし、暴虐の限りを尽くす貴族にお灸を据えたこともあった。
謂われなく虐げられる人々を救うため、一人で軍隊に戦いを挑んだことも。
まるで物語の中の出来事であったが、それらは全て記録の残った事実であり、コウガクという人物の功績だった。
シャルシェルス教を知るもので、彼の名を知らないものは、まず居ない。
一国の王ですら、彼の事は貴賓として迎え入れる。
最も彼自身は、未だに自分の事を修行の途中である未熟者だと称しているのだったが。
そんな彼も、寄る年波には敵わない。
今では旅に出る期間も少なくなり、本山である寺院に居ることが多くなっていた。
だからこそ、アグニー達の現状を知ることができたのだ。
木製の階段を上り、石で作られた廊下を歩く。
すれ違う僧達は、皆尊敬の念を持ってコウガクに挨拶をする。
コウガクに言わせれば、頭を下げてくる僧達も自分も、立場は変わらない。
「なんでそんなに畏まって挨拶するんだね」
苦笑を交えて言うコウガクだが、他の僧侶にしてみれば彼は憧れの対象だ。
彼の様に成りたいと思って寺院の門をたたいた者は、一人や二人ではないのだから。
いくつもの階段を上り、コウガクは最上階に足を踏み入れた。
そこはシャルシェルス教の現教祖が座する、限られた者だけが入ることを許された場所だ。
護衛をしている者達の前に立つと、コウガクは居住まいを正して挨拶をする。
「修行僧、コウガクと申します。教祖、リッシン様に用向きがあってまいりました。お取次ぎ願いたい」
そんなコウガクの様子に、護衛の僧達は顔を見合わせた。
「コウガク様。リッシン様からは、貴方様が御出での時は無条件で通すようにと言付かって御座います」
「それはいけないよ。私はただの修行僧なんだから。きちんと報告をして、許可を得るのが筋という物だとも」
当然の様にそう言い放つコウガクに、護衛の僧達は困ったように唸り声を上げる。
彼らも、コウガクに憧れ修行に励む者の一人だ。
そんな彼らに、彼の物言いは酷と言う物だろう。
「こらこら、コウガク殿。あまり彼らを虐めないでやってください」
奥から、そんな声がかけられる。
振り向いた僧達の前にいたのは、教祖リッシンであった。
ハイ・エルフである彼は、古い古い昔から森の女神に帰依してきた人物である。
まだ森の女神がこの世界に居た頃から寺院を守る、数少ない人物の一人だ。
「これは、リッシン様。虐めていたとは心外で御座いますよ。私はただ、きちんと手順を踏むべきだと言っているのです」
「あまり特別視されるのがイヤなのは分かりますが、まあこらえて下さい。あまり貴方を無碍にすると、他のものに示しが付きません」
苦笑混じりに言うリッシンに、コウガクは深い深いため息を吐いた。
「まったく。長生きはするモノではありませんな。窮屈で困る。早くお迎えが来て欲しいものです」
「私の前でそれを言いますか?」
齢800を超えるハイ・エルフと、齢200を超えるコボルトは、お互いの顔を見合わせ笑い合った。
奥の部屋に通され二人きりになったところで、コウガクは早速用件を切り出した。
見放された土地の事、そして、アグニー達の事。
自分がまた、旅に出るつもりである事。
秘密と言うのは、知る必要な人間が知っておかなければ、逆にもれやすくなってしまうものである。
見放された土地が、見直された土地になった事を隠すため、あえてコウガクはリッシンにそのことを伝えたのだ。
「なるほど、見放された土地がそんなことに。しかし我が故郷ながら、メテルマギトは相変わらずですね」
リッシンはメテルマギト貴族の選民思想についていけず、出国したものの一人だった。
シャルシェルス教の模範とも言われる彼の振る舞いは、エルフが皆一様に同じ考えのものでないという、よい例だ。
「まぁまぁ、あまり感心はしませんな。あの国に居る私の知人も、よい顔はしておりませなんだ」
「件の協力者の方々ですね。彼らのような方が国内に残っていて下さるから、あの国の事もある程度はわかりますからね」
「ずいぶん心を痛めておるようでしたよ。自身が捕縛任務に当たることで、少しでもアグニー達の被害を減らしたようでしたが」
「止めることは……できなかったでしょうね……」
目を瞑り、深い深いため息を付くリッシン。
ハイ・エルフであり、元々はメテルマギトの貴族であった彼は、エルフ達のすることを容易に想像することができた。
「他のものがあたれば、どんなむごい事になるか良く心得ていたのでしょうな。自らの手でするのが、一番アグニー達に被害が少なかったのでしょう」
「業、ですなぁ」
彼らも、伊達に長生きはしていない。
そういう決断が、時に必要なことも心得ている。
しかし、あまりにそれは悲しすぎる。
される側も、する側も。
それを許容するには、弱者のために己を捨ててきた彼らは、いささか優しすぎた。
「さて。しかしかの土地に神様が。これはこれは、うれしい知らせですね」
先に切り出したのは、リッシンだった。
明るく戻ったその表情に、コウガクも笑顔を返す。
「ええ、ええ。しかも、ご招待まで頂きましたからね。これは、お邪魔せぬわけにはいきません」
「いや。羨ましい。私もまた、旅の空に戻りたいものです」
「何をおっしゃられる。教祖様には後進の育成に励んで頂かねば!」
冗談めかしていうコウガクに、リッシンは恨めしそうな顔になる。
「それを言うなら、コウガク殿。貴方こそそれに力を入れるべきでしょう」
「いやいや。私はまだまだ修業の身。それに、リッシン様から見ればまだまだ若輩者ですからな」
「また、直にそうやって私を老人扱いなさる!」
800歳と200歳の老人二人が、楽しそうに声を上げて笑い合う。
多くのものにその偉業と実力を称えられる二人ではあったが、まだまだ本人達は修業中の身であるつもりなのだった。
コウガクはリッシンに事情を説明しに行ったその日の真夜中に出立をした。
山から見直された土地までは遠く、徒歩の旅を好むコウガクは急ぐ必要があったのだ。
だが、態々皆が寝静まったところを見計らって出てきたのには、もう一つ理由があった。
彼が修業の旅に出ようとすると、必ず同行しようとする者が現れる。
修行僧が何人かで旅をすることや、冒険者と同行することはけっして珍しくは無い。
しかし、気ままに歩く事を望むコウガクは、一人での旅を好むのだ。
彼が旅に出たことを知り、同行の許可を求めるつもりで居た者たちがリッシンの元に殺到した。
その中に高僧と呼ばれるような、地位の高いものも居たことに、リッシンは苦笑を堪えられなかった。
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夕方。
それぞれの仕事を終え、臨時拠点に戻ったアグニー達は、女性陣が作った食事に大いに感動していた。
鹿肉の串焼きに、アグコッコの卵スープといったメニューに、山菜ときのこのソテー。
調味料が無い為、素材の味を生かした味付けにはなっているが、そこは自然の中に生きるアグニーの女性達だ。
香辛料の代わりになる草や、塩を内部に溜め込む草をつかい、見事に素晴らしい味付けをしてのけていた。
中でもアグニー達を喜ばせたのは、アグコッコの卵スープだ。
鹿の脂身をナベで溶かし、香りの強い香草で匂いを消す。
其処に水を注ぎ、干しておいたキノコと、水くみのときに捕らえていた川魚の背骨やあらを入れる。
良く出汁が出たところで、刻んだ葉物と焼いた魚の身をほぐしいれ、一煮立ちさせる。
ぐつぐつと煮えてきたところで、溶いたアグコッコの卵を糸の様に細く垂らしいれるのだ。
キノコと川魚、そして鹿肉の甘みが良く出たスープに浮かぶ、ふわふわの卵。
さらに、肉体労働で疲れたアグニー達のために、御酢の代わりになる酸味の強い果実の汁も調味料代わりにおいておく。
好みに合わせて、味を調節する為だ。
「うまいよう、うまいよう!」
「やっぱりアグコッコは美味いなぁ!」
「料理をしてくれる人が居るって、幸せだよなぁ」
夢中になって料理にがっつくアグニー達。
それだけ、疲れているという証拠でもあるだろう。
だが、落ち込んだような気配のものは誰も居なかった。
皆、働けることを楽しんでいる様子だ。
晩飯を食べ終わったところで、恒例の会議が始まった。
それぞれ仕事も増え、分担もされてきている。
皆が何をやっているか把握するのも、大事なことなのだ。
最初に説明を始めたのは、建物担当のマークだった。
「まず、簡易かまど。こっちは直に設置が終わった」
かまどと言うのは、実は非常に重要な施設であったりする。
煮炊きするときに必要な燃料を、大幅に削減することができるからだ。
焚き火のような火では、熱エネルギーは大部分が横に逃げていってしまう。
周りを覆う囲いを付けるだけで、必要な燃料も、煮炊きに掛かる時間も大幅に減らすことができるのだ。
マークが作った簡易かまどは、名前の通り簡単に作れるものであった。
だが、その効果は計り知れない。
まず、丸めて粘土質の土を円を描くように並べ、積み重ねていく。
高さが20~30cmの煙突状になったところで、上にナベを置く。
このとき、粘土の煙突はナベのそこと同じか、それ以下が望ましい。
そして、ナベの淵と煙突の隙間を、粘土で埋めていく。
粘土の煙突をくりぬき、燃料を入れ火を焚く為の口と、煙を逃がす穴を空ける。
煙突を崩さないように慎重にナベを外し、煙突の中を平らにならす。
最後に火を焚いてやれば、簡易かまどの出来上がりだ。
上の部分をナベとぴったり合わせるのは、米を焚くお釜のように熱効率をよくするためだ。
これを、マークは既になべの数と同じだけ作り終えていた。
「それと家のほうだけど、2~3日中には一軒できると思う。道具が無いから、あまりきちんとしたものにはならないけどな」
申し訳なさそうに言うマーク。
「いや、流石マークだな」
「のこぎりも無いのになぁ」
感心するアグニー達に、マークは頭をかいて苦笑する。
「長老が作ってくれた石斧と、ハナコのおかげだよ。子供達が手伝ってくれてツタを編みこんだ壁代わりのものとかもできるから、暫くはそれで我慢してもらうけどね」
「いやいや、十分じゃよ。頼りにして居るからのぉ」
長老の労いの言葉に、マークはうれしそうに笑った。
「畑のほうはどうじゃね?」
「それは俺からだな」
手を上げたのは、中年アグニーのスパンだ。
「天使様から頂いたポンクテはもう蒔いたから、早ければ4~5日中に芽が出ると思うぞ。芋とムカゴ、両方試しているから、安定して収穫できると思う」
ポンクテは芋科の植物である為に、育てるには芋を植える場合と、ムカゴを蒔く場合があった。
エルトヴァエルは、芋とムカゴ、その両方を持ってきていたので、どちらも畑に埋めたのだ。
多年草であるポンクテは、その年によって収穫量が異なる。
柿などの果樹がそうであるように、実りが多い年と少ない年があるのだ。
それを避ける為に、ポンクテを植える時は年をずらすか、芋とムカゴ、それぞれ蒔く場合が多い。
「野菜を植える畑も確保したいが、これは肝心の野菜の種が無いとなぁ。何かかわりに成るようなものを森で見つけてもいいが……」
野生種を畑で育てるのは、大変なことだ。
既に作物として品種改良されている野菜とでは、収穫量も効率もまったく違う。
「ううむ。まさか、そこまで天使様にお頼みするわけにもいかんしのぉ」
「だよなぁ」
「天使様を困らせたらだめだもんなぁ」
「頼りすぎるのはよくないもんな」
刻々と頷くアグニー達。
一様に腕を組んで唸っているその姿は、悩んでいるようには見えない。
実際、何人かはなんで皆が悩んでいるのかわかっていなかった。
まわりが腕を組んでいるから、のりで唸っているだけだった。
とりあえず長いものには巻かれる。
そんなアグニー達だった。
「では、次は家畜と狩り。ギンじゃな」
長老に指名されて、ギンはおもむろに手を上げた。
「カーイチのおかげで、狩りもずいぶん楽になったし、他のカラス達も良くアグコッコの世話をしてくれてるな」
「カーイチのヤツ、石を抱えて飛んで、上から落として鹿を仕留めてたもんな!」
「他のカラス達も、オオネズミを捕まえてるもんなぁ」
「水彦様に強くしてもらったおかげなんだろうな」
アグニー達の言うように、カラス達はすこぶる優秀だった。
特に人の形を取るようになったカーイチは、アグニー達と言葉でコミュニケーションが取れるようになっただけでなく、手足を使った行動で大いに彼らの役に立っていた。
そのカーイチと他のカラス達は、アグコッコ達が集まって寝ている木の上で、これまた集まって寝ていた。
カラスもアグコッコも昼行性で、夜は早々に寝てしまうのだ。
木の上に腰掛け、木にうなだれかかって寝るカーイチ。
その服装は、黒い着物に黒い袴という、赤鞘や水彦に似たものであった。
膝や肩にカラス達が止まって寝ている姿は、なんとも微笑ましい。
「ああ、そうそう。長老、炭焼き小屋を作ろうと思うのですが、いいですか?」
手を上げてそういったのは、マークだった。
その言葉に、アグニー達は納得するように頷く。
「そうか。燃料の節約にもなるもんな」
「炭団も作れば便利だろうなぁ」
「さんせー」
「賛成ー」
炭と言うのは、木をそのまま燃やすよりもずっと熱効率がいい。
煙が多く出る素材でも、炭にしてしまえばそれが殆どなくなるのも利点だ。
アグニーの一人が言っていた炭団と言うのは、ツルや枝などの細い木材で作った炭を、つなぎを入れて練り上げ団子状にしたものだ。
形状的にも扱いやすく、作るのも物凄く難しいわけではない。
「それもそうじゃのぉ。ご苦労じゃが、マーク。頼めるかのぉ?」
「任せて下さい」
長老の言葉に、マークはとん、胸を叩いた。
「ハナコも居ますし、すぐにできますよ」
「おお、頼りにしてるぞ!」
「炭があれば、もっとうまい物が喰えるからな!」
声を出し、笑いあうアグニー達。
「しかし、なんにしても道具が足りないなぁ」
「うん。のこぎりとか欲しいな」
「俺としても、ノミとのこぎりがほしいなぁ。きちんとした床が作れるし」
「鍛冶道具も欲しいなぁ。ハンマーと土台になるもの。それと、材料か」
「俺は、結界が欲しいな」
あるアグニーの結界発言に、全員の視線が集まった。
しばし訪れる沈黙。
それを破ったのは、長老だった。
ゆっくりと腕を組み、深く頷く。
「そうじゃな。結界もぜひ欲しい」
「赤鞘様にお願いしてみるか」
「水彦様でもいいかも知れないぞ?」
どうやら、結界を欲しがっていたのは一人だけではなかったようだ。
皆お気楽でおばか。
そんなアグニー族である。
「でも、外に行くとエルフの人につかまるかも知れないぞ? まあ、エルフの人が皆俺達を捕まえるわけではないだろうけど」
「そこなんだよなぁ。買い物に行きたくても行けないもんなぁ」
「行商の人もこんなところじゃ来てくれないだろう。そもそもここの事知らないだろうし」
「うーむ。どうしたもんかなぁ」
唸るアグニー達。
首を捻ったり、寝転がったり、地面に生えている草を屈んで直接かじってみたり。
いろいろな状態で考えてみたが、結局答えは出なかった。
痺れを切らしたのか、長老がすっくりと立ち上がり、宣言する。
「あーもー、あれじゃ。宿題! 皆でそれぞれ考えてみるってことにすればいいじゃろう」
「「「おー!」」」
長老の強引な締めで、その日の会議は終了した。
アグニー達は、それぞれ寝るまでの時間を好きにすごそうと、あちこちへ散らばっていく。
そのときだった。
「おい、ちょうろう」
森のほうから、水彦の声が聞こえてきた。
がさがさと雑草や枯れ枝を押しのけて歩いてくる水彦。
その腕には、奇妙な物が抱えられていた。
ツタの塊で作られた、首の無い馬の置物のような物体だった。
かなりデフォルメされて居て、長細い五本の棒で作られているような外見。
だが、関節であろう箇所は適度にくびれていて、なんだか今にも動き出しそうに生々しい見た目だった。
「なんだこれ」
そういって、水彦が腰の辺りを持って前に突き出したときだった。
そのツタの塊が、とつぜんじったんばったん動き出したのだ。
「うをぉあああ?!」
「いぎゃぁぁああ?!」
「のぉぉぉ?!」
そのあまりのビジュアルの悪さに、恐れおののくアグニー達。
だが、そのなかでギンだけは冷静だった。
「あれ? それ、ウマイモじゃないですか?」
「え?」
「ウマイモ?」
「あ、なんだ、本当だ」
「何だウマイモか。びっくりしたー」
ギンの指摘に、胸をなでおろすアグニー達。
「うまいも?」
腕の中でじったんじったん暴れるツタの塊をまる無視して、首を傾げる水彦。
馬の大きさは1.5mほどとかなり大きいのだったが、水彦の腕力がなせる業なのだろう。
一向に逃れられる気配はない。
「ええ。そのツタの中に、芋が入っておるのですじゃ。自走植物というやつですのぉ」
「じそうしょくぶつ?」
眉をしかめる水彦。
長老は「そのとおりですじゃ」と言うと、水彦のほうへと近づいていく。
「へあっ!!」
気合の声とともに強化魔法を発動させると、水彦の腕の中で暴れるツタの塊をねめつける。
暫くじっとにらみつけていた長老だったが、ある瞬間、くわっ!! と目を見開いた。
「そこじゃぁぁあああ!!」
じゅばー!
そんな効果音とともに両手を突き出すと、長老はがっちりとツタの塊を掴んだ。
そしてそのまま、渾身の力を込めてツタを左右に引き離しにかかる。
「へ、へやぁぁああ! そぉおい! せいっ! せいこらっ! のぎょぎぎぎぎ!!」
奇妙な声を上げて、顔を真っ赤にして力む長老を尻目に、水彦とアグニー達の注目はツタの塊だけに集中していた。
ツタがぎちぎちと悲鳴をあげ、左右に分かれていく。
その間からは、なにやらサツマイモの表面っぽい物が見えた。
「はっ!! ひぃ、ふぅ! はぁ、はぁはぁ!」
そこで、長老に限界が来たようだった。
手を離すと、長老はやり遂げた男の顔で額の汗を拭う。
「こ、このように、ツタの中に芋があるのですじゃ。この芋が本体で、ツタはそれを守り、水や栄養を求めて動き回るときに、この体になるのですじゃ」
「そーなのかー」
長老の説明に、水彦は感心したように頷いた。
赤鞘の知識をベースにしている彼にとっては、この世界の生き物はことごとく珍しい。
「芋は食べることもできるし、とてもよい作物になるのでございますじゃ」
「でもきもいな」
ばっさりと切り捨てる水彦。
たしかにうねうねと動くツタの塊は、触手のようで見ていてある種不気味では有る。
アグニー達もそう思っていたのだろう。
「まあ、たしかにキモイはキモイですね」
「キモイ」
「気持ち悪い」
「結界」
「気持ち悪くはありますね」
と、口々に同意する。
「じゃけど、うまいんですぞ。これ」
長老の言葉に、水彦の表情が変わった。
「うまいならしかたないな」
多少気持ち悪くても、うまいものなら我慢する。
実に日本人的な水彦だった。
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日は沈んでも、赤鞘の座っている場所は明るかった。
3mほど上空に浮かんでいる、光の球のおかげだ。
樹木の精霊達が作ってくれたそれは、魔法で作られたものであったりする。
地球神である赤鞘は、よほどそれが衝撃だったのか、ボケーっとした顔で口を開いてその球を見あげていた。
「考えてみたら私、ここに来て初めて魔法見てるんじゃありません?」
隣に座るエルトヴァエルに、赤鞘はうれしそうに声をかける。
かなりうれしいらしく、そわそわとした様子だ。
対するエルトヴァエルは、いたって落ち着いている。
「一応これも、神力による奇跡なのですが」
そんなエルトヴァエルは、赤鞘はため息を吐き出し、首を振って見せた。
「私みたいにゲーム世代の神にとって見れば、魔法って言うのは特別なんですよ。特に日本神はそういうの好きですから」
「はぁ。そういうものなのでしょうか」
いまいち分からないといった様子で首を捻るエルトヴァエル。
まあ、分からないほうが普通だろう。
赤鞘がはしゃいでいる様子を見て、樹木の精霊達は誇らしげに胸を張っている。
「しゅごいでしょー!」
「ほめてほめて!」
「もっとしゅっごいの、ちゅくれゆおー!」
ピコピコと飛びはねながら、しきりに主張する。
赤鞘はそんな彼らににっこりと笑いかけると、一人ひとりの頭を指でなでた。
「いえいえ。十分ですよ。ありがとう」
「ほめられたー!」
「うぇへへへー!」
「えりゃい? えりゃい?」
うれしそうに飛びはねる精霊達を両手でぷにりながら、赤鞘はエルトヴァエルのほうへと顔を向ける。
「で、その球なんですけど。どう思います?」
エルトヴァエルの前には、精霊達がいじくり回していた土の塊が置かれていた。
正確には、土の塊だった物、だが。
最初はただの泥団子だったはずのそれは、精霊達が力や知識を詰め込んでいくうち、段々としっかりとした球状を取り始めた。
それでもかまわずどんどん詰め込んでいくと、なんと今度は透明になってきたのだ。
その辺で一瞬止めようかと思った赤鞘だったが、なんかかかわったらやばい気がしてきて、見なかったことにした。
精霊達がやり遂げた表情で、「完成しました!」「できたー!」「ほめう? ほめう?」と言って来たので振り返ると、其処には七色変化し続ける宝石のような何かが転がっていた。
ドン引きして引きつった顔を見せた赤鞘を責められる人は、そういないだろう。
赤鞘は恐る恐るそれを持ち上げ、ふとあることに気が付き首をかしげた。
「なんかこれ、ずいぶん力の循環に無駄がありません?」
かなりの量の力と知識を詰め込まれた球の内部は、赤鞘から見るとかなりごちゃごちゃとしていた。
「えー?」
「しょうかなぁ?」
「じょうずにはいってうよ?」
首を傾げる精霊達。
実際、その球に込められた力と、その精度、術式の正確さ、密度、効率などは、どれをとっても一級品だった。
この世界において、神器の一つとして十二分に遜色の無い物だといえるだろう。
が、赤鞘は技術立国日本の、異世界から引き抜かれるほどの技術を持った神であった。
同じ世界の違う国の神をしてHENTAIと言わしめるその力量は、その球にまだまだ改良の余地を見出していたのだ。
「この、この辺をこうしてですね。こっちをこうすれば、まだこの辺にスペースが開くんですよ。で、こっちをここに置いておいてから、こうこうこう……」
「おおー!」
「しゅっげー!」
「かみしゃま、まじかみしゃまー!」
こうして、ただでさえ恐ろしい物体だったはずのそれは、赤鞘の手によってさらに改良されたのだ。
自ら七色に光り輝く宝玉、という神々しさ溢れる物体と成ったそれは、今エルトヴァエルの前に転がっていた。
「ええと。たのもしい、かと」
なんともいえない表情で、そう搾り出すエルトヴァエル。
やりすぎなのではないでしょうか。
という言葉を飲み込んだのは、流石としか言いようが無いだろう。
「まあ、そうですよね。でもあのー、ほら。水彦よりは力の密度とか薄いし、量も少ないですから」
あらぬ方向を向きながら、誰にともなく言い訳をする赤鞘。
自分に言い聞かせるような物言いだ。
「でも、水彦様のアレは異常ですよ?」
「みじゅひこは、しゅげーちからのかたまりだ!」
「やりしゅぎ!」
赤鞘の周りで、精霊達はぱたぱたと騒ぎ立てる。
実際、水彦は控えめにいってアンバレンスがガーディアンを作った場合とどっこいな性能を持っていた。
太陽神であり、最高神である、アンバレンスが作った場合と、である。
「……」
難しい顔で、押し黙る赤鞘。
しばし眉間に皺を寄せて、土の球、精霊、エルトヴァエルの順に視線をめぐらす。
そして、深い深いため息を付き、口を開いた。
「ま、いいか。考えるのやめよう」
思考の放棄であった。
やばいことは考えない。
まさに日本神の鑑のような行動である。
兎に角、新しいガーディアンに体を与えよう。
ということで、話はまとまった。
既に力、血、知識を与えてあるので、あとは名前さえ付ければ、土のガーディアンは目覚める。
水彦は名前を付ける前に起き上がってきたのだが、あれとは作り方が違うので、目覚めさせ方も違うのだ。
そんなわけで、早速「名前を考える会議」が、開催された。
「やはり、赤鞘様がお付けになるのが道理だと思いますが」
遠慮がちに言うエルトヴァエルに、赤鞘は腕を組んで唸る。
「そうなんですが、どうもこー。おりて来ないんですよねー」
名前のアイディアが思い浮かばないらしい。
降りてこないという物言いは、神からの啓示が無いとかという場合に使われることが多い。
赤鞘は神なので、啓示といえば啓示なので、用途としては微妙にあっているのかもしれない。
「うーんとねー、えーっとねー! あーしゅ!」
「あーしゅは、ほかのせかいのかみしゃまだおー?」
「やっぱり、水彦様と対になる名前がいいですよね!」
「みじゅひことおなじよーななまえー?」
「うーんと、えーっと、きめた! ぎがんてぃっくごーれむっ!」
「ごーれむー?」
精霊達もいろいろ考えているらしく、調停者と呼ばれる樹木の精霊を中心に、うんうんと唸っていた。
彼らの話に耳を傾けていた赤鞘は、なにやら納得したように頷く。
「そうですよね。水彦と同じような名前が、やっぱりいいですよね」
この言葉に、エルトヴァエルがびくりと反応した。
いやな予感がしているのだろう。
コメカミにつつーっと汗が伝っている。
赤鞘は土の球を両手で掴むと、ゆっくりと立ち上がり、宣言した。
「今日から貴方の名前は、土彦です!」
予想はしてたけれども?!
口には出さず、そう心の中で叫ぶエルトヴァエルだった。
命名された瞬間、土の球、土彦は一気にその輝きを増した。
それまでも光り輝いていたその身を、さらに眩く光らせる。
赤鞘が両手を離すが、土彦の体は空中に留まったままだった。
土彦の下の地面から、突然糸の様なものが立ち上り始める。
一列と成った砂の粒が、まるで糸の様に見えているのだ。
幾筋もの列を成し、螺旋を描きながら、砂が中空へと吸い上げられる。
それらはくるくると綺麗な幾何学模様を空中に描きながら、徐々に土彦の周りへと集まり始めた。
そしてある瞬間、一斉に土彦へと殺到する。
それらはただ集まるだけでなく、有る規則性を持って何かを作り上げていった。
何が作り上げられたのか。
それはほんの一瞬で完成し、赤鞘たちの目の前に現れた。
白く透き通るような肌に、整った顔立ち。
切れ長で鋭い目元は、赤鞘に似ているようだった。
それは、美しい黒髪を持った、少女の姿だった。
黒髪の少女、土彦は、ゆっくりと地面に降り立った。
手を持ち上げ、何度か握って動きを確かめる。
満足そうに微笑むと、今度は自分の体を確認した。
美しい少女の裸体が、其処にはあった。
土彦は少しだけ眉根を上げると、お腹の辺りを手ではらう。
その動きを見せた瞬間、周囲の砂が舞い上がり、土彦の体にまとわり付いた。
出来上がったのは、赤鞘や水彦と同じ、黒い着物と袴だった。
満足そうにそれを眺めると、土彦は恭しく赤鞘の前に跪いた。
「名前、たしかに頂戴いたしました。かしこみかしこみ御礼申し上げ奉ります」
「えー。あ、はい」
土彦のその態度に、赤鞘は若干引き気味で頷いた。
ものすっごい改まった対応を受け、場違い感で居たたまれなくなっている様だ。
顔を上げた土彦は、そんな赤鞘を見て苦笑する。
「やはり、赤鞘様はあまり改まった物言いは苦手でしたか。生まれたばかりでしたので、張り切りすぎてしまいました。申し訳ありません」
土彦は立ち上がり、にっこりと笑顔を作る。
水彦と同じく赤鞘に何処か似た顔立ちは、少しきつい印象は受けるものの、良く笑顔が似合っている。
「赤鞘様に御創り頂いたこの身、この土地と民を守るため、存分にお使い下さい」
土彦のそんな態度に、赤鞘とエルトヴァエルは凍りついたままだ。
「ちゅちひこー、ちゅちひこー!」
「ぼくたちもちゅくるの、てちゅだったんだおー!」
足元から聞こえるそんな声に、土彦は下を見下ろした。
騒いでいるのは、精霊達だ。
土彦は「ああ!」と声を上げしゃがみこむと、精霊達を指先でなでる。
「私の力と知識は、精霊様方から頂いたのでしたね。ありがとう御座います」
そういいながら、にっこりと微笑む土彦。
慈愛に満ちたその顔からは、やさしさが滲み出していた。
「「……」」
そんな様子を、赤鞘とエルトヴァエルは少しの間、無言で見つめていた。
同じような表情を浮かべている一柱一位の頭の中には、同じような単語が渦巻いていた。
まともだ…。
じゃあ、水彦って何なんだ…。
答えの無い問いに、しばし頭を悩ませる赤鞘とエルトヴァエルだった。
水彦の次は、土彦デシタッー!!(ばばーん
読者の方から頂いた感想でどんぴしゃ当てられました。
ひねりが無いからですね。
スミマセン。
思ったよりも文字数がかさんで、また予定通り行きませんでした。
何時になったら出発するんだよ水彦。
もう、このアホ。
土彦は女性なようです。
おんなのこですね。
アグニー達が子供外見なので、大体同じぐらいの外見年齢にあわせているようです。
もっとも土彦も水彦も外見変えられるんでしょうけど。
さて、コウガクさんですが。
地球にいたら確実に赤鞘よりも徳の高いお方です。
雑魚神である赤鞘では並べるのもおこがましいほどの高僧でした。
でもこの世界では神様が身近であった分、尊敬の念が強いようです。
赤鞘なんかでも、神様であれば奉ってもらえます。
まあ、奉られる側の赤鞘はめっちゃきょどると思いますが。
ひとまずガーディアン問題も落ち着き、逆に道具不足問題もでてきた所で、いよいよ水彦をカタパルト発射する流れです。
あいつ一人でお使いに出すと色々面倒になりそうなので、エルトヴァエルさんが上空支援を行う予定です。
内向きは赤鞘と土彦。
外向きはエルトヴァエルと水彦。
と、言った面子になります。
ようやく当初の予定の「見直された土地運営チーム」がそろいました。
コレ以降は増える予定はありません。
精霊さんに個性が着いてくれば、賑やかにはなるでしょうが。