一話 「赤鞘さんにうちの世界に来て、土地の管理をやって貰いたい訳なんですよ」
地上を見下ろすはるか上空。
成層圏ぎりぎりの位置に、一人の男性が立っている。
立っている、というか、正確には「地面のほうに足を向けて直立状態」にあった。
そう。
彼は中空に浮いているのだ。
その服装は簡素で、機械で作られているとは考えにくい手作り感たっぷりの布をつかった、手縫いと思われるズボン。
上着も似たようなもので、手縫いと思われるTシャツのような薄いものだった。
そんな格好と似つかわしくないのは、背中に背負った一本の矛。
全体が実際に黄金色の光を放っていて、柄には扱うのに邪魔にならない、それでいて実に見事な彫刻がされている。
石突からは本体と同じ黄金色の光を放つ不思議な金属製の鎖が伸び、それが男性が担ぎやすいように矛に絡まっている。
矛先は三又に分かれており、不思議なことにバチバチと光の筋を放っていた。
不規則に揺らめき空気中に四散していくそれは、電気、雷であった。
こんな格好でこんなところにいる彼は、人間ではなかった。
日本がある地球とはまったく違う異世界、「海原と中原」という世界の最高神である。
最高神であるだけに、さぞ威厳のある顔立ちなのかと思えば、そうでもない。
というかむしろ、威厳という言葉からはかけ離れた顔立ちをしていた。
眠たそうな半眼は六割近くが白目で、子供が見たら泣きだしそうなほど目つきが悪い。
短髪に刈り込んだ髪の毛は、炎の様に赤く、瞳の色とあいまってヤンキーか何かの様に見える。
外見年齢的には、二十代後半ぐらいだろうか。
総合的に判断して、彼の外見だけを見て、地位の高い神だと思う人間は皆無だろう。
そんな最高神「太陽神アンバレンス」は今現在、地図と格闘していた。
手にした紙製の世界地図と地上をひっきりなしに見比べながら、ぐるぐると回転し続けている。
「なんだよこれもー。どっちが北だよ。こっち? あの氷が張ってるほう? え、でもこれナンキョク? キタ? キタギメ? 何これなんて読むのもー……」
どうやら地図と地形が頭の中で一致しないらしい。
「いやまて冷静になれ俺。 考えてみれば目的地の島国だけ分かればいいんだよ。 うん。 形は覚えてるぞ。 なんか立ち上がって恐竜っぽくなりそうな感じの」
ふと見下ろしたアンバレンスの目に、奇跡的に目的の島国が飛び込んできた。
「あったー! 日本! これだよ!」
アンバレンスはズボンのポケットに地図をしまいこむと、喜び勇んで降下を始めた。
この後、彼は日本地図を片手に再び上空をさまようことになる。
ようやく目的地に着いたのは、一週間後のことであった。
三本足のカラスに先導され、アンバレンスは山道を歩く。
「いや、ほんっとマジ助かりますわ。 俺どうも方向音痴で。 地図読むのも苦手なんすよね」
しきりに頭を下げるその姿は、どこぞの異世界の最高神にはとても見えない。
頭を下げられているカラスはといえば、こちらも申し訳なさそうにぺこぺこと頭を下げていた。
ホバリングしながら頭を下げるカラスの姿は、おそらくビデオに納めればかなりの金額で売り払えるだろう。
「いいえ。 慣れない異世界で大変だったでしょう。 アマテラス様からもきちんとご案内するように仰せつかっておりますから」
このカラスは「ヤタガラス」という、日本の太陽神「アマテラスオオカミ」のツカイだ。
結局一人で目的地に着くのをあきらめた彼は、同じ太陽神仲間のアマテラスオオカミに泣きついたのだ。
「この道をまっすぐ行けば、件の社に着きます」
「ですか。いやー。 ほんっと助かりました。またお礼もかねて伺いますので」
「いえいえ、本当にお気になさらず!」
なんとも日本的なやり取りで頭を下げあうと、ヤタガラスは大きく羽ばたいて空の向こうに消えていった。
三本の足を持つカラスの外見を持つヤタガラスを興味深そうに見送ると、アンバレンスは大きくため息をついた。
やっと目的地に着いた安堵感から、疲れがどっと出たのだろう。
ヤタガラスに言われたまま、山道をまっすぐに歩く。
少しだけ高低差のついた丘の上にあったのは、崩れかけ蔦に絡まれた社だった。
扉は欠落し、壁は穴だらけ。
鳥居も、正面に置かれていただろう賽銭箱もすっかり朽ちて原形をとどめていない。
それでもその場所が社だとわかるのは、周りとは明らかに異なる雰囲気のためだろう。
空気が違う、とでも言えばいいのだろうか。
その場所はほかとは違うと、感覚に訴えかけてくる。
もっとも、その感覚に頼る以外感知する方法はないのだが。
神であるアンバレンスにとってみれば、それは馴染み深いものだ。
神聖な領域であることを示す感覚なのだから。
「んーん。よく整ってる」
周りを一瞥し、アンバレンスはそんな感想を漏らす。
命の根源ともいえる生命力や、大地の力。
風や地下の水の流れなど、ありとあらゆる物が滞りなく循環している。
生物が息づき、暮らしていくには、まさに理想的な環境だ。
生命力にしても水にしても、ただ溢れていれば良いというものではない。
注ぎすぎれば器を壊し、滅茶苦茶にしてしまうのだ。
そうならないよう調整するのは、神の仕事のひとつでもある。
「良い神がこのあたりを治めている証拠、だね」
満足そうにうなずきながら、社に近づいていく。
六人ほどが入れば、いっぱいになるような小さな社だ。
崩れ落ちた入り口をくぐると、ようやく目的の物が確認できる。
社の一番奥にそっと置かれた、真っ赤な鞘だ。
アンバレンスは居住まいを正すと、表情を引き締めた。
実際自分の手で触って口元などを確認しているのは、恐らく普段そういう顔をしなれていないからだろう。
「私は海原と中原にて最高神を務める、太陽神アンバレンス。土地神、赤鞘殿の社とお見受けする。いらっしゃるのであれば、お目通り願いたい」
声への反応はすぐに現れた。
光の粒子の渦が、赤い鞘から立ち上る。
段々と集まっていくそれは、人の輪郭を形作っていく。
現れたのは、時代劇にでも出てきそうな格好をした青年だった。
青年、土地神赤鞘は、自分が現れた赤い鞘を手に取ると、脇に差す。
「あ、はい。はい。赤鞘です、けど」
赤鞘は困ったような表情で首をかしげると、おずおずと言葉を続ける。
「あの、私のような雑魚神に、その、大変失礼な言い方なのですが、どういったご用件で……?」
太陽神というのは、どこの神話、どこの世界でもかなり上位の神であることがほとんどだ。
それに比べ、赤鞘はお世辞にも上位の神とは言いづらい存在だった。
影響範囲は精々半径二キロ程度。
主な仕事は、地脈や気脈の流れを整えるといった、神の世界で言うところの駐車場やマンションの管理人のような扱いの存在だ。
それも、赤鞘が治めているのは、重要な土地から遠く離れた山々に囲まれた廃村だ。
アンバレンスを送ってきたヤタガラスのほうが、よっぽど神としての格が上。
というか、ぶっちゃけた話。
ちょっと力が強い妖怪とどっこいぐらいの神様だ。
ちなみに、アンバレンスと赤鞘は、まったく面識が無かった。
外見はともかく、見るものをひれ伏させるのに十二分な神々しさを放つ最高神が、ド田舎の超下っ端神様に会いに来たわけだ。
当然、赤鞘は驚いていた。
むしろビビッていた。
もしここが自分の社でなかったら、ダッシュで後退してスライディング土下座を決めていただろう。
がくがくと膝を震わせている赤鞘を見て、アンバレンスはようやく怯えられている事に気が付いた。
「あ、いえ、その何というか、実はお話がありまして、あ、これその、つまらない物なんですが……」
そういうと、アンバレンスは片手に下げていた風呂敷包みを広げた。
中から出てきたのは、お土産の定番「東○バナナ」だ。
「あ、どうも気を遣っていただいて申し訳ありません! そうだ、すみませんお茶も出さずに。座布団も朽ちてしまったもので、その辺に腰を下ろしていただくしかないんですけど、どうぞお楽に……」
「どうぞお気を遣わずに! 突然押しかけてきたのはこちらですから!」
異世界の信者が見たら幻滅しかねない、純日本風なやり取りをする二柱の神々であった。
太陽神アンバレンスの世界は、元々は母神と呼ばれる神が治める場所であったという。
生物が満ち、安定に向かっている途中、その母神が突然別の世界に行くと言い出した。
元々母神は神々を生み出し育む存在で、世界を治めるつもりは無かったのだという。
そこで、無の世界へ行き、新しい世界を作るのだと。
優秀な幾人かの子供達を連れた母神はアンバレンスに世界を託し、新たな世界に旅立った。
ちなみに旅立ったのは、ホンの一年ほど前のことだという。
「ずいぶん最近なんですね。なんか神話的な話なのに」
妙に感心した様子でつぶやくと、赤鞘はずずーっとお茶を啜った。
アンバレンスの手土産である東○バナナは、既に二柱の神によって半分ほど食い尽くされている。
「そうなんですよ。まあ、確かにお袋そういうの苦手ではあるみたいでしたし。気持ちは分かるんですよ? でも、何で死者世界治めてた姉貴まで付いていくんだ、と! 山岳の神やってた兄貴までついてくし……残されたこっちは人事異動やら世界の調節やらでてんやわんやですよ 」
深いため息をつき、アンバレンスはずずーっとお茶を啜る。
「それって。結構重要なポストじゃ……」
「その通りですよ。 世界運営の中でも海原とか戦とかそういう重要度たっかいところの、それも高位の神々ごっそーっと半分ぐらい連れてったんですよ」
「何でまたそんなエゲツないことに」
「自分が世界の管理するの苦手だから、新しいところにいったんですよ? そういうの得意な優秀なの引き連れて今度は見てるだけを決め込むつもりなんですよ」
「あー……」
悲痛な表情でため息を吐き出すアンバレンス。
赤鞘はなんともいえない引きつった表情でそれを眺める。
「半分近くですよ。それも優秀な連中ばかり……まあ、そのおかげで地方にいた連中とかを引き上げてやれたんですが。こっちは過労死寸前です」
「は、はあぁ」
「それに優秀な奴ばかり連れて行ったもんだから、問題のある連中が結構残ってて。もうどうしていいやら……!」
半泣きになる太陽神を前に、固まる赤鞘。
大の男、それも異世界の最高神の半泣きは、やられるほうとしてはたまったものではない。
「そこで、本日ここに来たのはほかでもない。 赤鞘さんに助けて頂きたいからなんですよ」
「はぁ?」
思わず失礼な声を上げてしまったことには目をつぶってあげてもらいたい。
「助けるって。私ですか?」
自分の顔を指差す赤鞘に、アンバレンスは大きく頷いてみせる。
「いやいやいや、ちょっと待って下さい。 私、これといって特技も無いごくごくありふれた神なんですが」
謙遜でもなんでもなく、赤鞘は自分のことをそう思っていた。
ていうか、崇められて社に祭られてからも、二十年ぐらいは自分のことを妖怪変化だと思っていた。
「いやいや。この土地を見れば分かりますよ。よく管理された、素晴らしい土地だ。この出して頂いたお茶一つとっても分かります」
そういって、アンバレンスは湯飲みを持ち上げた。
「この水。本当に良い水だ。気に満ち満ちてる。俺の世界には、魔力という力があります」
唐突に話題が変わったような気がして、赤鞘は首を捻る。
「この魔力というのは、ゲームなどである魔法に使うエネルギーのことです。大気、大地、水。様々なところにあり、生物が生存するために も必要不可欠なものになっています」
「あー……」
世界が違えば、理も違ってくる。
魔力と呼ばれるエネルギーが存在する世界がある、というのは、赤鞘も知識では知っていた。
「俺の世界の自然界に存在する魔力は、水の流れや風、地脈と同じように神が管理しています。 魔力は生存に欠かせないものであり、地形を変えるほどの力を持つ魔法の原動力でもあります。その管理はつまり、太陽の管理にも近い重要度の高いものです」
「あの、それと私が助ける云々って言うのはどう繋がるんでしょう?」
「要するにですね。赤鞘さんにうちの世界に来て、土地の管理をやって貰いたい訳なんですよ」
「……はい?」
表情が引きつる赤鞘にかまわず、アンバレンスは言葉を続ける。
「貴方の土地を整備する能力は、それはもう尋常じゃなく高い。日本人って言うのは物事を細かく管理するのが得意なんでしょうね。そのお力を、ぜひ私の世界で振るって頂きたい!」
頭を下げるアンバレンス。
その様子に、何が起こったのか理解が追いつかず凍りつく赤鞘。
が、すぐに再起動すると、必死になって顔と手を横に振り始める。
「いやいやいや! 無理ですよ? 私土地神だからここ離れられませんし! そもそも実力なんてぜんっぜんないですからっ!」
「ご安心ください。既にアマテラスさんの許可は取ってありますから!」
アマテラスオオカミは赤鞘にとっては天上人。
平社員に対する、創業者兼会長のような存在だ。
アマテラスが「カラスは虹色」といえば、同僚と二人きりのときでも「カラスって極彩色でゲテモノっぽいよねー」と会話に上るのである。
「そ、そう、です、か……」
顔を引きつらせる赤鞘。
この時点で、既に彼に選択肢は無いのだ。
もっとも、頼んだアンバレンスはそんな強制力があることだと思っていない。
ただ、「もろもろの準備はこちらで済ませます」という誠意を見せただけだ。
それが証拠に、
「勿論、無理にとは言いません。断られる恐れも、覚悟してきています」
とか言っている。
ああ、本当に強制するつもりは無いんだな。
アンバレンスの態度で、赤鞘はそれを察した。
きっと彼の生まれ育った環境では、上司にNOというのは、そう特別なことではないのだろう。
だが、超ド田舎武家社会出身の赤鞘には、上司の言うことにはすべてYESで答えるものなのだ。
「ですが、このままでは私の世界は、長く混乱を迎えることになるでしょう。実際、自分達の不甲斐なさゆえ何ですが」
悔しそうに歯噛みするアンバレンス。
その様子を見た赤鞘の額には、いやな汗がぶわりと吹き出す。
そんな様子を知ってか知らずか、アンバレンスはゆっくりとした動作で、深々と頭を下げる。
「勿論、ただとは言いません。今よりずっと広い土地を用意します。よい土地を作って頂くのが目的ですから、干渉も控えます。 どうか、どうか一つ……!」
「うあ」
引きつった表情で、うめき声を上げる赤鞘。
人に物を頼まれるとイヤとはいえない、且つ、偉い人の言うことは聞かなくちゃいけない気がする。
赤鞘は、そんな流されやすい日本人の典型のような性格だった。
そのうえ、見ず知らずの村のために命を投げ出すような真性のお人よしだ。
他所の世界の太陽神が頭を下げて頼んでいる。
この状況は赤鞘を追い詰めるには、十分すぎるものだった。
しかも、上司であるアマテラスからのお墨付きもあるという。
「わ……」
赤鞘はゆっくりとした動きで胸を張ると、瞳を若干潤ませながら胸を叩く。
「分かりました。私でよろしければ、お力になります!」
「あ、ありがとう! 有難うございます!」
半分泣きが入っている赤鞘の様子に、アンバレンスは気が付いていないようだった。
こうして、小さな廃村の豊穣をつかさどる神、赤鞘は、剣と魔法の世界へと引越しをすることとなった。
土地の引継ぎや、周囲の神々への挨拶。
新しい世界で必要な知識の習得のほか、もろもろの雑務。
そういったものがいち段落して、赤鞘が異世界へと旅立ったのは、アンバレンスが訪ねてきてから、一ヶ月ほどが過ぎてからだった。
小さな廃村の、小さな社が崩れ落ちた。
そこに祭られていたはずの赤い鞘は今は無く、どこかに消えてしまっている。
それを悲しむものも、今はもういない。