第百八十二話 「はい、タヌキですので。タヌキですので、尻尾も重要なのです」
意識を取り戻すと同時に、タヌキは素晴らしい素早さで状況を把握、分析し始めた。
まさか、ちっちゃな頃の赤鞘様そっくりの眷属に出会おうとは。
事前に知識が有ったとしても、衝撃は躱しきれなかっただろう。
いや、むしろ変に身構えてしまい、余計に衝撃を受けていた恐れすらある。
何しろ、「赤鞘と記憶を共有している、赤鞘が血を分けて作った、幼少期の赤鞘そっくりのガーディアン」なのだ。
考えれば考えるほど変に身構えてしまい、余計なダメージを負っていたに違いない。
となると、むしろ今回の出会い方が一番被害が少なかった、と言えるだろう。
何にしても、兎に角起き上がらなければならない。
倒れてしまったことで、周りに迷惑をかけているはずだ。
目の前で倒れられた眷属、ガーディアン殿は、さぞ驚いたに違いない。
まずは起き上がり、詫びに行かねば。
とりあえず周りの状況を知ろうと、タヌキは目を開いた。
ここまでで、意識を取り戻してから一秒弱。
僅かな時間だったからこそ、タヌキは自分の体が今どうなっているか、まだ把握していなかった。
まず最初に感じたのは、暖かさである。
どうやら自分は、何やら暖かなものの上に寝ているらしい。
背中にも、暖かさがあった。
それから、心地よい程度の重さ。
布団か何かだろうか。
首を左右に巡らせ、景色を確認する。
元来優秀なタヌキは、五感からすぐに自分が置かれた状況を割り出した。
胡坐をかいたガーディアン殿の脚の上に乗せられ、背中を撫でられている。
あと、自分の事を赤鞘様がのぞき込んでいる。
そんな状況を理解した瞬間、タヌキは完全に覚醒した。
今ならば、こちらに来る前にやりあった吸血鬼の一団全てを相手にしても、鼻歌混じりに焼き払えるだろう。
その位、完全に目が覚めていた。
積もり積もった疲労も吹っ飛び、ここ百年でもっとも眼が冴えているのでは無いだろうか、と言うレベルである。
「ああ、気が付きましたか。よかったぁ」
タヌキを覗き込んでいた赤鞘が、ほっとしたというように笑顔になった。
へにゃりとしたその笑い方は、タヌキが何度も見てきたものだ。
「いやぁ、突然倒れたって聞いて。まぁ、そりゃ驚きますよねぇ。何の心の準備も無く、水彦なんて見たら」
赤鞘が苦笑するのを、眷属、水彦が不満そうな顔で睨む。
どうやら、眷属、ガーディアンの名前は、水彦と言うらしい。
恐らく真名は、「ミズナミヒコ」だろうな。
赤鞘のネーミングセンスを熟知しているタヌキは、そう考えた。
「この子は、こちらに来て創った眷属。ガーディアンとかっていうらしいんですけども、まぁ、どっちでもいいんですが。ミズナミヒコ。呼び名は、水彦です」
「みずひこ、という。よろしくな」
小さく頭を下げる水彦に、タヌキは「こちらこそ、よろしくお願いいたします」と頭を下げた。
予想が当たったことについての驚きなどは、特にない。
タヌキにとって赤鞘の考えを推し量ることなど、当たり前のことだからだ。
「ご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした。私はタヌキの、穂ノ尾。赤鞘様の神使です」
「しってる。あかさやのきおくが、すこしあるからな」
「なんと。そうでしたか」
初めて聞いたと言うような顔で、タヌキは驚いて見せた。
仕草や言動から「赤鞘と記憶を共有している」と看破していたが、聞いたのは初めてである。
別に、驚いて見せた方が自然に見えるはずだ、などと計算しての事ではない。
あくまで赤鞘の前では「かわいらしいたぬき」としての顔を見せたいとか、そういうのでは全く全然一切ないのだ。
「膝をお借りして、すみません。すぐに退きますので」
「だいじょうぶなのか。もうすこし、ねていたほうがいいんじゃないか」
「そうですよ。無理しないで、ゆっくり休んでください」
そう言って、赤鞘もタヌキの背中に手を伸ばした。
撫でられる感触。
そういえば、最後に赤鞘様の膝に収まったのは何時だっただろう。
人間だった頃な訳だから、五百年ぐらい前だろうか。
神様になってから抱っこされたこともあるのだが、今の赤鞘の本体はあくまで朱塗りの鞘。
赤鞘の温もりを直接感じられる機会と言うのは、ほぼなかった。
と言うことは。
水彦の膝に収まって、赤鞘に撫でられているというこの状況は、非常に貴重なのではあるまいか。
「有り難うございます。こちらに来る前は少々忙しく、あまり眠れていなかったもので。お言葉に甘えて、少し眠らせて頂こうと思います」
どうやら疲労が吹っ飛んだというのは、気のせいだったようである。
今のタヌキは寝不足であり、しっかりと休養が必要だったのだ。
絶好調のような気もしていたのだが、気のせいだったのである。
寝不足で不調なのだから、休まなければならないのは至極当然。
まあ、もし邪魔するものが現れたら、二秒で灰も残さず焼き尽くすが。
兎に角、今は睡眠である。
タヌキは充実した気持ちで目を閉じると、穏やかな気持ちで眠りに落ちていくのだった。
「見直された土地」地下ドック内の会議室。
そこに、ガルティック傭兵団と、行動を共にする主だった面々が集まっている。
くばられた書類をそれぞれが捲る音だけが響いていたが、それをセルゲイの「さぁってとぉ」という声が切った。
「大体読み終わっただろうから、ぼちぼちすり合わせしますか」
セルゲイは全員の注目が集まるのを待って、話を始める。
「今回の依頼を要約すると、だ。プロネテニアが大量破壊魔法の再現するのを妨害しつつ、抑止力級の個人最高戦力を見つける手助けをしろ。ってことな訳だ」
「誰にも気づかれずに。と言うのが頭に付いて、ですか。厄介ですね。いつもこんな仕事を?」
ホウーリカの個人最高戦力“鈴の音の”リリ・エルストラは、呆れ半分、感心半分と言った表情で言う。
それに対しドクターは、苦虫を嚙みつぶしたような顔になった。
「不本意ながら、だがね。うちの団長はそういう仕事に兎角首を突っ込みたがるんだよ」
「おいおい、俺だって好き好んであれこれやってるわけじゃないのよ? 巻き込まれてるんだってぇーの」
ドクターに睨まれ、セルゲイは苦笑いで肩をすくめて見せる。
「その毎回巻き込んでくれた謎の依頼人“赤い女”ってのが、実は“罪を暴く天使”エルトヴァエル様でした。ってんでしょ? ひゅーう! マンガかゲームぅー!」
自分とは関係ないからだろう。
プライアン・ブルーがいかにも楽しそうにニヤニヤしながら言う。
ドクターはさらに顔をしかめるが、唸っただけで押し黙った。
相手が天使様だけに、迂闊なことなど言えない。
まして“罪を暴く天使”となれば、猶更だ。
「今の状況の方がよっぽど漫画かゲームでしょ。神域に拠点置いて、神域の住民の依頼で仕事してるのよ?」
セルゲイの返しに、プライアン・ブルーは「そりゃそうだ」と笑った。
「ま、とりあえず仕事内容はざっくり分けて二つだわな。大量破壊魔法の再現を妨害。抑止力級の発見を援護。どっちも面倒な仕事だねぇ。ちっと大掛かりにいかないと駄目そう、かな」
「何かお考えが?」
リリは少し驚いたように、セルゲイに尋ねる。
セルゲイは「一応ね」と頷く。
「プロネテニアの“鉄像魔法”は、複数の金属を使った金属彫刻を本体とした魔法体系でな。必要な金属は魔法ごとに違うわけだけど、大量破壊魔法用の鉄像には連中が普段使わない種類の金属が必要らしいのよ。それも大量に」
もう既に、全員が理解している内容である。
それをわざわざ確認したのは、今からする話では重要な部分になるという事なのだろう。
「現在居る唯一の抑止力級が死にそうだから、大量破壊魔法の再現実験を始めました。そんなこと、外はもちろん、国内にだって大っぴらにできる訳がないよねぇ。だから、プロネテニアはちょっとずつ、バレないように気を付けながら、金属を集めてる」
ディロードはその事実を嗅ぎ付けたわけだが、他の者ではまず無理だっただろう。
プロネテニアの魔法体系についての知識を持ち、尚且つ「虹色流星商会」の情報を手に入れることが出来て、初めて気が付くことが出来たのだ。
しかも“罪を暴く天使”のお膳立てが有ってようやく、である。
プロネテニアはかなり慎重に動いている、と言って良いだろう。
「ってことは、だ。どこか別の国、あるいは組織が目当ての金属をごっそり買い付けちゃったりしたとしたら。ちょぉーっと困ったことになるわけさ」
「モノが少ないから、ちょっと買おうとしただけで目立っちゃう。隠れてこそこそやらなきゃいけないから、思うように欲しいものを手に入れられなくなる。そうなれば当然、大量破壊魔法の再現が遅れる。ってことね」
プライアン・ブルーが、なるほど、と手を打つ。
それから、ニヤリと笑った。
「つまり例えば。輸送国家スケイスラーが新型船を作るために、珍しい金属を買い集め始めちゃったりすると? プロネテニアにとってはヒジョーにメーワクなわけね」
スケイスラーの魔法体系は“魔剣魔法”と言うものであった。
その名の通り、剣を媒介に魔法を発動させる。
船を新造するとなれば、船体に必要な金属はもちろんのこと。
魔法に必要な魔剣を作る金属も、必要になる。
「プロネテニアが必要としてるブツのリストでも頂ければ、速攻でうちのショタジジィにお伝えしますよん」
「いやいや、流通に響く量だぞ。そんなに簡単に」
あまりにもあっけらかんとしたプライアン・ブルーの態度に、ドクターは驚いたような声を上げる。
普通に考えれば、驚くのも当たり前だろう。
個人や会社ではなく、国規模の話なのだ。
生半可な量でも額でもない。
だが、スケイスラーには国特有の、大きな強みがあるのだ。
「金もそうだけど、うちは輸送国家だからねぇ。輸入輸出はお任せあれってこと」
魔獣魔物が住まう危険地帯が多く、人が住める土地が分断されたこの世界に置いて、輸送と言うのは非常に特殊な業務である。
それゆえ、それを専門に商う国家があるほどであった。
スケイスラーがまさにそれであり、大手と言われるほどのシェアを持つ「輸送国家」なのだ。
「お任せあれ、じゃないだろう。プロネテニアから輸送を請け負って、それを止めるって言うのか」
「まあ、そう言う手もアリ寄りのアリ、ってこと」
「出来るのか、そんなこと。信用問題だろう」
輸送国家はその性質ゆえに、何よりも「信用」が重要になる。
大切な荷物を預かる仕事だからこそ。
少しでも不信を持たれるようなことをするわけにはいかない。
まして正当な理由もなく、荷物を遅らせるようなことなど出来るはずがない、と言うのが常識である。
「そうねぇ。正当な理由が無ければ、そりゃそうよ。逆に言えば。正当な理由さえあれば、荷物が遅れるのは当然なわけ。例えば、得体のしれない勢力に船が襲われるとか。港が襲われるとか」
言いながら、プライアン・ブルーはセルゲイの方へと手を差し伸べた。
それを見たドクターは、複雑そうな表情を作る。
「つまり、ガルティック傭兵団がその“得体のしれない勢力”になれ、と言う事か。自作自演だな」
「安全でいいでしょ? 襲う側と襲われる側が申し合わせてたら、誰も怪我しないで済むんだし」
「そうかもしれないが。色々問題があるだろう」
単純ではあるが、何しろ規模が大きくなる。
実行するには、かなりの人、物、金が必要だ。
生半可なことでは、実際にやるのは難しいだろう。
だが、逆に言えば。
それらをどうにかしてしまえる力さえあれば、ある意味「簡単に」実行できる一手ではあった。
「いや、しかし。“スケイスラーの亡霊”か。その位の事なら平気でやらせるだろうな」
二千年以上の間、宰相を続けてきた化け物であった。
その位の権限は持っているし、やってのける胆力も持ち合わせている。
「ホウーリカでも、少しはお手伝いできそうですね。楽器魔法でも金属を使いますから」
楽しげに言いながら、リリは片手を上げた。
ホウーリカ王国が用いる魔法体系「楽器魔法」は、その名の通り楽器を用いて魔法を発動させる。
使われる楽器は様々であり、中には当然金属を用いる楽器もあった。
プライアン・ブルーとリリの反応を見て、セルゲイは笑いながら頷く。
「頼もしいじゃないの。そっちはどうにかなりそうだね。ってことは、問題は個人最高戦力を見つけさせる。って方かな?」
「エルトヴァエル様から、ある程度のリストは送られてきている。だからと言って、これをそのままプロネテニアに渡すわけにもいかないが」
唸りながら、ドクターは書類束を一つ手に取った。
今言っていたリストである。
「色々手はあるだろうけど、考えてる時間も惜しいかぁ。やり方考えるのと並行して、プロネテニアに拠点作っちゃう?」
「拠点、か。しばらくむこうで動くことになりそうだし、用意するか」
「誰を常駐させるか、だけど。プライアン・ブルーちゃんは行くだろ?」
セルゲイに聞かれ、プライアン・ブルーは答える代わりにピースサインを作った。
複数の場所に同時に存在できるというのが、プライアン・ブルーが持つ能力である。
とりあえずで頭数に入れて置くのには、便利な存在なのだ。
「それから、キャリン少年」
「彼も向こうに行かせるのか?」
「向いてそうでしょ? こういう仕事」
「まぁ、確かに」
ドクターは納得した様子で頷いた。
プライアン・ブルーやリリも、特に異存無さそうである。
目立たない外見に、動くときは必ず入念な準備をする性格。
そして、安定した狙撃の腕。
本人の好むと好まざるとにかかわらず、妙なところで高評価を受けるキャリンであった。
地下ドック内にある一室。
自分に宛がわれた部屋の中で、キャリンは頭を抱えていた。
目の前にあるのは、入金通知書である。
額面は、キャリンが冒険者仕事で稼ぐ十年分ほど。
相当な金額である。
アインファーブルの郊外に、ちょっとした家ぐらいなら建てられるだろう。
「これ、どうすればいいんですかね」
「どうするもこうするも。キャリン殿が受け取った報酬でござろう? お好きなように使えばよいでござろうに」
今日何度か目になるやり取りに、流石の門土も苦笑を漏らした。
少し前の事である。
訓練場でニンジンを齧っていた門土の元に、キャリンがやって来た。
話があると言われ連れてこられたのは、キャリンの部屋だ。
一体何事かと思いながら話を聞けば、ガルティック傭兵団から支払われた報酬について相談があるのだという。
曰く、あまりにも額が多い、のだとか。
一応門土も金額を見たが、正直妥当な額だとは思う。
ただでさえ、命を懸けた切った張ったの家業である。
まして事情が事情、神様やら神域やらが絡んだ仕事なのだ。
口止め料込みの危険手当は、それ相応では無ければ話にならない。
ちなみに。
諸国を旅してきた門土は、意外にもそれなりの金銭感覚を身に着けていた。
郷に入っては郷に従え、と言うことで、それなりに下調べをしてきていたのである。
師匠の教えであり、門土がずっと守ってきたことであった。
まあ、それでも性格が性格なので、割とよく行き倒れたりするのだが。
「好きに使えと言われても。こんな額のお金、どう使ったらいいか」
「冒険者と言うのは、思わぬ大金が転がり込んでくることがある仕事でござろう。そういう経験はあったのではござらぬか?」
「まあ、確かにそういうことはありましたけど」
危険地帯を歩く仕事なだけに、冒険者は思わぬ拾い物をすることが有った。
それは鉱石であったり、魔物魔獣の死骸であったり、植物であったり。
意外なものが思わぬ高値で取引されたりするので、キャリンはとにかく知識を仕入れ、気を付けるようにしていた。
おかげで臨時収入が得られたことも、何度かある。
「そういう時と同じ使い方で良いのではござらぬか?」
臨時収入を得たとき、キャリンはその大半を、出身である孤児院に寄付していた。
当初立てた予定通り以外の収入は、身を持ち崩す原因になるから手放した方がいい。
などとキャリン自身はうそぶいているのだが。
実際の所は、単純にキャリンが「そう言う性格」の青年だ、と言うことに他ならない。
「それもいいかも知れませんが」
「ここでは銭を貰っても使い道も無いでござるからなぁ。扱いに困るというのは分からなくはないでござるが。今後もこの仕事を続けていかねばならぬ以上、慣れた方が良いのではないでござろうか」
「それは、いや、そうですね。そうか。多分もう、抜けるって訳にもいかないですもんね」
好むと好まざるとにかかわらず、キャリンは既に様々なことを知り過ぎているのだ。
元の生活に戻りたいと言った所で、不可能だろう。
スケイスラー、ギルド、ホウーリカ、それにガルティック傭兵団。
誰も、ハイどうぞ、とは言ってくれないはずだ。
どころか、余計なことをしゃべらないようにと、口をふさがれる恐れもある。
そうならなかったとしても、危険な事には変わらない。
「見直された土地」の事を知りたがるものなど、いくらでもいるのだ。
今はまだ外に「キャリン」の事を知っている者はいないだろうが、いつどんなことが起こるかわからないのが世の中である。
そうなればキャリンの身はもちろん、周りの人間にも危険が及ぶ。
「そうでござるなぁ。ここに居て仕事を続けるのが良いでござろう。ふむ。キャリン殿は、この仕事を降りたいと思っておるのでござるかな?」
そう聞かれ、キャリンはぎょっとした顔になる。
「いえ、そういうわけでは無いんですが。その、分不相応かなぁ、と」
「ふむ。まぁ、自己評価と言うのは究極、他人がどうこう言ってそう簡単に変わるものではござらぬからなぁ」
門土は腕を組むと、「ふむ」と考え込んだ。
金銭云々と言っていたが、要するにキャリンは「現状に対する漠然とした不安」に苛まれているのだろう、と門土は推測していた。
何しろ、状況が状況である。
神域に拠点を置いて、その住民に雇われての荒事家業。
普通の神経の持ち主なら、心がすり減って当たり前だ。
まあ、そんな細やかな神経を持っているのは、恐らくキャリンだけだろうが。
その「普通の神経」も含めて「罪を暴く天使」に見込まれているらしいのだろうから、全く世の中と言うのは面白い。
とはいえ、同僚としては多少元気を出してもらいたいところ、ではある。
永く戦が続いた門土の故郷「野真兎」では、こういう時に元気を出させる方法は、おおよそ限られていた。
「キャリン殿。思い人は居るでござるか?」
「思い人? って、こっ、恋人ってことですか!?」
「好いた相手でも構わぬのでござるがな。貰った金の使い道、そういう相手に渡すというのもまた一興ではござらぬか」
「いや、そっ! でも」
顔を真っ赤にして慌てふためくキャリンを見て、門土は苦笑を漏らす。
案外人と言うのは単純で、惚れた相手のためなら奮い立つものなのだ。
金の使い道も決まって、腹も決まる。
キャリンにとってみれば、良いことづくめだろう。
「見直された土地から出るには、許可が必要でござったな。早めに頼んだ方が良いでござるぞ。何しろ、明日何があるかわからぬ身でござるからな」
「そう、かもしれませんけど。ええっと」
頭を抱えて考え込むキャリンを他所に、門土は自分も準備をせねば、と考えた。
セルゲイによれば、今回は門土にも大きな出番があるらしい。
内容はまだ固まっていないとのことだったが、腕を借りたい、と言う事だった。
門土にしてみれば、望むところである。
もっとも、準備と言ってもやるべきことは殆どない。
刀は既に研いであるし、着物も繕ってある。
足袋なども新調、草履もいくつか用意してあった。
となると、後やることと言えば気力と体調の維持程度。
気力についていえば、先日ストロニアで伊井沢・和正との手合わせのおかげで、十二分なほどに充実している。
体調に付いても、万全と言って良い。
問題があるとすれば、キャリンと違って思い人などが居ない事だろうか。
幸か不幸か、「野真兎」に残してきた人もいなければ、旅の途中での出会いなども無かった。
それでも特に寂しさを覚えないのは、今はまだ剣の道の方が楽しいからだろうか。
「しかし、キャリン殿。金に関する相談を某にするというのは、いささか人選が悪うござるな。自身でいうのもなんでござるが、某は剣しか取り柄が無い男でござるぞ?」
「いえ、そんなことは無いと思います。頭のいい方だっていうのは、一緒に居て分かってましたから。実際、助言も頂いたわけですし」
「はっはっは! 役に立てたようで、何よりでござる!」
野真兎を出たときには、こんなことになるとは思っていなかった。
全く世の中は面白い。
門土は心の底から、声を上げて笑うのだった。
「見直された土地」の近海を任されることになったグルファガムだったが、未だ土地神としての力は未熟であった。
これが日本であれば、周囲の神々に管理の仕方を教わりながら、自らの土地を治めていくことになる。
文字通り四方八方に神様が居るので、それでしっかりと目が届くのだ。
だが、「海原と中原」ではそうもいかない。
腕が未熟なままで任された土地に行くわけにもいかず、グルファガムは未だに「見直された土地」に居るのだった。
「なんていうか、こう。すっごい。煌びやかですね」
間の抜けた顔でそういうと、グルファガムは改めて周りを見渡した。
グルファガムが居るのは、精霊達の湖。
その上に浮かぶ、浮遊島であった。
グルファガムの言葉に、周りにいる上位精霊の一柱が頭を掻いた。
細長い体をした東洋の竜のような姿だが、そのしぐさはどこか人間臭い。
「力の塊ですので、見た目だけは派手ですね」
「ここって、精霊さん達で管理してるんですよね?」
「はい。DIYで家を建てたようなもので。やはり、力が濃いところは居心地がいいですから」
精霊にとって、力が濃い場所というのは居心地がよかった。
人間でいえば、福利厚生がよく、コンビニやスーパーなども徒歩圏内にあり、駅などへのアクセスもいい土地。
というような感じだろうか。
「DIYにしては、規模がすさまじい様な気が」
「その、最初はこれほど大掛かりではなかったんですが。なんといいますか、赤鞘様に手ほどきしていただきまして」
「ああ。そういう」
言いにくそうな精霊の言葉に、グルファガムは納得の様子で頷く。
長いとは言えない付き合いだが、グルファガムも赤鞘の気性はなんとなくわかってきていた。
万事控えめで押しが弱く、何かを激しく主張することはない。
だが、こと仕事のことになると、話が変わる。
けっして現状で満足することなく、次へ、その先へと全力疾走し続けるのだ。
神様だから大丈夫だが、これが天使やら精霊、あるいは生き物だったら過労でぶっ倒れているんじゃなかろうか。
いや、最悪死ぬこともあり得る。
もちろん、赤鞘にはそんなことは言わない。
「なら、グルファガムさんは神様ですし過労死の心配なく頑張れますね!」
とか言い出しそうな気がするからだ。
もちろん実際にはそんなこと言われないのだろうが、そういう圧を感じるのである。
「とりあえず、しばらくはここで私達の仕事を見学しつつ、実地で作業に慣れていく。ということですよね」
「はい。正直、覚えられる気があんまりしないんですが」
これまで土地を治めるための練習道具「地治修練縮図」で訓練してきたグルファガムだが、次の段階に進んでいた。
湖の上にある浮遊島で、上位精霊たちの仕事ぶりを見つつ、作業を習う。
精霊が神に物を教えるというのは異例中の異例であり、ほとんどあり得ない状況なのだが。
どちらもすっかり赤鞘に毒されており、「仕事なんだしそういうものだよね」という感覚になっていた。
「でもなんていうか、これって地治修練縮図なんかよりもよっぽど複雑ですし、大きいですよね。いや、実際の土地なわけですし、当たり前なんですが」
「いえ、これでも相当に楽なんですよ。何しろ赤鞘様の土地の一角ですから。ほかのところはもう、もっとしっちゃかめっちゃかといいますか」
精霊達が管理しているとはいえ、大枠は赤鞘が治めているのだ。
管理しやすさは、「海原と中原」の中でも随一だろう。
「まして、それぞれの得意分野に分かれて作業しておりますので。すり合わせは必要ですが、そこを何とかすれば、まぁ、楽といえば、楽。といった感じです。赤鞘様に比べればの話ですが」
言いながら、上位精霊は疲れた顔で笑う。
ほかの上位精霊達も、似たような反応だった。
「ですね。赤鞘さん、全部一柱でやってるんですよね」
トップが一番難しく過酷な仕事を、率先してやっているのである。
下は付いて行くしかないのだ。
「ええ。しかも、何十倍も精密で大規模に、です」
「そうですよね。将来、私も似たようなことをしなくちゃいけないんですよね」
グルファガムはため息交じりに、ぐるりと周囲を見回した。
「なんていうか。何とかならないですかね」
何がどう「なんとかならないですかね」なのだろう。
普通なら首をかしげるところだろうが、上位精霊達には何となく言いたいことが分かった。
「なんとか逃げ出せないですかね」
とか。
「ほかの神に代わって貰えないですかね」
と言いたいのだ。
むろん、そんなことは不可能である。
「それは、ちょっと。難しいかと」
「ですよね。ははは、はぁ」
やたらと深い溜息を吐き、グルファガムはぐったりと項垂れた。
少しやさしくしてあげよう。
本来神に対しては不敬なのだろうが、そんな風に思う上位精霊達であった。
狸にブラッシングが必要か否か。
色々な意見があると思うのだが、タヌキは断然「不要」派であった。
そもそも狸は愛玩動物ではない。
犬やら何やらの、いわゆるペットのように扱うなど言語道断。
全く失礼千万な話ではないか。
「あー、やっぱりアメリカってそう言うのうるさいんですねぇー」
「はい。身だしなみは整えて当然と言った風で、日本よりもよほど厳しく感じました」
「だから、ぶらっしんぐも、ひつようなのか」
タヌキは水彦の膝の上に蹲り、ブラッシングをされていた。
ごく普通の動物である狸がどうだか知らないが、タヌキは神使であり、元は妖怪である。
そこらのタヌキとは違い、ブラッシングのような身だしなみを整える行為は必要不可欠。
欠かすことのできない礼節なのである。
けして、赤鞘とその血を分けたガーディアンの膝の上でブラッシングされることを、楽しんでいるわけでは無いのだ。
「そう言えば狸って、世界でも珍しい動物なんでしたっけ?」
「そうらしいですね。あちらに居たときは、かなり珍しがられました。アニメやゲームでは見かけるんだそうですが」
「あーあーあー、世界的に有名な土管工さんのとかですねぇー。へぇー」
「ですので、やはり人にまじまじと見られることも多くなるわけでして」
「きちんと、みだしなみを、ととのえないと、いけないのか。たいへんだな」
「そうですねぇー」
赤鞘と水彦は、しみじみとした様子で頷いている。
タヌキの苦労をしのんでいるのだろう。
「たぬきって、しっぽがとくちょうだよな」
「そうですねぇ。タヌキさん、尻尾もちゃんと梳いた方が良いんですかね?」
尻尾と言うのは敏感な器官である。
無暗に触れて良い場所ではない。
当然タヌキにとってもそうであり、養っていた子供達にもやたらには触らせたことが無かった。
「よろしければ、お願いします。狸と言えば尻尾ですので。尻尾の手入れもとても大切なのです」
「あー。狸と言えば。言われてみれば、そうですよねぇ。特徴ですもんねぇ」
「はい、タヌキですので。タヌキですので、尻尾も重要なのです」
ちなみに。
タヌキが得意なことは、化かすことである。
もちろん、その対象には自分も含まれていた。
この度、神越が
「神様は異世界にお引越ししました 日本の土地神様のゆるり復興記」
というタイトルの文庫本として、発売しました
発売日は2024/5/7で、もう発売しております
文庫版になるということで、加筆修正を行っておりまして
表現なども大分変えて居る関係上、二万文字だかそのぐらい? かな?
多分その位だと思うんですが、書き直しております
よろしければ本屋さんなどで、手に取ってみて頂けましたらうれしいですー