百八十一話 「えがおか。どうやったんだったか」
顔立ちは、けして悪くない。
むしろ整った方と言えるだろう。
問題は、あまりにも鋭すぎる三白眼。
それから、むっつりとしたいかにも不機嫌そうに見える表情であった。
抜き身の刀にも似た、見る者を威圧するような顔立ち。
その圧力はすさまじく、同じ年ごろの子供はおろか、大人までが遠巻きにするほどだった。
だが、当の本人、少年はそんなことなどどこ吹く風。
まるで気にしていなかった。
そもそも、昔からそんな扱いを受けていたので、そういうものだと思っていたのである。
だが。
「お主のその顔は、誰かと繋がりを作るのに不都合だ。目つきはどうにもならぬが、せめて笑顔位は作れ」
父からの命であった。
確かに、怯えられれば会話にも支障をきたす。
いくら武家とはいえ、いや、武家であるからこそ、人付き合いと言うのは重要である。
納得した少年は、笑顔の稽古を始めた。
ところが、これがなかなか思うようにいかない。
生来のむっつり顔のせいか、顔の筋肉が言うことを聞いてくれないのだ。
少年は毎日のように、笑顔を作る稽古をした。
頬を持ち上げてみたり、目尻を引っ張ってみたり。
あれこれと工夫をするが、なかなか上手くいかない。
ようやく人に見せられる「笑顔」らしき表情を作れるようになったのは、少年が青年となり、家を出る少し前。
武者修行と称し、諸国をめぐる旅に出る、ほんの少しだけ前の事であった。
言わずもがな。
この少年、あるいは青年とは、生前の赤鞘の事である。
稽古をしても集中できず、かと言って取り立ててすることも無く。
いっそ旅にでも出てやろうかと思うものの、そんなわけにもいかず。
仕方なく岩の上に座り、水彦は重たい溜息を吐き続けていた。
「だめだ。どうしたもんか、まるでおもいつかない」
途方に暮れるとは、まさにこのことである。
こうなったら、諦めて素直に顔を合わせるしかないのか。
普通に考えればそれしかないのだが、気が進まないし、気が重い。
とはいえ、別に顔を合わせたくないという訳でもない。
向こうは水彦を知らないかもしれないが、水彦はタヌキを「知っている」のだ。
赤鞘と共有する記憶とはいえ、やはりタヌキの存在は大きい。
「かおあわせのときは、えがおのほうが、いいんだろうな」
むっつりとした顔では、誰かとの繋がりを作るのには不都合だ。
今までの水彦ならば、考えもしなかったことだろう。
だが、人間時代の赤鞘の記憶に色濃く影響されている今の水彦には、自然とそんな言葉が浮かんだのだ。
もっとも、それは相手がタヌキだからであって、他の相手であればそんな風には思わない。
水彦にとって、それだけ特別な相手なのである。
「えがおか。どうやったんだったか」
水彦は自分の頬に手を当てると、むにむにと動かした。
思いのほか柔らかい。
人間の子供だった頃の赤鞘は、兎に角むっつり顔であった。
別に感情が無い訳でもなんでもないのだが、表情筋が動かなかったのだ。
今のように表情がくるくる動くようになったのは、練習の賜物である。
それならば、記憶を共有している水彦の表情も豊かになってもよさそうなものなのだが。
世の中そう上手くはいかないらしい。
赤鞘に出来ても、水彦に出来ない事はある。
逆に、水彦に出来ても、赤鞘に出来ないこともある。
「ぷふぁ~」
頬を揉んでいるせいか、溜息もマヌケな音になった。
そこで、水彦の手が止まる。
何かが近づいてくる気配。
と言っても、水彦にはそれが何か正確にわかっていた。
「タヌキか」
恐らく散歩にでも出て、たまたまここを通りかかったのだろう。
そして、妙な気配を感じ、確認しに来たのだ。
無論、妙な気配と言うのは水彦の事である。
タヌキからしてみれば、赤鞘の血が混じった水彦は、「妙な気配」を放っているに違いない。
こうなったら、逃げ隠れするのは難しいだろう。
覚悟を決めるしかない。
とは思いつつも、水彦はむにむにと頬を両手で揉んだ。
急には無理だろうが、少しでも笑顔らしきもので迎えたいと思ったからだ。
いささか以上に緩んでいるタヌキだったが、基本的には優秀だ。
流石にある程度近付けば、見つけた気配の主が「おそらく赤鞘の作った眷属の類だろう」と見当を付けることが出来た。
もちろん、相手がこちらに気が付いていることも、分かっている。
こうなったら、挨拶の一つもしなければ、逆に失礼に当たるだろう。
特に深く考えもせず、脚を進める。
だが、そこで「おや?」と首を傾げた。
赤鞘の気配に似ているのだが、どうにも様子がおかしいのだ。
恐らく、赤鞘の血を分けて作ったのだろう、最初に感じたよりもはるかに赤鞘に近い存在らしい。
だが、妙に未熟そうというか、幼いというか。
言ってしまえば、非常に「こどもっぽい」感じなのだ。
その「こどもっぽい」感じは、タヌキがよく知る赤鞘とは、いささかかけ離れたものだったのである。
タヌキが初めて赤鞘と会ったのは、戦の最中であった。
オオアシノトコヨミに、大陸から渡って来た大妖が仕掛けたものである。
その戦のどさくさで、オオアシノトコヨミに踏みつぶされそうになったタヌキを救ってくれたのが、生前の赤鞘だったのだ。
当然のことだが、その時の赤鞘は既に大の大人。
よって、タヌキは赤鞘の子供時代を、実際に見たことは無かった。
出会ってから、しばらく後。
赤鞘は土地神となり、タヌキはそれを支える神使となった。
神使になったタヌキは、少しでも赤鞘の事を知ろうと躍起になる。
赤鞘を支えるなら、情報は少しでも多いほうがいいと考えたからだ。
別に、趣味的な意味合いを含んだものではない。
あれこれと調べる中、タヌキはふとある事に思い至った。
赤鞘の子供時代というのは、どんな様子だったのだろう?
思いついたら、調べないわけにはいかない。
タヌキは赤鞘の神使であり、知らないことがあるというのはよろしくないのだ。
あくまで神使としての仕事を全うするため、タヌキは赤鞘の子供時代を調べることにした。
方法は簡単。
赤鞘の出身地に赴き、周辺の妖怪変化を片っ端から締め上げるのだ。
妖などと言うのは、大抵暇なものである。
面白そうなものやことがあれば、それを見聞きして覚えているのだ。
赤鞘ほどの存在ならば、子供の頃から特別であってしかるべき。
つまり、赤鞘が子供時代を過ごした辺りの妖を締め上げるだけで、あれこれ聞き出せる、という訳だ。
タヌキは赤鞘の生まれ故郷に着くと、目に付いた妖を片っ端から締め上げた。
中には抵抗するモノも居たが、大抵は従順だ。
何しろ、この頃のタヌキは既に神使であり、それなりの力を有していた。
少々脅してやれば、それでタヌキの知りたいことをぺらぺらと喋ってくれたのである。
おかげで、赤鞘の子供時代の情報は、思いのほかすんなりと集めることが出来たのであった。
やはり赤鞘は、子供の頃から纏っている気配が違ったらしい。
おかげで多くの妖が赤鞘の事を覚えていて、様々な話を聞くことが出来た。
既に持ち合わせている情報も合わせることで、タヌキはかなり正確に赤鞘の子供時代を想像することが出来たのだ。
強烈な三白眼に、むっつりとした顔立ち。
今のへらりとした笑顔とは違う、不機嫌そうな顔。
だが、根の部分は今と全く変わっていない。
妙に恥ずかしがりで、いつも誰かのために貧乏くじばかり引いている。
タヌキにはその姿が、はっきりとイメージすることが出来た。
「おう」
そんなイメージにかなり近い姿の存在が、今タヌキの目の前にいた。
ぎこちない、あまりにもぎこちなさ過ぎる笑顔らしきものを浮かべ、片手を上げている。
何か言おうとして言いよどみ、何度か口を開こうとするが、結局閉じてしまう。
それは、あまりにもタヌキがイメージした「幼少期の赤鞘」の姿と似ていた。
しかし。
赤鞘の事をよく知るタヌキだからこそ、「赤鞘との違い」も、一目で理解できた。
普段のタヌキであれば、状況を素早く解析。
目の前にいるのは、赤鞘が作った眷属、この世界でいう所の「ガーディアン」であると判断できただろう。
ついでに、そのしぐさや表情から、記憶もいくらか共有しているであろうことも、察することができたはずだ。
実際、頭ではそういった事を理解していたし、判断することも出来ていた。
ではあるのだ、が。
感情の方は全く追いついていなかった。
何しろ、今のタヌキは色々と限界に近かったのだ。
約百年ぶりに日本へ戻ってみれば、赤鞘が守っていた村は廃村。
赤鞘が祭られていた神社も崩れ、当の本神は異世界に引っ越したという。
何とか追いかけようと、あれやこれやと雑事を片付け、ようやく異世界「海原と中原」へ渡る許可を得ることが出来た。
そしてついに、赤鞘の元へ戻り、ゆっくりと眠ることが出来たばかりなのである。
とはいえ、睡眠が足りているとは全く言い難かった。
何しろ、赤鞘の元を離れてから約百年、タヌキは一睡もしていないのだ。
妖ではあったが、タヌキは眠りと近しい存在であった。
夢と現の狭間を揺蕩うものであり、その揺らぎと曖昧さをもって「化かす」のがタヌキの術なのである。
タヌキにとって「眠り」とは、存在を構成する上で必要不可欠な要素の一つなのだ。
ほんの少し「眠った」としても、全く足りていない。
むしろほんの少し補給した分、余計にきつくなっているような状態なのである。
そんな状態で、「赤鞘と記憶を共有している、赤鞘が血を分けて作った、幼少期の赤鞘そっくりのガーディアン」という存在に出くわしたのだ。
あまりにも情報量が過多。
言ってしまえば、許容量オーバーであった。
そういう状態になったタヌキは、どうなるのか。
あまりにも強い精神的衝撃を受けた妖怪タヌキがすることと言えば、一つである。
「きゅぅ」
若干眉根を寄せたまま、タヌキは真横に倒れ込み、眠るように意識を失ったのであった。
風彦の目から見たプロネテニアは、噂に聞いた通りの国だった。
高度な魔法体系を持ち、国民性はいたって勤勉。
周辺状況を把握し、現状を正確に判断できる能力もある。
普通ならば好条件でしかないはずのそれらが、今の彼らにとっては不幸となっていた。
「今いる抑止力レベルの力を持つ個人は、たったの一人。その一人が、病気で遠からず死んでしまう。だというのに、代わりが全く見つからない。やっぱり、かなり焦っているようです」
何しろ、遊んだり手を抜いたりしているから見つかっていない、のではないのだ。
かなり以前から、全力で、必死になって探しているのに見つからない、のである。
「ただ、エルトヴァエル様のいう通り、何人かそれっぽい方はいました」
言いながら、風彦は手にしていた紙束をエルトヴァエルに渡した。
隣で土彦が只管不満そうな顔で風彦を見ているが、なるべくそちらを見ないようにすることで対処している。
朝のうちにプロネテニアに向かった風彦は、頼まれた調べ物を手早く終わらせた。
そして、日があるうちに戻ってきたのだ。
俊足を誇る風彦だからこそできる荒業である。
無事に戻ってきたのだが、土彦は風彦が戻ってくるまでの間、ずーっと気が気ではなかったらしい。
ジーっと見つめているのは、その反動のようだった。
ちなみに。
今、エルトヴァエル、土彦、風彦が居るのは、エンシェントドラゴンの巣の地下にある、宿泊施設の一室であった。
案外居心地のいい場所なので、会議をするときなどは重宝してる。
風彦の言葉に、土彦は「ほぉ」と声を上げた。
「では、遠からず抑止力レベルの個人戦力が見つかる、と言うことですか?」
「これもエルトヴァエル様が言っていた通りでしたが、かなり難しいと思われます」
「何か理由が?」
「調べ方が合わない、と言いますか。プロネテニアの調べ方では、引っ掛からない種類の力。と言いますか」
例えば、力が異常に強いとか、尋常ならざる魔力を持っている、と言ったわかりやすいものならば、すぐに見つかる。
だが、「抑止力と成り得るだけの力」の種類がわかりにくいものだと、調べるのも大変なのだ。
例えば、“複数の”プライアン・ブルーなどが良い例だろう。
魔力や戦闘技術だけで見れば、プライアン・ブルーは「かなり危険な戦闘能力を持っている程度」でしかない。
メテルマギトの鉄車輪騎士団副団長“影渡り”キース・マクスウェルなどとはまともに戦うのも難しいはずだ。
プライアン・ブルーを個人最高戦力足らしめているのは、「同時に複数存在できる」という異質異常な特殊能力なのである。
「特殊な能力を持つ者を探すには、特殊なノウハウが必要です。プロネテニアももちろん、ある程度はそういったノウハウを持ち合わせてはいるのですけど」
「今のプロネテニアに居る“抑止力候補”は、そのノウハウだけでは発見できない種類の能力を持つ者。ということですか」
土彦は納得した様子で頷く。
「それで、何をしようとしているのでしょう?」
「抑止力候補を、なるべく早く見つけさせたい。と言った所。でしょうか」
土彦の問いに、エルトヴァエルは悩むような表情で首を傾げた。
「プロネテニアには、アグニー族の方が何人か居らっしゃいます。放って置けば戦場になるかもしれない場所に、ですね」
これは、好ましい状況とは言えなかった。
何らかの戦いが始まってしまえば、国内の警備体制は何段階かレベルが上がる。
アグニー族救出が、極端に難しくなってしまうのだ。
そうならないようにするには、どうすればいいか。
「大量破壊魔法の再現に成功。あるいは再現実験の開始などと言うことになれば、他国が進行する十二分な理由になります。まずはこれを邪魔して、時間稼ぎをしたいところですね」
「時間稼ぎ、ですか?」
「はい。そして、そうしている間に、大量破壊魔法を再現する理由を無くしてしまうんです」
「“抑止力候補”を発見させる。と言うことですか」
抑止力となるような力を持つ個人。
それが不在になるかもしれない、という状況が、プロネテニアを焦らせている。
つまり、抑止力となるような力を持つ個人を見つけさせてやれば、大量破壊魔法を再現する理由がなくなる、と言うことだ。
そうすれば、他国からの侵攻を受けるような理由が生まれることも無い。
土彦は「ふむ」と呟くと、両手を胸の前で合わせ、考えるように首をひねった。
「ギルド、スケイスラー、そして、ステングレア。その三つによる支援を受けた、実働部隊であるガルティック傭兵団。確かにこれならば、それも可能でしょうね」
しかし、と土彦は顔をしかめる。
「そんなことを確かめるために、風彦を危険地帯にやったのですか。それならば、私が行っても良かったのでは。他はともかく、あの場所はあまりに危険すぎます」
よほど風彦が心配だったらしい。
これにはエルトヴァエルも風彦も、苦笑するしかなかった。
土彦が心配していたのは、“辺境の絶対防壁”ハウザー・ブラックマンの事である。
この世界の創世神である“母神”から絶大な力を持つように設定された存在であり、自らが守る国境線を侵犯するものすべてを粉砕していた。
だが、国境侵犯さえしなければ基本的に無害であり、「国境線」という明確な基準も存在している分、逆に安全な部類ともいえる。
「いえ、土彦ねぇ。そんなことを言い始めたら、私は外に出られなくなりますし」
「外に。その手がありました」
「はい?」
その手があったか、という表情で、土彦はパチリと両手を合わせる。
思わず、風彦の表情が引きつった。
「いやいやいや! それでは私の仕事が出来ませんよ! 外へ出て様々なことをするのが、私のお役目なのですから!」
「はっはっは! いえ、閉じ込めようなどとは思っていませんよ! ちょっとした妙案を思いついただけです。私があなたを閉じ込めて置くように見えますか?」
見えます。
そんな言葉をぐっと飲みこむことができる程度には、風彦も成長していた。
「外に出るのは風彦のお役目なのですから、仕方ありません。ならば少しでも安全快適にそれが出来るようにすればよいのです」
「と、言いますと?」
「巨大空中移動要塞を作ります」
キラキラと笑顔を輝かせる土彦とは対照的に、風彦の顔は青ざめていく。
通常の生き物のような意味合いとは少々違うが、二柱は姉妹のようなものである。
それだけに、風彦は土彦の気性をよく知っていた。
土彦はやると言ったら、やるタイプなのだ。
「よしっ」
「よしっ、じゃぁありませんよ! 土彦ねぇ立ち上がろうとしないでください! 一回! 一回落ち着きましょう!」
「あっはっはっは! 妹に抱き着かれるというのも中々新鮮なものですね!」
「抱き着いてるわけじゃありません引き留めようとしているんですっ! エルトヴァエル様も止めて下さいっ! 土彦ねぇは本気でやります!」
苦笑するエルトヴァエルだったが、手は貸さなかった。
土彦が本気で巨大空中移動要塞とやらを作ろうとしていることは分かっていたが、風彦が本気で止めれば、建造を中止することも分かっていたからだ。
それよりも、今のエルトヴァエルには考えなければならないことがあった。
いかに最小の干渉で、プロネテニアの大量破壊魔法再現を妨害しつつ、抑止力レベルの個人戦力を発見させるか。
天使が地上で何かをする場合、出来る限り干渉は少なくする、と言うのが鉄則であった。
エルトヴァエルは常日頃から、それを心掛けている。
「ううん。もっと手数を少なくできそうな気がするんですが。そのためにももう少し情報が欲しいですね」
「エルトヴァエル様!? ちょっ、ホントに手伝ってください! エルトヴァエル様っ!」
こんなことだから“罪を暴く天使”などと言われて人間から恐れられたりするのだが。
その辺にはとことん疎い、エルトヴァエルであった。