百七十四話 「ん? 赤鞘神社」
四国にある、某市。
その郊外にある駐車場に、十人ほどの男女が集まっていた。
外見、年齢、ファッションなどにも纏まりのない集団ではあるが、一応共通点はある。
全員が、藤田、新垣、小学生トリオと同じレベルかそれ以上の特殊能力者だというところだ。
「あっはっはっは! やっべぇー! やっべぇーやつばっかいるじゃん! クソうける!」
「お前ら本当に藤田さんに呼ばれたの? 県内から出られないはずのヤツとかいるじゃん」
「誰だよボロボロの白いバンに高そうな電子ピアノ積んできたやつ! ビジュアル面白過ぎるんだけど!」
「それアニソンのヤツだよ。わざわざ持ってきたんだって」
「なんでこんなぼろい車に載せて来てんだ! なんか怖いわ!」
「うるせぇ! 人の勝手だろうが! ユーツーブだと評判いいんだぞ!」
「おーいー! 道路の上で寝るなっつってんだろうがよぉー!」
「だいちを、かんじたい」
「私、新幹線って初めて乗ったんだけど。すごいんだねぇー、あれ。グランクラスってやつ」
「どんな贅沢してんだよ!」
幸いなことに、駐車場には彼ら以外に客はいない。
管理者と思しき人間も居ないので、普段は使われていないような場所なのだろう。
そこに、一台の小型バスが滑り込んでくる。
運転席にいるのは、藤田だ。
後ろに乗っているのは、新垣と小学生トリオである。
バスから降りてきた小学生トリオの一人、恭吾は、呆れたような顔で居並ぶ面子を見渡す。
「マジかよ。トンでもねぇ人らばっかりだぞ」
「うげぇ」
続いて降りた眼九朗は、露骨に顔を引きつらせている。
バスが来たのに反応して、先に来ていた男女の数名がわらわらと集まってきた。
未だに地面に転がっているものや、乗ってきたと思しき車の中で作業をしている者もいる。
かなりフリーダムな集団なのだ。
バスの運転席から離れた藤田が、軽く片手を上げて見せる。
「悪いね、わざわざ来てもらって」
「普段世話になってんすから。当然ですよ」
「暴れてもおとがめ無し、なんでしょ? むしろ、声かけてくれなかったら暴れてたところよ」
「そうそう。普段は能力使うなー、なんにもするなーってお上から言われてんだから。へへへっ!」
「ホントだよねぇ! 人をヤバいヤツみたいにっ! 失礼しちゃうわぁ!」
ヤバいヤツなんだよなぁ。
新垣はそんな風に思いながらも、口には出さず肩をすくめた。
ここにいるのは、「厚生労働省特殊人材就職支援課」の監視対象になっている連中である。
総称して、「特別要監視能力保有者」と呼ばれていた。
本来は特殊人材、つまり特殊能力を持つ人間に職業を斡旋するのが、「特殊人材就職支援課」の仕事だ。
だが、あまりにも能力が高すぎるがために、人間社会で働かせるだけでも危険すぎると判断されるレベルの特殊能力者も、中にはいた。
人間社会で生きるというのは、それだけでストレスだ。
ちょっと機嫌が悪くなる。
特殊能力者の中には、そんな「ちょっとした気分の変化」による能力の漏洩だけで、致命的な現象を起こしてしまう連中がいた。
例えば。
この中の一人に、「アニソン」、あるいは「音使い」と呼ばれているモノがいる。
半径数キロ圏内の音、つまり空気振動を完全に制御し、ささやくような小さな声から、ロケット砲の直撃じみた破壊力を持った爆音。
物質を砂に変えてしまうような振動波、同じく振動による発熱で数百度の熱を発生させることまでやってのける。
それを、指一本動かすことなく、瞬きすらせずにそれを実行することが可能。
予備動作も何も必要ない、「考えるだけで」それが出来てしまうのだ。
そんな人間が、もし不機嫌になったら。
本人にその気がなくとも、その不機嫌によって、何らかの能力が「漏れ出る」ようなことがあったとしたら。
あまりにも危険すぎる。
そんな心配をしながら働かせるぐらいなら、生活の保障をしてやって、「大人しくしていてもらう」方が何倍も安心だ。
結果生まれたのが、ここにいる連中のような「お上」に囲い込まれ、働くことも動き回ることも禁止された特殊能力者達なのである。
その「特別要監視能力保有者」達の管理は、「厚生労働省特殊人材就職支援課」の管轄であった。
今回、藤田はその「特別要監視能力保有者」の中でも、比較的穏健で、言う事を聞いてくれる連中に動員をかけたのだ。
とはいっても、「危険すぎて働かせることすらできない」と判断されたような奴らである。
当然、下手な不発弾の数千倍は危険だった。
「皆、大体のところは耳に入ってるでしょ?」
藤田の問いに、「特別要監視能力保有者」達はニヤリと笑ったり、大きくうなずいて見せたりする。
どうやら、全員が了解しているようだ。
彼らを集めるとき、藤田は特に説明をしていなかった。
いくらでもモノを調べる手段を持っている連中である。
時間を割いて説明するより、勝手に調べさせた方が早いのだ。
藤田達の到着を待っている間に、情報のすり合わせも終わっているらしい。
「始祖の一滴とか名乗ってる吸血鬼に、下っ端連中。小学生トリオの友達をかっさらってみたり、大物の神様に喧嘩売ってみたり、警察を出し抜いてみたり」
「ハチャメチャやりたい放題じゃん、うらやましい。いや、うらやましいって言ったら怒られるか」
「流石早耳だねぇ。話がスムーズで助かるわ」
「情報云々なら藤田さんに敵うヤツなんていないでしょ。よっ! 千里眼!」
何名かが、楽しげに笑い声をあげる。
軽く地面が揺れているのは、気のせいではない。
地面関係の能力を持った一人が笑ったせいで、地面が実際に揺れたのだ。
いわゆる地震のような性質の物ではなく、アスファルトと表層数センチが揺れただけなのだが。
だからといって安心できる、というものではないだろう。
「だいち、たのしい。よろこんでいる」
「アナタが笑ったからでしょ! 地面揺らすのやめなさいっ! その辺にむき出しの地面があるんだから、人形でも作って遊んでなさいよっ!」
「ふじた。じめんにんぎょう、つくっても、いーい?」
「あー。んー。今日は良いでしょう。2m以内のヤツ、一つだけにしてください」
道路に寝転がっていた少女が、嬉々として立ち上がり、近くの土がむき出しになっている所へ走っていく。
何か奇妙なものがそこから生え出し、うごめき始めるが。
「特別要監視能力保有者」の中に気にするものは誰も居なかった。
「おう、恭吾、眼九朗、蓮! お前ら友達のために体張ろうなんて、青春してんじゃんよ」
「マジだよなぁ、うらやましい。いや、うらやましいって言ったらだめだよな。友達あぶない目に遭ってるんだから。でも、安心しろよ。吸血鬼なんて俺が食いちぎってやるから」
「ほどほどにしとけよ、悪食」
「何も安心できないんだよなぁ」
皆ゲラゲラ笑っているが、今「食いちぎる」と言った人物は、本当に吸血鬼ぐらいだったら食いちぎることが出来る。
吸血鬼とその人とどっちが危険か、と問われれば、藤田は「吸血鬼逃げて!」というだろう。
警察の失態で頭に血が上ったとはいえ、こいつら呼んだのは早まったかもしれない。
もう後悔し始めている藤田を、眼九朗が突っつく。
「叔父さん、コレ大丈夫なの? 収拾付く?」
「いえ。却って良いのかもしれません」
そういったのは、蓮だ。
「皆さんトップレベルの特殊能力者ですが、とびぬけてヤバいが故に皆さん顔見知りです。だからこそ、お互いに歯止めがかかると思います」
「そうかぁ? 身内ノリでもっとやばいことになるような気もするけど」
「藤田さんが近くにいるのを知ってますから。そこまで無茶はしませんよ。不味いことをやらかしそうになったら、冷静な誰かが止めるでしょうし」
「なるほど。全員ヤバいからこそ、抑止になるってことか」
眼九朗は一応納得したようにうなずく。
藤田が考えていたのも、まさに蓮が言っている通りの事だった。
お互いにけん制しあえる程度の力があるからこそ、平和というのは成り立つのだ。
抑止力万歳。
「あー、そうか。いっそ全員纏めちゃった方が良いのかもなぁ。今回のことが終わったら上申書にしてみるか」
藤田がそんなことをぼやいている間にも、「特別要監視能力保有者」達は盛り上がっていく。
「それにしても、日本で神様に喧嘩売るなんて。アホなのかしら?」
「アホなんだろ。ていうか、神域が展開するのって何時ごろなん」
「日没と同時だって。吸血鬼ニキの自慢タイムでイキってるところをパワープレイでぶっ潰すとか」
「鼻っ柱へし折るのだけが目的じゃないわよ。アイツ等、空飛ぶだけじゃなくて空間跳躍までするでしょ? 一つ所に集まってるときに、一気にぺちゃりってことよ」
「そりゃいいや。一匹も逃がさないってことじゃん」
オオアシノトコヨミ様は、よほど御怒りらしい。
あまり人前に姿を現さなくなったのが、その証拠だろう。
好むと好まざるとにかかわらず、大神であるオオアシノトコヨミの怒りというのは、現世に大きな影響を与えてしまう。
怒っている姿を見ただけでも、人に影響を及ぼしてしまうほどだ。
それを嫌ってか、オオアシノトコヨミは怒りを感じると、直接人と関わらなくなる。
アカゲのほか、抱えている幾柱かの神使を通して動くようになるのだ。
つまり、今は相当御怒り、ということなのだろう。
「へぁー。それにしても、待ち時間ヒマだの。どうすっぺか」
「ふっふっふ! こんなこともあろうかと!! わたくし、バーベキューの準備をしてまいりましたぁー!」
「いやぁっふぉおおおおおお!!!」
「酒だ酒! 酒飲もうぜ!」
「あらぁー! すごいじゃない、アンタそれで車に乗ってきたの!?」
まあ、どこぞに散らばられるよりはいいか。
藤田は騒ぎだす「特別要監視能力保有者」達と小学生トリオを前に、疲れたようなため息を吐いた。
御岩神社の巫女であるミヨは、今日自分が舞を奉納する予定の場所を眺め、ぽかんと口を開けていた。
最初は、東京に旅行に行くだけのはずだったのだが。
いつの間にか、舞を奉納することになり、気が付いたら四国に来ていた。
ここに来るまでいろんな神社にお邪魔して、いろんなものをごちそうになっている。
ミヨは、食べるのは嫌いではない、というかむしろ大好きだった。
御岩神社から東京を経由し、兵庫から淡路島を通って四国へ。
海に隔てられた場所のはずなのに、道路や新幹線だけで到着できたのが、少し不思議だ。
お仕えしている神様、御岩様は、少々過保護の気があった。
そのおかげで、ミヨは旅行などをしたことがほとんどない。
本当は、あちこち旅などもしてみたいのに。
今回の旅は、そのうっぷんを大いに晴らしてくれた。
いつもはあんまり気の進まない舞の奉納にも、前向きになれたほどだった。
だったのだ、が。
「舞台すごすぎない?」
今まさに組みあがったばかりのそれは、ミヨの想像の斜め上を行っていた。
そう、組みあがったばかり。
ミヨが舞を奉納するために用意された舞台は、今回のためだけに作られたものなのだ。
簡易的なものではない。
かなり上質と思われる木材をガッツリ使ったもので、建設には多くの神使が関わっていた。
いや、正確にいえば、人間は道具や材料を用意した程度で、残りの作業はすべて神使がやっている。
オオアシノトコヨミの一門衆で、皆、神話や伝承に残っている名のある神使ばかりだ。
ミヨにとっては、幼いころから見知った顔ばかりではあるのだが。
そんなお歴々の手によって作られた舞台は、凄まじいの一言だった。
これが終わったら解体するといっていたのだが。
「これって壊しちゃっていいものなの?」
思わずそうつぶやいてしまうほど、立派である。
神使が寄って集って作ったものだから、おそらくそれ自体が神聖なものとなっているのだろう。
ここで舞を奉納するというのだから、一体何がどうなるのか。
ミヨにはちょっと想像がつかない。
呆然と舞台に向けていた視線を、上へ向ける。
目に映るのは、鉄骨に支えられた屋根と、吊るされた照明器具。
「ここ、テレビで見たことある。野球中継のヤツとかで」
舞台が作られた場所、それは、ドーム球場だった。
貸し切りにされたドーム球場の中央に、舞のための舞台が作られているのだ。
「たしか、上から見ると傘みたいに見えるとかなんとか言ってたけど。下から見ると分かんなかったなぁ」
「緊張されていますか?」
後ろからかけられた声に、ミヨは慌てて振り返る。
そこにいたのは、異世界に行ってしまったという神様の元神使である、タヌキだった。
穏やかで、ほっとするような笑顔だ。
初めて会った時からずっと人間の女性の姿をしているのだが、ミヨはなぜか一目見たときから「なるほどタヌキ様だ」と思っていた。
外見からの印象というより、巫女としての直感の様なものである。
巫女なんかをしているからなのか、ミヨはけっこう第六感的なものが鋭い。
「緊張はしていないんですけど。なんていうか、思ったよりも大げさな舞台だったもので。驚いてました」
「皆さん張り切っていましたから。せっかくミヨさんが舞をなされるのだから、良い舞台を作らねば。とね」
「うーん。ちょっと緊張してきたかも」
表情を曇らせるミヨの言葉に、タヌキは可笑しそうに笑う。
そんなミヨとタヌキを少し離れたところで眺めながら、ヤマネは困惑した表情を浮かべる。
「あの。アレって誰ですか。形状的にはタヌキ様に似通っているようなんですが」
「気持ちはわかるが、アレはタヌキ殿だぞ。相手によって露骨に態度を変えるんだ、あの御仁は」
道の駅で買ったお土産物をパクつきながら、オオアシノトコヨミの神使であるオオカミは肩をすくめた。
そういわれても、ヤマネにはにわかに信じられない。
ヤマネのタヌキに対する印象は、あまりよろしくなかった。
正直に言ってしまえば、「関わっちゃいけないタイプの妖怪」である。
今までタヌキがしてきたことを知っているからこそ、あんなに穏やかな表情をしているというのが信じられなかった。
事情を知らない人間が見れば、「優しそうだなぁ」などと思えるだろう。
が、ヤマネから見れば、恐怖でしかない。
「タヌキ殿の区別は三つだ。味方、敵、どうでもよいもの。味方には恐ろしく甘く寛容だ。はっきり言って何をしても許すし、守る。敵に対しては、絶対に容赦しない。何をしてでも殺す。その二つ以外、どうでもよいものに対しては、本当にどうでもいいと思ってる。気が向けば助けるし、気が向けば殺す」
「なんて物騒な」
「古来、神というのはそういうモノが多かったんだが。昨今は神使すらそれを忘れられる、か」
「あ、いえ。すみません」
「いや、いい時代になったということだよ。タヌキ殿も赤鞘様が居なければ、どこかで祀られていたのかもしれんなぁ。いや、だとしたらこれほどの大妖になっていないか。あるいはどこかで討伐されたか」
オオカミはのほほんとした顔でそんなことを言いながら、お菓子の袋を開けて中身を口に放り込む。
厳つい男性のような姿をしているが、オオカミは案外甘いものもいける口だった。
そんな姿を見て、ヤマネは「そういえば」と口を開く。
「オオカミ様は、それほど御怒りではないんですか? お焚火様の神社が襲われた件」
「んん? まあ、そうだな。怪我をしたものもいないという話だし、盗られたのも鏡一つだ。別にどうということもあるまい」
不思議そうな顔をするヤマネを見て、オオカミは苦笑いを浮かべる。
「私は元々、はぐれというヤツでね。群れというのにさほど愛着がないんだよ。まあ、全く気にしないというほどでもないんだが。正直今回は、それほど目くじらを立てるほどの事とは思えないしな」
確かにヤマネも、オオアシノトコヨミ様の怒り方は度が過ぎているように感じる。
とはいえ、立場的にそんなことが言えるわけもない。
肯定も否定もできず固まっているヤマネをよそに、オオカミは軽いため息を吐く。
「お焚火様も、何とか穏便に済ませようと必死で身の無事をアピールしていただろ。全く耳に届いていない様子だったが。私もいろいろ言ったんだが、意にも介していなかっただろ? そういう所があるんだ、うちの神様は」
「いえ、その。僕はその場にいませんでしたので」
オオアシノトコヨミ様がイライラし始めたあたりから、ヤマネは会議の会場から避難させられていた。
ほかにも、若い神使や巫女、神職などが避難していたのだが。
理由はごく簡単で、オオアシノトコヨミ様ほどの大神になると、怒気に当てられただけで力のないものは死に至るからだ。
「そうか、そうだったな。まあ、何にしても、だ。ここまで来たらお終いだよ。何もかもお終いだ」
「お終い? ですか?」
「そう。お終い。人間を辞めて。人の身としては短くない年月と労力をかけて。乾坤一擲、全てをかけて日本に乗り込んできただろうにな。人という種の可能性の最先端のような化け物共に。怒れる大神がけし掛けた神使の群れに。主の下に戻るためなら手段を選ばぬ狂乱狸とその一党に。可哀想にな」
「かわいそう」
「ああ、可哀想だ。そうだろう? 連中、これから碌な目に合わんぞ。吸血鬼になんぞならず、あの時に死んでおけばよかったなんて思うものも出るんじゃないか? そのぐらい酷い目にあう」
端的な事実として、そうなる。
そうならざるを得ない。
当たり前にそうなるのだ、というように、オオカミはごく落ち着いた、のほほんとしているようにも聞こえる調子で続ける。
「そもそも誤解しているんだ、ああいう連中は。日本でなんで“何も起きない”のか。起きていないんじゃない、“起こさせていない”んだ。多くの人間やら、神仏やら、妖やら。ほかにもまぁ、色々なものの努力によってな。それを理解しないではしゃぐと、どうなるか。まあ、身をもって知ることになるんだろうが」
「あの、それは僕らも教える側なんじゃ」
「そうなんだがな。俺が何かやるまでもない気がする」
オオカミにお菓子の袋を渡され、ヤマネは「あ、ありがとうございます」と言って受け取った。
その場で開けて、中身に齧りつく。
甘いものというのは、疲れを癒してくれる。
ヤマネにとってもそれは同じだ。
「まあ、連中にとっては悪夢だが、こちらにとってはただの作業だ。気楽に行こう。気楽に」
ここにいる神使で気楽なのは、オオカミ位のものである。
他ならぬオオアシノトコヨミの指示ということで、ほかの神使達はかなり気合が入っていた。
もちろん、それはヤマネも同じである。
気が抜けた顔をしているのは、オオカミ位のものだった。
そもそも、オオアシノトコヨミに否定的な意見を面と向かって言えるのは、オオカミぐらいなものである。
何しろオオカミは、格の話だけでいえば、そこらの土地神よりよほど上。
オオカミ単体で祀っている神社すらあるぐらいだ。
「それは、オオカミ様はそうかもしれませんが」
ちらりと舞台の方に視線を向ければ、どこまでも穏やかで柔和そうな顔のタヌキと、自身が世話をしている巫女の姿。
別の方に目を向ければ、殺気立っている神使達が。
隣にいるのは、のんびりとした様子でお土産菓子を食べるオオカミが居る。
何とも言い難い状況に、ヤマネはお菓子を頬張った。
違和感。
得体のしれない違和感が、“始祖の一滴”の眷属達を襲っていた。
もうすぐ、偉大なる主に再び力を取り戻す儀式の準備が整う。
日没を待って生贄や道具から“力”を取り出し、“始祖の一滴”に召し上がっていただく。
身も心も、魂をも二つに分けた“始祖の一滴”は、それによって再び一つの存在へと戻るのだ。
そうなれば、日本に大きく手を広げ、勢力圏を築くことなど容易い。
“始祖の一滴”はそれだけの力を持っているのだと、眷属達は信じて疑っていなかった。
事実、今まで様々な場所を、手中に収めてきている。
旧い血統の吸血鬼を駆逐したこともあった。
特殊な能力を持つ人間達の集団を食い殺したことも。
公権力の中にすら手を伸ばし、「やりたい放題」にやってきたのだ。
そんな自負があればこそ。
誰も彼もが言い知れぬ違和感を覚えながらも、そのことを口には一切出さずそれぞれの仕事を淡々と続けていた。
すでに日が沈みはじめ、制約が少ないもの、太陽にある程度抵抗力を持つものは、外に出て作業をしている。
事が済めば「吸血鬼に転化させる」予定の「吸血鬼信奉者」達、あるいは吸血鬼以外の怪異である協力者達によって、ある程度準備はできているのだ。
やはり血族のものにしかできない作業も、少なく無かった。
いよいよ、日が沈む。
夜になる。
吸血鬼の、自分達の時間だ。
そうなったら、一気に儀式の準備を進める。
準備が整ったら、いよいよだ。
“始祖の一滴”が復活する。
日が、沈んでいく。
眷属の、協力者の誰もが、それを喜びをもって見守っていた。
直接見ることはできないものも、カメラなどの映像でじっと見守っている。
もうすぐ。
あと少しで、自分達の時間が、自分達の世界がやって来る。
“始祖の一滴”が元の体を取り戻し、この国の様々な場所へと手を伸ばす。
今までも“始祖の一滴”は、様々な国に手を伸ばしてきていた。
影響下に置いている場所も、少なく無い。
だが、どこに行っても、大抵の場所には吸血鬼、あるいは夜を棲家とするもの達がいる。
そういったモノ達との縄張り争いは、熾烈を極めるものであった。
力による身の削り合いなのだから、当然である。
だが。
どういうわけか、日本。
この島国には、明確な「敵対組織」が存在していない。
細々としたものはあるが、それは本当に細々としたものであり、“始祖の一滴”の眷属がその気になればすりつぶせる程度のものである。
つまり、日本に根を下ろすことが出来れば。
身の削り合いで浪費することなく、力を蓄えることが出来る、安全で安心できる拠点を手に入れることが出来るのだ。
もうすぐ。
あと少しで、そのための夜が来る。
「日が沈む。夜が来る」
誰かが呟く。
太陽が地平線の向こうに、すっかりと姿を隠す。
眷属と協力者達の喜びが膨れ上がろうとした、その刹那。
突然、強烈な違和感が全員を襲った。
なにがどう、という説明はできない。
ただ、「世界が切り替わった」ような感覚、とでも言えばいいのだろうか。
誰もが初めて味わう感覚であり、うまく説明が出来ない。
何があったのか。
皆がざわめき、状況を把握しようと動き始める。
吸血鬼とは超常の存在だ。
それだけに、「説明がつかない感覚」を馬鹿にするものはいない。
すぐに、多くの異変が共有され始めた。
スマホなどに電波が入らず、電話が通じない。
よって、インターネットなどが利用できないようだった。
無線機などすら使えない。
そして。
自分達以外に誰も居ない、という報告も届き始めた。
人間どころか、動物すら見つからないというのだ。
一体どういうことなのか。
何が起きているのか。
幹部達の指示が周囲に届き始め、ある程度落ち着きを取り戻し掛けた、ちょうどその時。
襲撃が始まった。
“始祖の一滴”の協力者である「魔女」は、ほかの連中の不理解に頭を抱えていた。
同時に、自分の見通しの甘さにもである。
この国の「神々」のことは知っていた。
だが、ここまで大きく干渉してくるとは思わなかった。
精々が、「これは何かの祟りか」と思うような運の悪い出来事がある程度。
後々ほんの少しだけ面倒だな、と思うことは起きたとしても、儀式に影響があるとは全く考えもしなかったのだ。
それが。
「狛犬、狐、鹿。そういったモノに襲われて、次々に無力化させられている、と」
笑うしかない。
神話か、おとぎ話の世界のようだ。
儀式に使う道具を手に入れるため、眷属の一部が神社を襲った。
その行為が、神の怒りに触れたらしい。
大量の神の使いが、直接襲い掛かってきた。
それだけではない。
「都市丸ごと異空間に引きずり込まれた? そんなことがあるのか?」
幹部の一人である「人狼」が、困惑した声を上げる。
当然の疑問だろう。
言い出した「魔女」自身、正直半信半疑である。
だが、自身の持つ「魔法知識」にかけて、間違いない事実なのだ。
「幽世、迷い家、箱庭世界。名前は何でもいい。とにかくそんなところだ」
「そんな力を持つ存在が、何故」
「馬鹿な眷属が喧嘩を売ったからだ。いや、私も同罪か。襲うと知っていて止めなかった。その結果がこれだ」
日本という国については、調べていたつもりだった。
どんな場所なのか、どんな脅威があるのか、理解しているつもりだった。
つもりだった、のだ。
要するに、理解できていなかっただけ。
舐めていた、と言われても否定できない。
それは「魔女」だけではなく、“始祖の一滴”とその手勢全体が、この国の勢力を完全に舐め切っていたのだ。
小さな極東の島国程度、と。
「ここは連中の領域だ。とはいえ、特別何があるわけでもない。人間が居ない、外部との接触が出来ないという以外、私達に不利な条件はない。連中に有利な条件もない」
だからこそ質が悪い。
夜の、力を最大限発揮できているはずの吸血鬼が、真正面から蹂躙されているのだ。
混乱は生半可なものではない。
相手は神に近しいものであり、当然の実力差と言えばその通り。
だからと言って、やられてばかりというわけにもいかない。
「幸い、やりようはある。連中がこんな異空間を展開しているのは、そうしなければならないからだ。人間に姿を見られたくないのだ、連中は」
「それだけのために、これだけのことを? 本当か?」
「人狼」が驚きの声を上げるが、無理もない。
首都圏や大きな都市からは離れているとはいえ、都市を丸々一つ異空間で包んでいるのだ。
そんな労力を、単に「姿を見られたくない」という理由で実行するのは、あまりにも常識外れすぎる。
だが。
「それはこちらの常識だ。連中のそれとは違う。連中は数千年単位で人とは住む場所を分けてきた。交わることがあったとしても、住み分けをしてきたんだ。連中の物差しでな」
「だからこんなことを? まるで理解できん」
「理解する必要はない。だが、そうだとわかっていれば方策はわかるだろう。要はこの異空間を崩してやればいい。そうすれば、連中はひく」
実際、「魔女」の読みは正しかった。
“始祖の一滴”を襲撃している眷属達は、ほかの「人の目」がないから、好き勝手に暴れているのだ。
彼らが言う「異空間」、「神域」をわざわざ展開したのも、「人の目」を避けるためだったのである。
「この異空間を作り出している場所をどうにかすれば、元の空間に戻る。そうなれば、連中はひく。私はこの異空間を何とかしよう。君達は少しでも被害を食い止めておいてくれ」
「魔女」の要請に、「人狼」、そしてずっと黙っていた「騎士」が頷く。
本来ならここにもう一人、“始祖の一滴”が術式で呼び出した神秘生命「淫魔」がいるはずなのだが、連絡が取れなくなっている。
いわゆる悪魔であり、かなり強力な存在だ。
万が一のことはないと思うが、とにかく今はいないので、戦力としては数えられない。
「こんな時に、全く役に立たん」
本来先頭に立つべき“始祖の一滴”は、儀式のために作られた祭壇にいる。
その間の指揮を委ねられた「魔女」だったが、こんな面倒ごとが起こるとは全く予想していなかった。
とにかく、状況を打開しなければ。
動き出そうとした「魔女」達だったが、血相を変えた連絡員が駆け込んできたことで、足が止まる。
必死に何かを言い立てるが、呂律が回っていなくて言葉が聞き取れない。
「何事だ、貴様。落ち着いて話せ。何を言っているかわからん」
「捕まり、捕まりました、淫魔様が! 連れていた眷属方諸共!」
「ある程度の能力者って、肉体的にも精神的にも頑丈なんですよ。サキュバス? インキュバス? どっちでもいいんですけど、そういうのの能力も効きづらくなるんですよね」
空中に逆さ吊りにされている「淫魔」やその眷属に対して、藤田はのほほんとした調子で説明をしていた。
言葉通り、世界でも有数の「千里眼」能力保有者であるところの藤田には、精神系統の攻撃はまず通用しない。
そんなものでどうこうなるようであれば、自分の「目の良さ」に振り回されて、心を病んでいることだろう。
日本という国には、見ただけで発狂するような類のものが意外と沢山あるのだ。
「あれ? これって喋れない感じ?」
「喋れないようにしてますね。うっとおしいので」
藤田と同じくのほほんとした調子で答えたのは、彼の相棒であり「淫魔」達をサイコキネシスで逆さ吊りにしている新垣である。
やはり新垣にも、「淫魔」程度の精神攻撃はモノの役にも立たない。
いくら魔法やら魔眼やらテンプテーションやらを使われても、銅像を百円ショップで売ってそうなスポンジ製の刀で殴っている程度のダメージしか入らなかった。
「あー、そうなんだ。まぁ、いいや。一応身柄の拘束だから、色々説明しなくちゃいけないんだろうけど。えーっと、この人達って戸籍持ってたり、入国資格持ってたりすると思う?」
「ビザとかパスポートとかも持ってなさそうですし。そもそも人間じゃないですよ」
「そうなんだけどね? ほら、万が一ってことがあるからさ。確認しておかないと。人間じゃないって確認しておかないと。ほら。色々うるさいからさ」
「公務員の辛い所ですね」
「ほんとにねぇ。一生懸命頑張ってる人がほとんどなんだけど、一部のおバカのせいで世間から目の敵にされちゃうし。国民のために必死に働いてるんだけどなぁ」
藤田と新垣のやり取りを、「淫魔」と眷属達は震えながら聞いていた。
瞬きすること、少々体を震えさせることはできるのだが、それ以外は何もできない。
何もない空中に、物質的な支えは一切なく縫い留められている。
その状況は超常の存在であるはずの「淫魔」達にとっても、異常なものであった。
悲鳴を上げることもできず、少々振動する奇妙な置物のようにされている状況。
藤田と新垣は、まるで市役所の職員が、市民からのクレームで役所に持ち帰らざるを得なかった粗大ごみでも見るような目を「淫魔」達に向けている。
その視線に気が付いているからこそ、「淫魔」達は益々恐怖を掻き立てられた。
「よかった、居た居た」
かけられた声に、藤田と新垣が振り返る。
二人に声をかけたのは、オオアシノトコヨミの神使、オオカミであった。
「あー、お世話になっておりますー。今回はどうも、大勢で押し掛けちゃって」
「全然。むしろ、人手を貸してもらって助かっている。それに、迷惑をかけているのはこちらだからな。こんな大事にせんでもよかったと思うんだが。御焚火様の件、うちの神様は相当に御怒りでな」
「お身内に怪我がなくて何よりですよ」
本当に何よりだった。
何しろ、相手は掛け値なしの「大神」である。
それも大地と近しく、その怒りは大地の揺れとして顕現することも珍しくない。
つまり、オオアシノトコヨミ様が本気で御怒りになられれば。
地震が起きるのだ。
洒落でも冗談でも大袈裟でもなんでもなく、大型の地震が起きる。
オオアシノトコヨミ様というのは、そういう神様なのだ。
それが避けられるのであれば、どんなことでもすべきである。
少なくとも、藤田はそう判断していた。
「実は、少し相談があってな」
「はい、こちらで出来るようなことでしたら」
「うちの神様が、何匹かこっちに連れてこい、と言っていてな。できれば幹部級のやつで、身柄をもらい受けていきたいんだが」
「あー、いやぁー、それは」
藤田は公務員であるが、様々な権限を与えられた立場にはない。
くれ、と言われて、はいそうですか、というわけにはいかないのだ。
法律やら就業規則やら、色々と細かな規定に縛られた立場なのである。
日本の公務員というのは、なかなかどうして自由が利かない立場なのだ。
「どうしたもんですかね。一応立場的に、国籍とかを持っている人間を簡単に引き渡すわけには」
「藤田さん、藤田さん」
唸っている藤田の肩を、新垣が突く。
「国籍を持ってない感じの、人間じゃない奴らなら、渡してしまって構わないのでは?」
言いながら、新垣は「淫魔」の方を見る。
藤田は思わず「あー」と声を出した。
なるほど、確かに国籍もなさそうで、人間でもない。
とりあえず「千里眼」を使ってざっくり調べてみるが、本当に国籍もなさそうだ。
「あのぉー、悪魔とかでも良いようでしたら、この連中をお引渡ししますが」
「コレを? あー、淫魔か。連中の幹部とかじゃなかったか?」
「らしいですねぇ」
「こちらに渡してしまって大丈夫なのか? 立場的に」
「問題ありません。むしろ、引き取っていただけた方が助かるんですよ、正直。何しろ、公務員なもので。法律的に存在していないものなんて、どう扱っていいやら」
「キレイに居なかったことにしてしまえばいいと思うのだがな。君らなら容易いだろ」
小首をかしげながら、オオカミは「淫魔」の方へ目を向ける。
体をほぼ固定されていて、表情の変化もよくわからない「淫魔」だが、なんとなく怯えているのはわかった。
まあ、サキュバスとかインキュバスというのは、性欲があるような相手に特化した悪魔である。
そういったモノが通用しないうえ、段階というか、格というか、レベルというか。
とにかく隔絶した「上位」の存在だ。
そもそもオオカミほどの神格があれば、大抵の邪悪なものなど視界に収めた時点で生殺与奪を握ることが出来る。
高い格を持つ神聖の視線というのは、それだけ力を持つものなのだ。
今の「淫魔」は、身動きが取れない状態で、自分を一飲みに出来る巨大な獣の口の中に放り込まれている様なものだった。
恐れるなという方が酷だろう。
「伝手を頼れば、まぁ、出来るは出来るんですが。なんと言いますか、そのー」
「忙しい、か。公務員は大変だな。法律やら国民やら政治家やら、色々なものに扱き使われている」
「私は好き好んで公僕になった口ですので。愚痴を溢すのも筋違いではあるんですが」
藤田とオオカミが話してるのを見ながら、新垣はそっと「淫魔」に近づいた。
口元に手を当て、小声で話しかける。
「良かったですね。逃げられて」
あの神聖に引き渡されるのに、何を言っているんだ。
体が動かせないので、視線だけを向けてくる「淫魔」に対して、新垣は笑顔を見せた。
「あの人はね、秩序とか、規則正しさとか、職業倫理とかに厳しい人なんですよ。アナタみたいな悪魔の事、大嫌いなんです。このままだったら、何されてたかわかりませんよ」
新垣の顔は、一見穏やかそうに笑っている。
だが、自分に向けられる視線は、何か取るに足らない。
むしろ、不快な害虫かゴミ屑に向けられるようなそれだと、「淫魔」は感じていた。
なにしろ、人間をどうにかすることに特化した悪魔である。
視線に込められた色合いには敏感であった。
この娘の言う通り、確かにあの男は自分のような悪魔が嫌いなのだろう。
だが、嫌いなのはあの男だけではない。
この娘も、自分のような悪魔が嫌いなのだ。
捕まったままでいたら、どんな目に遭わされていたか。
とはいえ、引き渡される先は怒れる神々だ。
一体どちらがマシなのか。
指一本動かせない「淫魔」には、ただ震えることしかできなかった。
神域となり、人間の消えた空間を、五名ほどの「特別要監視能力保有者」が連れ立って歩いていた。
「大体さ、言葉の順番がおかしいんだよ。なんだ、特別要監視能力って。普通、要監視特殊能力、とかになるだろ」
「知らねぇよそんなの。どっちでもいいだろ」
「ほら! そういうのがダメなんだよ! もっと自分達の立場に関心をもってだな!」
「じめん、あすふぁると。げんゆにふくまれる、たんすいかぶつ。その、もっともじゅうしつなもの」
「ああ? いや、それは立ってる場所。俺が言ってるのは立場であって」
「ていうかなんで人間である私達が人狼を追いかけてるのよっ! あいつ等って夜になると襲い掛かってくるんでしょ!?」
「ゲームじゃないんですから、そんなことあるわけないでしょう」
「とはいえ逃げ過ぎじゃね?」
神域内に入った「特別要監視能力保有者」達は、久しぶりに羽が伸ばせる状況にテンションを上げまくった。
早速方々に散っていくと、方々で吸血鬼や吸血鬼信奉者達に襲い掛かったのである。
よくわからん力に働きかける能力を持っているモノが、笑いながら上空に相手を放り投げては、重力操作を使って音速ぐらいで引き戻し、また笑いながら上空に放り投げたり。
無機物全般を操る能力を持つモノが、泣き叫ぶ吸血鬼とかを蝋人形の中に閉じ込めて振り回したり。
自分の体を異次元から引っ張り出した物質に置き換える系の変身能力を持つモノが、圧倒的暴力で蹂躙しはじめたり。
ただでさえ神使達に追い回されていた“始祖の一滴”の眷属、吸血鬼信奉者、協力者達にとっては、まさに踏んだり蹴ったり。
神域内は阿鼻叫喚。
軽い地獄絵図のような状況になっていた。
そんな中、“始祖の一滴”の配下であり、幹部の一人である「人狼」は、すぐさま逃げを打ったのである。
強力な怪異である「人狼」だが、何も暴力だけで今のような力を手に入れたわけではない。
的確に逃げる判断を下せればこそ、生き延びて力を蓄えることが出来たのだ。
ただ、今回はいささか、相手が悪すぎた。
「アレ、幹部なんだろ? 捕まえた方がよくない?」
「すんげぇ逃げ足だったけど、本当に幹部なのかぁ?」
「つかまえれば、わかる」
「お前、頭いいな」
そんなわけで、適当に目についたヤツをボコボコにしつつ、逃げた「人狼」を追いかけ始めたのだが。
「ぜぇーんぜん見つからないわねぇ。どこにいるのかしら」
「人狼って人間に襲い掛かるものだろうがよ。なんで逃げるんだ」
「そりゃ人狼だってヤバいと思えば逃げるだろ。しかし、どうやって見つけるかねぇ」
「ここのたてもの。こわしたら、だめ?」
「別に構わないらしいわよ? ここでの出来事って、外に影響しないんですって。座標がずれた世界とかなんとかって話だけど、よくわかんなかったのよねぇ」
「なら、このあたり、さらちにする。じんろう、みつかる」
「なるほど。まっ平にすれば隠れる場所もなくなるか」
「お前、頭いいな」
早速、「特別要監視能力保有者」達は、街を破壊し始めた。
普段はやらない、やりたくてもできないことである。
テンションが上がった「特別要監視能力保有者」達が半ば目的を見失いかけた頃、「人狼」が見つかった。
上がったのは、ブーイングの声である。
「んっだよっ! もっとガンバレよ!」
「こわし、たりない」
「ねぇ、コイツボコっていいの?」
「やめろヤメロ! 藤田さんになんて言い訳するんだ!」
過激派な大多数を、穏健派な少数が何とか押しとどめ、「人狼」の身柄は無事に藤田の下に送られた。
あとで、自衛隊なりなんなりに送られることになるのだろう。
何か実験動物的な扱いを受けるだろうが、まぁ、「特別要監視能力保有者」達の知ったことではなかった。
想像した無生物を実体化する。
それが、須山・蓮の能力であった。
制限として「事前にカードに描いたものでなければならない」「五枚以上、四十枚以下のデッキから引いたものでなければならない」という条件を設けることで、性能の向上も果たしている。
そんな蓮がその能力を最大限に発揮して呼び出した「ロボット」に、蓮と藤田・眼九朗は乗り込んでいた。
操縦席にいるのは、眼九朗だ。
叔父である特殊人材就職支援課の藤田ほどではないが、眼九朗も「千里眼」能力者である。
その「目」の使い方に関しては、かなりの実力を有していた。
蓮が実体化した「ロボット」を、眼九朗が「千里眼」を駆使して操縦する。
二人にとっての切り札であった。
それを切らなければならないような相手が、目の前にいる。
「あいつ超人の類だろ! なんで吸血鬼の言いなりになってんだよっ!!」
悲鳴のような声を上げながら、眼九朗は「ロボット」を操って横っ飛びに飛んだ。
全長5mほどで、ランドセルを背負ったような複座型の「ロボット」は、思いのほか軽快に移動する。
先ほどまで「ロボット」が居た地面に、巨大な鉄の塊が振り下ろされた。
アスファルトが爆発するように飛び散り、眼九朗と蓮が間一髪だったことがわかる。
「さぁ。それなりに事情があるんじゃありませんか。そういうのを調べるのは俺より眼九朗さんの方が得意でしょう」
「人の頭の中なんか覗けねぇよ! 叔父さんじゃねぇんだぞ! ていうか蓮! お前もなんかしろよ! ミサイル出すとかよぉ!」
「この機体維持するだけでも意外と限界近いんですよ。俺の能力いっぱい使ってるんですから。何とかしてください」
「クソがぁ!! あんなこと言うんじゃなかった!!」
ここは任せて先に行け。
生きてるうちに言ってみたい台詞の一つじゃないだろうか。
眼九朗はそれを言って、皆岸・恭吾と、新田・亮介を送り出していたのだ。
“始祖の一滴”が復活の儀式を執り行っている場所に乗り込もうとしたとき、新田・亮介が現れた。
彼の刀、飯喰狐を連れてだ。
その頃には街は既に神域に飲み込まれていて、本来であれば入り込めないはずなのだ、が。
どういうわけか、亮介は入り込んできたのである。
例えどんな遠い場所でも、どんなに閉ざされた場所であったとしても、修羅場であれば必ず入り込む。
眼九朗にすら理由が見抜けないが、そういう人種がこの世界に入る。
亮介は、まさにそういう人間の代表格なのだ。
話を聞けば、自分達とは別口で助けたい人がいるという。
ならば、と一緒に行動することになったのだが。
その前に現れたのが、今まさに眼九朗たちが戦っている相手。
“始祖の一滴”配下の幹部で、「騎士」とか呼ばれていた超人の類だったのである。
能力自体は、凄まじくシンプルだ。
力が強くて引くほど速い、それに合わせて体も頑丈。
分かりやすい「超人」である。
だからこそ、強い。
基礎能力が高いがゆえに、隙が無く弱点が見極められなかった。
普段、恭吾と一緒にいるからこそ、嫌というほど理解できるのだが。
こういう手合いが一番厄介なのだ。
剣で斬ろうが槍で突こうが、銃弾をぶち込もうが毒を食らわせようがロケット砲をぶち込もうがケロッとしている相手を、どうしろというのか。
「せめて恭吾か亮介さんのどっちかに手伝わせればよかった! 俺達に任せて先に行けとかカッコつけた代償がこれかよ!」
「向こうは向こうで大変でしょうから。どっちもどっちですよ」
「向こうの方が良いだろうどう考えても! 女性がいるってだけで雲泥の差だ! チクショウ! せめて後ろに乗ってるのが可憐な女性だったらなぁ!!」
「お互い様ですよ。俺だってどうせ一緒にいるならきれいなお姉さんが良いです」
「なんだ、お前がそういう話するの珍しいな!」
「そうでもしないと吐きそうなんですよ。さっきからシェイカーで振られているようなもんですからね」
「やめろよ! 絶対やめろよこのクソ狭い中で!!」
「じゃあ、早く終わらせてください。そんな簡単じゃないこともわかってますが。俺の具現化にも限界があるんですよ」
「わかってるよ! 根性見せろ!」
「見せますよ。追加武装、ビーム砲を一発分だけ具現化します。出現のタイミング、指示してください。上手く使ってくださいよ」
「アイツに効くのかそれ!」
「知りませんよ、そんなもん」
ぎゃぁぎゃぁと会話をしつつも、激しい攻防は続いている。
常人の目では動きを確認するのすら難しい「騎士」の攻撃をさばけているのは、眼九朗の「千里眼」あったればこそだ。
「ったく、恭吾のヤロウ! さっさと血吸い野郎ぶちのめしてコッチ来いよ!!」
「情けない台詞ですけどね。今回に関しては同意見です」
思わず弱音が出るほど、「騎士」とかいうヤツが厄介なのだ。
今はまだ平気だが、何かの拍子に均衡が崩れれば、一方的なタコ殴りになるだろう。
おそらくあちらの攻撃は、当たったら一発でアウト。
こちらはさっきから何度もハンマーやらハルバートやらでぶん殴っているのだが、大して効いている様子がない。
まあ、実際効いていないのだろう。
この世というのは理不尽なものなのである。
「なんで血だまりが動いてやがんだよ、マジで」
数百リットル、あるいはトン単位の血の塊二つが、意識を持ってうごめいている。
まあ、意識とはいっても、はっきりしたものではない。
無理やり二つに分断されたことで、かなりあいまいな形になっている、らしい。
そのあたりのことは、当の本人にしかわからないことだろう。
ともかく、目の前の奇怪な光景に、恭吾はイライラした様子で吐き捨てた。
場所は、“始祖の一滴”を復活させるための儀式会場。
その場にいた連中は、恭吾と、一緒に来ていた亮介が伸している。
アミュレットと、姫川・あや。
二人ともに助け出していて、逃がし終えた後だ。
そこで、それまで静かにしていた“始祖の一滴”が、突然うごめき始めた。
ようやく周囲の状況を理解したのか、何か別の理由なのか。
二つの血だまりにしか見えなかった“始祖の一滴”が動き出し、恭吾と亮介に明確な殺意を向けてきたのだ。
「あのおっさんに二人預けたの、マジでだいじょぶなんすか?」
「おっさんって。那須さんはまだ20代ですよ?」
相棒である飯喰狐を担いだ亮介が、恭吾の物言いに苦笑する。
アミュレットと姫川を連れ出してくれたのは、警察組織に「居る」特殊能力者だ。
上の言う事をほぼ聞かず、好き勝手に動いている「特別要監視能力保有者」一歩手前のヤバいヤツだ。
尊敬する人はタカ&ユージだと公言してはばからないあたり、相当である。
「あの人、どこからかサブマシンガンとかショットガンとか調達してくるんですよねぇ。もしかしてほんとにアメリカ軍に? いやいや、まさか」
「あの血だまり野郎どうにかしなきゃぁ、今回の事って収まんねぇんすかね」
「そうですねぇ。元凶なわけですし」
「向こうさんもやる気みてぇっすね」
「素直に帰してくれそうには、ないですねぇ」
二人が話している間にも、“始祖の一滴”はうごめき続けている。
表面が波打つさまは、怒りを表しているようだ。
周囲に響く耳障りな甲高い音は、恐らくその振動によって発せられているのだろう。
「俺、血の塊殴ったことねぇっすわ」
「血の塊自体をあんまり見たことないですしねぇ」
喋っている間に、戦いが始まった。
巨大な血の塊が襲い掛かってくるというのは、つまるところ質量の暴力だ。
非常に単純な話で、でかくて重いものがぶつかってきたら、それだけで強い。
亮介はとっさに避けたが、恭吾は拳を振りかぶって迎え撃つ。
たとえ相手が液体であっても、ダンプカーとかトン単位の岩とかを一撃で破砕できるぐらいの威力のこもったパンチをぶち込めば、吹き飛ばすことが出来る。
実際、恭吾は襲い掛かってきた“始祖の一滴”を拳の一振りで押し戻した。
にもかかわらず、恭吾は不機嫌そうに舌打ちする。
本来であれば、押し戻すだけでは終わらないのだ。
空気の摩擦、打撃により瞬発的に圧縮されたことによる発熱、音速を超えた衝撃波。
その他もろもろによって、液体は八割九割が瞬時に気体へと昇華し、水蒸気爆発よろしく消し飛ぶはずだったのである。
恭吾に言わせれば、液体やらスライム状のものが打撃に強いというのは嘘っぱちだ。
そんな風に言って自身の体を自慢してきた連中は、片っ端から拳一つで消し飛ばしてきた。
だから、この“始祖の一滴”が一撃を耐えたことに、恭吾は驚いたのである。
もちろん、“始祖の一滴”から見れば、また別の見解があった。
何重にも魔術的に強化を施した自身の体が、まさかゴムまりのように吹き飛ばされるなどとは思っていなかっただろう。
津波のように襲い掛かり、全身の血を抜く。
それが、“始祖の一滴”の戦い方だ。
液体ではあるが、吸血鬼。
触れた箇所から血を吸い上げることなど、造作もない、はずだったのだ。
吹き飛ばされた“始祖の一滴”を見て、亮介が呆れとも驚きともつかない声を上げる。
「むちゃくちゃですねぇ」
「なんだ、アイツ。全然ダメージ通らねぇじゃねぇかよ、クソが」
「ただの血だまりじゃないってことなんでしょうねぇ。ただ、おかげでこっちの問題は解決しそうです。あれを倒す手段はあるんですが、少々溜め、というか、集中が必要でして」
「時間かせぎゃぁいい。ってことっすか?」
「やっぱり、嫌ですかね?」
「いや、早く終わらせるに越したこたぁねぇっすから」
恭吾の言葉に、亮介は笑顔を作る。
そして、飯喰狐を大きくわきに引き寄せた。
鞘はないが、居合のような姿勢だ。
普段笑っている亮介の目が、見開かれた。
そうすると、意外なほどの目つきの悪さが分かるようになる。
強烈な三白眼に、少々整っているがゆえに冷たい雰囲気のある顔立ち。
ザンバラな髪の毛が、後ろに靡く。
再び襲い掛かってきた“始祖の一滴”に、恭吾は拳を叩き込む。
今度は一発ではなく、威力を抑えた拳を瞬きする刹那に数十発。
動きを止めることに注力した打撃だ。
打撃による衝撃が体内に伝わることで、その動きを止める。
何がどうしてそうなるのか、恭吾は一切理解していない。
ただ、「こんな風に殴ったら多分動きが止まる」という、野生の勘100%の拳だ。
ではあるのだが、その打撃は目的を達成してくれた。
理屈など分からなくとも、目的さえ完遂できればそれでいいのだ。
もっとも、相手は流体。
動きを止めるといっても、ほんのわずかの間だけ。
それでも、亮介にとっては十分だったようだ。
「松葉新田流、斬魔術。命脈霞斬り」
得物の刀身に己の気力を通し、体の一部とする。
そうすることで、刀に「此の世ならざるもの、理から外れたものに触れる権利」を与える。
さらにそれを、研ぎ澄ませた技量。
必ず「斬る」という覚悟を持って振るうことにより、ありとあらゆるものを「斬る」。
妖やら魔やら幽霊やらといった、ありとあらゆる此の世ならざるものと戦うための技の中で、修練だけでは決して身に着けること叶わず。
習得には、常人ならざる心根が必要だと謳われる「松葉新田流」の基礎にして、奥義である。
未だ未熟である亮介では、相棒である妖刀付喪神「飯喰狐」の力を借りて、相応の集中をして、ようやく振るうことが出来る一刀であった。
もっとも、亮介の腕が拙い、と責めることもできないだろう。
何しろ彼の師も似たようなことをしなければ振るうことが出来ない一太刀であり。
こんなものを「当たり前」に扱うことが出来るのは、当人自身も化け物に片足を突っ込んだ、常日頃から此の世ならざるものとやりあっているようなモノだけなのだ。
そんな一刀が、“始祖の一滴”の体を「斬り割いた」。
甲高い、金属が擦れる様な異音。
おそらく“始祖の一滴”が上げた悲鳴であろうそれが響き、亮介が斬り裂いたその場所が割け、何かが舞い散る。
吸血鬼にとって死した肉体、灰であった。
だが、“始祖の一滴”の体は未だ蠢いている。
亮介の表情が、僅かに歪んだ。
「やっぱり、一太刀じゃどうにもなりませんねぇ」
「でも、体は削れてるんじゃねぇっすか?」
「ですね。なら、全部なくなるまで斬ればいい、ですか。申し訳ないですけど、足止めお願いできますか?」
「いいっすけど。ある程度小さくなったら、アイツ、ぶん殴っただけで消し飛ぶんじゃねぇっすかね」
「なるほど。恭吾君のパンチなら、そうなりますか。何とかそこまで削れるように、頑張りますかねぇ」
方針が決まれば、後はやり抜くだけ。
もっとも、恭吾にしても亮介にしても、危険な作業であるのには変わりない。
何しろ相手は触れただけで血を抜き取っていくような化け物であり、恭吾はそれに拳をぶち込み。
亮介にしたところで、僅かでも集中を欠けば失敗するような技を連発する必要がある。
針穴に糸を通すような繊細な作業を、延々と続けなければならないのだ。
「五十、六十斬れば、どうにかなりそうですかねぇ」
「さっきの減り具合からして、そんぐらい削れりゃ、俺がどうにかするっすよ」
「頼りにさせてもらいます」
二人の共闘が、改めて始まった。
タヌキは、いつになく上機嫌だった。
折り畳み式のビーチチェアに寝そべり、鼻歌まで歌って、ニコニコと笑顔を浮かべている。
「まったく、あんなものの何が奥義なものですか。あんなものはお侍様は、赤鞘様は当たり前に振るっていた程度のものです。鉈どころか、竹槍でも同じことをしていたんですよ。何しろ平家の怨霊とやりあったときなどはですね」
誰も相手が居ないのに、一匹で熱弁を振るっている。
だんだんと熱くなってきたのか、ついには立ち上がり、身振り手振りまで加えて喋り出した。
「そもそも、何が“始祖の一滴”ですか! 液体化がやっとの半端血吸い野郎が偉そうに! 赤鞘様が叩き斬ったあのクズより吸血鬼として格下なら、実力も勢力も全く届かないではありませんか!」
吸血鬼には、「段階」などと呼ばれる、格の差の様なものがあるらしい。
事実として。
いつぞや「後に赤鞘と呼ばれる侍」がやりあった吸血鬼は、“始祖の一滴”よりも「段階」が上、要するに格上であった。
「幹部とか言う連中も、まぁ、情けない連中ばかりではありませんか! 少々使えそうなのは騎士とか呼ばれているの程度でしょう! あとはまともに真正面からやりあえない程度のザコばかり! あの時の連中は、京の街を襲おうとしていたあの馬鹿どもは、それでももう少しまともな馬鹿どもでしたとも!」
あの時、吸血鬼と対峙していた「妖狩り」という集団は、情けなくはあったが実力はある連中であった。
優秀な術者に頼り、吸血鬼一党を城に閉じ込めてはいたのだが。
それはあの化け物共が、それだけ危険だったからに他ならない。
今ここにいる連中などお話にならないほど、当時のタヌキがすくみあがるほどの、「化け物」共だったのだ。
「記録している連中がいるでしょう! 覚えているモノも居るでしょう! あの時のことを! あの連中を斬り殺したお侍様のことを! たったのお一人で連中を蹴散らした、お侍様のことを!」
記録している組織や、覚えているモノは多いだろう。
「妖狩り」のような連中は、一つや二つではない。
国が抱えるモノ、一族の使命としているモノ、それを生業としているモノ。
そういった連中の情報収集能力はなかなかのもので、だからこそ必ず「知っている」はずなのだ。
普段はまるで思い出しもせず、後生大事にしまい込んでいるのである。
だが。
だが、しかし。
「思い出すでしょう! ええ、思い出さずにはいられないでしょうとも! お侍様のことを! 赤鞘様のことを! あははは!!」
ああ、あの時たった一人であの吸血鬼に立ち向かい、それを倒してしまったあの侍は、やはりすさまじい存在だったのだ。
誰も彼もが思い出し、再認識する。
これまで、タヌキは全くそんな考えに思い至っていなかった。
だが、儀式が終わった巫女との会話で、気が付いたのだ。
これで、多くの記録と記憶を持つモノ達が、赤鞘の事を思い出すということに。
「へぇ。そんな昔にも、吸血鬼って日本に来てたんですね。それをたった一人で。すごいお侍様が居たんですねぇ」
巫女であるミヨが何気なく、感心していったその言葉。
その言葉が、タヌキの背中をぞくぞくと震えさせた。
既に社は崩れ去り、赤鞘は異世界へ。
それでも、誰かが思い出し、畏怖し、奉るというのは、気分がいい。
何の意味もないのかもしれないが、ただひたすらに気分がいいのだ。
赤鞘という存在を、あのお侍様を、皆が改めて認識し直す。
それが何より、心地よかった。
今まで感じたことがない、初めての感覚である。
優越感、とでもいうのだろうか。
言葉にすればそうなのだろうが、何かそれとは違う気がする。
表現するための適切な言葉が思い浮かばないが、そんなことはどうでもよかった。
さて、もう一頻り、喜びに身を委ねようか。
そう思ったタヌキだったが、動きがピタリと止まる。
「おや。ようやく来ましたか」
にこにこと笑いながら胸元で両手を合わせると、再びビーチチェアに寝転んだ。
タヌキが今いるのは、舞のための舞台が作られた、ドーム球場である。
舞を納めた御岩神社の巫女、ミヨは、既に現世へと移動していた。
この場に残っているのは、神域の中心となっている、舞が奉納された舞台。
そして、タヌキだけであった。
ドーム球場内には、タヌキ以外誰も残って居ない。
今この場所に限っては、誰が居ても邪魔になるからである。
そんなドーム球場の中に侵入してきたモノ達が、姿を現した。
“始祖の一滴”の幹部、「魔女」と、その配下達だ。
「ここは?」
困惑し、警戒しながらも、「魔女」と配下達はドーム球場のグラウンド内へと入って来る。
他にも色々と施設などはあるのだが、「魔女」達の目的は神域を解除することのはずだ。
ならば、舞の舞台というわかりやすいものが設置され、術を行使した痕跡も露わなここを無視することなど、できないだろう。
ましてその場所にいるのがタヌキ一匹だけとなれば、普通なら警戒しつつも近づいてくるはずだ。
もっとも。
彼我の実力差を図ることが出来る目があれば、今頃「魔女」達は悲鳴を上げて逃げ出しているだろうが。
「ようこそ、ようこそ! 神域を破壊しに来たのでしょう? ここで合っていますよ。そこにある舞台を壊すなり、力の流れを阻害するなりすれば、この神域は現世に戻ります」
にこにこと笑いながら教えるタヌキを、「魔女」は困惑した顔で見ている。
そして、少しずつ表情が険しくなっていった。
魔女の中には「魔眼」とかいう、特殊な目を持っているモノがいる。
おそらくは、その類を使っているのだろう。
別に探られて困ることも、「もうない」ので、とくに化かすようなことはしない。
しっかりと自分がどの程度の妖で、どんなことが出来るのか。
確認すればよいだろう。
一言も発さない「魔女」を見て、タヌキは可笑しそうに笑った。
「そんなに驚かなくてもいいじゃぁありませんか。日本という狭い島国に足を踏み入れれば、どんな風に監視されてしまうのか。調べてきたのでしょう?」
本当に所狭しと人が暮らしている国なのだ。
そして、神々や妖なども、所狭しと潜んでいる。
この「魔女」はそのことを事前に調べていて、「調べていること」を、タヌキは知っていた。
何しろ監視するのには、あれこれ手を尽くし、相応の苦労をしているのだ。
「魔女」は憎々し気に表情を歪め、タヌキを睨む。
「貴様のような狸が、何故こんなところに」
「おやおや。ご存じでしょう? 四国は狸の聖地ですよ? それは狸の一匹や二匹居るのが当然でしょうとも! まあ、私はほとんど四国と関係のない狸なのですがね」
タヌキはニコニコと笑いながら、そんなことを口にする。
ああ、なんて楽しいんだろう。
こうしている間にも、誰も彼もが赤鞘様を思い出しているのだ。
あの時、城に吸血鬼を閉じ込めた術者も、必ず赤鞘様を思い出しているだろう。
随分昔から生きていた陰陽師だとかで、今も政府のどこかしらに居座っているそうだ。
国の吉凶を占うとか、護国の力を持っているとか謳っていたが、何のことはない。
あんな血吸い野郎を一つ所に閉じ込めるのが精一杯で、それだって術の綻びを見つけられて炎精を京にけし掛けられていた程度。
赤鞘様が、あのお侍様が居なかったら、火だるまになっていたに違いないのだ。
思い出すといい、振り返ればいい、やはりあの人は凄かったのだと。
まったく、何が陰陽師だ。
だから狐関係のヤツはダメな奴ばっかりなのである。
タヌキは思わず鼻歌を歌いながら、ニコニコとした笑顔で「魔女」とその配下達を見回した。
「ところで、魔女さん。貴女、タヌキについて色々調べて来たでしょう? アレは良いセンスだと思いますよ。地元の妖を調べて置くというのは、日本では必要なことの一つですから」
気分がいい。
今日はすこぶる気持ちがよかった。
こんなに心が上向くのは、恐らく約百年ぶり。
出立を赤鞘が見送ってくれた、あの時以来ではないだろうか。
それだけ気分が良かったから、タヌキは「魔女」に少しヒントを出した。
何をされるかわからないというのは、あまりに不安だろう。
ちょっとした慈悲の心である。
普段ならば絶対に思いもしないし、考えもつかないそんなことをしてしまうほど、すこぶる気分がよかった。
「ですが、残念でしたねぇ。喧嘩を売った相手があまりにも悪かった。もっと静かにつつましくやれば、あるいは足場を築くこともできたでしょうに」
本当にそうなのだ。
深く静かに侵入してくる相手に、日本という国は存外に弱い。
そういうことを調べて理解できる程度の頭があれば、あるいは結果は違っただろう。
まあ、今となっては詮無い話、意味のない「たられば」話である。
「魔女」は周囲に目配せをし、タヌキとの距離を詰め始めた。
良い敢闘精神だ。
特別に、もう少しヒントを上げてもよいだろう。
「このドーム球場は、外見が唐傘に似ているそうでしてね。私も上から見てみたんですが、なるほど傘に見えるんですよ」
そこで、「魔女」の動きが止まった。
思い出したのだろう。
ヒントは渡したのだ。
少々遅いぐらいの気もするが、まぁ、いいだろう。
傘差し狸、という妖怪がいる。
夕方雨が降ってくると、傘を差した者に化けて現れる。
そして、一緒に入らないかと誘ってくるのだ。
もしそこに入ってしまったら、どこかへ連れ去られてしまうという。
「おや。外は小雨のようですね」
「全員逃げろっ! 今すぐ!」
血相を変えた「魔女」が叫ぶが、もう間に合わない。
何しろ、既に傘に入ってしまっているのだから。
「皆さん、傘に入って下さいな」
日本の仏教における地獄に、八寒地獄というのがある。
まあ、簡単に言えば、途轍もなく寒い地獄といったところだ。
寒さというのはとても恐ろしいもので、大抵のものは耐え難い寒さにさらされると、動きが鈍くなる。
どうやら「魔女」やその配下達も、ご多分に漏れなかったようだ。
あっという間にガチガチと歯の根を震わせて凍え出し、見る見るうちに動かなくなった。
「あっはっはっは! 大丈夫、殺しはしません。半殺し状態ではありますがね? 犯罪者は検察へ。今のこの国の司法ではそうなっているそうですよ? なんとも面倒くさい話ですが」
氷の彫刻と化していく「魔女」と配下達を眺めながら、タヌキはニコニコと笑顔を浮かべる。
心底からにじみ出るような笑顔は、どこまでも清々しい。
そのまま、再びビーチチェアに身を預けようとした狸だったが。
その頭に、突然衝撃が走った。
「てめぇええええええ!!! このクソボケイカレタヌキごらぁあああ!!!」
聞き覚えのある声。
感じた覚えのある衝撃。
タヌキはビーチチェアから転がり落ち、片手で頭を押さえて振り返った。
そこにあったのは。
「クソヤンデレイヌ科タヌキ属テメェ!!! ポンポン、ポンポン、気軽に地獄の窯の蓋開けてんじゃねぇぞ!!」
最後にあったのは、約百年前。
赤鞘神社の神使をしていた、イタズラばかりしていた、いつもろくでもない出来事に巻き込まれていた。
確かに死んだと伝え聞いた、あのキツネの姿であった。
「稲穂!? 貴女、ほんもの、なんで!? だって貴女、死んだんじゃないんですか!?」
「めちゃくちゃ懐かしいな、その名前。死んだときの裁判で呼ばれて以来だぞ。死んでんよ、間違いなく! 獄卒やらされてんだよ! ったく、なんで俺がこんなことしなきゃならねぇんだバカヤロウ!!」
死んだ直後の話である。
キツネは生前の行いこそ悪かったものの、最後は神使としての役目を戴き、一応はそれをこなしていた。
よって、ある程度罪を免除し、極楽へ行く許可を出そう。
という話になっていた、らしい。
のだが、そういった話し合いが裏でされている最中、暇を持て余したキツネは裁定を下す地獄の役場的な場所をほっつき歩いていた。
恐縮してじっとしていればよかったものを、そういうタマではなかったのである。
散々あちこち冷やかした挙句、キツネは食堂的な場所にたどり着いた。
「食い物あったら、そりゃ食い散らかすよな」
その行動が、アチラを怒らせたわけである。
予定通り極楽に送るのは癪に障るが、だからと言って地獄に落とすのも色々な理由があって少々不味い。
それならばと、飯代分獄卒として働かされることになったのである。
「むこう五百年は働けってさ。むちゃくちゃじゃね? どこの地下労働施設だよなぁ。まぁ、実際地下労働施設みてぇなもんだけどよぉ」
「ちょっ、このっ、稲穂! 貴女何考えてるんですかっ!! 赤鞘様の顔に泥を塗ってっ!」
「うるせぇ知るか! ていうかなんでお前こそ何やってんだよ、日本に帰ってきたなら赤鞘んところで大人しくしてろよ! あいつまたなんかに巻き込まれたのか!? どこに居んだあの薄ら落ち武者の悪霊ザコ神!」
「なんで貴女が知らないんですか! 赤鞘様が御守りになっていた村は廃村になりましたよ!」
「はぁ!? ああ、でもまぁ、そうか。あそこ僻地だったもんなぁ。そっか、赤鞘のヤロウ消滅したのか」
「なんてことを言うんですかっ!! 赤鞘様は異世界へ行かれました! 別の世界の神様に請われて、力の流れを扱う指南役として招致されたのです!」
「異世界!? バカか、そんなことあるわけっ! って、まぁ。あるか。アイツだからなぁ。しょっちゅう意味わかんねぇところ行ってたし」
「そんなことはどうでも良いのです! 稲穂、貴女! なに勝手に死んでるんですかっ! このっ! 大馬鹿者!」
「イタイイタイイタイっ! やめろお前、マジでやったら俺がお前に敵う訳ねぇだろ!! ちょっ、それは洒落にならなっ、あああああああ!!!」
笑いながら、泣きながら、タヌキはキツネを叩き続けた。
キツネにとっては災難であったろうが、まぁ、諦めるしかないだろう。
何しろこの日のタヌキは、本当に、どこまでも、機嫌がよかったのである。
吸血鬼“始祖の一滴”を巡る騒動は、何とか終結を迎えた。
大きな出来事が終わってしまえば、後の始末は役人の得意とするところ。
粛々と作業が進められ、「何もなかった」ことになっていった。
ちょっとした変化と言えば。
小学生トリオが通う小学校に、海外からギョリゴリ君が好物の転校生がやってきた程度だろうか。
あとはこれと言っても、こともなし。
吸血鬼関連の事件が減り、警察内部が少々綺麗になり。
タヌキには無事異世界渡りの許可が下り。
何もない日常へと、何もかもが戻っていったのである。
さて。
これはタヌキが無事に異世界「海原と中原」へと渡り、数か月後の話である。
小学生トリオと友人であるアミュレットは、とある山間の農村に来ていた。
夏休みを利用して、知人達の下へ遊びに来たのである。
「着いたぞー。つっても、何にもねぇけどな」
車が止まったのは、真新しい一軒家。
周りを見ると、同じように新しい家がいくつか立っている。
ただ、同じ並びにはテントや、明らかに廃材を使った手作りと思しき家も立っていた。
「うわぁ。すっげぇ並び」
「手作りしたいって言い張ってるやつもいるからさ。俺は楽器やるから、防音の家建てたんだけど。めっちゃ貯金減ったわ」
「あー、アニソンさんの場合、どうしてもそれがありますもんね。動画配信とか続けてるんです?」
「ネットは繋がってるからな。便利な世の中だよ、ホントに」
ここは、「特別要監視能力保有者」が集められた村であった。
かなりの山奥であり、一番近い商店までは車で二時間弱かかる。
一応本土にあるのだが、何しろ道が悪いのだ。
直線距離でいえば大したことはないのだろうが、グネグネとした山道というのは、上るのも降るのも大変である。
元々廃村だったところに無理やり作られているだけあり、一種の隔離施設のようになっていた。
この村の発案者である藤田にとっては、非常に都合が良いことである。
うまく順応させるのが難しいのであれば、集めて隔離して置いた方が良い。
当人達にとってはのびのびと過ごせるような場所を用意してやれば、文句も出ないはず。
そんな藤田の意見は、なんとか「上」の了承を得ることが出来た。
「ここに家を作るのは、大変だったのでは?」
「資材運ぶのも大変よ。でも、逆にいうと問題はそこだけだからね。最近の技術は凄いもんよ」
「っつか、まともに畑とか田んぼやってる人もいるんすね」
「なにしろ、土地がすんげぇ良いんだって。力が安定してるとかなんとか。俺はよくわかんねぇけど、そっち系の能力がある連中もいるしさ」
そんな話をしていると、人の形をした巨大な土の塊が道路を歩いていく。
普通なら大問題だが、この村の中でだけは、能力を使ってよいということになっていた。
今更この程度で驚くようなものは、村の中にはいない。
「お前ら、どこに泊まるんだっけ?」
「水鉄砲さんのところです。なんか、宿をやるとかなんとか」
「あー。水使いの。言ってたな、そういえば。宿屋開くとかなんとか。客いねぇだろうに」
「なんか、ここで暮らしてない特監の人が来るときに使う予定らしいですよ。ほら、ここだと能力使えて、羽伸ばせるからって。許可さえとれば、旅行に来れるんですって」
「マジかよ。うちの村、観光地になるの? 激アツだな」
「温泉掘るとか言ってましたけど、水鉄砲さんだとマジでやりかねないですよね」
「っつうか、面白がって手貸す人一杯いるだろ」
「日本なんてある程度掘りゃぁ、温泉湧くからなぁ。俺も手伝いに行こうかな。ああ、でもそうなると、観光客が来る前にアレも終わらせないといけないだろうしなぁ」
「あれ? なんかあるんすか?」
「うん。お社。この村に昔からあった神社らしいんだけど。廃村になった後崩れてたらしくって、今有志が再建してんのよ」
「ああー! 例の神様の! あの恐ろし気なタヌキさんが神使をしてたっていう」
「ああ、あのお姉さんか! キレイだったなぁ。何かに一途な瞳! 一生懸命な女性っていうのはいつだって可憐だ!」
「イカれてんのかお前。ありゃどう見てもキマっちまってる目だっただろうがよ」
「生前から、凄い方だったそうですね。色々と噂は聞きましたが、まさにおとぎ話、昔話みたいな話ばかりでしたが。実話なんでしょうね」
「だろうなぁ。そう考えると、由緒あるお社、なのか?」
「しばらくお邪魔するわけですし、お参りに行きましょうか」
「ああ、道はすぐわかると思うぞ。立て看板があるから」
「うっす。そういやぁ、神社の名前って、なんっていうんっしたっけ」
「ん? 赤鞘神社」
この日本という国には、同じ神様が祀られている神社がいくつもある。
いわゆる分社、分霊というもので、それらの間はどれだけ離れていても問題はないとされていた。
つまり、本神が異世界に居ようが、祀る側がそうと意識して祭ってさえいれば、何の問題もないのである。
まして本拠地ともいえる村が復活し、社を建て直してもらったとなれば、なおさらだ。
こうして、赤鞘は本神も知らないうちに、失ったはずの地球日本にある根拠地を取り戻し。
絶対にありえないはずだった「新たに力を得る」ことまで可能になった。
もっとも、それは本当に僅かずつであり、力が少しずつ強くなっていることに気が付くのすら、ずいぶん先のことになる。
廃村になった村の新たな住民から、突然米をお供えされた赤鞘が、死ぬほど驚くことになるのだが。
それはまだ、先の話である。
当初予定していた、「村の復活」までようやくこぎつけました
十年かかりましたけど、まぁいいかなって
これで、タヌキは「海原と中原」に行く準備が整いました
「見直された土地」では、グルファガムさんが頑張ることになります
次回以降ですね
長く日本編が続いて申し訳ねぇ
今度からきちんと異世界に戻ります