百六十七話 「ていうか、俺ってこれ、完全に巻き込み事故じゃん」
様々な理由で、外部から人が入ってくるのを嫌がる国は、いくつかあった。
この「海原と中原」においても、いわゆる鎖国状態というのは珍しくない。
自国の魔法技術の保護、周囲の国々で流行している伝染病対策、戦争が間近に迫っている場合の情報統制、などなど。
周囲から人が入ってくることを嫌う理由は、意外にも多い。
ただ、たとえどんな状況の国であっても、入国を拒否されることがまずない。
むしろ、歓迎されるものが居た。
シャルシェルス教の僧侶である。
弱者救済を是とし、高い医療技術を惜しみなく、無償で施すことを教義としている、神域で修業を積んだ存在。
神の存在が確認されている「海原と中原」という世界で、これほど権威があり「ありがたい」存在は、そう多くない。
もしその入国を断ろうものならば、まず国民が黙っていないだろう。
また、医療関係者にとっても、打撃である。
人間が住むことが出来る領域が限られ、国同士の間が物理的に分断されている世界である。
最新の医療技術や知識を持ち、それを惜しげもなく授けてくれるシャルシェルス教僧侶の存在価値は、尋常なものではない。
僧侶の入国を拒否したばかりに、周辺諸国から「よほど不味い状況に陥っているのでは」と勘繰られ、輸出入不全に陥り、危うく経済が傾きかけた、という国があるほど、その影響力は大きい。
そんな立場であるから、シャルシェルス教の僧侶というのは、いついかなる時どんな場所にいても、不自然にならない存在であった。
町中をゆったりと歩いているコウガクの姿を見ても、誰も不思議に思ったり、咎めたりすることなどない。
一般の通行人はもちろん、商店主なども店の外に出て、拝んだりしている。
治安維持にあたっている警邏中の兵士などに至っては、最敬礼でその姿を見送っていた。
少々大袈裟に見えるかもしれないが、これがシャルシェルス教僧侶に対する平均的な反応である。
長い間こういった扱いを受けてきたコウガクであるが、いまだに慣れていなかった。
やめてほしい、と思う反面、こういった扱いを受けるからこそ、出来ることがあるのも事実である。
例えば、直接王族などに謁見して、何か意見を伝えること。
シャルシェルス教の僧侶であるというだけで、面倒な手続きなどはほとんどいらない。
頼み込みさえすれば、大抵の相手とは会うことが出来る。
むろん、そんなことが出来るのは、「特別扱い」を受けていればこそ、であった。
自分はそんなに、立派なものでないのだが。
内心ではため息を吐きながらも、コウガクは先を急いだ。
ストロニア王国の都市部から少し離れた、郊外の一角。
そこに、封鎖された廃工場がある。
ただの廃屋にしか見えないが、外から見えない一角にだけ、寝泊まりが出来る程度に片づけられた場所があった。
メテルマギトがストロニア国内に持っている、セーフハウスの一つである。
セーフハウスといっても、中に用意してるのはベッドとギルド製の缶詰、いくらかの現金のみ。
利用されることも年に一度か二度ぐらいであり、もっぱらキースが立ち寄って昼寝をする程度である。
そのセーフハウスのベッドに、正にキース本人が寝転がっていた。
ここについたのは、というか。
ストロニア王国に入ったのは、三十分ほど前のことだ。
検問やら監視網などを巧みに回避し、発見されることなくここまでやってきている。
ここで、コウガクと落ち合うことになっていた。
「まさか直接いらっしゃるとはなぁ」
コウガクとのつなぎは、主にこの場所で行ってきていた。
たまたまこちらに来る用事があるシャルシェルス教の僧侶が、コウガクからの手紙をここに置いていく。
それを、あとでキースが回収する、という形である。
だが、今回は直接来るという。
今まで一度として、そんなことはなかった。
「絶対厄介事なんだよなぁー、これなぁー、もぉーさぁー、なんで団長が自分で来ないのよぉー」
今現在、世界には「最強格」とされるものが四人いる。
“紙屑の”紙雪斎。
“辺境の絶対防壁”ハウザー・ブラックマン。
“一本角”ハインケル・クライマス。
そして、キースの上司であるメテルマギト鉄車輪騎士団団長“鋼鉄の”シェルブレン・グロッソ。
他とは隔絶した実力者達であるが、それゆえに共通した欠点があった。
あまりに絶大な力を持ちすぎているがために、隠密能力が皆無なのである。
「海原と中原」に生きる者は、多かれ少なかれ魔力を持っていた。
魔力というのは、実は「世界を創生する際に神々が用いる力の一種」であり、いわば奇跡を起こすための要素である。
ほかの世界ではあまりないことだが、「海原と中原」では生き物がこれを使うことを「許されて」いた。
そんな力であるから、当然大量に保有しているものほど強力な力を持つことになる。
件の四人も、冗談のような量の魔力を体に宿していた。
これが、彼らが「隠れられない」理由である。
ほぼすべての生物が保有する「魔力」という力は、生き物にとってわかりやすい物差しになった。
そのため、多くの生物が、多かれ少なかれ魔力を感知する、感覚を持っている。
視覚や聴覚と同じようなもの、とでもいえばいいのだろうか。
普通の人間が持っている魔力量であれば、隠すのは簡単だろう。
キースぐらいの量であっても、技術と装備があれば、まぁ、隠すことは出来る。
現にキースは自分の魔力を隠ぺいして、様々なところに侵入していた。
だが、これが件の四人レベルとなれば、話は全く変わってくる。
あまりにも巨大すぎるその魔力は、もはや隠すとか隠さないといった次元の話ではない。
東京スカイツリーが歩いているようなもの、とでも言えばいいのだろうか。
いくら屈もうが布を被ろうが、でかいものはでかい。
どんなところで何をしたところで、絶対に目立つ。
だから、他国で誰かとこっそり会う、などということは、不可能なのである。
もちろんキースもそんなことは百も承知。
言ってもどうしようもないことを口にしてみたのは、それだけ面倒事に巻き込まれるのがいやだったからだ。
“影渡り”キース・マクスウェルは、世界的に見ても間違いなくトップレベルの実力者である。
ただ、その性格はかなり軽く、楽が出来るなら楽がしたいという気質のものであった。
シリアスな感じではなく、どちらかというとプライアン・ブルーとかあの辺のノリの人物なのだ。
それが、こうして曲がりなりにも一生懸命仕事をしているのは、シェルブレンが怖いからである。
面と向かって文句が言えないので、こういう所で発散する。
キースにとっての気晴らしであった。
「ん、いらしたか」
キースは立ち上がると、身なりを整えた。
待っていた人物、コウガクが近づいてくるのを感知したからである。
キースの索敵範囲は、アグニーと同等か、それより少し劣る程度。
つまり、度肝を抜かれる位広い。
流石のキースも、いささか緊張している。
もし現代に生きる偉人ランキング、なるものが存在するとしたら、コウガクは確実に十位以内に入るような人物だ。
緊張しないほうがおかしい。
部屋に入ってきたコウガクに対し、キースは跪いて頭を垂れた。
シャルシェルス教で、高位の相手に対する礼の姿勢である。
それを見たコウガクは、慌ててキースを立たせた。
「ただの旅の僧に、騎士団の副団長殿がそんな恰好をしたらいかんよ」
「せめて、このぐらいはさせて頂かないと。団長に叱られますし」
口ではこう言っているが、キースもコウガクには最大級の敬意を払っていた。
エルフは慈愛と仲間意識の強い種族である。
シェルブレンとその姉をはじめ、多くの同胞を救ってきたコウガクに対する感謝と尊敬は、凄まじく大きい。
「直接お会いするのは久しぶりかな。山に来られた時以来か」
「その節は、大変お世話になりました」
「さて、尾行けられてはいないと思うが、長居は無用かな」
この場所で会うために、お互いに尾行などには気を使っている。
様々な場所で弱者の救済をしている関係上、意外なことにコウガクも隠密行動などは得意なほうであった。
最初にわざわざ街中を歩いたのも、尾行が付いていないかなどを調べる一環だったのである。
「慌ただしくて申し訳ないが、本題に入ろう」
「はっ」
「見放された土地の結界は、太陽神アンバレンス様がお解きになられた」
「はっ!?」
「魔力の塊などの諸問題も、既に解決されている。そして、こちらの方が重要なのだが」
「ちょっ、ちょっと待ってください」
「見放された土地は、その土地を管理される神様。土地神様がお治めになることになった」
「土地っ、神域になるということですか?!」
「まあ、正確には違うらしいのだが。私達の常識から考えれば、そうなるね」
普通であれば、ここで大混乱して、思考停止するだろう。
見放された土地。
太陽神アンバレンス。
結界の解除。
神様が直接治める土地。
ことの重大さがわかる立場にいる者であればあるほど、混乱は大きくなるはずだ。
だが、幸か不幸か、キースはエルフであり、鉄車輪騎士団副団長という地位にある優れた能力を持つ男であった。
混乱していながらも、頭のどこかで冷静に状況を分析することが出来たのである。
まあ、当人にとっては不幸なことなのだが。
なぜそんなことを自分を通じ、シェルブレンに伝えようとしているのか。
あの辺りのことに関して、自分達に関係の大きそうなことは何か。
「まさか。アグニー族がその土地に?」
「住民として迎え入れられた」
「ぐっふっ」
軽くうめく程度で済ませるのに、キースは莫大な精神力を要した。
これが、人族やら人狼、ドワーフ、ゴブリン、オーク、兎人といったような、数の多い種族であれば、問題はない。
ああ、一部の人達がそういう風になったんだな、で終わる。
しかしそれがアグニー族となると、話は全く別だ。
村一つで種族全体が収まる程の、極め付きの少数種族である。
つまりこれは、「一部のアグニーが神域の住民になった」のではない。
アグニー族が。
種族全体が、神域の住民として迎え入れられたのだといってよい。
「ですが。ですがこれは、余計に面倒なことになりますよ」
「うむ。そうだろうね」
「一、エルフとして。メテルマギト騎士として、これだけは確信できます。だからと言って。アグニー族が神域の住民になったからと言って、メテルマギトはアグニー族に対する行動を変えることはありません」
「違いないだろう。そして、それを咎めることが出来る立場にある国は、そう多くない」
神に認められた種族が特別であるなら、エルフは世界で最も特別な種族であると言える。
今もエルフの中で特別な種として存在しているハイ・エルフは、そもそも神によって造形された種族だ。
まだ母神がこの世界にいた、数万年前。
知性を持つ種族として最初にデザインされたのが、ハイ・エルフだ。
実はエルフというのは、ここから派生した「劣化種」である。
それでも、神々に。
母神をはじめとした、「この世界を去っていった貴い神々」によって作られた特別な種であることは、疑いようもなかった。
しかし。
ほんの数百年前まで、多くの国でエルフは人種として扱われていなかったのである。
エルフはあまりに強い力を持ち、それでいて、慈悲深すぎた。
その気になればどんな相手であろうが敵わない膂力と、他を圧倒する魔力を持っていながら、他種族を傷つけることを良しとしない。
自分がどんな目にあおうが、抵抗をしなかったのだ。
美しく、力が強い、全く反撃をしてこない種族。
そんなものが居たら、どんな扱いを受けるか。
想像に難しくないだろう。
エルフは愛玩物として、魔法装置として、「消費」され続けてきた。
そのエルフがようやく「自衛」に乗り出したのは、ここ数百年。
メテルマギトが作られて以降のことである。
「他国やらは文句を言うでしょう。アグニーは特別な種族だ、神罰が下るかもしれない、と。でもそれならば」
「これまでエルフは、どんな目にあわされてきたと思っているのか。それで神々は、何をしたのか」
何もしてこなかった。
エルフがどんな目にあおうと、神々は「放置」してきたのである。
そこに助けの手を伸ばしてきたのは、本当にごく一部。
よほど志の高い個人か、シャルシェルス教の僧侶達ぐらいのものであった。
コウガクは小さく、息を吐く。
「私自身は、メテルマギトのしていることに是があるとは思わないし、アグニー族を解き放つべきだと思っている。だが、それとは別に、メテルマギトのすることに異を唱えられる立場のものがほぼ居ないということも、理解しているつもりだよ」
思想や感情は別として、コウガクも年齢相応に経験を重ねてきている。
自分とは異なる主義主張を持つものが居るのも理解しているし、そういった者達のいう「道理」もある程度理解できているつもりであった。
「周囲から非難される程度では、メテルマギトは。というより、ハイ・エルフ達は止まらんだろう。そこで立ち止まるようなら。そもそもメテルマギトという国は出来ていないだろうからね」
ハイ・エルフは、「慈悲深く」「仲間想い」な種であった。
彼らは世にいう「普通のエルフ」を、「子供達」と表現する。
自分達の派生種でありながら、より多様性に富み、雑多で、寿命の短い「子供達」。
そんな「子供達」が苦しんでいる姿を、ハイ・エルフは何世代にもわたって見続けてきた。
少しでも救おうと、それでも話し合いでの解決を試みてきたのである。
結果は、歴史が語っていた。
エルフはずっと、「便利な道具」としてすり減らされてきたのだ。
それでも滅びなかったのは、エルフが優秀であったからだろう。
だが。
もはや、少なくともメテルマギトを治めるハイ・エルフ達は、躊躇しない。
どんなことをしてでも、「子供達」を守るだろう。
虐げられているエルフを守り、老いの恐怖に苦しむエルフを、より長い時間苦しむことになる「ハーフ・エルフ」を救うため、どんな手段も厭わない。
むろん、自分達の命すら、喜んで捧げるだろう。
いや、実際に捧げたことも、幾度もあった。
「その通りですね。間違いなく止まりません。止まる必要がないし、道理もない。周りだって、止めるような権利がある連中なんていないでしょう。でも。確実に一か国。強硬に突っ込んでくる連中がいます」
「ステングレア。そうだね。絶対に黙っていないだろう」
神々の意思を尊重することを絶対の国是とする国である。
神域の住民となったアグニー族を守るため、とあれば、どんなことでもするだろう。
ましてそれが、過ちのきっかけとなった土地。
「見放された土地」の結界が解かれ、神域となった場所の住民として認められたものの為となれば。
「全面戦争になりますよ。どっちも絶対に引かない。それだけじゃ終わりません。世界が割れることになる」
森林都市国家メテルマギト。
魔法大国ステングレア。
超大国同士のぶつかり合いが、それだけで終わるはずがない。
必ず、他の国々を巻き込むことになる。
どんな国であっても、どちらかに付かざるを得なくなるだろう。
「世界大戦。最悪だぁ」
是が非でも、「子供達」を守りたいメテルマギト。
是が非でも、「神々の許し」を得たいステングレア。
何方にとっても、国の成り立ちの根幹にかかわる事柄である。
ことの大きさに唖然としているキースを見て、コウガクは険しい表情のまま目を瞑った。
「このことはまだ、ステングレアには伝えていない。いや、伝えられんだろう。連中がどんな行動に出るか、正直なところ私にも想像がつかん。だが、少なくとも、大きな犠牲が出ることになる。今はまだ、伝えてよい時ではない」
ことこの件について、ステングレアが穏便な手段に出ることはないだろう。
もし行動に選択肢があったとしても、戦が始まるのが翌日になるか、一時間後になるかの違い程度である。
「何とかせねばならん。なんとか、な。だが、私程度、老僧一人には何もできん。それでも、何もせんわけにもいかん。せめて状況を打開できそうなものに、これを伝えねばならん」
「それが、シェルブレン隊長ってことですか」
「巻き込んでしまうことになり、申し訳ないのだが」
沈痛な面持ちのコウガクに、キースは引きつり笑いをしながら首を横に振った。
「知らせなかったほうがヤバいと思いますよ。あの人、ああいう性格ですから」
こんなことが分かれば、必ず首を突っ込むだろう。
そうせずにはいられない男なのだ。
なにより。
少なくともキースが知る限り、こんな状況をどうにかできそうなのは、シェルブレンしかいない。
「ていうか、俺ってこれ、完全に巻き込み事故じゃん」
こんな話を聞かされたのである。
キースは容赦なく、シェルブレンに使い倒されるだろう。
「やっぱ団長が自分で来ればよかったじゃんかよぉー」
全く今更なことをぼやきながら、キースは頭を搔きむしるのであった。
そろそろ、コウガクがキースに状況を説明し終えたころ合いだろう。
これで少しは、安心できるな。
そんなことを考えながら、エルトヴァエルはみかんの皮をキッチンバサミで細かく切断していた。
これを天日で干すと、陳皮と呼ばれるものになる。
そのままお湯を注いでもいいし、紅茶に混ぜて出してもいい、らしい。
別に、エルトヴァエルが自主的に作っているわけでは無かった。
赤鞘に頼まれたのである。
昨日アンバレンスがみかんを差し入れてくれたのだが、思いのほか樹木の精霊達が気に入り、皮が大量に出てしまった。
それを見た赤鞘が、もったいない精神を発揮させ、乾燥させることにしたのだ。
普段なら赤鞘自身がやりそうな作業ではあるが、今の赤鞘には別の仕事がある。
グルファガムに土地の管理の仕方を仕込まなければならないのだ。
今もエルトヴァエルから少し離れたところで。
「大丈夫なんですかこれ!? これホントに、ほんとに大丈夫なんですか!?」
「平気です、平気! もうちょっといけますから!」
「爆発しません?! これ爆発しそうじゃありませんか!?」
「爆発はします」
「するの!? 爆発するのダメじゃありません!?」
「爆発した後に、ほら! ほら、来た来た来た! ここが大きく動くと、ほら、ちょうどこことここがいい感じになるんですよ!」
「ほかに方法は! もっと穏便な手段でどうにかなりませんかねぇ!?」
そんなやり取りをしている。
訓練は中々順調そうだ。
最初はハラハラしながら見守っていたが、慣れというのは恐ろしいものである。
今ではほぼ気にしないでいられた。
さて。
アグニーの立場やらの影響で、戦争が起きそうではある。
エルトヴァエルとしては、別に起ころうが起こるまいがどちらでもいいのだが、いま「見直された土地」周辺でドンパチされるのは迷惑である。
回避できるなら、回避したいところであった。
「とりあえず、メテルマギトの方はこれで良し」
ステングレアの方は、「触らないのが最適解」だろう。
情報さえ伝わらなければ、激発することはないはずだ。
まあ、神域云々の情報を知った瞬間、大変なことにはなるだろうが。
そのあたりのところは、現状ならば際どいところではあるものの、どうにかなる。
と、エルトヴァエルは踏んでいた。
戦争開始寸前といった状況になり、現場の何人かは胃に穴が開くだろうが。
その程度で済むのだから問題なかろう、という判断だ。
罪を暴く天使様は、基本的に人間の苦労がわからないタイプなのである。
「こっちは、どうなりますかね」
エルトヴァエルが持ち上げたのは、数字がずらりと並んだ書類束だ。
虹色流星商会が取引した金属の種類と量、商売相手の名前が羅列されていた。
細かな文字で、紙一枚に五十程度の取引が、文字と数字だけで記載されている。
エルトヴァエルは百枚以上であるであろうそれを、パラパラ漫画のようにめくっていく。
「うん、これだけ露骨なら、ディロードさんが気付きますよね」
こちらも、何とかしたい火種であった。
緊急度でいえば、メテルマギトとステングレアの戦争危機よりも、幾分か高い。
「やっぱり、先にストロニアに行ってもらって正解でしたね。これで、色々ことが動きそうです」
エルトヴァエルはにっこりと笑うと、書類を片付け始めた。
そろそろ、赤鞘達のお茶休憩の時間だ。
準備をして、声を掛けなければならない。
エルトヴァエルは、神に仕える天使である。
究極のところ、人間とは価値観を違える存在なのだ。
ディロードは無言のまま天井を仰ぎ見ると、苛立ち気に地面を蹴った。
普段は「いきをするのもめんどくさい」と言い出しかねない男なのだが、今はそんな気配も微塵もない。
隣に浮かんでいる人工精霊、マルチナも、険しい表情を見せていた。
しばらく天井をにらんでいたディロードだったが、意を決したように端末に手を伸ばす。
ギルドが作った結晶魔法式の短距離通話端末だ。
数コールで出たのは、セルゲイ・ガルティックである。
「どうだった?」
「多分、間違いない。やってますねぇ」
「マジかよ。お前さんの気のせいならよかったんだがなぁ」
ことは、数日前にさかのぼる。
虹色流星商会の魔法演算頭脳にクラッキングをかけていたディロードは、あるデータを見て違和感を覚えた。
とある国に卸している金属の数量表である。
それは以前ディロードが借金をこさえて逃げ出した国で、魔法体系もおおよそ把握していた。
貴金属などを加工して作ったアクセサリで魔法を発動させる、という形式のもので、なかなかに高度な魔法を保有している国である。
この国の魔法は発動させるためにいくつもの素材に、それぞれ異なる役割を持たせることで発動させていた。
例えば、金ならば魔力を熱に変換、ダイヤモンドならば放出、といった具合だ。
それだけに、知識さえあれば、使用されている素材から、作られているアクセサリがどんな機能を持っているのか、推測することが出来るのである。
もちろん実際には先に挙げたような簡単なものではなく、加工によって効果が何十何百と分かれていく。
それらをすべて把握し、機能をきちんと理解するには、かなりの知識が必要になる。
幸か不幸か、ディロードはその「かなりの知識」を持ち合わせていたのだ。
だからこそ。
他国の人間が見ても特に何も感じないであろう数字の羅列に、違和感を持ったのであった。
「なんだこりゃ? なに作るつもりなんだ?」
一部の素材の輸入量が、明らかにおかしい。
今普通に使われているアクセサリでは、あまり使われないものが、かなりの量購入されているのだ。
ほかに比べて膨大な量、というわけでは無い。
知識がないものが見ても、全く違和感などは持たないだろう。
「マルチナ、これどう思う?」
「なにか、緊急に使うようなことがあったのでしょうか。すぐには、思いつきませんが」
「うーん。なにがあったっけなぁ、これ。使い道使い道」
その時ディロードの頭に、ある考えが浮かんだ。
もしディロードが「見直された土地」にいなければ、この考えは浮かばなかっただろう。
それはかなり突拍子もない、いわば「勘」の類であった。
かなり荒唐無稽なものであり、あるいは普通ならば無視するような、一笑にふすような類のものである。
だが。
今のディロードの立場としては、決して無視できるものではなかった。
ディロードは自分から、セルゲイにこの話を持って行った。
事情と、思い浮かんだ懸念について話すと、すぐに調べるようにと頼まれる。
むろん、ディロードとしても最初からそのつもりで、確認をとっただけであった。
すぐにギルドを通して機材をそろえ、情報を収集。
解析して、一つの答えを出した。
「大量破壊兵器、なんて呼ばれてる系統の魔法装置。周囲の魔力を一気に消費して、壊滅的な威力を発揮させる種類の魔法。約百年前、見直された土地が封印されることになった、きっかけになったのと同じ類の代物。それを作ろうとしてる国、か、あるいは個人か団体か。とにかく、作ろうとしてるヤツがいる」
「確率としてはどんなもんだい」
「正直、何とも言えないんですよねぇ。それを作ることが出来る材料を集めてるってのは、間違いないんですけど。でも、その材料で何を作るか、までは」
「実は超高級な尿瓶でも作ってました、って落ちは?」
「それならそれでいいんですけど。今の僕らの立場を考えると」
「無視できねぇわな」
「どうします?」
「仕事中に手に入れた情報だ。クライアントに上げるのが筋だろ? アグニー族じゃどうしようもないから、仲介してくれた方にでもお知らせするしかないわな」
「赤鞘様、いや。なるほど。罪を暴く天使様、ですか」
「幸いにも今の俺達は一傭兵団だ。そういう建前が通る。まずはお伺いを立ててからどうするか考えたって、叱られやしねぇさ」
そこで、セルゲイは「うーん」と唸った。
何やら考え込むような声音のように感じて、ディロードはセルゲイの次の言葉を待つ。
「いや、待てよ。やられたかもしれねぇぞ」
「やられた? なにがです?」
「相手は罪を暴く天使様だ。お前さんがこのネタ拾ってくることまで読んでたんじゃねぇか?」
ディロードが「このネタ」に気が付いたのは、偶然の類であった。
だが、言われてみれば、全く予想できないことではないかもしれない。
これはディロードならば気が付ける。
いや、虹色流星商会の詳細な取引記録を調べる必要があり、件の魔法体系に関する知識がある、ディロードでなければ気が付くことが出来ないネタなのだ。
「こんなのを見つけてきましたって胸を張って報告したら、よく気が付きましたね、って褒めてもらえるかもしれませんねぇ」
「何しろ相手は天使様だからなぁ。まあ、いい。そっちは切り上げて、本来の仕事に戻ってちょうだいな」
「そうします」
通話が切れたのを確認し、ディロードは端末を投げ出した。
マルチナが、何とも言えない表情をしている。
「大変なことになりましたね」
「ほんとにね。気が付かなきゃよかった」
「これに気が付かない者ならば、あるいはエルトヴァエル様に抜擢して頂くこともなかったのかもしれません。ここは喜ぶべきです」
そう言っているマルチナの表情は、至極渋い。
ディロードはチラリとそれを見やり、深いため息を吐く。
「天使様のお役に立てるかもしれないんだから、お喜びにならないといけないわな」
「不敬な物言いですよ」
「その表情はどうなの」
「人工精霊の表情は大抵こんな感じなんです」
マルチナにしては珍しい冗談である。
そうでもしないとやっていられない、ということだろう。
「あー、コッコ村でのんびりアイス食いたい」
「非常に稀なケースですが、今回は私もその意見に賛同します」
のんびり愚痴でもこぼしていたいところだが、そうもいかなかった。
こうなったら仕事でもして、気分を紛らわすしかないだろう。
幸いなことに、アグニー救出準備はまだ初期段階。
やらなければならないことは山ほどあった。
「おうち帰りたい」
ちなみに、ディロードが思い浮かべる「おうち」というのは、樽の中であった。
「虹色流星商会」が捕縛している、アグニー族のアルティオ。
その救出計画が進む中、コッコ村ではある話し合いが行われていた。
収穫を祝うお祭を、どんな風にやるのか、というものである。
「歌と踊りはマストだろ?」
「けっかいー」
「お前、いいこというなぁ」
「たしかに。赤鞘様へのあいさつは外せないよな」
「うむ。では、有志をつのって、ごあいさつにいくものをきめるとしよう」
いくら結界がなくなったとはいえ、「見直された土地」はまだまだ危険な場所である。
石とかがごろごろしているから、つまづいたら怪我とかをしてしまうかもしれない。
前に赤鞘様にお社を奉納したときも、大変な苦労をしたのである。
「たいへんだったよなぁー。とおいし」
「のど、かわくもんね」
「お水はたくさんもってかなくっちゃね」
「そうねぇ。おべんとうもつくらなくっちゃいけないわ!」
「材料もっていけばいいんじゃないの?」
「まきもないし、火なんてたいてられないだろう」
その言葉に、アグニー達の間に戦慄が走る。
見直された土地の本体の方は、ギリギリでぺんぺん草っぽいのが生えている程度。
薪なんて拾えないのである。
つまり、あったかいご飯を作れないのだ。
「なんてかこくなやくめなんだ・・・」
「それでも、挑戦するお年寄りはおおいだろうなぁ」
「当たり前じゃぁ!! 神様によろこんでいただくんじゃぞ!」
「祭りじゃ祭じゃぁー!!」
アグニー族は、基本的に年寄りの方がアクティブである。
若者は非常に保守的で、目玉焼きには醤油をかける派が大半だった。
年を取っていくにつれ、ソースや塩などにチャレンジしていくのだ。
ちなみにとある統計によると、日本では約六割の人が目玉焼きには醤油だと答えているらしい。
最も地域による差はあるであろうから、一概に「何をかけるのがメジャーか」というのはなかなか難しい話題だろう。
まあ、目玉焼き論争はいいとして。
アグニー族の年寄りがアクティブなのは、生物的な理由がある。
年を取った、言い方は悪いが老い先短い個体の方が、種族全体を見たときにチャレンジをするリスクが低い、というのがまず一つ。
もう一つは、ゴブリン顔になったとき、ゴブリン慣れしている老アグニーの方が動きが俊敏でパワフルだ、というのもあった。
最近すっかり忘れられがちだが、アグニーには「ゴブリンっぽい見た目になって、肉体を強化する魔法」というのが備わっているのだ。
その性能は年齢によって衰えることがなく、むしろ使い込んだ老人の方が、使いこなせているのである。
「いくらなんでも、年寄りばっかにまかせてられるか!」
「そうだそうだ! 若いのだっていきたいぞー!」
「けっかいー!」
「サナク、おまえいいこというなぁ」
年寄りと若者の対立は、アグニー達が自分達で怖くなって逃げだす直前までヒートアップした。
それに待ったをかけたのは、長老である。
「落ち着くんじゃ! ここはやはり、あれで決めるしかあるまい!」
「な、なんだってー!?」
「何か良いアイデアがあるというのか、長老!」
「穏便に、そしてパワフルかつ大胆にご報告しに行くものを選ぶ方法・・・」
アグニー達の間に、緊張が走った。
皆息を飲んで、長老の言葉を待っている。
「赤鞘様にお祭をすることをお知らせにいくものをきめる選抜、じゃんけん大会じゃぁあああああ!!!!」
こうして、コッコ村中を巻き込む、熱い戦いの幕が切って落とされたのである。
同じころ、精霊の湖上空にある、浮遊島。
アグニー達と同じくお祭をやろうと考えた樹木の精霊達の呼びかけ。
もとい、命令で集まった精霊達が、どうしたものかと頭を悩ませていた。
「お祭を奉納される、というのは聞いたことがあるが。自分達でするという発想はなかった」
「お祭というのはまず、何をするのでしょうか」
「うんとねー、うたっておどるんだよ!」
力強い樹木の精霊の言葉に、精霊達は「なるほど」とうなずいた。
ちなみに集まっている精霊達はほとんどが上位精霊である。
わかりやすく言うと、「赤鞘がビビり倒すレベル」の精霊ばかりであった。
ビジュアルもなかなか圧巻で、なんか作画に酷く労力がかかりそうなものばかりだ。
ソシャゲとかだったらSSR確定な見た目である。
「ちなみに、どのようなお祭をなさるおつもりで?」
「そういわれるとなぁ。勢いでやることだけ決めてきた感じだし」
「そうだねぇ。何やるか全然考えてないや」
「こういう時は、皆でアイディアを出し合うものです」
「頭数があるのですから、良い考えが浮かぶでしょう」
樹木の精霊の中でもまとめ役、調停者コンビの言葉に、ほかの面々が「それだ」というように手を叩く。
困るのは、押し付けられる上位精霊達だ。
「その、赤鞘様やエルトヴァエル様は、なんと?」
「まだいってないよ」
「ああ、そうなんですか。でしたら、まずはお伝えしたほうが」
「あ! そうだっ!」
そこで、火の精霊樹が「思いついた」という様に手を振り上げた。
こういう時ろくでもないことを言いだすのは、火の精霊樹が多い。
樹木の精霊達も、だんだんと個性が出てきたのである。
「ギリギリまで内緒にしてさぁ、いきなり、お祭を始めます、って伝えに行って、びっくりさせてやろうぜ!」
「それだ!」
「火のも、たまにはいいこというよねぇ」
「いつもいいアイディア出してるだろうが!」
樹木の精霊達はワイのワイのと楽しそうだが、上位精霊達の表情からは血の気が引いていた。
何が悲しくて最高神様に直接仕事を任されるばかりか、親しくお話しできるような立場の神様にサプライズを仕掛けなければならないのか。
島を作るあれこれで随分赤鞘と接する機会があった上位精霊達だったが、いまだに赤鞘のことはきちんと敬っていた。
雲の上の相手である、と認識しているのである。
上位精霊というのは割と律儀なのだ。
「でもさ、誰が伝えに行くの?」
「僕らだけだとさびしいよねぇ。そうだ、皆も一緒に行こうよ!」
「ぜんいんってわけには、いかないでしょー?」
「じゃあ、あれで決めようよ」
「なに?」
「ジャンケン」
こうして、精霊の湖上空の浮遊島に住む上位精霊達全体を巻き込む、熱い戦いの幕が切って落とされたのである。
次回はタヌキさんパートから始めたいな、と思っております
時に皆さん、「神様は異世界にお引越ししました」コミカライズ版、もうご覧になりました?
漫画アプリとかでご覧になれたりしますので、ご興味のある方は調べてみてください
とっても面白いですぞ
あと、「異世界時代劇アワー」というのを書いてみました
https://ncode.syosetu.com/n5220hl/
異世界を舞台に、時代劇風皆お話、という感じです
書いてて楽しかったです
お知らせが続いて申し訳ない
それと、
「悪役令嬢の領地開拓 ~に、巻き込まれた転生者少年の苦悩~」
https://ncode.syosetu.com/n7632hj/
という作品も書いておりました
文字数的に十四万文字ほどあるし、区切りのいいところまで書いてあるので、読みごたえがあると思います
良かったら読んでみてね