百六十五話 「失礼しました。少々腹が立ったもので」
スマホの画面にはピンクと紫で作られた渦巻の模様の動画が映っている。
ある特殊なお香を嗅がせた後にこれを見せると、見せた相手をいわゆる催眠状態にすることができた。
男がこれを手に入れたのは、とある古物店である。
ビルとビルの間にある路地を入った先にある店で、恐ろしく古い建物であった。
男は引き寄せられるようにふらふらとその店に入り、店主である老婆に勧められて購入したのが、その二つ。
奇妙なアプリと、香炉だ。
男はこれを使って、様々なものを手に入れた。
まず試してみたのは、近所に住む女性。
何人かに試した後、少々危なそうな、いわゆる半グレ連中を言いなりにした。
敵にすれば恐ろしい連中だが、使うには便利だ。
何しろ連中は金も持ってこられるし、隠れ家も用意してくれる。
ボディガードとしても使えた。
色、金、コツさえ掴んでしまえば、簡単に手にすることができる。
もちろん、派手な行動は控えていた。
凄まじい力を持つアプリと香炉だが、弱点はある。
匂いを嗅がせなければならないし、画面を見せなければならない。
そのどちらがかけてもダメなのだ。
強力無比な力だが、だからこその制約なのかもしれないと、男は思っている。
力は使い方が大切だ。
慎重の上にも慎重を重ね、絶対にバレないようにしなければならない。
世界をどうこうしたいわけではなかった。
楽しく暮らせればそれでいい。
それには、見つからないことが重要だろう。
何しろ世の中には、こんな物騒な道具があるのだ。
こんなものがあるのに「まともに社会が動いている」のは、それを隠している連中が居るに違いない。
そういうヤツらに見つかったら、どんな目にあわされるか。
男にとって、それだけが懸念であった。
「で、そんなことを考えてたやつが、今ここに転がっている。と」
地面でのたうち回りながらへらへらと笑いつつ、涎を垂れ流している男を、ヤマネは気の毒そうな顔で見下ろしていた。
ヤマネの後ろの方には、椅子に座ったタヌキが熱心にタブレットを弄っている。
「結局、コイツの持ってるスマホアプリと香炉って何だったんです?」
「魔術の一種です。媒介が香で、術式が香炉とアプリ画面ですね。どちらも粗悪品の類ですよ。使用された人間は中毒になるようでしたので」
「何かの漫画のようですね」
「おそらく製作者は、そういったものを参考にしたのでしょう。悪趣味ですが、道具としては便利ですね。どんなバカにも使えます。実際、そこの男にも使えたわけですから」
あっけらかんとしたタヌキの物言いに、ヤマネは何とも言えない表情を作った。
タヌキとヤマネがいるのは、地面でのたうってる男の隠れ家である。
二柱以外にも、警察庁やら防衛省やら厚生労働省やらのお役人方がいた。
彼らはこの場所の後処理をしており、忙しく動き回っている。
男を転がしたのは、もちろんタヌキであった。
どうやってかはわからないが、半グレ連中を手懐けて、黒幕を気取っているバカがいる。
そんな情報をタヌキが掴んだのは、半日前だ。
元々警察でも話は聞いていたそうなのだが、居場所と個人の特定には至っていなかった。
魔術やら呪術やらが絡んでいる案件というのは、扱うことができる人間が極限定される。
大掛かりな別件に人員を取られ、人手が回っていなかったのだ。
それを、タヌキがわずか半日で個人と居場所を特定し、こうして地面に転がしたわけである。
「人が何人か同じ地域で居なくなり、反社会勢力の連中がよくわからない連中を急に頭にして、その割に外見上は大人しい。バレないとでも思ったというのが不思議でなりませんが、そんなバカでも扱えた道具ですから。使いやすく効果が高い道具を優秀というのであれば、中々の代物です」
「そんなに酷いですか。この人」
「自分のことを使えない人間だとわかってはいたようですが、どの程度使えないのか把握できていない類の能無し。とでもいえばいいんでしょうか。まあ、掃いて捨てるほどいる人種です」
ボロクソに言うな、と思うヤマネだった、が。
やったことがやったことだけに、同情の余地はない。
「この男、私に件の道具を使おうとしたんですよ。呆れかえります」
それは救いがたい愚行である。
江戸幕府が開闢する前から妖怪をやっていたような相手を、「粗悪品」と言われるような道具でどうこうできるわけがない。
まして「化かす」というのは、タヌキの専門分野である。
魔王にぺんぺん草で戦いを挑む様なモノだ。
おそらくこの男は、このまま精神病院に送られることになる。
この男がしたことは許し難いが、現行法では処罰できない。
魔術などという「存在しないもの」を使って「出来ないはずのこと」をしているからだ。
なので、どういうわけか精神に障害を来たして頂き、厳重に管理された「表向きは精神病院ということになっているところ」に「入院」して頂くのである。
まあ、自業自得だろう。
それだけのことをやったのだ。
ちなみに被害者は、どこぞの省庁が上手いこと「保護」してくれるらしい。
記憶などを洗浄して、元の生活に戻すそうだ。
方法や倫理などを問わなければ、大抵のことはできる。
もちろん、「存在しないもの」を多用するので、絶対に公にはならないのだが。
「それは、なんていうか。酷いっていうか、運が悪かったというか。ちなみに、なんでこの人ずっと笑ってるんです?」
「私に道具が効いた幻覚を見ているんです」
「おおう」
どうでもいいことのように言うタヌキの言葉に、ヤマネは思わず顔をしかめた。
ろくでもない幻覚を見て、こんなことになっているらしい。
もちろん自業自得だし、助けてやりたい気持ちもみじんも湧いてこないが、余りにも哀れである。
「そんなどうでもいいことは兎も角。問題はこの男に道具を渡したモノについてです」
ヤマネはタヌキに向き直ると、緊張の表情を作った。
今日ここに来たのは、仕事を一つ任せたいと言われたからだ。
どうやら、ここからの話が、それに関係することらしい。
「アレをこの男に与えた何者かは、この男自体にも仕掛けをしていました。この男は集めた金の三割ほどを、複数の口座に何度かに分けて送金しています。そして、男自身はそのことに気が付いていません」
「ってことは、その何者かっていうのは、この男を利用していた。ということですか。よくわかりましたね、そんなこと」
「化かすことに関しては一日の長がありますので。うまく隠したつもりだったようですが、使い古された手でしたので。むしろ見つけやすかった位でした」
多分タヌキだからそう言うのであって、ほかの省庁の技官ではこうはいかないだろう。
もちろんヤマネでは不可能だ。
できるものが居るとすれば、よほどの術者だけだろう。
「貴方には、この男に道具を与えたモノ。黒幕とでもいえばいいでしょうか。ソレの捕縛をお任せします」
「僕ですか?!」
「安心してください。殺してしまっても構いません」
「いえ、心配してるのはそういうことじゃなくてですね、僕には荷が勝ちすぎるっていうか」
「心配いりません。部下を何人かお貸ししますので。御岩様にも、ご了承は頂いておりますし」
御岩様というのは、ヤマネがお仕えしている神様である。
それが了承しているというのであれば、否応もない。
「いっ、その、相手を探すところから、ということですか?」
「相手はわかっています。齢三百程度の若い魔女です。別の国ではしゃぎすぎて首を狙われ、日本に逃げてきたようですね」
三百歳の魔女は若いとは言わないと思うのだが、タヌキ基準ではそうでもないのだろう。
ちなみにヤマネは神使ではあるが、まだ成人前の年齢である。
「何度か見かけたことはあります。ですが、どうせ日本ではありませんし、放っておいたのです。こうなることがわかっていたら、始末しておいたのですが」
なんとも物騒なセリフに、ヤマネは顔をひきつらせた。
タヌキなら、本当にやってのけるだろう。
あまりにも暴力という手段に訴えることに慣れ過ぎている。
ヤマネも何匹か化けタヌキには会ってきていたが、ここまで物騒なものはいなかった。
というより、人間に紛れて生きる妖怪変化の中では、相当な武闘派といっていい。
「あの、どうしてその魔女だと?」
「色々です。使っている銀行口座や、道具に使われている術式の癖、残留魔力。まあ、他にもいくつか」
一つの方法で特定したわけではないらしい。
なんにしても、タヌキが断定するのだから、そうなのだろう。
「彼を試すおつもりですか、タヌキ殿」
後ろからかけられた声に、ヤマネは思わず肩を跳ね上げる。
振り返ると、そこにはいつも世話になっている政府の役人が立っていた。
サングラスをかけているにもかかわらず、力の抜けるようなにへらっとした顔の男だ。
「どうも初めまして。厚生労働省特殊人材就職支援課の、藤田といいます。お呼びということで、やってきたんですが」
藤田と名乗った男は、苦笑いをしながら周囲を見回した。
「あの、私こういう現場仕事は専門外でして。なんでまたこんなところに?」
「初めまして、藤田さん。貴方のことはアチラでも噂になっています。稀有な能力を持っているのに、能力者の就職支援なんて裏方仕事に携わっている変わった男がいる、と」
「あっはっはっは。いやぁ、多少目がいいだけで、荒事は苦手なもんでして」
「その割に、ヤマネ殿を庇う度胸はあるのですね。安心してください。さほど難しい仕事でもありませんし、別に試すようなつもりもありません」
「ああ、いやいや。そんな大した話では。ただ、彼と、御岩神社の巫女さんの一般社会でのカバーはうちの課も手伝ってるもんでして、はい。仕事が増えるのはきついなぁー、なぁーんて」
「それほど大掛かりなことにはなりません。大方は私の部下が行います。ただ、部下は皆日本に慣れていませんので。手伝いをしてほしいのですよ」
「あー、なるほど! いや、それもなかなか大仕事っぽいなぁ。あっはっはっは」
藤田の笑い声を聞いて、ヤマネの全身から緊張が抜けた。
同時に、少々情けない気分にもなる。
御岩様の神使として方々に顔が利くヤマネだが、まだまだこういう「大人」に守られる立場なのだ。
「私は別件に当たらなければならないので、“この件”に関してはほかの方に任せることにしたんです」
「別件、ですか?」
ヤマネの問いに、タヌキは一つ頷いた。
「三か月前の神戸と、一か月前の横浜。この件を片付けようと思います」
「はぁっ!? あ、いや。へー、あ、ふぅーん! なんかよくわからないですけど、大変そうですねぇー」
「それで、あなたに見てもらいたいものがようやくここで手に入りました」
そういうと、タヌキは内ポケットから一枚の紙を取り出した。
かなり解像度の荒いもので、色もシロクロだ。
ヤマネが見る限り、監視カメラか何かの映像をプリントアウトしたものに見えた。
映っていたのは、古い革製のカバンを持った老人。
違う場所でとられたものらしい画像が、二つ並んで写されていた。
その写真を見た瞬間、藤田の雰囲気がガラリと変わる。
「これをどこで?」
「件の魔女が使っているPCを覗いていて、見つけました。機械を化かすのは人を化かすよりずっと楽ですので」
「神戸と横浜、それぞれで紛失している積み荷があったとは聞きましたが、これでしたか」
「分割すれば結界もすり抜けられると思ったのでしょうね。実際、こうしてすり抜けて入ってきたわけですが」
「マジかよ、シャレになってないぞこれ。どうやってあんなもん切り分けたんだ。いや、“自分で割れた”のか? そこまでするかね」
「私も噂でしか聞いていませんが、2019年の件をよほど恨んでいるようですね。ここまでするのは、並大抵のことではありません」
タヌキと藤田が、何の話をしているのか。
ヤマネには全く分からなかった。
ただ、その頃確かに祖父や父がバタバタしていたのは覚えている。
ちょうど元号が変わる年だったので、そのことで忙しかったのだと思っていたが。
この様子を見るに、どうもそれだけではなさそうである。
「貴方には、それが今ある場所をモニタリングしてほしいのです。“千里眼の”藤田さん」
「これは、ウチの管轄じゃありません、が。そうも言ってられないかぁ。どこへの貸しになりますかね?」
「警察、防衛省、それから宮内庁といったところでしょうか」
「最後のは逆に足枷になりそうだなぁ。いや、わかりました。そういう事情なら、確かに魔女なんて追っかけてる場合じゃありませんね」
「そういうことになります」
その時だ。
タヌキが手に持っていたタブレットを、突然握りつぶした。
金属とプラスティックが悲鳴を上げ、内部に搭載されていたバッテリーがひしゃげる。
その影響でか、内部の化学物質が反応を起こし、爆発が起こった。
周囲が騒然とするが、タヌキはわずかに機嫌が悪そうに眉をしかめているだけだ。
「なになになに!? こわいこわいこわい!!」
「失礼しました。少々腹が立ったもので」
「腹が立ったって、ええと、理由をお聞きしても?」
「魔女が、あるゲームをやっていたのです。世界にある伝説上の武器を擬人化した、いわゆるソシャゲというやつですね」
「はぁ」
「その中に、赤鞘様がいらっしゃらなかったのです」
「はぁ?」
「確かに正確には武器ではありませんが、赤鞘様は日本でも稀有な鞘が御神体という神様です、伝承が残っているならこういったゲームで取り上げないのはおかしいでしょう、あの方が人の世でどれだけのことをなされたと思っているのですか、非常に気に食いません、何が今は亡き持ち主を思う武器の話がエモいですか、そんなもので感動うんぬんするのであれば赤鞘様などもう垂涎の存在でしょうに、そもそもあの方は人として死を迎えられることとなるあのクソどもとの斬り合い以前にも様々な素晴らしい行いをなさっておいでなのです、そう、あれは海辺にある村での、ああ、こうしているうちにまた怒りがこみ上げてきましたクソがぁ!!!」
タヌキが大声を上げると同時に、その姿が掻き消える。
次の瞬間、部屋の壁面近くで轟音が響いた。
巻き起こった風に全員があおられ、叫び声や悲鳴が上がる。
何が起きたのか理解できず、ヤマネは爆風にあおられて地面にしゃがみ込んだ。
状況を確認しようと周囲を見渡すと、とんでもないものが目に飛び込んでくる。
外の風景だ。
鉄筋コンクリート製の壁に、円形の穴が開いているのである。
その断面は高温の炎で焙られたように黒くなっており、剥き出しになった鉄骨は赤熱してた。
穴の近くには、額に指をあてながら、壁に寄りかかり不機嫌そうに呪詛のようにつぶやき続けているタヌキがいる。
「わかってはいるのです、ああいった擬人化物はいわゆるイケメンばかりで赤鞘様の魅力を引き出し切れないというのは、あの方はひどい三白眼で人であったころはよく子供に怖がられていましたが、あの性格ですしすぐに舐められてお侍だというのに脛にケリなどを入れられて、なのに怒るでもなくへらへらと笑いながら一緒に遊んでいて、何しろあの方は子供が好きで、本当にお優しい気性で、そんなところが舐められる原因なのでしょうが、いくらご指摘してもただ困ったようにへらへらとお笑いになるばかりで」
ぶつぶつというタヌキに誰も話しかけないのは、全身からにじみ出るもののせいであった。
口の端からは真っ赤な炎がこぼれ、目で見てもわかるほどの瘴気が体からあふれ出ている。
ヤマネがすぐさま卒倒しなかったのは、事前に御岩様から預けられていたお守りのおかげだ。
ほかの役人達が倒れていないのも、「こんな場所」に来ている精鋭だったからだろう。
それぞれに、何かしらの防衛手段を持っているからだ。
ただ、それでもこの「瘴気」にさらされ続ければ、どうなるかわからない。
それでも誰も、声を上げることもできなかった。
再びタヌキがふらりと体を揺らすと、全員が身を固くする。
だが、タヌキは大きく息を吸い込むと、ゆっくりとそれを吐き出した。
次の瞬間には、それまでのことが嘘だったかのように、何事もなかったような顔に戻っている。
「失礼、取り乱しました。一般人の目撃者はいませんので、ご安心を。化かすのは得意ですので」
言いながら、タヌキは懐から一枚のお札を取り出した。
それを細かく破って、穴の開いた壁の方へ投げる。
すると、じわじわと穴がふさがり始めた。
「破壊したものを修復する術式です。三分ほどでふさがりますので、近づかないようにしてください」
「あ、はい」
誰が返事をしたのかは、よくわからなかった。
おそらくその場にいる誰かが反射的にそういったのだろう。
「すみません、ここ百年ほどまともに寝ていないもので。少しぼうっとすることがあるんです」
少しじゃ済まねぇだろ、死ぬところだったわ。
と、みんなが思っていたが、誰も口に出さなかった。
そこまで勇気というか、クソ度胸があるものは、その場所にはいなかったのである。
「少し、休憩を取らせていただきます」
そういうと、タヌキは部屋の外に待っていた数名の部下を引き連れ、その場を離れていく。
残った者達は脱力したように、ほっと息を吐いた。
都内、某所。
数名のものが集まり、タヌキのことについて話していた。
「やっぱすげぇなぁ、おタヌキ様。噂には聞いてたけども」
「冗談じゃありませんよ、寿命が縮まりましたよ。一般人が近くに居ない場所だったし、封鎖してたからよかったんですけども。人里だったらと思うと」
「そういうことがあるのが、妖怪変化ってものでしょう。だから、ウチとしてはこの世界から離れて頂くのは賛成なんです。雑事なんてして頂かなくても、国旗を振ってお見送りしますよ」
「いや、オタクはそうおっしゃるでしょうけどもね。あのタヌキさんは義理やメンツを大事にされる方なんですよ。赤鞘様の、でしょうけども」
「置き土産もなく出ていくのは心苦しい、ですか。だからあれこれお仕事をお願いしている、という面もありましたが」
「タイミングがいいんだか悪いんだか。あんなものが本当に日本に入り込むとはな」
「核の方が幾らかまし、か」
「ちょっと、めったなことは」
「こんなところで位好きなことを言わせてくださいよ。ただでさえ議事録だなんだとつつかれてるんですから」
「で、実際どうするんです?」
「どうするもこうするもないでしょう。我々にできる事なんざ、限られとりますからね」
「見守るしかない、ですか。しかし、化け物に化け物をぶつけるっていうのは、なんというか、怪獣映画染みていますね」
「そのぐらい現実味がない方が、隠蔽もやりやすいでしょう」
「ですな。ただ、ご機嫌取りは何か考えませんと。件のゲームに、赤鞘様をキャラとしてねじ込みますか?」
「できるんですか、そんなこと。圧力で?」
「人間というのは存外、自分で考えているようで環境に影響されやすいものですよ。それに、一般人をどうこうする方法なんていくらでもあるでしょう。方法を問わなければ、ですが」
「そうかもしれませんが。やめたほうがよろしくありませんか?」
「というと?」
「あの手のタイプは、何をやっても解釈違いだと騒ぎますよ」
「解釈違い? とは?」
「要するに、何をやっても満足しないということです」
「厄介な手合いというのはどんな界隈にでもいる、ということか」
「まるで一般大衆のようですな。何をやっても満足しない」
「いや、私たちの立場でそれは不味いですよ」
「こんなところで位、好きなことを言わせてください」
「はっはっは! 言われましたね」
こうして、赤鞘がソシャゲに出演することは、無事になくなったのである。
「海原と中原」の神々は、全員が同じ母神から生まれた兄弟姉妹である。
といっても人間族のように、兄弟姉妹だから優劣はない、などということは一切ない。
明確な上下関係があり、力の有無がある。
グルファガムから見て現在の最高神、太陽神アンバレンスは、雲の上の存在といっていい。
そんな相手が、目の前で人間をダメにするクッションに寄りかかって酒を飲んでいる。
しかも、片手には缶詰めになった安酒。
反対の手には、でっかいサイズのピザがある。
「なんだろう、ピザ食いながら炭酸決めてると、めっちゃデブになった気分になるよね」
「あー、わかる気がします」
アンバレンスの隣で、赤鞘が口いっぱいにピザを頬張っている。
さらにいくらか後ろの方では、エルトヴァエルが正座をして、やはりピザを食べていた。
そこはかとなく幸せそうな顔をしている。
今現在「海原と中原」の管理は、母神に連れていかれなかった中でも優秀な、というかやる気の残っている神々と。
日本のブラック企業も顔負けな職場環境に泣きながら対応している天使達によってなされている。
そのため天使達はしこたま忙しく、とてもとてもグルファガムのような末端の神では声をかけられない様な、鬼気迫る様子で仕事をしていることがほとんどだった。
のんぴりピザを食べている天使というのは、実に貴重な光景である。
記録することが出来たら、神界放送とかで特番が組まれるかもしれない。
「それでねぇー、なんか日本にヤバそうなのが入ってきてて、それがタヌキさんの最後の仕事になりそうなんですよねー」
「はぁー。なんです? ヤバそうなものって」
「知らない。なんだろう。エルトちゃん知っとる?」
「液化した吸血鬼です」
ちょうどピザを飲み込んだところだったのか、エルトヴァエルはアンバレンスからの問いにすぐに答えた。
「正確には、血液だけになった吸血鬼です。元々は体もあったらしいのですが、ない方が便利だと思ったようでして」
「はー、へぇー。えっ、そんなことできるもんなの? 吸血鬼で?」
「かなり力がないと難しいようですが、可能ではあるようです。“始祖の一滴”と名乗っていて、普段は眷属を増やすことを楽しんでいるそうです」
「なんかあれだね。少年漫画とかラノベのラスボスみたいなヤツだね」
「あー、いそうですねぇー、そういうの。多分私なんかじゃ相手にならないぐらい怖い人、人? なんでしょうけど」
「どうなんですかねぇー。吸血鬼って色々制約多いんじゃないんです? ていうか、つよいの? その吸血液体」
エルトヴァエルは「少々お待ちください、調べてみます」と答えると、アンバフォンをいじり始めた。
何やらすさまじい速度で指を動かし、操作しているようだ。
「海原と中原でなら、抑止力レベルといったところのようです」
「ってことは、国に一人や二人いるぐらい、って感じか。そんなでもない、ってところかしらね」
この世界は、地球以上に戦闘能力の個人差が激しい。
洒落や冗談では一切なく、一騎当千というようなものがざらにいたりする。
門土、プライアン・ブルー、セルゲイなどが代表例だ。
シェルブレンや紙雪斎は、さらに別枠である。
「赤鞘さん、心配なんじゃありません?」
「へ? 何がです?」
「何ってあなた。そりゃ、タヌキさんがですよ」
「あー、んー、そうですねぇー。心配といえば心配ですけども。それほどではないですかねぇー」
あっけらかんとした赤鞘の物言いは、アンバレンスには意外だった。
赤鞘なら、相当に動揺し、心配しそうだと考えていたからだ。
だが、赤鞘はいつものぼーっとした笑顔のままである。
「初めてあったころこそ、少々抜けたところはありましたけどね。それから、ぐんぐん成長して、すぐに私なんかよりずっと立派になりましたよ」
昔を懐かしむような顔で、赤鞘は湯呑をすする。
ちなみに中に入っているのは、ストロング系チューハイだ。
炭酸系はすするとえらいことになるのだが、いつもの癖ですすってしまったらしい。
赤鞘はひとしきりむせると、仕切りなおすように咳払いをする。
「最初は義理で手伝ってくれていたんでしょうけどねぇ。土地神になって以来、ずーっと付き合ってくれて。ずいぶん助けられましたよ」
昔を懐かしむように目を細め、赤鞘は空を見上げた。
ただでさえお年寄りっぽいのに、そのしぐさがますますお年寄り感を加速させている。
「はぁー。ずいぶん好かれてたんですねー」
「んー、好かれてたというより、私があまりにも情けなかったから、手伝ってくれたんじゃないですかねぇ? 責任感の強い方でしたし、途中からは義務感もあったのかなぁって」
「とはいえ、責任感だけでこちらの世界までは来ないんじゃないかしらぁ?」
「ですかねぇー? まぁ、出来の悪いのほどかわいい、とは言いますけども」
赤鞘は苦笑しながら頭を掻くと、考え深げに目を細めた。
再び湯飲みのストロング系チューハイをすすり込んで咽ると、苦しそうに咳ばらいをする。
「ごほっ! 口の中がえげつないことになってるんですけどっ! これダメだ、やっぱり湯呑で炭酸のやつ飲むの辛いですね」
「いや、それは赤鞘さんの自爆では」
「ていうか、最近色々考えてて、ふと思ったんですよねぇ。もしアンバレンスさんが誘いに来た時、タヌキさんが居たら、どうしてただろうって」
「ほぉ。俺が行ったときですか。はいはいはい。あの、東京バナナ持ってった時の」
赤鞘をスカウトしに行ったときのことは、アンバレンスもよく覚えている。
地球地図を片手に、めちゃくちゃ迷いまくって、日本を見つけるのすら苦労したのだ。
最終的には、ヤタガラスに案内してもらって、ようやく赤鞘の神社にたどり着いたのである。
「ですです。多分ですね、私、タヌキさんは日本に残ったほうがいい、って言ったと思うんですよ」
「散々、苦労を掛けたわけですから。まさか、異世界に行くなんてことにまで付き合わせるわけにはいかないだろう、と」
「んんー、そんなもんですかねー?」
「ぶっちゃけた話、こちらがどんな土地かもわからなかったですからねぇ。恐ろしかったり、難しい土地かもしれなかったわけですし」
「いや、実際難しくはあると思いますけどもね」
見直された土地は、お世辞にも管理の簡単な土地とはいいがたいだろう。
何しろ、異世界から土地神を招かなければ、扱いきれなかったような有様だったのである。
「あっはっはっは! 住めば都っていうんですかねぇ。今なら、来ていただくのもいいな、と思えるんですが。まあ、タヌキさんが日本に残っていたとして、あの時まだ一緒に居たかどうかわかりませんが」
守護していた村は廃村になり、今にも崩れ落ちそうな神社で、消えるのをただ待つだけ。
当時の赤鞘は、そんな状態だった。
優秀な神使であり、妖怪としても強力な力を持っていたタヌキに、そんなことにつき合わせるのはいかにももったいない。
どこか別の神様に預けるか。
あるいは、赤鞘の元を離れて、自由に暮らさせるか。
当時の赤鞘なら、おそらくそうすすめていただろう。
「優秀な方でしたからねぇ。あそこで埋もれさせるには、あまりにも惜しいですし」
赤鞘はタヌキに、一目も二目も置いている。
だからこそ、自分にはもったいないと思っていた。
「これがキツネだったら、全く悩まなかったんでしょうけどもねぇー」
「腐れ縁だったっていう、亡くなった?」
「ええ。あいつだったら、首根っこ掴んでこっちに引きずってきたんですが。どうせ日本に居ても碌なことしないでしょうからねぇ。こっちであれこれ手伝わせたんですが」
亡くなっている相手に対して、少々酷い物言いではある。
赤鞘らしくないものでもあった。
それが、赤鞘とキツネの関係を示している。
ほかの誰かに対してはまずしないぞんざいな扱いを、赤鞘はキツネに対してだけはするのだ。
「ていうか、やっぱり器って大事なんですねぇー。チューハイ飲むなら焼き物より、ガラスジョッキとかの方がやっぱよさそうですよ」
「そりゃーそうでしょう。なんていうんですかねPTA?」
「それだと保護者会ですよぉー。なんでしたっけ、WHO?」
「ええと、TPOではないでしょうか」
「そう! それですそれ!」
「さっすがエルトちゃぁーん!!」
何かしらツボに入ったらしく、大声で笑う赤鞘とアンバレンス。
そんな二柱を見て、グルファガムはひたすらに混乱している様子である。
まあ、ムリもないと、エルトヴァエルは内心でため息を吐いた。
アンバレンスがこんなにのんびりとした姿を見せるのは、今はここだけなのだ。
面食らうのも無理はない。
それにしても。
タヌキさんは報われないなぁ、と、エルトヴァエルは改めて思った。
赤鞘は間違いなく、タヌキを信頼しているのだろう。
ただ、その方向性は、タヌキの望むそれとはかなり違っているはずだ。
もしタヌキが今の話を聞いていたら、キツネに相当な嫉妬心を抱いたに違いない。
世の中というのは、ままならないものである。
そこで、エルトヴァエルの意識が別のことに飛ぶ。
時間的に、そろそろ風彦が、ストロニア王国「虹色流星商会」にとらわれているアグニー族、アルティオと接触しているはずなのだ。
当然、実際に確認しなければどうなるかわからないが、十中八九こっそりと抜け出させ、「見直された土地」に連れてくることになるだろう。
人事は尽くしているから、まぁ、失敗することはないはずだ。
ただ、一つ気になることがある。
エルトヴァエル自身の目で、現場を確かめられていない点だ。
ほかの天使仲間や精霊、風彦に調べさせているので、情報に不備はない。
それについては、エルトヴァエルも一切心配していなかった。
なのに気になっているのは、単に性格の問題。
エルトヴァエルが徹底した現場主義者だというのが、理由であった。
とにかく、自分の目で確認しないと気が済まないのだ。
悪い癖だとは思うが、これはもはや「エルトヴァエル」という天使の「個性」なのだろう。
アンバレンスが太陽神であるように、赤鞘が土地神であるように、エルトヴァエルは「そういう天使」なのだ。
タヌキが「見直された土地」に来てくれたら、また、あちこち出歩けるようになるかもしれない。
その日を楽しみに思いながら、エルトヴァエルは手にしていたピザを頬張った。
今回、予定通りタヌキさんの話だったんですが
タヌキさんの話しかなかったという事件が発生しました
すげぇ文章量書いたな、と思いますが、仕方なかったんです
だって書きたかったんだもん(
まあ、大体いつもそんなノリで書いてるし、話が進まねぇのもいつものことだから、申し訳ないけどもいいかなぁ、と思いました
次回はがんばって話を進められたらなぁ、って思います
一応、アグニーへの意思確認、戦闘準備、いざ本番直前、ぐらいまで一気に行っちゃう感じになる予定です
勿論、予定は未定ですが
さて、本編と関係ないお話なんですが
「神様は異世界にお引越ししました」が、コミカライズ
漫画化することと相成りました
というか、もうなってございます
ちょろっと検索等していただくと、さっくり発見してもらえると思います
そこから読んでもらって、ツイッターとかで感想をつぶやいてもらったりしますと、大変喜びます
主に作者が
まあ、そんなこんなで
また次回をお楽しみにして頂いたり、コミック版「神様は異世界にお引越ししました」を読んで頂けたりすると、大変うれしかったりしますー