百六十一話 「世の中は、よくわからないことでいっぱいですからのぉ」
才能というのにも様々あるのだが、案外軽視されがちなのが「努力し続けられる才能」だと、赤鞘は思っていた。
努力をするのに才能なんて不要。
そんなものは努力できないやつの言い訳だ、などと言われることが多い。
だが。
全く実る気配のない努力を五十年六十年と続けられる人間が、どれだけいるだろう。
結果が全く出ないのにひたむきな努力を続けられるというのは、非常に稀有な存在なのだ。
こういう話になると「努力の仕方が間違ってる」とか「実際にはサボっている」などと言われることもある。
恐ろしい誤解だと、赤鞘は思う。
何しろ、努力というのは本来、そのほとんどが報われないものと考えているからだ。
そういったことを言い出すのであれば、極端な話。
オリンピックで金メダルをとった選手以外はすべて、努力をしていないことになってしまう。
もちろん、そんなバカな論がまかり通るはずがないのだが。
言い方を少し変えただけで、あたかもそれが正論であるように思ってしまう人達がいるのだ。
実に恐ろしい話である。
努力が報われない人、報われない努力を続ける人。
そういった人達は、実に多い。
数えきれないほどのそういった人々の中から、飛びぬけられる人間というのは、どういう人種か。
やはり、何かしらの形の「才能」を持つモノなのだろうと、赤鞘は思っていた。
赤鞘は、自分には「飛びぬけた素晴らしい技術を持つモノになる才能」はないと思っている。
ただありがたいことに、「努力さえしていれば、ある程度の技術を身につけられる程度の才能」はあるとも思っていた。
しかしながらそれは、ほかの「才能あるモノ」に比べれば実に遅緩であり。
実力が上がっていくにしても、恐ろしいほどののろのろ歩きであるとも、思っていた。
何しろ赤鞘がまともに土地の管理ができるようになったのは、神になって百年ほど経った頃。
それなりに満足が行く形にまとめられるようになったのは、二百年余りが経過してからだった。
自分には才能があるが、その程度。
それでも何とかこれまでやってこれたのだから、実にありがたいことだ。
赤鞘は、そう思っているのだった。
その反動だろうか。
自分よりもずっと早く仕事を覚える新神を前にすると、赤鞘は比較的加減を忘れる傾向にあった。
相手が優秀であることを喜び、自分との差に驚き、もっとたくさんのことを教えてあげたいと、思うようになる。
その結果、めちゃくちゃなスパルタ教育が始まるのだ。
普段は「努力できるのは才能だ」などと常々思っている赤鞘であるのだが。
いざこの状態になると、そんな考えは完全に頭からすっぽ抜ける。
「がんばれがんばれがんばれ! できるできるできる!!」
そして、びっくりするぐらいポジティブな言葉の羅列で、腰を抜かすほどがんばらせるのだ。
実際、赤鞘は手加減とかが苦手なので、本当に相手が腰を抜かすまで頑張らせる。
幸いなのは、がんばらせるにしても相手は大体神様とか精霊とかなので、ぶっ倒れるまでに何年もかかる、というところだろう。
やられているほうとしては不幸なことに、神様や精霊というのは、人間とは比較にならないぐらい丈夫なのだ。
なので。
「ちょ、待ってください赤鞘さん! これムリじゃありません!? これ処理しきれるんですかホントに!?」
「大丈夫です! ほら、見てください私の手元! 慣れればこの十倍を片手でもこなせますから! ねっ! 頑張りましょう!」
「うわホントだそれどういう動き何ですかもはやキモいですよ!?」
そんなかんじで、グルファガムはこれでもかというほど酷使されていた。
普段は「努力し続けられる才能」というのは軽視されがちだ、などと思っている赤鞘だが。
おそらく今、それを一番軽視しているのは、赤鞘自身なのであった。
綱渡りをしながら、箸でつまんだ生米に、まち針で俳句を書くような曲芸的訓練を終え。
グルファガムは湯呑を手にしたまま、完全に放心していた。
対して、赤鞘は実に楽しそうなほくほく顔である。
赤鞘は一人で黙々と仕事をするのも好きだったが、ほかの神仲間とあれやこれや言い合いながら仕事をするのも好きだった。
ああじゃない、こうじゃない、こっちの方が効率がいい、それだと余計にややこしい。
近隣の神々とそんなことを言いあいながら仕事をする時間は、かけがえのないものであった。
ずーっとやっていると段々テンションがおかしな方向に飛んで行って、一週間ぐらいぶっ続けで作業していたりしたものである。
「あの、赤鞘様。地球の神様方はその、皆さんこんな感じで?」
「はじめのうちは、大体そうですねぇー。やっぱり口で説明するのに限界のある分野ですから。やってみないとって感じですよ」
返ってきた恐ろしい答えに、グルファガムは慄いた。
地球の神様というのは、化け物ばかりなのだろうか。
グルファガムは、すべての神が「母神」から生まれた「海原と中原」の神である。
日本のように「元々は神ではなかったモノも、神になることがある」世界というのは、正直想像し難かった。
神とそれ以外は、明確に異なるのが当たり前の世界で生まれ育ったわけだから、それも当然だろう。
だが、今のグルファガムは、なんとなくその意味が分かったような気分になっていた。
こんなことを当たり前にやってるような連中である。
きっと、何かが突き抜けているのだろう。
突き抜けまくった挙句、何かしらの限界まで貫いて、ついには神に至るに違いない。
大分間違った感じに納得したグルファガムだったが、それを指摘してくれるものは居なかった。
「すごいですね。日本の神様って」
「いやぁー。力がないからこそ、このぐらいできないとどうしようもないんですよねぇー。こちらの神様なら、居るだけで同じようなことが出来る方もいらっしゃるわけですし」
アンバレンスや水底之大神辺りになると、いるだけでその土地が落ち着いてくるのだ。
力量差というのは残酷なものである。
そういった力がないからこそ、多くの日本神は技術を磨いた。
苦肉の策というヤツだ。
非凡な力を持たなかったゆえに磨かれていった技術なのだが。
磨きすぎた故にヤバいことになった技術、なわけである。
「逆に言えば、このぐらいなら大体の神様ができるってことですよ」
「とてもそんな風には思えませんけども」
「そんなことありませんって! 慣れちゃえば案外行けるものですよ!」
「そう、なんです、かね?」
だんだん押されていくグルファガム。
そんな二柱を横で眺めながら、エルトヴァエルは「そんなわけない」と心の中で突っ込んだ。
もちろん、口に出すような野暮なことはしない。
世の中には、誤解したままの方が幸せなことというのがあるのだ。
「そうです、そうです。案外できるようになるものですよ、ええ。私がそうだったわけですし」
そういいながら笑う赤鞘の表情には、邪気が全くなかった。
だからこそ余計に質が悪いわけだが。
そんなことをしていると、突然、赤鞘の背後にドアが現れた。
空気中から滲み出してくるように出現したそれは、どぎついピンク色をしている。
「ちょりーっす」
そのドアから現れたのは、案の定というかなんというか。
最高神にして太陽神、アンバレンスであった。
「あ、アンバレンスさん。いらっしゃい」
赤鞘などは慣れたもので、ヘラリと笑って迎え入れた。
エルトヴァエルの方も似たようなものであり、落ち着いた様子で黙礼している。
大変なのは、グルファガムだ。
「たっ!? あんっ! アンバレンス様!?」
バネ仕掛けのおもちゃの様な挙動で立ち上がると、急角度で頭を下げた。
表情は緊張でこわばり、変な汗がにじみ出ている。
大げさな反応にも見えるが、通常ならこれが正しい反応なのだ。
最高神様とグルファガムの様な若輩の神とでは、文字通り格が違う。
直接声をかけるのすらためらわれるぐらいなのだ。
忘れ去られがちだが、アンバレンスは基本的に偉いのである。
「いいの、いいの! 楽にしてて、楽に! ちょっとね、用事があってきただけだから。あ、これお土産ー」
赤鞘に手渡したのは、大量のスナック菓子である。
樹木の精霊達のおやつだ。
「ああぁー、何時もすみませんねぇー。どうしたんです、今日は」
「ちょっと色々ね、進展があったもんで。アンバフォンで知らせてもいいかな、と思ったんだけど、やっぱほら。重要なことって直接会って話した方がいいかな、って。ほら、アンちゃんって案外古いタイプの神様だから」
見た目こそアレだが、一応開闢の頃より世界にある神の一柱である。
古いことは古い神様なのだ。
「重要なこと、ですか? あ、まぁまぁ、とりあえず座ってください」
アンバレンスが促されて座ると同時に、エルトヴァエルがお茶をお出しする。
この辺の動きは、実にそつがない。
「いやいやいや、どうもどうも。とりあえず、単刀直入に内容だけ説明しちゃうんだけど。赤鞘さんにグルファガムくんを一か月ほど鍛えてほしいのよ」
「一か月ほど鍛える、ですか? 一体、何をです?」
不思議そうに首をかしげる赤鞘の横で、グルファガムは叫びそうになるのを必死で我慢していた。
どういうことなのか聞きたかったが、許可されてもいないのに声を出すわけにもいかない。
神様というのは、厳格な縦割り社会なのだ。
「あのぉー、タヌキさんの一件でね。ちょっと、海の神様連中がうるさいって話があったじゃない。その件もあってグルファガムくんがこっちにきたわけなんだけども」
「あぁー、その件ではどうも、ご迷惑をおかけしちゃいまして」
「いいのいいの! そんなのは! むしろこちらが無理やりアレした訳ですし! って、まぁ、それは置いておいてよ。逆にこれ、いい機会だなって思って」
「いい機会、ですか」
「グルファガムくんにね、土地の管理の仕方をこう、ちょこっと覚えてもらって。赤鞘さんに教えてもらってね? で、こんなに有用なんですよ。っていう形で、お披露目してもらおうと思うのよ」
「お披露目っていうと、ほかの神様の皆さんの前でってことですか?」
「そうそう。それで、有用性が実証できればよ。うるさ方も黙るし、赤鞘さんの技術のすごさも証明できるし。一石二鳥じゃん、って」
「あぁー、なるほどですねぇー」
「それでね、とりあえず一か月ぐらいでね。こんなに出来ます! っていうのをね。やってもらおうかなぁって」
むちゃくちゃだ。
言ってることがむちゃくちゃだ。
直立不動の姿勢のまま、グルファガムは細かく震えていた。
詳しい事情はよく分からないが、このままだと一か月もあの地獄の特訓染みた土地の管理方法を習わされることになりそうだということだけはわかる。
あんな曲芸みたいなマネをずっと続けられるわけがない。
技術を身に着けるよりも、頭がどうかする方が先の様な気がする。
「どうですかね、赤鞘さん。やってもらえません?」
「いえ、私の方は全然。元々、土地の管理の仕方関連でこちらに招いていただいたわけですし。全然かまわないんですが。グルファガムさんの方が、どうですかね。ご予定とかあるかもですし」
「あー、そりゃそうか」
突然、赤鞘とアンバレンスに注目され、グルファガムはビクリと体を緊張させた。
「どうかしらね。グルファガムくん自身のスキルアップにもなるし、悪い話じゃないと思うんだけど」
「はい! 不肖グルファガム、喜んで拝命させて頂きます!」
近海や津波やなんかを満遍なく司る、海関連の神様の一柱グルファガム。
彼は基本的に流されやすく、長いものには全力で巻かれていく。
あとですこぶる後悔するタイプの神なのである。
「なんてかっこしてるんだ、おまえ」
水彦のド直球な一言に、風彦は心が折れそうになった。
自分でも同じようなことを思っているだけに、余計にツライ。
ダンスレッスンの休憩がてら、風彦は風にあたろうとエンシェントドラゴンの巣から外へ出ていた。
ぽっかりと地面に空いた縦穴の底という奇怪な場所ではあるが、一応空気の流れはある。
風のガーディアンであるだけに、風彦は風に当たるのが好きなのだ。
そこに、たまさか水彦が通りがかったのである。
土彦の地下ドックとエンシェントドラゴンの巣は、地下道でつながっていた。
水彦はその道を通り、エンシェントドラゴンの巣のレストランにやってきていたのである。
専門の調理用マッドマンが配備されていることもあり、エンシェントドラゴンの巣はかなり質の高い食事を提供していた。
最近では、ガルティック傭兵団の面々にも開放されており、意外と人の出入りも多くなっている。
とはいっても、然う然う人目に触れることもないだろう。
食事時でもないし、どうせ誰も通るまい。
風彦はそう考え、すっかり油断していたのだ。
「ええと、その、はい」
風彦はもじもじと体を縮こまらせた。
今の風彦は、アイドル衣装を身に着けている。
練習ならジャージでいいと思うのだが、カリエネスの強硬な「フリフリのお洋服のおにゃのこじゃなきゃヤダ」という主張により、本番さながらの衣装を着せられていた。
太もも丸出しのミニスカートに、同じくわき丸出しの袖なしの服である。
普段ははかま姿の風彦にしてみれば、かなりの露出度の高さだ。
もっとも、世間一般から見れば、驚くようなものではない。
アインファーブルなどの都会に行けば、普通に見かけるような服装である。
ではあるのだが、何より誰あろう風彦自身が恥ずかしいと思っていた。
人がそういう格好をしているのを、どうこう言うつもりは毛頭ない。
ただ、自分がこういう格好をするのは、恥ずかしいのである。
いったいこの状況を、どう説明したものか。
しどろもどろになっている風彦だったが、そこに声をかけてくるものがあった。
「兄者! こちらにいらしていたのですか!」
土彦の声である。
助けが来た、と、風彦はパッと表情を輝かせた。
口八丁が得意な土彦ねぇなら、自分の今の格好をうまく説明してくれるだろうと考えたからだ。
なにより、土彦も先ほどまでダンスレッスンをしていたわけで、同じような格好のはずなのである。
一人でなら少々恥ずかしいが、同じ格好の姉がいるとなれば心強い。
が、予想外のことに、風彦は思わず土彦のことを二度見してしまった。
土彦はいつの間にか、いつものはかま姿に着替えていたのである。
あまりの衝撃に、風彦は戦慄した。
恐らく土彦は水彦の気配を感じ取り、素早く着替えてここにやってきたのだ。
エンシェントドラゴンの巣には、マッド・アイ・ネットワークが張り巡らされている。
土彦はそこから情報を得て、早着替えをやってのけたのだ。
なんという用意周到さだろう。
愕然としている風彦を他所に、土彦はにこにことしたいつもの笑顔で近づいてくる。
「おお。たべものをもらいにな」
「そうでしたか! 利用していただいているようで、準備した甲斐がありますとも!」
「おまえたちは、なにをしてたんだ」
「はい。歌と踊りの練習をしておりました。以前、兄者が、地下道が怖い、というようなことをおっしゃっておられましたよね」
「そういえば、そんなこともあったな」
「それを解消するために、何か楽しい音楽を作ろうと思い立ちまして。どうせなら、歌って踊れるものがよいのでは、と考えたのです」
「そうか。それなら、あぐにーたちもよろこぶかもな」
アグニーというのが、踊るのが好きな種族であった。
何か楽しいことがあったり、ご飯を食べ終わった後などは、大抵踊っている。
優先順位の比率で言うと、
逃げる>>>(越えられない壁)>>>仕事>(タックル=踊り)
といった感じだろうか。
いかに高い位置にあるのかが、わかるはずだ。
「はい! ですので、こうして衣装を用意し、歌って踊る練習をしているのです!」
「そういうことだったのか」
水彦は得心が行ったという様子で、大きくうなずいた。
踊るのは、水彦も大好きである。
もっとも水彦の場合は、きらびやかなダンスのようなものではなく、盆踊りだ。
春と秋に、豊作を祈り、その年の実りを祝うお祭りでの踊りも、勿論大好きだ。
もっともこれらの記憶は水彦自身のものではなく、赤鞘からもたらされたものであるのだが。
「それで、かぜひこはそのかっこうなのか」
どうやら水彦にも、「アイドル衣装」的な知識はあったらしい。
納得顔で、しげしげと風彦の服装を見回す。
たまらないのは、風彦である。
どんどん体を小さくするが、腕や足が出ているのは変わらない。
おのれ土彦ねぇ、自分ばっかり。
そう思って土彦に目を向ける風彦だが、返ってくるのはにこにことした笑顔だけである。
ここで文句の一つも言えればいいのだが、そんなものが言えるはずもない。
言ったところで、どうせ言い負かされて碌な目に合わないのだ。
「ん。そうだ。もんどを、またせているんだった」
思い出した、というように、水彦は小脇に抱えたかごに目をやった。
そこには、コッコ村から送られてきた新鮮な野菜が入っている。
どうやら、門土と一緒に食べるつもりのようだ。
「じゃあ、これでいく」
「はい、お気をつけて!」
「水彦にぃ、お気をつけて」
後ろを向いて歩きだそうとした水彦だったが、ふと後ろを振り返った。
「かぜひこ。よくわからんが、そういうふくそうは、さいきんはおおいのだろう。なかなか、にあっているぞ」
言い終えると、さっさと戻っていってしまう。
思わぬ言葉に、風彦はニマニマと顔を緩ませた。
かなり露出度が高くて恥ずかしいが、他人が着ていればかわいいと思うような服装だ。
似合っているといわれれば、素直にうれしい。
恥ずかしいやらうれしいやら、複雑な気持ちになっていた風彦だったが、ここで横からのチクチクと突き刺さるような視線に気が付く。
恐る恐るそちらに目を向けると、いつものにこにこした笑顔のまま、目にだけ強烈な力のこもった土彦の顔があった。
目力がスゴイ。
込められているのは、嫉妬の怒りといったところだろうか。
風彦が褒められたのが、うらやましいのだ。
自分で着替えたくせに!
などと口に出して言えたら、どんなにいいだろう。
風彦にできるのは、そっと視線を外し、気が付かないふりをすることぐらいである。
姉に対して妹というのは、無力なものなのだ。
シャルシェルス教の僧侶コウガクが“鋼鉄の”シェルブレン・グロッソと接触を図ったのには、勿論理由があった。
メテルマギトは、徹底的に閉ざされた国である。
地理的に、人工的に作られた地下空洞に本国があることが、まず大きい。
輸送国家の空港すら、古い日本の「長崎の出島」のように閉鎖された場所になっている。
世界でも極まれな「魔力自給国家」であるというのも、非常に大きい。
魔力の供給を独自技術で行っていることから、国内に一切「冒険者ギルド」が存在しないのだ。
ゆえに、ギルドの持つ情報網が通用せず、また、冒険者の出入りもない。
ほとんどの国民がエルフであるため、外部からの侵入者が大いに目立ってしまうことも、理由の一つだ。
また、エルフというのは、恐ろしく仲間意識が強い。
どんな国に住むエルフであっても、ほとんどのものがメテルマギトをこそ「本国」だと考えており、決して裏切ることがなかった。
例えば、ガルティック傭兵団の「ドクター」にしたところで、決定的にメテルマギトと対立することとなったら、そっと姿を消すだろう。
それほどに、エルフ同士の結束というのは固い。
内部から情報を売るようなものが出ることも、ありえないといってよかった。
そんなことをするぐらいなら、自らののどを掻っ切って死ぬ。
仲間を裏切るというのは、エルフにとって絶対にありえない選択なのだ。
それだけに。
メテルマギト内部の情報というのは、ほとんどが謎に包まれていた。
得られるのは、メテルマギト政府が国外向けに発信している情報程度。
それにしたところで、鮮度や正確さは、推して知るべしといったところだろう。
何しろ、情報の専門家が手を加えて、何重にもチェックされた後に出される情報である。
軍事的に意味のある情報などあるわけもなく、他国や敵対勢力を利するものが含まれるわけもない。
よしんば「そう見えた」としても、それは当然見せかけだけであり、とてものこと信用できるようなものではないのだ。
言ってしまえば、現在のところ。
メテルマギトから有用な情報を引き出すのは、どこのどんなものにも、不可能なのである。
その難易度の高さは、“罪を暴く天使”エルトヴァエルでさえ、
「あの国に入るのは大変ですよね」
と言わしめるほどなのだから、その難しさは推して知るべしといったところだろう。
それでも、ガルティック傭兵団は、わずかでもとメテルマギト内の情報を欲していた。
何しろ、彼らの依頼人はアグニー族の「コッコ村」だ。
世界で最もアグニーを「保護」しているメテルマギトのことが、無視できるはずがない。
だからどうする、といって、正直どうすることもこうすることもできない、というのが実情である。
国家やギルドがどうにもできないものを、いくら土彦の援護があるとはいえ、傭兵団一つにどうこうできるはずがないのだ。
とはいえ、何もしないというのはいかにも気持ちが悪かった。
やりようはないが、どうにかしたい。
いかにも無理難題の類である。
それでもどうにかしようと考えていたところ、ふとセルゲイがこんなことを言い出した。
「情報が入らないなら、情報を流してみちゃう?」
突拍子もない言葉にも聞こえるが、案外これは、使われることのある手法である。
こちらの情報を流すことで、相手の行動をうまく誘導。
あるいは、相手がどう動くかを観察、分析することで、相手の内情を推し量る。
よく軍記物などで見かける手法だが、似たようなことは様々なところで使われているものだ。
ただ、少々危険な手でもある。
情報を流すとき、相手に接触する必要があるし、それを逆手に取られる恐れもあるからだ。
もっとも、今回に限って言えば、危険はほとんどないといっていいかもしれない。
何しろ、こちらから流す予定なのは「見放された土地に、アグニーがいる」というような、将来的に発表される予定の情報の前出しだけだからだ。
もちろん全く危険がないというわけではないが、そのあたりは正直どうしようもないといえる。
費用対効果から見て、やる価値は十二分にあるのだ。
実は、この策にはエルトヴァエルも賛成していた。
彼女の目から見ても、成功率の高い手に映ったようなのである。
ほかの誰かならいざ知らず、“罪を暴く天使”のお墨付きだ。
この案はさっそく、実行に移されることとなった。
まぁ、もっとも。
いかにも常識人ぶった顔をしていても、「人間の愚かさを愛でる」という性癖を持つエルトヴァエルのことである。
何かしらの意図があるのかもしれないわけだが。
さて、問題になるのは、どうやって情報を流すか。
という点である。
そこでようやく出てくるのが、コウガクであった。
彼の個人的な伝手を使い、シェルブレンに情報を流そうというのである。
シェルブレンは、メテルマギト内に大きな発言力を持ちつつも、比較的穏健派であるとして知られていた。
例えば、ある他国の貴族が「(エルフ族の)奴隷が粗相をして、大変な迷惑を被ったので、懲罰を加えた」とシェルブレンの聞こえる範囲内で口にしたことがある。
その時シェルブレンは、その貴族と護衛、関係者を全員半殺しにし、装備や備品などをすべて粉砕した。
驚くべき寛大な処置である。
よしんばこれが別のメテルマギト騎士であったなら、その貴族はその場で縊り殺され、戦争に発展していただろう。
無論、当時もメテルマギト国内は「なぜ開戦しないのか」という論調になった。
それでもすぐに世論が落ち着いたのは、「あのシェルブレンが許したから」という一点によるものである。
このことからも、シェルブレンがいかに「メテルマギト内部のエルフとしては」交渉しやすい相手なのかがわかるだろう。
そんなシェルブレンにこの情報を流せば、今後のメテルマギトの行動はある程度予測しやすくなる。
様々な行動が考えられるが、まず一つだけ、間違いなくこうなるだろうと予測されることがあった。
メテルマギトによる積極的なアグニー探索、ことに「見直された土地」周辺での活動は、鈍る。
いくらメテルマギトとはいえ、いや、神に近しい「エルフ族」である彼らだからこそ、神々の意向に反する行動に出ることはありえないのだ。
今はまだ、正式に神が「アグニー族を見直された土地へ」などといったわけではない。
なので、今メテルマギトにいるアグニー達を手放すことは、ないだろう。
ただ、内々にでも「アグニー族の活動を、神様が後押ししているらしい」のであれば。
そのアグニー族に雇われて活動している者たちの妨害をすることは、「忖度して」控えるだろう。
はっきり言って、そんな状態に持っていければ、ガルティック傭兵団にとっては万々歳であった。
何しろ、超大国の一つを丸々気にしなくてよくなるのだ。
敵の四分の一ほどがいきなり減った、というような状況といっても過言ではない。
そんな事情から、今回のストロニア王国行きには、コウガクが加わることとなった。
戦闘や作戦行動には参加せず、“タイニー”“影渡り”キース・マクスウェルと会うことだけが目的である。
かなりの大仕事ではあるが、コウガクにしかできないことといえるだろう。
今回のことで一番の災難なのは、ストロニア王国といえるかもしれない。
何せ国内に、いくつもの国で逮捕状を出されているセルゲイ・ガルティック、“複数の”プライアン・ブルー、“鈴の音の”リリ・エルストラ、“タイニー”キース・マクスウェルといった面々がそろい踏みすることになるのだ。
ストロニア王国の諜報担当官が知ったら、卒倒するかもしれない。
まあ、この時期にそんな仕事に就いたことを不幸と思い、あきらめてもらうほかにない訳だが。
と、言うような事情をコッコ村で説明してくるように仰せつかったディロード・ダンフルールは、いろいろ考えた末に村長にこう伝えることにした。
「なんか色々わちゃわちゃしてますけど、うまいこと行きそうですよ」
「なるほど。大変そうですのぅ」
長老はしみじみとした表情で、大きくうなずいた。
もちろん、話の内容はよくわかっていない。
ただ、なんだかうまいこと行きそうなことはわかった。
それだけ分かれば十分なのだ。
ちなみに、今日の長老はノースリーブのシャツに、ホットパンツという服装であった。
なかなかわんぱくな服装なのだが、長老が着ているせいかどこかジェンダーレスな香りが漂っている。
日頃から太陽の下で仕事をしているのに、なぜかまっちろい肌のせいもあるのだろうか。
「今日は、わざわざそのことを伝えに来てくれたんですかのぉ。ごくろうさまでございますじゃ」
「いえ。なんか今日はもう一つ用事がありまして」
「ほう。どんなことですかのぉ」
「なんか、カーイチさんをスカウトして来いって言われてるんですよ」
「すかうと? なんに、ですかのぉ?」
「アイドルなんだそうです」
「あいどる? なんですかいのぉ、それは」
長老は不思議そうに首をひねった。
どうやら長老の知識に、アイドルというものはなかったらしい。
「なんか。なんて説明すればいいかよくわかんないんですけど。歌って踊る仕事? みたいなかんじですかね?」
「ほぉー。そういう仕事が世の中にはあるんですのぉ」
「不思議ですよねぇ。ちなみに僕ね、これが終わったらアインファーブルに行かなくちゃいけないんですよ。何か買ってくるものとかあります?」
「んー、特に思いつきませんのぉ。おお、そうじゃ。ハナコ用に、リボンを買ってきていただけませんかのぉ」
「ハナコちゃん。って、あのトロルの。あーっと。ええ。わかりました」
「すみませんのぉー。アインファーブルには、なにしにいかれるんですかいのぉ?」
「なんか、宿屋の女の子をスカウトに行くらしいです。なんかよくわかんないんですけど」
「世の中は、よくわからないことでいっぱいですからのぉ」
「ホントに。いやぁ、実に含蓄のある言葉ですねぇ」
もう、なんかずっとこの村で暮らしたいな。
そんな風に思ったディロードだったが、残念ながら叶わぬ夢である。
出してもらったお茶を一口すすり、肺いっぱいに空気を吸い込むと、特大のため息を吐き出すのであった。
予定ではキースとリムの戦い、アグニーダンスなどがあったんですが、まぁ予定は未定ということで変更になりました
次回は
ストロニア王国へ出発
コッコ村での歌とダンスお披露目会
タヌキさん、衝撃の出会い
の、三本で行けたらなぁ、と思います
さて、神越とは直接関係ないのですが、宣伝おばさせて頂ければと思います
「おっさん、異世界でダンジョンを作ることになる」
https://ncode.syosetu.com/n6433gr/
こんな新作を書いてみました
おっさんが異世界でダンジョンを作る話です
タイトルのマンマですね
良かったらよんでみてくださいまっし