十六話 「いや、なんというか。今自分の存在が忘れ去られる瞬間に似た感覚を感じまして」
まず、カモノハシを思い浮かべてもらいたい。
オーストラリアに生息する、卵を産む哺乳類であるアレだ。
そのカモノハシの前足、後ろ足両方を、鹿の足と付け替える。
生える方向は、地面と垂直だ。
しかる後、蹄をカモノハシの足。
つまり、水かきに取り替える。
大きさは、大体1m前後。
それが、「アグコッコ」の姿だった。
アグ、という響きで気が付く人もいるだろうが、アグコッコはアグニー関連の動物だ。
卵を産み、肉がおいしいアグコッコは、アグニー達にとっての「ニワトリ」なのである。
集落が襲われた際、アグコッコの殆どは攻撃や瓦礫に巻き込まれて死んでいた。
小屋の中や柵の中で飼われていたので、仕方ないだろう。
しかし、いくらかのアグコッコは、奇跡的に逃げ出すことに成功していた。
燃える家屋の間を縫い、押し寄せる敵から逃げ切り、野生動物から隠れて、罪人の森近くの平原にたどり着いていたのだ。
そのまま野性化するかに見えたアグコッコ達。
だが、彼らを見つけ、一箇所にまとめ、外敵から守る存在が居た。
アグニー達のよき隣人、カラス達だ。
森の中に来たカラス達は、実はこのアグコッコのことを知らせる為にやって来たのだ。
何故アグコッコ達を森につれてこなかったかといえば、危険だったからとしかいえない。
アグコッコは家畜種だ。
ビジュアルはキッショイものの、戦闘能力は殆ど無い。
二十羽ほど居る彼らを守りながら、森の中をアグニー達を探して動き回る。
ソレは、いくら何でも危険すぎる。
カラス達のリーダー、カーイチはそう判断したのだ。
生き残っていたほかのカラス達三羽は、このカーイチの指示でアグニー達を森の中で探し回っていた。
野生のカラスからの情報でアグニー達が森に入ったと知れたことは、カラス達にとってまさに幸運だっただろう。
夜が明け、アグコッコ達に水を飲ませる為、カーイチはアグコッコ達を水辺へと誘導し始めた。
このあたりで水を飲めるところは、川沿いしかない。
多くの動物が集まるそこは、大型肉食動物も現れる危険な場所だ。
だが、水を飲まなければアグコッコ達が干からびてしまう。
たった一羽、周りを警戒しながらアグコッコ達を誘導するカーイチ。
その耳に聞こえてきたのは、懐かしい自分の主人の声だった。
「おーい! おーーーい!!」
アグコッコの上空を飛んでいたカーイチは、すぐに声のするほうへ目を向けた。
猟師のギンが、手にした剣を大きく振っている。
飛び跳ねて、両手を振って。
その目は、間違いなくカーイチのことを捉えていた。
青空の中で自分の体の色が目立って見えることを、カーイチは良く分かっていた。
だから、大きな声を出して知らせる必要はない。
カー
一声、ギンの方を向いて鳴く。
アグコッコ達が一瞬びくりとするが、すぐに落ち着きを取り戻し水辺へ向かって歩き始めた。
カラスの声に、アグコッコ達は敏感に反応するように調教されているのだ。
きちんと水辺へ向かうのを確認し、安心したカーイチ。
再び、今度は冷静にギンのほうに目を向けた。
森の木々の間から、大きな黒いモノが出てくるのが見えた。
アグニーの長老をおんぶしたそれは、トロルのハナコだ。
カーイチは知らないことだが、他の三羽とハナコは、森の中で出会っていた。
だからハナコが無事だったことを、カーイチはこのとき初めて知ったのだ。
よかった。ハナコが居れば、アグコッコ達は無事にアグニー達のところへいける。
見れば、ハナコの掌の上には、三羽のカラスが乗っている。
アレは、カージ、カーゴ、カーシチだ。
無事に三羽とも、アグニー達のところに行き着いたのだ。
そして、無事に彼らをここにつれてきてくれた。
ほっとするのと同時に、カーイチは強烈なめまいに襲われた。
襲撃を受け、草原へ逃げて。
何とか自分の身の安全を確保してから、アグコッコを見つけた。
カーイチは、アグコッコを見つけてからずっと寝て居なかった。
夜、鳥であるカラスは目が利かない。
だから、少しでも早く危険を察知する為、一番機転が利くカーイチが耳を凝らして寝ずの番をしていたのだ。
三羽と一緒にアグコッコ達を見つけるまでは、まだ彼らもいたから気も抜けた。
だが、彼らをアグニー探しの為に出してからは、片時も気が休まるときは無かった。
だけど、もう大丈夫だ。
カーイチは心のそこから安心していた。
一緒に狩をした頼れる主人であるギンも、アグニー達の頼れる相棒であるハナコも、生き残った仲間の三羽も無事だった。
最初は足が痛くて飛ぶこともままならず、どうなる事かとひやひやした。
何とかくちばしで傷口を押さえ、血は止まったものの、今でも片足は動かなかった。
ソレが原因でアグコッコ達に怪我でもさせることになったらと心配していたが、彼らが来た以上もうその心配も無いだろう。
ああ、きっと安心したから、急に眠気が来たんだな。
カラスではあるものの、カーイチはとても賢い鳥だった。
ずっと寝て居なかったのと、怪我と、疲れが原因で、めまいが起こっているのが分かっていた。
羽から力が抜け、ゆっくりと体が降下しているのが分かった。
大して高くない所を飛んでいたが、そのまま落下したら無事ではすまない。
朦朧とする意識の中でも、カーイチは何とか翼を広げていた。
急にあさっての方向へ降りていくカーイチに、ギンが怪訝な顔をしているのが見えた。
あの心配性の主人は、もしかしたら自分を見てあんな顔をしているのかもしれない。
ならば、もう少し元気なところを見せなければ。
カーイチは何とか力を振り絞り、もう一声鳴いて見せた。
意識は、相変わらず朦朧としている。
地面に近づいたところで、羽ばたこうと翼に力を込める。
しかし、思うように体が動かない。
血が止まったものの、じゅくじゅくとしている足の傷のせいか?
カーイチの頭に、そんな考えがよぎる。
まあ、仕方ない。
アグコッコは無事だし、ギンもハナコも、カラス達も無事だ。
きっと他のアグニー達も無事に違いない。
よかった。よかった。何より、よかった。
何とか自分の仕事が終わったことに満足しながら、カーイチはゆっくりと目を閉じた。
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営業回りのサラリーマンが公園のベンチで缶コーヒーを飲んでいるときのような深いため息を吐き出し、太陽神アンバレンスはべったりと机の上につっぷした。
「はぁー。もー。最悪だよあいつらもう。な、なん、なん、なにもうあいつら。太陽に放り込んでやろうかしら」
「何でじゃっかんおねー系なん?」
「ああん?!」
急にかけられた声に、ぐるりと首だけを動かすアンバレンス。
そこにいたのは、でっかい黒縁めがねをかけた、幼女だった。
どこで調達したのか、サスペンダーで釣った半ズボンに、白ワイシャツ。
胸のところには、小学校とかで付けさせられるであろう名札が安全ピンで下がっている。
書かれている文字は、「ゴッドソング」。
妙に達筆な筆で書かれているそれは、ソレ単体で見るときほど存在感を発揮できずに居た。
さて。
なぜ、中性的な服装である彼女を、幼女と断言できるのか。
それはふわっふわの金色のくせっ毛からでも。
中性的でふわふわした感じの可愛らしい顔からでも。
小さな身長からでもなかった。
そう。
それは、白ワイシャツを押し上げ、サスペンダーを横に押しやり、本来目立つはずである名札の存在感をかき消す。
その、巨乳によるものだった。
大きく、己が己であると高々に宣言するような、巨乳。
しかし、幼女としての魅力を微塵も崩していない。
小さくコンパクトなその体型にマッチした、至極の巨乳。
それは「ロリ巨乳」と呼ばれる物の、一つの到達点の姿だった。
そんなパーフェクトロリ巨乳を前にして、アンバレンスはしこたまいやそうに顔をしかめた。
「なんだよ」
「なんだよー。なんだよとはなんだー。ほれ、おっぱいだぞ」
幼女は自分の胸を下から持ち上げると、アンバレンスに見せ付ける。
が、アンバレンスの反応はさめた物だった。
というか、コメカミに浮き出てはいけないレベルで♯的な形状の血管が浮き上がっていた。
「歌声の神カリエネス。太陽につっこんでやろうかこのガキゴラ」
「あっはっはっは! じょーだんじょーだん!」
そう。
このロリ巨乳は、アンバレンスと同じ海原と中原の神。
歌声の神・カリエネスだった。
「前も言ったけど。それまちがってね? ゴッドソングって」
「いいんだぉ。このほーがかっきーじゃん」
アンバレンスの指摘に、カリエネスは胸を張って見せる。
バイン、と胸が揺れるが、アンバレンスに別段リアクションは見られなかった。
「なんだよ。元気ねーじゃん? 中原の連中がなんかいってきたん?」
カリエネスが言う中原の連中とは、大地に近しい神々の事だ。
この世界の神は、世界の名前の通り大まかに分けて二つに大分類されている。
海原、つまり海にまつわる神々。
中原、つまり大地にまつわる神々だ。
「赤鞘ちゃんだっけ? なーんかもんくいわれたん?」
「いいや。中原の連中にそんな気合の入ったやついねぇよ。知ってるだろう? 森にしても山にしても、テメェのやり方が一番、てな」
森、山、それぞれを司る神は、何柱も存在している。
ナニナニ地域の森の神、ナニナニ山脈の神、といった具合だ。
母神が新たな世界に連れて行かなかった、今のそういった神々は、自分の管理のしかたこそ至上という考えのものが多かった。
赤鞘のことを聞いても、「ああ、そーなんだ。がんばってね」ぐらいのリアクションであった。
ソモソモ、彼らのお手本となるべくつれてこられたのが赤鞘なのだが、彼らには自分達と赤鞘が比べられているという感覚すらなかったのだ。
「ほらー。俺らって超優秀じゃん? ずっと遊んでるように見えるけどソレって仕事が一瞬で終わっちゃうからなのよねー」
彼らの言い分を要約すると、そんな感じになることが多い。
そんな彼らの管理する土地をもし赤鞘が見たとしたら、「どうしてこんなに成るまで放って置いたんだ! 手遅れだよ!」と叫ぶだろう。
だからと言って、そこが動植物の住まうことの出来ない不毛の地に成っているかと言えば、そんなことは無い。
むしろ極々普通に森林や草原、都市などが広がっている。
実はソレは、世界に満ちる「魔力」、つまり「神力」のおかげだったりする。
手を抜こうが何をしようが、ある程度さえ整ってしまえば、あとは神力を使って動植物が自分達で勝手に生きていくのだ。
とはいえ、それでいいかといえば、そのようなことは一切無い。
いうなれば今の状態は、「借金を続けて国費をまかなっている超大国」のようなものだ。
今はまだいい。
まだ多少の無理が利く。
では、ソレは何時までか?
ソレははっきり言って分からない。
だが何とかしなくてはならない。
でなければ、世界が滅ぶ。
この場合、この言葉は「人類種が死に絶える」とか、「地上が荒野になる」とか、そんなちゃちな話ではない。
文字通り、「世界が滅ぶ」のだ。
「あいつ等どもマジでバカだから。赤鞘さんの土地で実際に成果が上がるまで気が付きゃしねぇよ、自分等のだめっぷりには。文句が出るとしてソレからだろう」
「じゃあ、なんでげんなりしてりゅんりゅん?」
こてっ、っと、可愛らしく首を傾げるカリエネス。
その業界の方なら心臓を打ち抜かれそうなしぐさだが、アンバレンスにはまったくリアクションの気配はなかった。
「海原だよ。海原。水底之大神がお出ましあそばされたの。」
「うわぅお」
水底之大神とは、この世界の深海底を司る神の一柱だ。
海を通じ、世界の穢れを浄化する役割を持つ。
その力は太陽神に次ぐとされ、今この世界がぎりぎりでも成り立っているのは彼の尽力があるからとも言われる、まさしく大神の名にふさわしい神だ。
「じっちゃま、どったん?」
「それがなぁ。赤鞘さんとこ、海が近いだろう?」
「うんうん」
「赤鞘さんの土地整備を見て、何であんなことをしているのを放置しているんだって、海原の連中が騒いでるらしくてな」
「あんなことって。赤鞘ちゃんの土地管理チョーゼツ美技じゃん。始めてまだ数時間だっけ? それであれでそ?」
土地の管理が専門でないカリエネスから見ても、赤鞘の土地管理技術は異様な高さだった。
もっとも赤鞘の感覚でいえばこの世界に来る前は周りもやっていた、出来て当然の事なのだが。
「そうだよ。すげぇよあのひと。やっぱりつれてきて大正解だよ。もう、入り口を見て分かるもん。終わって無くても取っ掛かりで分かるもん、すごさが」
「ソレが何でクレームよ?」
「なんか、魔力を分散させるやり方から気に喰わなかったらしくてな。あんな物我等にかかれば、一瞬だったとかぶつくさ」
確かに、一瞬で分散自体は終わっていただろう。
そのかわり「封印された土地」はクレーターになっていたであろうが。
「ああ、あほなんだ!」
「そうだよ、アホだよ」
「でも、スンゲー文句言ってくるんじゃね?」
「それはねぇよ。連中にとったら海が一番だ。丘の上の事なんてどうでもいいんだから」
「じゃあ、なんで赤鞘さんに突っかかるのさー?」
「自分達よりも優秀そうだから」
「うっわ、っぱねぇー」
口ではそういいながらも、カリエネスはうれしそうに笑う。
そんな様子に、アンバレンスはげんなりとうなだれた。
「えー。で、なんでじっちゃまが出てくるん? あ、あれか! 若者がじっちゃまに告げ口したのか!」
「あたーりー」
水底之大神は、この世界に残された唯一にも近い古くから世界を支える優秀で力の強い神だった。
アンバレンスの信頼できる協力者であり、良き師である、といえば分かるだろうか。
そんな彼の元には、彼を慕ってたくさんの海原の神が集まる。
彼等の話を聞いて不穏な気配を察した水底之大神が、アンバレンスに警告に来たのだ。
海原の若い神々がすこし気にしているようだ、と。
「えー。でもじっちゃま警告するのはやすぎじゃね?」
「それだけ気を遣ってくれてるって事だよ。まあ、でも海原の連中は海にしか興味が無かったからな。それだけ異様なことだと思ったんだろうけど」
地表よりも、海のほうが面積が大きい。
それは、地球と、海原と中原に共通する特徴だ。
それだけに、海の神々は丘を軽視している。
にもかかわらず、少しでも丘のことを気にかけるということ自体、おかしなことなのだ。
「実際、水底先生も気にしすぎだとは思うがって言ってたけど。でもなぁ。早いんだよ。早すぎる」
「うっわ、エロイ」
「ぶっ殺すぞ。ちげぇよ。まだまだ赤鞘さんの土地管理は始まったばっかしだ。あのアホどもが優秀さに気が付くには早すぎる。ただ単に、異世界の神がいるからって文句言ってる恐れのほうがでかいんだよ。優秀だとかそうじゃないとか、そういうことでプライドを傷付けられたとかじゃなく」
「えー。プライドブレイクしちゃっていいのー?」
「おお、どんどん行ってほしいね。どんどこどんどこ。で、テメェらのくそっぷりに気が付いてほしいね」
「ひっでぇ。赤鞘ちん、いぢめられるよ?」
「ぶっちゃけ、多少いじめられてもらってもかまわねぇよ。起爆剤になるために来て貰ったんだし」
「ひっでー。アン兄さいあくー」
黒い笑顔を作るアンバレンスを見て、カリエネスはけたけたと笑う。
「実は、赤鞘たんが地上に降りたときからずっと見てたんだけどね?」
言いながら机に腰掛けるカリエネスに、アンバレンスは意外そうに眉を上げた。
「なんか、にーちゃんとかねーちゃんとかの仕事を思い出したよ」
彼女が言うにーちゃん、ねーちゃんとは、母神と一緒にこの世界を離れた神々のことだ。
「みんな、あの種族はどうだとか、あの土地はどうだとか。しょっちゅう手ぇ出したり気にしたり。今の赤鞘きゅんにそっくしだったよね?」
カリエネスもまた、アンバレンスの様に母神がこの世界に残していった神の一柱だ。
彼女の様に芸術を司る神は、優秀でも残していかれることが多かった。
新しい世界に、古い世界の美しさは要らない。
言外にそういわれているようで、暫くの間はカリエネスも腐っていたものだ。
「赤鞘さん、ああやって種とか苗とか用意してあげて、きっと道具とかも用意してあげるんだろうね。だけど、でっかい奇跡とか、でっかい知識とか、そういうのはきっと与えないんだろうね?」
「ああ、ソレはないな。この世界においての過分な干渉はしないよ。あの人上で散々、どこまでやっていいのかの線引きだけはきっちりしていったから」
天界にいる間赤鞘が頭に叩き込んでいたのは、言葉と、この世界における神が干渉していい範囲だった。
他の事も覚えようとしていたようだったが、そっちは記憶力が残念だったらしくあまり入っていないようだったが。
実際、線引きというのは微妙な物だ。
常識を学ぶのが難しいように、元々無い感覚を身に付けるというのは難しい。
それでも、赤鞘は何とかそれを覚えようとしていた。
少しでも、土地に生きる住民の住みやすい土地を作るために。
元々が村を守る守り神であり、土地神であった赤鞘だ。
元の世界で自分が手が出せず涙を飲んだことは、一度や二度ではなかったらしい。
「あっはっは! だっろうね! 見てたら分かるよ! あの人イイヒトだもんまじで!」
ケタケタと笑うカリエネス。
その様子に、アンバレンスは眉をひそめる。
「で?」
「見てたら、元気でてきたわー。まじでまじで。むかしを思い出すってあれでもないけどさ。やっぱまけてらんねぇーっしょー。気合入れなおさないとだ」
ひとしきり笑い、カリエネスはピシッと額に手を当てた。
地球式の敬礼だ。
「そんなわけで、歌声の神カリエネス。現役復帰いたしますです」
自分の力を認められず、この世界に残されたと塞ぎ込んでいた。
暗いところに閉じこもり、ただ腐っていた歌声の神カリエネス。
彼女は楽しそうに笑うと、最高神に仕事に戻ると宣言をした。
「ああ、そ。まあ、今までの分ガンバレや」
アンバレンスは肩をすくめてそういうと、机からゆっくりと身を起こした。
赤鞘が起こした影響は、悪い方向ばかりではない。
ふてくされていた、この幼い外見の神に再びやる気を起こさせてくれた。
確かな変化が、起きている。
そう実感しながら、アンバレンスはニヤリと笑みを作った。
「やだアン兄ったらわたしのきょちちみてわらった! きしょい!」
「太陽に頭からダイブさせてやろうか?」
この年の近い妹神に、こんどきっちりお行儀を教えてやろう。
自分の事を棚に上げてそんなことを考えながら、アンバレンスはごきごきと拳を鳴らすのだった。
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「えろとばえろのほうが、やわらかいな」
うつむけに地面にめり込みながら、水彦は率直な感想を口にした。
彼のおしりには、上空から落下してきたカラスが突き刺さっている。
ギンの話では、このカラスはカーイチという名前なのだそうだ。
上空を飛んでいる様子を森から見つけたとき、うれしそうにそう言っていた。
一番賢く、一番頼りに成るカラスだと。
水彦はうつむけの姿勢のまま、首をぐるりと捻る。
目に飛び込んできたのは、自分のケツにくちばしをめり込ませたカーイチの姿だ。
水で出来ている水彦の体は、非常にやわらかく、衝撃吸収性に優れている。
空から落ちてきたカラスを無傷でキャッチすることなど、簡単だ。
「なんでみんな、おれのけつをねらうんだ」
エルトヴァエルにしてもカーイチにしても、別に水彦のケツを狙っている訳ではない。
酷い言い掛かりだ。
むしろ、今回も前回も水彦が自分の体を動かし慣れていないせいで目測を誤ったことに原因がある。
ダイビングキャッチをしようとして、勢いがあまりすぎたのだ。
もっとも生後一日の彼に高度な運動能力を求めるのは酷なことかもしれないが。
水彦は体を起こすと、自分の体の上に載っているカーイチを両手で抱きかかえた。
落とさないように気をつけながら、地面に胡坐をかき、その膝の上にカーイチを乗せる。
「けがしてるな」
翼をつまみあげると、モモの部分が負傷しているのが分かった。
熱した刀で切ったような傷だ。
武芸者をしていた赤鞘の記憶から探せば何か似たようなものが見つかるかと思ったが、該当する物は無い。
ただ、見た目で厄介な物であることはすぐに理解できた。
水彦は、カーイチの首筋に手をあてがう。
目を閉じて、カーイチの体を流れる力と、水に意識を集中する。
生き物も世界の一部であり、土地の一部だ。
その気になれば、赤鞘も水彦も生き物の中に流れる力に干渉することが出来る。
「まだ、いきてる」
虫の息だが、生きてはいる。
意識も無く、心拍もほとんどない。
後ほんのわずかの時間で死んでしまうだろうが、生きてはいる。
「おまえ、からすたちで、いちばんかしこいんだってな」
昨日の夜、アグニー達が話していた。
カラス達はみんな優秀だが、一番はカーイチだ、と。
猟師であるギンが、最も頼りにしているカラスだ、と。
「まだ、いきていたいか?」
耳には聞こえていないだろう。
水彦は指先を通じて、カーイチの心と体に直接問いかける。
返事は、すぐに返ってきた。
まだ、生まれたばかりのアグコッコがいる。
アグニー達だけでは世話が出来るか心配だ。
「すこし、むりをするぞ」
水彦はカーイチの嘴をこじ開け固定すると、その上でぎゅっと握りこぶしを作った。
そのこぶしから、透明な物が滴り始める。
ソレは、水彦自身だった。
世界を満たす力を凝縮し、神の血を加えて作られた、その水彦の体を作る、水だ。
こぶしから水が滴り落ち、カーイチの口の中に入っていった。
嘴の端からこぼれたものは、羽の間をすり抜け体を伝い、傷口へと吸い寄せられるように流れていく。
するすると皮膚の上を流れる水が傷口に触れる。
その瞬間、するすると皮と肉がうごめき始めた。
見る見るうちに傷はふさがり、固まった血は皮膚へと吸い込まれていく。
半分閉じかかっていた目が、はっきりと意識を持って見開かれた。
ぱちぱちと何度か瞬きをすると、カーイチは首を持ち上げる。
さっきまでの様子がまるでうその様に、ぴょんと跳ね上がると、パタパタと羽をバタつかせ始めた。
不思議そうに自分の体を見るカーイチを見て、水彦はあまり変化の無い顔にあきれの表情の色を浮かべた。
「われながら、からすをたすけるとは」
地面にカーイチを立たせると、水彦も立ち上がる。
今朝の事だ。
カラス達が嫌にこっちに来るようにと急かすということで、ギン達は予定を変更してそちらに向かうことになった。
水彦も面白半分で付いてきたのだが、まさかこういうことに成ろうとは。
世の中、何が幸いするか分からない物だ。
「カーイチ! 水彦様!」
「ごぶじですかのぉー!」
水彦とカーイチたちのほうに走ってくる、ギンたちの姿が見えた。
カーイチの落下位置から森までは、かなり離れていた。
水彦の俊足でなければ、とてもカーイチを助けることは出来なかっただろう。
うれしそうに鳴いて、飛び立つカーイチの後ろから、水彦はのんびりと歩き始めた。
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「んん?」
見直された土地の中央付近で、赤鞘はきょろきょろと周りを見回した。
足元には、今植えられたばかりの木の苗がある。
「どうかしましたか?」
突然立ち上がった赤鞘に、エルトヴァエルは不思議そうに尋ねた。
「いや、なんというか。今自分の存在が忘れ去られる瞬間に似た感覚を感じまして」
「はぁ。たしかに、今はまだ赤鞘様の存在を知っているのはアグニー達だけですが」
首を傾げるエルトヴァエル。
「いえ、そのなんていうか、そうじゃなくって。なんていえばいいんですかねこの感覚。主人公なのに忘れられている気がですね」
「はぁ」
得体の知れない危機感を感じるものの、その感覚を上手く説明できない赤鞘だった。
アグコッコ。
一週間に五つほど卵を産み、肉もたまごも非常に美味しい。
鳴声は「わん!」
次回、ついに神様達とアグニー達違いの種族がでてきます。
まずはいぬにんげんこと、コボルトさん。
どうでもいいんですけど 犬<狼 っていう図式はちがうと思うんですよね。
狼を品種改良したのがいぬな訳ですから、狼より強い犬はいるんですよ。
ウルフハウンドとか狼を追い払うんですよ。
犬ナメンナ! イヌナメンナ!
いぬちょーつよいよまじで!
というわけで次回。
カーイチ、魂のトランスフォーム。
おじいちゃんがんばる。
赤鞘、もっと目立たない。
の、三本です。