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百六十話 「では、いただきます」

 もっと早く帰っておけばよかった。

 帰ったら絶対特別休暇を請求しよう。

 バタルーダ・ディデが「国境」と定めている領域近くで、キース・マクスウェルは激しい後悔を覚えながら、そんなことを考えていた。

 この世界「海原と中原」は、人間が地上の覇者ではない。

 危険極まる魔獣魔物が跋扈する領域を何とか切り取り、安全圏を確保している状態である。

 どこの国でも、徒に領地を広げようとはしない。

 実力以上に手を広げたところで、その土地を確保しておくことが不可能だからだ。

 野生の魔獣魔物というのは、人間以上に容赦がない。

 植物による「襲撃」も、考慮しなければならないだろう。

 なにしろ「海原と中原」の植物の中には、動物顔負けに動き回るものもいるのである。

 そのため、確実に守ることができる範囲の場所に、「国境」を設定していることが殆どであった。

 まさにその「国境」ちかくで、キースを待ち構えている人物がいたのである。


 バタルーダ・ディデの首都郊外に出たキースは、すぐさま愛機である戦車「マッチバニー」に搭乗。

 大急ぎで、国外への離脱を図った。

 急いだところで、国に帰還できるわけではない。

 次の仕事場であるストロニア王国に向かうだけというのが、地味にツライのだが。

 これも宮仕えの悲哀である。

 半ばぼーっとしながら飛行していた、その時だ。

 キースはほとんど反射的に、戦車の進行方向をほぼ直角に変化させた。

 機動力重視で設計されているマッチバニーだからこそ可能な芸当である。

 一体何事かと、キースは索敵装置に探査を指示しようとして、止めた。

 相手の正体が分かったからだ。

 先ほどまで自分がいた場所を確認するためにやった視線の先に、今まさに自分に殴り掛からんと拳を振り上げている男の姿があった。


「うっそだろっ!!」


 思わずそう口走ったキースだったが、これは「なんで人間がこんな高度で殴りかかってきてるんだ」という意味のものではない。

 意味合い的に言えば、「どうしてお前がここにいるんだ」といったところだろうか。

 実に楽し気な笑顔で拳を振り上げている男に、キースは見覚えがあったのだ。

 現在は国外にいるはずの人物。

 だからこそ、考慮に入れてなかった相手。

 バタルーダ・ディデの個人最高戦力。

 たった一人の人間であるにもかかわらず、その存在が抑止力と目されるほどに尋常ならざる力を保有するもの。

 スケイスラーの“複数の”プライアン・ブルーや、ステングレアの“蛍火の”マイン・ボマーと同格とされる男が、そこにいたのだ。


「ふっざけんなっ! っつのよ!」


 大慌てでマッチバニーを操作し、その場から離れる。

 拳の軌道から逃れる、というより、爆発寸前の危険物から少しでも距離をとろうとするような動きだ。

 実際のところは、爆発物より何倍も危険なものから少しでも離れようとしている動きである。

 振り上げられ、振り下ろされた拳から逃れるだけであれば、こんな動きをする必要はない。

 問題なのは、振り回されるのが拳だけではない、ということだ。

 やたらと甲高い、巨大な鉄塊を強引にねじ切った様な音が響く。

 キースが逃げ出したその場所を、真っ黒な何かが通り過ぎた。

 男が振り抜いた拳から、3m程度だろうか。

 その範囲を、全く真っ黒い何かが横切ったように見えた。

 キースの背中を、冷たいものが走る。

 もしあれに巻き込まれていたなら、例え戦車に守られているとはいえ、無事では済まなかっただろう。

 既に霧散して消滅してしまった先ほどの「なにか」は、あの男の能力によって作られたものであった。

 どういう理屈かは全く分からない。

 ただ、「触れたものを分解する空間」を作り出す能力。

 自分の体表面からある程度以上離れた場所には発生できないという制限はあるものの、それが例え固形物であろうが液体であろうが、原子レベルにまで分解してしまう、らしい。

 らしい、というのは、きちんと調べられたことがないからであり、調べようがないからということでもある。

 男の、その物騒極まる空間を作る技は、「プライアンケース」。

 プライアン・ブルーの「ドッペルゲンガー」と同じく、「魔法や、種族的特徴による特殊能力ではない、超能力」によるものなのだ。

 今までさまざまな実験などがされてきたらしくはあるのだが、結局分かったのは「なんだかよくわからないけど、何でもかんでもバラバラにするらしい」ということのみ。

 よくわからないものを、「よくわからない」と確認しただけであった。


「おお? 避けられた! はっはぁー! やっぱアンタぐらいじゃねぇと楽しくねぇわ! 大体今ので終わっちまうからよぉ!!」


「“影拳の”リム・ゾルリーザが何でこんなところにいるんだよ!!」


「居るに決まってるだろ、ここぁ俺の国だぞ! と、言いたいところだが、まぁ、びっくりするわなぁ!」


 空中で何とか姿勢を整えながら叫ぶキースに、“影拳の”リム・ゾルリーザはケタケタと笑い声を響かせた。

 後頭部と側頭部を刈り上げた短髪に、上半身裸。

 そんな恰好のわりに、身長は150cm前後と小柄であり、極端な童顔。

 体格もほっそりとした子供のようで、まだ二次性徴前の子供のような印象を受ける。

 だが、実際は二十代後半の、れっきとした成人男性であり。

 その体重は300kgを軽く超えている。

 種族は、間違いなく人間種であるのだが、筋肉の密度が異常なほどに高い。

 その体は肉というより、鉱物のような質量である。


「いやいや! アンタ国外にいるはずでしょ!? たしか、紛争地域に貸し出されてるはずじゃん!」


 国内最高の個人戦力が、他所へ貸し出される。

 それ自体は、全く珍しいことではなかった。

“鋼鉄の”シェルブレン・グロッソがそうだったように、大人数の軍隊を動かすよりも「安上がり」な個人戦力を貸し出すことで貸しを作るというのは、ままあることなのだ。

 もちろん、リムにもそれは当てはまる。

 というより、バタルーダ・ディデは積極的に「戦力を貸し出す」タイプの国であった。

 言ってしまえば、リムはバタルーダ・ディデ国内にいることの方が珍しい、という有様である。

 当然、その動向はメテルマギトの諜報部も掴んでいた。

 今この時期、リムは「通常通り」国内には居ないはずなのだ。


「ああ、そうだよ。クソつまんねぇー戦争にぶち込まれてイライラしてたんだけどよぉ。シェルブレンさんと紙雪斎さんが、地元で睨み合ってた、っつー話聞いてよぉ! 居ても立ってもいらんくなって、チラッとでも現場見ようと思って戻ってきたらよぉ! アンタに鉢合わせしたんだよなぁー!」


「マジかよ、なんつータイミングでっ! いいの!? 命令無視じゃないのそれ!」


「知らねぇーよ、そんなもんよぉ! チラッと見れりゃ満足なんだから、片道キップで上等だろうがぁ!」


 キースは思わず、頭を抱えた。

 どうやら国の命令を無視して戻ってきたところに、本当にたまたま偶然鉢合わせしたらしい。

 もっとも、奇跡的な確率、という類の「偶然」ではないだろう。

 元々キースが選んだ飛行ルートは、警備の穴を縫ったものであった。

 同じく、自ら内密に国に戻ろうとしていたリムが同じルートを選んだとしても、何ら不思議ではないのだ。


「あのお二方がいらっしゃってたところに居合わせらんなかったのは腹立つけどよぉ! アンタに会えたんだから、帰ってきて正解だったよなぁ!」


 ケタケタと笑うリムに、キースは冗談じゃないと顔をしかめた。

 リムという男はやたらと戦いたがりの、キースに言わせれば「ヤバい奴」であった。

 元々好戦的な性格であったが、あまりにも危険な能力を持つため、そもそもまともに戦うことができない。

 どうもリム自身は「ヒリヒリする様な危険な戦闘」というのに憧れているようなのだが、生まれ持った能力のせいでそれが出来なかった。

 何しろ、身体能力と特殊能力が異常なのである。

 只の人間族であるはずなのに、種族的限界を完全に逸脱した肉体と、それに見合った天然の戦闘センス。

 プライアンケースという超能力によらずとも、格闘技や戦闘術などといったものを覚えずとも、生まれ持ったものだけで十二分にリムは強かった。

 普通の「強い人間」がリムに戦いを挑むというのは、無手の人間が水中でシャチに戦いを挑むようなものである。

 あまりにも次元が違いすぎて、お話にならないのだ。

 自分よりも強い奴はいないのか。

 そんな絶望に似たリムの自信の鼻をへし折ったのが、“鋼鉄の”シェルブレン・グロッソであった。

 とある国際的な集まりの時、最強の一角と名高いシェルブレンに、リムは突然攻撃を仕掛けたのである。

 結果は、惨憺たるものだった。

 一方的に攻撃し続けること、二十秒。

 件の「触れたものを分解する空間」すら駆使しての攻撃を、シェルブレンは避ける事すらしなかった。

 避けることも防ぐこともせず、棒立ちのまま攻撃を受け続けたのである。

 無論、実際には何かしらの防御措置をとっていたのだろうが、とはいえリムの能力は、そもそも相手に当たりさえすれば必殺のもののはずなのだ。

 にもかかわらず、攻撃は全く通用しなかった。

 きっかり二十秒攻撃を受け続けたシェルブレンは、ため息を一つ。

 無造作にも見える腕の一振りで、リムを完全に昏倒させた。

 リムにとって、初めての経験である。

 攻撃が当たっているのに無効化されたのも、攻撃をされてそれが自分に通ったのも。

 通常であれば、リムの攻撃は当たればすべてを分解し。

 尋常ならざる肉体は、あらゆる攻撃を無効化する。

 はずにも、関わらず。


 その瞬間から、リムの人生はガラリと変わった。

 鍛錬に鍛錬を重ね、自分の能力を錬磨したのだ。

 そして、また別の国際的な集まりの場で、“紙屑の”紙雪斎に襲い掛かった。

 結果は、やはり惨憺たるものである。

 全ての攻撃を無効化された挙句、紙一枚で発動させた魔法で意識を刈り取られた。

 まだまだ上がいる。

 もっともっと、遥か高みにいる者達がいるのだ。

 その事実に、リムは歓喜した。

 以来、リムにとって“鋼鉄の”シェルブレン・グロッソと“紙屑の”紙雪斎は、尊敬の対象になっている。

 彼らに少しでも近づけるよう、より一層研鑽に励むようになっていた。

 その研鑽方法というのは、つまるところ「とにかく戦う」というものである。

 人間とは違う領域に入ってしまっているリムにとって、「人間の鍛え方」というのはほとんど役に立たないのだ。

 とはいえ、リムにとってまともに戦える相手というのは実に少ない。

 同等に戦えるとなると、リム自身と同じような立場にいるものしか居なくなってくる。

 例えば、キースとか。


「お二方が鉢合わせたって聞いてよぉ、めちゃめちゃテンション上がってんだよ! そしたらコレだもんなぁ!」


「待って待って待って! ちょっと待ってって! コッチは全然そんなつもりないからね! ただ帰りたいだけだからね! ほら、ココはお互い会わなかったことにしてさっ! ねっ!」


「そういうわけにもいかねぇなぁ? 俺ぁバタルーダ・ディデの人間で、アンタは不審者だ。どうするかなんてなぁ、決まり切ってるじゃねぇーか」


「なんでよ!? 顔見知りじゃんよ! その辺はほら、大人のアレコレでさぁ!」


 キースとリムは、顔見知りであった。

 リムがシェルブレンに襲い掛かった場に、キースも居合わせたのだ。

 その時のキースは、襲い掛かっていくリムを「かわいそうに」と思いながら眺めていた。

 たとえるなら、「俺は地球よりも強い」といって、延々海を殴り続けている奴を見た時の気分、とでもいえばいいのだろうか。

 案の定一撃で沈められ、なぜかキースが応急処置をさせられたのだが、その時からの付き合いである。

 お互い外交の場などで顔を会わせることも多いので、割と年に二回ぐらいは顔を会わせている間柄なのだ。


「知らねぇなぁ! 考えてみろや! 俺ぁこれでも国の人間だぜぇ?! 不審者が国境付近でうろちょろしてたら、問答無用でぶちのめしたって問題ねぇーだろうがぁ!」


「不審者かもしれないけど顔見知りでしょうが! そこは融通しようよ! なっ! お互い臭いものには蓋をしてさ! 絶対この借りは忘れないから! そうしよう!」


「ごちゃごちゃうるせぇ! いっただろ、今テンション上がってんだよ! 大人しく付き合って行けやぁ!!」


「人が死ぬようなもん振り回すのに、そんな気軽に付き合えるか、ばぁーか!! ちょ、マジ、おまっ、やめっ!!」


 何とか止めようとするキースだったが、リムは全く聞く耳を持っていなかった。

 こうなると、もう付き合うしかない。

 何しろ相手は楽しげに笑いながら、シャレにならない凶器を振り回してくるヤバい奴なのだ。

 逃げようとしても、そう簡単に振り切れるものではない。

 なにしろ、リムは引くほど足が速いのだ。

 初速で言えば、兎人の侍にも匹敵する様な加速を見せる。

 もちろん、最高速度で言えば、キースの方が断然早い。

 だが、スピードが乗り切るまで待ってくれるような相手ではないのだ。

 世界広しと言えども、逃げようとしているキースに足で追いつけるのは、両手の指で足りる程度の人数しかいないだろう。

 まあ、きちんとした装備をしていれば、という条件にするなら、人数は三倍ぐらいに増えるのだが。

 とにかく、こうなった以上、キースとしても本気で相手をするしかない。


「勘弁してくれよ、もぉ!」


「ひぃいいっはぁっはぁー!! そう文句たれんじゃねぇ! 俺から逃げきれたら、会わなかったことにしてやるからよぉ!!」


「ソレお前にも都合いいじゃんかよ! マジふざけんなよ!」


 車輪を回してジグザクの回避行動をとりつつ、不可視の衝撃の魔法に、避けられて当然なものの普通なら当たったら死ぬ類の射出型炸裂魔法を振りまく。

 文字通りの弾幕であり、通常であれば魔力枯渇を起こすような数の魔法の同時発動である。

 だが、キースはそれを何の問題もなく扱っていた。

 通常であれば「圧倒的な火力」と言えるような量と質だが、「鉄車輪騎士団」としては実に穏当な攻撃だといえる。

 残念ながら、その程度でどうにかなる相手ではない。

 リムが両腕を振るうと同時に、黒い空間が一閃。

 魔法は跡形もなく分解されてしまう。

 この能力は、発動した魔法も分解霧散させてしまうのだ。

 当然キースは、そんなことは百も承知である。

 だから、オトリの「消させる用」の魔法の中に、接近信管式のものを混ぜておいたのだ。

 かき消えるより先に、リムの接近に反応して爆発。

 リムの能力は爆風であろうとかき消せるのだが、それでも四方八方から押し寄せるそれへの対処には手こずるだろう。

 そう予想したのだが、残念ながら当ては外れてしまった。

 両腕を眼前に掲げ、前方にあるものをかき消しながら突っ込んできたのだ。

 慌てて避けるが、すれ違いざまその体を確認し、キースは目を丸くした。

 リムは、全身をすっぽりと「触れたものを分解する空間」で包んでいたのである。

 例え扱っている本人であろうと、あの空間に触れればただでは済まない。

 完全に分解され尽くすはずであり、そんなものの中に納まって敵に突っ込むなど。


「イカレてんのかよぉ!!」


 キースは悲鳴のような声を上げる。

 どうやらリムを満足させるのは、少々骨が折れそうな気配であった。




 エルストラ公爵家。

 二代前には王族からの降嫁もあった、ホウーリカの名門貴族である。

 現当主は宰相も務めており、国内での影響力は非常に大きい。

 その宰相閣下の妻にして、「騎士」の称号を持つ人物。


「それが、“鈴の音の”リリ・エルストラだ」


「どうしたの、改まって」


 既に共有している情報を丁寧に説明し直され、セルゲイは怪訝そうな顔で首を傾げる。

 ドクターは真剣な面持ちのまま、言葉を続けた。


「ホウーリカ国内の個人最高戦力であり、名門貴族当主の妻でもある。そんな人物が何故、王女とはいえ四女であり、王位継承には遠い位置にいるトリエア・ホウーリカに付き従っているか」


「ああ、その理由がよくわからない。ってやつね」


「そう。リリ・エルストラはかなりの実力者だ。いくら裏方の実権を握っているとはいえ、あまりにもトリエア・ホウーリカに肩入れしすぎている。まるで個人の部下であるかのような扱われ方だ」


「まぁ。そうねぇ」


 抑止力として機能しうる戦力を持っている個人というのは、特別な存在だ。

 それに命令を出す事ができる人間も、当然限られてくる。

 にもかかわらず、トリエアはまるで自分の部下だとでもいうように、リリを連れまわし、命令を下しているのだ。

 ホウーリカ側もリリ自身も、そのことについてなにも文句を言わず。

 むしろ当たり前のようになっていた。

“鈴の音の”リリ・エルストラは、トリエアの子飼いのように動き回る。

 この「業界」では有名な話ではあるのだが、その理由はよくわかっていなかった。


「なんでそんなことがまかり通るのか。いろんな連中が理由を知りたがっている。それはそうだろう。内容によっては、“鈴の音の”を退ける手掛かりになるかもしれない。あるいは、自分たち側に寝返らせることができるかも」


「皆、勤勉だねぇ」


「だが、今に至るまでその理由は出回っていない。って、評判なわけだ。まあ、実際に掴んでいるところが居たとしても、言わんだろうがな。とにかく、現時点でどこも詳しい理由は掴んでいないことになっている」


「うん。なに、それがどうかしたの?」


「少し前、エルトヴァエル様が突然資料をよこした。一緒に仕事をする相手だから、知っておきたいだろうから、と言ってな」


「つまりそれが、どうして“鈴の音の”リリ・エルストラがトリエアについてるかの理由についてだった。ってこと?」


「そういうことだ。デカくて中が透けて見えない分厚い茶封筒に、紙束だぞ。最初に見せられた時、相当年代物の資料かと思った」


「エルフに年代モノって言われるって、なんかあれだよなぁ」


 セルゲイは笑っているが、ドクターは苦い顔のままだ。


「心底驚いた。いや、天使様なわけだから、そういった情報を持っているのは当然としてだ。問題は、何故急に俺にそんなものを渡してきたのか、ということだ」


「何かしら試されてると思った。って?」


「そりゃそうだろう。相手は罪を暴く天使だぞ。慎重にもなる」


 ため息交じりに言いながら、ドクターは心底苦い顔を作る。

 あまり話に食いついているように見えないセルゲイにも、ドクターの心情はなんとなく察することができた。

 何しろ、罪を暴く天使エルトヴァエルが相手なのだ。

 審問にでもかけられているような気分になったことだろう。


「で、資料を受け取らないって答えたら、なんて言われたわけ?」


「まて。私は受け取らなかったと言ったか?」


「言ってないけど。ドクターの性格的にそうだろうな、って」


「癪に障るが、その通りだ」


 ドクターは、「今すぐに絶対に必要というものでもない」と言って断ったのだという。

 そして、「自分で調べる楽しみが減る」とも。

 もちろん、最後のセリフは冗談である。


「エルトヴァエル様は何か納得された様子で、どこか満足気にお帰りになった。まあ、きっと回答としては及第点ではあったんだろう」


「どうかねぇ。神様や天使様の考えてることなんざ、俺達にはわからんもんじゃない?」


「それは、その通りではあるだろうが」


「まぁ、気にしすぎるのもなんでしょ。普通に注意を促されたんだ、ぐらいに受け取っとけばいいんじゃない? どうせ考えすぎたってわかんないわけだし」


「そうかもしれんが。それは、少し楽観的すぎやしないか?」


「ドクターが悲観論。俺が楽観論。ちょうどいいじゃない」


「そういうモノじゃないだろう」


「気持ちはわかるけどね。考えたってしょうがないじゃない? 今は“鈴の音の”の受け入れと、次の仕事の準備に集中しないと。悩むのはそのあとってことで」


 ドクターは何か言いたげに顔をしかめる。

 だが、すぐに深いため息を吐くと、小さくうなずいた。


「それもそうだな。悩んだところで、天使様のお考えはわからん、か。下手な考え休むに似たり」


「そうそう。それに、案外ただ単に必要かなぁーっと思って持って来たんだけど。確かに調べる楽しみを奪うのはよくないし、自分と同じ趣味の人なんだな、ぐらいに思ったのかもしれんよ?」


「罪を暴く天使は情報収集癖がある。ってヤツか?」


 思わずといった様子で、ドクターは苦笑を漏らした。

 罪を暴く天使は、人の悪行を見極め神々に報告する。

 というのが、一般的な人間側の認識であった。

 ただ、中には「単に情報収集マニアなのでは」などと罰当たりなことを言う者も居るのだ。


「バカなこと言ってないで、さっさと仕事に戻るか。リリ・エルストラが来るのは、明日だろ」


「色々情報引っ張って来いって言われてるんだろうけど。大変だねぇ」


「諜報部員や密偵なんてのは、大体そんなもんだろ」


 仕事に戻っていくドクターを見て、セルゲイは軽く肩をすくめた。

 ちなみに。

 実際のところ、セルゲイが冗談で言った予想は、かなり的確なものだったのだが。

 聞いていたドクターも、言った方である当のセルゲイも、まったくそんなこととは思いもしていないのであった。




~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



 吸血鬼にもいろいろな種類がいるが、大抵の場合は弱点がある。

 銀、十字架、賛美歌、心臓に白木の杭を打つ、流れる水、等々。

 こういったものは多くの吸血鬼にとって弱点ではあるのだが、効果のほどはまちまちであった。

 じゃらじゃらシルバーアクセサリーを身に着けた吸血鬼も見たことがあるし。

 教会で神父をやっている吸血鬼もいた。

 心臓に杭を打ち込めば、人間だって死ぬ。

 流れる水にしても、鳴門海峡辺りに投げ込めば、別に弱点でなくとも大抵の吸血鬼は死ぬだろう。

 なので、タヌキは吸血鬼を駆除する場合、そういった「よくある弱点」を用いないことにしていた。

 効果が一定ではなく、結果効率が悪くなる、というのも理由の一つである。

 以前、銀の武器で吸血鬼を駆除しようとしたさい、どうも銀が効きにくい個体だったらしく、ドヤ顔で「俺にはそんなもんきかねぇーんだよ」などと言われ、凄まじく腹が立った。

 という経験も、理由の一つにはなっていたりする。

 ちなみにその時の吸血鬼は、「殺してくれ」と懇願するまでいたぶっておいた。

 最終的には望み通りにしてやったので、きっと満足してあの世に行っていることだろう。


「あの世にいるということは、私より海原と中原に近いところにいるのでは?」


 そう思うと、だんだん腹が立ってきた。

 もっと生かしておけば良かっただろうか。

 取り留めもなくそんなことを考えていたタヌキが今いるのは、高速道路のサービスエリアにある、喫茶コーナーであった。

 時刻は、午前六時を回ったところ。

 こんな時間でも営業をしているのだから、大変にありがたい。

 目の前にあるのは、お茶とおにぎり。

 日本に来て何がありがたいかといえば、米が食べられるところだろう。

 最近では海外でも出回っているのだが、やはり日本で食べる米は美味い。

 日本にいたころの赤鞘は、農耕にかかわりの深い神様であった。

 収穫後の農村を襲おうとしていた賊を、命がけで退治したことに由来しているらしい。

 当神にとってもそれはうれしいことだったらしく、終始、田んぼや作物の実り具合を気にかけていたものである。

 赤鞘がそんな風に大切にしているものであるのだから、米というのが旨いのは当然のことなのだ。

 まあ、タヌキに言わせれば、やはり一番美味しいのは、赤鞘が守護している土地で作られた米なわけだが。


「ボス、よろしいですか」


 声をかけてきたのは、車の近くで食事をしているはずの、部下の一人であった。

 十年か二十年前にどこかで拾った、ごく普通の人間である。

 死にそうになっていたのだが、多少妖力がありそうだったのと、目つきがやたらと悪かったのが気に入って拾って、技を仕込んだのだ。

 目つきが悪い人間に、悪い奴はいない。

 ついでに言うなら、髪型は一本縛りがよいだろう。

 もっと言うなら、何時もへらへらしていれば、申し分ない。

 残念ながらこの部下は、髪型は短髪だし、表情は硬く鋭いものにしているのが常なのだが。


「ボス宛に、手紙が届いたようです」


「メール? 誰からです?」


 タヌキはいささか憮然とした調子で聞いた。

 電子メールで仕事の連絡を取るというのが、タヌキは大嫌いである。

 タヌキが海外で手掛けている仕事は、命のやり取りが殆どだ。

 それを電子メールのやり取りであれこれするというのは、「手がける相手」に対して失礼だと、タヌキは考えている。

 ついでに言えば、「この手の仕事」というのは、どうしても繊細さを求められるものだ。

 依頼者との間には、僅かの認識の齟齬もあってはならない。

 メールや手紙などの文面からでは、その文面から読み取れるものしか把握することができないものだ。

 だが、「この手の仕事」で本当に重要なのは、それ以外のところに情報があったりする。

 直接顔を合わせて会話をしなければ得られないものが、必ずあるとタヌキは信じていた。

 その部分をおろそかにして死んでいった手合いを、タヌキは数多く見て生きている。

 受け取った側が見るタイミングを決められたり、証拠が残る、など、「普通の仕事」をしている分には利点が多いのは、間違いない。

 タヌキのこの習慣を、バカにするものも少なからずいる。

 まあ、そういう連中は「依頼主が言わなかった事情」などによって、早々に死んでいたりするのだが。

 兎に角、この仕事は「普通の仕事」ではなく、研ぎ澄まされた慎重さこそが貴ばれるべきなのだ。


「いえ、電子メールではなく、本物の手紙です。紙に書いた。それがその、今しがた届いたんです」


「届いた? どういうことです?」


「正直、よく分かりません。気が付いたら、これがポケットに入っていました」


 差し出されたのは、白い封筒であった。

 表面には達筆な筆文字で、「穂の尾 さまへ」と書いてある。

 ごく限られたものしか知らない名前だ。


「何かしらの術ですか?」


 相手の知らぬうちに入り込み、置手紙をしていく。

 タヌキも何度かやったことがある手法だ。

 しかし、この部下を相手にそれをするのは難しいだろうと思われる。

 タヌキが手ずから術を仕込み育てたのだ。

 元々素質もあったようで、中々の腕に仕上がっている。

 それを誤魔化したとなれば、よほどの名うてか。


「神々のどなたか。でしょうね」


 タヌキは手紙を受け取ると、中身を広げた。




 前略


 中略


 後略


 敬具


 ジョークです。

 どうも初めましてこんにちわこんばんわ、私は冗談の通じる粋でいなせな太陽神、アンバレンスと申します。

 お察しのことと思いますが、「海原と中原」という世界で最高神をやらせて頂いている、赤鞘さんのマブダチです。


 まぁ、あのぉー、色々ご説明したいことはあるんですが、なんかアレがソレしてるので、とりあえず一番重要な用件だけお伝えしようと思い、筆をとりました。

 正確にはガラス万年筆なのですが、その辺はご了承ください。


 で、本題なのですが。

 タヌキさんにこちらの世界に来ていただく件で、進展がありました。

 いろいろ事情があるんですが、ちょっと複雑で説明すると長くなるのでハショッていいますと。

 今、赤鞘さんが若い神に力の調整の仕方を教えておりまして。

 近々、その若い神が、ウルサガタ連中の前でワザマエを披露することになりまして。

 その発表会が上手く行ったら、スムーズにタヌキさんをこちらにお招きできる。

 みたいな感じです。

 なんかちょっとうまく説明できなかった気がしないでもないんですが、ニュアンスは伝わったと思います。

 うまく伝わっていないようでしたら、オオアシノトコヨミさんに詳しいことを聞いて下さい。

 何日か前に一緒に狩りしたとき、音チャ(音声チャットの略)で説明しておきましたので、多分わかっているはずです。

 あ、一応通信の秘密は神様的に保護してあるので、オンラインでも盗聴とかはないので、安心してください。

 まぁ、とにかくそんな感じで、コッチの準備はあと一か月ぐらい? かな?

 多少前後すると思いますが、二か月かからないぐらいで出来ると思います。

 いろいろ気をもんでいられると思いますので、とりあえずソレだけお伝えしたいと思い、ご連絡させて頂きました。


 あと、一緒に入れて置いたのは、この間赤鞘さんといっしょに飲んだ時に、赤鞘さんがやっていたものまねの写真です。

 タイトルは「土地神を始めたばっかりの頃の御岩様」だそうです。

 それに対して、ひたすら「だから俺その頃の御岩さんしらんちゅーの!」ってツッコミを入れるのが楽しくて、めちゃくちゃコスリまくりました。

 酒を飲んだ時のテンションって怖いですね。

 タヌキさんも気を付けてください。

 では、またいずれ。



 手紙を読み終えたタヌキは、封筒を逆さにして振った。

 手の上に落ちてきたのは、一枚の写真である。

 写っているのは、真顔のまま直立不動の姿勢をとっている赤鞘だ。


「どうしました、ボス。その、なんというか。すごくニヤ、いえ、うれしそうな顔をしていらっしゃいますが」


 タヌキは自分の頬を叩くと、表情を引き締めなおした。

 かなり強く叩いたので大きい音が響き、部下がビクリと体を跳ねさせる。


「なんでもありません。食事を終えたら、出発します。ほかの方々にも伝えておいてください」


 部下は短く了承の返事をすると、外へ向かって歩き出す。

 タヌキは今、次の仕事場に向かっている最中であった。

 車は部下に運転させているのだが、「護衛」という名目の「監視」が、車で四台ほどついてきている。

 これからいろいろ教え込む予定になっているヤマネも、その中に交じっていた。

 仕事の様子を監視されるのはあまり好きではないのだが、今回は特に嫌という気持ちにはならない。

 少し前まで、どうやって監視を撒いて仕事を終わらせるかを考えていたのだが、今なら手とり足取り実況付きで見せてやってもいい気分だった。

 タヌキはもう一度、手の中にある写真に目を落とす。

 崩れそうになる表情をひっぱたいて引き締めなおし、写真と手紙を懐にしまい込む。

 そして、改めて椅子に座りなおして、おにぎりに向かい合った。

 本当は今すぐにでも飛び出して仕事を片付けてしまいたいところだが、米をおろそかに食べることは出来ない。

 米というのは、作るのに大変な苦労を伴うものなのだ。

 必ず大切にするようにと、赤鞘が常々言っていたものである。


「では、いただきます」


 タヌキは静かに手を合わせると、少しうれしそうに口元を綻ばせながら、頭を下げた。

ただでさえ遅い更新時期が遅れてしまい、申し訳ありません


ごめんねごめんねぇー!!


はい

実は首やら脚やら腰やらが悪化して、のたうち回っておりました

読者様方には全く何のかかわりのない、作者の体調という極プライベートな事情でお待たせしてしまったこと、誠に申し訳なく思っております

まあ、思うだけで今後もあると思うんですが

ああ、石を投げないで・・・!


このペースで行くと、次回は来年になりそうですね

年に十二回更新ってどんなペースよ

月刊マンガじゃねぇぞ・・・


さて、次回は


グルファガムさん、赤鞘に扱かれる


新グループのダンスパフォーマンスを突然見せられたアグニーさん達


キース、リムと戦う


の三本です

まあ、予定は未定ですけども

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― 新着の感想 ―
[一言] > ちなみにその時の吸血鬼は、「殺してくれ」と懇願するまでいたぶっておいた。 > 最終的には望み通りにしてやったので、きっと満足してあの世に行っていることだろう。 タヌキさん怖ぇぇぇ…。
[一言] お体を大切に!!(T_T) あんちゃんに健康祈願しておきます(南無
[一言] 健康にはお気をつけください。 今回のアンちゃんのお手紙大好き
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