百四十八話 「ほら。正式な視察と遊びに来て酒飲んでるのって、扱いが違うから」
ボルワイツとミシュリーフ間で起こった戦争は、ボルワイツ勝利という形で決着がついた。
正確に言うのであれば、ミシュリーフは国としての体を保てなくなった、といったとこだろう。
まず、メテルマギトによって防衛線をこじ開けられ、首都を破壊された。
その混乱の中で、首脳陣の大半が死亡。
もはや、国家としての体制を維持することすら困難になっていた。
平時であれば、それでも何とかなったかもしれない。
しかし、実際には戦時の最中である。
ボルワイツはこの隙を逃さず、徹底した攻撃を繰り返す。
結果、ミシュリーフは文字通り壊滅し、地図上からその名を消すことになった。
開戦当初はだれも予想せず。
メテルマギトの介入が決まった瞬間、誰もが予想した通りの結末となったわけである。
おおよその下馬評を裏切っての勝利に、ボルワイツはさぞ戦勝ムードに浸っているものと思われるかもしれない。
だが、一般国民はともかく、上層部はそうも言っていられなかった。
戦勝し、占領した以上、ボルワイツはミシュリーフを平定しなければならない。
なのだが、そのための人員も、資金も、ノウハウも、ボルワイツにはすべてが不足していた。
ボルワイツ自体が取り立てて無能だ、とは言えないだろう。
そもそもにして、国家規模が違うのだ。
突然自分達の領土よりも広く、混乱の只中にある土地を治めろ、と言うのは、普通に考えれば無理難題の類といっていい。
それでも、国内の安定は急がなければならなかった。
一刻も早く治安体制を整えなければならない。
この世界には、人間以外の厄介な脅威があるのだ。
戦争のために摩耗した兵力では、万が一、人里が強力な魔獣などに襲われた場合、対処できない恐れがある。
思わぬ横やりにあって理不尽な敗戦を喫した挙句、魔獣に食われた、とあっては目も当てられない。
それを許したとなれば、ボルワイツにとってもあまりにも国家的体面が悪すぎる。
疲弊していると見られれば、他国に攻め入る隙を見せることにもつながりかねない。
事実、大きく疲弊しているボルワイツは、近く戦争が起こった場合、軍を維持することができるのか、怪しいところであった。
必死といっていい努力で、今のところは何とか持ちこたえてはいるのだが。
早晩、他国に頼ることになるだろうというのが、大方の見方であった。
この場合頼ることになる他国というのは、当然メテルマギトだ。
恐らく、メテルマギトは支援を快諾するだろう。
条件は当然、可及的速やかなエルフの保護である。
この戦争で、大きな利を得た国もあった。
輸送国家スケイスラーである。
戦争前、ミシュリーフは他の輸送国家と契約をしていた。
長い時間をかけて、十分に鼻薬を嗅がせたのだろう。
その輸送国家と王族貴族との癒着は強く、“スケイスラーの亡霊”バインケルト・スバインクーにも手の出しようがなかった。
しかし、今回の戦争の結果、ミシュリーフは有力な貴族はおろか、王族の大半も失い、ボルワイツに吸収されることとなる。
ボルワイツと契約を持ち、戦争の結末を事実上決定づけた“鉄車輪騎士団”の輸送にもかかわったスケイスラーにとっては、これ以上ない販路拡大の好機となった。
当然、スケイスラーはここにきて一気に攻勢へ打って出る。
元ミシュリーフ国土上の、陸路、空路の利用権を得る代わりに、向こう数か月分の輸送費を無料にする、と営業をかけたのだ。
戦費のかさんでいる現状と、一刻も早く国土全体に対魔獣用の防衛網を敷きたいというボルワイツの思惑と、これは見事に合致した。
また、スケイスラーは同時に、ギルドとも元ミシュリーフ領地内における優先契約を結ぶ。
元ミシュリーフ領内で最も安全かつ素早く輸送を行えるのは、現在のところスケイスラーだ、というのが売り文句だった。
これにより、スケイスラーは元ミシュリーフ領地内における最大勢力として、一気に販路の拡大に成功。
今までさんざんに煮え湯を飲まされてきたライバル輸送国家に、ついに一泡吹かせることができたのである。
バインケルトの喜びようは異常なほどで、
「結婚できたら、プライアン・ブルーを笑顔で寿退社させてやってもいい」
などと語ったほどであった。
そんな世界情勢とは全く関係なく。
コッコ村ではまたも難しい問題が持ち上がっていた。
俗にいう、「マッド・アイを合体前提でデザインするのどうなの」問題である。
アグニー達の間では、マッド・アイを思い思いの形に加工して競わせるのが流行っていた。
土彦に直接頼まれているということもあり、人気が衰える様子はない。
多くのアグニー達があれこれと試行錯誤する中で、全アグニー達に衝撃を与える作品が生み出された。
狩人のギンが作った、合体するクリーチャー型マッド・アイである。
極端に太い腕と短い脚を持ったマッド・アイを、移動に特化した形状のマッド・アイが支えて移動する、というものだ。
一体分のパワーを腕による攻撃だけに集中させたことにより、圧倒的な破壊力を得ることに成功。
移動に特化したマッド・アイの機動力も合わさり、驚くほどの強さを見せたのである。
今までなかった発想だけに、アグニー達が受けた衝撃はすさまじいものだった。
これに大きく影響を受けたのが、若者アグニー達である。
アグニーは基本的に若ければ若いほど懐古主義であり、歳をとればとるほど新しい物好きになっていく。
ゆえに、若者アグニー達のゴーレム感は「寸胴体型でプロレス」という、何時の生まれだとツッコミを入れたくなるようなものであった。
このパワーファイター思考に、二体合体というコンセプトは見事にマッチ。
若者アグニー達はこぞって「二体分の力とパワーが合わさってさいきょうにみえる」マッド・アイを作りまくったのである。
猛烈な煽りを受けたのは、リアル志向のマッド・アイを作っている老人アグニー達だ。
パワーよりもスピード、一撃の威力より手数といった設計思考のマッド・アイにとって、二体合体型はまさに脅威。
攻撃してもダメージが通らず、素早く動いて回避しようにも、二体分の処理能力を駆使されて捕まってしまう。
そうなれば軽装甲リアル志向系では、どうすることもできない。
為すすべなくやられるしかなくなってしまったのである。
このままではマズイ。
老人達は知恵を絞り、ついに打開策を見つけた。
こっちも合体してでかくすりゃいいんじゃい、と。
リアル系にも巨大ゴーレムは存在するのだ。
協議の末、老人達は協力して新型マッド・アイをロールアウトした。
移動要塞型マッド・アイ「フィールド・オブ・エルダー」である。
ちなみに、アグニー達が使っているのは日本語ではないので、「フィールド・オブ・エルダー」も別に英語というわけではない。
アグニー達から見て、そんなようなニュアンスの外国語を、日本人に分かりやすくするとこんな感じなのだ。
英語の文法的に微妙に間違ってるところも絶妙に再現した、完成度の高い異世界語翻訳ということでご理解いただきたい。
まあ、そんなことはどうでもいいとして。
この「フィールド・オブ・エルダー」、長老の畑と名付けられたマッド・アイは、何と驚異の三体合体であった。
土台となる六足歩行の半身は力強く、スピードを捨ててパワーとディフェンスに極振りした造りである。
その上に乗るのは、左右非対称な腕を持つマッド・アイだ。
片腕だけが奇妙に肥大化しており、その破壊力は容易に想像することができた。
驚くべきは、それだけではない。
太く丈夫な腕は、味方のマッド・アイを遠くへ放り投げることも可能。
つまり、カタパルトのような役目も果たしたのである。
もちろん、投石などにも対応しており、その火力は圧倒的であった。
負けじと巨大マッド・アイの制作にはいろうとした若者たちだったが、それに待ったがかかる。
中年アグニーのスパンが、このまま押し進んでいくのはよろしくないと、物言いをかけたのだ。
「デカくて硬けりゃそりゃぁ強いさ! でも、マッド・アイってそうじゃないだろ! 別のところで創意工夫すべきなんじゃないのかっ!」
これには老人達も若者達も、返す言葉が無かった。
どちらの陣営も、なんか違うな、みたいな違和感は持っていたのだ。
リアル系にしてもスーパー系にしても、このまま大きくしていけば、収拾がつかなくなる。
陣営を超えた話し合いの末、ついにアグニー達はある合意に達した。
合体は二体まで。
ある意味での、軍縮条約である。
このコッコ村始まって以来の歴史的合意は、その話し合いがもたれた場所の名前を取って「ハナコの小屋の前条約」と呼ばれることとなった。
条約締結により、「フィールド・オブ・エルダー」は封印されることとなる。
場所には、カラス達の小屋の下が選ばれた。
ちなみに解体などがされず、封印という手段がもちいられたのは、なんかその方がカッコよかったからである。
コッコ村で歴史的な出来事が起こっていたのと、ちょうど同じころ。
アインファーブルで諜報活動中であったメテルマギト所属、鉄車輪騎士団副団長“影渡り”キース・マクスウェルは、露骨に嫌そうな顔で届けられた命令書を読んでいた。
現在遂行中の任務を切り上げて、帰還しろという内容だ。
「やばいなぁ、これ。団長になんて言おう」
キールはぼやく様に言うと、頭を掻いた。
サボっている、とはいっても、通り一遍の仕事は一応こなしている。
それなりに働いて情報を拾い集め、それなりに本国に送っていた。
並の諜報員としては、上等な部類の仕事をしているといっていいだろう。
実際、いくつか新しい情報もつかんで、送り届けている。
しかし、それが“影渡り”キース・マクスウェルにとって十全な仕事かと言われれば、否というしかない。
鉄車輪騎士団の副長としてであり、諜報員としてシェルブレンに信頼されている男の腕は、並のそれとは次元が違う。
その気になれば、現在アインファーブル周辺で起きているらしい「なにか」の正体を嗅ぎつけることも、時間はかかるだろうが、可能だ。
可能ではあるのだが、キースにそれをする気は全くなかった。
「ヤバい匂いがするんだよなー。絶対触らないほうがいいんだよねぇ、こういうときって」
何か具体的な根拠があるわけではない。
キースがアインファーブルに入った瞬間に嗅ぎ取った、不味い臭いとでもいえばいいのだろうか。
足を踏み入れた瞬間、今このタイミングでここを探ってはいけないと、頭の中で最上級の警戒音が鳴り響いた。
つまるところ有体に言えば、単なる勘だ。
本当に、これといった根拠は何もない。
だが、この勘のおかげで、キースは何度も命を助けられてきた。
例えば、シェルブレンと敵対する立場に立たされそうになった時も、何やかんやあって勘だけで回避することに成功している。
その時はまったく状況を知らなかったのだが、後でその事実を知ってチビリそうになったものだ。
何度かそんなことがあって以降、キースは自分の勘を信じることにしていた。
今回はその勘が、絶対にここに無用な探りを入れるなと言ってきていたのだ。
命令書には、帰還の理由は特に書かれていない。
ただ、戻ってこいとだけ書かれている。
問題は命令を出した人物で、シェルブレン名義で発行されたものであった。
キースのことをよく知っているだけに、今の状態を単に「サボっている」とみられる恐れがある。
残念ながら日頃の行いが悪いので、そう思われても仕方ないところだ。
「どうしよう。これ、怒られるパターンのやつかなぁ」
シェルブレンは怖いので、怒られるのはうれしくない。
何かしら理由か、あるいは手柄でも持って行かないと不味いだろうか。
あるいは、自分の「勘」がやばいといっていたから、という理由で、納得してくれる可能性は。
いや、もし部下が「ヤバそうな予感がしたからサボってました」と言ったら、自分はどうするだろう。
自分なら面倒臭いから許してしまうかもしれない。
だが、普通の感覚ならまず間違いなく怒るだろう。
どんなリアクションになるかは人によって違うだろうが、「そうか、よくやった!」みたいな感じにはならないはずだ。
「触らぬ神に祟りなし、だと思うんだよなぁー」
まさに言い得て妙なのだが、この時のキースはそのことに気付くすべもない。
なにか適当な理由はないだろうか。
例えば、怪我をしたとか、そのあたりのヤツ。
「いっそ帰り際にステングレアにちょっかい出してこうかなぁー」
ステングレアがいるとわかっているところにちょこっと顔を出して、テキトウに帰ってくる。
それで、交戦とかがあって大変だったんですよ、と言う、言い訳の出汁に使う。
普通ならばまずありえない選択肢だが、今なら十分に選択の余地がある。
特に手柄もなく戻ってシェルブレン団長のご機嫌を損ねること。
ヤバい感じに好戦的な密偵集団に特に意味もなくちょっかいを出すこと。
これらを天秤にかけた場合、楽なのは圧倒的に後者である。
そのぐらいシェルブレンの不興を買うというのは、避けるべきことなのだ。
ついでに、ステングレアの妨害が酷くて、なにも見つけられなかったんですよ、などという言い訳にも使えるかもしれない。
やってみるか。
そう決めると、キースはさっそく準備を始めるのであった。
「見直された土地」の中央付近。
自分の社の近くに敷かれたブルーシートに正座しながら、赤鞘は死にそうな顔で固まっていた。
とはいえ、土地の調整をしている手は止まっていない。
そのあたりは、流石は土地神といったところだろう。
赤鞘の視線の先には、二柱の神が居た。
一柱はいつも来ている太陽神、アンバレンス。
もう一柱は、水底の御大こと、水底之大神である。
水底之大神は手にしたワンカップ酒をうまそうに飲むと、困ったような顔でため息を吐いた。
頑丈そうな体躯の、長く真っ白な顎髭を湛えた老人。
それが、水底之大神の外見である。
恐ろしいほどの威厳を湛え、見るものが思わず息を呑むような荘厳な存在感を放つ老人が安酒っぽいアイテムを持っている姿は、中々にシュールだ。
「もー、マジああいうことになるとは思わなかったわ。正味、私も全然予想外だったよね」
「ね。それは、あのー、俺も思った」
言いながら、アンバレンスは自分の半分飲みかけたワンカップ酒に、オタマでおでんの汁を注いだ。
さらにそこに、七味唐辛子を振りかける。
日本酒のだし割というヤツで、ちょっと前に日本に行ったときに覚えて帰ってきた飲み方だ。
ちなみに、おでんは何種類も同時にタネを煮ることができる、本格的な電気保温おでん鍋で煮られていた。
よくコンビニとかで見かけるやつである。
樹木の精霊達も、それをワイワイ言いながら突いていた。
どうやらそれぞれに好みが違うらしく、あれが美味しい、これが美味しいといいあっている。
「ぜったい、しらたきだね!」
「トウフ! トウフがいいんだよ!」
「もちきんちゃくの中身って、なんなの?」
そんなわちゃわちゃと騒がしい樹木の精霊達を見て、水底之大神は目を細める。
だが、やはり愁い事があるらしく、すぐに浮かない表情に戻った。
「はぁー、先走った若者って何するかわかんないわぁー」
「ホントホント。っていうか、どうしたの赤鞘さん。死にそうな顔して」
アンバレンスに声をかけられ、赤鞘はビクリと体を跳ね上げた。
「あ、いえ、その。なんで水底之大神様がここにいらっしゃるのかなぁーって。あははは」
とりあえず笑っておく。
正しい日本神の処世術である。
少し前のことだ。
突然、おでん鍋とワンカップ酒の入ったビニール袋を持ったアンバレンスと水底之大神が、「見直された土地」に押しかけてきたのである。
「おじゃましまーす」
「どうも、こんにちは。いや、久しぶりですな、赤鞘殿」
アンバレンスは慣れたのでともかく、水底之大神と言えばまさしく大神。
ザコ土地神から見れば、雲の上の存在だ。
そんな水底之大神が、今目の前でワンカップ酒を片手にギョウザ巻きを食べている。
ちなみにギョウザ巻きとは、餃子を練り物でくるんだ、おでんタネのことであった。
九州と東京の一部地域で売られているタネだそうで、これがまた美味かったりする。
まあ、そんなことはどうでもいいとして。
赤鞘と水底之大神は、初見というわけではない。
まだ赤鞘が天上界で語学などを学んでいるとき、顔を合わせたことがあるのだ。
「どうも、お久しぶりです。え、あ、そっ、っていうか、あの、アンバレンスさん」
「なんじゃらほい?」
「その、こういうのもアレなんですけども。ここってほかの神様が、なんていうか、気軽な感じで入ってOKなんでしたっけ? その、封印されてたわけですし」
「うん、いいよ。もう封印解いたわけだし」
「ええ。そんな軽い感じな」
さらりと言うアンバレンスの言葉に、赤鞘は顔を引きつらせる。
アンバレンスはワンカップ酒のだし割をうまそうにすすると、何事か難しい顔をして頷いた。
「そりゃ、封印してるときはダメよ? 封印してるわけだし。結界までアレして。でもそんな封印もすでに解けちゃっているのでございますのですよ、これが」
この世界、「海原と中原」には、基本的に土地神というものは存在していない。
ほとんどの神が自由に好きな場所に行き、それぞれの好きなことをしている。
もちろん、「好きなこと」の中には、アンバレンスのように「真面目に世界経営すること」も含まれていた。
同じ土地に留まる神もいるのだが、それはいわゆる「土地神」のように土地に根差すとか、土地そのものと同化するといったものではない。
探せばそういう変わり者もいるのだが、まぁ、それは本当に特殊な例ということになる。
とにかく。
この世界の神は基本的に、好きなところに好きなように行くのが当たり前なのだ。
「元々立ち入り禁止って状態にしてたのが異例だったわけよ。お袋、まぁ、母神が違う世界作るって出てったドタバタで、色々面倒だったから立ち入り禁止にしたわけ」
「見直された土地」が「見放された土地」だった頃。
人間や生物だけではなく、神々も一時的に立ち入り禁止ということになっていたのだ。
工事中でごちゃごちゃしてて危ないから立ち入り禁止、といったようなニュアンスである。
「じゃあ、正式にもう入っていいって宣言したんですか?」
「いや、全然。でも封印解いた後も入っちゃダメって言ってないし。入っていいとも言ってないけど」
あ、これは何やっても切り返せるヤツだ。
赤鞘は素早く、アンバレンスの意地の悪い思惑を理解した。
なんでずっと立ち入り禁止なんだ、と文句が出れば、「入っちゃいけないなんて言ってないもん」という。
誰かが立ち入ったら、「なんで勝手に入ったんだ、許可も出してないのに」と立ち回る。
言及していないがゆえに、どうとでもいえるという戦闘スタイルだ。
パワハラとかが得意な上司系の厄介なタイプが得意とする戦法で、まぁ、日本とかで時々見かける感じのヤツである。
アンバレンスには似合わない小賢しさではある、が。
恐らくそういう小技を駆使しないと、今の「海原と中原」は立ち行かないところまで来ているのだろう。
アンバレンスの苦労がしのばれ、赤鞘は複雑な気持ちになった。
「え、なんか赤鞘さんの目線がすごく温かいんだけど。何急に」
「あ、いえ、すみません。気にしないでください。あははは」
「それでだね。少々めんどくさいことになったから、こうして対策を考えようとやってきたわけだよ。ホントに、赤鞘殿を色々と面倒ごとに巻き込んでしまって。申し訳ない」
そういって、水底之大神は申し訳なさそうに頭を下げた。
瞬間、赤鞘の血の気もすさまじい勢いで下がる。
「いやいやいやいやいやいや! そんな面倒ごとだなんて! どうせ私あのまま行ってたら消滅して終わりでしたから! むしろ私の方が助けられたっていうかですね!」
「そういってもらえると助かるのだが、今後もいろいろ押し付けてしまうかと思うと、心苦しくてね」
「何をおっしゃるんですか! こうして御奉公させていただいているだけでどれだけ有り難いか!」
しばらくそんなやり取りをしていた赤鞘と水底之大神。
ひとしきり定番な感じのヤツを終えたところで、ぼちぼちとアンバレンスが本題を切り出した。
「いや、実はね。水底のとっつぁんがこの土地を視察しに来るはずだったのよ。きちんと正式視察って形で」
「あの、もういらしてる感じですけど」
「ほら。正式な視察と遊びに来て酒飲んでるのって、扱いが違うから」
お忍びで時々来ていたとしても、正式に訪問したのが初めてなら「初来訪」になるのである。
所謂政治的なアレなのだが、赤鞘は正味その辺のことが苦手だったのでよくわからなかった。
もう少し小器用なタイプだったら、赤鞘は今頃雑魚土地神にはなっていなかっただろう。
アンバレンスは、先日の会議の事を説明した。
水底之大神が華麗に正式来訪をキメて、反対意見を持つものを黙らせようとした件だ。
「ああ。そりゃ、口出ししようとする方はいないでしょうねぇー。なにしろ水底之大神様なわけですし」
この世界「海原と中原」に置いて、海とは地球がある世界以上に大きい。
何しろ、宇宙も海の一種であるからだ。
地球のある世界の宇宙は、基本的に真空である。
何もない存在しない広大な空間だ。
ところが。
「海原と中原」の世界では、宇宙は「エーテル」と呼ばれるモノで満ちている。
古き良きSF的な感じのヤツだ。
細かく説明すると長くなってしまうので、まぁ、水の親戚的なので満ちていると思ってもらえれば、大きく間違ってはいないだろう。
そんなもので満ちている場所だから、宇宙は「エーテルで出来た海」とも言えた。
となると、そこを司るのは海の神ということになる。
つまり水底之大神は「宇宙空間の何もない場所」を司る神々の頭目、ということになるのだ。
恒星や惑星などの物質や、それ以外のエネルギー的なものに関しては、当然アンバレンスの方が支配力はずっと上ではあるのだが。
それでも権限の大きな神であることは間違いない。
本来なら、赤鞘は視界に入ることすらためらわれるレベルの大神なのである。
「と、おもうじゃない? でもいたのよ。血気盛んな若者が」
「話し合いに参加しなかった、まぁ、権限の弱い若い神の何柱かがね。押しかけて来てさ。まずは自分達のようなモノが偵察に行って、失礼が無いか確認すべきだー、って言いだしたのよ」
顔をしかめながら言う水底之大神の言葉に、赤鞘は頷いた。
確かにいきなりVIPが出張るっていうのは、色々と問題はありそうなものである。
まずは事務官レベルでの交渉から、というのは、むしろ当然のことのように赤鞘には思われた。
日本でも神同士が会合などを持つ時は、まず互いの神使が入念に打ち合わせを行ったりするのだ。
「あー。まぁ、一理あるというか、なんというか」
「なのよ。そういわれると、まぁそうか。ってなっちゃってね」
「そのまま押し切られた形ですかぁー」
「向うは若いから勢いもあってさ。ガーって来られるとおじいちゃんもう、押し切られた形になってさ」
疲れた様子でため息を吐き、ワンカップ酒を呷る。
見た目荘厳な感じの老大神が安酒っぽいものを飲んでいる姿というのは、相当にシュールだ。
「あの、関係ないんですけど。アンバレンスさんと水底之大神様って微妙に似てますよね?」
言動とか素の性格とか、仕草とかがである。
だが、それはある種当然のことであった。
「まあ、言うてお袋から生まれてるからね。俺もとっつぁんも」
歳が億単位で離れていたり、生まれた神話的経緯が異なっているので「兄弟」と言うと語弊があるのだが、「血縁」のようなモノであるのは間違いない。
まして、大神同士であるから、自然過ごす時間も長くなる。
態度や言動が似通ってくるのは、ある種当然と言えるだろう。
「え? ということは、アレですか? 本当は水底之大神様がいらっしゃるはずだったんだけど、何やかんやあって若い方がいらっしゃることになった、と」
「そーなのよねー。二千だかそこらの若い連中がさー、なんか集まってわちゃわちゃ言ってくるわけよ」
「その連中が無茶をしないようにと。赤鞘殿に、まぁ、連中を教育していただければと思ってだね。打ち合わせが出来ればと思って、こうしてきたわけだよ」
二千歳で若い、とは。
打ち合わせっていうかメッチャ呑みに来ている感じがスゴイ。
様々な疑問が、赤鞘の中で反響していた。
出来れば、エルトヴァエルに丸投げしてしまいたいところである。
だが、残念ながらエルトヴァエルは今この場には居なかった。
アンバレンス達が来る前に、土彦の地下ドックへ向かったのだ。
今後の調整がどうの、という話だった。
アンバレンスと水底之大神が来ていることを知れば、飛んで帰ってくるのだろうが。
二人とも神様的な気配などを、神様パワーを使って隠しているので、まず感知することは出来ないだろう。
罪を暴く天使といえど、神様相手に太刀打ちするのは難しいのだ。
「はぁ。なるほどぉ。あははは」
今の赤鞘にできるのは、とりあえず笑っておくことだけであった。
お願いですエルトヴァエルさん、早く戻ってきて。
もう私のライフポイントはゼロよ!
赤鞘のそんな心の叫びも空しく、エルトヴァエルが戻ってくる気配は全くなかったのであった。