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百四十四話 「まあ、赤鞘様ののんびりとしたお顔は、美点でもありますし」

 ホウーリカは人種間の差別が強く、人間至上主義を国是としている。

 そのため人口は多いものの、優秀な魔法技術研究者が育ちにくく、魔法体系の発展が遅れていた。

 特徴上、非常に兵器向けの魔法体系ではあるのだが、開発は最先進国から二歩三歩遅れているといわざるを得ない。

 トリエア・ホウーリカは、そのホウーリカの第四王女である。

 非常に奇抜で尖った主義主張の持ち主であったが、恐ろしく成果を上げている人物でもあった。

 恐ろしく有能である彼女は、まだ年若いにもかかわらず、ホウーリカの裏側の仕事を任されている。

 いや、任されている、というのは正確ではないだろう。

 トリエアは自らの力で、その地位をもぎ取ったのだ。

 現国王は、彼女が四女であったことに、嘆きつつも胸をなでおろしている。

 もし彼女が第一王位継承者であったなら、ホウーリカは大きな発展を遂げていたはずだ。

 ただ、それを為すために、おそらくは歴史に影を落とすようなおぞましい方法をとるだろう。

 後に汚点を残すようなことにならなかったのは、幸いだったと考えるべきかもしれない。

 むしろ、今の状態が最も安全なのではないだろうか。

 現国王は、そう考えている。

 実際のところ、それは大きな間違いと言わざるを得ない。

 トリエアにその気があるのなら、今からでも第一王位継承者になることはできるのだ。

 要は上の兄姉が皆、身罷ればよいのである。

 それを実行しうる手段も、やってのける手腕も、トリエアは十二分に持ち合わせていた。

 実行しないのは、単に王座というものに欠片も魅力を感じていないからだ。

 ホウーリカにとっても、周辺諸国にとっても、それは幸運なことであった。

 現在のところ、トリエアの興味はもっぱら「見直された土地」に注がれている。

 元々、トリエアは神々の意思に沿うことに、強い興味関心を持っていた。

「海原と中原」において、神というのは絶対の存在だ。

 その言葉は常に正しく、実行せよと告げられたことは必ず成し遂げられなければならない。

 完了したことに対する喜びや悲しみなどはなく、ただ、そうならなければならないことが、そうならなければならないようになる。

 トリエアはそれらのことを自らの手で実行し完了した時、驚くほど平坦で穏やかな気持ちになるのだ。

 よく、勘違いしているものがいる。

 トリエアは神々の意思に沿って行動した時、とてつもない高揚感と精神的快楽を得ている、と。

 それは完全な外れではなかったが、的確ともいえないものだ。

 元々トリエアは、すさまじく感情の起伏が激しい種類の人間であった。

 喜び、怒り、哀れみ、悲しみ。

 そういった感情が、恐ろしいほどのうねりとなって常に心の中を渦巻いていた。

 自らの心を自らで制御することができない。

 トリエアにとってそれは、すさまじい恐怖であった。

 その恐怖もまた、気が狂いそうなほどの大きな起伏となってトリエアの心を揺さぶるのだ。

 自分が自分ではないような感覚。

 物心がついたころのトリエアは、焼ききれそうなほどの喜びと、怒髪天を突くような怒りと、叫びだしたくなるような憐れみと、何もかも投げ出したくなるような悲しみに、常に揺さぶられ続けていた。

 だが、ある時。

 それら全てから、ふと解放される瞬間がやってくる。

 王族であるトリエアは、天使との謁見に立ち会う機会に恵まれた。

 国同士の折衝のために現れた天使は、気まぐれだったのかトリエアを見てこう言ったのだ。


「励みなさい」


 その時トリエアは、「ああ、励めばいいのか」と、すとんと落ち着いた気持ちになった。

 言われたことを言われた通りに実行し、完遂すればいい。

 穏やかで、平坦で、落ち着いた気持ちだった。

 為すべきことを為すべきように為す。

 そこには大きな感動も、悲しみもない。

 嵐に翻弄されるばかりだった心が、落ち着いていく。

 鏡のような湖面。

 わずかなそよ風に揺れることはあっても、すぐに穏やかに静まっていく。

 トリエアが求めてやまず、ずっと得られなかったものだった。

 まさにこの時、トリエアの生き方は決まったのである。




 バタルーダ・ディデへやってきたトリエアは、どう仕事をしたものかと悩んでいた。

 今回の仕事は、アグニー族を奪還した工作員達の後始末と、逃走ほう助だ。

 逃走経路や拠点に残していった証拠の隠滅、逃走後の追っ手のかく乱等々。

 やるべきことは色々とある。

 ただ、そういった所謂王道どころは一般の工作員たちが担当しており、既に色々と手を尽くしていた。

 わざわざトリエアがこうしてやってきたのは、そういった王道どころ以外にも、何か手を打つためである。

 通り一遍のことをすればいいだけなら、トリエアが来る必要はない。

 部下に任せておけば、無難にやってのけてくれるだろう。

 その程度に優秀な人材は、そろえてある。

 だが、無難に、だけでは足りないのだ。

 必要な最低限以上の仕事を、しなけばならない。

 一分の隙もなく、任せてくださった神様や天使様が、「それでいい」と言ってくださるような仕事を。

 それを無事に成し遂げられた時、きっとトリエアは実に穏やかに気持ちになることができるだろう。

 人は、本当に素晴らしい景色を見た時、むやみに興奮したりはしないものだ。

 ただ呆然と、ため息を吐いて立ち尽くすのである。

 もっとも、トリエアにはそんな経験は、一度たりともなかった。

 広大な風景を前に、興奮し、叫び、笑い、泣いてしまう。

 凪いだ心になることができる時、本当の安らぎを得られる瞬間。

 それは、神々の意思に沿うことができたと、確信できた時のみなのである。

 トリエアは一先ず、バタルーダ・ディデについての情報を片っ端から確認していくことにした。

 あてもなく考えているだけでは、なにも思い付きそうにない。

 成り立ち、主な歴史、有名な事件、犯罪者、著名人、現在の世相、等々。

 様々な情報を、流し読みしていく。

 こういったとき、トリエアは魔法仕掛けの端末は使わない。

 紙媒体の書物や書類などを並べ、あれこれとつまみ上げながら読んでいく。

 画面媒体だと一つのものに集中するときはいいが、いくつもの物を確認したいときには少々不便だと思われた。

 歩き回ったり、首を動かしたりできるのもいい。

 体を動かすというのは、それだけで刺激になるのだ。

 今回の実行部隊が買い物をしたリストを眺めながら、移動用の乗り物を使っての無差別殺傷事件を扱った本を手にとる。

 そこで、ふとある考えが頭に浮かんだ。

 今回の仕事を完遂させるためだけなら不必要ではあるが、うまくいけば大きな利益が得られる一手。

 準備に手間もかからず、追加で必要な機材などもほぼない。

 失敗しても、仕事自体への成否への影響は皆無。

 ローリスクでハイリターン。

 だが、成功確率は低いだろう。

 普通ならばやるだけ無駄だと切り捨てる程度には、上手くいかないであろう公算が強い。

 だからこそ、トリエアにとってはやる意味もあれば意義もある。

 ほかの人間ならばまず不可能だろうが、トリエアであれば、あるいは成功させられるかもしれない。

 成功したら、どうなるだろう。

 バタルーダ・ディデの首脳部は、相当に混乱することになるはずだ。

 現場では、初期対応に致命的な遅れが生じることになるだろう。

 そうなれば、バタルーダ・ディデ側が、味方実行部隊の痕跡をたどるのは、相当に難しくなる。

 実行部隊はかなり優秀だったようで、元々証拠などはほとんど残していない。

 そこに、トリエアが思いついたことが成功すれば。

 後を追うことは、実質不可能といってよいだろう。

 やはり、やるだけの価値はある。

 もしこれが成功したなら。

 きっと、赤鞘様やエルトヴァエル様のお考えに沿う形に、事が進むだろう。

 そうなったら、どんなに素敵だろうか。

 きっとトリエアの心は、真冬の明け方、凍り付いた湖面のような静けさを得られるはずだ。

 思わず、感嘆と笑い声が漏れる。

 濁流のような感情のうねりが押し寄せてくる、のだが。

 すぐに、すっ、と落ち着きを取り戻した。

 何も、感情を揺さぶられることなどない。

 為すべきことを為して、そうあるべきことをあるべきようにするだけなのだ。

 トリエアは穏やかにほほ笑むと、早速動き始めた。




 シェルブレンを始めとする鉄車輪騎士団三名の戦車は、港の倉庫に預けられていた。

 流石に兵器である戦車を、街中に持ち込むわけにはいかない。

 所定の倉庫に、規則通りに預けておく必要があった。

 戦車には人工精霊が搭載されており、自立防衛能力を有している。

 本来なら放っておいても問題ないのだが、シェルブレンは念のために、定期的に状況確認をしに行くことにしていた。

 部下に任せてもいいのだが、どちらもこういう仕事には向いていない。

 特に危ないのは、“竜騎士”ヒューリー・バーン・クラウディウェザーだ。

 常識人そうな顔をしているが、ヒューリーは他種族に挑発されるとすぐに手が出る質であった。

 メテルマギトで生まれ育ったからか、攻撃してくる他種族に対して、いい感情を持っていないのだ。

 普段はまったくそんなことは無く、むしろ穏健といっていいほどなのだが。

 一度相手を敵対者だと認識すると、まったく躊躇なく攻撃する。

 そういった意味では、まだ“焼き討ち”リサリーゼ・ドレアクスの方が温厚だといえるだろう。

 もっともリサリーゼの方も、あまり信用はできない。

 自分が軽んじられていると判断すると、同じように武力に訴えるからだ。

 どちらも非常に危なっかしい性格ではあるが、双方ともに能力は十分以上。

 使える人材であることは、間違いなかった。

 まあ、もっともそれは荒事に関することだけであり、ちょっと兵器の様子を確認しに行くといった、こまごまとした仕事には、あまり役に立たないわけだが。

 宿泊しているホテルを出たシェルブレンは、徒歩で港へと向かった。

 移動用の乗り物を用意してもらってもよかったのだが、歩くことにする。

 ちょうど夜中であり、空に星が見えていたからだ。

 メテルマギトは、生きている植物から魔力を抽出する技術を持っていた。

 そのため、地上にはできるだけ多くの植物を配し、国民は地下で生活をしている。

 昼間は、空に疑似的な太陽が浮かぶ。

 外部から太陽光を取り込んだものを、特殊な魔法装置を使い、地下へ届けているのだ。

 夜になれば、天井には星空も映し出される。

 非常によく計算された、精緻極まる夜空だ。

 おかげで、メテルマギトの景色は、地上とほとんど変わりないものになっている。

 もし何も知らない人間がメテルマギトで過ごしたとして、そこが地下であると気が付くのは、相当に難しいことだろう。

 ただ。

 シェルブレンはどうしても、メテルマギトの星空だけは好きになれなかった。

 やはり星空は、本物の方がいい。

 なので、こうして国外にいる時は、巡回などの外出がてら、星空観察をしていた。

 ヒューリーとリサリーゼを残し、ホテルの外へ出る。

 都心部なので、随分街は明るい。

 普通の人間の目では、あまり多くの星を見ることはできないだろう。

 だが、エルフであるシェルブレンの目には、多くの星が映っていた。

 国が違えば、星空も違う。

 当たり前のことだが、新鮮な驚きがある。

 何か事件があったようで、街の中が騒がしい。

 人が多い辺りを避けて歩くと、少し遠回りになりそうだ。

 それも、たまにはいいだろう。

 シェルブレンは空港を目指し、歩き始めた。


 土産物を物色していた紙雪斎は、困惑していた。

 何軒かの店を回ったのだが、どこに行ってもやつがいるのだ。

 ばたるーくんである。

 全ての足を切断したタコに手足をくっつけたようなデザインで、紙雪斎から見ても相当に異質な形状であった。

 まず驚くべきは、切断された足の代わりと思しき手足が付いている位置だろう。

 腹の部分から生えているのである。

 タコというのは、頭足類に分類される生物である。

 八本の足が作る円形の中央に口がある、というデザインからわかるように、タコの足は頭に当たる部分に生えているのだ。

 タコの体の丸い部分は、実は内臓が詰まった腹に当たる部分なのである。

 頭足類の常識から言えば、あまりにも異質。

 一体ばたるーくんは、自分の体に起きている変化をどう思っているのだろうか。

 タコの目はヤギなどと同じで、横に広い形をしている。

 無機質な目からは、感情をうかがい知ることができなかった。

 そもそも、このばたるーくんというのは何なのだろうか。

 こういったものには、大抵伝えたいメッセージなどが込められているものである。

 例えば、名物の売り込みとかだ。

 しかしながら、このばたるーくんからは、そういったものが伝わってこない。

 ひたすら本来の八本足を切断されて、なぜか腹部に手足を増設されたタコである。

 一体何なのだ、これは。

 この辺りの名産がタコだとか、妙にタコが多い海域であるとかいうなら、まだわかる。

 だが、別にそういったこともないらしい。

 何がどうなっているのか。

 紙雪斎はどうにも気になって仕方がなかった。

 ステングレア王立魔道院筆頭という肩書からは想像しにくいが、紙雪斎は基本的にバカである。

 バカ正直バカとでもいえばいいのだろうか。

 物事を深く考察したりすることが苦手であり、あまり賢くはない。

 こういうどうでもいいことでも気になりだすと、頭にこびりついて切り替えがうまくできなくなってしまったりする。

 もちろん、任務の最中などの重要度が高い時は別なのだが、そういったことがない時は特にそうだ。

 なんだこいつ。

 どういう意図をもって作られたんだ。

 意識しだしてしまうと、もうだめだった。

 どうでもいいことだとわかっているのだが、気になって仕方ない。

 紙雪斎はばたるーくんのミニフィギュアを手に持ち、極々真剣な表情で見据えた。

 常に全力で、加減を知らない紙雪斎が真剣に見据えるというのは、戦闘と同じような緊張度をもってあたっているということだ。

 身体から漏れ出る、いわゆる殺気と呼ばれるような緊張感は、並の人間なら気絶するような圧力を持っていた。

 見かねた部下が声をかけようとした、その時。

 他の人形は無いかと視線をさまよわせた紙雪斎の目に、思わぬものが飛び込んできた。


 特別限定品 ばたるーくん絵本配布会 開催のお知らせ


 やたらカラフルなポスターが、店の中に張り付けてあった。

 絵本ということは、なにがしかの物語があるのだろう。

 もしかしたら、ばたるーくんを紹介するようなものかもしれない。

 そうでなくても、人となりぐらいは掴めるはずだ。

 いつどこでやるのかと内容を読んでみれば、なんと今日、この近くでやっているらしい。

 これは、行ってみなければならないだろう。

 その前に、このばたるーくんミニフィギュアのお会計をすまさなければならない。

 紙雪斎は猛然と、レジの方へと向かっていった。



 どんなに大きな町でも、初めてそこを訪れた人間が通る道というのはおおよそ限られている。

 そうでなくても、その人の性格をかんがみれば、おおよそ使うであろう道というのは推測する事が出来るものだ。

 いわんや、目的が分かっていれば、なおのこと。

 バタルーダ・ディデはそれなりに進んだ魔法体系を持っており、街のそこらじゅうに監視網が敷かれている。

 それなりの知識と技術さえ持っていれば、それらを傍受することも難しくない。

 ホウーリカの楽器魔法は、物品に干渉することに長けている。

 使用されている魔法体系に対する深い理解がなくとも、外部から無理矢理侵入して情報を得るといった様な技術もあった。

 トリエアはこの二つを利用して、偶然と必然を利用した方法でバタルーダ・ディデに嫌がらせをすることにしたのだ。

 その為に、この国にたまたま来ていた“鋼鉄の”と“紙くずの”を利用することにした。

 といっても、やることは簡単だ。

 二人を鉢合わせさせるのである。

 やることは、それだけだ。

 そんなことに何の意味があるのか、と思うのは、あの二人の異質さを正しく理解していない者だけだろう。

 多勢に無勢などという子供だましが通用するような、生易しい相手ではないのだ。

 あの二人はどちらも、一個人で台風やら地震やらといった、自然災害級の破壊力を持っている。

 よほど入念に準備をしたとしても、普通の人間に出来るのは命を守ることぐらいだ。

 それだって、成功しない公算の方が高い。

 有体に言って、化け物なのだ。

 戦力だけを見れば人というよりも、ドラゴンやらといったような災害級のモンスターと同じと思ったほうが、正しい理解だと言える。

 そんな化け物が、それも敵対している者同士が街中で顔を合わせたらどうなるだろう。

 圧倒的な存在というのは、ただそこにいるだけで周囲へ影響を与える。

 まして、それがお互いに手を出さないとしても、敵対者同士として睨み合っているとすれば。

 その周囲にいるものにとっては、降ってわいたような不幸というしかない。


 シェルブレン、紙雪斎とも、歩き出してからすぐに、異変に気が付いていた。

 行く先々で、ごくごくわずかに違和感を感じる。

 例えば、信号機が変わるのがごくわずかに早かったり、やたらと行列が出来ている店があって、少し遠回りする羽目になったり。

 何者かが、何かしらの干渉をしてきているような気がする。

 もっともそれは、普通の人間であれば、いや、恐らく世界中でもこの二人と似たような能力を持っているものでなければ、気が付かないであろう程の微々たる違和感だ。

 恐らく違和感の大元を探ろうとしたところで、たどりつくことは不可能だろう。

 これをやっている者は、なにかすさまじく遠回りな方法を使って、干渉してきているものと思われた。


 例えば、駅前でくしゃみをする。

 それに気を取られたある男が列車に乗り遅れ、出す予定だった発注が数分遅れた。

 発注は急ぎのものとなり、品物の移送に使われる貨物車両はいつもより急ぐことになる。

 注意がわずかに散漫になった貨物車両は、いつもなら気が付く程度の飛び出しに気が付かず、接触事故を起こす。

 事故で怪我をしたものが病院に運ばれ、その前に大手術を終えたばかりの医者が担当することに。

 患者は助かったのだが、医者は過労で帰らぬ人となった。


 今シェルブレンと紙雪斎に干渉している相手は、そういうことをやってのける相手である。

 医者の命を奪うために、そうなると見越して駅前でくしゃみをわざとするような、そういう種類の相手なのだ。

 恐ろしい才能を持った手合いである、のだが。

 まあ、世界中を見渡せば、同じような事が出来るものが、居ないではない。

 二人にとってみれば、「何度か見かけたことのある手合い」といった程度の相手である。

 奇妙なのは、敵意を感じないことだ。

 ふつうこの手合いは思い上がっていて、たいていの場合こういう事をしてくるのは、二人への敵対意識を持って事に当たっている場合が多い。

 だが、この相手からは、そういった攻撃的な意思は全く感じられなかった。

 どこか悪戯を楽しんでいるような、そんな足取りも軽くスキップをしているような気配が感じられる。

 なので、シェルブレン、紙雪斎とも、特に気にするようなことはしなかった。

 何かされていると分かっていながらも、無視をすることにしたのである。

 どうせ放っておいても害はないだろうし、今は仕事中でもない。

 目くじらを立てるほどの事でもない、と結論付けたのだ。

 恐らく相手も、それが分かっていてこんなことをしているのだろう。

 じゃれてくる相手に本気になって怒るのも、いかにも大人げない。

 シェルブレンも紙雪斎も、そんな風に考えて、ごく普通に歩いていた。

 しかし。

 ある瞬間、お互いに一気に意識が別のところへ移る。

 そして、この悪戯を仕掛けてきた相手の真意に気が付いたのだ。

 シェルブレン、紙雪斎とも、無用な混乱を避けるため、自分の膨大な力を感知されないよう、偽装を施していた。

 文字通り化け物じみた魔法能力を持つ二人であるわけだから、その偽装の精度も驚くべきものがある。

 ただ、力があるだけに、両者ともその偽装を看破する能力にも長けていた。

 膨大な力というのは、隠すのも実に難しい。

 一般人や一流どころはごまかせても、同じような化け物同士ではそう難しくもなく看破されてしまうこともよくある。

 そのシェルブレンと紙雪斎が近づいたら、どういうことが起こるのか。

 お互いの存在に早々に気が付いたシェルブレンと紙雪斎は、それと同時に悪戯を仕掛けてきたものの意図にも思い至った。

 なるほど、これをやったものは、何かしら理由があってシェルブレンと紙雪斎を、鉢合わせさせたいのだ。

 それはおそらく、外がやたらと騒がしかったことと関係あるに違いない。

 シェルブレンの頭には、ゴリラの覆面をかぶったプライアン・ブルーが。

 紙雪斎の方は、いかにも腕の立ちそうな武張った様子の兎人の姿が思い浮かんだ。

 二人とも姿を目撃したのはそれだけだが、他にもいくつか気配は感じていた。

 何かしら荒事仕事でもしていたのだろう。

 その後始末、バタルーダ・ディデの連中の目を引くために、シェルブレンと紙雪斎を引き合わせようというのだ。

 二人とも立場と現在遂行中の仕事柄、お互いに手を出すことは出来ない。

 もし顔を合わせたとしても、言葉を交わさずにらみ合う程度で終わるだろう。

 だが、それだけで十分なはずだ。

 街中で化け物同士がにらみ合っているのである。

 バタルーダ・ディデ政府としては、無視することもできない。

 何もないとはわかっていても、万が一にでも威嚇攻撃でもし合おうものなら、余波で街中にクレーターができるだろう。

 下手な手出しは当然できないが、目を離しておくわけには絶対に行かない。

 当然、多くの労力が二人のにらみ合いの場所に割かれることになる。

 二人にしてみればただ睨み合っているだけなのにもかかわらず、だ。

 これにほぼ同時に気が付いたシェルブレンと紙雪斎は、やはりほぼ同時に、同じような結論を出した。

 面白い、一つその手に乗ってやろう。

 あまりにも圧倒的な力を持ち合わせている二人は、こういったイタズラの対象にされることがほとんどなかった。

 一つ間違えばやった奴を国ごと滅ぼすような化け物相手に、そんなことをしてくるやつなどほとんどいない。

 居たとしても、相当に性根か頭のおかしいやつであり、そういう手合いは二人とも容赦なく消し飛ばしてきていた。

 しかし、今回の相手からは、二人に対しての悪意やら敵意やらは、ほとんど感じられない。

 どちらかというと、「ちょっとお二人の力をお借りしたいのですが、お付き合い願えないでしょうか?」といったような謙虚さのようなものすら感じられる。

 なにより、どちらも事前に見ていた、恐らく今回の件にかかわっているであろう人物がよかった。

 シェルブレンは、プライアン・ブルーを諜報員として剣士として、高く評価している。

 元はどこかの特殊能力開発施設で実験体として過ごしてきたらしく、普通なら根暗になりそうなところだが、恐ろしく飄々としていて心底からのアホだというところも、気に入っていた。

 紙雪斎は、兎人の侍というものに一種の共感を持っている。

 己の腕一つで生きる武人でありながら、主と定めた者のためには命を惜しまない。

 その態度はまさに、紙雪斎の目指すところでもある。

 アレが手伝いをしている手合いならば、そう悪い連中でも馬鹿でもないのだろう。

 ならば、付き合ってやるのも一興ではないか。

 お互いに任務についてる時であれば、けっして見せないような遊び心である。

 そして、大きな理由がもう一つあった。

 ただ用事で出歩いているだけなのに、なんでこっちがアイツに道を譲らなければならないのか。

 という、ごくごく単純な意地である。

 シェルブレンも紙雪斎も、さして負けず嫌いというわけではない。

 だが、以前にあった悶着で、お互いがお互いに対して相当な対抗意識を持っていた。

 自分が気が付いたという事は、当然向こうもこちらに気が付いている。

 その上で道を変える、というのは、絶対にしたくない。

 むしろ、手は出せないまでも、睨み付けてやるぐらいのことはしたいところだ。

 お互いにそう考え、まったく歩調を変えることなく歩いて行った。

 シェルブレンと紙雪斎が互いの姿を視認したのは、もう少し後のことである。

 お互い感知能力が優れているがゆえに、相当離れた距離からお互いの存在に気が付いていたのだ。

 そのうえで、お互いにまるで相手を気にも留めていないというような態度で、歩き続けていたのである。

 問題だったのは、お互いにその「何でもない」というような態度が気に食わなかった、という点だ。

 坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、のたとえではないが、いけ好かない相手がすることというのは、どんなことでも気に食わなく感じるものである。

 今はお互いに、いかにもすかした態度が気に食わない。

 直接顔が見合う距離に近づいた。二車線道路を挟んだ歩道の反対同士。

 車が行き交う道路を挟んで、シェルブレンと紙雪斎はにらみ合った。


 シェルブレンは自らを落ち着けようと、大きく息を吸う。

 以前対峙した時は、まともな武器を持ち合わせていなかった。

 だが今は、最大限の能力を発揮するために必要な、戦車シルヴリントップが近くに待機している。

 一声かければ、すぐに呼び出す事が出来るのだ。

 あの時のように後れを取ることはない。

 むしろ、倒し切ることもできるだろう。


 紙雪斎はいささか顎を引き、かぶっていた傘を押し上げた。

 前回は十全に力を振るう事が出来なかったが、今は違う。

 満足できる出来の、秘術の限りを尽くした術式を満載したコンテナを、一呼吸の間もなく呼び出す事が出来る。

 いかな“鋼鉄の”が相手とはいえ、後れを取ることはない。

 というより、そっ首貰い受けることすらできるのではないか。


 そんなことをお互いに考え、その双方の顔がこわばった。


「此奴、今なら勝てるなどと考えなかったか」


 気に食わないヤツが得意分野のことで、自分のことを侮っていると感じる。

 これほど腹の立つことというのは、少ないだろう。

 妙な察しの良さを不必要な時に発揮した二人は、ますます力を込めてにらみ合った。

 膨大な魔力を持つ者同士のにらみ合いというのは実に厄介で、物質世界に影響を及ぼす。

 具体的に言うと、周囲の空気が奇妙に振動したり、ガラスが割れたり、突然地面が抉れたり、重力バランスが崩れて物が浮かび上がったりするのだ。

 当然睨み合っている者同士は、そんな些細な事は気にも留めない。

 振り回されるのは、周りばかりである。

 そうしてにらみ合ううち、二人は自分達にいたずらを仕掛けてきた相手のことなど、すっかり頭の外へ放り出していた。

 あとで思い出すのだが、その時にはむしろ「よくぞあの時悪戯を仕掛けてくれた」と軽い感謝すら覚えることになる。

 やっぱりアイツは気に食わないと、再認識させてくれたから、というのがその理由だ。

 その後、にらみ合いはしばらく続いた。

 バタルーダ・ディデの首脳部は、この降ってわいたような事態に大わらわとなる。

 当然、アグニーを拉致した連中を追うどころではない。

 国内の重要拠点でもある港町が、吹き飛ぶか吹き飛ばないかの瀬戸際なのだ。

 逃亡した犯人の追跡は後手後手に回り、そうしている間にも、証拠となるものは次から次へと消えていく。

 結局、アグニー族拉致事件が迷宮入りとなったのは、ある種当然のことだったと言えるだろう。




 港に並ぶ倉庫の一つ。

 その中で笛を吹き続けていたトリエアは、ようやく吹き口から唇を放した。

 当然結果は時間がたたなければわからないのだが、万事うまくいったように思われる。

 わずかな変化を加えることで、大きなこと、出来事を変化させる。

 バタフライ・エフェクトとかいっただろうか。

 なんとなく意味合いが違うような気がするが、ニュアンスはそう遠くないはずだ。

 トリエアが行っていたのは、それをこちらの都合がいいように計算して発生させる、という事である。

 それも、対象の行動をリアルタイムで観察しながら。

 理屈の上では不可能ではないが、実際に実行するのはまず無理だと言われるような、曲芸のような行為だ。

 普通ならば何か月にもわたって情報を集め、万全の態勢を整えてやるようなことだろう。

 それにしたところで、成功するとは限らない。

 まして相手が、あの二人ともなれば。

 それでもうまくいくだろうという確信が、トリエアにはあった。

 理由を並べ立てればきりがないし、それを否定することも容易いだろう。

 だが、今回は実際にうまくいった。

 何より重要なのはそこである。

 成功させるために労力を割き、実際に成功した。

 現場において、それ以上に意味のある事などない。

 たらればで成功したことを論うというのは、実際に命を懸けて事に当たったもの以外に許された贅沢だと、トリエアは思っている。

 ふと聞こえた水音に、トリエアは周囲を見回した。

 地面を見ると、赤い液体が滴っている。

 顔に手をやると、どうやらそれはトリエア自身の鼻血のようだった。

 どうも、脳の演算能力が限界に来ていたらしい、

 頭に血を送りすぎて、鼻の粘膜がやられていたようだ。

 もし鼻から出血していなかったら、脳の血管あたりが千切れていたかもしれない。

 まあ、万一そんなことが起こりそうになったら、さすがに気が付くだろうが。

 なんにしても、上手くいって良かった。

 トリエアの心は一瞬、激烈な狂喜に波打つ。

 だが、それは本当に一瞬のことで、すぐにまったく無風で波ひとつない湖面のように、落ち着いていく。

 ああこれできっと、赤鞘様やエルトヴァエル様方の思われた通りになったことだろう。

 ご期待に沿った、などと驕ったことを言うつもりは毛頭ない。

 神様方がそうしろというのは当たり前のことで、それが忠実に実行されるのも、また当たり前のことなのだ。

 当たり前のことが当たり前のように起こっただけ。

 そこには大きな感動もなければ、大きな悲しみもない。

 ただ平穏があるのみ。


「ああ、なんて、なんて素晴らしいのでしょう」


 トリエアは腹の下の方から迫りあがってくるようなモノに微かに身を震わせながら、静かにため息を漏らした。




 シェルブレンと紙雪斎のにらみ合いが終わり、そのどちらも悪戯を仕掛けてきた相手に対して妙な感謝をしている頃。

 赤鞘はいつものように「見直された土地」の力の流れを整えながら、樹木の精霊達を相手にトレーディングカードゲームに興じていた。


「マジックカード、早送りスイッチ。モンスター一体を選び、疑似的に3ターン経過したものとして扱う。選択するのは、ゴブリン・ツリーLV5。ゴブリン・ツリーLV5の効果発動。一ターンに一度、ゴブリンプラントを一体召喚する」


「も、もんすたーが、いっきによんたいも?!」


「マジック発動、速攻召喚。ライフを支払って、モンスターを一体通常召喚できる。召喚するのは、暴食イイジキギヅネ。自分の場の植物族モンスターをすべて破壊し、その攻撃力と防御力の合計値を自分の能力とする。ただし、自分のターン終了ごとに、攻撃力が減退していきます」


「攻撃力が、火の精霊樹のモンスターを上回った!」


「ま、まだだっ! モンスターはたおされても、HPはのこる! 邪眼の堕天使 聖魔剣士フラジャイルは、はかいされたたーん、てふだをいちまいすてれば、ふっかつできる!」


「火のって、その辺名前だけすごい流暢に言うよね」


「確かに、まだ足りませんね。なので、墓地のモンスター効果を発動します。化石獣をゲームから除外することで、場のケモノ族モンスターの攻撃力を増強」


「な、なにぃー!」


「さらに、手札のモンスター、思いを託すウバザクラの効果発動。墓地に送ることで、場のモンスター一体の攻撃力を一ターンだけ増強」


「まだあがるの!?」


「では、暴食イイジキギヅネで攻撃! 食い意地バーストストリーム!」


「ぎゃぁあああ!!」


「あーあー。火の、トラップもマジックも使い切っちゃってるからなぁー」


「速攻でモンスター出すためのデッキだからなぁー。赤鞘様カウンター系じゃん。考えなよ」


 どうやら、赤鞘が勝った様だった。

 ぼへーっとしていて基本的に何も考えていない赤鞘だが、どういう訳かこういうゲームは得意なのである。


「さっすが赤鞘様! 三白眼で顔は迫力あるはずなのに、なぜかぼーっとしてるだけあるぜー!」


「よっ! 無迫力神様!」


「あっはっはっは。そんなに褒めても何も出ませんよぉー」


 それは褒めているのだろうか。

 隣で聞いていて何とも言えない気持ちになるエルトヴァエルだが、そっとしておくことにした。

 樹木の精霊達も赤鞘も、和やかで実に楽しそうだからだ。

 ここ最近、いろいろ立て込んでいて、忙しかった。

 無事にアグニーの一人を助け出せたことで、ようやく一息つけるだろう。

 もちろん「見直された土地」へ来るまで油断はできないが、それでもひとまず安心していいように思われる。

 何か問題が起こったとしても、すぐさま対応するための準備も、一応は整えてあった。

 水彦達が乗っている偽装船舶には、風彦も乗っている。

 全く心配ないとは言わないが、エルトヴァエルや土彦が気を引き締めてさえいればいいことである。

 赤鞘には、少し気を緩めてもらったところで、まったく問題ない。

 遊びで気晴らしでもしながら、力の流れを整える仕事に、集中してもらいたいところだ。

 赤鞘にとってその仕事は、呼吸をするのと同じ。

 それに集中してほしいというのは、つまるところ、穏やかに過ごしてほしいというのと同じようなことなのだ。


「褒めてる、んですかね?」


「まあ、赤鞘様ののんびりとしたお顔は、美点でもありますし」


「そうですかねぇー。昔は、よく狐とかに間抜けな顔だって言われたものです、よ。ん、ん?」


 突然、赤鞘が眉根を寄せた。

 基本的に目つきが鋭いので、意外と精悍な顔立ちになる。

 といっても、普段が普段なので、樹木の精霊達もエルトヴァエルも、まったく迫力は感じない。

 おそらく、何か重要な事を思い出しそうなのだろう。

 基本的にザコ神である赤鞘は、記憶力が弱い。

 覚えていたことをまったく思い出せなくなることも、珍しくなかった。

 というより、常時そんな状態である。

 覚えられない、思い出せないというのは、赤鞘にとってはデフォルトなのだ。

 樹木の精霊達は顔を寄せ合い、ごにょごにょと話し始める。

 今回は、思い出せるか、思い出せないか。

 それを対象に、賭けをしているのだ。

 むろん、アンバレンスからの悪影響である。

 それをたしなめようとエルトヴァエルが口を開きかけた、その時である。


「ああああああああああ!!!」


 ひっくり返った大声だ。

 両手で頭を抱え、身体をのけぞらせている。


「タヌキさんの事、かんっぜんにわすれてたぁああああああああ!!!」


「たぬ、だれ?」


「しらない」


 樹木の精霊達は、不思議そうに首を傾げている。

 対して、エルトヴァエルの方は驚きに目を剥いているようだ。

 どうやら、赤鞘の言葉に心当たりがあるようだ。


「これ、ちょ、どうしましょうこれぇええええ!!」


 赤鞘にしては珍しい切羽詰まったような絶叫は、「見直された土地」の青空に吸い込まれていくのであった。

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― 新着の感想 ―
[一言] もう赤鞘はんはなにか思いついたらエルトはんにすぐ伝えなはれ。 メモ書いても忘れちゃいそうだし(そもそも紙なさそうだし。アンバフォンにメモったらまず忘れるだろうし(笑) だからこそ、外部記憶装…
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