百三十八話 「矢玉ぶち込んどく?」
アグニー族のタックを、トラヴァーの施設から、黒幕である貴族所有の施設へ移送させる。
その移送中を狙い強襲し、タックを奪還。
用意してあるスケイスラーの船に飛び乗って、さっさととんずらを決め込む。
これが、作戦の大まかな全容である。
「まず手始めは、嫌がらせだな」
セルゲイは心底楽しそうにそういうと、にやりと笑った。
今回の作戦は、移送中を狙うというものであるわけだが、そのためには当然、移送させる名目が必要となった。
アグニーはトラヴァーが保護することになっており、何かしら理由がなければ貴族が引き取ることはない。
その理由というのを、作ってやる必要があるわけだ。
例えば。
トラヴァーの施設は何者かに狙われている。
このままにしておくと危ないので、もっと安全な場所に動かさなければならない。
等というのがいいだろう。
もちろん、実際に狙われている必要はない。
狙われていると思わせればいいのだ。
つまるところ、嫌がらせ、である。
「まずは定番からだね。ディロード、とりあえずカギでもカチャカチャしてやって」
「はいはい」
セルゲイに言われ、ディロードはすこぶる眠そうな顔でうなずいた。
多くの国でそうなのだが、重要な施設では魔法装置の鍵が使用されていることが多い。
実際に開錠はしないまでも、これを「開けようとした痕跡」をわざとつけて置くというのは、なかなかの嫌がらせになる。
誰だって、自分のうちの玄関前で誰かがカギを開けようとしているのが判ったら、いい気持ちはしないだろう。
「国内犯にします? それとも国外?」
国ごとに使われている魔法体系が異なるため、残った痕跡によって犯人の大まかな国籍がわかる。
逆に、わざと痕跡を残すことで、相手に偽の情報をつかませることも可能だ。
ディロードは既に、バタルーダ・ディデの魔法もある程度把握している。
ギルドの結晶魔法や、土彦が作った魔法体系なども習得しているので、それらを使ったと分かるような痕跡を残すこともできる。
セルゲイはいかにも楽しそうに、肩をすくめた。
「嫌がらせだよ? 確定的なのは少なく、混乱する情報はできるだけ多くが鉄則でしょ。どっちかなんかにしないで、盛れるだけもっとこう」
「じゃあ、国内とギルドと、オリジナルと。あと近所の国の奴もいっときます」
「なに。やる気出てきたじゃない?」
意外そうに言うセルゲイに、ディロードはげんなりした表情を向ける。
「さすがにここまで来たらねぇ。真面目にやった方が早く帰れるでしょうし。マルチナにもせっつかれますから」
「いいじゃない。いい仕事した後は休暇も楽しくなるのよ? ほかに何する?」
「矢玉ぶち込んどく?」
プライアン・ブルーの言葉に、セルゲイは「それだ」というように指を鳴らした。
古典的な手ではあるが、非常に有効だ。
こちらの意図がわからないようにやれば、特にである。
警告なのか宣戦布告なのか、本気で攻撃してきたのか、あるいは攻撃の予行演習なのか。
色々と想像させることが出来る。
嫌がらせとしてはなかなかの手だといっていい。
「じゃあ、それはアタシがやるわ。キャリン君借りるねー」
「はいっ!?」
突然首根っこをつかまれ、それまでぼうっとしていたキャリンは素っ頓狂な声を上げた。
「ぼっ、ぼくっ! なんで僕なんですか!?」
「え? 鉄砲とか撃つの得意そうだったから」
さも当然というようなプライアン・ブルーの口ぶりに、キャリンは「んなっ!?」と言葉を詰まらせた。
助けを求めるように水彦と門土の方へ顔を向けるが、残念ながらどちらも助けになりそうにない。
プライアン・ブルーの言い分に、賛成の様なのだ。
「キャリン殿はクロスボウの扱いが巧みでござるからなぁ!」
「とびどうぐは、とくいだな」
「アタシも撃てるっちゃ撃てるんですけど。やっぱ専門職に任せた方が確実だよねぇー」
肩をすくめてそういうと、プライアン・ブルーは高笑いをしながらキャリンを引きずって行った。
そんな後姿を、水彦とセルゲイはひらひらと手を振って見送る。
ディロードはプライアン・ブルーの背中に、胡乱げな視線を向けた。
「あれ、大丈夫なんですかね」
「大丈夫だろ。ショタに興味ないって言ってたし」
「しょた。ショタ? キャリン君はショタの範疇なんですかね?」
「そうじゃない?」
セルゲイに言われ、ディロードはショタというものについて考え始めた。
なんとなく顔が「突然宇宙の話をされた猫」みたいな状態になっているが、誰も気にも留めない。
「じゃ、ほかにも色々決めよっか」
そういうと、セルゲイは改めて意見を募り始める。
ある程度アイディアを抽出したところで、すぐさま行動に移ることにした。
何しろ、帰還の予定まで時間がない。
細かいところはアドリブで行こう、ということになったのだ。
まだ、特に出番のない水彦は、わずかに眉を顰め首をかしげる。
「そんなもんで、だいじょうぶなのか」
「はっはっは! 彼らはその道の練達でござろうからなぁ! だからこそ、その場でしかできぬ判断もあるのでござろう!」
「そうか。それもそうだな」
門土の言葉に、水彦は納得したようにうなずいた。
確かに、現場でしかわからないことも多いのだろう。
こういう仕事に多く従事してきた連中だろうし、そのあたりは信頼できるはずだ。
何より、エルトヴァエルが選んできた人材である。
そういう意味では、何よりも信頼できるだろう。
「どうでもいいところで、ぽんこつなんだけどな。えろとばんえろは」
水彦はエルトヴァエルが聞いたら怒りそうなことを、ぼそりとつぶやくのであった。
任されている担当にもよるが、工作員にとって大切な仕事の一つがいやがらせだ。
というのが、プライアン・ブルーの信条であった。
工作員として、プライアン・ブルーは様々な仕事に従事してきている。
何しろ、大手輸送国家であるスケイスラーに所属しているのだ。
商売敵の輸送国家へのいやがらせ等は日常茶飯事。
日常業務といってもいい。
普通、そういった仕事は、いやがらせをする側の精神もすり減らすものであった。
相手の嫌がることを積極的にするのである。
はじめのうちはそうでもないが、段々と嫌気がさしてくるものなのだ。
仕事を長くやればやるほど、そういう感情は強くなっていく。
が、ことプライアン・ブルーに関しては、まったくそんなことはなかった。
むしろ、いやがらせは大好物であり、常にやっていたいと思うほどだ。
苦悩にゆがみ、苦痛にあえぐ人々を見るたび、プライアン・ブルーはすっきりさわやかな気分になるのである。
そういう人々が恋人もちだったり、幸せな新婚家庭を持っていたりするとなおさらだ。
プライアン・ブルーにとって、そういう連中の嘆きと叫びは、最上級のコンサート会場で奏でられる極上の音楽に等しい。
朝露に濡れて朝日を浴び光輝く森の中で、美しい小鳥たちのさえずりに耳を澄ませてみれば、同じような気分になれることだろう。
恨み妬み嫉み僻みを糧にしているプライアン・ブルーにとって、この手の仕事は趣味と実益を備えているわけだ。
というわけで、一仕事終えたプライアン・ブルーは、夢見る乙女もかくやというような具合に、キラキラしていた。
「ああ。やっぱりがんばってお仕事するのって気持ちがいいわぁ」
満面の笑顔でそういう横で、キャリンはクロスボウを抱えて震えている。
セーフハウスから各々が出発してから、数時間後。
外に出ていた何名かが、用意していた移動用の乗り物の中に集まっていた。
十数名が乗り込める大型のもので、食事等が用意されている、移動拠点になっている。
その中で、小犬のように震えているキャリンを見て、セルゲイは不思議そうに目を細めた。
「何したのよ一体。かわいそうに、ふるえてるじゃんか」
「え? お仕事?」
プライアン・ブルーは相変わらずキラキラした笑顔で返した。
普段を知っているものから見れば非常に不気味か、あるいはまたぞろ変なことでもしてるんだろうな、と思うような顔である。
実際、仕事をしていたというのは嘘ではない。
高い建物の屋上に不法侵入し、そこからトラヴァーの施設を狙撃し、すぐさまその場から逃げるために、そこから飛び降りて逃走したり。
従業員を探し出して写真を撮り、それに「見張っている」というような内容の手紙を添えて、そっと引き出しの中に忍ばせたり。
小包の中に、ネジなどの金属片と、可燃性の高い粘着質なゲルと、意味深な時計と、爆発術式に似せたインチキ魔法回路を添えたものを一緒に入れて送りつけたり。
まぁ、とにかくそんなようなことをしていたのである。
今の状況においては、正しく「仕事をしていた」といっていいだろう。
ただ、その内容がちょっとキャリンの心を苛んでいるだけなのだ。
それが予想できたのだろう。
セルゲイはキャリンに顔を向けると、小さくうなずいて見せた。
「なんか。ガンバれ」
「ありがとうございます」
げっそりとした納得いかなそうな顔をしているものの、一応お礼は言う様だ。
普段、セルゲイは一人で行動するか、自分の部下と仕事をすることが多い。
こういういかにもな新人と行動するのは久しぶりなので、キャリンの様子はある意味新鮮だ。
そんなキャリンに、プライアンブルーはにやにやと笑いながら見ている。
「彼、こんな顔してるけどやることやるのよ。筋もいいし」
それに関しては、セルゲイにしてみれば特に意外でもなかった。
何しろ、エルトヴァエルがこの仕事につけた新人である。
罪を暴く天使に、見立て違いはまずないだろう。
「それで、その。進捗はどうでしょう?」
そう聞いたのは、風彦だ。
小さく体を縮こまらせて座席に座り、パックのジュースを飲んでいる。
「ぼちぼちってところですかね。まぁ、やったなりには成果は出てるみたいですよ。ね」
「ええ? あ、はい」
セルゲイに話を振られ、アイスキャンディーを咥えていたディロードはやる気なさげに頷いた。
膝にのせていたギルド製の端末を開くと、画面を風彦の方へと向ける。
「一応、トラヴァーさん宅が使ってる警備会社の中央演算用の魔法装置に侵入して、そこから内部の映像を引っ張ってきてます」
「そういうのってその、すごく難しいのでは」
画面に分割で映し出されるトラヴァーの施設の内部映像を見て、風彦は驚いたように目を見開いた。
通常、企業などが使うそういった類の魔法装置は、内部からも外部からも侵入がしにくくなっている。
機密情報の塊であるだけに、どこも全力を挙げて守っているといっていい。
この戦国乱世の様な世界では、それを怠ればあっという間に他の企業、場合によっては国に出し抜かれてしまうもの。
どの国も企業も、その手のことに関しては文字通り必死だ。
その画面の中に、スーツを着た女性のような姿が現れた。
ディロード付きの人工精霊である、マルチナだ。
「確かに通常難しくはありますが、主はそういったことに関してだけは天才的な能力を発揮します。その他に関しては呼吸をすることすら苦手ですので、バランスはとれているものかと」
「あまりにもヒドイ。え? なんでマルチナさん、そんな画面の中に?」
「いつもの姿で外に出ると、狭苦しいですから」
なるほど、と、風彦は納得したようにうなずいた。
乗り物はそれなりに広いが、公道を走る関係上、サイズには限界がある。
空中に浮いた状態で姿を現すマルチナにとっては、確かに手狭だろう。
「それに、リアルタイムで情報を引き出すには、端末の中にいたほうがいろいろと都合もよろしいですので」
「マルチナさんがお仕事されてるんですか? えっと、ディロードさんは?」
「主はどういった情報が必要かといったような機転がまるで利きませんので、難しいことが終わった後は私が引き継いだ方が早いのです。いつもであれば惰弱な精神を鍛える意味でも無理矢理やらせるのですが、今回は状況が状況ですので」
「え? やっぱりそうだったの?」
マルチナの言葉にディロードが驚いたような顔をしているが、誰も気にも留めない。
慣れたものである。
「様々な工作を仕掛けましたので、トラヴァー氏の施設職員はずいぶん混乱しているようです。もっとも、最高責任者であるトラヴァー氏本人は状況を理解していますので、機能不全が起きている様子は全くありません」
「優秀な方なんですね。プライアン・ブルーさんが色々やっていらしたようなので、やりすぎていないか不安だったんですが」
「この国における奴隷商は、主力産業といってもよい分野です。国内での扱いもよいですし、様々な優遇を受けています。ですがその分、妬みなども買いますし、同業者間での足の引っ張り合いも過激です」
主力産業が奴隷というのはかなり不穏当に聞こえるが、実際のところはそうでもない。
奴隷になるのは犯罪者がほとんどだし、ある程度の規則規定さえ守っていれば、一定の権利などは保証される。
アンバレンスが思わず「ブラック企業の社畜よりよっぽど人間的な労働環境ですわぁ」と漏らしてしまう程度には、不当な扱いを受けることはない。
そんな奴隷産業は非常に大きな利益を生み出しており、当然競争も激しかった。
同業者間ではもちろん、別の関連企業からの攻撃なども多い。
そのあたりを取り締まる法律は当然バタルーダ・ディデにもあるのだが、こういったものは見つかりさえしなければ何をしてもよいのだ。
「その中を勝ち抜いている方ですから、相応には優秀です」
「はぁ、なるほど。それで、タックさんはうまく移送されそうなんですか?」
「少し前に、トラヴァー氏が件の貴族に泣きつき、状況を確認するための人員が派遣されました。現在、調査をしている段階です。その結果とトラヴァー氏からの供述を踏まえて、今後のことを貴族が決定するものと予想されます」
「うまく行きますかね?」
風彦は、セルゲイの方を向いて尋ねた。
今回の仕切りを任されているのはセルゲイであり、こういった仕事に関しては経験も実績もある。
セルゲイは、軽く肩をすくめて見せた。
「大丈夫じゃない? トラヴァー氏にとっても死活問題だろうし?」
「そうそう。人間必死になると、案外思わぬ力を発揮するもんだしね」
聞いていたプライアン・ブルーは、腕を組んでもっともらしくうなずいた。
そして、「あっ」と何か思い出したような声を出すと、懐から棒付きキャンディーを引っ張り出し、風彦の前に突き出す。
「あめちゃん、どーぞ」
「あめ、え? なんでです?」
「え? ああ。なんか水彦さんにあげたら、風彦さんにもあげてくれっていわれて。なんか、甘いの好きだからとかなんとか」
確かに風彦は、甘いものが好きだった。
水彦はどうやら、それを覚えていたらしい。
「ええっと、その、ありがとうございます」
そもそもどうして水彦に飴を上げようと思ったのか、なんで唐突に思い出したのか、といった疑問が風彦の頭に浮かんだが、とりあえず横に追いやった。
甘いものは好きだし、水彦がそれを覚えていてくれたこともうれしい。
キャンディーを受け取った風彦は、それを大切に懐へしまい込んだ。
あとでゆっくり食べるつもりである。
そんな様子を見ていたセルゲイが、胡乱げな顔をプライアン・ブルーに向けた。
「それ、トラヴァー氏の部屋にあった奴じゃない?」
「そうだよ。だからトラヴァー氏つながりで存在を思い出してさ」
とりあえず聞かなかったことにして、水彦の気持ちの部分だけを有り難くいただこうと思った風彦であった。
性格はアレだが、仕事面に関してだけは、プライアン・ブルーは優秀であった。
そのせいで余計に婚期を逃しているのだが、まぁ、それはそれである。
ともかく。
いやがらせに次ぐいやがらせで、トラヴァーの施設は運営に支障が出始めていた。
セルゲイ達の手によるいやがらせは実に的確で、施設の機能を着実に削っていっていたのだ。
トラヴァーはよきタイミングを見計らい、件の貴族に泣きついた。
どうもいつものいやがらせとは感じが違う。
もしかして、アグニーのことを探られているのかもしれない。
そう伝えると、貴族はその日のうちに調査員を派遣してきた。
さすがに、アグニーに関することでは、動きが早い。
現状、世界でも有数の爆弾案件だということを、貴族もよくよく理解しているのだろう。
ならそもそも捕まえてこなきゃいいのに、などと思うトラヴァーだったが、考えても詮無いことである。
派遣された調査員は、はじめ、あまり事を深刻にとらえていなかった。
どうせ勘違いか、アグニーを抱え込んだ緊張から大げさに物事を感じているだけだろう、と、踏んでいたのである。
ところが現状を見て、すぐに考えが変わった。
国務に携わり、様々な現場に立ち会ってきた経験豊富な調査員の目から見ても、状況は切迫しているように見えたのだ。
まず間違いなく、どこかの工作員か、あるいはそれに類するような連中が、いやがらせに偽装した偵察をしている。
調査員は状況を見て、そう判断したのである。
実際にはこの判断は間違っているわけだが、あながちそうとも言い切れない部分もあった。
なにしろセルゲイ達は、実際にそのつもりでいやがらせをしていたからである。
どこかを襲撃したりする場合、事前に軽く攻撃を仕掛けるというのは、よくある手口だ。
そうすることで、実際に攻撃されたときの相手の行動や、弱点などをあぶりだすのである。
もちろんセルゲイ達は、そう見えるようにいやがらせをしていた。
というより、実際に偵察をするのと同じ手順でいやがらせをしていたのだ。
そう見えるように偽装した、というのではない。
本当に襲撃の準備をするつもりで、いやがらせ工作を行っていたのである。
なので、調査員が「いやがらせに偽装した偵察」と判断したのは、むしろ当然。
その調査員の優秀さの表れといってもよかった。
もちろん、調査員も素人ではないので、「いやがらせに偽装した偵察」という恐れだけに注目したりはしない。
ほかにも様々な場合を想定し、貴族へ報告した。
その中には、「偵察していることをアピールしているのではないか」という、かなり真実に近いものもあったのだが。
残念ながら報告を受けたほうの貴族が、それを取り上げることはなかった。
優秀な現場の人材が報告を上げたからといって、上に立つ人間がそれを考慮できない程度の能力しかないのではどうしようもないのである。
とにかく。
上がってきた報告の一部だけに着目し、血相を変えた貴族は、大慌てでトラヴァーへ連絡を取ってきた。
映像と音声による通信だ。
「状況の報告はおおよそ受けたよ。問題が起きているようだね」
映し出されたのは、いかにも知的に見える美丈夫だ。
目鼻立ちもよく、表情も落ち着いていて、見るものに安心感を与える。
着ている衣服は、モニタ越しにもわかる上質なものだ。
トラヴァーにアグニーを押し付けてきた貴族、本人である。
こういうことをさせる貴族というと、いかにもな感じのデブを想像しがちだが、実際にそういうタイプは少数派だろう。
何しろ貴族というのは、人の前に立つことの多い職業だ。
見た目をよく保つというのは、業務の一つなのである。
この貴族の見た目の良さは、もちろん血筋によるものもあるだろう。
だがそれ以上に、食べ物や運動による体形維持、装飾や化粧など、たっぷりと金と労力がかけられているのだ。
トラヴァーは職業柄、貴族と接する機会が多かった。
なので、そのあたりの事情はよくよく心得ている。
そのせいか、今では見た目のいい貴族を見ても、むしろ悪印象しか受けなくなっていた。
当然そんなことはおくびにも出さず、トラヴァーは若干やつれた顔に営業スマイルを張り付ける。
「ほとほと手を焼いています。今までにないことが立て続いていますが、何とかしようと努力しております」
もちろん、実際に何が起きているかなどということはいわない。
天使のサインが入った書面を、ヤバそうな工作員の人達が持ってきた。
なんてことは、口が裂けても言えないのだ。
トラヴァーの願いは、ただ一つである。
さっさとアグニーを引き取ってほしい。
そして、無事に奪われてほしい。
胃がキリキリと痛むものの、トラヴァーは外見的にはそんなことをおくびにも出さず、笑顔を保っていた。
その状態で、貴族と交渉を続けていく。
相手はいかにも思慮深く見える表情やしぐさをしているが、実際にはさほど難しいことなど考えていないだろう。
役者と貴族は、演技も売り物なのだ。
いかにも真剣に聞き入ってるように見える貴族に、何度も同じ説明を繰り返す羽目になることなど、日常茶飯事である。
そもそも、トラヴァーは貴族という生き物が嫌いであった。
自分よりも圧倒的に大きな権力と力を持っていて、いつでもこちらを捻り潰せるのだ。
近づきたいとも思わない。
それでも、商売柄相手をせざるを得なかった。
だから、貴族を相手にするときは、細心の注意を払うようにしている。
それがかえって、貴族相手に受けが良くなる理由になっているのだから、世の中というのはつくづく皮肉に出来ている。
「それで、君はどうしたらいいと思う?」
来た、と、トラヴァーは内心でガッツポーズをとった。
これはいかにも「君の意見も聞いておこうと思うんだが」という態度に見せかけた、「よくわかんないんだけど、どうすればいいの?」という質問だ。
トラヴァーの偏見が多分に含まれた見解ではあるが、あながち間違ってはいないのが恐ろしいところである。
「このままでは、危険かと判断します。できれば、閣下ご所有の施設に移送された方が、安全かと。何しろ、商品が商品でございますので」
貴族は少しの間考えるそぶりを見せてから、うなずいた。
「そうか。そうだね。では、早急に移送の準備をしよう。私の家臣を向かわせるから、君は彼らに商品を預けてほしい。すぐにそのものに連絡を取らせるから、細かな打ち合わせをしてほしい」
「承知しました」
頭を下げながら、トラヴァーは内心で放心したようにぐったりしていた。
これで、とりあえず第一関門は突破である。
あとは無事にアグニーを引き渡すことさえできれば、ようやく肩の荷が下りる。
この施設に侵入してきた二人組がどの程度の腕なのかわからないが、天使に仕事を依頼されるような連中だ。
恐らく、失敗することはないだろう。
アグニーのタックは、無事に仲間の元へ戻るということになる。
自分が助かるというのもありがたいが、タックの身が助かるというのもうれしかった。
何とか無事に事が済んでくれれば。
通信が切れた画面を見ながら、トラヴァーはぐったりと机に突っ伏すのであった。
その頃。
見直された土地の中心では、最高神と土地神が向かい合わせでだべっていた。
近くでは、高校生ぐらいのサイズになった樹木の精霊達が、ゲートボールに興じている。
「くそどうでもいい話なんですけどね。この間の休みの日、ちょっといつもより早く起きちゃって」
「ありますよね」
「仕事のある日だったら、あ、ちょっと早く起きちゃったな、二度寝したら起きられなさそうだし、最悪だわぁーって思いながら布団の中でごろごろするぐらいの」
「はいはいはい」
「でも、あれ? 今日ッて休みじゃね? って気が付いて。やった、寝れるじゃん! ってなったんですけど」
「布団の中で気が付くパターンの奴ですねぇ」
「なんか、休みだ! ってなったらもう、テンション上がっちゃって。逆に布団の中にいられなくなっちゃいましてね? 結局布団から出たら、なんかいつも起きるよりも早い時間で!」
「あーあーあー。ありますあります!」
「なんなんですかねぇー、あれねー!」
となりで話を聞いていたエルトヴァエルは、心底どうでもいいな、と思いつつも、ぐっと言葉を飲み込んだ。
「ははは! あ、やべぇ。このままだと百年後ぐらいにこの大陸にでっけぇ彗星落ちる。ちょっと軌道ずらしとこ」
「大事じゃないですかぁー! もぉー!」
「ははは! だーじょーぶ、だーじょーぶ! やべぇ、ツボった! あははは!!」
もうなんかいろいろ突っ込みたいエルトヴァエルだったが、なんとか我慢した。
遥か高みにいる存在って、何考えてるかわからないな。
人間からまったく同じような感想を抱かれているとは全く考えもせず、エルトヴァエルは静かにため息を吐くのだった。
なんか、色々作業があったりして随分間が空いてしまいました
まあ、いつものことかなっておもいます(←
新作を書きたいと思ってます
なんか自分ではいいアイディアが出たと思ってるんですが、書いてどうなるかわかりませんね
新作書きたいと思いながらでも、神越って書けるもんなんだな、って思いました