百三十六話 「あー、あー、あー。そういえば、長老ってそんな名前だっけ」
さわやかに晴れ渡った空の下、輝く太陽の神アンバレンスが大地に体を横たえていた。
そのすぐ下にはビニールシートが敷かれ、近くに置かれた紙皿には、柿ピーがてんこ盛りになっている。
アンバレンスは、冗談抜きでそのひと振りで星々が生まれ滅びる腕を柿ピーへと伸ばした。
豪快に掴む、のかと思いきや、柿の種を四つ、ピーナッツを半分に割ったもの一つを掌に載せ、口へと放り込む。
何やら難しい顔をしてかみしめると、にんまりと笑顔になる。
「あー、完璧だったわぁー。この、その時に口が求めてる柿の種とピーナッツの割合を瞬時に見極めるのが難しいんだよねぇー。まあ、俺ぐらいの? 最高神になると? まず外さないわけなんですけどっ!」
誰に対してなのかわからないマウント、エアマウントを決めながら、アンバレンスは口の中の柿ピーをビールで喉へと流し込む。
そう、この神は口の中に物を入れたまま喋っていたのだ。
ちなみに、アンバレンスが飲んでいるビールは、自分で持ってきたサーバーで注いだものである。
アンバレンスが自らビール工場の見学で得た技術で入れた、最高神手ずからの一杯だ。
つまるところ、手の込んだ手酌であった。
アンバレンスという、なんとなくバランスの悪そうな名前ではあるが、注がれているビールの泡と液体のバランスはかなり良いようだ。
意外と几帳面に練習したのか、ビールを注ぐ才能があったのか、どちらかだろう。
事実はもちろん、前者である。
アンバレンスはチャラそうなにーちゃん然としたビジュアルだが、実際には割と苦労性で努力家なのだ。
「柿ピーって、メーカーによって意外と味違いますよねぇー」
そういったのは、アンバレンスの横でアンバレンスが注いだビールを飲んでいる赤鞘だ。
こんな時でも土地の力の流れを調整する仕事は続けているが、したたかに飲んでいるらしく、いつも以上にへらへらしている。
「わかるぅー。前にさぁ、日本行ったとき、新潟の神様のとこ行ってさぁ。その時出された柿ピーがすんげぇー旨くて。え、これどこのメーカーですか! って聞いたのよ」
「はいはい。新潟って柿の種、名産ですもんねぇー」
「そうなのよ! 知らなかったんだけど! で、出てきたメーカーが全然知らないお店で。なんか、全国では売ってないみたいなこと言っててさ。お取り寄せもやってないって言われて!」
「えー、なんか今時珍しくありません? 逆に。大体のものはネット通販で買える時代じゃないですかぁー」
「そうなのよ! もう、マジ驚いて! めっちゃ買ってきたもんね、その柿ピー!」
「そうなりますよねぇー」
談笑する神々の横で、エルトヴァエルはビニールシートに正座し、膝にケーキの乗ったお皿を乗せて呆然としていた。
いつまでたっても、目の前で最高神と土地神が酒を飲みながらだべっているこの状況に、慣れないでいるのだ。
もっとも、樹木の精霊達はすっかり慣れたもので、アンバレンスが手土産で持ってきたケーキを食べながら、ボードゲームで遊んでいる。
「お前を犯人です!!」
「うわぁー!」
「ここでそれつかっちゃうのかぁー!」
「水の、ようしゃなさすぎぃー」
神話とほのぼのが混然一体となり、まさに混沌と化した「見直された土地」の赤鞘の社周辺は、今日も平和であった。
もっとも、世界には平和ではない場所の方が多いのだが。
「あ、そうそう。聞いてくださいよ」
アンバレンスが、思い出したように体を起こす。
エルトヴァエルは背中に、何か冷たいものを感じた。
「前に話したアレ。案の定えらいことになったのよ」
「アレ? ってどれです?」
「ほら。バタルーダ・ディデだっけ? あの国の近くでヤバいことになってるってやつ」
不思議そうな顔で首をかしげる赤鞘に、エルトヴァエルがざっくりと補足情報を耳打ちする。
アンバレンスが以前やってきたとき、今まさに捕まっているアグニー族に、ガルティック傭兵団が接触を図っている国、バタルーダ・ディデのことが話題に上がったのだ。
その国の近くで、非常に厄介な問題が起きている、という話である。
一つは、神々の代理戦争のような状態に陥った二か国のうち一方が、厄介な神器の封印を解こうとしている、というものだ。
ただでさえ面倒な状況なのだが、それを邪魔するために動いているのが、また厄介だった。
ステングレア王立魔道院筆頭“紙屑の”紙雪斎である。
巨大な戦力でもって、完膚なきまでに叩き潰そうという意図なのだろう。
もう一つは、ミシュリーフとボルワイツという国の間で起きている戦争だ。
早々に決着がつくかと思われていたが、事態が急変する。
圧倒的劣勢と思われたボルワイツが、メテルマギトに救援を要請したのだ。
派遣されたのは、メテルマギト鉄車輪騎士団団長“鋼鉄の”シェルブレン・グロッソと、団員二名。
明らかに過剰戦力である。
「あーあーあー。ありましたねそんな話」
思い出した、というように、赤鞘は手を叩いた。
凄くうっすらしか思い出せなかったのだが、雑魚神である赤鞘は基本記憶がおぼろげなので、特に問題ない。
むしろ、いつも通りといっていいだろう。
「でね。その、神器をゲットしたい国の方がさ。やめればいいのに大部隊を送り込んだのよ。神器が封印されてる土地に」
「へぇー。でも、それを止めようとしてる人もいたんですよね?」
「そうそう。それで、戦いになったわけですよ。“紙屑の”紙雪斎 VS 小規模移動島&戦闘空中戦艦六隻」
「それって、どちらが勝ったんです?」
「紙雪斎だよ。ボコボコだよね、結構一方的に」
移動島とは、巨大な魔力機関を搭載した、空中に浮かぶ島である。
大規模なバリアや結界を駆使して攻撃を防ぎ、同じく大規模な攻撃魔法と、搭載した機動兵器により敵を蹂躙する、地球で言うところの空母と戦艦を合わせたような存在だ。
もっとも、大きさはそれ以上であり、外部からの攻撃に耐えうる能力を持つことから、さらに厄介な存在ではあるのだが。
小規模のものとはいえ、移動島一島と、戦闘空中戦艦六隻。
よほど大きな国でない限り、国外に派遣することができる、最大限の戦力といっていいだろう。
実際、神器を望んだその国にとっては、虎の子ともいえる戦力だった。
それだけではない。
「なんか、個人の最大戦力もぶっこんだみたいなのですわ」
おおよその国には、一個人で強力な戦力を有する人員が一人か二人は居るものであった。
ホウーリカで言えば“鈴の音の”リリ・エルストラ、スケイスラーで言えば“複数の”プライアン・ブルーなどがそうだ。
その国は移動島や戦艦だけではなく、その人員まで投入したというのである。
神器の獲得に、国の進退をかけていた、ということだろう。
それを聞いた赤鞘は、感心したようなよくわかっていなさそうな顔で、「おー」と感心したような声を上げた。
エルトヴァエルはといえば、驚いたように目を見開いている。
「やはり、アブロフ辺境候が亡くなったのが原因ですか」
「そうなるのかなぁ。あの国の最後の良心だったからねぇー」
アブロフ辺境候というのは、エルトヴァエルが認めている非常に優秀な人物であった。
というより、アブロフ辺境候以外、政治面でエルトヴァエルの目に留まる人物のいない国だったのだ。
最大戦力を有していた人物は若い青年男性で、自信家で好色なところがあり、女性面で問題の多い人物ではあったが、実力はそれなりのものを持っていた。
プライアン・ブルー相手であれば、それなりにいい勝負をしただろう。
だが、“紙屑の”紙雪斎にとっては、障害にもならない相手である。
「最大戦力は殺されて、虎の子の兵力も完膚なきまでに破壊されたからね。もうあの国、無くなるんじゃないかなぁ」
「実際に戦闘があったのは、いつの話ですか?」
「二、三日前かなぁ」
実際にその場にいて、状況をつぶさに観察したかった。
そんな欲求とともに無念さがエルトヴァエルの胸に沸き起こったが、ぐっと押し殺す。
実際の現場からどれだけの情報が得られたかと思うと、悔しくてならないのだ。
ちなみに二、三日前のエルトヴァエルは、アグニー達の歌を練習する樹木の精霊達に付き合い、指揮棒を振っていた。
本来自分はもっと殺伐とした仕事をこなしていたのではないかと自問自答するエルトヴァエルだが、頭を振ってその考えを追い出す。
落差は激しいが、重要度的にはどちらも同じぐらい重要なお仕事なのだ。
たぶん。
「で、ミシュリーフのほうの戦争なんだけど。これも決着ついたっていうか、ほぼほぼ決まったのよね」
「なにか、決定的なことでも起きたんです?」
「ミシュリーフの首都が焼け野原になったの」
首をかしげる赤鞘に、アンバレンスはビールのお替りを注ぎながら言う。
驚きでぽかんとする赤鞘に、アンバレンスは肩をすくめて続けた。
「ありゃ酷いよ、やり方が。まあ、らしいっちゃらしいやり方だったんだけど」
ボルワイツ入りしたシェルブレン達鉄車輪騎士団は、着いて早々に仕事を始めたのだという。
まず手始めに行ったのが、ミシュリーフへの攻撃宣言だ。
宣戦布告でもなく、降伏勧告でもない。
知らせた内容は、ごく単純なものであった。
〇月〇日に、首都を直接攻撃する。
抵抗する物はすべて叩き潰し、反抗の意志有とこちらが判断したものも潰す。
警告した日付に首都に残っていた場合、反抗の意志があるものと判断する。
生き残りたいのであれば、別の場所に逃げて、手向かいしないように。
「原文はもっと挑発するような感じなんだけど、大体こんな感じだったのよ」
鉄車輪騎士団はこういった内容を、通達しただけではなかった。
実際にミシュリーフ首都上空に数回にわたって直接侵入。
小型自立戦闘装置のスピーカーなども使い、首都の住民に広めたのだ。
突然、首都は大混乱に陥った。
何より住民を、そして、ミシュリーフの貴族や軍を驚かせたのは、その「宣伝活動」を行ったのがたった一騎であったということだ。
最も安全に守られているはずの首都に、たった一騎で乗り込んだだけでなく、無事に帰っていき、あまつさえ数回にわたってそれをやってのけたのだから、驚くのも当然だろう。
だが、それをやったのが“鋼鉄の”シェルブレン・グロッソであると知れば、その名前を知るものであればむしろ当然だと思うはずだ。
「で、当日実際に首都を焼いたのは、“焼き討ち”リサリーゼ・ドレアクスちゃんだったわけ」
炎を操る魔法兵器を好む“焼き討ち”リサリーゼは、シェルブレンが作った“戦車”を駆る鉄車輪騎士団の中でも好戦的として知られる騎士だ。
特によく使っているのは、「非常に高温で燃え続ける、粘性の高いエネルギー体を噴射する」魔法である。
対象物に絡み付くことで相手の動きを阻害しつつ、高温の炎にさらさせることを目的とした、非常に凶悪な魔法だ。
運用に大量の魔力を必要とするこの種の魔法を、リサリーゼは難なく複数、長時間使用し続けることが可能であった。
リサリーゼはその能力をいかんなく発揮し、首都を焼け野原に変えたのである。
「もっとも、その時には首都の守りもほとんどなかったし、住民もいなかったんだけどね。九割がた逃げちゃってたし。その前に、心折れてたんじゃないかなぁ。前線の状況見て」
シェルブレンやリサリーゼを首都に送り出すため、前線で活躍し、敵軍をかく乱したものが居た。
派遣されていたもう一人の鉄車輪騎士団団員“竜騎士”ヒューリー・バーン・クラウディウェザーである。
彼が駆る“戦車”は、鉄車輪騎士団の中にあっても独特の攻撃手段を持つものであった。
様々なドラゴン種の「ブレス」を再現することが可能な巨大砲塔で、ハリネズミのように武装しているのだ。
扱いが難しく、通常であれば一門であっても使用するのに数人を要する砲塔を、呆れるほど搭載したこの戦車の攻撃力は、まさに圧巻である。
たった一人の人間が扱うものであるにもかかわらず、空中戦艦二隻分の火力があるというのだから、その凄まじさがわかるだろう。
それでいて、他国の通常機動兵器では追跡するのもやっとというほどの機動力を有していて。
射程距離に至っては、一般的な国が有する戦艦の超長距離砲の1.5倍から2倍だというのだから、質が悪い。
ただただ一方的に振るわれる暴力的な火力に、ミシュリーフ軍の前線は冗談のように切り裂かれたのである。
「まあ、って言っても赤鞘さんはアレでしょうけど」
ひとしきり説明を終えたところで、アンバレンスは赤鞘の表情を見た。
ぼんやりとした顔で、ちょっと眉間にしわを寄せて口を半開きにしている。
おそらく、話が難しくなってきたので、途中でよくわからなくなったのだろう。
それでも何とか内容を咀嚼しようとして、こんな顔になっているのだ。
スペックは低いのだが、基本的には真面目な性格が災いしているといえる。
「まあ、とにかくあれですよ。そっちのほうもひとしきり片付いたみたいでしてね。ただ、一つ問題がありまして」
「はぁ。問題、ですか?」
「どっちも、最寄りの国際港が、バタルーダ・ディデなんですよね」
ステングレアにしろメテルマギトにしろ、自分達の国に戻るとすれば、バタルーダ・ディデを経由する恐れがある、ということだ。
もちろん、必ずバタルーダ・ディデを使うとは限らない。
わざと少し遠方の国際港を使うというのは、よくあることなのだ。
むしろ、素直に最寄りの港を使うほうが、珍しいといっていい。
「はぁー。皆さん大変なんですねぇー」
「情報操作とか、危機管理とか。いろいろありますからねぇ。まあ、どっちの件に関しても、つい最近終わったばっかりですし? すぐに本国に戻ろうとするかどうかは、正直微妙なんですけど」
アンバレンスはゆらりと立ち上がると、急に居住まいをただした。
服装や顔をキリっとさせると、斜め上に顔を向け、遠い目をする。
「あそこでは今、重要な仕事が行われていますからね。何も、起きなければいいんですが……」
キメ顔でそんなことを言うアンバレンスを、赤鞘はしばらくぼーっと見つめていた。
そして、はっと気が付いたように、両手を叩く。
「あっ! それ、フラグ建築ってやつですか?」
「いやぁー! こういったら何か面白いことでもおきるかなぁーって!」
「さすがに不謹慎ですよぉー! っていうか、ばたるーなんちゃらーって、どこでしたっけ?」
「んもぉー! 赤鞘さんすぐに地名わすれるー!」
「あっはっはっは! いやぁー、横文字は苦手でしてねぇー」
何やら楽しそうに笑いあう神々の横で、エルトヴァエルは「マジで止めてくれないかな」と、思っていた。
もちろん、口に出したりはしない。
エルトヴァエルは、基本的に神々に忠実な天使なのだ。
ただ、頭が痛くなったりするのは、止めることはできなかった。
楽しげに笑う赤鞘とアンバレンス、樹木の精霊達を見て、エルトヴァエルは深い深いため息を吐いた。
タックはその日の夕食を終え、読書をしていた。
読んでいるのは、なかなかのアクション大作で、読みごたえがある。
タイトルは
「GOBURIN ~プロテイン伝説~」
今から数千年前。
ひょんなことから文字が読めるようになったゴブリンが、筋肉の神が書いたとされる「筋肉モリモリ体操大全」を手にしたことで、不屈のマッスルボディーを手に入れ、その方法で無敵のマッスルゴブリン軍団を作り上げ、世界のゴブリンの半分を支配する。
というようなお話だ。
ちなみに、かなり脚色はあるものの、大まかな流れは史実通りである。
「うーん。やっぱりプロ奴隷ニストにも、筋肉はひつよーなんだろうか」
真面目な顔で、タックは呟く。
相変わらず「プロ」とか「~ニスト」の意味は分からないが、筋肉の大切さはわかっていた。
畑仕事にも重要だし、狩りをするときにも、無くてはならない。
ゴブリン顔に変身した時、筋肉がどのぐらいついているかというのは、モテポイントでもある。
タックも若いアグニーだけに、モテるかモテないかというのは非常に気にしていた。
ただ、それはアグニー基準の「気にしている」であり、ほかの人族の基準とは全く異なるものだ。
たとえばプライアン・ブルーの結婚したい願望と比べれば、虫眼鏡でなければ発見できないレベルの小さなものといっていいだろう。
まあ、ともかく。
そんなタックは、不思議な気配に気が付き、本から顔を上げた。
アグニー族特有の超感覚が、何かが近づいてきていることを知らせている。
ただ、それから危険は感じなかった。
危険ならば逃げなければならないが、危険でないならほっとけばいい。
タックは実にアグニーらしい感覚に従い、再び本へ戻そうとしたのだが、目の前で不思議な現象が巻き起こった。
室内で、窓も開けていないにもかかわらず、風が渦巻き始める。
そのなかから、黒い色が染みだし始めた。
次の瞬間には、それは人の形へと変化し、タックに向かってにっこりとほほ笑んだのだ。
白髪の美しい少女、風彦を見て、タックは「おー!」と感嘆を上げた。
「おねぇーさん、手品とかするひとです?」
「あー、いえ。なんていうか、グレックス・ロウさんからの、伝言を預かってきました」
風彦は苦笑しながら、頭を掻いた。
ちなみに。
この部屋の中はカメラなどを使って監視されているのだが、風彦の姿はそれには映っていない。
映らないように、姿を調整しているからだ。
そのあたりの技はエルトヴァエルの得意とするところであり、風彦もそれを引き継いでいる。
ここ程度の監視体制であれば、潜り抜けることも、ごまかすことも簡単だ。
タックは、不思議そうな顔をして首を傾げた。
「ぐれっくす・ろう、ってだれ?」
「えっと、長老ですよ。五十一歳の」
「あー、あー、あー。そういえば、長老ってそんな名前だっけ」
タックは納得したように、ポンっと手を打った。
いっつも長老と呼ばれているので、本名は忘れられがちなのだ。
「えっと、信じてもらえるように、合言葉を習ってきたのですが」
「合言葉!」
タックは椅子から立ち上がると、机から離れて動けるスペースを確保した。
風彦はなにやら意を決したような表情で、「がんばれ私、がんばれ私」とつぶやいている。
キッと真剣な顔を作ったタックは、リズミカルに踵で床を蹴り始めた。
それに合わせて、風彦は手をすばやく動かし、次々にポーズをとっていく。
タックは足で、風彦は腕で。
お互いの動きが加速していき、いつしか二つはシンクロしていき、一つの踊りへと昇華していく。
「いえーい! ふっふー!」
楽しそうなタックに対し、風彦は気恥ずかしそうに顔を赤らめている。
それでも、だんだん楽しくなってきたのか、笑顔が見え始めた。
踊りが最高潮に達し、最高にかっこいい、と、当人が思っているであろうポーズを決める。
タックはやり遂げた顔をしており、風彦は心底恥ずかしそうに若干震えていた。
このダンスは、アグニー族、またはほかの種族との間での親愛の証のようなもので、「自分はアグニー族のことを知っているので、信用できるよ」という証明のためのものである。
アグニー族と取引をする種族などは、必ずこれを踊る必要があるのだが。
大体危険な相手は近づこうとした瞬間逃げるし、それ以外の危険じゃない相手は大体無条件で信じちゃったりするので、ほぼほぼ形式だけのものであった。
じゃあ、別にやらなくてもいいのでは?
と、思うのが普通なのだろうが、楽しいのでずっと伝統として残っているのだ。
アグニー族にとって、「たのしい」というのはとてもとても重要なことなのである。
「っていうか、これ合言葉じゃないですよね。言葉関係ないし」
顔を真っ赤にしながらぼやくように言いながら、風彦はため息を吐いた。
だが、恥ずかしさを押して得られたものは大きい。
まず一つは、タックのダンスが生で目の前で見られたこと。
見た目はちょっと活発そうな美少年であるタックのタップダンスっぽいものを見れたことは、風彦にとってはまぎれもないご褒美であった。
これだけで、仕事の疲れがほぼ吹き飛んだことは間違いない。
そしてもう一つは、長老の伝言を預かってきた、というのを、信用してもらえたということだ。
「長老から伝言かぁー。うまく逃げられたんだ」
「はい。今はほかに逃げるのに成功したアグニーさん達と一緒に、村を作っていますよ」
「むら!? カラスやトロルも一緒!?」
「トロルは、花子さんが。カラスは、カーイチさん達がいますよ」
「そっかぁー! よかったよかった」
ほっと安心した様子のタックを見て、風彦は頬を綻ばせた。
とりあえずほっぺたをぷにぷにしたくなったが、ぐっと我慢する。
今回の仕事は、ここからが重要なのだ。
「それで、ですね。タックさんをその村に、お連れする用意があると、お知らせに来たんです」
「えー?」
風彦の言葉に、タックは表情を曇らせた。
「でも僕、プロ奴隷ニストだし」
真剣なタックの言葉に、しかし、風彦は動揺を見せなかった。
予想していた答えだったからである。
タックのことは、事前にある程度調べてあったのだ。
ゆえに、この答えへの対処法も、風彦は既に持っていた。
現在進行形でアグニー族の村に暮らしているディロードと、アグニー族との付き合いが長く、波長があう水彦。
彼らに協力を仰いでいる風彦には、隙は無いのだ。
「えっとですね。実は、トラヴァーさんに関することなんですけど」
「え? あの、奴隷商人の人?」
トラヴァーという名前に、タックは強い反応を示した。
ご主人様的な立場になるので、奴隷的には気になるのだ。
「実は、トラヴァーさん。タックさんに村に行ってほしそうなんですよ」
「な、なんだってぇー!?」
タックは愕然とした表情で、大げさに叫んだ。
かわいらしい顔が、劇画調になっている。
風彦が言っていることは、嘘ではない。
実際、トラヴァーは一人になると、そんなようなことをぼやいているのだ。
プライアン・ブルーがそれを拾ってきているので、間違いない情報である。
「でも、そんなことトラヴァーさんいってなかったよ?」
「そうなんですよね。タックさんの前では、言ってないはずです」
「なら、僕、村には行けないかなぁ。プロ奴隷ニストとしての仕事があるし」
難しい顔をして、タックは腕を組んだ。
いつもの風彦であれば、ここでどうすればいいのか、と頭を抱えていたところだろう。
だが、今日に限っては余裕があった。
タックが「自ら村に行きたいといいたくなる」ような切り札を、ディロードから授けられているからだ。
風彦は目を閉じ出た目を作ると、ゆっくりと口を開いた。
「タックさん。忖度、という言葉を、知っていますか?」
「そ、そんたく!?」
言葉の意味は、正直全く分からなかった。
だが、タックの中にある奴隷魂、のようなものが、その言葉に高鳴りを覚えたのだ。
「そうです。忖度とは、相手の心情を推し量ること。あるいは、推し量って相手に配慮すること。すなわち、言われる前に相手のために行動するという、超上級スキルです」
「ちょ、超上級スキル!」
なんだかよくわからないけど、かっこいい。
言葉の意味は九割がた分からなかったが、なんかカッコいいことだけは、タックにもわかった。
ちなみに、プロ奴隷ニストとしてかっこよく聞こえたということであり、広く一般的な「かっこよさ」とはかけ離れていることを付け加えておきたい。
「トラヴァーさんは最近、お疲れの様子ではありませんでしたか?」
「そういえば」
「あれは、今話題のタックさんを無理やり管理させられて、ストレスで禿げ上がりそうになっているのが原因なんです」
「な、なんだってー!?」
タックは再び、劇画調になった。
これも、嘘ではない。
というか十割事実である。
このままだとトラヴァーは確実に禿げ上がることだろう。
毛根の寿命は、あと365日もないかもしれない。
「プロ奴隷ニストであれば、それを察して、行動するものではないでしょうか。つまり、ご主人様のお気持ちを忖度し、行動するんです」
「そんたくしてこうどう」
タックは「そんたくしてこうどう」している自分の姿を、想像してみた。
なんだかよくわからないが、すごく奴隷的な気がする。
「わかった! 僕、村に行きたい!」
「わかりました。必ず、そう伝えます」
元気よく手を挙げて宣言するタックを見て、風彦は心中でガッツポーズをとった。
風彦にとって、今回一番の仕事は、これで終了したといってもいい。
戻ったら水彦にぃに褒めてもらって、ケーキでも食べて帰ろう。
そう思うだけで、風彦の表情は緩んだ。
タックもなんだかよくわからないが、嬉しそうな顔をしている風彦を見て、にへらっと笑う。
風彦とタックは少しの間、嬉しそうに笑いあった。
ちなみに、監視カメラではタックが一人で騒いでいるように見えたわけだが。
タック、というかアグニー族は大体にして、一人でも騒いだり踊ったりしているものなので、特に誰も気にしなかったのであった。