百三十四話 「いやぁ。バレなきゃいいかなぁーって」
水彦、門土、プライアン・ブルー等による手合わせは、壮絶なものになった。
相手の攻撃を待ち受けて、切り返すのを得意とする水彦。
兎人の剣、つまり、超高速の剣技を旨とする門土。
婚期を逃している印象しかないものの、技自体は正統派のプライアン・ブルー。
三人の戦いぶりは、見るものが見れば感動を覚えるほどのものであった。
ガーディアンに、世界最高峰の戦闘種族のサムライに、一国家における最大戦力を有する個人の手合わせである。
金を払ってでも見たいというものは、いくらでもいるだろう。
だが、観客は風彦とキャリンだけであり、感想は主に「かわいい」と「怖い」というものだけであった。
どうでもいいことだが、風彦的には水彦も門土もプライアン・ブルーも、「かわいい」括りだ。
なんでもかわいいというタイプの女子ぐらいの大雑把な分類である。
水彦達があれやこれや遊んでいる間に、偽装船舶はバタルーダ・ディデの港へと到着した。
入港したのは、貨物船が多数停泊している港である。
周りに並んでいる船はほぼ同じ見た目であり、偽装船舶はまったく目立っていない。
その偽装船舶から伸びるタラップのすぐ近くに、一台の車がとまっていた。
この国で普通に使われている、輸送手段の一つである。
「それであの、なんで僕まで詰め込まれてるんです?」
車の荷台に詰め込まれたディロードは、若干眉をひそめながらそういった。
特に不満げに見えないのは、当人のやる気のなさそうな顔の影響だろうか。
座席のない荷台はそれなりに広く、ディロードを載せても、まだ余裕がある。
ディロードの問いに、セルゲイは煙草の箱を片手に答えた。
「なんでって。これからセーフハウスに行くから?」
「ホウーリカが用意した隠れ家だよ。車もあそこが用意してくれたヤツだし」
肩をすくめながら補足したのは、プライアン・ブルーだ。
その横には、小刻みにカタカタ震えているキャリンがいる。
この三人のほかに、すでに車の運転席と助手席に座っているものが二人いた。
どちらもガルティック傭兵団に所属する、傭兵である。
「セーフハウス? って、アグニー族の様子を確認するためですよね? なんで僕が行くんです?」
「お前が向こうのシステムに侵入するから」
セルゲイの言葉に、ディロードは少し考えるそぶりを見せてから「あー」と納得したような声を上げた。
それを見て、セルゲイは面白そうに笑う。
彼らがこれから向かうのは、ホウーリカがバタルーダ・ディデ内に用意したセーフハウスであった。
アグニーが捕まっている施設から、程近くの場所にある。
今回の目的を考えると、格好の隠れ場所と言えた。
今の彼らの目的は、そのセーフハウスに、ディロードを運ぶことである。
そこでディロードに機材を与え、アグニーが捕まっている場所に施された警備システムに、侵入させる予定なのだ。
ディロードはポリポリと頭を掻きながら、若干真剣そうに見える面持ちを作る。
「そういえばそんなようなこと言ってましたね」
「土彦ちゃんにもさんざん言われてたんじゃねぇーの?」
「まさかホントにやらされるとは思わなかったもんで。僕が役に立つかもって発想がどうかと思いますし」
肩をすくめるディロードを見て、セルゲイは声をあげて笑う。
確かに普段の姿を見る限り、ディロードはあまり役に立ちそうには見えない。
ディロードもそれがわかっているから、そんな風に言ったのだ。
プライアン・ブルーはそんなディロードに対し、にんまりと意味ありげに笑った。
「オタク、足跡消しながらずいぶん方々歩き回ったねぇ。バレずにその国の魔法技術の習得。それを使っての記憶装置の改ざん。結構な数こなしてるじゃないの」
楽しゲなプライアン・ブルーの言葉に、ディロードは苦そうに顔をしかめた。
「大体の国で、許可を得てない他人の記憶装置への侵入や改ざんは犯罪よ? よしんばそうじゃない国があったとしても、ヤヴァイ金貸しから借金踏み倒したのバレたらアウトだわねぇ」
「いやぁ。バレなきゃいいかなぁーって」
「でも、捕まった。っていっても、侵入したのがばれたんじゃなくて、街でふらついてるところを顔を覚えてた借金取りに見つかって。結局、不正侵入したこともバレたけど、捕まったからバレただけ。それがなければ逃げおおせてたかもってんだから、驚くね」
ニヤっと口の端を釣り上げて笑うプライアン・ブルーに、ディロードは体を遠ざけるようにのけぞった。
どうやら、きっちりディロードのことについて調べたらしい。
ディロードが使える人物で、今回のことにうまく利用するように、といってきたのは、エルトヴァエルであった。
罪を暴く天使の言うことなので、その能力に疑問を差しはさむ余地はない。
だが、エルトヴァエルはディロードの実績について、ガルティック傭兵団以外にはほとんど説明していなかった。
こういった仕事をする場合、一緒に仕事をする同僚が信用できるのか、というのは重要なことだ。
実力のないものや、問題のあるものと組まされれば、割を食うことになりかねないからである。
今回はエルトヴァエルからの推薦ということで、そういった心配がないといえばないのだが、それでもスケイスラーとしては、調べないわけにもいかなかったらしい。
バタルーダ・ディデに到着する前に、ディロードの前歴について調べていたらしかった。
どんな仕事や悪さをしてきたかという「履歴書」は、こういった業界ではしばしば身分証代わりに使われることもある。
スケイスラーは、かなりきっちりとディロードのことを調べてあるらしい。
エルトヴァエルは、そういうことを調べさせる目的で、わざと情報を与えなかったのだろう。
自分で調べるのも好きだが、人間にあれこれと調べさせるのも好きな天使なのだ。
そんなプライアン・ブルーに、セルゲイが「そういえば」と尋ねる。
「隠れ家ってどんな感じなの?」
船が到着したのは、一、二時間前のことだ。
一応セーフハウスの図面や画像などは確認しているが、セルゲイ自身まだ実際に行ったことはない。
だが、プライアン・ブルーは自身の能力を使い、先行して周辺や内部をチェックしていた。
今も分体の一つを、セーフハウスの中に置いている。
もっとも、プライアン・ブルーの「ドッペルゲンガー」には明確な本体はなく、すべての体が本体であり、分体なのだが。
「ソファーに机、でっかい冷蔵庫。基本は抑えてる感じだぁね」
「ふかふかのベッドは?」
「寝袋は自前で持ってった方がいいみたいよ」
「おじさん、もう歳だから床で寝ると体痛くなるんだよなぁ。せめてマットレスでもあればいいんだけど」
セルゲイの物言いに、プライアン・ブルーはおかしそうに笑った。
傭兵をやっているような人間は、図太いやつが多い。
どんな所でも眠れる、というやつが大半であり、それが案外重要な資質の一つであったりする。
名うての傭兵であるセルゲイがそんなに繊細なはずがなく、プライアン・ブルーはそれをジョークとして受け取ったのだ。
近くで聞いているディロードには、なんのことかさっぱりわからない会話である。
「そうそう、冷蔵庫で思い出した。その中にさ、アイス入ってたのよ。お仕事頑張ってくださいねってKAWAIIフォントで印刷したやつ」
「おお。アイス。どんなのです?」
これに反応したのは、ディロードだった。
アイスは、この男の好物なのだ。
「えっとね。ギルドの購買部で売ってるやつ。濃厚バニラミルクスペシャルだって。地域限定って書いてあったな、そういえば。どおりで見たことなかったわ」
それを聞いたディロードが、露骨にいやそうな顔をした。
若干血の気が引けているように見える。
「なに。嫌いなアイスなの?」
「いえ、大好物です。前に住んでたところでよく買ってましてね」
つまり、ディロードが前に住んでいた地域にしか売っていない、ディロードの好物だ、ということだ。
セーフハウスを用意したホウーリカからの、そこまで調べはついている、というメッセージだろう。
セルゲイとプライアン・ブルーは、感心したような声を上げた。
「あのお姫様、えげつない性格してるからなぁー。あたしも嵌められたし。あー、あそこであの二人に会わなけりゃ、今頃確実に寿退社だったのになぁー」
「さて、そろそろいくかね。向こうに着いたら、また出かけないといけないし」
「勤勉ですねぇ。アイスでも食べてようかなぁ、僕ぁ」
「なにいってんの。お前さんの仕事道具買いに行くのよ? この国の魔法を解析するためのサンプル集め。ある程度は集めてるけど、自分でも見たいでしょ?」
「いや、僕は別に」
セルゲイとディロードは、滑らかにプライアン・ブルーの言葉をスルーした。
「スルーすんなしっ!! そうだね、とか! きっといいひと見つかるよ、とか! いうことがあるでしょうがよっ!」
「いや。それが優しさかなぁーって」
「お前さん、まだ結婚できると思ってたのか」
「なんてこと言うんですかコノヤロウ! あたしの魅力がわからないとか見る目なさすぎるだろ! 是正を! 是正を要求する!!」
そんな会話を繰り広げながらも、セルゲイ達は準備を整え出発した。
キャリンが正気に戻ったのは、セーフハウスへ荷物を運び込んだ後のことである。
セーフハウスは、雑居ビルであった。
商業地域の一角にあり、工事のためと思しき目隠しなどが施されているのだが、それらはすべて偽装である。
今回のことに利用した後は、実際に取り壊され、ギルドが買い取る手はずになっているらしい。
出張所兼倉庫として建て替えるのだそうだ。
壁の取り払われた、建材むき出しの室内。
置かれているのは、大きな机やソファー、大型の冷蔵庫。
そこに、ガルティック傭兵団がもちこんだいくつもの魔法装置がならべられる。
簡易的な活動拠点ではあるのだが、揃えられた機材は、どれもかなり手のかかったものばかりだ。
どれも、土彦が監修して作ったか、あるいはギルドが使っている、高価な市販品ばかりである。
「はーい、ただいまー」
ドアを開けて入ってきたのは、セルゲイとガルティック傭兵団の構成員一人、そして、キャリンであった。
三人とも、バタルーダ・ディデ国内で流通する、いわゆる「普通の恰好」をしている。
全員が両手に持っているのは、魔法製品の量販店の袋だ。
どの袋もいっぱいに製品が詰め込まれており、かなり重そうなのがわかる。
セルゲイはそれを空いた机の上に乗せると、疲れたというように息をついた。
実際には全く息もキレておらず、しぐさ自体もかなり芝居臭い。
「頼まれたもん、大体買ってきたから。確認してくれー」
「あ、はいはい。今アイス食べてるんで、あとでやります」
そういったのは、ソファーで横倒しになりながらアイスバーを咥えているディロードだ。
セルゲイ達が買ってきた品々は、どれもディロードの仕事に必要なものだったのである。
そんな、底なしに眠そうな顔で言うディロードの肩口から、光の粒子がこぼれ始めた。
姿を現したのは、ディロードの体内に本体を仕込まれた人工精霊マルチナだ。
「何を馬鹿なことを言っているんですか。張り切って寝る間も惜しんで仕事をしてください」
「そんなに張り切ってもほら、作業効率落ちたりするし」
「そういうセリフは、まっとうに働いてから言うものです。働くのに問題ないのに働かないという贅沢は、残念ながらマスターには許されていません」
マルチナに追い立てられ、ディロードは心底嫌そうにしながらも、ノロノロと立ち上がる。
品物の乗せられた机に近づくと、袋の中身を確認し始めた。
買ってきたものは、カメラや薄型の辞書など、ごくごくありふれたものばかりだ。
並や普通の魔法技術を持っている国ならば作っており、それなりの金額を出せば手に入るものばかりである。
「しかし、ホントにそんなもん調べてどうにかなるもんなの?」
セルゲイは早速箱の開封にとりかかっているディロードの手元を見ながら、首を傾げた。
そうしている間にも、セルゲイと一緒に買い物に行っていた連中が、次々と机の上に品物を載せていく。
「こういうのの方が使ってる物的には高度だったりするんですよ。材料はあれでも、技術ってどんどん民間に払い下げられていきますから。キホンのキはこういうの見たほうがわかりやすいんです。まあ、僕の場合は、の話ですけど」
あくまで自分独自の方法だ、といいたいのだろう。
そもそも、こういったものを調べてその国の魔法技術を把握する、ということ自体、普通の技術者には不可能だといっていい。
魔法技術は国家機密レベルのものであり、一般に普及するときには、何重にも偽装や隠ぺいが施されているのだ。
それをすべて解析しようと思えば、数十年はかかるといわれている。
そうしているうちに、その技術は時代遅れとなり、意味をなさなくなってしまうわけだ。
「それに、ある程度の安価な量産品だと、セーフティ自体も甘かったりするんですよ。容量がそんなにないから、情報量自体が少ないんだと思うんですけど」
とはいえ、そんなものは微々たる差だろう。
それができるディロードという男は、性格や態度自体はあれだが、やはり優秀なのだ。
「とりあえず言われたものを適当に買ってきたけど。これで何とかなりそう?」
「大丈夫だと思います。まあ、足りなければまた行ってもらうことになるかもしれませんけど」
セルゲイの問いかけに、ディロードは肩をすくめて見せた。
本来はディロード自身が買い物に付き合えればよかったのだが、それは難しい注文だ。
なにしろ、ディロードの外見は目立ちすぎる。
黒い翼にねじくれた角、美しい稀な容姿に、強靭な鉤爪。
人ごみの中を歩けば、まず目を引くだろう。
今回の仕事は極秘裏に進めなければならないわけで、それは非常に都合が悪い。
となれば、ディロードは必要な時以外、極力セーフハウスに閉じこもっていてもらった方が都合がいいのだ。
「うん。これなら問題なさそうですね。って、おおう」
おおよその品物を確認し終え顔を上げたディロードは、奇妙な声を上げのけぞった。
視界に飛び込んできた、キャリンの姿を見たからだ。
げっそりと燃え尽き、目が死んでいるその姿は、なかなかパンチのある映像だった。
夜中辺りに道端に立っていたら、気の弱いものなら叫んでいるかもしれない。
「なんであんな感じになってるんです? 借金背負ってるとか?」
「違う違う。緊張が解けたからだと思うよ。大活躍だったから」
「目立たないようにする仕事での活躍? まったく目立たなかったってことです?」
「そうそう。その分野に関しては、彼相当才能あるよ」
軽い口調で言ったセルゲイだったが、決して大げさではなかった。
キャリンはとにかくビビりで、終始周りを観察し、それに溶け込もうと無意識に行動をしている。
初めての場所に行ったとしても、周囲の人々の動きを見ることで学習し、特に目立つことのない普通の人物として振舞うことができるのだ。
キャリンの場合、姿形や顔立ちに背格好にも、これといった特徴がない。
特徴がないのが特徴、といったレベルである。
これは、セルゲイやプライアン・ブルーの様な商売をしている者にとっては、恐ろしく有用な能力といっていい。
相手に印象を与えず、記憶にも残らずに情報を集められ、作業を終えることができる。
技術として習得することも難しいものであり、そんな技術を得られるなら、いくらでも払うという個人や国は多いことだろう。
とはいえ。
キャリンの場合それらは、別に仕事にしようとして身に着けたものではない。
あくまで「とにかく目立ちたくない」という強迫観念の様なものからきているものであり、長時間そうしているとすさまじく体力と気力を消耗するのだ。
結果。
「いや、才能があるのかどうかはわからないけど。死にそうな顔してないです?」
「まぁ、そうねぇ」
セルゲイとディロードがともに認めるほど、死にそうな顔をすることになったのである。
「しかしあれだなぁ。エルトヴァエル様が連れてけっていった理由が改めてわかったわ。あの少年、この商売に向いてるよ。俺らと行動してれば、技術も身につくでしょ」
「彼、冒険者ですよね? そういうのって必要なんです?」
「無駄にはならないんじゃない? 当人もそれほど嫌がってないみたいだし」
不思議そうなディロードに、セルゲイは肩をすくめて見せる。
実際、キャリンは仕事の内容自体には興味もあったし、勉強になるとも思っていた。
魔獣や魔物の細かな動きを観察したり、記録したりするのは、キャリンの商売でもあり性質でもある。
今やっているようなことは、その対象を魔獣や魔物から、人間の社会に向け変えただけであり、基本の部分は同じであった。
元々キャリン自身、人間に興味も持っている。
たまたま冒険者という仕事に就く機会があっただけであり、状況によってはどこかの諜報員のような仕事についていたとしても、おかしくなかった。
もし子供の頃に“スケイスラーの亡霊”バインケルト・スバインクー辺りに見つかっていたら、確実にそうなっていただろう。
「でも、死にそうになってますよ?」
「楽しいことでも一生懸命やると燃え尽きるものでしょ?」
「仕事って楽しくないと思うんですけど」
ディロードは可哀そうなものを見る目を、キャリンに向ける。
呆然自失といった様子のキャリンは、もちろんそんな視線には一切気が付いていない。
セルゲイは楽しそうに笑うと、キャリンに近づいていき、その背中をバシバシと叩いた。
「まぁ、頑張って仕事しような! 何しろ罪を暴く天使様と、土地神様からのご用命なわけだし!」
「え!? あ、はい、がんばります」
話を全く聞いていなかったキャリンは、反射的にそう返事をした。
後にそのことを思うさま後悔することになるのだが。
この時のキャリンには、知る由もなかった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
アグニー族の「タック」十二歳。
それが、奴隷商人である「トラヴァー」の悩みの種であった。
トラヴァーの家は、代々続く奴隷商人の家系である。
犯罪奴隷や戦争奴隷などを扱い、法令順守で慎ましく暮らしてきた。
兎角、奴隷商人というのは勘違いされがちな商売である。
無辜の民を捕まえ、無理やり自由を奪い強制労働させているイメージがあるからだろう。
場所や奴隷商人によってはそういうことをする連中もいるが、少なくともトラヴァーの家ではそうではない。
彼の店で扱っている「犯罪奴隷」と「戦争奴隷」は、合法的に認められたものであり。
むしろ人道的なものであると、トラヴァーは思っている。
まず、犯罪奴隷。
これは主に、犯罪を犯し、懲役を科せられた者のことをいう。
情けない話だが「バタルーダ・ディデ」は、裕福で余裕がある国ではない。
労働力にならない犯罪者を牢屋などに閉じ込め、食料を与えてやれる余裕などないのだ。
何らかの形で働かせ、最低限自分の食う分ぐらいは稼いでもらわなければならない。
だが、働かせるというのもまた、金がかかるものなのだ。
寝る場所の確保や、食料、体調管理、ケガや病気のあった時は治療も必要だし、そもそもそういうことが起こらないように管理する必要もある。
居食住を保証しなければならないわけであり、非常に金がかかるのだ。
ぶっちゃけた話、監視などの手間がかかる分、安い従業員を雇うよりずっと金も手間もかかるといっていい。
人数が多いとくれば、なおさらである。
何しろ相手は、犯罪者だ。
もちろんそれぞれの事情によりけりだろうが、ろくでもないヤツは心底からろくでもない。
そんな連中を集めて置けば、当然問題も起こすわけで。
人口密度が上がれば、当然摩擦も増えて面倒ごとは加速度的に増えていく。
では、そうならないようにきちんと管理をして閉じ込めておけば、となるわけだが。
それには莫大な金と労力がかかるのだ。
「犯罪者を一年間閉じ込めて置くぐらいなら、殺した方が安上がり」
などといったのは、誰だったか。
あまり褒められた言葉ではないと思うが、正直なところトラヴァーもその意見には賛成である。
そんなことにしないために有益な制度こそが、「犯罪奴隷」であると、トラヴァーは思っていた。
「犯罪奴隷」は、犯罪者を懲役の期間中、労働力として払い下げる国の制度である。
捕まえた犯罪者を裁判にかけ、懲役期間を決定。
それを、資格と権利を持つ奴隷商人に払い下げ、国はいくばくかの収入を得る。
奴隷商人達は、その犯罪奴隷に労働をさせ、あるいはほかの人間に斡旋することで、利益を得るのだ。
その代わり、奴隷商人は犯罪奴隷達の衣食住、生活の安全などを保障するのである。
いってみれば、「私立刑務所」の様なものだというのが、トラヴァーの考えだ。
この犯罪奴隷のやり取りというのは、なかなか奴隷商人の腕の見せ所であったりする。
国からの犯罪奴隷の払い下げ価格というのは、それまでの逮捕や裁判、拘留中にかかった費用などを鑑みて算出されることになっていた。
奴隷商人が犯罪奴隷を取引する場合、その額が「原価」ということになるわけだ。
当然、奴隷商人も利益を上げねばならず、その額よりも高い生産を上げさせるか、あるいはそれよりも高く売らなければならない。
これが、なかなか難しいのだ。
それぞれの奴隷の特性を鑑み、それに合った仕事をさせない限り、利益を上げるのは難しい。
例えば、体は弱いものの、算術に強い犯罪奴隷がいたとする。
これを払いがいいからといって、鉱山などに売ってしまうのは言語道断だ。
企業の経理や、会計事務所などに送り込む方が、ずっと有益だといえるだろう。
当然犯罪を犯した人物であるから信用がない場合も多い訳だが、そういった個々人の資質や性質まで見定めるのがよい奴隷商人というものなのだ。
犯罪奴隷は、懲役が明ければ解放となる。
一般市民に戻るのだ。
無事に犯罪奴隷の年期が明けると、国から雇用者に祝い金が支払われる。
それまできちんと犯罪者を管理していたという、褒美の様なものだ。
これが案外馬鹿にならず、多くの奴隷商人や購入者は、きちんと管理をするものであった。
ちなみに。
買い取られることがなかった「犯罪奴隷」は、死刑になることになっている。
管理できない犯罪者は、居てもらっても困るというわけだ。
少なくともこの国においては、奴隷商人と犯罪奴隷というのは、さして険悪な関係になることはほとんどない。
雇用者と被雇用者といった関係であり、年季が明けたときにはお互いに喜び合うことも珍しくない。
ほかの国に住む人間がどう思うかは知らないが、必要な制度であるとトラヴァーは思っている。
では、「戦争奴隷」はどうだろう。
色々な定義はあるが、バタルーダ・ディデでは大雑把に「戦地で捕まった敗戦した側の人間」を「戦争奴隷」と呼んでいる。
大体が捕虜となった兵士や官僚などであり、一般人がこれになることはほとんどない。
なにしろ、一般人を捕まえたとしても特に金にならないのだ。
魔法技術の発達したこの世界で、労働力としての人間というのは非常に効率の悪いものである。
よほど何かしらの技能でも持っていない限り、魔法道具で作業をさせたほうが仕事が早いのだ。
ゆえに「戦争奴隷」というのは、兵器などを扱うことができる、戦争に特化したものであることがほとんどだった。
運用のされ方も、まさに戦闘向けである。
高度な武器や兵器というのは、それを扱うにも特殊な技能を要求される。
昨日まで鍬を振っていた農民に武器を渡しても、すぐさま「兵士」にはならないのだ。
おおよその国において、「戦争奴隷」の扱いは「外人部隊」といったものになることが多い。
戦争奴隷自身、手柄を上げれば年季を早くしてもらえる契約になっていることがほとんどであり、熱心に仕事に励む。
いざ戦う時になって衰弱されていても困るので、当然衣食住などは手厚く保証される。
これもまた、両者にとって良い契約になる場合が多く、むしろ犯罪奴隷よりも円満な関係になることが多かった。
そんな、ある種健全といっていい「奴隷商売」をしているトラヴァーだったが、今まさに危機に立たされていた。
原因はやはり、目の前にいるアグニー族である。
トラヴァーは自分の商売に、誇りを持っていた。
ほかの国の連中に何と言われようが、少なくともバタルーダ・ディデ国内においては違法なことはしていないし、国際法にも抵触することのない商売をしている。
何かと白い目で見られたり後ろ指をさされがちな「奴隷商人」という仕事をしているが、誰に恥じることのない仕事をしていると自負していた。
だが。
今目の前にいるアグニー族に関しては、話が違った。
いわゆる「奴隷狩り」で捕らえられた彼は、バタルーダ・ディデに置いてはグレーゾーン。
国際法的にはホワイト。
国によっては真っ黒な「奴隷」なのである。
事の始まりは、トラヴァーの元にとある貴族が訊ねてきたことであった。
その貴族は余り面識もなかったのだが、何かの縁になればと思って会うことにしたのだ。
いったいどんな用なのだろうと首をかしげたトラヴァーに、その貴族はこんな話を切り出してきた。
「アグニー族を確保したから、預かっておけ」
なんでもどこぞの国の役人と奴隷商人が結託し、アグニー族を捕らえたのだという。
ただ、その時にほかの国の奴隷商人と衝突し、どちらも壊滅的な打撃を受けたらしい。
アグニー族は捕らえたものの、その時の被害があまりに大きく、奴隷商人は倒産したのだとか。
その奴隷商人が扱っていた奴隷の多くは、ほかの奴隷商人に払い下げられたのだが、アグニー族だけは国側も扱いに窮した。
何しろアグニーといえば、あのメテルマギトが欲している種族である。
バタルーダ・ディデが「人間至上主義」であることもあり、下手をしたら戦争の火種になりかねない劇薬だ。
だが、上手く使うことができれば、国にとっての有益さは計り知れない。
交渉手段としては、まさに諸刃の剣といったところだ。
そこで、とりあえずしばらくは保護しておこうということになったのだが、ここで問題が生じた。
国の施設に置くと、要らぬ問題が起こるかもしれない。
例えば国がアグニーを捕まえたのではないか、となった時に、逃げ道がなくなってしまうかもしれない、ということになったのだ。
バタルーダ・ディデの上層部としては、「奴隷商人が勝手に捕まえたアグニー族を、国が保護した」というような立場をとったほうがよろしくはなかろうか。
と、判断したわけである。
そのため、もろもろの話がまとまるまで、管理は奴隷商人に任せた方がよかろう、という話になったのだという。
どの奴隷商人に管理させようか、という話になったところ、名前が挙がったがトラヴァーであった、というわけだ。
トラヴァーにしてみれば、飛んだとばっちりである。
被害者といってもいい。
何しろ国と貴族に「そうしろ」といわれれば、一介の奴隷商人であるところのトラヴァーに拒否権などないのだ。
「はぁー。どうしろっていうんだよぉ……。これ、どっかから襲撃とかないよねぇ?」
情けない声を出して、トラヴァーは頭を抱えた。
実際、アグニーを捕まえた奴隷商人は、それを巡ってほかの国の奴隷商人と戦闘になり、壊滅の憂き目を見ているのだ。
それに、もしそれがなかったとしても、トカゲの尻尾よろしく国によってスケープゴートにされる恐れもある。
というより、その目算が高いだろうとトラヴァーは思っていた。
「なんでまじめに仕事してきた私がこんな目に」
真面目に仕事をしてきて、その仕事ぶりを認められたからこそ目を付けられたのだから、皮肉なものである。
確かに事情を知らない裕福な他国から見れば、胡散臭い商売をしているように見えるかもしれない。
だが、少なくともトラヴァーは、誰に恥じることのない商売をしてきたつもりだ。
後ろ暗いことや、お天道様の下を歩けないような真似をしたこともないと思っている。
だからこそ。
今回のアグニーに関しては、非常に胃に来ていた。
「それで、そのー。何か不自由していることはありませんか?」
トラヴァーは目の前でソファーに座っているアグニー、タックに訊ねた。
二人は今、トラヴァーの仕事部屋に居り、タックはソファーに腰かけている。
お茶菓子としてたっぷりと用意されたクッキーやケーキなどを、心底幸せそうに口いっぱいに頬張っていた。
どこまでもまったりとした表情で目を細めているその様子は、見ているだけで幸せな気分になれそうなものである。
まあ、トラヴァーは今にも胃が張り裂けんばかりなわけだが。
「一応お部屋とかも、それなりのものを用意させているんですが」
それなり、といっているが、タックは実際にはかなりいい部屋に寝泊まりしている。
ふかふかのベッドに、別々の風呂場とトイレ。
常備されているお菓子やお茶に、電話一本で届けられるルームサービス。
さながら、ホテルの様な住環境である。
当然ながら、着るものや食べ物に関しても高級なものが用意されていた。
それもそのはずで、トラヴァーにとってタックは奴隷というより、賓客という扱いなのだ。
酷い目にあわせてしまっている以上、せめて不自由をしないようにしてもらうのが当然だと思っていた。
聞かれたタックは、ハッとした様子で顔を上げる。
おそらくお菓子に集中して、話を聞いていなかったのだろう。
何事か考えた後、指でピースサインの様なものを作り、前に突き出した。
「じゅうにさいっ!!」
トラヴァーは頭痛をこらえるように表情をゆがめた後、無理やりに笑顔を作った。
「まあ、その。何かあったらすぐに言ってください」
ああ、もう。
いっそどっかの誰かが、いまだに逃げ回っているというアグニー族のところに、彼も連れて行ってくれないかなぁ。
もしくは、安全にメテルマギトに届けてくれるとか。
なんでもいいから、とにかく穏便に、タックにとって幸せな形でどうにかしてくれないもんか。
極々小さな声でそうぼやき、トラヴァーは大きなため息を吐いた。
一介の奴隷商人にできることなど、たかが知れている。
非常に他力本願な上に、どうすればよいか具体的な方法すら思いつかない願いだが、偽らざる本音だ。
とりあえず今のトラヴァーにできるのは、お国とその代理人であるお貴族様が、何か言ってくるのを待つだけである。
「ほんとに、どうしてこうなったんだ」
「だいじょうぶ? おかしたべる?」
「ああ、その。ありがとうございます」
悲鳴のような声を上げるトラヴァーを気遣い、タックがお菓子を手渡した。
トラヴァーは何とも言いようのない表情でそれを受け取ると、泣きそうな顔で齧る。
こんな時でも、甘いものは少し元気をくれた。
包み紙を見ると「木漏れ日亭」というロゴマークが入っている。
聞いたことがないメーカーだが、どこのものだろうか。
一瞬不思議に思ったトラヴァーだったが、すぐにもっと重要なことがあることを思い出し、再び溜息を吐いた。
「こりゃ、思ったよりもやりやすそうじゃない?」
狭い通気口の中で、プライアン・ブルーは口の端を釣り上げて笑った。
既に書類なども写し終え、建物の中で得られる情報はあらかた手に入れてある。
先ほどのトラヴァーの極々小さなつぶやきも、きちんと拾わせてもらった。
あとはこの情報を持ち帰って検討し、囚われのアグニー族タックの意思を確認するだけである。
「さ、帰ってアイスでも食おうかなっと」
プライアン・ブルーは体を僅かに動かすと、その体を闇に溶け込むように消滅させた。
いくつもの身体を作り出せるプライアン・ブルーにとって、退避はわざわざ足で行うより、消滅させた方が早いのである。
プライアン・ブルーが消えた通気口には、何も残っていない。
当然、侵入した証拠は残していない。
唯一例外は、遊び心で残してきたクッキーだけだったが。
それも何かにつながる証拠にはならず、まったく足の付かないものである。
これをたどって何か別の情報につなげるといった芸当は、罪を暴く天使にでもない限り不可能だ。
もし何かが残ったとすれば。
「木漏れ日亭のクッキーってうまいな」
という、感想ぐらいなものであった。
捕まってるアグニー第一号
比較的幸せそうです
本編とは関係ないことで、非常にあれなんですが
「木の精霊に転生することになったんだけど想像してたのと違う」
という話を、小説家になろうさんで書かせていただいています
面白くかけていると思いますので、もしよろしければ読んでみてくださいませー