百三十話 「なんだろう。急につらい生き方な気がしてきた。やっぱり今のままでいいかなぁ、僕ぁ」
ディロード・ダンフルールは、非常に特異な外見的特徴を持っていた。
それだけ見れば、物語などに出てくる魔王だ、などと言われても信じてしまうような種類のものだ。
黒い翼に、鋭い鈎爪。
頭にはねじくれた角があり、髪は雲や雪のように白い。
浅黒い肌に、白目が黒く、黒目部分が真っ赤に染まった特徴的な眼球。
これらのどれか一つ、あるいは二つ程度であれば、同時に有している種族はいる。
だが、全てを同時に併せ持っている種族というのは、「海原と中原」には存在していない。
ならば、何故ディロードはこんな外見をしているのか。
「のぅのぅ。前から思って居ったんじゃが、お前さんずいぶん変わったびじゅあるをしとるのぉ。なんという種族なんじゃね?」
普通ならば聞きにくいであろうそんな疑問を真正面からぶつけに行ったのは、コッコ村の村長であり長老である、グレックス・ロウであった。
ちなみに、彼を「グレックス・ロウ」と呼ぶアグニーはほぼいない。
皆、「長老」と呼んでいるからだ。
あまりに「長老」「長老」と呼ばれるので、長老自身、自分の本名を時々忘れるレベルであった。
長老の場合、年齢からくる物忘れの恐れもあるので、ある意味怖いことなのだが。
何しろ、長老はアグニー族である。
特に原因があるわけでもなく、素で自分の名前を忘れちゃうことも、アグニー族にとってはままある事なのだ。
恐るべしは、アグニーのテキトーさ。
その「ふんわり」具合は、もはや特殊能力と言っても過言ではないだろう。
まあ、そんなことはともかく。
長老に聞かれ、ディロードは「はい?」と間抜けな声を出して首を傾げた。
時刻は、お昼ご飯が終わり、皆が仕事を始めたころである。
特に予定のなかったディロードは、村の中央にある広場の丸太に座り、うとうととしていた。
そこへ、たまたま通りがかった長老が、先ほどの質問を投げかけた訳である。
今日の長老のファッションは、ショートパンツにニットのタートルネックと言うものであった。
男の子が着ていても特に問題ない衣装のはずなのだが、どういう訳かガーリーな感じに見えてしまう。
どちらの性別が着ていててもおかしくないものを着ると、女の子に見えてしまうのだ。
長老の、どうでもいい特徴の一つである。
「あー。まあ、確かに変わった外見してますからね、僕」
「そうじゃのぉ。なんというんじゃろう、こう、いかにも魔王的なかんじじゃとおもうんじゃよね。なんか、あらゆる人類を呪ってそうな。なんでじゃろう、顔かたちだけならびっくりするぐらい美形だからかのぉ?」
長老は不思議そうな位唸りながら、ディロードの隣に腰かけた。
盛大にディスっているように聞こえるが、言われている当のディロードは特に悪い印象は受けていない。
アグニー特有の邪気のなさのおかげか、むしろ「美形だから」という誉め言葉が際立って感じられる。
長老は担いでいたツタで編んだ籠を降ろし、「ふぅー」とジジ臭く息を付いた。
見た目は美少女か美少年で間違いないのだが、動作はいちいちおじいさんチックだ。
風格などは一切なく、それがユーモラスで親しみを感じさせる。
不思議な人だなぁ、等と思いながら長老を見ていたディロードだったが、ふと別の考えが頭に浮かんだ。
思い返してみると、こういった物言いや嫌味に感じさせない雰囲気は、何も長老だけに限ったことではない。
村にいる、どのアグニーにも言えることだったのだ。
恐らくこれは、アグニー族としての特徴なのだろう。
同時に、アグニー族の生存戦略の一つなのだろうと、ディロードは思った。
アグニー族は、徹底的に危険から逃げ隠れするという特徴を持っている。
その能力はずば抜けていて、数キロ離れたところにいる危険な生物の気配も察知するほどだ。
だが、危険な相手と言うのは、何も野生の動物や魔獣だけに限ったことではない。
接することがあるであろう、ほかの種の人族が危害を加えてくる恐れもあるのだ。
むろん、最初からアグニーを害そうとする相手であれば、アグニーはその気配を察知して徹底的に逃げ回る。
相手がよほどの入念に準備をして、圧倒的な力を持って当たらない限り、アグニーをどうこうすることは不可能だろう。
しかし、近くにいる、「それまで危険ではなかった相手」が、突然襲ってくる恐れも、無くはないのだ。
例えばアグニー自身が相手を怒らせてしまえば、目の前の相手が危害を振るってくるかもしれない。
ところが、実際はどうだろう。
アグニーと直接会話をする人族は、恐らく悉くディロードと同じ感想を抱くに違いない。
のほほんとしていて、ぼへーっとしていて、まったく邪気のないその様子に、対応する方まで毒気を抜かれるのだ。
つまり、アグニーと敵対しようと思わなくなるのである。
敵を作らず、味方を増やす。
それを天然自然にやってのけている訳だ。
「なんじゃね?」
眉根を寄せじっと見つめてくるディロードに、長老は不思議そうに首をかしげて見せた。
その仕草も、とても可愛らしい。
風彦辺りが見れば、内臓系の病的なものを発症していたかもしれない。
ディロードは、顔の前で手を振って見せた。
「いや、何って訳じゃないんですけどね。ええっと。僕の種族でしたよね? あれですよ。ちょっと複雑なんですけどね。祖父母四人が、全員違う人種なんですよ」
「ほう? どういうことじゃね?」
「ええっと。じぃさんとばぁさんがそれぞれの両親に一人ずついるじゃないですか。まぁ、僕は会ったことないんですけど。その四人がですね、それぞれ、獣人、有翼人、魔人、竜人でして」
獣人は、獣の特徴を引き継いだ種族の俗称であり、様々な種族がいる。
有翼人についても、どんな翼なのかにより、幾つかに分かれていた。
魔人と言うのは、エルフほどではないものの魔力や魔法に長けた少数民族だ。
竜人はリザードマンに近い種族で、翼と角、強力な魔力によるブレスを操る少数民族である。
「僕のこの見た目は、まぁ、祖父母の特徴をそれぞれ引き継いだ感じな訳ですよ」
「ほぉー。うまい具合に特徴がでておるもんじゃのぉー」
年の功だろうか、長老はディロードが挙げた種族をすべて知っていたらしい。
そのうえで、じっくりとディロードを見据え、唸っている。
腕を組み、首を左右にかしげながら眉根を寄せている姿は、妙に可愛らしい。
その見た目と、長老の物言いのせいだろうか。
ともすれば気分を害しそうな言葉や仕草も、ディロードは全く気にならなかった。
長老はしげしげとディロードを観察してから、にっかりと笑顔を作る。
「似合っとるのぉ」
そういうと、長老は脇に置いていた籠を担ぎなおし、よっこらせと立ち上がった。
「さて、こいつをはこんでしまわんといかんのぉ。じゃーのぉ」
そういうと、長老は手をひらひらと振り、歩き去ってしまった。
ディロードはその後ろ姿を、同じようにひらひらと手を振りながら見送る。
どこか呆然としているディロードの体の表面が、わずかに光った。
その光が背後に集まり、人の形を作る。
現れたのは、人工精霊のマルチナだ。
「不思議な御仁ですね。何が似合っているのかはよくわかりませんでしたが」
長老が言った、「似合っとるのぉ」と言う言葉についてだろう。
不思議そうな顔をするマルチナに、ディロードはちらりと視線を向けた。
「まあ、主語が無いからねぇ。何が、とも、どう、とも言ってないし。でもたぶん、今の僕には分からないってことなんだと思うよ。まだ」
「まだ、ですか」
「そ。そのうち分かるようになるかもしれないし、一生分からないかもしれないし。いいなぁ。僕もああいう風に年取りたいなぁ。生きやすそうだし。って、そうでもないか?」
時々忘れそうになるが、アグニー達は元からここで暮らしていたわけではない。
別の場所から、この「見直された土地」に逃げ込んできたのである。
「確かに、彼らがここに来た経緯は問題ですが、ああいった生き方自体は素晴らしいものであると思います」
「たしかにねぇー」
「彼らは大変に働きモノです。是非見習って頂くべきでしょう」
「なんだろう。急につらい生き方な気がしてきた。やっぱり今のままでいいかなぁ、僕ぁ」
マルチナはじっとりとした視線を向けるが、ディロードはそっぽを向いてこれを受け流した。
何処までも怠けようとする主人に、マルチナは大きなため息を吐く。
そして、表情を改め、姿勢を正した。
「その、アグニーさん方に関することですが。先ほど地下ドックから連絡がありました」
「そうなの? っていうか、どうやって連絡とってるの」
「マッド・アイ・ネットワークへのアクセス権を頂いています。見直された土地の中にいる限り、どこからでも地下ドックとつながった状態と言うことですね」
ディロードはふと、近くの建物を支えている柱に目をやる。
そこには、泥で出来た球体、マッド・アイが佇んでいた。
理由はよくわからないが、何か奇妙な踊りを踊っている。
たぶん、アグニー達が食後に踊っているのを真似しているのだろう。
「マッド・アイ・ネットワークは、見直された土地と罪人の森、ほぼ全てを網羅しています」
「カバーしてないのは、あの湖とエンシェントドラゴンさんの巣だけってことね」
「そうなります。恐らくこの土地の守りは、並の要塞か浮遊島以上だろうと思われますよ。情報伝達と共有、演算、攻撃、防御を一体化したものが土地全体に配備されているなんて、聞いたことがありません」
「ガーディアン様の御業ならではなんじゃないの? あの人怖いからなぁ」
マッド・アイが近くにいるということは、当然この会話はマッド・アイも聞いている。
それは、土彦も聞いているということでもあるのだが、ディロードはまったく気にしている様子もなかった。
たとえ土彦が目の前にいたとしても、ディロードは同じようなことを言っているのだ。
公然と不平不満を口にして、少しでも不興を買って仕事をさぼりたいと思っての行動なのだが。
残念ながら現在に至るまで成功する様子は見られなかった。
マルチナが咎めるように視線を送るが、ディロードは全くこたえる様子もない。
「で、連絡って?」
「三勢力と赤鞘様の謁見も終わり、調整も終わったとのことで、囚われているアグニーの現在の状況を確認。場合によってはここへお連れする。当初予定していた行動を、いよいよ始めるのだそうです」
「へー。そうなんだ」
まるっきり他人事のような様子で、ディロードは言った。
実際、ディロードは他人事だと思っている。
現在のところ、ディロードは一応ガルティック傭兵団所属と言うことになっていた。
だが、実際のところはただ拾われて、なんやかんやあって働かされている状態なのである。
と言っても、今のところ任されているのは、アグニー族との交渉だけだ。
何しろ、相手はアグニーである。
交渉しようにも、ちょっとでも危険な相手であれば接近することすら出来ない。
ディロードは生来の無気力さが幸いしたのか、アグニーの警戒に引っ掛からなかったのだ。
そこで、ディロードがアグニー達との交渉役に選ばれ、コッコ村で過ごしているのである。
加えて、コッコ村の収穫物や、アグニーの名前と住んでいる家、その他もろもろの記録などもしているのだが。
これはマルチナが行っている、「ついで」の仕事である。
のほほんとした様子のディロードに、マルチナは呆れたような視線を向ける。
「残念ながら、出番がある様ですよ」
「出番? 僕に? なんで?」
「それは、貴方の特技を私達が知っているからです!」
ぎょっとした顔で尋ねるディロードだったが、それに答えたのはマルチナではなかった。
ディロードの脚の間、地面の下から「ボコン」と突然現れた、少女の頭だったのだ。
その少女の頭は、黒髪でニコニコとした笑顔を湛えている。
いつものんびりとしたディロードだが、流石にこれには驚いたらしい。
「うぉお!?」という悲鳴に近い声を上げ、後ろにすっ転んだ。
マルチナも予想外だったのか、短い悲鳴を上げて後ろに飛び退いている。
地面から生えた少女の頭はぐるりと周囲を見回し、そんな二人を確認してニコニコと笑顔を作った。
顔をひきつらせながらも、マルチナは何とかその少女に声をかける。
「土彦様。流石にそれは、驚きますので」
言われて、少女、土彦は実に楽しそうに「あっはっはっは!」と笑い声を響かせた。
地面を特に抵抗もなくかき分けて両手を出すと、「よっこらしょ」と言いながら体を地面から引っこ抜く。
「いえ。実は樹木の精霊方が似たようなイタズラをしていたのですがね? これが存外楽しそうでして。私もいつかやってみたいと思っていたんですが、なかなか機会が無かったのですよ! まさかスケイスラーやギルド、ホウーリカの方々にこういったことをする訳にもいかないでしょう?」
「僕らにもしないで頂けると嬉しかったんですけどね」
「あっはっはっは! そうおっしゃらずに!」
土彦は全身を地面から引っこ抜き立ち上がると、軽く服を払う。
それだけで、服などについていた汚れが消えてしまった。
元々土彦の体は、土で出来ている。
着ている服なども土を変質させたもので出来ているから、そんなことができるのだろう。
土彦はディロードが起き上がってくるのを待ってから、パチリと両手を合わせて話し始める。
「さて! 先ほどの質問についての答えですが、今しがた言ったように私達が貴方の特技をよくよく知っているからと言うことにつきます」
「あなたのとくぎ、って。え? 昼寝とか仕事をさぼる事とかそういうこと?」
「それも素晴らしい特技ではあると思いますが、それとは別の方ですよ。隠しておきたいというお気持ちはよくわかりますが、お忘れですか? 貴方を使おうと言った方々の中には、エルトヴァエル様もいらっしゃるのですよ!」
エルトヴァエルの名前を聞いて、マルチナの表情は凍り付き、ディロードは顔をしかめた。
名前が出るだけで相手を威圧できるほど、罪を暴く天使のインパクトは強烈なのだ。
土彦はにこにことしながら、言葉をつづける。
「借金を作っては辺境に引きこもり、また借金を作っては辺境に引きこもり。面白い。ええ、本当に面白い!」
ディロードは元々、借金をして生活をしていた。
借金を作っては逃げ、逃げては借金を作ってを繰り返していたのである。
もちろん、金を貸す側もバカではない。
何度もそんなことをしてれば、ディロードのことを危険人物として注意するようになるだろう。
横のつながりがある業界なので、そういった人物の情報はすぐにほかの業者にも伝えられる。
あっという間にディロードの名前は広がり、金を貸してくれるところは無くなるはずだ。
この世界は、魔法の発達した世界だ。
顔写真のようなものはもちろん、個人を識別する特殊な魔法も多く出回っている。
貸金業者も、当然そういったものを使っているだろう。
にもかかわらず、ディロードはそれを掻い潜り、借金に借金を重ねまくってきたのである。
どうして、そんなことができたのか。
「貴方の見た目は少々独特です。ほかの見間違えることはないと言ってよいでしょう。変装したとしても、そうやすやすと隠し立てできるものではありません。相当の魔法技術が必要です。ですが、見た目などを多少変えただけで、昨今の個人識別魔法をどうこうできるわけがない」
そこで区切ると、土彦は口の両端を吊り上げた笑顔を作る。
ディロードはそれを見て、嫌そうに顔をしかめた。
「では、どうしたのか。貴方は貸金業者の情報蓄積装置に侵入して、中身を書き換えたのだそうですね?」
地球でいうところの、クラッキングだ。
違法とされている国が大半だが、そういったことをする連中は後を絶たないものである。
それ自体は、珍しいことではない。
問題は、その先である。
「ただ。おかしいですね? 貴方は幾つかの国にまたがって、借金を作り続けていた。それらすべての国の貸金業者からブラックリストに載せられているのに、それらすべての情報を書き換えている。これは明らかにおかしい」
この世界の魔法は、国によって全く異なった体系を持っている。
ギルドのような国際組織が使っているものは別として、各国の魔法知識が外に出ることはほとんどない。
もし出たとしても、全く体系が異なる技術によってつくられているものである。
よほど優れた技術者が何十人がかりで、何年もかけて解析しなければ、使い方さえわからないことが殆どだ。
にもかかわらず、ディロードは異なる技術体系で作られたはずの幾つもの魔法装置に、侵入し、中身を書き換えてきたのだという。
「貴方は類まれな特技をお持ちだ。わずかの間にその国の魔法技術を解析し習得し、技術の粋であるはずの情報蓄積装置に外部から侵入して中身を書き換えるという芸当をやってのける。ああ、すばらしい! なんてステキなことでしょう! 心が洗われるようなお話です!」
土彦はキラキラと笑顔を輝かせ、パチリと両手を合わせた。
それが本当だとすれば、いや、エルトヴァエルが調べた以上、本当のことな訳だが、もはや異能力と言っていい次元のものだ。
「貴方の特技と言うのは、つまるところ情報処理能力だ。体を動かすのではなく、頭を動かす。それでいて、貴方には恵まれた魔力がある。それを有効に使う知識も、的確に使うだけの技術もある。だけではなく、貴方には大変に心強い相棒までいる。高度な魔法を使いこなす人工精霊マルチナさんです」
土彦の表情が輝いていくのとは対照的に、ディロードの表情はげんなりとしていく。
見ている方まで気力が抜けていきそうな顔だ。
「今回の仕事に、貴方のその能力はとても役に立ちます! アグニーさん達がとらわれている場所には、貴方がすでに魔法体系を習得している国も多いですから! 貴方が内側から崩し、セルゲイさん達が外側から手を伸ばせば、より安全で確実にアグニーさん達を助け出せるはずです!」
確かに、ディロードの特技は今回の仕事に、大いに役に立つだろう。
アグニー達がとらわれている施設には、防衛や監視のための魔法装置がふんだんに使用されているはずだ。
それらを混乱させることができれば、アグニー救出がどれだけ楽になるかわからない。
本来であれば、外部から別の魔法装置を使って誤魔化す、あるいは破壊するしか方法が無いはずだった。
だが、ディロードの知識と技術を生かせば。
取りうる行動の選択肢が、一気に広がる。
「いやいや、ちょっとまってくださいよ。もう行くことになってるんですか、僕。拒否権は。っていうか、せめて行く意思があるかどうかとかの確認は取ってみてもいいんじゃないかなぁーって思うんですけど」
「確認する必要もないでしょう。このお話、受けた方が得だということを貴方ならよくわかっているはずです。もちろん、断ることができないだろうということも」
唇の両端を吊り上げて笑う土彦を見て、ディロードはがっくりと項垂れる。
確かに、ディロードにとっては悪い話ではない。
様々な国の貸金業者に借金を作っているディロードは、追われる身である。
一部業者所有の船を破壊したこともあり、捕まれば確実に臓器などを売り飛ばされることになるだろう。
だが、今回の仕事を受け、やり遂げたとしたら、どうだろうか。
ガルティック傭兵団は、「見直された土地」に住む権利を得るという。
もちろん、その中にはディロードのことも含まれている。
現在の所「見直された土地」に入ることができるモノはほとんどおらず、当然借金取りが追いかけてくることもない。
食べ物や飲み水、住処なども、コッコ村の手伝いなどをしていれば確保できる。
逃げ込む先としては、理想的だ。
逆に、仕事を断るとしたら、どうなるだろう。
残念ながら、ディロードが考える限り、「断ることができない」と言うのが答えになる。
断るには、あまりにも土地の内情を知りすぎてしまった。
それに、変なガーディアンにも腕を見込まれてしまっている。
恐らく土彦は、泣こうが喚こうがディロードに無理やり仕事をさせるだろう。
それが「見直された土地」にとって有利になるとすれば、どんな手段でも取るはずだ。
「でもほら。僕がいない間、コッコ村での仕事って誰がするのかなぁーって」
「確かにそれは心配ですね。マルチナさん、どうすればいいと思います?」
「はっ。仕事と言っても、実際に作業をしていたのは私でした。作物等、生産物の在庫管理。ガルティック傭兵団からの発注に合わせた出荷数の管理。等々、比較的簡単なものばかりです。私が不在だったとしても、別の方にすぐに代わって頂けるものと考えます」
背筋を伸ばしてのマルチナの答えに、土彦は満足げにうなずく。
「なるほど。ですが、貴方方以外でコッコ村に近づける方がいらっしゃるでしょうか?」
「大変恐縮ではありますが、コウガク様が適任かと思われます。ギルドなどと取引が可能になりましたし、簡単な記録装置ならばすぐに手に入ると思われます」
「ああ! そういった手がありましたね! すばらしい!」
土彦は満面の笑みで、パチリと両手を合わせた。
全く淀みなく言葉が出て来たところを見ると、恐らく事前に打ち合わせしていたのだろう。
コウガクにも既に話が行っているものとみて間違いない。
ディロードはゆっくりと体を丸太の上に横たえると、長い長い溜息を吐いた。
「おや。諦めが早いですね?」
「抵抗しても無駄みたいですし」
「それはいいことです! 物分かりがいいのは美徳ですとも!」
「ただ、一応僕非戦闘員ですからね? 身の安全はお願いしますよ、せめて。ホント」
「ご安心を。アグニーの方々は、貴方のことを気に入っていらっしゃるようですから」
アグニーが気に入っているから、身の安全が保障されるということだろう。
逆に言えば、それ以上の理由はない、と言うことだ。
何かの理由でアグニー達がから不興を買えば、その時点で価値が無くなる。
ディロードは土彦の言葉を、そう捉えた。
「なるべくごきたいにそえるよう、がんばりまぁーす」
「やる気があるのはよいことですとも」
全くやる気が感じられないディロードの言葉だったが、土彦はニコニコとした笑顔を浮かべている。
そんな主とガーディアン様のやり取りに、マルチナはどこか満足げにうなずいていた。
だが、何か気になる事でもあったのだろう。
横の方へ顔を向けると、少し困ったような表情を作る。
「ところで、土彦様。あちらは、その、よろしいのでしょうか」
マルチナの言葉に、土彦とディロードはその視線の方向に顔を向ける。
その先に居たのは、ディロードと同じように丸太に座っている、狩人アグニー、ギンの姿だ。
今日は狩りが休みの日らしく、広場でのんびりとしていたらしい。
その前に居るのは、風彦である。
ただそこにいるわけではない。
ギンのほっぺたを、両手でもちもちしているのだ。
「あ、あっ! すごいっ。 アグニーさん達の中でもしゅっとしてる感じのギンさんのほっぺたでもこの破壊力だなんてっ。 あ、すご、かわいいっ! かわいさの化身ですよこれはっ!」
何やらとろけそうな表情をしている風彦にほっぺたを揉みしだかれながら、ギンは苦笑を浮かべている。
下手をしたらドン引きされそうなところだが、風彦の至極幸せそうな顔がそれを緩和しているのかもしれない。
だが、それに誤魔化されず、不機嫌さを全面に出しているものもいた。
ギンの背中側に抱き着き、頭の上に顎を載せている、カラスのカーイチだ。
不機嫌そうに頬を膨らませ、じっとりと風彦を見据えるその姿は、まるで所有権を主張しているようにも見える。
ではあるのだが、その様子は実に可愛らしく、むしろ風彦を喜ばせることになっていた。
風彦はにっこりと笑うと、ギンの頬から手を放す。
「大丈夫ですよ、取ったりしませんから。あ、でも、ちょっと、ちょっとそのままでお願いします。ちょっとでいいですから。ほんのちょっと」
言いながら、風彦は素早く立ち上がると、そそくさと二人から離れていく。
ある程度距離をとると、ギン達の様子をじっと見つめながら、なにやら両手を合わせ始める。
「はぁ。ムリ。もう、あっ、ムリ。なんでしょうこれ、もう、尊さすら感じる。かわいい。むり。これ、どうしよう」
ブツブツとそんなことを呟く風彦だが、声が小さすぎるからだろう。
ギンとカーイチには内容が聞こえないらしく、どちらも不思議そうに首を捻っている。
それがさらに風彦を追い詰めているのか、今度は両手で顔を押さえて細かく振動し始めた。
「風彦様って、かわいいのすきなのね」
困惑するマルチナを他所に、ディロードは何やら納得した様子でうなずいている。
土彦は、楽しげに笑いながら、両手を叩く。
「ずっと緊張のし通しでしたから。ああして発散しているのでしょう。ああ、ですが、確かにあれは可愛らしいですね。ギンさんとカーイチさんもですが、風彦もなかなか。ああ、そうだ! アンバフォンで記録しておきましょう」
名案を思いついたというように手を叩くと、土彦はアンバフォンを取り出した。
不思議そうに風彦を見ているギン達と、悶えている風彦にレンズを向け、パシャパシャとシャッターを切り始める。
「なんだろう。元々なかった労働意欲が一気に消滅していくこのかんじ」
そんなディロードのつぶやきに、マルチナは疲れたように溜息を吐くのであった。
予定していたより、ディロード(樽)の話が長くなったな、って思いました
なので、次回もうちょっとアグニー村と、あと傭兵の人達の話とかやりたいです
その後、赤鞘と門土の話も書きたいです
で、なんか本編とは関係なくて大変恐縮なんですが
「天空の森」冒険者ギルド支部 ~超ド辺境の兼業宿屋では、メシを食うのもそれなりにタイヘン~
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木の精霊に転生することになったんだけど想像してたのと違う
https://ncode.syosetu.com/n8545em/
と言うのを書いてました
良かったら読んでみてください
面白いと思います