百二十八話 「青春にござるなぁ」
精魂尽き果てたといった様子で椅子に座りながら、アニスはぽかんと口を開けていた。
放って置いたら、そこからタマシイなどが出てきそうなほどの脱力具合だ。
そんなアニスの横には、キャリンが立っていた。
心配そうにアニスを見ているのだが、どうしていいかわからないらしい。
何かしようとしたり、声を掛けたりしようとするものの、結局思い止まるといったことを繰り返している。
二人が居るのは、「エンシェントドラゴンの巣」の内部にあるキッチン。
その近くに用意された、休憩室である。
三勢力の代表が集結したこの日、アニスは大変な役目を果たしていた。
彼らが食べる、夕食の製作である。
と言っても、作業自体にはほとんど問題はなかった。
来た人数が限られていたため、作る量自体もそう多くはない。
手伝いをしてくれたメイド服や執事服のゴーレム達はとても優秀で、作業自体もけっして大変なものではなかった。
では、なぜアニスがこんなに疲れているのかと言えば。
完全な気疲れである。
なにしろ料理を振る舞う相手は、世界的なビップばかりなのだ。
三つの勢力は、アインファーブルから出たことのないアニスでさえ知っている所ばかりである。
まして、ボーガーやバインケルトなどは、新聞などでも見たことがあるほどだ。
流石にトリエアの名前は知らなかったのだが、ホウーリカという国名は知っているし、そこのお姫様と聞けば、どれほど尊い立場なのか嫌でもわかる。
そんな方々に、自分が作った料理をお出ししたのだ。
今まで感じたことのないプレッシャーが、アニスに圧し掛かったのは言うまでもない。
それでも、料理を作っているときはまだよかった。
忙しさで、気がまぎれたからだ。
だが、それが終わり、運び出されていく料理を見送ってしまうと、それまで忘れていた緊張が一気に押し寄せてくる。
信じられないほど鼓動が高まり、心臓が口から飛び出すのではないかと思ったほどだ。
仕事をすれば気がまぎれると考えて、後片付けをしようとも考えたのだが、それはゴーレム達が行ってくれていた。
何もやることもなく、ただただ緊張し通しの時間がしばらく続く。
それが解けたのは、ゴーレム達から食事が終わったことと、料理の評判はとてもよかった、という言葉を聞いた後だった。
今のアニスはまさに、その脱力の真っ最中という訳だ。
「いやいや、アニス殿はよほどお疲れの様子でござるな! ずいぶん張りつめていた様子でござったから、無理もないというものでござるがな!」
休憩室に居るのは、アニスとキャリンだけではなかった。
水彦と門土も、同じ場所にいたのである。
どうしてこんなところにいるのかと言えば、単に暇だったからだ。
なんとなくこの部屋でくつろぎながら、アンバフォンで例の生放送を見ていたのである。
ちなみに、今は赤鞘達がトリエアにドッキリを仕掛ける場面がライブ配信されていたりした。
「そうはいっても、いちじかんぐらいあのちょうしだぞ。きゃりん、めちゃくちゃきょどってるし」
いつも通りの無表情で言いながら、水彦はキャリンの方を見つつ、手に持ったポンクテを齧った。
蒸したポンクテを丸めたもので、味付けは塩のみ。
ほのかな甘みと塩味が合わさって、なかなかにおいしい。
門土の方は、根野菜を齧っている。
ポンクテも根野菜も、アグニー達が作ったものだ。
キッチンに運び込まれたものを、くすねてきたのである。
「しごとがおわったなら、へやにもどればいいのにな」
「どうやら、夜食の注文も受けているそうでござってな! その確認の為に待機しているそうでござる!」
「あー。はらへっても、かいにいけるようなばしょないもんな。ここ」
何しろ、ここは「エンシェントドラゴンの巣」の最下層にある宿泊施設なのだ。
マッド・アイ・ネットワークから独立した「ダンジョンズ・ネットワーク」に維持管理されているここには、売店のようなものは存在してないのである。
代わりに、各部屋に設置されている通信機を使ってフロントに連絡を入れれば、飲み物やアメニティグッズなどが届けられるシステムになっていた。
ちょっとした軽食も、その中に含まれている。
この軽食を監修したのは、もちろんアニスだ。
とはいっても、注文のすべてをアニスが作る訳ではない。
四六時中起きているわけにもいかないので、軽食の調理はメイド服ゴーレム達が行うことになっているのだ。
そのために、メニューは調理が比較的簡単なものになっている。
ただ、それでも全て任せておく、というのは、アニスの性格的に難しかったらしい。
最初の注文で作られた品物をチェックしてから、与えられた部屋へ戻ることにしていた。
現在の所注文は来ておらず、アニスは魂が抜けそうな状態で待機しているのだ。
「しかし、実際に注文するのは中々に肝が据わっておらねば、出来ぬような気がするのでござるがなぁ!」
確かに、場所が場所だけに「腹が減ったから軽食持ってきてー」と言えるものはなかなかいないだろう。
たとえ「気軽に注文してくださいねっ!」等と言われていたとしても、なかなか踏ん切りがつかないものではなかろうか。
もちろん、お国柄や個人の気質などによって、違いはあるだろう。
それでも、ここがどこなのかを考えれば、普通の人間なら遠慮の一つもするはずだ。
ではあるのだが、水彦は少し違う考えらしい。
「いや。ひとり、ちゅうもんしてきそうなやつがいるな」
「ほう! そんな肝の座った御仁に心当たりがあるのでござるか!」
「ふくすうの、ぷらいあん・ぶるーってやつだ」
その名前を聞いた門土は、わずかに目を細めた。
「“複数の”プライアン・ブルー。お会いになったことがござったか」
「おお、いちどな。しってるのか」
「名前だけは。それがしら兎人とは異なる技ではあるものの、相当な剣の使い手であるという話でござるな。もっとも、ドッペルゲンガー能力のほうが有名ではござろうが」
門土の言う通り、プライアン・ブルーと言えばその特殊能力が有名だ。
同時に、凄腕の剣士としても名が通っていた。
個人としても強力な使い手が、能力によって同時に複数存在することが出来る。
その脅威度は、相当なものと言っていいだろう。
一度会ったことがあるだけの水彦だが、その実力は確かに感じることが出来ていた。
「そうだな。げんどうはあれだったけど、うではよさそうだったぞ」
「はっはっは! それはそれは! 一手お相手願いたいものでござるが、流石にここでは難しいでござろうな!」
かなり豪快な性格の門土だが、場所を弁える程度の分別はある。
水彦は「別にここでだって戦ってもいいんじゃないか」と思っているのだが、口には出さなかった。
「見直された土地」は、水彦にとって実家そのもの。
自分の家で何をしようが、文句を言われる覚えはないのだ。
ではあるのだが、水彦も「ここでやるのは難しいだろう」と考えていた。
と言ってもその理由は、門土とは全く別の種類のものである。
実際にやったら、エルトヴァエルにめちゃくちゃ怒られそうだから。
それが、水彦が手合わせを思い止まる、最大の理由であった。
基本的に水彦の判断基準は「エルトヴァエルに怒られるか否か」なのである。
「もんどは、うでだめしをするために、たびをしてるんだったよな」
「いかにも! 強い相手、困難な戦場を求めての旅でござるな!」
野真兎という、兎人の国出身である門土は、武者修行の為に旅をしている。
その道中でコウガクと出会い、水彦と出会うことになったのだ。
今は水彦と行動を共にしているが、目的自体は変わっていない。
「なら、ちょっとつきあっていけ」
「ほぉ。わかりもうした、ご同行いたそう。して、なににでござるか?」
説明をしない水彦も水彦だが、聞かずに行くと答える門土も門土である。
恐らく、似た者同士なのだろう。
そんな門土に対し、水彦は何事か満足した様子でうなずいた。
「あぐにーが、つかまってるところだ。つれだして、あぐにーたちのむらに、おくりとどける」
「はっはっは! それは、なかなかに面白そうでござるな!」
水彦の言葉に、門土はすこぶる楽しそうに笑う。
その時だ。
部屋のドアがノックされ、メイド服ゴーレムの一体が入ってきた。
「客室から、軽食のご注文がありました。調理の様子を確認していただきたいのですが、可能でしょうか?」
「は、はいっ! 直ぐ行きます!」
アニスは弾かれたように立ち上がると、慌てて部屋を飛び出していく。
キャリンもそれに、「ちょっと、様子を見てきます」と言って続いた。
残された水彦と門土、メイド服ゴーレムは、手を振ってそれを見送る。
「青春にござるなぁ」
「わかい」
まだ創られてからそれほど経っていないくせに、達観した顔でいう水彦であった。
そんな水彦に、メイド服ゴーレムが声をかける。
「ご注文を頂いたお客様なのですが。対応した男性型ゴーレムをずっと口説いているようなのです。どう対処すればよろしいでしょう」
メイドゴーレム達は、「ダンジョンズ・ネットワーク」の一部だ。
直接の管理者は、エンシェントドラゴンになっている。
何か問題があった場合は、エンシェントドラゴンに指示を仰ぐことになっているのだが。
現在は別の仕事にあたっているので、手が離せないのだ。
となると、次にお伺いを立てるべきは制作者である土彦である。
だが、こちらは今まさに、赤鞘のおもりという大変な仕事に従事している真っ最中。
巡り巡って、一番近くにいるガーディアンである水彦のところに来たわけだ。
人選ミス感は拭えないが、一応水彦は上司にあたるので、仕方ないのだろう。
「どこのばかだ、そいつは」
「プライアン・ブルー様です。その、直接お会いすればゴーレムだとお分かりになるのでしょうが、通話機越しですと声だけですので、お気づきになっていないらしく……」
「ほっとけ」
全く悩まないで放たれた水彦の言葉に、門土は愉快そうに笑い、メイド服ゴーレムは困惑した様子でうなずくのであった。
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赤鞘がドッキリを仕掛けた、翌日。
早速その日から、スケイスラー、ギルド、ホウーリカの三勢力同士で、話し合いがもたれることとなった。
赤鞘に会う、という最大の目的は、既に達せられている。
となれば、次はもう一つの目的を果たそう、という訳だ。
話し合いは、風彦を議長として進められる。
本来はエルトヴァエルが議事進行を行いたかったのだが、赤鞘のそばに居なければならなかった。
目を離すと、突拍子もないことをするのが赤鞘である。
偉い人がたくさん来ているときに赤鞘だけで放って置くには、危険すぎるのだ。
樹木の精霊達や土彦、風彦におもりを任せるという手もあるが、それでは効果が期待できない。
何しろ、樹木の精霊達は遊び好きだ。
赤鞘のする「とんでもないこと」を、手助けするだろう。
土彦に関しては、そもそも赤鞘のすることを止めるという選択肢が無い。
赤鞘のすることが最も正しく、それにそぐわないものはすべて排除すべきだと考えているからだ。
風彦はずいぶんまともだが、抑止力としてはやはりあてにはならない。
基本的には常識的な行動をとれるのだが、いかんせん流されやすいところがある。
経験も少ないので、赤鞘を押しとどめるのは難しいだろう。
こう考えると、赤鞘のおもりというのはかなり難しい仕事なのだ。
それを遂行できるのは、エルトヴァエルぐらいしかいないだろう。
もしかしなくても、現在の「見直された土地」は、エルトヴァエルのおかげでもっていると言っていい。
まあ、そのエルトヴァエルも少なからずやらかしてはいたりするので、世の中ままならないものである。
赤鞘が祀られている、三つの社。
その近くに敷かれたブルーシートに座り、エルトヴァエルはタブレット風の大型アンバフォンを見据えていた。
映っているのは、三勢力が会議をしているライブ映像だ。
エルトヴァエルはそれを確認しながら、議長役の風彦に指示を飛ばしているのである。
とはいっても、風彦は今のところ、問題なく仕事を果たしていた。
何か口出しをする必要もなく、エルトヴァエルはその様子を眺めているだけになっている。
始まる前は、かなり自信が無い様子で弱音を吐いていたのだが、何とかなっているようだ。
三勢力の話し合いを懸命にまとめる風彦に、エルトヴァエルは満足げにうなずく。
そして、ふと顔を別の方向へと向けた。
視線の先に居るのは、赤鞘と樹木の精霊達だ。
どうやら今は、すごろくのようなボードゲームをしているらしい。
流石に人数が多いからか、樹木の精霊達は二人で一つのコマを動かしている。
それでも赤鞘と樹木の精霊達で、コマは五つもあった。
皆、表情は真剣そのもの。
押し黙ったまま、回転するルーレットを見据えている。
ルーレットが回る速さがゆっくりと落ちていき、ある数字を指して止まった。
「あ、5だ」
「最大が6ですから、なかなか良い数字ですね」
「いちばんおおきいのじゃないのが、あかさやさまらしーねぇ」
樹木の精霊達の物言いに、赤鞘は苦笑を漏らす。
コマを持ち上げ、5マス分進める。
そこには指示が書かれており、赤鞘と樹木の精霊達は身を乗り出してそれを読む。
「ええっと。困っている村を助けるために、五万ゴールド払う。ああー、次に商店のマスに止まったら剣を買おうと思ってたのに、お金なくなっちゃいましたねぇー」
「やったー! あかさやさま、またあしどめー!」
「すごい。ゲームなのに赤鞘様の人間だったころをなぞる様な展開だ」
「しゅっげぇー!」
マスの目に書かれていたのは、どうやら赤鞘にとって不利な内容だったらしい。
ゲームの結果に一喜一憂する赤鞘達を見て、エルトヴァエルは微笑ましそうに笑う。
昨日は、緊張のしどうしであった。
こうやってリラックスするのも、大切だろう。
といっても、本当に心から休んでいるわけではない。
こうしている間にも、赤鞘は土地の管理を続けている。
本体である鞘を地面に突き立て、力の流れに干渉し続けているのだ。
土地神である赤鞘は、力の流れに干渉することで、土地を治めてきた。
地球に居た頃から、常に続けてきたことではある。
だが、今の見直された土地は、非常に「荒れている」状態だ。
赤鞘はそれを制御しようとして、強い干渉を続けている。
その労力は、地球に居た頃の数倍、数十倍になるだろう。
赤鞘が本当にゆっくりとリラックスできるのは、恐らく「見直された土地」が落ち着いた後。
百数十年か、あるいは数百年先のことになるはずだ。
元々は人間であった赤鞘にとって、それは短くない歳月のはずである。
天使であるエルトヴァエルに、手伝えることは多くない。
もっとも役に立てそうなことと言えば、雑事を片付けることぐらいだろうか。
少しでも赤鞘の手伝いをすることが、自分の役目だ。
エルトヴァエルは、そう考えている。
赤鞘が本当にゆっくりと休める様になるまで、自分も頑張らなくてはならない。
そう決意を新たにすると、エルトヴァエルはタブレット型アンバフォンに視線を戻した。
映っているのは、風彦が議長をしている、三勢力同士の話し合いライブ映像だ。
それぞれの最高責任者としてきている三名は、皆穏やかな表情をしている。
バインケルトは穏やかな笑顔を湛えているし、トリエアは満面の笑顔。
ボーガーに関しては、落ち着き払った様子にしか見えない。
しかし、実際には火花が散るような戦いが繰り広げられている。
少しでも自分達が利益を得るため、全員が文字通り必死の攻防を繰り広げているのだ。
彼らにとって「自分達の利益」とは、つまり国や所属する団体の利益である。
ここで成功を収めれば、多くの民に幸福が訪れるだろう。
逆に失敗すれば、何十万、何百万という民が辛酸を舐めることになるかもしれない。
それは、国を代表してやって来ているバインケルトとトリエアだけに言えることではなかった。
ギルドという、この世界における最大のエネルギー生産団体が傾くようなことになれば、その影響は国一つの不利益程度では済まないだろう。
何しろここでいう「利益」とは、金や土地などという代わりの利くものではないのだ。
神とそれに連なる者達からの「好意」なのである。
自分達が「金銭」や「労力」や「物品」などを提供することで、それが得られるのであれば。
神が直接人々の生活に影響を及ぼし、時にその姿を現すこともあるこの世界「海原と中原」に置いて、これ以上の「利益」は無いだろう。
ましてそれが、最高神自らが異世界より招いた神からの「好意」であれば、その価値はとても物で測れるものではない。
彼らが必死になるのも、当然。
むしろ、そうでなければならないと言っていいだろう。
三勢力のやり取りのすさまじさは、風彦の表情を見ればわかる。
完全に引きつっており、時々白目なども剥いていた。
人間社会でしのぎを削ってきた連中同士のやり取りの中に風彦を放り込むには、少し早かったかもしれない。
だが、こういったものは「習うより慣れろ」であると、エルトヴァエルは思っている。
こういう経験を何度も繰り返せば、風彦もきっと立派に成長することだろう。
カタカタと小刻みに震えている風彦を見て、エルトヴァエルは楽しそうにほほ笑んだ。
それは、風彦の成長を見守る、慈悲深い笑顔である。
けっして、嗜虐趣味的なアレではない。
また、その笑顔は三勢力にも向けられていた。
エルトヴァエルは、「人間らしさ」を非常に好んでいる。
少しでも有利な条件を手に入れようと、「話し合い」をする姿は、まさにエルトヴァエルが思う「人間らしさ」そのものであった。
強いものが弱いものを食らう。
その方法が、ほかの生物とは少々異なるのが人間だ。
言葉であったり、時に法律であったり、集団の無言の圧力であったり。
人間は人間同士の闘争に置いて、そういった人間独自の力を振るうのである。
その姿は、エルトヴァエルにすれば非常に「人間らしい」、「微笑ましい」姿なのだ。
もちろん、武器や魔法と言った「暴力」も、その中に含まれている。
エルトヴァエルはもう一度、赤鞘達の方へと目を向けた。
「えーっと、おっぱいの歌が大ヒット。十万ゴールドもらう。やったぁー!」
「あの歌ヒットするかぁ?」
「ルールはルールです!」
「ちょうていしゃは、マジメだなぁー」
実に和やかな雰囲気の中、赤鞘と精霊達がボードゲームで遊んでいる。
タブレット型のアンバフォンに目をやれば、三勢力の代表が死力の限りを尽くして「戦い」を繰り広げていた。
エルトヴァエルにとっては、どちらも好ましく、微笑ましい光景だ。
かなりアレな趣味ではあるが、エルトヴァエルとはそういう天使なのである。
「これでようやく、囚われているアグニー族を奪還しに行く準備が整いますね」
そうつぶやくと、エルトヴァエルはにっこりと笑った。
アンバレンス辺りがこの場に居たら、「むっちゃ怖い」と評価される種類の笑顔な気もするが。
今はいないので特に問題ないのだ。
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土彦が作った、地下ドックの一角。
置かれた長椅子に腰かけ、ボードゲームに興じるモノがいた。
シャルシェリス教の僧侶であるコウガクと、人の姿を取ったエンシェントドラゴンである。
彼らが遊んでいるのは、将棋やチェスのようなゲームであった。
さかのぼれば二千年ほど前に初期の形が作られたと言われるもので、奥深い戦略性から大変な人気がある。
世界大会なども開かれており、ファンはプロ選手の打つ一手一手に、一喜一憂するのだ。
ちなみに、その成り立ちにバインケルトが絡んでいたりするのではあるが、それは今はどうでもいいことである。
「さて、これでどうですかな」
「ぐっ。ううむ。流石コウガク殿。これはなかなか」
コウガクの指した手に、エンシェントドラゴンは唸り声をあげた。
どうやら、戦況はコウガク有利で進んでいるようだ。
「そういえば、エンシェントドラゴン殿。海底地形の把握をなさっておいでだったようですが、終わったのですかな?」
「なんとか。普段は空や大地の上ばかりに居るので、苦労しました」
ここ数日、エンシェントドラゴンは「見直された土地」近海の、海底地形を調べる作業を行っていた。
外で捕まっているアグニー達を奪還するための、下準備のためである。
アグニー達を直接助け出すのは、ガルティック傭兵団の仕事だ。
三勢力の話し合いが終わるのを待って、その活動を始める手筈になっている。
この地下ドックから、土彦とドクターの手によって新造された「戦闘潜水空母」で出撃するのだ。
ただ、それにはいくつかの問題があった。
この「見直された土地」は、表向きには未だ封印されていることになっている。
神様同士の派閥争い的なものやら、周辺諸国への影響やらで、公にするのが難しいのだ。
なので、封印されているはずの「見直された土地」の港から、堂々と出航することは出来ない。
海中に隠れながら、こっそりと出ていくしかないのだ。
そのためには、近海の海底地形をきちんと調べる必要がある。
出航して数分で座礁、等ということになったら、笑い話にもならない。
そうならないためにも、海底地形を調べるのは必須な訳だが。
ここに問題があった。
「見直された土地」の近海は、「見直された土地」ではない。
海の神々の領域なのだ。
そこを調べるには、彼らの許可が必要になってくる。
もちろん、海の神々がそう簡単に許可を出すわけもない。
あれやこれやと理由をつけて渋り、中には妨害までしようとするものまでいた。
アンバレンスがそれらを何とか収拾し、許可を取り付けたのがつい先日のことなのだ。
だが、許可をもらったとしても、問題は残っていた。
誰が海の中を調査するか、というものだ。
水のことなら水彦に任せればいい、と言いたいところだが、それは無理難題というものだろう。
調査などという頭脳労働を伴う仕事が、水彦に出来るわけが無いのだ。
となれば次は風彦だが、海の中には風が無いので十全に能力を発揮することが出来ない。
土彦は「見直された土地」から離れるのを嫌うし、調査に出たものが調べたデータを地下ドックで受け取り、記録解析するという別の仕事がある。
エルトヴァエルは赤鞘から離れられない。
樹木の精霊達や湖に住んでいる大精霊達は、縄張りの関係で海の中へ入るのが難しかった。
そこで白羽の矢が立ったのが、エンシェントドラゴンという訳だ。
ここ最近エンシェントドラゴンがあちこちへ動き回っていたのは、海底地形の調査が理由だったのである。
「はっはっは。確かに、その翼で大空を翔るのがエンシェントドラゴン殿ですからな。大変でしたでしょうとも」
「いや、それでいえばコウガク殿の方こそではありませんか」
コウガクもまた、アグニー族奪還の準備を手伝っていた。
遠く離れた場所を見ることが出来るという術を使い、アグニー達の現在位置を確認していたのだ。
アグニーがどこに何人捕まっているかというのは、既に調べが付いていた。
とはいえ、何時までもそこにいるという保証はないし、常に監視し続けるには人手が無さ過ぎる。
そこで、コウガクの術の出番になるわけだ。
特定の場所を定期的に「遠視の術」で確認することで、アグニー達の居場所を把握し続けているのである。
とはいえ、遠視の術はかなり高度な魔法の類だ。
通常であれば、そう気軽に使えるモノではない。
もちろん、それはコウガクと言えど例外ではなかった。
それを可能にしているのは、赤鞘の手助けがあってのことである。
「赤鞘様が、力の流れを整えてくださっておりますからな。術の通りが良いのですよ、この見直された土地は」
元来、遠視の術は、それほど万能に世界を見渡せる術ではない。
シャルシェリス教の聖地である「山」の一角、「岩上瞑想の間」のような特別な場所でなければ、世界全体に視覚を飛ばすようなことは出来ないのだ。
それは、世界中につながる力の流れに触れることが出来ないからなのだが。
こと「力の流れ」の扱いに関して言えば、赤鞘の専門分野である。
「見直された土地」の力の流れを、世界中の力の流れにつなぐことで、「見直された土地」全体を「岩上瞑想の間」のような場所に変えていたのだ。
この世界「海原と中原」でいえば、これは異常な状況であると言える。
まあ、赤鞘のような日本神に言わせれば、世界中の力の流れに自分の土地を合わせるのは、基本中の基本であった。
土地を治めるというのは、なにも「その土地の中だけ」を安定させることではない。
周囲、そして、自分の土地。
地域全体を調和させることこそが、「土地を治める」ということなのだ。
それが出来ないと、えらい神様にしこたま叱られることになったりする。
割に死活問題でもあるので、必須技能の一つな訳だ。
「もっとも、赤鞘様曰く、元居た世界では常識の類だ、ということですがな」
「世界が違えば、常識も違う、か。当然と言えば当然ですな」
そんな会話をしながらも、コウガクとエンシェントドラゴンは交互にコマを動かしていく。
手が進むにつれ、余裕のあったコウガクの眉間に、徐々にしわが寄り始めた。
どうやら、形勢が逆転してきたらしい。
コウガクとは逆に、エンシェントドラゴンはほっとした表情を作った。
「今、私の巣で行われている話し合いが終われば、いよいよですか」
「そうなりましょうな。エンシェントドラゴン殿は、外に出向かれるのですかな?」
「いえ。この土地にいる予定です。なにやら、エルトヴァエル様が手伝ってほしいことがあるとかで。土彦殿にも、頼まれごとをしているのですが、そちらは如何とも」
「はっはっは。なかなかどうして、苛烈な方ですからなぁ」
苦虫をかみつぶしたような顔をしているエンシェントドラゴンの言葉に、コウガクは笑い声をあげる。
その「苛烈な方」というのがどちらのことなのか、あるいは両方のことなのかは、あえて口にしない。
濁したままにしたほうが良いことが、世の中には結構あるのだ。
「して、コウガク殿はいかがなされるので?」
「今までは密に確認をせねばなりませんでしたのでここに居ましたが、これからは風彦殿が動かれるとのこと。私が遠視を使う機会は減るとのことですので、アグニーの村へ行く予定です」
「たしか、村の名前が決まったとか」
「コッコ村という名前だそうですな。なかなか、アグニー族らしい名前ではありませんか」
「違いない。ほのぼのとしておるというか、なんというか。無事、外のアグニー達もコッコ村に招くことが出来ればよいのですが」
「っと、王手ですな」
コウガクの言葉に、エンシェントドラゴンはぎょっとしてボードに目を向けた。
確かに、次の一手で王のコマが取られてしまう配置になっている。
有利に進んでいると思われたが、いつの間にか挽回されていたのだ。
「ま、まったっ!」
「待ったは無しではありませんでしたかな?」
「そういいなさるな、コウガク殿! 昨日はこちらが待ったではないか!」
「さぁ、耄碌しましたかな、覚えておりません」
「ご無体な、私の方が百は年上のはず!」
コウガクとエンシェントドラゴンは、ここしばらく毎日のようにこのゲームに興じていた。
実力のほどは、ほぼ互角。
勝ち負けの数も、引き分けである。
だが、どちらもけっして上手いという訳ではない。
将棋でいえば、「へぼ将棋」と言われるような腕前であった。
齢二百を超えるコボルトと、三百を超えるエンシェントドラゴンの勝負は、地を這うような低次元のものである。
彼らの様子を見て、周りに居るガルティック傭兵団の面々は、またか、と苦笑を漏らした。
もちろん、止めるような野暮はしない。
こうしたちょっとした悶着も、楽しみのうちだからだ。
まあ。
勝敗が賭けの対象になっているので、不干渉を貫いている、というのも、理由の一つではあるのだが。
それを知っているからこそ、コウガクもエンシェントドラゴンも意地でも負けてなるものかと、気を張り合っていたりする。
妙なところで負けん気が強く、落ち着いているように見えて意地っ張り。
コウガクとエンシェントドラゴンは、そういった部分に置いては似た者同士なのであった。
次回で、三勢力は見直された土地を後にする予定です
いよいよアグニー救出編ですね!
だがその前にアグニー村の様子をお見せしてやるぜぇえええ!
というわけで、次々回あたり、久しぶりにアグニー全開なはなしをやってみたいです
予定は未定