百二十六話 「ギルド長になんてなるものじゃないなぁ」
最後の訪問先であるギルド長「ボーガー・スローバード」が宿泊する部屋に向かう赤鞘だったが、その足取りは実に重いものであった。
難しい顔で歩く赤鞘を見て、土彦と風彦は顔を見合わせる。
足取りの重さは、ほかの二人に会いに行ったときと変わらない。
だが、どうにもその表情がおかしかった。
妙にシリアスな顔をしているのである。
「あの、赤鞘様どうしたんですか。なんだか、妙に目が鋭いというか、怖いというか」
風彦は土彦の耳元に顔を近づけると、そっと耳打ちをした。
始めてみる赤鞘の表情に、少し驚いたからだ。
風彦の行動に、土彦は目を丸くする。
そして、何事か納得した様子で頷く。
「今の。セリフを、おねぇちゃん、に変えてもう一度やって頂けますか?」
「はいっ!?」
「ああ、すみません。あまりに可愛らしかったもので。ええと、赤鞘様の目が鋭い、でしたか?」
「そうです、それです」
にっこりと笑う土彦に、風彦は素早く何度も首を縦に振る。
基本的に扱いは雑なのだが、土彦は風彦の事も非常に可愛く思っていた。
非常にわかりにくいが、普段のアレも土彦なりの愛情表現なのである。
「普段から笑顔が多いのでわかりにくいですが、赤鞘様は元来、鋭い眼つきなのですよ?」
「そうなんですか?」
意外そうな顔をする風彦を見て、土彦はおかしそうに笑う。
「いつもニコニコされていますからね、赤鞘様は」
「そうですよね。なんか、樹木の精霊さん達を膝に乗せて撫でてる様なところとか、顔だけ地面に突っ込んで唸ってるところとか、あと、アンバレンス様とお酒を召し上がってはしゃいでるところとか、そういう感じの所しか思い浮かばないんです。すごく楽しそうで」
考え込むように言う風彦の言葉に、土彦は若干顔をひきつらせて笑った。
確かに、赤鞘は基本的に親しみやすい。
へらへら笑っていたり、おバカっぽい行動をとっていることが多く、どこか牧歌的な印象を受ける。
シリアスかギャグかでいえば、ギャグキャラ寄りな神様と言っていいだろう。
だが。
土地神になった経緯を考えれば、それだけともいえない神様なのだ。
「風彦は造られてから、それほど日数も経っていませんからね。直ぐに仕事のために飛び回ることになりましたから、仕方ありませんが」
情報収集や交渉が、風彦の仕事だ。
その仕事をこなすため、創られて早々から世界中を飛び回っている。
見直された土地で過ごした時間よりも、外にいる時間の方が長いほどだ。
土彦の言葉に、風彦は一つ頷いた。
「元々、そのために創られましたから。でも、外で仕事をしているという意味では、水彦にぃも同じ。いいえ、外へ出てから今回初めて戻られた訳ですし、私よりもずっと長く外にいるんですよね」
「確かにそうですね。ですが、兄者は創られた後、しばらくは見直された土地にいらっしゃいましたから。アグニーさん達とも、とても仲がいいんですよ」
土彦にいわれ、風彦はその様子を想像してみた。
なんだかよくわからないけど、とりあえず楽しそうにはしゃいでいるアグニー達。
それと一緒に、なんだかよくわからないけど、無表情で楽しそうにはしゃいでいる水彦。
実に楽しそうな光景に、風彦は思わずほっこりとした笑顔になった。
なんだかわからないけど、というのがポイントだろう。
アグニー達の行動は理解不能なものも多いが、見ていると和やかな気持ちになれるのだ。
風彦はかわいいもの好きなので、なおさらである。
そんな風彦を見て、土彦は楽しそうに笑う。
「今回の件が終われば、風彦の仕事もいち段落つくでしょう。そうしたら、見直された土地でゆっくり過ごすとよいですよ。その間に、赤鞘様がああいう顔をなさる所を見る機会も増えるでしょう。もっとも、私もあまり見たことのある表情ではありませんけれど」
「そうだといいんですけど。外のアグニーさん達を助けに行く準備もありますし」
「根を詰めすぎるのも失敗の元ですからね。お休みは大切ですよ」
「そうですね。エルトヴァエル様に相談してみます」
風彦の笑顔を見て、土彦もにっこり笑う。
仕事の為ではあるが、風彦が外にばかりいるのは土彦としてもうあまりうれしくなかった。
土彦は、防衛に特化した考え方をしている。
大切なものはずっと守っておきたい、と考えるタイプなのだ。
出来ることなら、水彦も風彦も、見直された土地の中にずっといてほしい。
外が煩わしいのであれば、滅ぼしてしまえばいいと考えている。
だが、実際はそう言うわけにもいかないことも、理解していた。
ならば、安心して戻ってこれる場所をきちんと用意しておくことこそが、自分の仕事であると土彦は考えている。
まあ、基本的にやりすぎているので、赤鞘とエンシェントドラゴン辺りは困惑しているわけだが。
風彦と笑い合いながら、土彦はふと赤鞘の方へと視線を向けた。
斜め後ろから見える表情は、確かに常になく真剣なものだ。
おそらく、これから会うギルド長のことについて考えているのだろう。
三勢力の代表の中で、赤鞘が最も警戒していたのが、ギルド長「ボーガー・スローバード」であった。
赤鞘の経験では、あの手合いが一番怖いのだという。
何千年も国を支えてきた亡霊よりも、あの年齢で国の裏仕事を担う才女よりも、恐ろしいのだろうか。
正直なところ、土彦にはそのあたりのことがよくわからなかった。
どちらかと言えば、土彦はトリエアにこそ脅威を感じている。
目的のためには、手段を択ばない。
言葉にすれば簡単だが、それを本当に実行し、やりきるとなればまた別だ。
その手腕は評価すべきであり、素直に称賛もしていた。
まあ、もちろん赤鞘に害をなすのであれば消し飛ばそうとも思っているわけだが。
なので、あまりボーガーを脅威と見ていない土彦ではあったのだが、同時に別のことも考えていた。
赤鞘が真剣な面持ちをするぐらいなのだから、恐らく何かあるのだろう。
普段はちゃらんぽらんなようではあるが、赤鞘は短くない年月を土地神として過ごしてきている。
人間であった頃は、様々な逸話の有る侍であったという。
それらの経験からくる何かが、赤鞘にああいった表情をさせているのだと、土彦は考えていた。
となれば、土彦も警戒をしなければならない。
場合によっては、即座にボーガーを叩き潰さねばならないだろう。
「まあ、兄者もお世話になっているようですし。そうならないといいのですが」
「どうかしましたか?」
「いいえ。何でもありませんよ」
心配そうに尋ねてくる風彦に、土彦はにっこりと笑って見せた。
風彦は不思議そうにしながらも、にへらっと笑い返す。
そんな顔を見て、土彦はほっこりとした気持になるのであった。
後ろで和やかなのか物騒なのかよくわからない有様が展開されていることを知ってか知らずか、赤鞘は相変わらず真顔で悩んでいた。
前二人との会話の内容が濃かったため、正直疲れているというのもある。
ボーガーが、赤鞘の警戒しているタイプの相手だ、ということも、原因だろう。
だが。
それだけではない、何か言いようのない不安感のようなものを、赤鞘は感じていたのだ。
ほかの二人の時には感じなかった、緊張とも恐怖ともつかない感覚。
あまり感じたことのないそれに、戸惑いとともに強い警戒心を抱いていた。
その正体がわからず、戸惑っている、と言った所だろうか。
いわゆる「嫌な予感」と言ってしまえば、そうなのかもしれない。
だが、赤鞘は自分の「嫌な予感」を、いまひとつ信用していなかった。
生きている頃も、土地神になって以降も、まともに働いたことがなかったからである。
なので、今回のこれがいわゆる「勘」のようなものだとは、思えなかったのだ。
となると、赤鞘の中に「行きたくない」とか「気が重い」といった理由があるのだと考えられるわけだが。
赤鞘にはそういった覚えが一切なかったのである。
得体の知れない感覚が胸に渦巻き、その正体がわからない。
何とも気持ちが悪いことである。
だからこそ、赤鞘は気持ちと表情を引き締め、警戒しながらボーガーの部屋へと向かっているのだ。
あいさつ回りはこれまでの所、赤鞘的には非常に上手くいっている。
その勢いに乗って、今回も成功させてしまえばよいのだ。
大体にして、赤鞘はドッキリを仕掛ける側である。
主導権を握ることは、十分にできるだろう。
心配し過ぎるのは、かえって良くないはずだ。
そう思いなおし、赤鞘は小さく深呼吸をした。
いきなり訪ねていくどっきりで主導権を握り、勢いであいさつをしてしまえばいい。
何を恐れる必要があるというのか。
赤鞘はキッと表情を改めると、足の動きをわずかに速めた。
当初の目的を完全に見失っている気がしないでもないが、とにかく無事に挨拶を終わらせればよいのだ。
帰って一週間ぐらい社の中に引きこもろう。
そんな決意を胸に、赤鞘はボーガーの居る部屋へと向かうのであった。
案内された部屋で、ボーガーは資料を読みながらお茶を飲んでいた。
茶葉は部屋に用意されたもので、少々渋いが、なかなか良い味をしている。
何でもアグニー達が作ったものだとかで、材料は見直された土地で採れたものなのだという。
部屋に置かれていたパンフレットによれば、整腸作用があるのだとか。
牧畜を営む、アグニー族の知恵なのだろう。
そういった生活を送るものにとって、身体というのは大切な資本だ。
体調を整えるための知恵を、アグニー族は数多く持っているのだろう。
ボーガーは、過去に一度だけアグニー族を見たことがあった
アインファーブルからほど近い田舎町で、鍛冶屋の近くでのことである。
当時、各地のギルドの査察官をしていたボーガーは、たまたまその町のギルドに査察に入っていたのだ。
見た目は人族の子供そのままで、非常に好奇心の強いアグニー族であった。
若いアグニー族なのかとも思ったが、実際には老齢の域に達したアグニー族であるという。
外に興味があったのと、鍛冶の技術を身に着けるためにやってきたのだ、と語っていた。
まあ、鍛冶の技術と言っても、簡単な研ぎと、鉄材からちょっとした加工品を作る程度らしいのだが。
ソレだけでも、アグニー族の村では十分だし、習得して帰れば皆が喜ぶのだ、という話であった。
当時は「変わった種族もいるのだな」程度にしか思っていなかったが、まさかこういう形で関わることになるとは。
人生というのは、何があるかわからないものである。
お茶をもう一口飲み、ボーガーはふとテーブルをはさんで反対側に座るギルド職員へと目を向けた。
若い男性であるそのギルド職員は、緊張しているのか落ち着かない様子で手元にある板状の装置を操作している。
地球でいえばタブレットのようなモノであり、情報の出入力が可能な装置だ。
一応ボーガーも持っているのだが、あまり使うことはなかった。
老眼の気があるのか、長く使っていると目が疲れてしまうからだ。
ギルド職員がボーガーの部屋に居るのは、来客があったときの為である。
この場所でその心配はないのだろうが、外出先ではいつ何時客が来てもいいように準備しておくのが、ボーガーの癖であった。
夜討ち朝駆けというのは、交渉事でも案外有効だ。
ボーガー自身、よく使う手でもある。
なので、何時同じことをされても良いように、準備をしておくことにしているのだ。
幸いなことに、ボーガーは種族的に、一日の睡眠時間が非常に短い。
いつ何時やってくる相手にも対応できるという意味では、実に便利な体である。
ただ、給仕役のギルド職員はそういう訳にはいかないので、交代で待機してもらうことにしていた。
「緊張するかね?」
「もちろんしていますよ。自分が今どこに居るの考えると、震えが来ます」
「私もだよ。こういったときに非才の身というのは辛いね。立場的には私が来ざるを得ないのだろうが、場違いな気がして仕方ないよ」
「そうは見えない落ち着きぶりですけれどね」
ギルド職員に苦笑され、ボーガーは「そうかね?」と首を捻った。
どうも、ボーガーは感情が表に出ない性質らしい。
何時も平然としていると言われるが、当人はこれでも大いに緊張して居るつもりなのだ。
「よくそう言われるんだが。まあ、狼狽する中年男などという不快なものを見せずに済むというのは、利点ではあるかな」
ボーガーが肩をすくめて見せると、ギルド職員は再び苦笑する。
もう少しすれば、この若いギルド職員は休憩に入る予定だ。
交代要員がやって来たら、別の部屋で休むことになる。
そうすれば、一息付けるだろう。
明日からは緊張が続くことになるはずだ。
今のうちに、しっかりと体と気持ちを休めて置いてもらわなければならない。
もちろんボーガー自身も、体調を整えて置かなければならないだろう。
いざ土地神様に会うというところで腹痛などに襲われたら、洒落にもならない。
整腸作用があるというお茶は、そういう意味では有難かった。
温かいうちに、もう一口。
そう考えカップを持ち上げたボーガーの耳に、軽快な音楽が飛び込んでくる。
テーブルの上に置かれた、通話機の呼び出し音だ。
連絡用に持ち込んだものであり、短距離無線機の類である。
見直された土地の外と通信ができる程の出力はないが、二つか三つ隣の部屋程度であれば、問題なく会話が出来た。
若いギルド職員の表情が、緊張に染まる。
ボーガーは操作盤に指を走らせ、通話状態に切り替えた。
「問題かね?」
「ギルド長の部屋に、誰かが近づいてきているようです。人数は三人。廊下を進んで来ているようですが、対象の特定は出来ていません」
伝えられた内容に、ボーガーは「ほぉ」という感心とも驚きともつかない声を漏らした。
接近に気が付いたのは、護衛官として連れて来た者の一人だろう。
索敵能力の高い人物であり、ソレに関してならばギルド内部としては指折りの能力を持っている。
その人物が、相手が廊下を歩いているにもかかわらず特定できないというのは、よほどのことだ。
逃げ隠れする必要が無く、それでいて自分が何者か特定させない。
そこに、ココが「見直された土地」であるということを加味すれば、相手が何者なのかはおおよそ見当をつけることは出来る。
「天使様か、ガーディアン様か。あるいは……まあ、何にしてもまずはお茶の準備かな。君、すまないがお茶とお茶菓子を三人分用意してもらえるかね?」
「わかりました、すぐに」
青い顔で動き始める若いギルド職員を見やりながら、ボーガーは机の上に広げていたものを片付け始めた。
どうやら彼の休憩は、お預けになりそうである。
若いうちは、ゆっくり睡眠もとりたいだろうに。
そんなことを考えつつ、ボーガーは頭の中で来る相手との会話をシミュレーションし始める。
と言っても、内容は漠然としたものだ。
詳細まで頭の中で組み立てるような技術は、残念ながらボーガーは持ち合わせていなかった。
だが、ある程度想定することぐらいならばできる。
それがあるのとないのとでは、実際の会話はずいぶん違ってくるものだ。
「さて参った、緊張するものだなぁ」
表情一つ変えずにそんなことを呟きながら、ボーガーは余人から見ればすこぶる落ち着いた様子で、客人を出迎える準備を進めていった。
案の定というかなんというか。
ボーガーの部屋をドッキリ訪問した赤鞘は、逆に追い込まれることとなっていた。
電撃的に訪れて相手を驚かせるはずが、出迎えたボーガーの実に落ち着いた表情だ。
初めて生でリザードマンを見る赤鞘ですら「あ、これ冷静な感じのヤツだ」と分かったのだから、相当なものである。
「いやぁー、皆さんなんやかんやお忙しいでしょうから! こう、挨拶だけ先に済ませちゃえばいいなぁー、なぁーんて!」
というような挨拶ののち、赤鞘と土彦、風彦は部屋に招き入れられた。
席を勧められ、赤鞘はソファーに腰を下ろす。
当然のように後ろに立とうとした土彦と風彦だったが、ボーガーから意外な言葉が出た。
「赤鞘様さえよろしければ、お二人もおかけになりませんか。実は、お茶菓子などを持参しておりまして。水晶亭という菓子店のフルーツケーキなのですがね」
「水晶亭のフルーツケーキ!?」
その単語に反応したのは、風彦だった。
驚いた様子を見て、土彦は「知っているのですか?」と尋ねる。
その問いに、風彦はこくこくと頷いた。
「以前、ギルドにお邪魔した時に出して頂いたんです。それがもう、すごくおいしくて。普通、フルーツケーキって保存食だからあんまり期待できないんですけど、あれは凄くおいしかったんです! お土産で買って帰ろうかとも思ったんですが、売り切れだし予約もいっぱいで……!」
どこか興奮したような風彦の様子に、土彦は納得したような声を出した。
そういえば、以前にそんな話をしていたような気がする。
風彦は外に出ている水彦の所を訪ねて以来、食べる事への興味を強く持つようになっていた。
特に好むのはハンバーグなのだが、甘いものも好きな様だ。
特に必要ないということもあり、土彦自身は食べる事に全く関心がない。
だが、おいしそうにケーキを食べている風彦というのは、見てみたかった。
とはいえ、決定するのは赤鞘だ。
土彦から何かを言うことはしない。
もっとも、こういった場合、赤鞘が断る訳もない。
「よろしいんですか?」
「実は、自分の夜食にと思い持っていたのですが、連れてきた部下に止められてしまいまして。実は医者にも間食は控えるようにと言われていたのですが、鬼の目の届かないここならば、と思ったのですがね」
「あっはっはっは! いやぁー、いい部下さんじゃないですかぁー。なら、ご馳走になりましょうか?」
そんな訳で、赤鞘を真ん中に、左に土彦、右に風彦という形で座ることになった。
大きめのソファーだったので、三人で座ってもゆったりとしている。
直ぐに件のケーキとお茶が出され、早速頂くことになった。
干した果物がたっぷりと入ったケーキは、風彦の言う通り実に美味しい。
風彦は至極幸せそうであり、赤鞘も嬉しそうにしていた。
それを見て、土彦も満足そうに笑顔を浮かべている。
上質なお茶請けのおかげか、会話は実に和やかに進む。
当たり障りのない天気の事から、周辺の植生等についても話題に上った。
なんでも「罪人の森」は、元々アグニー達が暮らしていた辺りと似たような動植物が生息しているのだという。
「アグニー族の農業は上手くいっていると聞いておりますが、それも理由の一つかもしれませんな」
「同じような環境、気象条件、ってことですもんねぇ。しかし、よくご存じですね?」
「冒険者方と関わる商売だから、でしょうか。そういったことがどうしても気になるんですよ」
ボーガーの言葉に納得した様子でうなずく赤鞘だったが、その表情が凍り付いた。
冒険者、という単語で、大切なことを思い出したからである。
赤鞘は何とも気まずそうな顔で、頭を掻いた。
「冒険者と言えば、なんですが。その、ウチの水彦が大変お世話になりまして……」
赤鞘と水彦は、一部の感覚を共有していた。
土地神と御使いの繋がり、とでもいえばいいのだろうか。
そのつながりは調整が利くもので、共有する情報量を増やしたり絞ったりすることも出来た。
最近は赤鞘が忙しかったこともあり、ほとんど共有は行っていない。
なので赤鞘は、ここしばらくの水彦の行動を、把握していないのである。
ただ、それでもなんとなく予想することぐらいは出来た。
アインファーブルに行った当初は、かなり高頻度で共有をしていたからだ。
水彦の傍若無人なふるまいを、赤鞘は目の当たりにしているのである。
まあ、それを「まぁ、いっか」で済ませてもいたのだが。
しかし。
自分が目の当たりにしなかったり、エルトヴァエルが後始末をしてくれているのでここまで気にしてこなかった。
今までは「対岸の火事」よろしくそれでもどうにかなったが、今回はそうもいかない。
何しろ、迷惑をかけっぱなしな組織の長が、目の前にいる人物なのだ。
考えてみれば、見直された土地はギルドに大変お世話になっている。
見直された土地の資金源は主に水彦で在り、その水彦に金を払っているのはギルドだ。
言ってみれば、親会社のような存在である。
水彦がまだガーディアンだと知られる前から、ずいぶん目を掛けてもらってもいた。
掛けた迷惑は、十や二十ではきかないはずだ。
そこで、赤鞘はハッとある事に気が付いた。
あ、これ、保護者会的なやつだ。
水彦はいうなれば、できの悪いドラ息子のようなものである。
ボーガーはその面倒を見てくれている、世話人だ。
最近はあまり感覚を共有していなかったが、確実に迷惑をかけているだろうと赤鞘は確信していた。
にもかかわらずここまでそのことに意識が向かなかったのは、考えないようにしていたからである。
元々忘れっぽい赤鞘は、考えないようにしたことを忘れることが出来るという特技を持っているのだ。
全く自慢にならない特技だし、現在進行形で赤鞘の足を引っ張ることにもなった。
雑魚神である己の身を、こういう時は非常に恨めしく思う赤鞘である。
「いえいえ。彼のような優秀な冒険者のおかげで、ギルドは飯を食えているわけですから。むしろ、お世話になっているのは我々の方ですよ」
もちろんお世辞の類だろうが、赤鞘はほっと胸を撫で下ろした。
赤鞘は昔、村にあった保護者会を覗いたことがある。
日頃から元気に村中を駆け回り、いたずらばかりしていた少年の親が、小さくなりながら先生に頭を下げていた。
先生は「元気なのはよいことですよ」などと言って苦笑していたものだが、親の方はますます小さくなるばかりだ。
何もあそこまで恐縮しなくても、と傍から見ていて思ったものであるが。
赤鞘は今まさに、その気持ちが痛いほどよくわかる思いだった。
ボーガーの所に来るのに異様に足が進まなかったのは、これが理由だろう。
赤鞘は、たとえ意識していなくても、自分の嫌なこと、面倒なことから足を遠のけられるという特技を持っているのだ。
やはり、全く自慢にならない特技である。
「今後も、水彦殿は冒険者を続けられるとお聞きしております。私としましては、できうる限りの支援をさせて頂ければと」
「いえいえそんな! もう、がんばって仕事するように伝えておきますんで、はい!」
それはそれは、よい返事であった。
挙動不審な赤鞘を見たボーガーは若干不思議そうに目を細めたものの、直ぐに表情を元に戻す。
「そうしていただけると、大変助かります。何より、場所柄アインファーブルは常に魔獣魔物に晒されておりますから。それを討伐してくださるのは、大変にありがたい。以前のコルテセッカの件等は、実に助けられました」
普段はすぐにものを忘れる赤鞘の頭だったが、奇跡的にも「コルテセッカ」の事は覚えていた。
水彦の体を借りて、自身が斬り殺したためだろう。
確かあれには討伐隊が組織され、討伐に行く直前だったはずだ。
ある意味、獲物を横取りした形になる。
様々な準備にも手間取っただろうに、それを徒労にしてしまいもした。
コルテセッカは強力な竜種であり、無事に討伐できたことは喜ばしいことなので、そこまで気にする必要はないのではあるが。
そのあたりの感覚は赤鞘にはわかりにくいものであった。
赤鞘の頭にあるのは、「獲物を横取りしたかもしれない」ということと、「いろんな人が準備したことを無駄にしたっぽい」ということだけである。
ヤバイ、これ、水彦だけじゃなくて私もご迷惑かけてるやつだ。
事実そうであるか否かは、この際関係ない。
そんな風に考えてしまった時点で、赤鞘は崖っぷちに立たされていた。
もはや、負け戦が確定した格好である。
この期に及んでは、いかに逃げ切るかが肝要だ。
安全に逃げ切るためには、何が必要か。
優秀なしんがりだ。
こういった状況が得意で、且つ後々のことまできちんと赤鞘に代わって後片付けしてくれる誰か。
「いやぁ、見ての通り私は難しいことが苦手でして! 細かいところは殆ど任せているんですが、諸々よろしくやってくれるように伝えておきますよっ!!」
この時、赤鞘は当神も知らぬうちにうそを言っていた。
任せているのは殆どではない。
全部だ。
赤鞘は土地の管理と調整ばかりに手を取られているため、そのほかのとこはすべてエルトヴァエルが取り仕切っている。
傍から見ると、誰が一番偉いのかわからない状況だ。
ちなみに、アンバレンス的には「多分一番偉いのはエルトちゃん」とのことだった。
とにかく。
赤鞘はエルトヴァエルの、多分本天使は全くあずかり知らないところでの活躍により、危機を脱することに成功した。
難しいことは全部エルトヴァエルさんに任せよう。
妙案ともいえるそのひらめきにより、赤鞘は心の平安を取り戻すことが出来たのだ。
そのおかげか、この後の会談は特に何事もなく、無事に終了するのであった。
ようやく三勢力全てを回り終えた赤鞘は、疲労困憊と言った様子で家路へと着いていた。
後ろを見れば、そこはかとなく幸せそうな風彦に、満足げな土彦が居る。
どちらも機嫌よさげであり、赤鞘もそれを見て思わずにっこりと笑顔を作った。
赤鞘の手には、その笑顔を作った原因である、フルーツケーキがある。
お土産にと、ボーガーが持たせてくれたものだ。
エルトヴァエルや樹木の精霊達、ついでにアンバレンスの分も十分あるだろう。
勢いでよろしくやってくれるように伝える、などと言ったが、実際多少優遇してもらうようにお願いしてもいいかもしれない。
というか、水彦の事とかその辺のことをアレするためにも優遇してもらった方がいいはずだ。
赤鞘の罪悪感も多少まぎれるし。
そこで、赤鞘はハッと目を見開いた。
コレこそが、赤鞘がボーガーの様なタイプを最も警戒する理由の一つなのだ。
相手をもてなし、けっして不快にさせず、助力を惜しまず。
故に敵対する必要もなく、当然協力関係となる。
恐ろしいのはそこからだ。
なんやかんやとしているうちに、気が付くと相手に対してよい印象を持ち、若干の悪気まで覚えてしまう。
そうなったら、あちらのお願いに対して、可能な限り融通してしまったりするようになる。
共存共栄、WINWINの関係ではあるが、わずかに相手の方が利をつかむ。
そうすることで、敵を作ることなく、周囲を味方で固め、それでいて大きく成長していくのだ。
恐ろしいのは、万が一敵に回ってしまった場合である。
それは、「周囲の味方」すべてが敵となる、という事だ。
味方になれば安泰であり、けっして敵に回してはいけない相手。
ボーガーはまさにそんな人物であると、赤鞘は判断したのだ。
ならば、敵対しない限り問題なさそうなものではある。
赤鞘がこういった人種を苦手とするのは生前の出来事に起因するのだが、まあ、それは今はいいだろう。
兎に角、今はボーガーの事だ。
赤鞘は腕を組み、しばらくの間唸った。
そして、結論を出す。
「ま、いっか。エルトヴァエルさんに任せましょうかねぇ」
結局、エルトヴァエルに丸投げであった。
やはり見直された土地で一番偉いのは、エルトヴァエルで間違いないだろう。
ボーガーは、相対した人間のおおよその人となりを見抜くという特技を持っていた。
当人は直接会えばどういう人物かわかるのは当然だと思っているし、常日頃そういってもいる。
だが、その「眼力」は一種異常なほどに確かであり、ある種の特殊能力染みたものであった。
ボーガーの二つ名である「慧眼」というのは、まさにそこから来たものである。
そんなボーガーであるから、赤鞘達の事も最初の一目でおおよその事は理解していた。
特に風彦に関しては、何度もあっているだけにおおよその行動心理は把握できている。
まず、最初に席とケーキを勧めたこと。
これは、彼らに気持ちよく会話を楽しんでもらうための一手であった。
通常、恐らく護衛であるだろうガーディアン二柱は、後ろに立つものだと考える。
ではあるのだが、赤鞘はどちらかと言えば、同じ席に着くことを好む性質だ。
ボーガーはそれを、会ってから数十秒の会話で理解したのである。
そうでなければ、一緒に座り、ケーキを勧めることなど出来なかっただろう。
これによって得られた結果は、実に大きいと言える。
ケーキを勧めたのには、幾つか理由があった。
同じ席に着くことで、赤鞘は我知らず少しうれしい気分になる。
風彦はケーキを好んでおり、これを勧めれば喜んでくれるという確信があった。
それを見れば、土彦の機嫌もよくなる。
土彦の態度や仕草、視線を見れば、赤鞘だけでなく風彦の事も大切に思っていることはすぐに分かった。
ガーディアン二柱を大切に思っている赤鞘ならば、楽し気な彼らの事を見れば必ず喜ぶ。
それは、「そうだろう」というたぐいの予測ではない。
確実に「そうである」という、確信であった。
そういったことを当然の様に見抜き、沿う行動をとることが出来る。
だからこそ、ボーガー・スローバードは世界中に支部を置き、世界中の魔力生産加工を一手に担う巨大組織の長となったのだ。
もっとも、当人はあまり、乗り気ではなかったのだが。
赤鞘との会話を思い出しながら、「しかしなぁ」とボーガーは思った。
まさか水彦の件で、あそこまで赤鞘が動揺するとは、考えなかったからだ。
流石のボーガーも、相手の考えが全てわかるわけではない。
気にはかかっていることであるだろうとは思ったのだが、あれほど気にしているとは思わなかったのである。
正直なところ、ボーガーは水彦のあれこれを、特に迷惑だとは思っていなかった。
腕の立つ冒険者の中には、変わり者も多い。
言い方はおかしいかもしれないが、水彦と同じか、それ以上に妙な者もいるのだ。
なので、軽い気持ちで話題にあげてみたのだが、結果は何故かアレである。
態度から見るに、何やら赤鞘自身もボーガーに対して後ろ暗いところがあるかの様ではあったのだが。
ボーガーには、神様にそういった感情を抱かれる覚えがある訳もなく。
ひたすらに疑問が増すばかりであった。
途中、何やら吹っ切れた様子でさわやかに笑っていたのは、恐らくすべてエルトヴァエル様に任せようと考えたからだろう。
赤鞘様は細々した俗世の事とは無縁、というより、苦手とされているお方なのだ、と、ボーガーは思っていた。
「なるほど。元々は人間で、神に転じた土地神様、か」
ソファーに座りお茶をすすりながら、ボーガーはぽつりと呟く。
ボーガーは「百人斬って、護国の鬼なれば」という言葉を思い出してた。
兎人が多く暮らす、野真兎という国の言葉である。
解釈は様々あるものの、おおよそ「大勢を斬り殺してでも、国を守る」と言ったような意味合いだとされていた。
島国である野真兎は独特の価値観を持っており、他では理解できない種類のものも少なくない。
これもまた、その一つである。
特に「独特の価値観」が顕著なのは、彼らの「戦士」あるいは「騎士」階級の者達だ。
「武士、侍、か」
生前の赤鞘は、そう呼ばれる者達と同じか、あるいは非常に近い感覚を持っていたはずだ。
そして、その影響は今も根底の部分に有る。
もちろん神となった今は、そういったものとは別の、神としての感覚が強くはあるのだろうが。
「しかし、御武家様か。いやいや、これは困ったなぁ」
敵対するつもりなどは、当然ない。
足元に平伏し、ご意思に沿うように行動することが、当然と考えている。
だが、世の中というのは難しいもので、知らないうちに敵対することになってしまうことが、往々にしてあるものだ。
万が一、億が一、敵対することになってしまったら。
ああいう手合いが、一番怖い。
ボーガーは、常々そう考えていた。
同じ何かのために戦うでも、いわゆる騎士や兵士とは、毛色が違う。
損得と言った種類のものではなく、ある種狂気じみた信念を原動力に。
それらを下地にして磨き上げた力と技をもって、喜び勇んで戦場に駆け付ける。
自分の為と同じように、他人の為に、時に伊達や酔狂の為にまで命を投げ出す。
おおよそそれが、ボーガーの「武士、侍、御武家」と呼ばれる者への認識であった。
そういった人物が、神になった存在。
赤鞘はそういう神なのだろうと、ボーガーは考えている。
「下手なことはしないように、厳命しておかないと不味いね。ギルドが無くなるだけじゃ済まなくなるかもしれないなぁ」
ボーガーは「見直された土地」に関する事柄の重要度を、頭の中でさらに数段階押し上げた。
むろん、ギルド全体でもかなり高位の優先順位をつけている事柄ではある。
最上位ではないのは、ギルドが世界中の国々に魔力というエネルギーを供給する組織である事。
言ってみれば、世界のバランスを保つ存在であることが理由だ。
巨大であるがゆえに、ギルドは常に様々な問題に対処しているのだ。
それこそ、神や天使が絡むような事柄も、一つや二つではない。
もちろん直接相対することになるのは、稀ではある。
だが、関わる事柄に触れることは、少なくないのだ。
現在も世界では、仲の悪い神同士のいざこざに起因していると思われる、国同士の対立が起きている。
ちょっとした代理戦争のようなものであり、アンバレンスも頭を抱えている問題の一つだ。
ボーガーはその代理戦争よりも、「見直された土地」の方が重要であると、判断したのである。
恐らく。
三団体の代表の中で、最も赤鞘の事を理解したのは、ボーガーだろう。
そのボーガーは、ギルドの先行きに関わる判断を下しながら、テーブルの上のチョコレートに手を伸ばした。
包みを開こうとして、葛藤するような表情を作ると、そっとテーブルの上へそれを戻す。
部下に甘いものを食べ過ぎないようにと止められているのだ。
あのフルーツケーキは本当に、これ幸いに食べようと持ってきた品だったのである。
まあ、頭の片隅には交渉に使えるかもしれないと思ってはいたものの、まさか本当に活用できることになるとは思っていなかった。
「ギルド長になんてなるものじゃないなぁ」
心底からそうつぶやくと、ボーガーは深い溜息を吐くのであった。
やっとこさ投稿しました
さて、ちょっと関係ないお知らせですが、ご容赦ください
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