百二十五話 「とりあえず、そういうのはエルトヴァエル様に任せましょう!」
ホウーリカの第四王女、トリエア・ホウーリカの部屋の前に来た赤鞘は、難しい顔でうなり声をあげていた。
部屋の中に、トリエア以外に数名の気配があったからだ。
扉の前で固まる赤鞘に、風彦は不思議そうに首を捻る。
「あの、赤鞘様。どうかなさったんですか?」
風彦に聞かれ、赤鞘は「え?」と間抜けな声とともに振り返った。
赤鞘は改めて真剣な表情を作ると、悩ましげな様子で口を開いた。
「ほら。トリエアさんの部屋、ホウーリカの皆さんがいらしてるみたいじゃないですか」
「そのようですが」
「皆さんお仕事されてたりしたら、私が入ると邪魔になりますよね?」
その言葉に、風彦は何とも言えない表情を浮かべた。
確かに、集まって仕事をしている可能性はあるだろう。
打ち合わせとか、見直された土地に実際に来てみたらどうだったとか、そんなような話し合い等々。
しておきたいことは、ごまんとあるだろう。
バインケルトが一人でいたのは、彼が事前に仕事を終えておく主義だったからだ。
普通ならギリギリまで仕事を詰めておきたいと考えるだろう。
少なくとも、風彦ならばそうする。
「まあ、確かに仕事の手は止めることになると思いますが」
「そうですねぇー。邪魔しちゃいますよねぇー。あー、どうしましょうか、コレ」
風彦に言われ。赤鞘は再び唸り始めた。
どうしたものかと困惑の表情を浮かべる風彦の頬を、隣にいた土彦がブニリと抓んだ。
抓る、というほど力を入れていないのは、優しさなのだろう。
「赤鞘様を緊張させてどうするんですか」
「ふぁい。ふみまふぇん」
抓まれているため、風彦は上手くしゃべることが出来ないらしい。
土彦もよほど触り心地がいいのか、風彦の頬をムニムニし続けている。
「ふぇふふぁ、ふぉうふうんれふふぁ?」
「流石に何を言っているのかわかりませんね」
風彦の言葉を理解しようと悩んだようだったが、流石に聞き取れなかったらしい。
土彦は名残惜しそうに、指を放した。
「ですが、どうするんです? このままですと、その、埒があきませんけど」
「連中の事はどうでもよいのですが、赤鞘様が遠慮されているのが問題ですね。そんなことをさせているという時点で私としては頭の一つもかち割ってやりたいところですが」
「なににこやかな顔で言ってるんですか。ダメですからね」
「赤鞘様が気にされるのでしませんとも。そんな事よりも、ここは気にされずにノックをなされても構わないはずだ、と説得することです」
それを聞いて、風彦はほっと胸を撫で下ろした。
土彦にとっては、ホウーリカの面々の命よりも、赤鞘の機嫌の方がはるかに重要なのだ。
だが、サクッとやってしまうのが、赤鞘の意に反することも理解している。
判断基準がすべて赤鞘なのが非常にアレだが、今は良しとするしかないだろう。
「説得ですか。その、頑張ってください」
「お任せなさい、と、言いたいところですが。残念ながら私は魔法を弄ったり物を作ったり暴力にものを言わせるのは得意なのですが、交渉事は不得手です。なので貴女が何とかしてください」
「わた、えー!? で、も、あー、んー」
土彦ねぇが言ってくださいよ!
というようなことを言おうとして、風彦は思いとどまった。
それをやると余計に面倒くさいことになりそうだと思ったからだ。
「あーもー。わかりましたよぉー。がんばりますよぉー」
あきらめた様子でうなだれる風彦とは対照的に、土彦は満面の笑みだ。
風彦は目を閉じて腕を組むと、少しの間唸った。
考えがまとまったのか、「よし」と声を出して勢いをつけると、赤鞘の方へと向き直る。
「あの、赤鞘様。次はギルドの方にもいかないといけませんし」
「ですよね。あー、でも、お仕事されてるんですよねぇー、多分」
多くの日本神にとって、仕事というのは神聖なものだ。
年に一度の出雲の集まりも、「地元の仕事が立て込んでいて」といえば、欠席がなぁなぁで許されたほどである。
実際、赤鞘も結構欠席していた。
「ソレなんですが。おそらく彼らは、明日のことを話し合っているわけですよね? つまり、赤鞘様と会うにあたっての算段をつけているわけです。ドッキリを仕掛けて、明日は会わない事になりますから、無駄な会議な訳です」
「なるほど。そういえばそうですねぇー」
「となると、早く入って差し上げた方が、無駄な仕事を省く結果になって喜ばれるのではないでしょうか。と、思うのですけど……」
あくまで自分の考えだが、と最後に強調するのは、風彦の癖であった。
普通の人間ではなく、ガーディアンである風彦だからこそ有用な交渉術のようなものだ。
神の御使いであるガーディアンの私がそう思ってるんだけど。
という圧力で、相手を押すわけだ。
ちなみに、風彦にはそういった意識は希薄であった。
これはエルトヴァエルが知識を植える時に仕込んだ、風彦を相手にするものへの罠のようなものだ。
ガーディアンの意向を無視するのか、というプレッシャーで、交渉を有利に運ばせようというのである。
とはいえ、今のところそれが効果を発揮する場面は訪れていなかった。
そもそも風彦と交渉する、という時点で、相手が忖度してくれるからである。
この世界に置いて、ガーディアンである、というのは、凄まじい手札になるのだ。
さて、この交渉術は赤鞘に対してはあまり効果が無いのではないか、と思われるかもしれない。
しかし、実際は非常に効果的であった。
「私はそう思う」ということは、ほかの人は違う考え方をするのではないか、という風に言われたと、赤鞘は考えるからだ。
そうなった場合、赤鞘はひたすらネガティブな方向に物事を考え始める。
もう少し早くいってくれればありがたかった。
という言葉は。
なんでいまさら言うんだよクソ使えねぇなぁ、死ねばいいのに。
ぐらいの言葉に変換されるのだ。
つまり、ホウーリカの人達はそのぐらいのことは思うだろう、と考えるわけである。
赤鞘としては、それ非常によろしくないことであった。
別に、自分がどう思われようが気にする赤鞘ではない。
だが、せっかく招待した相手が不快な思いをするのは、許容できなかった。
おもてなしとは、いかに相手に楽しんで頂くかだけではない。
少しでも不快な思いをさせないことにも注力すべきなのだ、という考え方を、赤鞘は持っている。
日本神としては実に良い心がけなのだろうが、それを向けられる人間サイドはある意味不幸と言っていいだろう。
神に気を使われる状況というのは、まっとうな精神の人間にとっては逆にアレなのだ。
「そうですよね。ここ腹をくくって、行きましょう! どっきりを仕掛けに来てるわけですし!」
ちょっとしたどっきりは、円滑な人間関係をスムーズにしてくれる。
そんな言葉を胸に、赤鞘は今回のドッキリを敢行していた。
少しでも気楽に話せるきっかけになればいいなぁー、とか思っているのだ。
もちろん相手が逆に委縮する恐れもあるのだが、その辺に考えが及ばないのが赤鞘の赤鞘たるゆえんである。
「よし! じゃあ、行きましょうか!」
張り切った様子でそういうと、赤鞘は緊張気味に手を伸ばす。
土彦が「その意気です!」と励ましているが、風彦はいかんともしがたい顔をしていた。
ドアの前でこれだけ騒げば、流石に相手も気が付くんじゃないかと思ったからだ。
エンシェントドラゴンの巣は、会話が丸聞こえになるほどちゃちな作りではない。
ただ、あえてある程度の音漏れはする様に作ってはあった。
内部、あるいは外部で何かが起こったときのための、用心である。
だからこそ、風のガーディアンである風彦にはわかってしまったのだ。
部屋の中が、ヤバイ位張り詰めた空気になっていることが。
恐らく、トリエアは何らかの理由で、部屋の前でやんごとなき立場の相手が騒いでいると気が付いたのだろう。
これだけわいわいやっていたのだから、当然と言えば当然である。
緊張状態のホウーリカの中に、赤鞘を放り出してもいいものだろうか。
風彦は少し考えてから、結論を出した。
「ま、いっか。万が一の時はエルトヴァエル様がどうにかしてくれるだろうし」
問題の丸投げであった。
知識などはエルトヴァエルから。
性格などは、どちらかというと赤鞘から引き継いだ風彦であった。
トリエアに用意された部屋には、ホウーリカの面々が集まっていた。
明日の赤鞘の謁見に向けて、最終調整をしていたからだ。
とはいっても内容はほぼ決まっており、しているのは単なる確認のようなものである。
それも、終わりに差し掛かった時だった。
念のためにトリエアと同室に寝泊まりすることになっていたリリ・エルストラが、近づいてくる足音を聞きつけたのだ。
ホウーリカの魔法は、「楽器魔法」と呼ばれるものである。
楽器から発せられる音を媒介にして、魔法を発動させるものだ。
そのため、ホウーリカの魔法使いは、総じて聴覚に優れる傾向にある
中でも個人として最高の戦力を持つと言われるリリは、異様なほど高度な聴覚を持っていた。
だからこそ、リリは近づいてくる足音に、誰よりも早く気が付くことが出来たのだ。
足音の数は三つ。
二つは普通の人間サイズ。
もう一つは、大きさこそ人間並みだが、まるで幽霊のように軽い。
気配は三つとも希薄で、誰ともつかないものだった。
恐らく、気配をあいまいにして、誰だか判別されないようにしているのだろう。
なので、リリは耳に頼ることにした。
空気の揺れや床に響く振動等から、相手の姿形を割り出すのだ。
言葉にすれば簡単だが、そもそもが野生動物や精密収音機器でも検知できないようなレベルの微音である。
リリだからこそ聞き取ることが出来る領域と言っていいだろう。
そして、リリは相手の正体を探り上げることに成功した。
一つは、何度か直接会ったこともある相手。
ガーディアンの風彦だ。
気配をごまかしてはいるが、姿形を変えるところまではしていないらしい。
もう一つは、恐らく、同じガーディアンである土彦だ。
見直された土地の地下にある駅で、見えないまでも「耳で」確認したから、姿形は間違いないだろう。
となれば、最後の一つが誰なのかは、自ずと答えが見えてくる。
事前に教えられている特徴なども、合致していた。
十中八九、土地神。
赤鞘だろう。
それを察知した時、リリは自分の表情が盛大にひきつるのを感じた。
無理もないだろう。
居るはずのない相手が、居るはずのない場所に、居るはずのないときに現れたのだ。
しかも、それが自分達のいる方向へ近づいてきているとなれば、なおさらだ。
「姫様。この部屋に、風彦様と土彦様が近づいてきていらっしゃいます」
「まぁ、大変! お出迎えの準備をしないと」
ほかのモノが表情をこわばらせるのとは対照的に、トリエアはうれしそうな様子で胸の前でぱちりと手を合わせた。
だが、本題はこの先だ。
リリは震えそうな声を必死で抑え込み、勤めて冷静に口を開く。
「それから、恐らくですが。赤鞘様もいらっしゃるようです」
「エルストラ殿、それは、その、確かですか?」
トリエアが連れて来ていた文官の一人が、震えた声で確認してくる。
それに答えたのは、リリではなく、トリエアであった。
「リリがそういうなら、間違いありませんわ。そんな事より、赤鞘様をどうやってお出迎えするか考えなくてはいけないでしょう?」
「は。申し訳ありません」
トリエアは、リリの能力を大いに信頼している。
ホウーリカ国内に置いて、彼女より感知能力に優れたものは居ない。
個人としての戦闘能力に置いても、同様である。
だからこそ、トリエアは事あるごとにリリを連れまわしているのだ。
「でも、何故いらしたのかしら? 何か私達に御用事があるのでしょうけれど」
少しの間考えるような様子を見せるトリエアだったが、すぐに頭を振った。
今はそれよりも、対策を立てる方が重要だとか判断したらしい。
とはいっても、ことが急すぎる。
「対応は私がします。皆さんは見守っていてくださいね?」
お前達は黙ってみて居ろ、という意味だ。
これを察することが出来ず、意図せずとも逆らった場合。
その人物は、それを死ぬまで後悔することになるだろう。
トリエアという第四王女は、そういったことを平然とやってのける人物なのだ。
ここに居る面々はそのことをよくわかっているからこそ、ただただ黙ってうなずいた。
にこにこと赤鞘達の到着を待つトリエアとは対照的に、ほかの面々は異様なほどの緊張感の中で、赤鞘たちの到着を待っていた。
なぜこのタイミングで、赤鞘はやってくるのか。
どんな要件があるのだろう。
そんな彼らの当然の疑問は、ドアの前で入るのをためらっていた赤鞘の口から、全部まるっと説明されることになるのであった。
気合を入れて扉を叩いた赤鞘を出迎えたのは、リリ・エルストラだった。
「あのぉー、私、土地神をしております、赤鞘というんですけれどもぉー」
何とも自信なさそうに、半笑いでいう赤鞘。
そんな土地神を前にしたリリだったが、何とか表情を引きつらせるのだけはこらえることに成功していた。
中々の快挙であると言っていいだろう。
風彦などは、思わず感嘆の声を漏らしたほどである。
隣にいる土彦に肘鉄を食らい、すぐに咽ることになったわけだが。
それはさておき。
部屋の中に入った赤鞘を迎えたのは、トリエアとホウーリカの面々であった。
赤鞘を前に、トリエアはいつものにっこりとした笑顔を見せている。
だが、後ろに居並ぶ者達は、緊張で震えてすらいた。
当然と言えば、当然だろう。
トリエアの反応のほうが異常なのだ。
そんな緊張をはらんだ空気感に堪えられるほど、赤鞘は丈夫ではなかった。
後ろの面々の緊張が伝播し、どんどん緊張が高まっていく赤鞘。
だが、それを見越していたのだろう。
トリエアは、赤鞘に頭を下げ、彼らを部屋に戻してもよいか、と申し出た。
ちょうど会議が終わったところであるし、あまり大人数では、赤鞘様にも失礼かと思われるから。
というのが、その理由だ。
もちろん、それは表向き、というか、赤鞘に受け入れやすい表面上の理由である。
実際のところは、邪魔になるので早くこの場から排除したい、といったところだろう。
神様ではあるものの、あんまりたくさんの人に囲まれるのが不得意な赤鞘は、この申し出をすぐに受け入れた。
「あー! ちょうどお仕事終わったところだったんですねぇー! いやぁー、それはトンだタイミングで! はい、もう、ゆっくり! 休んで頂いてねっ! はい!」
場合によっては失礼にあたるようなことかもしれないが、この場では赤鞘がよいと言えばそれが正しいのだ。
面々は赤鞘に丁寧にあいさつを済ませると、部屋の外へと出て行った。
部屋に残ったのは、トリエアとリリだけだ。
話すのは主にトリエアであり、リリはお茶などを入れる給仕に回っている。
出されたお茶をすすりながら、赤鞘はこんな時間に尋ねてきた理由をざっくりと説明した。
みんな仕事が大変だろうから、挨拶なんてどうでもいいことさっさと終わらせようと思って。
大体そんな様な内容だ。
なんかいろいろと間違っている気がしないでもないが、赤鞘の中の優先順位的には問題ない。
赤鞘の中では、常に赤鞘自身の事は後回しなのだ。
「まぁ! わざわざお越しいただけるなんて!」
胸のあたりで手を合わせながら、トリエアは満面の笑顔を浮かべた。
その手は、数かに震えている。
付き合いの永いリリには、それが感動によるものだとわかった。
ホウーリカという、「見放された土地」が生まれた原因の一端を担う国に生まれたのが原因だろうか。
あるいは、その国の王族として育ったことに由来するものだろうか。
トリエアは、非常に信仰に厚い少女であった。
何事につけ、神々を尊重する傾向があるのだ。
この世界に住む者は、多かれ少なかれそういった面がある。
だが、トリエアのそれは、異常なほどであった。
ある種、「狂信者」の類と言っていいだろう。
神の意向に沿うためであれば、一切手段を選ばず物事を押し通す。
必要とあらば、肉親の命であろうが使い捨て。
自分自身のことですら、道具として扱う。
王族としては、ある意味正しい姿であるかもしれない。
しかし、一切の躊躇なくそれをやってのけるというのは、やはり異常であるようにみえた。
リリがそんなことを考えている間にも、話は進んでいく。
当たり障りのない世間話が一段落したところで、赤鞘が急に言いにくそうに言葉を濁し始めた。
「いやぁー。実はですねぇー、ちょっとそのぉー、トリエアさんっていうか、ホウーリカさんにはですね? 今回なんて言うか、非常に申し上げにくいんですけれどもぉー、特になんていうか、お願いがありまして」
「まぁ! 一体なんでしょう? 何なりとお申し付けください! 私共に出来ることでしたら、どんなことでも致しますわ!」
感動しきりと言った様子で、トリエアは目を輝かせた。
その言葉に、嘘はないだろう。
たとえどんなことであっても、全力でやり遂げようとするはずだ。
息を呑むリリを他所に、赤鞘はひたすら言いにくそうに口を開く。
「いやぁー、実はですねぇ? アグニーさん達の年貢。あれ、税? 税金かな? ちょっとどっちか忘れちゃったんですけど、租税っていうんですか? それに関してのアレなんですけどね?」
「税、でございますか?」
この時、リリは初めてトリエアのキョトンとした顔を見た。
リリも赤鞘の口から出た「税」という単語には驚いていたが、トリエアの心底から驚いた顔の方が衝撃的だったのだ。
トリエアは、非常に優秀な少女である。
おおよその出来事は予想し、不測の事態にも素早く対応してのけて来た。
そのトリエアが、唖然とした表情をしているのだ。
中々見ることのできない顔だが、それも当然だろうとリリは思っていた。
何しろ、神の口から「税」という単語が飛び出してきたのである。
この世界「海原と中原」の常識でいえば、税など神の気にするようなものではない。
人間にしか関係のない、些末な物事なのだ。
が。
永く日本神をやってきた赤鞘にとっては、税というのはすこぶる身近なものであった。
米を作れば税が発生し、畑を開拓すれば税が発生する。
実りが少なければ税の事を思い戦々恐々とし、多ければ逆にたくさん税を取られるのではないかと肝を冷やす。
ずっと農村を見守ってきた赤鞘にとって、税とはすぐそこにある恐怖なのだ。
「いやぁー、ほら、見直された土地って、元々、なんて言いましたっけ? ちょっと名前忘れちゃったんですけど、何とかーって名前で、ホウーリカの土地だったじゃないですかぁー。港町だったとかなんとか」
「はい。軍港等がありましたけれど」
「ですよねぇー! そうでしたよねぇー! そうなると、ほら! やっぱりなんていうか、払わなくちゃいけないわけじゃないですか! アグニーさん達! ホウーリカに! 税を!」
なぜか焦ったような口調の赤鞘を前に、リリは大きな認識の齟齬がある事に気が付いた。
ホウーリカは、約百年前の「見放された土地」が封印された一件以降、土地の所有権は無くなったものだと解釈している。
この世界の土地というのは基本的に神の持ち物であり、人間は一時的にそれを借り受けて領土としている、という考え方が根底にあるからだ。
だから、アンバレンスによって封印されたこの土地は、もはや国土として主張できない、というのが、ホウーリカの考え方だ。
多少の違いこそあれ、ほとんどの国で、同じように考えられている。
にもかかわらず、なぜ赤鞘が税などという話を持ち出したのか。
それはつまり、赤鞘はまだこの「見直された土地」をホウーリカの領土だ、と考えているということだろう。
実際その通りで、赤鞘からしてみれば一時的に結界で封印したとはいえ、見直された土地は元々ホウーリカの領土であった。
税を納めるなら、ホウーリカだろうというのが、赤鞘にとっては当然の思考展開なのだ。
唖然とするトリエアとリリを他所に、赤鞘はどこか切羽詰まった表情で言葉をつづける。
「ただですね!? ほら、アグニーさん達ってまだここに来たばっかりじゃないですかぁー! 畑とかも正直まだ整ってないっていうか、何かあったときのたくわえとかも出来てない状態なんですよ! ほら、この後あれやこれやありますし! 色々と物入りですし!」
これから先、アグニー達にはいろいろなことが待ち受けている。
一番近い問題としては、囚われているアグニーの救出だろう。
必要な経費はほぼ赤鞘達が負担しているのだが、アグニー達は何もしない、というわけではない。
報酬の代わりとして、食糧を渡すことになっている。
救出が成功すれば、当然人口が増えるわけで。
そうなれば、食料の消費量は増えていく。
ここに、税として食料を支払うこととなれば、万が一の時のたくわえが無くなってしまうだろう。
なにしろ、アグニー達には財産らしい財産を持っていない。
あるものと言えば、ポンクテをはじめとする食料、三本の柱で支えられた妙な建築物、天界の方々の内臓系の病を誘発させる衣類だけなのだ。
「ですので、できれば、こー、税に手心とか、加えて頂けると嬉しいなぁー、なぁーんて」
赤鞘としては、かなり無理筋と思われるお願いであった。
国にとって、税とは収入だ。
それに手心を加えてほしいというのは、「給料少なくしてほしいけど、働いてね」と言っているようなものである。
かなり無茶な要求だろう。
それでも一応聞いてみたのは、アグニー達が少しでも楽になれば、と思ってのことだ。
赤鞘の問いに、トリエアはしばらくの間ぽかんとしていた。
だが、気を取り直すと、いつもと変わらぬにこやかな表情を見せる。
「赤鞘様。ホウーリカは、というより、この世界の多くの国は、見直された土地はすでにホウーリカの領地ではない、と考えております」
「え? そうなんですか?」
驚いたような顔をする赤鞘だが、実際には実はこの話はエルトヴァエルからすでに聞かされていたことでもあった。
ただ、あまりにも赤鞘の常識から離れすぎていたため、上手く飲み込むことが出来ていなかったのである。
何度か説明を受けて納得しても、その都度納得したことを忘れてしまっていたのだ。
これはもう直接説明された方がいいな、と考えたエルトヴァエルは、「直接お尋ねしてみてはいかがでしょう」と提案したのである。
だんだん、赤鞘の扱い方が分かってきたエルトヴァエルである。
「はい。アンバレンス様から、その権利を取り上げられたものと考えております。もちろん、不満はございません。身から出た錆ですから。ですので、そもそも税を頂こうとは、思っておりません」
「あー。そーなんですねぇー」
赤鞘は納得したようなしていないような、微妙な表情をしていた。
生前、とにかく土地を奪い合いまくっていた「オサムライ」という種族であった赤鞘にとって、このあたりの感覚は異質なのだ。
たとえ相手が神であってもとりあえず突っかかり、斬れるなら斬って土地を奪う。
ダメだったらお祀りして許してもらうというのが、赤鞘の感覚なのである。
「では、そのぉー。税関係とかは、特に気にしなくていい感じですかね?」
「私共の国には。というより。赤鞘様がこの土地を治めていらっしゃる以上、どの国にも領土を主張する権利はないものと思っております。当然、税を取り立てようなどと、もってのほかですわ」
「はぁー。そういうものですかぁー」
正直よく呑み込めていなかったが、赤鞘はとりあえず納得することにした。
下手に突っついて「じゃあ、やっぱり税くれ」と言われるのが怖かったからだ。
トリエアは楽し気に笑うと、少しだけ困ったように眉を寄せた。
「それに、この土地が封印されることになった理由の一端は、私共の国にございますから。今更そのようなあさましいことはできませんわ」
「あー。アレですかぁー」
この時、トリエアと赤鞘が想像したものは、全く別のモノであった。
トリエアは、大魔法が使われ、魔力が消滅したあの事件を。
赤鞘は、全世界にアンバレンスが大写しで出現した、黒歴史的なアレを思い浮かべたのである。
が、流石の赤鞘も、すぐに「そっちじゃない」と気が付き、頭を振った。
「その辺はアレじゃないですか? アンバレンスさん的にももうあんまりアレみたいですし。あんまり気にしすぎることないんじゃないですかねぇ?」
その言葉に、トリエアは大きく目を見開いた。
「やっちゃったことはやっちゃったことですし、あんまりヤンチャしなければ不問にすることを考えてもいいとかなんとか。アンバレンスさんとエルトヴァエルさんが言ってた。と、思いますよ?」
それは、エルトヴァエルが用意した「アメ」であった。
人間達と神々の意識の齟齬を利用して、大きなずれがない範囲での「言質」のようなものをアンバレンスから確保していたのである。
ホウーリカの元々の目的は、「領土の回復。あるいは、神々から許しを得ること」だ。
だが、「土地神」が現れたことで神域となった「見直された土地」には、手を出すことなどできない。
となれば、最大の目的は「神々から許しを得ること」となる。
許しこそしないまでも、罪には問わないでやってもいい。
エルトヴァエルが用意したのは、そういった内容の「最高神」の言葉だったのだ。
もっとも。
神様サイドとしてはぶっちゃけた話、件の戦争のことはどうでもいいこと、というのが共通認識である。
何しろその時は、母神が別の世界に行くという、もっととてつもない事件が起きていたからだ。
こちらとしては誰も特に気にしてないし、どうでもいいと思っていることを、上手く飾り立てて取引材料に仕立て上げる。
少なくとも赤鞘では思いつかない、悪辣と言っていい方法だろう。
しかし、トリエアを相手にするならば、大きな影響力を持つ手札と言っていい。
「ああ……! なんて……! なんてステキなのでしょう……!」
恍惚とした表情で、トリエアは溜息を吐いた。
震える手で頬を押さえている様子は、妖艶さすら感じさせる。
だからこそだろうか。
狂気を感じさせるような目が、妙に存在感を放っている。
その他すべてを塗りつぶされるかのような、強烈な印象を見るモノに与えていた。
もっとも、それを見せるのもわずかの間だ。
直ぐにニコニコとした笑顔を取り戻すと、トリエアはすこぶる嬉しそうに目を輝かせる。
そんな様子を見ながら、赤鞘は何とも言えない表情で頭を掻いた。
「えーと。まあ、なんていうか。とはいえ、なんというか、ご近所? に、なるんですかね? なんかこう、仲良くしていただければ、うれしいなぁー、なぁーんて。あははは」
「ええ、ええ! もちろんですわ! お隣同士、困ったときは助け合うものですもの! 少しでもお役に立てるように、精いっぱい務めさせて頂きます!」
「いやぁー。これまでもホウーリカさんにはいろいろ用意していただいてますからねぇー。これまで通り助けて頂けるとありがたいです」
現状、物資の購入はホウーリカに。
その運搬は、スケイスラーに。
隠ぺいと保管は、ギルドに頼っている形になっている。
物資を手に入れるためには、このどれか一つでも欠けては困るのだ。
まあ、アグニー達は現状でも比較的幸せそうに暮らしているので、要らないと言えば要らないのかもしれないが。
結局、会談は和やかに終了。
赤鞘達はトリエアの部屋を後にし、最後に残るギルド長「ボーガー・スローバード」の下へと向かうのであった。
赤鞘達を送り出した部屋で、リリは非常に珍しいものを目にしていた。
常に浮かべている笑顔を消し、表情もなく考え込むトリエアの姿だ。
どんな時でも、まるで感情を覆い隠すように笑顔を作っているトリエアの顔に、笑顔がない。
それは、側近と言っても良いリリにしても、ほとんど見ることがないものであった。
あるいは、初めて見る、と言ってもよいかもしれない。
「姫様。その、大丈夫ですか?」
我ながら間抜けな問いだと思いながらも、リリは訊ねずにはいられなかった。
それに対してトリエアは、ちらりと視線を向ける。
「ねぇ、リリ。赤鞘様は、とてもお優しいお方ですわね。でも、とてもとても恐ろしいお方」
「恐ろしい、ですか?」
穏やかそう、というか、言ってしまえばどこか抜けて見えるあの神様の、どこが恐ろしいというのだろう。
リリの疑問に、トリエアは淡々と答える。
「神様方のお考えを私達人間が推し量るなんて、不可能だけれど。私達にでもわかるように言葉にするとするなら。きっと赤鞘様は、この見直された土地以外のことにご興味がないの。だからきっと、少しも気にせず税の事をお話になられたのね」
「それは、私も気になっていましたが」
「もしあの時、そのまま税を頂くことになっていたら。赤鞘様は許して下さるとしても、ほかの神様。天使様や、周辺の国々はどう思うかしら」
ほとんどが無関心な神の中にも、それを咎める神がいるかもしれない。
そんな神が一柱でもいれば、他国からの恰好の攻撃材料になっただろう。
少なくとも。
世界有数の巨大国家であり、あの事件のもう一方の当事者。
魔道国家ステングレアが黙ってはいないだろう。
「百年前ならともかく、今のステングレアと私達の国では、差がありすぎますわ。戦になれば他国も参戦するでしょうから、一方的でしょうね」
間違いなく、ホウーリカは滅ぶことになるだろう。
あの場、あの時の一言が、国の存続を左右していたのだ。
そのことに気が付いたリリは、さっと顔を青ざめさせた。
トリエアは、祈る様に両手を胸の前で合わせる。
「赤鞘様がお気にされていて、お考えになっているのは、見直された土地の事だけ。だからこそ、土地神というお立場なのですわ。赤鞘様は、よくエルトヴァエル様のお名前を出していらっしゃったわ」
「補佐役をなさっているとか」
「エルトヴァエル様が、こう言っていた。赤鞘様はよく、そう口にしていらっしゃいましたわ。きっと、その中にはエルトヴァエル様から私達へのメッセージも込められていたのですわね」
「それは?」
「赤鞘様はこういうお方だから。努々油断なきように、という風に、私には聞こえたの」
ご自身の土地にしか興味の無い方だから、自分の身は自分で守れ。
一つ判断を誤ると、国が亡ぶことになる。
トリエアは、エルトヴァエルは暗にそう伝えてきたのだと捉えていた。
そしてそれは、好意からの警告であるとも。
「判断を誤らずに、赤鞘様のお役に立て。ということかしら」
あまりと言えばあまりではないだろうか。
困惑するリリを他所に、トリエアはゆっくりと口の端を持ち上げ始めた。
「ああ。なんてステキなのかしら……! 赤鞘様にとって私達は、住民達の隣人なのですわ。有益で、仲良くできる隣人か。ソレとも、迷惑で存在価値のない隣人か。それによって、きっと扱いはまるで違うものになりますわ」
トリエアの言っていることは、あながち間違ってもいないだろう。
事実、赤鞘は基本自分の土地以外の事はあまり気にしない。
隣に住んでる人達がいい人達ならうれしいなぁー、程度にしか、外のことは気にしていないのだ。
まあ、土地神と呼ばれるもののおおよそは、興味が内向きに向いているので、そんなものだと言えなくもない。
が、問題はその周辺である。
もし隣人が嫌な奴だった場合、土彦辺りは確実に攻め滅ぼそうとするだろう。
「本来、神様とはそういうものですわ。ご自分のご興味のまま。私達人間が、ご真意を測ろうとすることなど無駄なだけ。ただ、推測して、お邪魔にならないようにする。それがご意思に沿っていれば、存在を許していただける。時に、ご褒美まで頂けることがある」
いつの間にか、トリエアはいつものニコニコとした笑顔に戻っていた。
「だから、考えなければならないの。赤鞘様とお話しさせていただいたことを思い出して、少しでもお役に立てるように。周囲にいらっしゃる方々のご意思に反しないように」
そうでなければ、吹いて飛ぶようにホウーリカは滅ぶことになる。
言葉にこそしなかったが、リリはトリエアがそう考えているのだろうと考えた。
そして、それは恐らく、間違っていないのだろうとも。
トリエアはにこにこと笑いながら、小さな声で何かを呟き始めた。
それは、一字一句間違いのない、赤鞘との間で交わされた会話である。
トリエアは赤鞘とのやり取りを、全て記憶していたのだ。
恐らくトリエアは、そこから一つでも多くの事を読み取ろうとしているのだろう。
リリはそんな、頼もしくも恐ろしい第四王女の様子を、見守ることしかできないでいた。
トリエアが赤鞘との会話を振り返っていた、丁度そのころ。
赤鞘も先ほどの会話を振り返り、後悔に頭を悩ませていた。
「いやぁー。やっぱりどっかの国には所属してた方がいいと思うんですよねぇー。公共事業とかの関係で。今はアレですけど、将来的には必要になりません? やっぱり今からでもトリエアさんにお願いしに行った方がいいんですかね。あ、でもそうなると税金が。うーん」
「やめましょう! やめましょう赤鞘様! とりあえず、そういうのはエルトヴァエル様に任せましょう!」
基本的に何にも考えてない上に、聞いた端から重要なこともほとんど忘れていく。
そんないつも通りの赤鞘に、いいように振り回される風彦であった。
赤鞘、人の話聞かなすぎじゃねぇか、と思われる人がいるかもしれません
そんなことないんです
一応人の話は聞くんです
でも片っ端から忘れるんです
赤鞘だから!!
あと、「ベルウッドダンジョン株式会社 ~西辺境支部奮闘記~」
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