百二十三話 「いや、神様にそういうの関係ないから、単にオフクロの趣味らしいですよ?」
見直された線、見直された土地駅。
この日の客として最初にそこに降り立ったのは、スケイスラーの一団であった。
駅を見た彼らの反応は、様々だ。
あるものは茫然とし、あるものは恐怖の表情で凍り付いている。
またあるものは、ただただ茫然と周囲の壁を見上げていた。
無理もないことだろう。
周囲には、様々な精霊達が趣向を凝らして作り上げた、彫刻の数々が並んでいるのだ。
あまりに荘厳なそれらを前に、人間である彼らが圧倒されるのは、ある種当然ですらある。
何しろ、一応神である赤鞘でさえ、これを見たときは社に帰りたくなったほどなのだ。
もっとも、赤鞘の場合は割とすぐに社に帰りたくなるわけだが。
他所の神社とか神殿とかに行っても、立派だとすぐしり込みする。
赤鞘はそんな引っ込み思案なタイプなのだ。
まあ、それはともかく。
スケイスラー宰相 “スケイスラーの亡霊”バインケルト・スバインクーも、魅入られたように周りを見回していた。
一周、二周とその場でゆっくりと回転しながら、両手を広げ、感嘆のため息を漏らす。
「壮観だぁなぁ、おい。人間がこんだけのもん作ろうと思ったら、人手と時間と金がいくらあっても足りゃぁしねぇ」
「え? じゃあコレ、誰が作ったんです?」
あくびを噛み殺していたプライアン・ブルーが、不思議そうに尋ねる。
周りとは違い一切緊張していない様子の彼女に、バインケルトは呆れたような顔を向けた。
「テメェなぁ。もう少し驚くとか圧倒されるとか、リアクションの取りようがあるだろぉ」
「いや、あまりにも凄すぎて? 一周回ってわけわからなくなってる的な?」
「気楽でいいなぁ、テメェはよぉ」
バインケルトとプライアン・ブルーがそんなやり取りをしている間に、周りの者達も徐々に正気を取り戻していく。
そのタイミングを見計らってか、お仕着せを着込んだ数名の男女が現れる。
性別ごとに全く同じ顔をした彼らは、「ダンジョンズ・ネットワーク」のゴーレム達だ。
「「「ようこそ、見直された土地へ」」」
一糸乱れぬ礼と、声。
並んだゴーレムの中から、一体が前に出て、再び礼をする。
「ようこそ、スケイスラーご一行様。移動用のゴーレムの準備が出来て居ります。どうぞ、こちらへ」
「わざわざの出迎え、有難う御座います。さあ、行くぞ」
バインケルトはにこやかな笑顔でゴーレムに礼を言うと、部下達に声をかける。
流石に優秀なのだろう。
全員すぐさま動きだし、移動を始めた。
そんな様子をモニタ越しに見ていた赤鞘は、落ち着かない様子で右往左往していた。
半透明だというのに異様なほど顔色が悪く、脂汗まで浮かべている。
それを眺めながら、アンバレンスは不思議そうに首を捻った。
「どうしたんです? 赤鞘さん」
「いえ、コレまずくないですか。私やっぱり挨拶に行った方がいいですよね? コレ」
アンバレンスは不思議そうな表情で、エルトヴァエルの方へ顔を向けた。
解説を求める視線に、エルトヴァエルは苦笑いを作る。
「バインケルト・スバインクーが、思ったよりも霊格のある相手だったのだと思います。それで、その」
「ああ。ビビってるわけね」
エルトヴァエルが言いにくかったことをズバッと口にして、アンバレンスはなるほどと頷いた。
バインケルトが映るモニタを見やり、アンバレンスは顎に手を当てる。
「まあ、確かに幽霊とかそういうのとしては相当だわな。日本だったら神様になるレベルか」
「東京ドーム十個分とかのすごいお社の神社に祭られるレベルですよ! 完全に私の方が格下ですからね!? やっぱり汽車から降りていらっしゃるときに、お出迎えするべきでしたよねぇ! やっちゃったパターンですよね? コレやっちゃったパターンですよねぇ、コレ!?」
アンバレンスとエルトヴァエルの頭には、赤鞘が平伏して客車を出迎える姿が、ありありと思い浮かんだ。
超体育会系のウルトラ縦割り社会で、なおかつ土下座文化の日本で神様をやってきた赤鞘にとっては、当然の出迎え姿勢である。
だが、された方はたまったものではないだろう。
確かにバインケルトは、日本なら既に神社で祀られているような、古い霊の類だ。
赤鞘より、はるかに神格の高い存在になっていたことだろう。
しかし、それは「日本でなら」の話である。
この世界「海原と中原」では、人間が神になることはない。
バインケルトはあくまで、ただの「永い年月を過ごしてきた幽霊」だ。
神である赤鞘の方が、格上であることは間違いない。
もちろん、赤鞘もその辺のことは分かっている。
頭ではわかっているのだが、染みついた習慣というのはそういうことでどうにかなるものではないのだ。
「でもあの方、完全に私より年上ですよね!? 年上で幽霊ですよね!? 大丈夫なんですかね年功序列的に!」
「いや、年齢的なことを言ったらエルトちゃんだって、はい! はいごめんなさい!」
エルトヴァエルは、それこそ数千年前に母神が創った天使である。
年齢でいえば、赤鞘よりもはるかに上だ。
それを言おうとしたアンバレンスだったが、樹木の精霊達がすごい形相で睨みつけてきていることに気づき、口を塞いだ。
女性の年齢は、いつだってシークレットなのだ。
まあ、もっともエルトヴァエル自身は欠片も年齢など気にしていなかったわけだが。
罪を暴く天使にとって、年齢も体重もただの記号なのだ。
「放送席、放送席!! ちょっ! いいですかっ! 早くっ!」
バタバタしていると、そんな声が響いてくる。
すぐさま樹木の精霊達がモニタを操作すると、そこに土彦と風彦の姿が映し出された。
声の主は、風彦だったようだ。
どういう訳か風彦は、土彦を羽交い絞めにしている。
「はいはい、現場の風彦ちゃん。どういう状況なのそれ」
不思議そうな顔をしながら、アンバレンスは首を捻った。
ちなみに赤鞘は、その後ろでエルトヴァエルと樹木の精霊達に宥められている。
風彦は暴れる土彦を必死で抑えながら、首だけを画面の方に向けて叫ぶ。
「土彦ねぇが! 赤鞘様を煩わせるなら、あの亡霊成仏させてやるって! バインケルトさんをバラそうとしてるんですよ!!」
「アカーン!! 赤鞘さん! 赤鞘さん何とか言ってやってください!」
「やっぱり、菓子折りもってお詫びに行った方がいいですかね?」
「ダメだ全然話聞いてねぇ!!」
全くの真顔で菓子折りのジェスチャーをする赤鞘に、アンバレンスは悲鳴のような声を上げる。
結局、「後であいさつするって言ってたのに、今行っちゃったら逆に失礼」という理屈でごり押し、赤鞘は落ち着きを取り戻した。
赤鞘が納得したことで土彦も、すぐに冷静になる。
アンバレンスとエルトヴァエル、風彦と樹木の精霊達は、ほっと胸をなでおろした。
赤鞘たちがようやく落ち着いた頃。
もう一組の客人達が、見直された駅へ到着した。
ホウーリカからやってきた、トリエア・ホウーリカが率いる一団だ。
彼らもスケイスラーの一団と同じく、駅のそこかしこに施された彫刻や壁画の数々に圧倒されていた。
特に大きな反応を示していたのは、トリエア・ホウーリカだ。
彼女は客車から降りて早々、呆けたように壁面の彫刻や壁画を見上げていた。
ゆっくりと歩きだしたかと思うと、円を描くように回り始める。
その表情は徐々に笑顔の形に変わっていき、それと比例するように円の半径は狭まっていく。
満面の笑みを湛える頃には、トリエアはクルクルと踊るように回っていた。
歌うような笑い声は、しかし、何故か聞く者の心をかき乱し、不安を植え付ける。
いち早く我を取り戻した“鈴の音の”リリ・エルストラは、笑いながら回るトリエアをみて、苦笑を浮かべた。
「姫様。そろそろお迎えがいらっしゃるかと」
「ああ、そうね! でもね、リリ! とても素敵だと思わない? ここに来れる人間は、いったいどのぐらいいるのかしら! まだ入り口に立っただけなのに、こんなに素敵なのよ!」
興奮した様子でそういうと、トリエアは再びくるくると回り始める。
この場のすべてを体に刻もうとするようなそれは、「ダンジョンズ・ネットワーク」のゴーレム達がやってくるまで続いた。
そんなトリエアの様子をモニタ越しに見ていた、赤鞘とアンバレンスはといえば。
力の限り全力で引いていた。
「なんか、回って笑ってるだけでチョー怖いんですけど」
「昔、百人位斬った人斬りを見たことありますけど、丁度あんな感じでしたよ」
「それはそれで怖いな。ていうか見てくださいよ。樹木っ子達もドン引きですよ」
アンバレンスの言う通り、樹木の精霊達もトリエアの様子におびえていた。
抱き合って恐怖に顔をゆがめていたり、赤鞘やエルトヴァエルの後ろに隠れていたりする。
「めが、いっちゃってるじゃん」
「言動がヤヴァイ」
「顔がきれいなだけに、ド迫力だよね」
樹木の精霊達がひそひそと話している姿を見て、エルトヴァエルは苦笑を漏らす。
宥めるように、精霊達の頭や背中を撫でる。
「ホウーリカは音で魔法を発動させる、楽器魔法の国ですから。相手を不安にさせるような笑い方も心得ているんですよ。ですから、本格的にヤバイ人ではなくて、装っている部分もありますから。怖くありませんよ。たぶん」
「たぶん! たぶんっていった!」
「エルトヴァエルがそういうってことは、あれ計算かよ! どっちにしても怖いよ!」
「ていうか、クルクル回りながら笑ってるだけなのに妙に迫力がありすぎるんだよ!」
ギャーギャーと騒ぐ精霊達に、アンバレンスも同意するようにうなずく。
「イっちゃってるは、イっちゃってるんじゃないかなぁ。なんか、ここに来ることをうまく利用して、ずいぶん国内を粛正したみたいだし? わざわざ自分で行って処刑とかしたみたいよ?」
アンバレンスは手元の紙束を見ながら、半ば感心した様子で言う。
その紙束は、風彦が事前に調べておいた各国一団の情報であった。
パラパラとめくられたトリエア・ホウーリカの項目はかなり血なまぐさく、お子様には見せられないよ、な感じになっている。
「こういう手口どう思いますか。解説の赤鞘さん」
「大義名分を得て一気に敵を殲滅するって、戦国武将みたいなやり方ですよね。昔はよく聞いたものですよ、そういう話」
「怖い、流石昔の日本怖い。狭い島国で何百年も殺しあいしてきただけありますわぁ」
「放送席、放送席!」
アンバレンスが遠い目で腕を組んでいると、モニタの方から声が響いてきた。
もちろん、風彦の声だ。
素早く反応した樹木の精霊達が、モニタの一つを切り替える。
「はいはい、どうしました、現場の風彦ちゃん?」
モニタに映ったのは、風彦と女性の姿をしたゴーレム。
そして、なぜかその二人の後ろに、見切れる感じでピースサインを出している土彦であった。
「ホウーリカご一行を案内していたゴーレムさんに、お話を伺いました。自分達を直ぐにゴーレムだと見抜いたようですが、とても丁寧に対応してくださいました。ただ、トリエア様とリリ様以外の方々が、死地に向かうような悲壮感を出していてとても怖かったです。とのことでした」
「はーい、ありがとうございまーす」
手を振っている風彦とゴーレムの後ろで、土彦が満面の笑みでピースサインを出している映像が、別のものへと切り替わる。
モニタを見ていた赤鞘は、微笑ましそうに笑い声を零す。
「いやぁー。土彦さんも風彦さんも、楽しそうでいいですよねぇー」
「楽しそうっていうか」
にこにこしている赤鞘に、アンバレンスは難しい顔を向ける。
赤鞘は、先ほどの土彦の物騒な行動と言動を、全く見聞きしていなかった。
やってきたバインケルトに、ビビり倒していたからである。
そんな中でも土地の管理の仕事には手を抜かない赤鞘だったが、そういう小器用な芸当をしている分、周囲への注意は散漫になりがちなのだ。
にもかかわらず、剣などの武器にはすさまじい反応を見せるのは、生前がサムライであったゆえだろう。
アンバレンスは「モニョッ」とした顔をしたものの、すぐに「まぁ、いっか。赤鞘さんだし」と一人で納得する。
「さて! そんな、見直された土地に挨拶に来る人達をライブ実況でございますが、ここでニュースの時間です。現場の、アウスエルちゃん?」
アンバレンスの言葉に、モニタの一つが切り替わる。
映るのは、悲壮感に満ちた表情の、天使の姿だ。
よほど高速で飛んでいるのか、髪の毛や衣服が、激しく後ろにたなびいている。
「は、はい! 現場のアウスエルです! 巨乳が貧乳を煽る歌を歌い上げ、貧乳な女神様方の怒りを買ったカリエネス様は、現在も逃亡を続けています!」
強風故か、叫ぶように声を張り上げるアウスエルから、再び映像が切り替わった。
画面上部には「録画映像」と書かれているそれは、文字通りライブのものではないようだ。
映っているのは、光の尾を引きながら、ランダムに方向転換しながら高速で移動するロリ巨乳。
歌声の神、カリエネスだ。
その後ろを、三又の鉾やら巨大な金槌等、どことなく神話っぽい武器が追尾している。
「えー! ご覧いただいているのは、少し前の映像です! カリエネス様の歌に激怒した数柱の女神様方は、早速カリエネス様を取り囲み、謝罪を求めました! 謝罪を求めたというか、土下座しないと殺す的なニュアンスです!」
「あー。まぁ、貧乳な女神って好戦的なのが多いのよね。実は。理由は知らんけど」
「運動していると脂肪率がー、とか、そんな理由ですかね?」
「いや、神様にそういうの関係ないから、単にオフクロの趣味らしいですよ?」
オフクロというのは、「海原と中原」の神々すべての母である、母神の事だ。
異様にフランクでふわふわしたこの母神は、やることもかなりアバウトだった。
以前興味本位でアンバレンスが「乳のサイズって何基準で決めとん」と尋ねたところ、母神はバッサリ「趣味!」と答えたのだ。
そんなことを母神に聞くアンバレンスもずいぶんだが、母神の答えもずいぶんである。
似たもの親子なのだろう。
「そんな女神様方に対してカリエネス様は。ゴメン、土下座とか無理なんだよねぇー、乳がつっかえてさぁー? あっ! ゴメンゴメンっ! 全然そういうつもりじゃないのっ! そういうつもりじゃっ! 巨乳あるあるとか、持たざる者にわからない苦労を披露するつもりだったんじゃないのっ! と釈明」
「釈明? なんですか?」
「あきらかに煽ってますよね」
赤鞘とアンバレンスの言葉も、もっともである。
実際に当神も煽るつもりでやっているのだから、なおさらだ。
「そのカリエネス様に対し、女神様方は激怒。鉄槌を下そうと攻撃を開始したものの、カリエネス様はそれを巧みに回避。追いかけっこが始まりました。現在も続くその追いかけっこは、北半球の会場を舞台に繰り広げられています! えー、確認できますでしょうか! 現在、カリエネス様は歌を歌いながら、女神様方の攻撃を避けています!」
画面上部に「LIVE」という文字が浮かぶ。
と同時に、何やら歌を歌いながら飛び回る、カリエネスの様子が映し出された。
それを追尾しているのは、鬼神のごとき形相をした、複数の女神達だ。
手に手に武器を持ち、完全に殺すつもりでそれを振り回している。
対するカリエネスは、歌の力でそれに対抗しているように見えなくもない。
ちなみにカリエネスが歌っているのは、件の「巨乳が貧乳を煽る歌」である。
ある程度の年齢になると、走るのって縁遠くなるよねぇー
ほら、肩とか直ぐこっちゃって
シャツでこすれるのも困るし
あとあれっ
下にも汗がたまっちゃって、蒸れて仕方ないんだよねっ
Hカップってほんとメンドウ!
あ、ごめん、ごめんねっ ちがうの、そんなつもりじゃなかったのっ
こういうの、無いとわからないよねっ
ちがう、全然ちがうのっ
でも、あの、ほらっ
うらやましいなぁーっておもうっ
すっごく走りやすそうだし、さっき言ったみたいなことないでしょ?
すごくうらやましいぃー!
とりあえず、ケンカを売っていることは間違いないだろう。
歌に合わせて女神達の攻撃はますます苛烈になるが、カリエネスは一向に歌を止める気配がない。
「カリエネスさん、妙に逃げ慣れてますねぇー」
「イタズラの神とつるんで遊びまわってましたからね。アイツ」
「なるほど、それで。しかし、ほっといていいんですかね?」
「しっかり中継は頼んでるから、大丈夫でしょう! というわけで現場のアウスエルちゃん! ひきつづきよろしくおねがいしまーす!」
「エルー! アンタ恨むからねー!!」
アンバレンスの言葉で、中継が切断される直前。
恨みがましそうな顔で、アウスエルは叫んだ。
今回の中継にアウスエルが駆り出されたのは、エルトヴァエルの推薦があったからである。
アンバレンスに、神々の追跡劇を取材できるぐらい足が速い天使はいないか、と尋ねられたエルトヴァエルの口から出たのが、アウスエルの名前だった。
航続可能な時間こそ短いアウスエルだが、最高速度や小回りでは抜きん出ている天使だ。
元同僚で有り、その能力を頼りにしていたエルトヴァエルは、そのことをよく知っていたのである。
ゴメン、アウスエル。
今度会ったとき、スイーツおごるから。
何年後になるかわからないけど。
内心でそんなことを思いながら、エルトヴァエルは神妙な顔で両手を合わせた。
その隣では、樹木の精霊の数柱も、マネして同じポーズをしている。
ここで、アンバレンスの元に一枚の紙が投げ込まれた。
器用にこれを受け取ったアンバレンスは、サッと内容に目を通す。
「さっ、ここでですね。いよいよ最後のお客さん、ギルドの一団が到着しましたー。現場の中継に切り替えましょう!」
「いやぁー。やっと皆さん居らっしゃるんですねぇー」
アンバレンスの声に答え、モニタに駅のライブ映像が映し出された。
見直された駅に到着したギルドの一団は、やはり呆然と周囲を見回していた。
それぞれの顔に浮かぶ色は、恐怖、緊張、恍惚等など、それぞれに違っている。
だが、総じて心がとらわれた様子であるのは、間違いなかった。
もっともそれは、ギルド長“慧眼”ボーガー・スローバードを除いての話だ。
「すごいものだね。芸術には明るくないんだが、まずお目にかかれないものを前にしているのは、なんとなくわかるよ」
駅内にある彫刻や壁画を眺めながら、ボーガーはのほほんとした様子でそういった。
そして、さっさと荷物の仕分けを始めたのだ。
しばらく呆けていたギルドの面々だったが、流石にボーガーの様子に気が付いたのだろう。
慌てて、それぞれに動き始める。
「流石に、落ち着いてらっしゃいますね」
感心したような、驚いたような様子の一人の言葉に、ボーガーは苦笑を漏らす。
「いや、どうも私は、芸術鑑賞に向かない性分でね。こういったものを見ていると、すぐに頭で覚えてしまって、満足してしまうんだよ。そのせいで、じっと見ているということが苦痛になってきてしまってね。いや、子供じみた悪癖で恥ずかしいんだけれどもね」
ボーガーという人物は、優れた記憶力を持っていた。
目にしたものを、すぐに記憶してしまうのだ。
そのおかげで助かることも多いのだが、不便なこともあった。
芸術作品なども直ぐに細部まで覚えてしまうので、長く見ていられないのだ。
一度覚えてしまうと、すぐに常人が「何百回と無理やり見聞きさせられた」ような感覚、飽きが来てしまうのである。
ギルド長などという地位に立ってしまうと、半ば義務的に芸術を鑑賞せざるを得ない場合も多々あった。
そのため何とか直そうとボーガー自身考えてはいたのだが。
ボーガー自身がどんなに素晴らしい、感動的だと思っていたとしても、飽きてしまうのだからどうしようもない。
「生の演奏や演劇なら、変化があるので同じ演目でも楽しめるのだけれどね。この歳になって、情けない限りだよ」
荷物を整え終えたボーガーは、ふと思い出したというように顔を上げた。
「そういえば、彫刻と壁画の中に、水彦様と風彦様、エルトヴァエル様のお顔があったね。なぜか複数あったけれども。全て精霊様のものかと思ったんだが、そうでもなさそうだよ。もしかしたら、赤鞘様のお顔もあるのかもしれないね」
ボーガーの言葉に、周囲にいた者達の間に緊張が走った。
ここに来ているギルドの面々には、水彦の正体がガーディアンであるという事実は知らされている。
その顔がこの中にあったということは、どういった意図があるのか。
ボーガーが言った彫刻と壁画を探すもの、似せたものがある意図を考えようとするもの。
様々な反応を示す者たちをしり目に、ボーガーは落ち着いた様子で荷物を持ち上げた。
近づいてくる「ダンジョンズ・ネットワーク」のゴーレム達に気が付いたからである。
「さぁ、行こうか。お待たせするわけにもいかないからね」
ボーガーに促され、ギルドの一団は素早く動き始める。
基本的には、全員優れた人員なのだろう。
一度仕事を始めれば、その働きは流れるように滑らかだ。
移動用のゴーレムの方へと歩き始めるギルドの一団をモニタ越しに眺めながら、赤鞘は珍しくシリアスな表情をしていた。
三白眼を鋭く細め、眉間にしわを寄せてボーガーの姿を見つめている。
普段はにこにこしているためわかりにくいが、基本的に赤鞘は凄まじく目つきが悪く、人殺しの人相なのだ。
まあ、実際生前は結構斬り殺していたりするわけだが。
そんな赤鞘の様子を、アンバレンスは物珍しげに眺めていた。
「ギルドの一団も到着したわけですがっ! いかがですか、解説の赤鞘さん」
「いやぁー。あの、ギルド長のボーガーさん。私の少ない経験でいうと、ああいう方が一番怖いんですよ。油断ならないっていうか」
人間時代旅暮らしをしていた赤鞘は、様々な人間を見て来ている。
その中で最も厄介だと赤鞘が思うようになったのは、いわゆる「タヌキ」と呼ばれるような人種であった。
「それにあの方、多分さっきので彫刻と絵画の人物の顔、全部覚えたんじゃないですか?」
いいながら、赤鞘はエルトヴァエルの方に顔を向けた。
情報といえば、罪を暴く天使に聞くのが一番だからだ。
直ぐにその意図を察したエルトヴァエルは、「はい」と頷いて見せる。
「彼は、そういうことが出来る人物です」
「そうなの? びっくり人間の類の領域じゃない? 流石、巨大組織ギルドの長だわ」
実際、一度会った人物の顔と名前、プロフィールと人となりまで記憶するという特技が、ボーガーにはあった。
そのうえで、一目で相手のおおよそのことを見抜く眼力を持っているのだ。
“慧眼”と呼ばれているのは、伊達ではないのである。
「いやー、しかし三勢力の代表がそろったわけですけども。全員が全員やっかいそうですねー」
「ですねぇー。一癖も二癖もありそうですけど」
「赤鞘さん、こんな連中と会うことになるんですね。大変そうだわー」
それを聞いた瞬間、赤鞘は凍り付いた。
すっかりそのことを忘れていたからである。
赤鞘は基本的に、面倒くさいことは後回しにする質であった。
そうこうしているうちに、ことがうやむやになるのを期待するタイプの日本神なのである。
こういった目の前に差し迫った危機に対しては、「想定外でした」と混乱してしまうことが多いのだ。
それで済めばいいのだが、恐ろしいことに今回は、そういうわけにはいかなかった。
なぜなら。
「はい、今回の顔合わせなんですけれども。お客が夕食を終え、一息ついたところを見計らって、赤鞘さんが電撃訪問するという。ドッキリ方式を採用しておりまーす」
アンバレンスは、すこぶる軽い感じでそういった。
訪問してきた一団には、「赤鞘との謁見は、一夜明けた翌朝」と伝えてある。
にもかかわらず、実際にはそれぞれが泊まっている部屋へいきなり押しかけちゃおうっ!
というのが、今回のどっきりの趣旨なのだ。
どっきりとは言っているが、元々は赤鞘の気遣いが発端であった。
三団体は一堂に集まるこの機会を利用して、見直された土地に関しての話し合いをすることになっている。
赤鞘の中では、こういった話し合いはすさまじく時間のかかるものである、というイメージがあった。
政治的な難しいやり取りというのは、正味赤鞘にはよくわからない。
だが、なんか難しいだけに、すごく時間がかかりそうな印象があったのだ。
そこで赤鞘は、少しでも会議の時間を作ろうと、知恵を絞ったわけである。
早めにあって挨拶を済ませちゃえば、たくさん会議出来ますよね。
こっちのわがままで予定を変えたってことにすれば、私の悪口で盛り上がるかもしれないし。
ていうか、一度に全員とあったら心臓に悪そうだし、何とか分散させたいですし。
ぶっちゃけ早く終わらせて楽になりたいっていうか。
そんな赤鞘の思いを汲み、ちょっと予定を変えることにした訳だ。
まあ、アンバレンスによる面白半分の改編も多分にあったわけだが。
赤鞘はゆっくりと頭を抱えると、テーブルの上へ蹲った。
「ああああああ! コレやっちゃったパターンじゃないですか!? これやっちゃったパターンですよね!? ドッキリで行ったら怒られるやつですよねぇ!!」
絶望をありありと浮かべた赤鞘を見て、アンバレンスは苦笑する。
こういう事態になったときの為に、ドッキリをやめて本来の予定通り動くプランも、準備してある。
赤鞘のビビりっぷりは周知の事実なので、柔軟な対応が用意されているのだ。
太陽神にして最高神にすら気を使われる下っ端土地神、という立場に気が付いたらそれはそれで赤鞘の胃がマッハっぽいが、気が付かなければOKなのである。
「ここはちょっと、予定変更って形にしましょうか? 相手もなかなか曲者みたいですし」
「いえっ! 大丈夫ですっ!」
瞬間的に顔を上げた赤鞘は、顔をひきつらせながらも胸を叩いて見せた。
明らかに大丈夫ではなさそうだが、その言葉には妙に力がこもっている。
「予定通り進めて見せますよ! ええっ!」
賢明な読者の中には、気が付いた方もおられるかもしれない。
そう、赤鞘は日本神であった。
予定を変更するとか、そういうのにとても敏感だったのだ。
自分の為に、直前で予定を変更させるのはすごく申し訳ない。
しかも今は、全国放送である。
ドッキリを楽しみにしているものも、いるかもしれない。
そんな期待を裏切るのは、プレッシャー的に無理なのだ。
じゃあ、どうして最初にドッキリ的な変更はよいのだ、と、思うかもしれない。
それとこれとは、赤鞘的には種類が違うのである。
ドッキリの方は、どちらかと言えばよい方向に物事を持っていく、ポジティブな予定変更だ。
サプライズと言い換えてもいいかもしれない。
だが、今回の場合は、楽しみを奪ってしまう、ネガティブな予定変更なのである。
違いがいまいち微妙なのだが、その辺は赤鞘の基準なので仕方ないだろう。
元々微妙な神様なので、基準も割と微妙なのだ。
とにかく。
赤鞘は「自分の為に予定を変更させて、ガッカリする人があってはいけない」という妙な使命感に後押しされ、声を張り上げたのである。
「大丈夫です! 挨拶するだけですしね! 流石に何も問題も起こりようがないでしょうし!」
「うわー、さっすが赤鞘さん! かっこいー!」
カラ元気で笑う赤鞘に、アンバレンスは拍手を送る。
もっとも。
赤鞘を除く、ここに居る全員が。
きっとろくなことにならないんだろうな。
と、内心で思っているのであった。
次回、ご飯を食い終わった人達のところに、赤鞘が突撃します!!
あと、神越とは関係のないお知らせをさせてください
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タイトルは
「ベルウッドダンジョン株式会社 ~西辺境支部奮闘記~」
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結構気合い入れて書いてますので、よろしければご一読くださいな