百十八話 「そうでしたそうでしたっ! ポンクテの味を確かめてもらうのって、明日でしたよねっ!!」
見直された土地へ招待する、スケイスラー、ホウーリカ、ギルドとの交渉、条件の刷り合わせは、順調に進んでいた。
普通ならば、お互いに腹の探りあいや足の引っ張りあいが行われ、難航するのが当たり前だろう。
そういったことが起こらず、三つすべての勢力が協力し合っている。
一種異常とも言っていいこの状況は、エルトヴァエルの存在によるところが大きかった。
普段ならなるだけ自分達が有利になるようにと、工作を重ねるところだろう。
だが、今回に関しては、そういったことが一切無かった。
それどころか、多少自分達の利益を犠牲にしてでも、他と足並みを揃えようとすらしている。
どの勢力も“罪を暴く天使”の機嫌を損ねたいとは思わないのだろう。
ここは手を伸ばせば取れそうな利益でも、伸ばした手ごと首を持っていかれることを恐れるぐらいの慎重さが必要だ。
すべての勢力が、そう考えているらしい。
実際、それは間違った判断ではないだろう。
何しろ、相手は天使様だ。
それも、いくつもの国々の悪行を調べ上げ、断罪してきたエルトヴァエルである。
目を付けられない為ならば、多少の損は止むを得ない。
むしろそれで済むなら、安いと思うべきだろう。
ついでに言うとするならば、三つの団体が欲している「利益」が、重なっていないと言うのも大きい。
スケイスラーは、見直された土地上空を通過する権利。
よしんば可能であるならば、更に港の確保。
ホウーリカは、約百年前の戦争の免罪。
直接的に大量破壊魔法を使ったのはステングレアの旧体制だが、使用を止められなかったというのは大きい。
そしてあわよくば、見直された土地とは言わないまでも、その近くの土地の確保。
ギルドは、周辺への立ち入りの許可を得ること。
更に出来るのであれば、支部の設置。
見事に、全ての団体で利益の住み分けが出来ているのだ。
ならばここは、無理に競争せず、お互いに協調しあったほうが良い。
その様に、全ての勢力が判断したのである。
だが。
それに不満を持っているらしきものがいた。
だれあろう、エルトヴァエルである。
「生物と言うのは、少しでも自分の利になるものを選ぶように動くものです。他者より少しでも多く、一つでも多く。そうした行動の行きつく先が、所謂進化と呼ばれる変化なんです」
「はぁ。進化ですか」
不満げな顔で書類に目を通しながら、エルトヴァエルは呟く。
それに相槌を打ったのは、風彦だ。
彼女らが今居るのは、見直された土地の中央。
赤鞘の三つの社がある場所だ。
近くには赤鞘が地べたに転がり、地中に顔をめり込ませて力の流れを調整していたり。
周囲を樹木の精霊達が、好き勝手飛び回っていたりする。
時折エルトヴァエルや風彦にくっ付いて遊びに来る精霊もいたりするのだが、仕事をしているらしい雰囲気を察して離れていく。
風彦的にはずーっとくっ付いていてくれてもよかったのだが、仕事は仕事だ。
真面目にやらないとエルトヴァエルに断罪されてしまうので、遊んでいるわけにも行かない。
しかし、どうも真面目に仕事をしているにも拘らず、エルトヴァエルは不機嫌な様子だ。
眉間に皺を寄せ、ぶつぶつといい続けている。
「人間と言うのは、思考力を持った生き物です。他者を出し抜き、貶め、自らだけが生き残る。よく悪しきこととされるそれらですが、果たしてそうとだけ言い切れるものでしょうか? 生き物と言うのは元来何とかして自分だけは、自分の子孫だけは少しでも有利な条件で生きられるようにしようとするものではありませんか」
「いえ、あのー。私、生まれて数ヶ月なのでそういう難しい事はちょっと……」
実際はエルトヴァエルと樹木の精霊達に知識を詰め込まれているので、その辺の事情もある程度わかっていたりする。
わかってはいるのだが、この手のことにコメントすると非常にめんどくさくなりそうだと風彦は判断した。
なんとかして逃れようとするが、“罪を暴く天使”はそんな風彦を許してはくれない。
「卑怯さ、卑劣さ、怜悧狡猾、邪知深さ。そういったものは、人間が生き物であり、ここまで生存競争を生き抜いてきた証といえる者ではないでしょうか。私はむしろそういったものこそを尊いと思うのです」
どこまでも真剣な様子で、エルトヴァエルはとうとうと語る。
エルトヴァエルと言う天使は、兎に角情報を集めるのが好きな天使だ。
何かのために情報を集める、と言うのではない。
しいて言えば、情報を集める為に情報を集めるのである。
そんな彼女ではあるが、もう一つ好きなことがあった。
人間観察である。
天使であるエルトヴァエルが人間観察。
といえば、なにやら人の善行やよい行いを観察していそうなものだ。
が。
現実はむしろ、それとは真逆であった。
エルトヴァエルは人間の、生物らしい足掻き。
所謂、生き汚さのようなものを好む傾向にあったのだ。
足の引っ張り合いや、罠に嵌める様。
そういったものを見るとき、エルトヴァエルはそこに生命の神秘や、生きるための工夫を感じるのである。
なにやら非常に屈折した趣味に見えるかもしれないが、エルトヴァエルは非常に天使らしい天使だった。
その感覚は、人間のものとは違ったものなのだ。
彼女にとって見れば、人間の汚さ。
つまり、生きる工夫を見るというのは、動物のそれを見るのに近い。
クモが糸を張って巣を作るとか。
コウモリが超音波を使い、暗闇を探り飛び回るとか。
アグコッコが振動に敏感なクチバシで、地中のミミズや虫を見つけるだとか。
人間のある種の醜悪さを見るエルトヴァエルの目は、まさにそういったものを観察するようなものだったのだ。
そして、そういった場面に出くわすたび、エルトヴァエルは嬉々としてそれを記録するのである。
元々情報収集に長け、好きなものを観察しているエルトヴァエルだ。
観察対象にしてみれば、まさに“罪を暴く天使”と言ったところだろう。
難しい顔で、エルトヴァエルは唸り続けている。
仕事の手は止めていないが、目の前に居る風彦的には精神衛生に悪かった。
なんとか気を紛らわせようと、引きつった笑顔でフォローに回る。
「まぁまぁ。今回は事が事な訳ですし。私達にとってもそんなことじゃないんですから。それに、人選はエルトヴァエル様がしたんですしね。それが正解だったんだなぁー、ってことで」
「その通りなんですが。なんというんでしょう。腑に落ちないというか。本当に、本当になにもしていないのか? と言う疑問が湧いてくるんですよ。いえ、風彦さんや天使仲間から頂いた情報を疑っているわけではないんですが」
今までエルトヴァエルは、欲しい情報があれば方々へ飛び回り、自分の手で調べ上げていた。
だが、現在は見直された土地に居る必要があるため、それが出来なくなっている。
情報収集よりも重要な、「赤鞘がめちゃくちゃな事をしないように面倒を見る」と言う仕事があるからだ。
この仕事の難易度は異常に高く、現在の所まともにこなせるのはエルトヴァエルぐらいであった。
それがわかっているからこそ、エルトヴァエルも仕事であり趣味である情報収集を我慢して、見直された土地にじっとしているのである。
必要な情報等は、風彦に集めてもらったり。
エルトヴァエルの天使仲間に融通してもらったりしている。
どれもかなり精度の高い、信頼できる情報ではあるのだが、如何せん情報収集中毒と呼び声高いエルトヴァエルには、完全には納得出来ないものであるらしい。
仕事をするのには十分なものであるのは、間違いないのだが。
いよいよ表情が険しくなってきたエルトヴァエルに、風彦は何とか気をそらせようと、別の話題を振るために口を開いた。
だが、横合いから飛んできた声が、その役割を変わってくれる。
「あのぉー、エルトヴァエルさん。今回のお客さんって、何人お見えになるんでしたっけ?」
声の主は、赤鞘だった。
地面にめり込ませていた顔を上げ、エルトヴァエルと風彦のほうへと向けている。
お客さんというのは、スケイスラーをはじめとした、三団体のことだ。
どのぐらいの人数が、何日間宿泊し、どんな事をするか。
そういった細かい事は、つい先日決まったばかりである。
既に赤鞘には知らせており、内容も伝えてあった。
のではあるが、記憶力がダメダメな赤鞘が、それを一度で覚えられるわけも無く。
この質問は今日だけで三度目だったりする。
「各二十人づつ。計六十名です」
「あー。すごい人数ですねぇー。いや、でも皆さんエライ方ですもんねぇー。それぐらいは当たり前ですよね。そう考えると、むしろ少ないんですかね?」
「随行人数は場合による、といった感じでしょうか。例えば道中が危険地帯であれば軍隊が必要でしょうし。逆に道中が安全、かつ、相手国内での安全が軍事的にも政治的にも保証されているのであれば、もっと少ない場合もあります」
エルトヴァエルの説明に、赤鞘は感心した様子で頷いている。
このやり取りもやはり三回目なのだが、赤鞘の感心度には特に変化は見られない。
あと六回もこのやり取りを繰り返せば、流石の赤鞘も覚える事だろう。
「宿泊施設のほうは順調なんでしたっけ?」
「はい。通路、部屋などの設置はほぼ終わりましたので、後はカーペットや寝具等を入れるだけです」
「いやぁー。はやいですねぇー。そういえば、湖の精霊さん達も手伝ってくださったんですってね?」
思い出したように手を叩く赤鞘に、エルトヴァエルは大きく頷いた。
手に持っていた書類を膝に置き、記憶を探るように視線を上へ向ける。
その様子を見ていた風彦は、感心したように目を丸くした。
いつの間にか、エルトヴァエルの表情から険しさがなくなっている。
赤鞘の質問に答える為に、意識がそちらへと向かった為だろう。
別に、赤鞘が意図してそれをやったわけではない。
単にタイミングの問題だ。
しかし、妙にタイミングが合う相手、と言うのが、世の中にはいるものである。
もしかしたら赤鞘とエルトヴァエルは、そういう関係にあるのかもしれない、と、風彦は思った。
「はい。湖の浮島を作る片手間に、ですが。ダンジョンの維持管理をしている独立マッドアイ・ネットワークと連携したおかげで、かなり効率よく作業が進んだようです」
「浮島を作って、建築に目覚めちゃったんですかねぇー」
冗談っぽくそういって、赤鞘はあっはっはと笑う。
エルトヴァエルも、まさかそんな、といった様子で苦笑をしている。
だが、赤鞘のそんな予想は、実は当たっていたりした。
宿泊施設を作っていると聞きつけた湖の精霊達の一部が、「自分達にも手伝わせて欲しい」と名乗り出たのだ。
そんな精霊達と、現場監督である土彦の橋渡しをしたのは、ほかならぬ風彦であった。
ガーディアンと上位精霊が、協力して作った宿泊施設。
人間にとっては何一つ気の休まらない宿泊施設だな、と思いつつも、風彦は土彦に事情を説明。
お互いに快く協力し合えるように取り計らった。
そのときのことを思い出し、遠い目になる風彦をよそに、赤鞘とエルトヴァエルの話しは続く。
「そのカーペットとか寝具なんかは、どうやって手配するんです?」
「水彦さんが集めた資金を使い、木漏れ日亭の店主さんを通して購入してあります。宿屋さんがそういったものを買っても、違和感が在りませんから」
「なるほどー。それなら、ステングレアの隠密さん達の目も、ある程度眩ませますねぇー」
「気休め程度ですが。そのうち、アインファーブルからステングレアを遠ざける方法を考えないといけませんね。土彦さんと風彦さん、エンシェントドラゴンさんの知恵もお借りしましょう」
突然出てきた自分の名前に、風彦は身体をビクつかせる。
また面倒な仕事を与えられそうだと思ったからだ。
外での実働部隊が水彦と風彦しかおらず、細かな仕事が出来るのが風彦だけな現状。
それは十中八九事実として、風彦に襲い掛かるだろう。
そんな事を考えてあわあわしている風彦を尻目に、赤鞘はのほほんとした顔で会話を続けている。
「なんだか大変そうですねぇー。ん? 購入してあります、って事は、もう宿泊施設の中に入れるものって、購入してあるんですか?」
「はい。後は運び込みだけです」
「早いんですねぇー。いつごろの予定なんです? それって」
「ええっと、その、明日です」
エルトヴァエルの言葉に、赤鞘が凍りついた。
初めて聞いたというような、驚きの表情を浮かべる。
既にこのことは何日も前から知らされていたのだが、赤鞘はあまり関心が無いのか、一向に覚える気配が無かった。
赤鞘の記憶の優先順位は、まず土地。
その次に住民が来て、ほかの神様とのあれこれ。
最後が纏めて、それ以外、となっている。
どうやら赤鞘的に荷物の搬入の話は「それ以外」に分類されているようだ。
だが、どうやら今回は、別口の記憶から言われていたことを思い出したらしい。
「あー! そういえばアグニーさん達に新しい服と物資を届けるって言ってましたね! そっか、そのときに来るんだ!」
「そうです。それと一緒に、キャリンさん、門土さん、アニスさんが、土彦さんの地下施設へいらっしゃいます」
エルトヴァエルの言葉に、赤鞘は困惑した表情で固まった。
だが、今回はすぐに思い出せたのだろう。
いかにも「思い出したっ!」といった表情で、両手を打った。
「そうでしたそうでしたっ! ポンクテの味を確かめてもらうのって、明日でしたよねっ!!」
赤鞘の依頼で、アンバレンスを含む、様々な世界の最高神十柱が選び抜いたポンクテだ。
選考は難航したらしく、最終的には殴り合いにまで発展したそうだが、無事に一つの銘柄が選び出されている。
最高神同士の殴り合いと言うのは、途轍もない事なのではなかろうかとも思うのだが。
赤鞘はあえてスルーすることにしていた。
「はい。そのための準備をするために、この後で風彦さんに、アグニーさん達の村に行ってもらう予定です。他にも色々片付けて頂くこともありますし」
「そうなんですかぁー。風彦さん、色々大変だとは思いますが、よろしくお願いしますね」
急に名前を呼ばれ、風彦は身体を跳ね上げた。
アグニーの村に行くのは、風彦としては楽しみな事である。
既に顔合わせは済ませており、アグニー達からも好意的に受け入れられている。
なでなでさせてもらったり、ほっぺたをもちもちさせてもらったりもした。
思い出すだけで、ほほが緩みそうになる。
風彦は何とか表情を持ちこたえさせると、大きく頷いて見せた。
「はい! 精一杯、努めさせて頂きます!」
赤鞘はその返事に満足したのか、にこやかに頷く。
そして、再び地面に顔を突っ込んだ。
見た目だけだと中々にアレだが、これが最近の赤鞘の仕事時の姿であった。
赤鞘が仕事に戻ったのを見て、エルトヴァエルも膝に乗せていた書類を持ち上げる。
「こちらも、手早く終わらせてしまいましょう。その後、アグニーさん達の村へ行って下さいね」
「承知しました。終わり次第、すぐに行ってきます」
風彦の言葉に頷くと、エルトヴァエルは書類へと目を移した。
その表情は、いつもと同じ生真面目なものに戻っている。
風彦はほっと胸を撫で下ろすと、自身も手にした書類束へと集中を向けるのであった。
ポンクテでいっぱいになったズタ袋を肩に担ぐと、スパンは器用にはしごを降りていく。
アグニー特有の高床式建築になったそこは、食糧倉庫になっている。
スパンのほかにも、何人かのアグニー達が、忙しそうに倉庫から食料を運び出していた。
それらは全て、明日アニスに味見してもらうためのものだ。
担いでいたポンクテを荷台に乗せると、スパンは満足気に息を吐き、額の汗を拭う。
今日、スパンが来ているのは、キャラクター柄のTシャツに、ミニスカートだ。
動きやすく、ライフジャケットを纏ったデフォルメされたかっこいいウサギも画かれている、スパンのお気に入りの服装である。
ちなみにそれらが所謂「女の子向け」である事は、スパンは、というかアグニー族全体がまるで知らない。
基本的にアグニー族の服のチョイス基準は、仕事がしやすいかと言うことと、個人の趣味に合うかなのだ。
その意味で、スパンはスカート類を非常に気に入っているのであった。
一応確認までに、スパンは立派な成人男性である。
中年に差し掛かった年齢ではあるが、年下の美人で有名な奥さんを貰っている、既婚者だ。
が、現在の外見だけで言えば、ボーイッシュで可愛らしい、ヤンチャな女の子にしか見えなかったりする。
一部で人気の男の娘然としている、とでも言えばいいのだろうか。
そう呼称するには厳密なルールがあるらしく、うかつに扱うとそういった趣味趣向の方からお叱りを受けそうだが。
まあ、今はとりあえず置いておくとしよう。
「ふぅー! えーっと、ポンクテの袋。はっぱを食べるのと、ねっこを食べる野菜。けっこうたくさん下ろしたなぁー」
荷台に乗せたものを確認するスパンの近くに、作業をしていたほかのアグニー達も集まってきた。
どのアグニーも、衣服と性別がまったく一致していない。
当人達はまったく意識せず、全ての性別を外す。
中々難しい事だろうが、そんなことをあっさりやってのけてしまうのがアグニーのすごいところだ。
「土彦様のところにくる、料理人の人が使うんだっていってたよね」
「そっかぁー。おいしいって言ってくれるといいなぁー」
「けっかいー」
「そういえば、あといくつ下ろせばいいんだっけ?」
一人のアグニーの言葉に、他のアグニー達は腕を組んで唸りだした。
土彦からは、どれをいくつ、と言うような細かい指定も貰っている。
だが、残念ながらアグニー達は基本的に、モノを数えたりするのが苦手だったのだ。
べつに、数を数えられないわけではない。
アグニー文字と言う、アグニー独特の文字文化にも、きちんと数字は存在している。
問題なのは、数えている途中で本人が飽きちゃう、と言うことなのである。
数えていると段々ぼーっとしてきて、最終的にぽかーんとしてしまうのだ。
アグニーは基本的に仕事が好きな種族なのだが、どういうわけかそういうところはすっぽりと抜け落ちてしまっていた。
一体どういうことなのかと疑問の声が上がる習性だが、多くの専門家が「まあ、アグニーだし」と声をそろえるところでも合ったりする。
「今ので最後ですから。後は広場に運べば大丈夫ですよ」
並んで首を捻っていたアグニー達に声をかけたのは、生きているのもメンドクサイといわんばかりの表情で立っている青年。
ディロード・ダンフルールだ。
背中に黒い翼を背負い、頭には同じく黒いネジくれた角。
真っ白な絹糸のような頭髪に、褐色の肌。
顔形は異様なほどに整っていて、目の硬膜は黒く、瞳は赤かった。
ビジュアル的には、どこぞの魔王のようではある。
だが、その実まったく危険性の無い男であった。
その無害さ加減は、アグニーがまったく警戒しないレベルだ。
ディロードの言葉を聞き、アグニー達は感心の声を上げた。
「おー! そうなのかぁー!」
「じゃあ、もう運び出していいんだな!」
「いやぁー、ディロードさんが居てくれるとたすかるなー」
口々にそんなことを言いつつ、アグニー達はそれぞれの仕事へと別れていく。
その姿を見送りながら、ディロードは深いため息をついた。
手に持っていたバインダー、そこに挟まれたチェックシートに、印を付ける。
ディロードが今しているのは、来客のためにアグニー村から出荷される、荷物の個数確認だ。
元来めんどくさがり屋で、やらなくて良い仕事はやらないと、ディロードは明言していた。
しかし、ことこういう種類の仕事を、アグニー達はとてもとても苦手としている。
現在アグニー村でそれをこなせるのは、ディロードだけなのだ。
「はぁ。なんだって僕がこんなめに」
心底嫌そうな顔でそうぼやくと、ディロードは次の目的地へと移動を開始する。
移動とは言っても、その動きはすこぶる遅い。
その動きは、のんびり散歩しているときの陸ガメと同程度だ。
「労働をするというのは良い事です。もっと勤勉なほうが望ましいですが」
ディロードの体から声が響き、次いで光の粒子が漏れ出す。
あっという間に人の形に寄り集まったそれは、パンツスーツのような服を着込んだ女性の姿へ変化する。
人工的に作られた精霊である、マルチナだ。
彼女の本体である魔石は、ディロードの体内に埋め込まれている。
コンピュータを身体に埋め込んでいるようなもの、とでも言えばいいのだろうか。
マルチナをちらりと見たディロードは、露骨に嫌そうに顔を顰めた。
「してるよ? ものすごく。僕の人生史上、稀に見る働きっぷりだよ? 本来、僕って連絡役なはずなのに。こうして別の仕事までしているわけだし」
確かにディロードは、アグニー達とガルティック傭兵団との連絡役として派遣されている。
元来の仕事は、アグニー達から依頼を受けたり、「こんな事ができる」と提案したりする、いわば御用聞きのようなものだ。
とはいえ、アグニーは独特の生態を持つ生き物だ。
こちらの常識が通用しない場合も多く、彼ら独特の行動を理解する為には、積極的に絡んでいく必要がある。
だから、ディロードもいやいやながら、アグニー達の仕事を手伝ったりしているのだ。
「仕事とはいっても、記録を取っている程度ではありませんか。収穫物の量を記録したり、消費量を記録したり」
「そういうのも立派な仕事だよ? 数えて、記録してさ」
「数えるのも記録するのも、やっているのは私ですが」
睨んでくるマルチナの視線を、ディロードはゆるーく回避した。
人工精霊と言うのは、記録や計算などを得意としている。
ディロードがやっている、と主張しているような仕事は、実は全てマルチナが行っていたのだ。
「ほら。君、僕の中に本体があるわけじゃない? ならあれだよ。一心同体って事で。僕も仕事をしたことでひとつ」
愛想笑いをしてごまかそうとするディロードだったが、マルチナの冷たい視線は一向に弱まらない。
ディロードが、どうしたもんかなぁー、などと考えていいると、なにやら大きな音が聞こえてきた。
何事かと見上げてみれば、そこには空中を駆ける様に飛ぶ風彦の姿がある。
「あ、ディロードさん! 丁度良かった!」
きょろきょろと地面を見渡していた風彦が、ディロードを見つけ手を振る。
どうやら彼を探していたらしい。
空中を滑り降りるように移動しながら、風彦はディロードの前へと静かに着地する。
エルトヴァエルの知識と風を使って創られた風彦だが、どうやら着地ベタなところは似なかったようだ。
「あー、どうもこんにちは」
「はい、こんにちは! マルチナさんも!」
「こん、にちは」
ゆるーい感じで挨拶するディロードに、風彦はにこにこしながら挨拶をする。
一緒に声をかけられたマルチナは、ガチガチに緊張した様子だ。
かなり小市民気味な風彦だが、れっきとしたガーディアンである。
敬われ、尊敬される立場なのだ。
ディロードのような態度で接するのは、本来不敬に当たる。
のだが、風彦はまったく気にした様子が無かった。
そもそも「あまりかしこまらないでくれ」といったのは、風彦のほうだからだ。
仕事上、ディロードとはやり取りする機会も多いので、あまり生真面目にやられてもやりにくいと考えからである。
他の相手ならば兎も角、「ガルティック傭兵団」は見直された土地に拠点を持つことになった集団であり、その目的は住民の戦力と成る事。
ある意味、身内のようなものなのだ。
少なくとも、風彦の感覚では。
「荷物の積み出し、終わったみたいですね。数は揃いましたか?」
「全部揃いましたよ。料理人さんがくるのって、明日なんですよね、たしか」
「そうです。食材の確認や、道具、場所の確認をすることになっています。ぶっつけ本番で料理をして頂く訳にはいきませんから」
ディロードも風彦も料理に関しては素人だが、準備や道具が肝心なのだろうことはなんとなく想像は付く。
何が必要で、何がいらないか。
現在の設備で十分なのか、不足なのか。
そのあたりも含めて、確認してもらう必要があるのだ。
もてなすべき「お客」が来るのはもう少し先だが、準備は早いに越した事は無いだろう。
「厨房を作ってるのも土彦ねぇなんですが。なんだか妙にこっちゃってるみたいで。専用の道具とか作ってるらしいんですよ。もちろん、魔法組み込んだヤツで」
「あー、確かにあの人、凝り性っぽいですからね」
苦笑いを浮かべる風彦を見て、ディロードは納得したように頷く。
ディロードにとって土彦は、自分が入っていた樽をなんだかよく分からない装置で打ち出した張本人だ。
一緒に居る時間もわりと長かったので、おおよその性格は把握している。
「そうなんですよー。何でもかんでも複雑にすればいいってものじゃないと思うんですけど……。ああ、それは兎も角。明日の話なんですが」
表情を改める風彦を見て、ディロードも僅かに背筋を伸ばす。
本当に僅かであり、見た目的には思い切り猫背ではあるのだが。
「もし時間があるようでしたら、キャリンさんと門土さんがこちらへいらっしゃるかもしれないんです。そのとき、できればディロードさんにも居ていただきたくて」
「はぁ。わかりました。僕でよければ。でも、僕、基本的に役に立ちませんよ?」
ディロードの言葉に頷きかけた風彦だったが、すんでの所でそれを止めることに成功する。
あまりにナチュラルな言い方だったので、釣られそうになったのだ。
確かに事実っぽい事ではあるが、気を使っちゃうタイプのガーディアンである風彦としては、うかつに頷けない部分だ。
「そんなことないですよ! それに、ほら。なんていうか。もし万が一何か説明を求められた時に、ですね。上手く説明できないって言うか、なんていうか」
それを聞いたディロードは、納得したように頷いた。
アグニーと言うのは基本的に、フィーリングの生き物である。
行動の大半は「なんとなく」と「だいたい」でしめられているのだ。
何かを作るときも、「なんとなくこんな風な感じ」とか「だいたいこれぐらい」とか。
ほぼそういった、曖昧な認識で行動している。
それでいて完成させるものは、見本と寸分違わぬものであったりするのだから、驚きだ。
他の一般的にな種族には到底見当も付かないが、アグニー達に言わせれば「なんとなくだいたいの感覚でやれば、なんとかなる」のである。
実際それで「なんとか」してしまうのだから、他種族的には文句は言えないところだろう。
だが、他種族に何かを伝えると成ると、支障が出てくる。
説明が全て「ぎょーむ! て、かんじだよー」とか「にょーんってかんじでやるのさー」とかになってしまうからだ。
それらを誰が聞いてもわかるように翻訳するには、別の誰かによる翻訳が必要、というわけだ。
「折角ここに居てくれるわけですし、一番適任なのはディロードさんだと思うんですよね。土彦ねぇもマッドアイ・ネットワークで村を監視しているので詳しいですが、余計な解説まで入りますから」
それも、ディロードにはよく分かることだった。
土彦ならば十中八九、「自分ならこう改造する」などの話しに脱線するだろう。
その手の話しになると、土彦の喋りは止まらなくなるのだ。
もちろんそれが必要な場面もあるだろうが、スローライフなアグニー達の村には、あまり似つかわしくないだろう。
「わかりました。僕、っていうか、マルチナが説明することになると思いますけどね」
マルチナがびくりと身体を跳ね上げ、恨みがましくディロードを睨みつける。
非難を口にしないのは、風彦が居る為だろう。
それをわかっているのか、ディロードは意識的にマルチナのほうを見ないようにしていた。
風彦はそれを見て、面白そうに笑う。
なんだかんだで、ディロードもマルチナも、妙に息が合っている様に見えたからだ。
「では、私は長老さんに会いに行きますので。さっき言った件と、いくつかお伝えしなくちゃいけ無い事もありますし。村の名前も聞かなくちゃいけませんしね!」
「村の名前?」
「はい! 村の名前を決めて置いてくださいって、お話してありましたから」
今までの所、アグニー達の村には名前が着いていなかった。
ずーっと暫定的に「アグニー村」などと呼ばれていたのだが、それでは「にんげん村」や「えるふ村」のようなもので、なんとなく味気が無い。
せっかくお客さんが来るのだから、この機会に決めてしまおう。
そんな風に考えたエルトヴァエルが、アグニー達に村の名前を決めるようにと、アグニー達にお願いしたのだ。
お願いされた当のアグニー達はといえば。
「そういえば名前決めてなかったなー」
「けっかいー」
「これはモウテンだったー」
「もうてんってなに?」
「しらない。たべものかな?」
といった具合であった。
要するに何にも考えてなかったわけだ。
今回の機会は、ある意味で丁度いいきっかけと言えるだろう。
「本当ならコウガクさんがいらっしゃった時に名前が決まって居ればよかったんでしょうけどね。初めてのお客様だった訳ですし」
ディロードも入れれば、今度の来客は三組目だ。
そこで初めて名前を決めようと言うことになるというのも、なんとも間が抜けてるというか。
アグニーらしいといえば、そうかもしれない。
ディロードはそれを聞き、なんともいえない表情で口を開いた。
「それ、まだ決まってないですよ?」
「え? ほんとですか?」
名前を決めて欲しいとお願いしてから、けっこう期間は経っている。
もうそろそろ決まっているだろうと考えていただけに、風彦はとても驚いていた。
「なんか決めようとしてはいるみたいなんですけどね。なんか結局うやむやになるみたいで」
アグニーの特徴の一つに、難しい事を話し合っていると寝ちゃう、と言うものがある。
ほかにも、なんやかんやで口論になると、お互いにビビッて逃げちゃう、と言うものもあったりした。
そんな彼らに「村の名前を決める」などという案件を持っていけば、簡単に決まらないであろう事は想像に易い。
風彦はしばし頭を抱えると、諦めたようにため息をついた。
「もういっそ、私が立ち会って名前を決めてもらうことにしましょう。私とマルチナさんと、ディロードさんが立ち会えば、上手くまとまるかもしれませんし」
まとまる「かもしれない」と言うのがポイントだろう。
アグニーの生態はまだまだ謎に満ち溢れている。
確信を持っていえることは、極僅かなのだ。
「あー。わかりました。じゃあ、それにも立ち会えばいいんですね? いつごろやるんです?」
「皆さんが集まるのは夕ご飯のときですから、その後に会議を開いてもらいましょう」
お昼を過ぎたばかりの時間だから、今から長老に話をしておけば問題ないだろう。
風彦はあれこれと頭の中で予定を立て終え、大きく一つ頷いた。
「では、私はこれで! 引き続き、お仕事よろしくお願いします!」
「はいはい。おつかれさまです」
元気に手を振ると、風彦はふわりと中に浮かび上がった。
ディロードはぼうっとしたいつもの表情で、ひらひらと手を振る。
このとき、風彦は妙ににまにまとした笑顔を浮かべていた。
会議を開いてもらい、それに立ち会うということは、その間アグニー達の村に居る必要があるということになる。
ということは、たっぷりアグニー達と触れ合う時間があるということだ。
なでなでさせてもらおう。
あわよくば、ぎゅーってさせてもらえるかもしれない。
可愛い物好きな風彦としては、しまりの無い顔になるのも仕方の無い事だろう。
仕事のついでに、ちょっとした楽しみがあったっていいじゃない。
だって普段、得体の知れない化け物連中と仕事してるんだもの。
風彦はるんるん気分で、スキップするように空中を跳ねるのであった。
次回、三勢力があつまるっていったな
アレハウソダ
いや、なんかもう一話はさんだ方が自然だしさ・・・
次回、アグニー村命名と、キッチンに慄くご一行、アインファーブルに集う“慧眼”“スケイスラーの亡霊”トリエア の、三本でお送りします
っていうかトリエアだけふたつなないのな・・・