百十三話 「はぁ……。冒険者が酒盛りなんて……。体が資本だからこそ、ストイックでいないといけない仕事なのに」
風彦が降り立ったのは、アインファーブルのビル街の一画。
通路として使われてさえいない、細い細いビルとビルの谷間であった。
風に溶かし込ませていた身体を実体化させながら、風彦は自分の懐に手を伸ばす。
引っ張り出したのは、アンバフォンだ。
待機状態のそれを起動させ、時刻を確認する。
朝を過ぎて、昼前に差し掛かる頃、といった時間帯。
丁度、アインファーブルが最も静かな頃合だ。
アインファーブルは、ギルドが冒険者のために作った街であった。
冒険者を中心に回っている街、と言っていい。
そのため、多くの冒険者が仕事に出ている昼間、アインファーブルは最も静けさを見せるのである。
風彦がこの時間にアインファーブルに降り立ったのも、それを知っていたからだ。
夜よりも昼間の方が、人目につかない。
奇妙な話ではあるが、お土地柄というやつだろう。
「さてと。どんな恰好で水彦にぃに会いに行こうかな、っと」
そう口に出しながら、風彦は考え込むように顎先に指を当てた。
白尽くめな袴の和装という恰好。
同じく真っ白な髪という風彦の姿は、アインファーブルでは少し目立ちすぎる。
なので、今のうちに比較的大人しい服装に変えておこう。
そう、風彦は考えているのだ。
風彦は風で造られた存在であり、その姿形は力を使って作った見せかけである。
なので、外見や服装を変えるなど、朝飯前だ。
「水彦にぃが和装だから、和装なのは前提だよね。袴はアレだし、かわいい着物はちょっとイメージに合わないかなぁ。田舎の村から来たって設定だし」
もはや水彦本人も忘れている設定だろう。
水彦は貧しい村から出てきて、村のために色々な品々を集めているということになっているのだ。
設定を守るためにも、あまり派手な恰好は宜しくない。
アインファーブルまで旅をしてきたということになるだろうから、動きやすい服装という条件も必要だろう。
「もんぺがいいかな? ツギを当てたやつ」
もんぺというのは、腰周りと足首だけを絞った、ゆったりとした布製のズボンの事だ。
日本のものとほぼ同じもので、兎人の国である野真兎を中心に広まっているらしい。
女性向けのものであり、風彦がはいていても不自然は無いだろう。
何より、元来作業着なので、動きやすいのが良い。
適度にかもし出される田舎っぽさも、カモフラージュにうってつけだ。
風彦は、両手で袴を撫でる様に掃く。
そのとたん、袴の表面が大きく波打つ。
変化が始まり、終わるまでは一瞬であった。
まるで波紋が広がるように、袴はその姿をもんぺへと変える。
膝や脛の部分に色違いの当て布が縫い付けられた、いかにも使い込まれた風情のものだ。
見れば、それまでは一切なかったはずの土汚れなども付いている。
上は未だに真っ白な装束であるだけに、その姿は異様であった。
当の風彦もそれに気が付いたのか、ポンと手を叩き、上半身も両手で撫でる。
やはり布の上を波紋が走り、みるみるうちに様子を変えていく。
下のもんぺと同じような風合いに変化した上着を見て、風彦は満足そうに頷いた。
「よしよし。次は本体のほうかな」
服装だけ田舎っぽくしても、あまり意味が無い。
風彦の身体自体も、それなりにしておく必要があるのだ。
「やっぱり農民って言うのが定番だよね。となると、多少汚しておかないといけないかな」
いささか安直だが、間違ってはいないだろう。
風彦や水彦、土彦、それから門土などといった面々が着ているような服装は、やはり野真兎を中心とした地域の民族衣装だ。
その文化圏では農業が盛んであり、そのあたりでの田舎に対する一般的なイメージといえば、農村なのである。
まあ、それはアインファーブル周辺でも同じなのだが。
風彦は高い位置でくくっただけの髪の毛を手に取ると、残った手でさっと撫でた。
触れた部分から、髪の毛の色が変化していく。
埃や土汚れなどが広がっていき、髪質も悪くなっていった。
ついでに髪形も変えようと両手を持ち上げた風彦だったが、ふと手を止める。
水彦は髪型が変わっても、風彦を認識できるのだろうか。
普通ならば、多少髪形を変えたところで相手が誰か分からなくなる事は無いだろう。
だが、相手は水彦である。
そういう危険が無いではないのではなかろうか。
実際に会ったことはなく、外見の情報はアンバフォンで静止画を送っただけ、というのも懸念材料だ。
「髪型は変えなくてもいっか」
どうやら、風彦は兄の処理能力をあまり高く見積もっていないらしい。
正しい見立てと言っていいだろう。
髪の次は、顔だ。
指先で頬に触れると、あっという間に肌が汚れていく。
汚れる、とはいっても、過度に汚らしい、というわけではない。
元々の風彦の肌が美しすぎるのだ。
赤鞘とはいえ、神が手ずから作ったガーディアンである。
ましてそれを手伝った天使や樹木の精霊達が、「かわいくなるように」と力を篭めたのだから、尚更だろう。
全身を適度に汚し終えた風彦は、最後に両手をあわせる様に掌を払う。
すると、その指や掌が硬く変質していく。
「よし。こんなもんかな?」
呟きながら、風彦は自分の体を見回した。
いつの間にか変化したのか、履物等もすっかりそれらしく変化している。
外見はすっかり、「磨けば光りそうな原石」といった様子だ。
満足そうに頷いた風彦は、軽く手を振るう。
たったそれだけで、何もなかったはずの場所から大きな風呂敷包みが現れる。
風彦はそれを背負うと、「よし!」と呟いた。
支度を整え終えたのか、大きな通りのほうへと歩き始める。
目指すは、水彦が滞在している宿屋「木漏れ日亭」だ。
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その日、水彦、キャリン、門土、バイキムの四人は、朝から木漏れ日亭一階にある食堂でだべっていた。
ただだらけているわけではない。
これも、大切な仕事の一つである。
魔獣や魔物を狩る冒険者と言うのは、とにかく激務だ。
一度狩場に向えば、常に命の危険に晒され続ける。
相手は、文字通りの化け物だ。
どんな武器を持っていようと、いつこちらが狩られる立場に回るかわからない。
当然、精神的な疲労は尋常ならざるものになる。
そんな状態が続けば、集中力も維持できなくなるのも当たり前だろう。
適度な休息で精神的な落ち着きを取り戻すのもまた、必要な事なのだ。
最も、キャリンは水彦に無理矢理引きずられてきたのだが。
ちなみに。
この場に鍛冶屋の弟子、バイキムがいるのは、単に休みがかぶったからである。
「だからねぇー! あっしゃーいってやったんすよー! てめぇーは美少女アイドルのなにもわかってねぇ! ってっ!!」
決まった、とでも言うようにキメ顔を作ると、バイキムは傍らに置かれたグラスを抱え上げる。
注がれているのは、琥珀色の蒸留酒だ。
人間にとっては小さなグラスだが、妖精であるバイキムにとっては抱え上げるほどの量になる。
そこに顔を突っ込むように酒を飲むと、バイキムは豪快に音を立てて飲んだ。
「っぷはぁー! 休みの日に昼間っから飲む酒はうめぇーっすねぇー! あっはっはっは!!」
豪快に笑うバイキムに、キャリンは顔を引きつらせている。
水彦と門土は、興味津々と言った様子でその姿を見ていた。
「ばいきむ、おまえどるおただったのか」
ドルオタというのは、アイドルオタクの略称だ。
バイキムはそちら方面に造詣が深いらしく、さっきからひたすら語っているのである。
今しがた言っているのは、最近の若いアイドルオタクに対するグチだった。
「ドルオタまでーいくかなぁー! いや! まだそこまではいかないっすかねぇー! まだ道半ばってかんじじゃねぇーですかぁ!? 何事も極めるのは険しい道ってぇやつでしてねぇ!」
何が楽しいのか一人で大笑いしながら、バイキムは身体をグラスに突っ込んで酒を飲む。
それを見た水彦と門土から、感嘆の声が上がった。
羽で飛ぶ事もせず器用に酒を飲む姿は、見ていて確かに面白くはあるだろう。
「いやぁ、その体格だと酒代もかからぬのでござろうなぁ! 早く酔えそうなものでござるが!」
「いえ。妖精種はお酒で酔いませんよ」
首を振ったのは、キャリンだった。
その言葉に、水彦と門土の注目が移る。
呆れたような顔でため息をつきつつ、キャリンは続けた。
「妖精は他の種族と決定的に身体の作りが違うらしいんですよ。そのせいか、アルコールで酩酊しないらしいんですよね」
「ほぉ! しかし、バイキム殿は酔っている様に見える気がするのでござるがなぁ!」
確かに、べろんべろんに酔っているように見える。
へらへら笑いながら好きなものについて語るなど、正に酔っ払いのお手本だろう。
もし教科書があったら、掲載されていてもおかしくないレベルだ。
だが、どうやらキャリンの言っている事は本当らしい。
バイキム自身、大きく頷いている。
「そうそう! あっしらは酒じゃーよわねぇーんでやんすよ! ただ、雰囲気とかで脳内麻薬がバンバンでてよっぱらうんすよねぇ! あっひゃっひゃひゃ!」
「そっちのほうが、やっかいそうだぞ」
「ますます酒代が浮きそうでござるなぁ! あっはっはっは!」
楽しそうに笑う三人に対し、キャリンは疲れた様子でため息をつく。
今日はゆっくりとクロスボウの手入れをしたあと、サウナなどに行って身体を休める予定だったのに。
冒険者にとって、休日にきちんと身体の疲れを取り切るというのは、必須と言っていい。
疲れが残っていればミスにつながり、そのミスが原因で仕事が失敗する事もある。
最悪の場合は、死に繋がる事もあるのだ。
冒険者と言うのは、いつどんな要因で死んでもおかしくない職業である。
そうなる恐れは、一つでも潰しておくべきだ。
だからこそ、キャリンは酒も飲まないしタバコも吸わない。
酒を飲んで騒ぐというのは、冒険者らしからぬ姿なのだ。
「はぁ……。冒険者が酒盛りなんて……。体が資本だからこそ、ストイックでいないといけない仕事なのに」
確かに、アインファーブルに身を置く多くの冒険者が、そういったことには気を使っている。
とはいえ、キャリンが言うほど禁欲的な生活を送っているわけでもない。
そんなことをしていたら、かえって精神が参ってしまうだろう。
ひたすらストイックな生活を送っているのは、珍しいといっていい。
そういう意味では、キャリンは間違いなく冒険者の才能に恵まれているだろう。
「ていうか、いいんですかお酒なんて飲んでて。今日って、水彦さんの妹さんがいらっしゃるんですよね?」
「おお。そうだな」
話題を変えるようなキャリンの言葉に、水彦はいつもの若干むっつりとした無表情で応える。
キャリンが言っている妹と言うのは、風彦のことだ。
ガーディアン同士のつながりを兄弟姉妹と表現していいかは微妙なところだが、設定上はそういうことになっていた。
エルトヴァエルは姉という設定になっているので、長女がエルトヴァエル。
その下が水彦、土彦と続き、一番下が風彦と言う事になるだろうか。
なかなか強烈な一家である。
「そうそう! それでござったなぁ! たしか、ここに来ると言う事でござったか!」
「おお。まちを、あんないすることになってる」
水彦もアインファーブルに来て、随分経っている。
ある程度土地勘も付き、人を案内する事ぐらいならできるだろう。
「では、その間某等はどうしたものでござるかなぁ! そろそろ、刀の磨ぎを頼みたいところでござるが! やはり、かなものやに頼むのが一番でござろうか!」
「なら、僕も行こうかなぁ。新しい矢を補充したいんですよね。ここの所予想外に消費することが増えて、減りが早いですし。主にお二人のおかげで」
言外に二人のせいで無茶苦茶な狩りが増え、不必要な矢の消費が増えたといっているのだが。
当然、そんな嫌味が通用する相手ではない。
「そうか。たいへんそうだな」
「矢玉は消耗品でござるからなぁ!」
なにやら納得した様子で頷く二人に、キャリンは引きつった笑いを浮かべるのだった。
「あ、いらっしゃいませー!」
そんなことをしていると、入り口のほうからそんな声が響いてくる。
木漏れ日亭の店主であるアニスの声だ。
自然、四人の視線がそちらに集まる。
ドアを開けて入ってきたのは、風呂敷包みを担いだ少女だった。
少女はきょろきょろと店内を見渡すと、水彦を見つけてパッと表情を綻ばせる。
「水彦にぃ!」
そこにいたのは、なんとも垢抜けない服装をした風彦であった。
水彦は僅かに眉を顰めながらも、片手を上げて見せる。
風彦は四人が座ったテーブルに小走りで近づいてくると、ぺこりと頭を下げた。
「どうも、こんにちは。水彦にぃの、お友達の方々ですか? いつも水彦にぃがお世話になっています!」
それを見た三人は、其々に驚いた様子で「おお」と声を上げる。
「すげぇ。水彦の旦那の妹さんなのにまともじゃねぇーですか」
「はっはっは! しっかりした妹御のようでござるなぁ!」
「本当に水彦さんの妹さんなんですか……?」
「おまえら、なぐるぞ」
三者三様のリアクションに、水彦は低い声を出す。
だが、普段の水彦を知っていれば、そういった感想が出るのも仕方ないだろう。
水彦は三人に向けていた視線を、風彦へと移す。
「ぶじについたか」
「はい。なんとか」
にっこりと笑う風彦に、水彦はなんとも居心地の悪さを感じる。
男というのは、姉妹に弱い。
そんなことを言っていたのは誰だったか。
水彦の場合が当てはまるのかどうか分からないが、実際土彦や風彦と接するのは、どうにも苦手だった。
別に、苦手なわけではない。
同じ赤鞘に作られたもの同士、仲間意識もあれば大切に思う気持ちもある。
ただ、どう接していいかよく分からないのだ。
その辺は、どうも赤鞘も同じらしい。
男親に近い立場だからなのだろうか。
なんとも、男というのはやっかいなものである。
一先ず、それは置いておいて。
水彦は気分を切り替え、三人に向いなおした。
「おれのいもうとの、かぜひこだ」
「改めまして。風彦と申します」
深々と頭を下げる風彦に、三人も立ち上がって頭を下げる。
「ああ、どうも。キャリンといいます」
「某は、門土常久! 水彦殿にはいつも世話になってござってなぁ!」
「あっしはバイキムってんでさぁ! いやぁー、水彦の旦那にこんなにかわいい妹さんがねぇー!」
どうやら風彦は、バイキムのおめがねに適ったらしい。
先ほどまでの酔いが嘘のように、きらきらした目で羽をバタつかせている。
風彦と水彦が会うのは、コレが初めてだ。
だが、確かなつながりは感じている。
同じ神が作ったのだから、当然だろう。
人間で言えば、血を分け、共に暮らしているほどの絆が、間違いなく水彦と風彦の間にはあるのだ。
当然、水彦は風彦の事を大切に思っている。
一番近いのは、やはり妹に対する兄の感情だろうか。
多少事情が人間と異なるのでまったく同じとはいえないが、おおよそそんなところである。
妹をバイキムのような視線で見られることを、どうも水彦は許せないタイプの兄であるようだ。
一つ叩き潰してやろうかと眉間に皺を寄せた水彦だったが、ぴたりとその動きが止まった。
懐に突っ込んでいたアンバフォンが着信を報せてきたからである。
水彦は舌打ちを一つすると、懐からアンバフォンを引っ張り出す。
アインファーブルは様々な国の人間が集まるため、国ごとの魔法の道具が入り交じる。
多少変わった道具を出しても、どこか遠い国の道具なのだろうと気にされない。
特に水彦のような変わった衣装を着ているなら、尚更だ。
「だれだ」
「もしもし? エルトヴァエルです」
返って来たのは、エルトヴァエルの声だった。
水彦は不思議そうに首を傾げる。
普段からよく連絡を入れてくるエルトヴァエルだが、この時間にかかってくるのは珍しい。
この時間にかかってくるのは、土彦か、暇なアンバレンスぐらいなのだ。
「なんだ。どうしたえろとばんえろ」
「エルトヴァエルです。なんだか久しぶりな気がしますねこのやり取り。いえ、そんなことはどうでもいいんですが。それより、ちょっと色々予定が変わりまして。お願いしたい事があるんです」
何事だろう。
ますます首を傾げる水彦に、エルトヴァエルは言葉を続ける。
「門土常久さん、キャリンさん、それから、木漏れ日亭店主のアニスさん。この三名の方を、どこか落ち着いて話が出来る所までお連れ願いたいんです」
「なんでだ」
水彦の疑問も最もだろう。
わざわざそんなことをする理由に、心当たりが無い。
だが、エルトヴァエルの事だから、何か理由があるのだろう。
案の定、訳があるようだ。
「下準備というか、事前説明と言うか。お三方に、見直された土地に来て頂きたいと考えていまして」
予想外の返答に、水彦は眉間に深く皺を寄せた。
水彦の思考は、深いところで赤鞘と繋がっている。
ある種の精神感応と言っていい。
そういった話があるのなら、それを伝って水彦にも何らかの情報が来ているはずだった。
だが、最近赤鞘が忙しいせいか、以前より随分と伝わってくる情報が少なくなっている。
赤鞘は力の強い神ではない。
むしろ、弱すぎる部類に入る。
何か別のことに集中すれば、雑事に入る水彦とのつながりが薄くなるのも当然だろう。
「わかった。けど、おれにはそういうのはむりだぞ」
水彦はそういう交渉ごとのようなものが苦手なのだ。
ただの御使いだってあやしいだろう。
「だから、風彦さんがいるときに頼んだんです」
「あー」
納得したように、水彦は頷いた。
なるほど。
風彦に丸投げすればいいのか。
「たいへんだな」
風彦にしても、キャリン、門土、アニスにしても、という意味だ。
エルトヴァエルはその意味に気が付いたのか、苦笑いをしている。
水彦は談笑している彼らの方に顔をむけ、何事か納得したように頷くのであった。