百十二話 「気になることって言うか、一つ、いい考えがあるんですよ!」
白い生地で作られた和装の少女が、楽しげに夜空を駆ける。
風のように軽やかに、何も無いはずの宙を一蹴り。
たったそれだけで、少女の身体は舞い上がった。
放物線の頂点に達した少女は、踊るように身を捻る。
すると、その身体は風に溶けるように色を失い、拡散していく。
白く薄いベールのようになった少女の身体は、しかし、すぐにその形を取り戻す。
ゆるい落下軌道を描き始めると、再びまとまりを取り戻し、少女の姿へと変わっていく。
頭の高い位置で束ねた、衣装と同じ白い髪の毛を風に靡かせ、赤い瞳を楽しげに細める。
そうしている内に、再び一度宙を蹴った高さまで戻ってきた。
少女はもう一度、今度は先ほどとは反対の足で宙を蹴る。
やはりその身体は、重力から解き放たれたように軽く、前へと跳ねた。
一歩、また一歩。
踊るように、遊ぶように空を駆けながら、少女は歌を口ずさんで居た。
「とーどーけっ! こいするおとめ、のうたっ! あの人のトコロまでー♪」
最近スケイスラーで流行っている、アイドルグループの歌である。
澄んだ、美しい声で歌い上げられるそれは、元々の歌い手が歌うよりも数段素晴らしいものになっていた。
白い髪と赤い瞳の少女。
その正体は、言わずもがな風彦である。
風彦は、仕事先のスケイスラーで覚えたお気に入りの歌が口をついて出てしまうほどご機嫌だった。
スケイスラー、ギルド、ホウーリカのそれぞれに手紙を届ける仕事が、とりあえず一段落したからだ。
まだまだ仕事はこれからだが、当面の用事が終わったのには違いない。
となったら、残る外での仕事はただ一つ。
アインファーブルに居る、水彦へ挨拶をすることである。
エルトヴァエルや樹木の精霊達から、水彦に関する知識は受け取ってはいた。
姿形に、どんな性格なのか。
おおよそのことは、知識としては知っている。
赤鞘に似て恐ろしく目つきが悪い事も。
妙にたどたどしい口調で、かなり過激な性格である事も。
それで居て、赤鞘と同じく、妙に優しいという事も。
エルトヴァエルと樹木の精霊達が風彦に与えた情報は、記憶そのものと言ってもいいものだった。
文字や言葉ではなく、知識そのものを与えられたのだ。
それは風彦本人が直に体験したものに、限りなく近い。
だから、直接あったことは無いにも拘らず、風彦は水彦のことをよく知っているのだ。
実際に会った事は無いが、よく知っている兄。
風彦の胸は、期待で高鳴っていた。
直接会ったら、どんな気持ちになるのだろう。
どんな会話をしたらいいんだろうか。
話をするのも楽しみだが、水彦を直接見ることが出来るというのも楽しみだった。
水彦の外見は、赤鞘に似ている。
常日頃からにこにこしている赤鞘の顔を、無表情一辺倒に。
外見年齢をアグニーレベルまで下げ、ほっぺたをぷにっとさせれば、水彦になる。
そこまで似ているのは、水彦が赤鞘の血を使って創られたからだ。
似ていないはずが無い。
言うなれば、水彦は子供版赤鞘なのだ。
そう。
子供版の赤鞘である。
「そんなの絶対可愛いっ! あの目つきの悪い感じでむっつり顔でぷにぷになんてずるいっ!!」
両頬に手を当て、風彦は空中で器用に身を捩った。
白く滑らかな頬を桜色に染め、とろけた顔で笑い声を漏らしている。
風彦は、可愛いものが好きだった。
ふわふわしていたり、ぷにぷにしていたりするものに目が無く、そういったものを見ると思わず抱きしめたくなってしまうのだ。
何故そんな思考になってしまったのかといえば、エルトヴァエルと樹木の精霊達による予定外の共同作業に由来している。
エルトヴァエルは、折角仕事をするのであれば使命感を持って仕事をして欲しいと考えていた。
土地を守るガーディアンにとってそういった感情は当然持っているもので、本来であれば特別そう言った事を気にする必要は無い。
水彦や土彦も、事前にそういったものを吹き込まれていたわけではないし、そんな事をしなくても懸命にそれぞれの仕事をこなしている。
それでもあえて、エルトヴァエルは風彦に「土地に住む者達への愛着、愛情」を吹き込んでいた。
好きな者のためにならば、辛い仕事でも耐えられる。
仕事をするのが、楽しくなる。
エルトヴァエルは、自身の経験からそう考えていた。
なので、風彦にも「好きだからこそ、がんばれる」という風に成って欲しいと思ったのである。
それだけならば、何ら問題はなかっただろう。
風彦は土地の住民達を慈しみ愛情を注ぎ、彼らのために尽力するようになったはずだ。
はずなのだが、そこに投げ込まれた別の要素。
樹木の精霊達の手によって投げ込まれた力の結晶が、エルトヴァエルが吹き込んだ者に思わぬ影響を与えた。
彼らは彼らで、様々な思いを、その結晶に託していたのである。
アグニーと仲良く。
もふもふしててかわいいをむぎゅむぎゅしたい。
ポテトチップス食べたい。
赤鞘はコワイよりのかっこいいタイプだと思う。
みんなとなかよく。
そんな様々な感情、思いが入り交じり、なんやかんやあった結果。
風彦は「見直された土地に係わる、小さくて可愛いものが大好き」になってしまったのだ。
ふわもこの小動物はいい。
もふもふしたりなでなでしたりして愛でたくなる。
そういったものだけでなく、アグニー達のような可愛らしさもいい。
だっこして頬ずりをしたくなる。
勿論、水彦だって例外ではない。
あのこまっしゃくれた感じや、たどたどしい言葉遣い。
むっつりとしていながらも、赤鞘に似た妙な優しさ。
風彦的には、そういったもの全てが可愛らしくてたまらなかったのだ。
ちなみに、同じようにそういった条件に当てはまりそうな土彦は、風彦的には愛でる対象になっていなかった。
あの凶悪なまでの魔法への執着、探究心。
目的のためなら手段を選ばなさそうな雰囲気。
そういったものが、風彦の危機察知能力をびんびんに刺激してくるからだ。
勿論それだけでなく、同性として尊敬できる相手だから恐れ多い、というのもあるのだが。
おおよその理由の大半が前者なのは、仕方が無いところだろう。
実際、赤鞘も水彦も、土彦には敵わない部分がある。
どこに行っても、やはり女性というのは強いのだ。
まあ、それは兎も角。
にやけながら身もだえしていた風彦だったが、思い出したように表情を難しそうなものに変えた。
空に放物線を描きながら、両腕を組んで唸り始める。
「うーん、でもなぁ。流石に水彦にぃを抱っこするわけにも行かないしなぁ。ガーディアンだから兄妹とか関係無いけど、流石に兄を撫でるって言うのも……」
確かに風彦は可愛いものが好きだったが、それはいわゆる「大好き」レベルのものだった。
土彦のように、「死ぬほど好き」と言うほどではなかったのだ。
理性や自制が利く程度の、極々一般的な「大好き」なのである。
こういった押さえが利いているのも、エルトヴァエルが吹き込んだ「常識」の賜物だろう。
もしそれがなかったら、風彦も他の二柱と同じく、ぶっ飛んだ性格になっていたはずだ。
「でもなぁ、でもなぁ。お仕事がんばったし、少しぐらい自分にご褒美あげたいんだよなぁ」
苦虫を噛み潰したような顔で、風彦はため息を吐いた。
思い出しているのは、スケイスラー、ギルド、ホウーリカの代表者達との会話だ。
三者三様、全員方向性は違えど、全員が曲者だった。
それぞれの組織の重要な立位置に居る人物なのだから、ある種当たり前なのだろう。
とはいえ、創られたばかりでいきなりそんな大物達との交渉に当てられるというのは、あんまりではないだろうか。
上手くいったから良かったようなものの、もし相手が切り込んできたら、風彦にはさばき切れる自信が一切なかった。
勿論、彼等はガーディアンである風彦に最大級の敬意を払っているので、強く何かを言ってくる事は無い。
それどころか、必死になって風彦の言う事を聞き、なるべく意に沿った行動をしようと努力してくれるはずだ。
だが、それとこれとは話しが別。
不安なものは不安だし、緊張するものは緊張する。
ガーディアンでは有るものの「常識」を吹き込まれているせいか、風彦は基本的に小市民なのだ。
しばらくの間、腕を組んだ姿勢のままで宙を飛び続ける。
縦や横に、重力や風の抵抗を無視したように回るその姿は、まるで踊っているかのようだった。
突然、風彦ははっとした表情を作ると、ポンと手を叩く。
「そうだっ! 撫でさせて貰うんじゃなくて、撫でて貰うのだったら問題ないんじゃない?! 仕事をがんばったご褒美ってことで! してもらうなら不自然じゃないよね!」
抱っこして可愛がるのもいいが、撫でて貰うというのもなかなか乙ではないか。
我ながらのよいアイディアに、風彦は満足気に頷く。
「さて、そろそろ着く頃かな?」
身を翻して、進行方向へと顔を向ける。
遠くを見るように目を細めた風彦の視界に、目的の場所。
アインファーブルの景色が入ってくる。
風彦は楽しげに口の端を吊り上げると、両手と両足を大きく広げた。
すると、風彦の身体が空気に溶けるように拡散し始める。
あっという間に白いベールのようになった風彦は、そこから更に姿を薄くしていく。
空気に溶け込み、風そのものとなって移動する。
風そのものに命を吹き込んだ存在である、風彦だからこそ出来る芸当だ。
誰の目にも付かずに動くのに、これほど都合がいいこともそうそう無いだろう。
こうなってしまっては、風彦の姿を見つけることはかなり難しい。
並や、相当に上位の探知魔法でも不可能だ。
それこそ、同格のガーディアンか、天使でもなければ無理だろう。
風彦はその姿のまま、一直線にアインファーブルを目指す。
この姿のまま街へ入り、適当な場所で人の形に姿を整える。
朝になってから、水彦に会いに行く予定だ。
楽しみに胸を躍らせながら、風彦はアインファーブルの一画へと降下し始めるのであった。
風彦がアインファーブルへ降りる、少し前。
赤鞘の社には、見直された土地を守護する者達が集まっていた。
面子は、赤鞘とエルトヴァエルは勿論の事、樹木の精霊達。
土彦とエンシェントドラゴン、そして、湖の属性精霊達だ。
本来はここに水彦と風彦が加わるべきなのだが、残念ながら両者とも今は土地の外へ出かけている。
「この場で一番の下っ端って私じゃありません?」
思わず赤鞘がそんなことを呟くのも、頷ける状況だろう。
神にもっとも近しい存在である天使。
神と、世界樹や精霊樹、調停者が共同で作り上げたガーディアン。
天然の守護者であるエンシェントドラゴン。
沢山の精霊を従える樹木達。
最も数が多い下っ端でさえ、世界的に見ても数が少ない最上位精霊達だ。
日本に居た頃には八百万も居るという下っ端神様の一柱でしかなかった赤鞘が相手をするには、荷が勝ちすぎているだろう。
「いえ。あの、赤鞘様は神様ですから。見直された土地の土地神様でもいらっしゃいますし」
不安げな赤鞘をなだめるように言ったのは、エルトヴァエルだ。
それでも硬い表情をしている赤鞘に、エルトヴァエルは更に言葉を続ける。
「どん、と構えていてくだされば、それだけで私達も安心できますから」
「ああー、それもそうですよね。私も一応土地神ですもんね。建前上はここでは一番えらいんですし。あんまりキョドってもアレですよね」
エルトヴァエルに言われ、赤鞘は居住まいを正した。
表情こそまだ硬いものの、落ち着きはしたようだ。
それを見た土彦達から、どよめきがおきる。
「あの状態の赤鞘様を一瞬で落ち着かせた……」
「いつもならもっと変な遠慮や謙遜で、妙な感じになるのに」
「流石エルトヴァエル様だ。罪を暴く天使は格が違うというのか」
エンシェントドラゴンにしても樹木の精霊達にしても、赤鞘の自己評価の低さには色々と悩まされていた。
いつも対応に困っていただけに、エルトヴァエルの手際のよさは、感嘆に値するものに見えたのだ。
エルトヴァエルはざわめく周囲を咳払いで黙らせると、手に持っていた冊子を開いた。
事前に用意していた、議事進行表である。
天使が書類を持って難しそうな顔をしているというのも、なかなかにシュールな絵面だ。
ただ、エルトヴァエルの場合だとしっくりきてしまうのは、彼女の性質からきているのだろう。
「とにかく。今後の行動方針を確認するためにも、現在の状況を共有したいと思います」
今日集まった目的は、エルトヴァエルが言った通りのものだった。
少しずつ復興が進んでいる見直された土地だが、まだバラバラに作業をしている状況だ。
それぞれが何をしているかと言うのは、分からないものも多い。
自分の持ち場だけをきっちりやる、というのでもいいだろう。
だが、土地の管理というのは大掛かりで、複雑な仕事だ。
それだけでは効率が悪くなる事も多い。
場所ごとの連携が重要に成るのだ。
だからこそ、今後はお互いが何をしているのか知ることも必要になってくる。
今日は、その最初の一回なのだ。
「それでは、エンシェントドラゴンさんから」
エルトヴァエルに促され、エンシェントドラゴンは大きく頷いた。
ちなみに現在のエンシェントドラゴンは、全長2m程度のコンパクトサイズになっている。
大きいと色々と邪魔なので、最近ではわりとこのサイズになっている事が多くなっていた。
威厳も何も無いが、どうせ気にするものはいないので問題ないのだ。
「巣の一部を拡張して、来賓用の施設を作っています。スケイスラー、ホウーリカ、ギルドから来る予定の客人が到着するまでには、どうにか完成するでしょう」
「折角来て貰っても、泊まって貰う場所も有りませんでしたからねぇー」
赤鞘は腕を組んで、頷きながら言う。
確かに、今の所見直された土地には、来客を迎えるための施設が一切ない。
シャルシェリス教のコウガクはアグニーの集落に身を寄せているし、ガルティック傭兵団は土彦のラボに寝泊りをしている。
どちらもほぼほぼ身内用の場所と言ってよく、お客を泊めることが出来る場所ではない。
そこで、エンシェントドラゴンの巣に来客用の施設を作ることになったのだ。
ラスボスのダンジョンっぽいところなだけに、泊まらされるほうは堪ったものではないだろう。
だが、残念ながらここにそれを指摘するものはいなかった。
何しろ、他に良さそうな場所が無いのである。
妥協してもらうしかないのだ。
「内装に関しては、土彦殿やガルティック傭兵団に任せることになっています」
「はい。任されることになっています」
エンシェントドラゴンの続きを引き継ぐように声を上げたのは、土彦だ。
土彦は両手をパチリとあわせると、嬉しそうににこにこと笑った。
「壁や床は土を押し固めて作ります。色や壁紙、カーペットの類は、材料をそろえて魔法で作ってしまう予定です。一級品とは言いませんが、それなりのものは用意できますよ」
「なにそれすごい。ファンタジーですねぇー」
「赤鞘様から見れば、確かにファンタジーですね」
感心した様子の赤鞘に、エルトヴァエルが空かさず合いの手を入れる。
土彦はそれを見て、楽しげに目を細めた。
「本当は兄者に家具などを手に入れていただけばいいのでしょうが、今はまだルートが確保できていませんから。大量の荷物を仕入れるのは難しいのですよね」
「それが出来るようにするために、今回のお招きをするんですもんねぇー。物流を確保するために、物流が必要になる。なんか皮肉な感じがしますけど」
「賄えるところは自前で賄うしかありませんね。一先ず、お客様をお迎えするのに恥ずかしくない程度には仕上げて見ませますとも!」
両手を合わせて笑う土彦を見て、赤鞘は安心したように頷いた。
それだけ、土彦を信頼しているのだろう。
エルトヴァエルやエンシェントドラゴンがすこぶる不安そうな様子なのだが、当然赤鞘は気が付いていない。
この二者は、土彦が恐らく碌な事をしないだろうと考えていた。
そして、土彦は十中八九その不安を裏切らないだろう。
嫌な意味での信頼が成り立っているのだ。
エルトヴァエルは頭を振って、ひとまず考えを切り替える。
「えーと、次は土彦さん。ガルティック傭兵団の方ですね」
「はい。アグニーさん達との交渉は順調に進んでいまして、今は仮契約段階です。件の樽の人がよくやってくれました!」
土彦は笑顔を深くしながら、パチリと両手を打ち鳴らした。
実際、樽の人、ディロードはよくやってくれたと言っていい。
難航するかに思われたアグニー達との話し合いを、実にスムーズに解決して見せたからだ。
アグニーというのは、とても特徴的な種族である。
「海原と中原」に置ける常識からは、逸脱した種族だ。
逸脱と言っても、なんか可愛らしい方向にぶっ飛んでるだけなのが救いなのだが。
「装備ですが、現在開発を進めている状態です。既に実用段階に上がっているものも幾らか有りますが、実戦レベルで使えるかのテストなどにまだ少し時間がかかります。それが終わっても、使用するための訓練にもやはり少しお時間をいただきたいところですね」
「あー、そうですよねぇー。やっぱりプロの人がきちんとした仕事をするときって、時間かかりますよねぇー。その辺は仕方ないと思いますよ。むしろ、きちんと仕事をしてくれてると思うべきですよね」
ガルティック傭兵団の当面の目的は、「捕まっているアグニー達の捜索、場合によっては奪還」である。
様々なケースが考えられるので、装備はできるだけ用意しておくに越した事は無い。
また、用意していたとしても使いこなせなければ意味は無いので、技術習得にも時間をかけなければならないだろう。
急ぐに越した事は無いが、いざ実行に移して失敗してしまっては、元も子もないのだ。
幸い、彼らの仕事に関しては、現状取り立てて急ぐ必要はなかった。
エルトヴァエルが調べた限りでは、救出に緊急性があるアグニーは存在していないというのだ。
アグニーはメテルマギトが欲している希少な存在であり、それが彼らの身の安全を保障していたのだ。
他ならぬ「罪を暴く天使」の調べである。
情報の信頼度は、他のどんなものよりも高いといっていいだろう。
「準備には、時間をかけさせてあげてくださいね。急いでもいいこと無いですし。いやぁー、私が日本で土地神やっていたときは仕事が遅くて、周りによく迷惑かけたものですよ。ゆっくり待ってもらえたから一応失敗はしなかったんですけどね? 今思うと、せっつかれなかったからかなぁーっておもうんですよねぇー。まあ、私なんかと比べたら失礼でしょうけど!」
「いや、赤鞘様は神様ですから。赤鞘様のお仕事のほうがずっと大事だと思うのですが」
エルトヴァエルのツッコミが聞こえているのかいないのか、赤鞘はなにやら納得した様子で頷いている。
赤鞘的には、自分よりもガルティック傭兵団のほうが難易度の高い仕事をしているらしい。
まあ、当然そんなはずは無いのだが。
当の本神がそう思っているのだから、なんとも言えないところだろう。
エルトヴァエルは仕切りなおすように書類を捲ると、コホンと軽く咳払いをする。
「次は、樹木の精霊さん達ですね」
「はいっ! 赤鞘様のお仕事を手伝ってます!」
「ますっ!!」
「がんばるーるー」
「ぽてちもらうぞー!」
「お手伝いが先でしょ!」
代表である調停者に追随するように、他の樹木の精霊達が騒ぎ出す。
自由奔放な彼等は、じっとしていられないのだ。
だが、誰もそれを咎める事は無い。
樹木の精霊達のやんちゃぶりは、今に始まった事ではない。
見た目は随分大きくなった彼らだが、まだまだお子様なのだ。
「たのもしいですね」
「ええ。いつもがんばってもらっていますからね」
微笑ましそうに言うエルトヴァエルに、赤鞘も嬉しそうに頷いた。
まだまだお子様な樹木の精霊達だが、その能力は目を見張るものがある。
何しろ、神である赤鞘が手ずから育てた、神木であり。
世界樹、精霊樹、調停者というような、大仰な名前に見合った力を持つ樹木達なのだ。
いつも遊んでいるように見えるが、その実とても優秀な赤鞘の補佐役に育っている。
「では、最後に湖の精霊さん達。お願いします」
エルトヴァエルに促されて前に進み出てきたのは、光の精霊であった。
戦乙女と呼ばれる存在であり、その姿は戦装束の美しい女性の姿だ。
上位精霊とか大精霊と呼ばれる存在であり、その姿は普通の人間が見れば思わずひれ伏してしまいそうな威厳に満ちている。
とはいえ、この場では一番の下っ端だ。
無論、赤鞘はびびりまくっているのだが。
戦乙女はそれを見て一瞬怯んだが、エルトヴァエルがジェスチャーだけで続きを促した。
こういうときはうやむやで流したほうが、赤鞘は落ち着きを取り戻しやすいのだ。
「赤鞘様のご指導により、浮島は順調に完成に近づいております。赤鞘様が土地の管理をなさる中継基地としての使用も、まもなく可能になるかと」
なんやかんやあって赤鞘の手により魔改造を施されつつある湖の浮島は、精霊達の住処だけではなく、赤鞘が土地の管理をするときの中継機としても使われることになっていた。
精霊達が住み易い様、浮島には様々な力が結晶として蓄えられている。
日本神特有の変態的超技術を持つ赤鞘にとって、それは恐ろしく使いやすい土地管理用具と言ってもいい。
まして自分が使いやすいように監修しているのだが、一点物な特注品にも似たものなのだ。
「いやぁー。ホントに申し訳ないですねぇー。皆さんのお住まいの邪魔にはならないようにしますんで」
「いえ! まさか、そのようなっ! 恐縮しきりでっ!」
申し訳なさそうに苦笑いをする赤鞘を前に、戦乙女はしどろもどろになっていた。
無理も無い話しだろう。
彼ら精霊は、この世界における神という存在がどういうものなのか、よく理解している。
理解しているからこそ、普通ならば近づくことすら適わない筈の神様が、目の前でへらへら笑っている状況に困惑しているのだ。
もっとも、赤鞘から見れば、湖に住む精霊達は自分よりよほど高位の存在である。
このあたりの齟齬は、どちらも慣れるしかないだろう。
エルトヴァエルは、二百、三百年も経てばどうにかなると見立てていた。
逆に言えば、それまではどうしようもないかな、と、諦めているという事なのだが。
「というところで、一先ずは以上でしょうか。なにか、質問等あれば」
「はーい」
エルトヴァエルの言葉に、真っ先に手を上げたのは、なんと赤鞘だった。
普段からはあまり考えられない積極的な行動に、エルトヴァエルは目を丸くする。
「はい、赤鞘様。気になることがありましたか?」
「気になることって言うか、一つ、いい考えがあるんですよ!」
いつになく張り切った様子に、エルトヴァエルは内心首を傾げた。
他の面々も、不思議そうに眉を潜めたり、驚いたような様子を見せている。
赤鞘は指を立てると、続きを話し始めた。
「今度来るお客さん達って、自分達で食事を用意するって話だったじゃないですか」
スケイスラー等から招く事になっている者達には、宿泊場所を提供するだけの予定になっていた。
残念ながら、今の見直された土地には、調理が出来る人物がいないからである。
調理場は用意する予定ではあるが、自分達で食材を持って来てもらい、調理して食べてもらうことになっていた。
随分失礼な話ではあるが、まあ、こちらは神様サイドという事で大目に見てもらおう。
というようなことになっていたのである。
もっとも彼らにして見れば、そんなことなど気にならないほど、見直された土地に入る事自体が光栄なことなのだろう。
だが、OMOTENASI日本の神様である赤鞘は、それではいけないと考えたのだ。
「ずーーーっと考えてたんですよ! 誰か料理できる人いないかなぁーって! 最悪、アンバレンスさんに頼もうかなぁーって思ったぐらいだったんですけどね!?」
「いや、それは流石に……!」
神様界でもトップレベルで軽い太陽神にして最高神のアンバレンスである。
赤鞘に頼まれたら、わりと
「ちょ、流石に俺太陽神様よ!? それはできな オッケーっ! やってみちゃおっかなぁー!!」
等と言って、安請け合いしかねない。
そんな事になったら、とてつもない事になる。
だが、流石の赤鞘もそれは分かっているらしい。
「いや、それは流石に冗談なんですけどね? それは兎も角として、よくよく考えてみたら、一人居たんですよ! 料理できる人で、ここに呼べそうな人!」
「呼べそうな人……って、まさか」
一瞬怪訝な顔をしたエルトヴァエルだったが、思い当たる人物が居たのだろう。
表情を曇らせ、顰めるように眉を寄せる。
赤鞘は自信満々な様子で、どやっとした顔で言い放つ。
「水彦が泊まっている宿の、アニスさんなら適任だと思うんですよねっ!」
案の定の名前が出てきたことに、エルトヴァエルは頭を抱えるのだった。