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百五話 「うちの赤鞘様は多少イレギュラーな方でして。常識を気になさらないんですよ。そして何より、ご自身の価値をご存知でいらっしゃらない」

 スケイスラーの宰相、バインケルト・スバインクー。

 優に二千年を越える年月をこの世で過ごしてきた彼の肉体は、随分昔に滅んでいる。

 現在のショタ然とした身体は、様々な物を材料に作った、人形であった。

 自身が高位の死霊使いであるバインケルトは、悪霊となった自らの魂を人形に憑依させているのだ。

 建国当初からスケイスラーを支え、死んでなお宰相を続ける彼の目的は、たった一つ。

 スケイスラーの繁栄。

 それだけであった。

 大手輸送国家として世界に名を響かせる現在のスケイスラーを作り上げたのは、彼の手腕によるところが大きい。

 むしろ、彼の功績であるといっていいだろう。

 世界有数の水準を誇るスケイスラーの魔法体系「魔剣魔法」が生まれたのも、バインケルトの功績によるところが大きい。

 国内外から優秀な人材をかき集め、長い年月を掛けて作り上げさせたのだ。

 いや、作り上げさせている、というのが正確だろう。

 魔剣魔法は現在も日進月歩の発達を見せている。

 常に新しく、より高性能に。

 作り上げられた技術は、輸送船の開発と、兵の強化に当てられる。

 それらを運営する人材も、バインケルトが探し出した優秀な人間ばかりだ。

 魔法、人、そして輸送国家という立ち位置。

 現在のスケイスラーが持つ物の殆どは、バインケルトの手で作られたといっていい。

 そんな彼が、何故宰相という立場に居るのか。

 通常彼のようなものであれば、王になってもおかしくないだろう。

 理由は、極単純なものだ。

 そういったものに微塵も興味がないのである。

 バインケルトの興味は、ただただ国の繁栄にのみ向けられていた。

 販路を延ばし、シェアを拡大させ、国を富ませる。

 その一点のみに、バインケルトの力と意識は注がれているのだ。

 二千年を越える年月を、ただただ国を発展させることのみに費やしてきた死霊使い。

“スケイスラーの亡霊”バインケルト・スバインクーとは、そういう化け物なのである。





 その日の執務を終えたバインケルトは、自室の窓辺に立っていた。

 既に日が沈んで随分経っているが、照明器具は灯されていない。

 だが、月明かりのおかげか、室内は意外なほど明るかった。

 バインケルトの自室は、スケイスラーの王城にある。

 地上四十八階建ての王城は、国内では最大級の建物だ。

 世界を見渡せばこれより大きな建築物は幾つもあるが、少なくともこの王城の周囲にはこれ以上高いものはない。

 窓の外に広がる町並みを見下ろしながら、バインケルトは小さくため息を吐いた。

 地上にはいくつもの明りが、夜の暗さに浮かび上がるようにして輝いている。

 その一つ一つが愛おしいというように、バインケルトは微笑を浮かべた。

 地上に向けていた視線を、今度は上空へと上げる。

 そこには、取り付けられたライトを瞬かせながら空に浮かぶ、いくつもの船の姿があった。

 星空の中で浮き立つ船影は、大小さまざまだ。

 数百mを越える大型のものから、十数mの個人所有と思しきものまで。

 魔剣魔法によって制御されたそれらは、スケイスラー船籍のものばかりだ。

 バインケルトはうっとりとした様子で、少しの間それらを眺めていた。

 だが、ふと思い出したように後ろを振り返り、壁に掛けられた時計へと目をやる。

 まだ時間には間があったのか、安心したように表情を緩めた。

 自分の執務机にゆったりとした様子で歩み寄ると、そこに置かれた機器に手を伸ばす。

 モニタに目をやりながら、慣れた様子で入力装置を操作する。

 それに反応して、先ほどまでバインケルトが覗いていた窓が開き始めた。

 バインケルトは執務机の上に置いてあったボトルを持ち上げると、中身をグラスへと注ぐ。

 琥珀色の僅かにとろみのあるそれは、アルコール濃度の高い蒸留酒だ。

 グラスに一口分ほど注いだそれを、一息で飲み干す。

 人形であるバインケルトの身体には、アルコールが回るような事はない。

 味などは分かるように作ってあるのだが、嗜好目的以外で何かを口にする意味はなかった。

 そのため普段は殆ど食事を口にしないバインケルトだったが、酒とタバコだけは別だ。

 どちらもあまり身体に宜しいものではない。

 生前は少しでも長生きをするため一度も口にすることがなかったこの二つを、バインケルトは死んだ後になって好むようになっていた。

 そして、僅かな寿命を惜しんで嗜まないで居た事を、激しく後悔する。

 たかが五十年や六十年寿命が縮もうが、楽しみには代えられないではないか。

 人は生きるために生きるにあらず。

 楽しむために生きるのだ。

 というのが、バインケルトがこの世に生まれ出でて千年目ほどで得た教訓である。

 空にしたグラスを執務机に置いたところで、窓から僅かに風が吹き込んできた。

 高層階の部屋だから当然、というわけでもない。

 この部屋の窓には、防風処理が施してある。

 本来、窓を開けたからと言って風が吹き込んでくることはないのだ。

 任意で防風を解く事も可能だが、今はそういったことはしていない。

 それでも風が入ってくるということは、機能の限界を超えた強風が入ってきたか。

 あるいは、それが風以外の何かであるか、だろう。

 バインケルトは執務机から離れ、部屋の中央付近に向い恭しく頭を下げた。

 ほぼ同時に、部屋の中で風が小さく渦巻き始める。

 そして、そこから空気から何かが染み出すように、人型のものが現れた。

 白い髪を頭の高い位置で結い上げた、真っ白な衣装の少女。

 可愛らしい目をすっと細めると、少女はにこりと笑顔を作る。

 バインケルトは頭を下げたまま、口を開いた。


「見直された土地のガーディアン、風彦様とお見受けいたします」


 その問いに、風彦はコクリと頷いた。


「はい。エルトヴァエル様の使いできました、風の風彦と申します。スケイスラーの宰相、バインケルト・スバインクー殿とお見受けしますが、如何でしょう?」


「はっ。お見表しの通り。“スケイスラーの亡霊”などと呼ばれております、バインケルト・スバインクーで御座います」


「ああ、よかった! 何分、外に出て初めてお会いするのが貴方なもので! お聞きとは思いますが、先ごろ生まれたばかりなんですよ、私」


「事情はエルトヴァエル様から伺っております」


 バインケルトには、エルトヴァエルから事前にある程度の説明がされていた。

 今後の方針についてまとめた資料を、赤鞘が新しく作ったガーディアンが運ぶ、というような内容だ。

 エルトヴァエルはしばらく見直された土地から出ることが出来なくなったので、直接の交渉はそのガーディアンが担当するとも伝えてある。


「エルトヴァエル様もバインケルト殿も優秀なので、使いっ走りは楽が出来て良い! ああ、こちらがエルトヴァエル様から預かってきたものです」


 いいながら、風彦は袂から大型の茶封筒を取り出した。

 何枚からの書類が入ったそれを受け取ろうと、バインケルトは膝を突こうとする。

 が、風彦が慌ててそれを止めた。


「ああっ! アレです! うちではそういうの大丈夫ですから! っていうのもですね? 赤鞘様があまり恭しくされるの苦手なんですよ! 赤鞘様でさえされ無い事を、ガーディアンの私がされるというのも、ね?」


 赤鞘がされることを嫌がる敬いの態度を、ガーディアンがされるわけにもいかないのだ。

 すぐにそれを察したバインケルトは、心得たというように頭を下げ、立ち上がる。

 そのまま、両手で茶封筒を受け取った。


「たしかに、受け取りました」


「内容を確認して頂いて、疑問点などはエルトヴァエル様に質問してください。といっても、ホウーリカやギルドとの交渉がまだなので、大した内容はありませんが」


「いえ。事前に心構えをさせて頂けるだけで、ずいぶんと違いますから」


「そういうものですかー。あ、いや、そうか。そうですよね。輸送のスペースとか色々考えなきゃいけませんもんね。いや、お世話おかけします」


 納得した様子で頷く風彦に、バインケルトは静かに礼をとった。

 記録にあるだけで優に二千年を生きてきたバインケルトだが、生まれたばかりの風彦を侮る気持ちは欠片もない。

 神やそれに属するものの恐ろしさを、何度も身をもって体験しているからだ。

 後に奇跡とされるような現象を目の当たりにしたことも、一度や二度ではない。

 人生も長くなれば成る程、そういったものに出くわす確率は増えていくものらしい。

 もっとも、バインケルトはとっくに死んで、霊になっているのだが。


「何のこともありません。見直された土地のために力を尽くせる事、望外の喜びで御座います」


「そういって貰えると、こちらも助かります。ホウーリカやギルドにはこの後行きますので、色々面倒なのはしばらく先になるとは思いますが、よろしくお願いします。で、面倒ついでなんですけども……」


 言い淀む風彦を、バインケルトは不思議に思った。

 何か言いにくいことなのだろうか。

 内容によっては、下手に促すのは無礼になるだろう。

 バインケルトが黙って待っていると、風彦は意を決した様子で話し始めた。


「実はコッチが本題なんですけどね? うちの赤鞘様が、今回お世話になる方。まあ、バインケルト殿と、ホウーリカとギルドの交渉担当の人になるんですが。是非ご挨拶をしたい、と仰ってまして」


「それは、恐れ多い事で御座います」


「いや、あのー、ちょっと事情が違ってですね」


 歯切れの悪い風彦の様子に、バインケルトは内心で首を傾げる。

 風彦が言いにくそうにしているのも、無理からぬことだろう。

 この世界では、神が人間などに言葉をかけることがあった。

 普通は天使を通して意思を伝えられるので、極々珍しい事ではある。

 バインケルトほどこの世に留まっていると、そういった機会に恵まれる事も何度かあった。

 神から一言二言、一方的にお言葉を頂戴するだけ。

 直接姿を見ることも無く、天から降り注いでくるような声を掛けて頂く。

 場合や神にも寄るが、おおよそそんなところが殆どである。

 だが、相手は神様だ。

 それだけでも途方もなく名誉な事ではある。

 バインケルトは無意識のうちに、今回もそのようなことなのだろう、と考えていた。

 風彦の前だから落ち着き払った態度で居るが、本来なら狂喜乱舞しているところだ。

 神から直接お言葉を頂けるということは、覚えが目出度いということに他ならない。

 バインケルト個人としても大変に嬉しく有り難い事であるし、国の要人としての立場としても恐ろしく名誉な事といえる。

 手放しで喜んでいい場面だ。

 しかし。

 風彦が言っている「ご挨拶」というのは、そういう次元のものではないのである。


「ええっとですね。赤鞘様は、バインケルト殿に見放された土地に来ていただいて、直接お話をしたいと仰っているんですよ。きちんと、言葉を交わして」


 流石の“スケイスラーの悪霊”も、言葉の意味を理解するのにコンマ数秒の時間を要した。

 どう応えればよいのか、バインケルトはすぐさま頭を回転させ始める。

 言葉を交わす、というのは、言葉通りの意味だろう。

 神と対面して、会話をする。

 この世界の常識では、考えられない事だ。

 だが、ほかならぬガーディアンがいっているのである。

 疑う余地もなく、また、疑う事自体が不敬に当たるだろう。

 バインケルトの記憶では、過去に直接神と対話をしたものなど、片手で足りる人数しかいないのだ。

 例外として慈愛神シャルシェリスが多くの者と会ってはいたが、それにしても極々限られた聖職者が殆なはず。

 風彦が今言っている事は、例外中の例外だ。

 どうすれば不敬に当たらないか。

 内容を質問してもいいものなのか。

 リスクは、リターンは。

 顔色一つ変えず、バインケルトは目まぐるしく思考を巡らせる。

 だが、風彦はこれがどう反応して良いのか困るものなのか、理解していたのだろう。

 苦笑を浮かべながら、説明を始めた。


「エルトヴァエル様から聞いているかもしれませんが、うちの赤鞘様は多少イレギュラーな方でして。常識を気になさらないんですよ。そして何より、ご自身の価値をご存知でいらっしゃらない」


「価値、ですか」


「そうです。赤鞘様が皆さんとお話がしたいといったのは、お礼をするためなんですよ。色々お願いをして骨を折ってもらうから、直に会ってお礼がいいたいんだそうで」


 数秒ではあるが、バインケルトの動きが止まった。

 その心情を察してだろう、風彦は険しい表情で首を左右に振る。


「いや、本当に赤鞘様にはそれ以外の意図はないんですよ。それはガーディアンとして保障します。あ、お世話になるから、お礼しなくっちゃ。って。その程度の感覚なんです」


「さよう、ですか。それは、余りにも身に余ることで御座います」


 何とかそう搾り出したバインケルトに、風彦は心苦しそうな表情を見せる。

 いいにくそうに一瞬言い淀むが、わずかに首を振って言葉を続けた。


「それで、その場所なんですが。赤鞘様は土地を離れられない事情があるので、動く事ができないんです。それでその、ご面倒とは思うんですが。出来ればお越し頂きたいんですよ。見直された土地に」


 バインケルトは大きく目を剥き、絶句した。

 神に招かれて、神域に入ることを許される。

 どころか、礼を言いたいからと、招かれたのだ。

 もう何がなんだか、バインケルトには判断が付かなくなっていた。

 事ここに至って、バインケルトは深く考える事をやめることにする。

 前代未聞どころの騒ぎではない事態だ。

 だが、ここは恐縮して、身を縮こませる場面ではない。

 開き直り、すべてを受け入れる所だ、と、考えたのだ。

 バインケルトの表情を見た風彦は、慌てて言葉を付け足した。


「ああ、あのー、そういうお暇がないようでしたら、全然断っていただいても構いませんので。ただお礼をいいたい、というだけですから。余り重く考えずに……」


「はっ。お気遣い有難う御座います。まさかこのようなお話をいただけるとは思わず、感動に打ち震えておりました」


 恭しく頭を下げるバインケルトに、今度は風彦が驚いていた。

 正直、この世界の常識で言えば、風彦が言ったような内容は天変地異にも近いものだ。

 気の弱いものなら、この場で気絶しているだろう。

 バインケルトの肝っ玉は、風彦が想像していたよりも遥かに強かったようである。

 風彦は実に嬉しそうに、にっこりと笑顔を作った。


「でしたか。ああ、でもまだ日程も決まっていないんですよね。他の方々との兼ね合いもありますから。詳しい話は、また後日」


「畏まりました」


「では、私はこれにて!」


 風彦は片手を上げてそういうと、軽い足取りで窓へと向った。

 軽く助走をつけると、そのまま窓の外へと飛び出していく。

 だが、その身体は空気に溶けるように透けて行き、窓から出てわずか数mの所で、完全に消えてなくなってしまっていた。

 静かに頭を下げていたバインケルトは、ゆっくりと身体を起こし、ため息を吐く。


「嵐のような、か……」


 バインケルトは執務机に近づくと、先ほどのボトルを取り出した。

 グラスに酒を注ごうとして、手を止める。

 そして、何を思ったのかボトルにそのまま口をつけ、大きく中身を呷った。

 ゴクゴクと喉を鳴らして酒を流し込み、空になったボトルを執務机に叩き付ける。

 身体をうつむかせたその姿勢のまま、バインケルトは肩を震わせた。


「まったく、これだから浮世は堪らねぇなぁ! 長生きはするもんだぜぇ! 今更になってこんな事があるなんてよぉ! やっぱりあれだなぁ! 五百、六百洟垂れ小僧、人生の深みを知るのは二千を越えてからだなぁ、おい!」


 全身を震わせてそんなことを叫ぶと、バインケルトは大声を上げて笑う。

 身体を大きくのけぞらせて笑うその姿は、さながら狂気に取り付かれた様でもあった。

 バインケルトは笑いながら、襲い掛かるような勢いで執務机に置かれた通話機に手を伸ばす。

 ガチャガチャし、相手と通話が繋がるや、反応も待たずに声を張り上げた。


「連中を叩き起こせごらぁ! そうだ、全部だ! 全部、全員叩き起こせっ! ああ!? 今城に居る大臣とか全部だ! 王もだ! 国王! ケツに蹴りいれて叩き起こせっ! 渋ったら耳元で叫んでやれっ!」


 大きく息を吸い込むと、バインケルトは口の端を吊り上げた、飛び切り邪悪そうな笑顔を見せた。


「大商売だ! 販路拡大も夢じゃねぇ!」


 バインケルトは、空を仰ぎ見るように頭上に手を広げる。

 どこまでも楽しげなその様子は、とても死者のものには見えなかった。

次は残りの二つに挨拶に行く風彦さん

なるはやで書上げたいと思います

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