九十八話 「結婚にぐらい夢見たって良いだろうが! ジャスティスだろうがっ! 美しく煌かせたって良いだろうが!」
現在のアインファーブルは、工作員の見本市のような状況になっていた。
様々な国が送り込んだ様々な人員が、見直された土地の情報を得ようと集まっているのだ。
元々人口が多い街であるため、取り立てて目立つ事はない。
だが、見る目を持った人間が見渡せば、一日で何ヶ国もの工作員を見つけることが出来るだろう。
そんな工作員達の一人が、“複数の”プライアン・ブルーであった。
いつものように街中を歩き回っていたプライアン・ブルーは、自分が尾行されている事に気が付いた。
どの時点からツケられていたかは分からないし、そもそも相手の姿も確認できていない。
だが、定期的に走らせている魔力探知に、何度も同じパターンのものが引っかかったのだ。
何度も、というように、ずっと探知にかかっていた訳ではない。
同じパターン、というように、まったく同じ魔力を探知した訳でもない。
ただ、数回に一度、似たような魔力がひっかかるだけだ。
似た魔力を持つ人間というのは、そう数が少ないわけではない。
まったく同じ、というならばいざ知らず、似たようなものならいくらでも居る。
一時期魔力型占いとかいうものが流行ったほど、沢山居るのだ。
だから、通常ならば、似たようなやつが居た、と思う程度で、気にもかけないだろう。
だが。
プライアン・ブルーは、その魔力に細工がされた痕跡を発見したのだ。
一度怪しい魔力を感知したあと、それまで感知した魔力をすべて思い出し、その特徴を洗い出す。
そこから、特徴を隠蔽した魔力を見つけ出し、それらの隠蔽の仕方を比較したのである。
魔力の隠蔽というのは、仮装や変装の類と同じでどうしても個性が出てくるものだった。
とはいっても、その個性は研究室で分析官が何日もかけて見つけ出すような、ほんの些細なものである場合が殆どだ。
その場で直ぐに分かるようなものでは、意味がないからである。
本来ならば専門の設備が必要なそれをプライアン・ブルーは、歩きながらこなしたのだ。
別に、彼女が魔力解析の天才だとか、魔法について超天才的な能力を持っているというわけではない。
同時にいくつもの体を持ちつつも、同一の意識を持つ事ができる、というその能力を利用したのである。
幾つもの身体を作り出し、その脳の処理能力を合算する事で、膨大な情報を解析したのだ。
とはいえ、それだけで繊細な調査が出来るわけではない。
大部分は、プライアン・ブルーの経験から来る推測。
要するに、勘だ。
膨大な情報のなかから似通った特徴を勘で見つけ出し、間違い探しよろしく片っ端から比較したのである。
同じ人物が何度も探知に引っかかる事は、あるかも知れない。
しかし、それがわざわざ偽装を施したものであった場合はどうだろう。
意図的なものを感じ取るのが、普通ではないだろうか。
「くっそ。やってくれるじゃねぇーの」
プライアン・ブルーは、口の中だけで毒付いた。
普段の言動からは想像もできないが、プライアン・ブルーはトップクラスの工作員だ。
戦闘能力だけでなく、尾行や進入、監視などの諜報活動能力も高い。
職業柄、当然自身がそういった対象になることも珍しくないため、それらを感知する技能にも長けてる。
そんなプライアン・ブルーに、暫くの間気が付かせずに尾行してきたのだ。
相手もかなりの腕だと考えて、間違いないだろう。
プライアン・ブルー自身、自分の腕が良いとは思ってはいなかったが、仕事が出来ないとも思っていなかった。
実際、普段ならば尾行など、付いた瞬間に気が付くのだ。
ここまで感知できなかったという事は、相手が相応にやり手だ、ということになる。
「上等だね。お顔拝見と行きますか」
プライアン・ブルーはニヤリと笑うと、街の外へと足を進めた。
目指すのは、街の外に広がる森林地帯だ。
アインファーブルは、森や草原などに囲まれた都市である。
都市が自然に囲まれている、というより、自然の中に無理矢理都市を作った、というほうが正確だろう。
ギルドが運営するこの都市は、魔獣を狩り、魔石を手に入れる冒険者を支えるために存在しているからだ。
少しでも魔獣が多い地帯に、冒険者に快適な場所を。
それが、アインファーブルが作られた理由なのだ。
ゆえに、街の外へ出る人間は、そう珍しくはない。
プライアン・ブルー自身も、情報を集めるため何度か街の外へ出ている。
こうして森の中に入るという行動は、不自然なものではないのだ。
尾行をしている何者かも、恐らく不思議には思わないだろう。
森の中へ移動した理由を知ろうとは考えるだろうが、自分の尾行に気が付かれてここに誘い込まれたとは、思わないはずだ。
馴れた様子で森の中を歩きながら、プライアン・ブルーは事前に森に仕込んでおいた身体で尾行者を探し始める。
何かあったときのために、プライアン・ブルーは様々な場所に自分自身を忍び込ませていた。
街の中は勿論、その外にもいくつかの身体を配置している。
もっとも、プライアン・ブルーは意識して、普段は同時に一つの身体しか動かさないようにしていた。
すべての身体の外見は同じであるため、同時に複数の場所に存在しているとばれれば、一発で正体がばれてしまうからだ。
良くも悪くも“複数の”プライアン・ブルーの名前は、その能力と共に有名なのである。
尾行者に気が付かれぬよう細心の注意を払いながら、プライアン・ブルーは相手の捕捉に努めた。
程なくして、相手の姿を捉える事に成功する。
恐らく、感知魔法などを駆使しているのだろう。
目ではプライアン・ブルーを捉えられない位置を、複数の人物が歩いていた。
顔を確認すると、とある国の工作員である事が分かる。
小国では有るが、諜報活動に長けているために生き残ってきた、強かな国だ。
「あそこかぁ。尾行も上手いわけだ」
思わず納得してしかけて、いやいやと気を引き締める。
相手のおおよその位置さえ掴んでしまえば、今メインで動いている身体一つで、すべての追跡者の位置を確認することが出来た。
増殖するという特殊能力から誤解されがちだが、プライアン・ブルーはその身体能力も非常に高い。
魔法による強化などを駆使すれば、位置の分かっている相手を捕捉する事ぐらいなら簡単にやってのけるのだ。
発見できた尾行者を全て捕捉し終えたところで、プライアン・ブルーは周囲に配備していた身体を全て消した。
残しておけば、何処でどう発見されるかわからないからだ。
よしんば何かミスをして森の中を歩いている身体を破壊されたとしても、別の場所に幾つも身体が残っている。
同一の意思でいくつもの体を持つというのは、こういうところが便利なのだ。
すべての尾行者を発見できたという保証はないので、本来ならば身体を一つだけにするのは危険な行為だろう。
だが、プライアン・ブルーの場合は別である。
もし殺されたとしても、それは複数ある体のうちのひとつだけなのだ。
自在に消滅させる事も可能なので、万が一捕まったとしても情報を相手に渡す事はない。
何か引き出される前に、消してしまえばいいのだ。
なんとも無茶の効く身体である。
「じゃ、ま。おっぱじめますかぁ」
プライアン・ブルーはそう口の中で呟くと、腰に下げた剣に指を這わせた。
左右に一振りずつ吊るしたそれは、プライアン・ブルーの唯一にして、最大の武器なのだ。
スケイスラーの魔法は、「魔剣」と呼ばれる特殊な剣を用いて発動させる、「魔剣魔法」と呼ばれる形式のものであった。
一定の割合で数種類の金属を配合した合金製の刀身。
さらに、様々な素材で作られた柄。
それらに特殊な文様や飾り細工を施す事で、魔法道具として機能させるのだ。
何千年も前から存在していたというこの魔法形式は、世界でも有数の安定性と効果規模を誇っていた。
魔剣魔法は形状こそ限られるものの、その大きさはかなり融通が利くし、発揮する効果も多岐にわたる。
それぞれの魔剣を連携をさせ、大きな効果を得ることも可能だ。
スケイスラーが誇る大型船舶は、様々な機能を持った魔剣を幾つも船内に配置する事によって動いているのである。
攻撃だけでなく、船舶の運航のようなことも可能。
それだけ、汎用性の高い魔法なのだ。
魔剣魔法をここまで完成度の高いものに昇華させたのは、誰あろう“スケイスラーの亡霊”バインケルト・スバインクーの功績と言えるだろう。
バインケルトは生前から、優秀な人材と金を湯水のごとくつぎ込み、魔剣魔法の錬度を高め続けていた。
現在の魔剣魔法、ひいてはスケイスラーがあるのは、彼のおかげと言って差し支えないだろう。
となれば、プライアン・ブルーが腰に吊っている二振りの剣は当然魔剣であり、魔剣魔法を扱うための魔法道具であった。
プライアン・ブルーの能力に合わせて、特殊な機能を持たせられた、彼女専用の魔剣である。
この二振りの魔剣には共通する機能はあるものの、特徴的なまったく別の魔法も組み込まれていた。
まずは共通する機能。
コレは、「複数に分裂、増殖する」というものであった。
魔力が続く限り、幾つにも増殖させる事ができるのである。
途中で魔力が遮断されると増えたものは消滅してしまうのではあるが、これはプライアン・ブルーが持つにはうってつけのものだと言えるだろう。
たとえプライアン・ブルー自身がどれほど増殖しようとも、魔力さえあれば武器に困る心配が無くなるのだ。
そして、個々の魔剣が持つ能力。
細身の刀身を持つ魔剣が持つ最大の特徴は、「鎧製作」である。
魔剣の能力を得て着用者の運動能力を補強する、いわばパワードスーツのようなものを作り出す魔法だ。
魔法によって作り出されたそれは、やはり魔力の供給が断たれると消滅してしまう。
だが、その性能はかなりの物で、スケイスラー国内でも最高峰のものであった。
プライアン・ブルーの身体能力は、素の状態であっても恐ろしく高い。
身体能力で鳴らすエルフや兎人にも引けを取らないというのだから、かなりのものであった。
そんな彼女が鎧を纏うのだから、その戦闘能力の高さは凄まじいものになるのである。
もう一方の魔剣には、「自爆」の魔法が組み込まれていた。
込めた魔力によって爆発力を調整することが可能な上、その指向性まで指定できる。
四方八方に爆風を撒き散らす事も、爆発力を一点に集中させる事もできるという優れものだ。
自爆というだけに、爆発させれば消滅してしまうのだが、そこは増殖する魔法を使えば問題ない。
魔力さえあれば無尽蔵に増やす事が可能な、自由度の高い爆発物として使うことが出来るわけだ。
いくらでも作り出せる、「鎧」と「爆弾」。
それが、プライアン・ブルーが持つ二振りの魔剣が持つ能力なのである。
森の中を歩きながらプライアン・ブルーが手を伸ばしたのは、自爆の魔法が組み込まれた魔剣であった。
人差し指と親指で摘むように持って鞘から引き抜くと、魔力を注ぎ込む。
すぐさま分裂、増殖の魔法が発動し、剣を持った手の指の間それぞれに、魔剣が出現する。
合計四本の剣を、プライアン・ブルーは確認もせずに、無造作に見える動作で背中側へ向って振りぬいた。
唐突に見せたその動きは、後方へ剣を投げる投擲の動作だ。
指を離すタイミングを僅かずつずらして投げ放たれた剣の切っ先は、尾行者へと向けられている。
尾行者へと向う剣の数は、12本。
手に持っていたときよりも増えているのは、投擲の瞬間、更に増殖させたからである。
投げられただけでもかなりの速度を出していた12本の剣は、中空を数十センチ進んだ次の瞬間、爆発的にその速度を増した。
魔剣に仕込まれた魔法の一つが、発動したからだ。
効果を現わしたそれは、エネルギー噴射を利用して投擲した剣を加速させるものだった。
音速に近く加速した剣は、1本に付き一人、十二人の追跡者達へと肉薄する。
木の葉や枝を物ともせず一直線に進み、殆どのものが反応も出来なかったそれは、追跡者達の眼前で轟音と閃光を放ち、爆発した。
爆音と閃光で動きを止め、続く衝撃で行動不能に追い込むそれは、一種の非殺傷兵器のようである。
「うっしゃー、十個ドンピシャ!」
にやりと笑いながらそういうと、プライアン・ブルーは上着のうちポケットから、通信端末を引き抜いた。
すばやく表面を操作すると、呼び出し音が響く。
「はいはい」
数秒で聞こえてきた声は、アインファーブルに居る同僚の声だ。
プライアン・ブルーは走り出しながら、端末を耳に押し当てた。
「うーっす! なんかぷら付いてたらツけられちゃってさ。十二人のうち十人気絶させたから、回収よろしく!」
「はいよ。直ぐ向わせる。場所割り出すのに使うから、端末、起動させっぱなしでよろしく」
プライアン・ブルーが投擲した剣により、十二人の追跡者のうち、十人は気絶していた。
だが、残り二人はぎりぎりの所で避ける事に成功していたのだ。
「つか、残り二人は?」
「これからガンバルわけよ」
それだけ告げると、プライアン・ブルーは端末を内ポケットへと突っ込んだ。
木々やその枝葉、草や地面の凹凸。
走りにくいはずの森の中を、プライアン・ブルーは矢のように駆け抜ける。
目指すのは、先ほどの爆発でも気絶しなかった二人のうち、一人だ。
十二人のうち、十人は接近してくる剣に対して、何の反応も出来なかった。
もっとも、それも仕方ないだろう。
プライアン・ブルーの手で投げられた段階で、剣の速度は数百キロに達していた。
それが魔法で更に加速され、迫ってくる頃には音速にも近くなっていたのである。
普通であれば、反応できなくて当たり前だ。
では、残りの二人はどうだったのか。
一人は、身体を丸めて耳と目を庇い、飛びのいて避けていた。
爆発の衝撃で何度か地面を転がり、全身を強かに打ちつけている。
気絶はしていないものの、直ぐに立ち上がって戦う事はできないだろう。
プライアン・ブルーが最初に狙ったのは、その一人だった。
あっという間に這いつくばって頭を振っている追跡者へと迫ると、プライアン・ブルーはその顎先を蹴り上げる。
一切の躊躇が無い一撃に、追跡者の身体がふわりと宙に浮く。
魔法での強化を受けていない蹴りだが、人一人ぐらいなら易々と吹き飛ばせる脚力を、プライアン・ブルーは持っているのだ。
がら空きになった胴体に、プライアン・ブルーはやはり躊躇無く拳をめり込ませた。
無理矢理な蹴りからの連携とは思えない、コンパクトなその打撃は、あっさりと追跡者の意識を刈り取る。
プライアン・ブルーは追跡者の身体が地面に着くよりも早く、次の目標へと走り出した。
目指すのは、残る最後の追跡者だ。
この追跡者は、プライアン・ブルーの放った剣を、なんと撃ち落としていたのである。
使用されたのは、魔法道具と思しきナイフだ。
柄と刀身が四十度ほどの角度が付いたそれは一見、銃の銃身部分をナイフに取り替えたもののように見える。
実際、それは限りなく銃に近い機能を持ったものであった。
そのナイフの切っ先からは、銃弾よろしく魔力の塊が射出されたからである。
使い勝手のいいこの形状のナイフは、多くの国が魔法道具として採用している形状だ。
普通のナイフとして接近距離、魔法道具として遠距離にも攻撃できる武器として、よく見るタイプの武器だった。
追跡者は飛来する剣を、とっさにそれで打ち落としたのである。
自分に迫ってくる剣を視認し、ナイフを抜き、魔力を込めて、魔法を放つ。
流れるように行われたその動作は、プライアン・ブルーも感心するほど鮮やかだった。
地面を蹴り間合いをつめてくるプライアン・ブルーに、最後の追跡者はナイフの切っ先を向ける。
連続で放たれた三発のエネルギー塊は、プライアン・ブルーへと吸い込まれるように飛んでいく。
音速を僅かに超えるほどの高速で打ち出されたそれは、しかし、プライアン・ブルーの身体を捉える事はなかった。
一瞬で抜き放たれたプライアン・ブルーの剣に、叩き落されたからだ。
「まじか! 兎人かよっ!」
吐き捨てるように言いながらも、追跡者は続けざまにエネルギー塊を撃ち放つ。
だが、それらは悉く切り払われ、足止めにもならない。
追跡者が間合いを取ろうと足を動かすが、それを許すプライアン・ブルーではない。
間合いを一気につめると、剣を一閃する。
狙いたがわず、振るわれた刃が的確に捉えたのは、追跡者が手にしていたナイフだった。
甲高い金属音が響き、ナイフを持った追跡者の手が大きく弾かれる。
そんな大きな衝撃にも拘らず、追跡者はナイフから手を離していなかった。
それどころか、空いた手ですばやくもう一本のナイフを抜き放ち、エネルギー塊を打ち出したのだ。
瞬きする間に行われたそれは、まさに目にも留まらぬ早撃ちである。
しかし、プライアン・ブルーはそれを読んでいた。
いつの間にか抜いていたもう一本の剣でエネルギー塊を弾き飛ばすと、追跡者の胸に強烈な前蹴りを喰らわせる。
流石にこれには耐えられなかったのだろう。
追跡者は大きく体勢を崩し、背中から地面に倒れこんだ。
すかさず、プライアン・ブルーは両手の魔剣に魔力を流し込み、魔法を発動させる。
一瞬で左右四本ずつに分裂した魔剣を、追跡者へ向けて突き出した。
その切っ先は、すべてが僅かに追跡者からそれ、地面へと突き刺さる。
意味を成さないように見えるが、もし僅かでも追跡者が動けば、刃はその身体に食い込むだろう。
追跡者は文字通り、地面に縫い付けられた形になったのだ。
「はーい、うごかなーい」
追跡者の首筋にの切っ先を向けながら、プライアン・ブルーはにんまりと笑顔を作った。
なんとも邪悪なその笑い方に、追跡者は顔を引きつらせる。
「参ったね、どうも」
「ずいぶんな大人数でつけ回してくれちゃってぇ。あたしってそんなに魅力的だった?」
「いや、それはアレだけど」
「ウソでもそうですって言えよ、このやろう。で、あんた達どこの誰よ?」
追跡者の所属国が分かっていながら、プライアン・ブルーはあえてそう質問した。
こちらが相手の手の内を知っていると、悟らせないためだ。
相手が応えるか答えないかが、相手の目的を探るヒントになる場合もある。
こちらが直ぐに正体を特定できたことで、逆にこちらの正体を特定される場合もある。
目的が分からない以上、何が相手にとってのメリットになり、こちらにとってのデメリットになるか分からない。
こういうときは、うかつに自分の知っている事を話さないのが一番だと、プライアン・ブルーは判断したのだ。
「さぁね。さらっと話すのもアレあれでしょ? ていうか、察しが付いてるんじゃない?」
「それが分かっていれば聞きゃーしないでしょうよ」
「どうだか」
どうやら追跡者は、直ぐにしゃべるつもりは無いらしい。
それはそうだろう。
簡単に口を割ったりボロを出すようでは、話しにならない。
プライアン・ブルーには所属国が割れてしまったが、それは彼女が偶さか追跡者の中に知っている顔を見つけたからだ。
それとは逆に、プライアン・ブルーの顔を知っているものが追跡者側にもいたかもしれない。
勿論、そうとは言わないだろう。
殆どの工作員にとって、その顔と名前がセットで広まる事は避けるべき事だ。
潜入などが、出来なくなってしまうからである。
その危険を避けるため、自分の顔と身元を知っているものを殺すのも、珍しい事ではない。
「で、何でつけてきたのよ。あたしが誰だか分かってんの?」
「それを調べようと思って尾行し始めたらこうなったんだよ。くっそ、アインファーブルじゃ森に入るのは珍しくないからなぁー……」
ため息混じりに、追跡者はそうぼやくように言った。
追跡者の言葉を信じるならば、相手がプライアン・ブルーだと知らなかった事になる。
ブラフかもしれないが、もしプライアン・ブルーを知っていたとするならば、こんな少人数、あるいはこの程度の実力で尾行しようとは考えないだろう。
とはいえ、プライアン・ブルーが見つける事ができたのがたまたま戦闘能力がなかっただけで、他にもまだ潜んでいる恐れもあるのだが。
「見放された土地に関すること、なんか分かるかと思ったんだけどなぁー」
今、この時期、アインファーブルで活動する工作員の目的は、まず間違いなく見直された土地だろう。
それをわざわざ口にしたのは、それが伝えても意味の無い当たり前の情報だったからなのか。
実際にはまったく別の目的だからこそ、そういったのか。
どちらにしても、今この場で問いただす事も無いだろう。
真実を言われるにしても、嘘を付かれるにしても、それを判断するには時間も労力もかかる。
今この場には、どのどちらも無いのだ。
「ま、休みをもらえたと思って、暫くは捕虜になっててちょうだいな」
人の悪そうな笑顔を浮かべると、プライアン・ブルーは楽しそうにそう告げた。
プライアン・ブルーが追跡者を制圧してから、数分後。
やって来た彼女の同僚達の手によって、追跡者達は12人すべてが拘束された。
この後一旦セーフハウスに移してから、輸送物に紛れさせてスケイスラーに送る予定となっている。
「しっかし、なんで直ぐに相手の国特定できたんですか」
「だって取引先の国じゃん。商売相手の工作員の顔は覚えとかないと、トラブったときに面倒よ?」
感心した様子で聞いてくる同僚に、プライアン・ブルーは肩をすくめて見せた。
プライアン・ブルーを尾行してきたあの追跡者達は、取引国の一つに所属する工作員だったのだ。
もっとも、スケイスラーが運送を引き受けている国は、それこそ何十とある訳だが。
「俺はまた、いい男だから顔覚えてたのかと」
「ジョウダン」
冗談めかして言う同僚に、プライアン・ブルーは嫌そうに顔を顰めた。
捕まえた追跡者のうち、8人は男である。
プライアン・ブルーが最後に捕まえた相手などは、いわゆるイケメンと呼ばれるような見目のいい男だ。
普段の彼女を知る人間ならば、まず間違いなく結婚の二文字を思い浮かべるだろう。
にも拘らず、プライアン・ブルーの反応は、常とまったく違うものだった。
「同業者はそういう対象にならないっつの。最低限、条件っつーのがあるでしょうよ」
「あ、はい」
日ごろから、一言目には必ず結婚と口にしているプライアン・ブルーからは想像がつかない台詞だ。
同僚は一瞬「コイツ偽者なんじゃねぇか」とさえ思った。
結婚に執着しすぎて、一周回って脳が焼ききれたのかとも考えたが、どうもそうではないらしい。
「結婚相手っつーのはね。顔は、まぁ生理的に受け付けないってレベルじゃなきゃいいのよ。給料もあたしの蓄えがあるし、腕っ節のほうもそんな強く無くていいの。でもね」
仕事中にも見せないような引き締まった表情を作ると、プライアン・ブルーは真剣な声で言う。
「信頼できる。それがダイジなわけよ」
「そりゃムチャだ」
工作員の仕事というのは、どんな事でもまず疑ってかかる事だ。
白い事も黒い事も、自分達の都合がいいように捻じ曲げる。
どんな相手も信用せず、徹底的に調べつくして、それでも信用しない。
自分や自分が所属する組織も疑いながら、命じられた仕事をこなす。
それが工作員という仕事なのだ。
ちなみにどうでもいいことだが、スケイスラー工作員の今月のスローガンは、「目の前の真実を疑え」である。
プライアン・ブルーは、工作員として高い能力を持つ人間であった。
そんな彼女が「信頼できる」というのは、余程の相手で無ければならないだろう。
余程の人格者か、裏表の無い人間か。
それにしたところで、彼女の目にかかれば荒が出てくるはずだ。
「無茶じゃねぇーよ! 結婚ってそうじゃねぇーの!? 心のそこから信頼できるこの世にただ一人だと思える相手と幸せで幸せですべてがばら色に輝くのが結婚だろーがっ!!」
「どんだけ夢見てるんですかそれ……」
「夢じゃねぇーよ! 心から信頼できるって結婚の条件として当然じゃね? ふつーだよふつー!!」
「アンタの仕事、疑ってかかる事じゃないですか。乙女じゃあるまいに」
「女子はいつだって夢見る乙女なんだばーか! 白とも黒とも付かない灰色ばっかのこの世の中を何とか上手く回すために必死になって働いてんのよこっちはっ! 結婚にぐらい夢見たって良いだろうが! ジャスティスだろうがっ! 美しく煌かせたって良いだろうが! 理想の結婚を望んで何がいけないというのでしょうかー、ああん!?」
なにやら必死な形相のプライアン・ブルーに、同僚はたじろいだ。
というか、引いていたのである。
そんなことはお構い無しに、プライアン・ブルーは拳を握り締め熱弁をふるう。
「大体最近の同業者の男で一番気に食わないのは服装だよ! 漆黒の上下に純白のワイシャツが基本だろうがっ! 白でも黒でもない薄らくらい仕事してるからこそ服装はこの二色なんだよっ! それなのに最近の連中はなんだっ! おしゃれ着なんて着くさりやがって、美学がない! そう、濡れ仕事だらけのこんな仕事だからこそ、そういう美学が必要なんだろーが!」
「結婚関係なくなっちゃいましたよね」
「あるよ!? 結婚に! そもそも結婚相手に求めるものっていうのはだな!」
どうやら同僚は、プライアン・ブルーの心の地雷を思い切り踏み抜いたらしい。
結局この後、彼等はプライアン・ブルーの結婚と仕事に対する美学の話を二時間ほど聞かされたのであった。