九十二話 「あーっと、どうも、はじめまして。私がこの土地の土地神をすることになりました、赤鞘といいます」
久々の結界を前に、アグニー達は大いに張り切りタックルしまくっていた。
普通のタックル、合体タックル、組体操タックル。
フライングタックルに、アクロバットタックル、スライディングタックル。
それまで結界がなかったうっぷんを晴らすように、思いつく限りのタックルを決めまくっていた。
中でも取り分け張り切っていたのは、タックル大好き若者アグニーのサナトだ。
普段から「けっかい!」とか叫んでいる彼にとっては、文字通り夢にまで見た結界である。
最前列に陣取り、あらん限りの力をこめてタックルしまくっていた。
もちろん、他のアグニー達だって負けていない。
どのアグニーも、結界にタックルするのが大好きなのだ。
久々の結界に、アグニー達は我を忘れ、嬉々としてタックルを繰り返した。
しかし。
基本的に、アグニーは小さくて華奢な体の種族である。
強固な結界へのタックルには、向かない身体をしていたのだ。
ゴブリンになる強化魔法を使うにしても、身体の耐久力を上げるには限界があった。
はじめのうちは元気良くタックルに励んでいたアグニー達だったが、一人、又一人と脱落者が出始める。
一時間ほど経った頃には、大半のアグニーが地面に突っ伏していた。
そんな中でも気を吐いていたのは、やはりサナトだ。
その結界への熱い思いは、底なしのようにも思えた。
だが、そんなサナトも、ついに限界を迎える。
「ぐはぁー!」
結界にタックルした衝撃で、サナトは地面に転がった。
最早魔力もつきかけているのか、ゴブリンの姿も維持できていない。
「くっ! まだだっ! まだタックルするんだっ!」
それでも、心だけは折れていなかった。
何とか立ち上がろうと、サナトは力を振り絞る。
だが、その身体には力が残されていない様子だ。
僅かに体を持ち上げながらも、再びばったりと倒れる。
「サ、サナト!」
「ついに皆、体力の限界か……!」
「せっかく結界があるのに!」
「け、けっかい……!」
他のアグニー達も、悔しそうな顔で地面を叩く。
皆、思い思いに体力を使い果たした様子を全身で表しており、周囲はまさに死屍累々と言った有様だ。
うつ伏せに倒れていた長老は、よろよろと顔だけを上げると、あたりを見回した。
そして、一人も立ち上がれていない状況を確認すると、悔しそうに歯を食いしばる。
「くっ! ついに皆力尽きてしまったようじゃな……仕方ない……」
長老はそういうと、ぐっと表情に力をこめた。
眉間に深く皺を寄せ、苦渋の選択を口にする。
「とりあえず一旦ここまでにして、皆でお昼ご飯じゃ!」
「そうしよー」
「おなかへったなー」
「ごはんのじゅんびだー」
「けっかいー」
長老の声に反応して、アグニー達は次々に立ち上がり、荷物の方へと移動し始めた。
サナトや長老もそそくさと立ち上がり、急ぎ足でそちらへと歩いていく。
別に、倒れていたのが演技だとか、そういうわけではない。
どんなに疲れていても、ご飯や別の楽しいことを前にすると、とたんに元気が出ちゃう。
アグニー族は、遠足で疲れててもお弁当の時間になるととたんに元気になる、小学生のような種族なのである。
お昼ごはんを食べ終えたアグニー達は、改めて円陣を組んで相談を始めた。
このままタックルに時間を費やしたいところだが、今回はそのために来たのではない。
あくまで、赤鞘に奉納の品を届けにきたのだ。
「というわけじゃから、赤鞘様の所にいかねば成らんわけじゃな」
「そうだな。一先ず結界は置いておこう」
「けっかいー」
「届けるのが肝心なんだもんなー」
長老の言葉に、アグニー達は神妙な表情で頷く。
もう随分遊び倒しているようにも思えるのだが、アグニー達にとっては久々の結界だったのだ。
あのぐらい遊んじゃうのはしょうがないことなのである。
「湖には、またあとでこれるしのぉ」
「湖は動かないもんねー」
「けっかいー」
「奉納の品を届けたら、また来よう!」
「おー!」
「そうしよー!」
「結界!」
口々に声を上げると、アグニー達は拳を振り上げた。
そんな様子を見て、浮島の精霊達が震え上がったのは言うまでもないだろう。
何しろ、また後で来る、といっているのだ。
赤鞘がきちんと注意してくれるのだろうが、万が一また来る事になってしまったら。
そんな恐ろしい想像に思わず身を震わせ、精霊達はだれが言い出すわけでもなく、結界の点検の準備を始めるのであった。
精霊達の気苦労を知ってかしらずか、アグニー達は元気に出発の準備を始める。
それぞれの荷物を担ぎぐと、隊列を組んでいく。
「では、出発じゃぁー!」
長老の掛け声にあわせ、アグニー達は一斉に歩き始めた。
向うのは、八本の大きな樹木の方向だ。
アグニー達はいよいよ、赤鞘とはじめて対面することになるのである。
あまりに取り乱してうろうろ歩き回るため、赤鞘はとりあえず地面に座らされていた。
もちろん、座らせたのはエルトヴァエルである。
隣に本体である朱塗りの鞘を刺した神と、そのお付きである天使が対面で地面に座っている姿は、おそらくこの「見直された土地」でしか見れないものだろう。
地面の上で正座をしているものの、やはり赤鞘は落ち着かないらしくそわそわとした様子であった。
きょろきょろと周囲を見渡し、何やらもぞもぞと手足を動かしている。
そんな赤鞘が面白いのか、精霊樹の精霊達は頭の上に乗っかったり、周りを飛び回ったりしていた。
自力で空中に浮かんでいるため重くはないのだろうが、精霊達は既に人間でいえば高校生ぐらいの大きさだ。
そのぐらいの体格のものが絡んでいるため、非常にうっとうしそうに見えるのではあるが、今の赤鞘はそれどころではないらしい。
「あの、エルトヴァエルさん。やっぱりせめてお茶とか用意したほうが……」
「大丈夫です。彼らは奉納に来るのであって、そういったものを出す必要はありません。おそらく逆にびっくりすると思います」
「ですよねっ! ですよねっ! そうか、そうですよね。うん。落ち着いてかまえてればいいんですよね!」
どこか興奮した様子でそう言うと、赤鞘は全く落ち着いていない様子で地面に座りなおした。
そんな赤鞘を見て、エルトヴァエルはこめかみを軽く押さえ小さくため息を吐く。
左右に立っている調停者の精霊もエルトヴァエルの気持ちがわかるのか、同じような表情だ。
「やっぱり赤鞘様には、エルトヴァエル様がいないとダメみたいですね」
「しばらくはここを、離れないほうがいいと思います」
精霊達に言われ、エルトヴァエルは難しそうな顔を作る。
何やら考え込むように唸り声をあげながら、腕を組んだ。
「確かにそうかもしれませんが、それだといろいろと調べ物が出来ないんですよね」
赤鞘のそばにエルトヴァエルがいないとダメ、というのも随分なものいいなはずなのだが、そこはあえて突っ込まないらしい。
元々病的なまでの情報収集家であるエルトヴァエルにとって、同じ場所にじっとしているというのは難しいことだった。
樹木の精霊達もその性分を知っているからか、難しい顔でうなり始める。
だが、実際エルトヴァエルが居ないときに限って、いろいろ面倒くさいことが起きているのは事実だ。
エルトヴァエルもそういう認識があるのか、何やら葛藤するように考え込んでいる。
「いっそさぁー、もう一体ガーディアンを創って、その子に情報収集を頼むとかどうだろう?」
「ああ、いいアイディアかも!」
光の世界樹の精霊のつぶやきに、闇の世界樹の精霊が大きくうなずく。
ほかの精霊達も、その手があったというようにパッと表情を輝かせる。
しかし、当のエルトヴァエルは苦い表情だ。
「いえ。いくらなんでもそんな、私の都合で……」
天使の都合で神様の手を煩わせる、というのが、エルトヴァエルには気になっているようだった。
「海原と中原」の天使としては、正しい感覚だろう。
もっとも残念なことに、ここには若干ずれた感覚を持っている連中しかいなかったのだ。
「え? ああ、いいんじゃないですか? この間アンバレンスさんもあと二人ぐらいガーディアン作ってもいいんじゃないかって言ってましたし」
さらっと赤鞘の口から飛び出した言葉に、エルトヴァエルは体をびくつかせた。
樹木の精霊達はといえば、すこぶる嬉しそうに手をたたいて喜んでいる。
「やったー! 次こそは火だっ!」
「えー、情報収集なら風じゃない?」
「風だねー」
「風だよぉー」
「くっ! やっぱそうかぁー」
張り切って声を出したものの皆に反対され、火の精霊樹の精霊はぐったりと地面に突っ伏した。
赤鞘の頭の上に載っていた風の精霊樹は、どこか自慢げな顔で胸をそらしている。
これにあせったのは、エルトヴァエルだ。
「あ、あの、赤鞘様。別に私は……」
「いえー。水彦は冒険者をやっているだけで手いっぱいみたいですし、あの性格ですからねぇー。土彦さんは土地の守りをして下さっていますし。何かしら必要だなぁ、とは思ってたんですよ」
確かに水彦は性格的に今の仕事以上のことは期待できないだろう。
土彦も、今任せている仕事上、むやみに土地を離れるわけにもいかない。
そうなると、外での情報収集はエルトヴァエルだけが頼りになってしまう。
本来ならば天界から情報を下してもらえばよさそうなものなのだが、いかんせん今現在「海原と中原」の天界はてんてこ舞い状態だ。
まともに働いている神が少ないせいで、凄まじく忙しい状態なのである。
何人もの天使が過労で倒れていると赤鞘自身聞かされているだけに、そんなことを頼めるような状況ではないのだ。
エルトヴァエルもその辺りの事情をよく知っているだけに、何とも言えない苦虫をかみつぶしたような表情を浮かべている。
特に水彦にはさんざん手を焼いているだけに、強い否定もできない様だ。
「アグニーさん達が帰ったら、どうやって作るか考えましょう」
「は、はい。わかりました」
赤鞘のにへらっとした笑顔での言葉に、エルトヴァエルは気が進まない様子ながらもこくりとうなずいた。
その時だ。
エルトヴァエルの横に置いてあった、マッドアイがぴょこんと立ち上がる。
そこから響いてくるのは、土彦の声だ。
「あーあー、聞こえますか? そろそろアグニーさん達がそちらにいらっしゃいます。気を付けてください」
その言葉に、樹木の精霊達が一斉に表情を明るくする。
対して、赤鞘の顔からは一気に血の気が引いていく。
どうやら、緊張が一気に押し寄せてきたらしい。
エルトヴァエルは立ち上がると、パンパンと手を叩いた。
「さあ、貴方達はそれぞれの樹に戻ってください。出てきたらいけませんよ」
「はぁーい!」
「わかったー!」
「こっそりみてるねー!」
「赤鞘様、あまり緊張なさいませんように!」
「がんばってー!」
エルトヴァエルに促され、精霊達は次々に樹木に戻っていく。
皆それぞれに赤鞘に声をかけているが、そのたびに赤鞘の表情はどんどん青くなっていった。
励ましの言葉に現実を突きつけられているらしく、逆効果になっているようだ。
樹木の精霊達が皆いなくなったころには、赤鞘は燃え尽きた灰のようになっていた。
「あの。私もどこかに隠れていたほうが……」
赤鞘はそういうと、そろーっとゆっくりとした動きで立ち上がる。
エルトヴァエルは無言で赤鞘に近づくと、横に刺さっていた本体である鞘に手をかけた。
そして、ぐっと地面に押し込むように力を込める。
「では、赤鞘様はここにいてくださいね」
にっこりと笑顔を見せるエルトヴァエル。
その迫力に、赤鞘は立ち上がったのと同じ動きでその場に座りなおした。
「あ、わかりました」
「大丈夫です、私もいますから」
エルトヴァエルの言葉に、赤鞘の表情が若干ではあるが柔らかくなる。
そんな一柱一位のやり取りを、土彦はマッドアイを通して眺めていた。
やっぱりエルトヴァエルには居てもらったほうがよさそうだな。
そんな風に思った土彦だったが、口には出さなかった。
おそらく、エルトヴァエル自身が一番よくわかっているだろうと思ったからだ。
土彦はマッドアイに指示をだし、地面に潜らせた。
いよいよ、アグニー達がやってくるのだ。
奉納の品を背負ったアグニー達の列は、八本の樹木の根元にまでたどり着いていた。
大きな樹木を見上げ、皆感心したような声を出している。
アグニー達がそんな反応を見せるのも、無理からぬことだろう。
樹木の周囲には炎や水、光や闇の塊のようなものが浮いているのだから。
「すっげぇー」
「けっかいー」
「どーなってるんだろー」
「おもしれー」
しっかりと荷物を落とさないようにしながらも、アグニー達はきょろきょろとあたりを見回す。
樹木の精霊達は飛び出していきたい衝動に駆られていたが、ここはぐっと我慢だ。
驚かしたら可哀そうだからと、エルトヴァエルに言い含められているのである。
「あ、エルトヴァエル様だ!」
先頭付近を歩いていた一人が、大きな声を上げた。
樹木に気を取られていたほかのアグニー達の視線が、一斉に集まる。
エルトヴァエルは時折集落に来ていたので、アグニー達もよく知っていた。
その隣には、何やらアグニー達には見慣れない棒のようなものが刺さっている。
真っ赤なそれが剣や刀などの鞘であるらしいとアグニー達が気が付いたのは、エルトヴァエルのすぐ近くに来てからだった。
「エルトヴァエル様だー」
「奉納の品、もってきましたー!」
「けっかいー!」
「野菜もお酒もありますよー」
アグニー達は近くに奉納の品を置くと、わらわらとエルトヴァエルの元へと集まっていく。
エルトヴァエルも何日かぶりに見たアグニー達の姿に、ほっこりと表情を緩める。
もちろん、首から下はなるだけ見ないようにしていた。
内臓とかに直撃しそうだったからだ。
「みなさん、ご苦労様でした。赤鞘様も、お喜びになりますよ」
「それは、ありがたいことでございますじゃ! ところで、赤鞘様はどちらに?」
首をかしげる長老を見て、エルトヴァエルは困ったような笑顔を浮かべる。
そして、隣に刺さっている鞘に目を向けた。
2、3秒鞘を見つめ、疲れたようなため息を吐くと、エルトヴァエルはアグニー達の注目を集めるように手をたたく。
「さあ、皆さん! 赤鞘様がおいでになりますよ!」
その言葉を聞き、アグニー達は大きな歓声を上げた。
「うわぁー!」
「いよいよおあいできるのかー!」
「皆、急いでせいれつじゃー!」
「けっかいー!」
「おー!」
アグニー達はバタバタと駆け回り、あっという間にきれいな列を作ってその場に並んだ。
一番真ん中の先頭にいるのは、もちろん長老だ。
一斉に地面に膝をつき、頭を下げるアグニー達。
その姿を見るに、どこの世界でも神様へ敬意を示す姿というのはあまり変わらないらしい。
エルトヴァエルはそんなアグニー達を見てわずかに苦笑を漏らすと、そっと鞘に向かって声をかけた。
「さ、赤鞘様。ご挨拶をお願いします」
その小さな声に反応してか、鞘から小さな光の粒子があふれ始めた。
鞘を挟んで、エルトヴァエルの反対側。
あふれた粒子はそこに集まっていき、人の姿を取り始める。
わずかの間に浮かび上がったのは、半透明な姿の、お侍の姿だ。
鋭い三白眼で、ともすれば怖いような人相の男。
だが、身にまとう雰囲気は妙に柔らかく、表情はへらりとした苦笑であった。
異世界からこの土地へやってきた、土地神赤鞘の姿である。
「おおー!」
「けっかいー!」
「すっげー!」
「透けてるー!」
感嘆するアグニー達の声に、赤鞘は頭をかきながら苦笑を漏らす。
そして、まるで言いにくいことを口にするように、口を開いた。
「あーっと、どうも、はじめまして。私がこの土地の土地神をすることになりました、赤鞘といいます」
なんとなく頼りなくはあるものの、非常に赤鞘らしいそんな言葉。
それが、赤鞘が神として、初めてアグニー達にかけた言葉になったのであった。
実はこの話は、神越の丁度100投稿目の話になります。
話数的には92なんですが、ずいぶん書いたなーと。
今日はビールでも飲んでひとり祝いしようと思います。
もちろん実際の100話でも飲みますが。
書籍化させていただいたほうも順調でございます。
まだ手に取っていただけてない方は、ぜひどうぞ!(宣伝)