普通に婚約して普通に結婚するだけなのに、なぜかブーイングの嵐でした
王立学園の卒業記念舞踏会。
王国最大級の舞踏会場には、400人の招待客が集まっていた。
今年の舞踏会は、例年以上の注目を集めている。
なぜなら、自国のシャリオン王太子と、隣国のライシアス王子が、そろって出席するからだ。
しかも、2人とも婚約者を伴っている。
シャリオン王太子の婚約者は、ネティア公爵令嬢。
ライシアス王子の婚約者は、カレリア公爵令嬢。
どちらも幼い頃からの婚約者で、仲のよさは有名だった。
当然、卒業後はそれぞれ結婚する予定である。
ところが、招待客たちは違う展開を期待していた。
「今年こそ、大事件が起こりますわ」
「王太子殿下の婚約破棄ですものね」
「しかも隣国の王子までいらっしゃるのよ」
「どちらの令嬢が選ばれるのかしら」
会場の一角には、婚約破棄の展開を予想する掲示板まで設置されていた。
《予想される展開》
《1 シャリオン殿下がネティア様との婚約を破棄》
《2 ライシアス殿下がネティア様を救出》
《3 カレリア様がシャリオン殿下と新たに婚約》
《4 両国の婚約関係が大混乱》
観客たちは、その掲示板を見ながら楽しそうに話していた。
なお、当事者4人は、この予想を一切知らなかった。
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午後7時。
舞踏会が始まった。
シャリオン王太子が、婚約者ネティアの手を取って壇上へ進む。
400人の視線が集中した。
「本日は、私たちの今後について報告がある」
会場が静まり返った。
最前列の令嬢が、友人の袖を引く。
「いよいよですわ」
「ネティア様の断罪が始まるのね」
「証拠書類はどこかしら」
シャリオンは隣のネティアを見た。
ネティアが微笑む。
シャリオンも微笑み返した。
「私、シャリオンは、婚約者ネティアと来春、予定どおり結婚することを報告する!」
沈黙。
400人の観客が動きを止めた。
シャリオンは少し待った。
拍手が起こらない。
「……以上だ」
後方から小さな声が聞こえた。
「え?」
続いて、別の声。
「婚約破棄は?」
シャリオンは首をかしげた。
「しないが」
「断罪は?」
「誰の?」
「ネティア様です!」
「彼女が何をした?」
「それは……これから明らかになるのでは?」
「ならない」
観客席がざわめいた。
「浮気相手は?」
「いない」
「聖女様は?」
「招待していない」
「隣国の王子は?」
「招待している」
その言葉に、観客たちの目が輝いた。
「やはり!」
「隣国の王子がいらっしゃるのね!」
「これで逆転劇が始まりますわ!」
シャリオンは困惑した。
「……何の逆転だ?」
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隣国のライシアス王子は、会場の中央で婚約者カレリアと談笑していた。
「料理がおいしいね」
「ええ。特に香辛料を使った煮込み料理が素晴らしいですわ」
「君は昔から好きだったね」
「ライシアス様と一緒にいただくと、もっとおいしく感じます」
2人は穏やかに笑い合った。
そこへ、舞踏会の興行担当官が駆け寄ってきた。
「ライシアス殿下!」
「何だろう?」
「至急、ご相談がございます!」
「どうぞ」
「ネティア様を連れ去っていただけませんか!」
ライシアスは手にしていたグラスを置いた。
「……誰を?」
「シャリオン殿下の婚約者、ネティア様です!」
「なぜ?」
「今年の舞踏会の目玉ですので!」
「目玉?」
「婚約破棄された令嬢を隣国の王子が救い出す。これが近年の定番なのです!」
ライシアスは考え込んだ。
「しかし、ネティア様は婚約破棄されていないのでは?」
「そこが問題なのです!」
「問題なのか?」
「大問題です!」
担当官は力強くうなずいた。
「ですから、まずシャリオン殿下に婚約破棄していただき、そのあと殿下がネティア様を連れ去るのです!」
ライシアスは隣のカレリアを見た。
「……私の婚約者は?」
「こちらにいらっしゃいますね」
「そうではなく、彼女はどうなる?」
担当官は一瞬、言葉に詰まった。
「……シャリオン殿下にお迎えいただくということで」
カレリアが目を丸くした。
「私が、シャリオン殿下と?」
「はい!」
「ライシアス様とは婚約破棄して?」
「はい!」
「なぜ?」
「盛り上がりますので!」
沈黙。
ライシアスは、ゆっくりと首を横に振った。
「断る」
「なぜですか!」
「私にはカレリアがいる」
「ですが、ネティア様も素晴らしい令嬢です!」
「それは承知している。しかし、彼女にはシャリオン殿下がいるだろう」
担当官は諦めなかった。
「そこを何とか!」
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担当官は、今度はシャリオンのもとへ向かった。
「殿下! 隣国のライシアス殿下にネティア様をお譲りいただけませんか!」
シャリオンは目を見開いた。
「……何を言っている?」
「代わりにカレリア様をお迎えいただければ、両国の関係も良好に保てます!」
「今でも良好だが」
「さらに良好になります!」
「婚約者を交換してか?」
「はい!」
シャリオンはネティアを見た。
「君はどう思う?」
「嫌ですわ」
「私もだ」
即決だった。
しかし担当官は食い下がった。
「カレリア様は容姿端麗、才色兼備、しかも隣国の公爵令嬢です!」
「それは知っている」
「殿下にふさわしいお相手かと!」
「私にはネティアがいる」
「ですが!」
シャリオンは、しばらく考えた。
そして、妙なことを尋ねた。
「ところで、カレリア嬢の名前の由来を知っているか?」
「……名前の由来ですか?」
「ああ。彼女の家は、香辛料の交易で栄えた家系だそうだ」
「存じております」
「香辛料を使った煮込み料理、カレーが家の名物でな。それにちなんでカレリアと名づけられたそうだ」
「はい」
「そして、私の名はシャリオン。王家に伝わる酢飯、シャリに由来する」
「……酢飯でございますか?」
「そうだ。祝いの席では、昔からシャリを使った料理が振る舞われてきた」
「なるほど」
「シャリオンとカレリア」
担当官は首をかしげた。
「何か問題が?」
シャリオンは真顔で答えた。
「酢飯にカレーをかけるつもりか?」
沈黙。
担当官の動きが止まった。
「……酢飯に、カレー?」
「ああ」
「それは……意外とおいしいかもしれません」
シャリオンは眉をひそめた。
「本気で言っているのか?」
「酸味と香辛料の組み合わせは、料理として珍しくありません!」
「それはそうだが」
「酢飯の酸味が、カレーの濃厚さを引き立てる可能性もございます!」
「……可能性か」
「試してみなければ分かりません!」
「ならば料理人に試してもらえ」
「では、婚約者の交換も!」
「なぜそうなる」
担当官は力説した。
「新しい組み合わせには、新しい可能性があるのです!」
「料理の話なら否定しない」
「では!」
「だが、私はネティアを愛している。わざわざ婚約者を交換する理由にはならない」
担当官は口を閉じた。
シャリオンは続けた。
「それに、ネティアの家は代々、魚介類を扱ってきた。寿司に使うネタが名前の由来だそうだ」
「ネティア様が、寿司ネタ……」
「シャリとネタなら、握り寿司になる」
「ですが、寿司以外にも魚介類を使った料理はございます!」
「それは料理人に任せる」
「……また料理人ですか」
「私の婚約者を食材扱いしているのは君だろう」
担当官は反論できなかった。
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しかし、まだ諦めるわけにはいかなかった。
担当官は再びライシアスのもとへ戻った。
「殿下! やはりネティア様をお迎えいただくのが最善かと!」
ライシアスは困った顔をした。
「先ほども断ったはずだが」
「ですが、シャリオン殿下とカレリア様の組み合わせには問題があると判明しまして!」
「……何の問題だ?」
「酢飯にカレーは合わないそうです!」
ライシアスは黙った。
カレリアも黙った。
しばらくして、ライシアスが尋ねた。
「それで、私とネティア様なら問題ないと?」
「はい!」
「私の名前の由来は知っているか?」
「ライシアス殿下でございますね」
「我が国では、白米をライスと呼ぶ。その言葉から名づけられたそうだ」
「……ライスでございますか」
「ああ。そしてカレリアの名はカレーに由来する」
「はい」
「カレーとライスがそろえば、カレーライスになる」
「……確かに」
「一方、ネティア様の名は寿司ネタに由来するそうだな」
「はい」
「ライスとネタを組み合わせたら、どうなる?」
担当官は嫌な予感がした。
「……はい」
「ただの白米に寿司ネタを乗せるのか?」
担当官は考えた。
温かい白米。
その上に乗せられた新鮮な魚介類。
「……海鮮丼では?」
ライシアスは黙った。
「……確かに」
「成立しますね!」
「成立するな」
「では、婚約者を交換しても問題ありません!」
「待ってくれ」
「何でしょう!」
「海鮮丼は成立する。だが、寿司とは違う」
「どちらもおいしい料理です!」
「そうだな」
「では!」
「しかし、私にはカレリアがいる」
担当官は引き下がらなかった。
「白米は、カレー以外にも合います! 刺身にも、焼き魚にも、肉料理にも!」
「それはそうだ」
「ライシアス殿下には、無限の可能性がございます!」
「私を白米として評価するのはやめてくれ」
カレリアが口元を押さえた。
「ふふっ」
ライシアスは彼女を見た。
「何がおかしい?」
「いえ。ライシアス様が、こんなに真剣に白米についてお話しされるなんて」
「私も予想していなかった」
担当官が身を乗り出した。
「つまり、海鮮丼も選択肢に入るということで!」
「入らない」
「なぜです!」
「私が食べたいのはカレーライスだからだ」
カレリアが微笑んだ。
「私も、ライシアス様と一緒がいいですわ」
「そういうことだ」
担当官は頭を抱えた。
海鮮丼は料理として成立する。
しかし、婚約者の交換は成立しなかった。
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その頃、舞台裏では緊急会議が開かれていた。
興行担当官、舞踏会の主催者、商工局の職員、財務局の担当者が集まっている。
「どうだった!」
「失敗しました」
「なぜだ!」
「酢飯にカレーが合わないそうです」
「……何だと?」
「それと、普通の白米に寿司ネタを乗せると、海鮮丼になるそうです」
会議室が静まり返った。
財務局の担当者が口を開いた。
「つまり、何の話をしているんですか?」
「婚約者の交換です!」
「料理の話ではなく?」
「婚約者です!」
「……そうですか」
商工局の職員が書類を広げた。
「しかし、このままでは困ります」
「何がだ?」
「婚約破棄関連商品の在庫です」
机の上に、次々と商品が並べられた。
《婚約破棄記念菓子》
《悪役令嬢断罪応援旗》
《隣国王子による略奪記念絵葉書》
《婚約破棄成功祈願のお守り》
財務局の担当者が青ざめた。
「……いくら仕入れたんですか?」
「昨年の3倍です」
「なぜ?」
「今年は王太子殿下と隣国の王子がそろって出席するので」
「本人たちに婚約破棄の予定を確認しましたか?」
「していません」
「なぜ?」
「毎年、誰かが婚約破棄していましたので」
財務局の担当者は、ゆっくりと目を閉じた。
「……需要予測が雑すぎます」
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会場では、観客たちがまだ待ち続けていた。
「そろそろ婚約破棄が始まるのでは?」
「隣国の王子が動いたそうですわ」
「では、いよいよ!」
そのとき、シャリオンが再び壇上に立った。
隣にはネティア。
そして、ライシアスとカレリアも並んでいる。
4人がそろった。
会場がどよめいた。
「ついに!」
「婚約者の交換ですわ!」
「どちらが誰を選ぶのかしら!」
シャリオンが口を開いた。
「皆に報告がある」
会場が静まる。
「私とネティアは、予定どおり結婚する」
観客たちの表情が曇った。
続いてライシアスが口を開いた。
「私とカレリアも、予定どおり結婚する」
沈黙。
400人の観客が、再び固まった。
「……それだけ?」
「それだけだ」
「婚約破棄は?」
「しない」
「婚約者の交換は?」
「しない」
「隣国の王子による略奪は?」
「ない」
最前列の男性が立ち上がった。
「では、何のために4人も集まったのですか!」
シャリオンは答えた。
「卒業を祝うためだ」
ライシアスもうなずいた。
「そして、友人の結婚を祝福するためだ」
ネティアが微笑む。
「私たちは、それぞれの婚約者を大切にしております」
カレリアも続けた。
「どうか、温かく見守っていただければ幸いです」
会場が静まり返った。
しばらくして、後方から小さな拍手が起こった。
それが少しずつ広がっていく。
シャリオンはほっとした。
ようやく、普通の祝福が始まった。
そう思った、そのときだった。
「ですが!」
最前列の男性が叫んだ。
「シャリオン殿下とカレリア様なら、新しい味が生まれるかもしれません!」
シャリオンは即答した。
「試すなら料理人に頼んでくれ」
会場が静まり返った。
「私の結婚で試すな」
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翌朝。
王国中の新聞が、舞踏会の様子を報じた。
《王太子、婚約破棄せず》
《隣国の王子、令嬢を連れ去らず》
《公爵令嬢2人、ともに婚約継続》
《婚約者交換案、料理上の理由で却下》
最後の見出しについては、王宮から訂正が求められた。
《料理上の理由ではなく、本人たちの意思によるものです》
しかし、訂正記事はほとんど読まれなかった。
国民の関心は、すでに別の方向へ向かっていた。
《酢飯にカレーは本当に合わないのか》
《白米に寿司ネタを乗せるのは邪道なのか》
料理研究家たちが議論を始めたのである。
王宮には、試作品まで届けられた。
酢飯のカレー。
温かい白米の握り寿司。
どちらも、料理人たちが真剣に作ったものだった。
シャリオンは、それらを見て深いため息をついた。
「……なぜこうなった」
ネティアが微笑んだ。
「殿下が料理に例えたからでは?」
「……そうだったな」
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翌年の春。
シャリオンとネティアは、予定どおり結婚式を挙げた。
ライシアスとカレリアも、隣国で結婚式を挙げた。
どちらの式も滞りなく進んだ。
婚約破棄はなかった。
断罪もなかった。
略奪もなかった。
4人はそれぞれ、愛する相手と結ばれた。
ところが、王国の国民は納得しなかった。
「普通に結婚するなんて!」
「婚約破棄を期待していたのに!」
「せめて一度くらい、婚約者を交換してほしかった!」
ブーイングの嵐だった。
シャリオンは隣の妻を見た。
「……私たちは、何か間違えただろうか」
ネティアは微笑んだ。
「いいえ。何も間違っておりませんわ」
一方、隣国では。
ライシアスがカレリアに尋ねていた。
「今日の夕食は何がいい?」
「カレーライスはいかがでしょう」
「いいね」
2人は仲良く食卓についた。
その頃、シャリオンとネティアの食卓には、握り寿司が並んでいた。
どちらの夫婦も幸せだった。
なお、王国ではその後、婚約者の組み合わせについて新しい議論が始まった。
《婚約は、料理の相性で決めるべきなのか》
議会では、真剣な討論が行われた。
しかし、結論は出なかった。
なぜなら、議員たちの意見が割れたからである。
「酢飯にカレーは邪道だ!」
「いや、酢飯の酸味がカレーの油分をさっぱりさせる可能性がある!」
「では、甘口と辛口ではどうだ!」
「まず酢の配合から検証すべきだ!」
「白米に刺身なら海鮮丼ではないか!」
「それは寿司ではない!」
「では、酢飯を使った海鮮丼は寿司なのか!」
「海鮮丼だ!」
「いや、ちらし寿司では?」
議場は騒然となった。
議論は3日間続いた。
最終的に、議長がこう宣言した。
「……婚約の話に戻っていただけませんか」
料理研究家が立ち上がった。
「その前に、酢飯カレーの試食会を要求します!」
「ここは議会だ!」
「婚姻制度の将来がかかっております!」
「かかっていない!」
誰も議長の話を聞いていなかった。
王国の婚姻制度は、今日も平和だった。
料理界だけが、まだ揉めていた。




