無愛想な騎士様の胸に触れるのは治療のはずでした――治ったあとも「お前が近いと鼓動が速い」と言われています(akwm)
【あらすじ】
辺境の振動師カレンは、王宮騎士オスカルの凍りついた《心臓卵》を起こすため、彼の胸へ直接触れて生命振動を重ねることになる。何度も胸に耳を当てるうち、凍っていたのは心臓卵だけではなく、感情まで閉じ込めていたオスカル自身だと分かる。治療が終われば、触れる理由もなくなるはずだった。ところが治った彼は、自分からカレンの手を胸へ導く。
「胸に耳を当てろ」
初対面の男に言われて、カレンは聞き返した。
「……今、なんて?」
王宮騎士オスカルは眉一つ動かさない。
「俺が言ったんじゃない。治療条件だ」
机の上の診断書には、確かにそう書かれていた。
《心臓卵の凍結。外部振動に反応なし。共鳴体質の術者による直接接触を要す》
カレンは紙と男の胸を交互に見た。
「服の上から?」
「好きにしろ」
「では失礼します」
耳を当てた瞬間、聞こえた。
心臓ではない。
もっと奥。
氷の底で、ひとつだけ鳴ろうとしている音。
トン。
長い沈黙。
トン。
「起きようとしてる」
カレンが顔を上げると、オスカルは彼女を見下ろしていた。
「何が」
「あなたの命です」
*
治療は一度では終わらなかった。
毎日、カレンはオスカルの胸へ手を当てた。
最初は五分。
次は十分。
三回目には、凍っていた心臓卵が彼女の振動へ返事をした。
トン、トン。
その日、オスカルが初めてカレンの手首を掴んだ。
「離れるな」
「まだ離してません」
「そうか」
掴んだ本人の方が先に手を離した。
カレンは何も言わなかった。
ただ、次の施術日を手帳へ書いた。
*
四回目の施術で、カレンの振動が乱れた。
オスカルの心臓卵へ送り込んだ波が戻り、自分の胸まで震わせたからだ。
「止めろ」
「まだ届いてません」
「お前の顔色が悪い」
「治療中です」
「命令だ」
カレンは手を離した。
悔しくて俯くと、オスカルが低い声で言った。
「俺を起こすために、お前が消える必要はない」
「騎士様がそんなこと言うんですね」
「何だと思っていた」
「自分の命なら平気で捨てる人」
オスカルは黙った。
図星だった。
その日から、施術の終わりには必ず彼が聞いた。
「眩暈は」
「なし」
「息苦しさ」
「なし」
「手の震え」
「ありません」
「なら帰れ」
言葉は冷たいのに、最後まで見送った。
*
一ヶ月が経った頃、王宮の主席医術師エフィが経過診察に来た。
今度は長く滞在した。施術を観察し、カレンに詳しく質問し、心臓卵の状態を精密に診断した。その夜、三人で話し合いをした。
「進行は予想を上回っています」とエフィは言った。「凍結の三分の二が解けている。残りの核は、まだ深いところにあるが、カレンの共鳴が届き始めている」
「あとどのくらいかかる」とオスカルが聞いた。「わかりません。ただ、一つ問題があります」
エフィがカレンを見た。
「カレン、あなたの生命振動が、一ヶ月前より弱くなっている」
「……どのくらい」
「十五パーセント程度。通常の施術者なら、この程度は問題ない範囲です。でもあなたの共鳴施術は、消耗が通常より大きい。このまま続ければ、さらに弱くなる」
沈黙があった。
オスカルがカレンを見た。カレンはエフィを見た。
「止めるということですか」
「決めるのはあなたです。ただ、知っておくべきだと思って」
カレンは少し間を置いた。
「続けます」
「カレン」
「核まであと少しです。ここで止めたら、また元に戻るかもしれない。それより、早く終わらせた方がいい」
エフィが何か言おうとした。オスカルが先に口を開いた。
「お前が決めることなのか」
オスカルがカレンを見ていた。静かな声だったが、何かが含まれていた。
「……施術の方針は、術師が決めます」
「お前自身が消耗するなら、俺にも関係がある」
「依頼人には、術の詳細に口を出す権限はありません」
「そういう問題じゃない」
二人の視線がぶつかった。エフィが静かにお茶を飲んだ。
「……少し、施術の間隔を空けます」とカレンが言った。「毎日じゃなく、一日おきに。その代わり、続けます。それでいいですか」
オスカルは何も言わなかった。しばらく見てから、視線を外した。それが答えだった。
*
施術が一日おきになったことで、残りの日は時間ができた。
最初の休止日の翌朝、前日にやわらいでいた核の縁が、また硬く閉じていた。完全に元へ戻ったわけではない。それでも、止めれば凍結が進むことをカレンは初めて確かめた。
オスカルは村の周辺を歩くことが多くなった。カレンが時々一緒に歩いた。特に何かを話すわけではなく、ただ並んで歩いた。
ある日、川沿いを歩いていると、オスカルが止まった。
「この川、水が澄んでいる」
「辺境だから人が少なくて。上流に何もないので」
「王都の川は濁ってる」
「見たことないです」
「来れば見られる」
カレンは少し驚いた。何でもないような言い方だったが、それは「王都に来い」ということだった。
「……術が終わったら、行ってみたいです」
「案内する」
短く言って、オスカルはまた川を見た。
カレンは川を見た。水が、光を受けて揺れていた。
*
施術から六週間目、オスカルが珍しく先にカレンに話しかけた。
台に横になる前に、立ったまま言った。
「俺の話をしていいか」
「はい」
「聞いてくれるか」
「もちろん」
オスカルが台に腰かけた。いつも迷いなく横になるのに、今日は座ったまま話そうとしていた。
「三ヶ月前の任務は、山間部の討伐作戦だった。事前の情報と現地の状況が違っていた。俺は情報を信用して動いた。それが間違いだった」
カレンは黙って聞いた。
「五人が死んだ。二人は直属の部下だった。入隊したばかりの若い兵士も、二人いた。俺が違う判断をしていれば、死ななかった」
「……軍の調査で、過失なしとされたんですよね」
「された。情報の誤りは俺の責任ではないと。でも」
彼が止まった。
「俺は、情報に依存した。現地で確認すれば、おかしいと気づけたかもしれない。そうしなかったのは俺だ」
「……後悔しているんですね」
「後悔、という言葉では足りない」
カレンはオスカルを見た。彼は視線を床に落としていた。
「あなたは、自分を罰するために感情を閉じた」
オスカルが顔を上げた。
「……そう見えるか」
「振動からそう感じます。心臓卵の核は、罰の形をしている。自分を責めることで、痛みを感じないようにしている」
長い沈黙があった。
「……そうかもしれない」とオスカルが言った。「感じると、動けなくなる気がした。だから閉じた」
「感じても、動けますよ」とカレンは言った。「痛みを持ったまま、動ける。振動師から見ると、感情を閉じている人より、感じながら動いている人の方が、ずっと強い振動を持っている」
オスカルはしばらく何も言わなかった。
「……俺には、まだわからない」
「わかろうとしている。それで十分です」
カレンはそう言って、「始めましょう」と台を示した。
オスカルは、いつもより少しゆっくり横になった。
*
その日の施術で、カレンは核に触れた。
今までにない深さまで振動が届いた。心臓卵の最も硬い部分、三ヶ月分の罰と痛みが凝り固まった核に。
カレンは共鳴させた。全力で。
核が、揺れた。
揺れた瞬間、流れ込んできたものがあった。今まで感じたどれよりも大きかった。部下五人の顔。任務の夜。自分の判断を何度も繰り返し思い返す苦しみ。泣くことを許さない、自分への命令。それが全部、一度にカレンの中に入ってきた。
カレンは離れなかった。
痛い。重い。でも離れない。ここで離れたら、また核が閉じる。もう一回、触れる機会があるかどうか、わからない。
共鳴を保ち続けた。
どのくらいの時間だったか。一分か、五分か。やがて核が、少しだけやわらかくなった。硬い氷が、端から溶け始めるように。
カレンは離れた。
目を開けると、視界がぼやけていた。頭が重かった。体が、鉛のように感じた。
「カレン」
オスカルが起き上がった。カレンの顔を見た。
「大丈夫か」
「……大丈夫、です」
立とうとして、足がふらついた。オスカルが腕を掴んだ。素早かった。カレンが倒れる前に、支えていた。
「嘘をつくな」
「少し、消耗が大きかっただけです」
「もう終わりだ」
「でも、核に触れました。あと、もう少し」
「今日はここまでだ」
有無を言わせない声だった。カレンはそれ以上言えなかった。
オスカルはカレンを椅子に座らせ、水を持ってきた。何も言わなかった。ただ水を置いて、椅子の前に立っていた。
カレンは水を飲んだ。少し、頭が軽くなった。
「……ありがとうございます」
オスカルは返事をしなかった。その場も離れなかった。
*
エフィが次の診察に来たとき、表情が違った。
いつも穏やかな顔をしているが、この日は何かを懸念している顔だった。診察を終えて、オスカルが席を外したとき、エフィがカレンに言った。
「カレン、正直に教えてください。体の状態は」
「問題はないです」
「嘘をついてはいけません」
カレンは少し間を置いた。
「……朝、振動が乱れることが増えました。施術の前に整えるのに、時間がかかる」
「それは、自分の振動を制御できなくなり始めている、ということです」
「わかってます」
「これ以上進むと――」
「わかってます」
エフィが黙った。
「一度で終わらせます」とカレンは言った。「次の施術で、核を全部解く。そのためにどれだけ消耗するかは、わかりません。でも、長引かせる方が、私にとっても悪い」
「一度で全部解こうとすると、あなたへの負荷は今までの比ではないですよ」
「それでも、一度で終わらせる方がいい」
エフィは長い間、カレンを見ていた。
「……オスカルには、言いましたか」
「言いません。彼が心配すると、共鳴がうまくいかない」
「カレン」
「彼の心臓卵が目覚めることと、私の消耗は、別の問題です。私が決めます」
エフィは何も言わなかった。カップを置いた。
「……わかりました。ただ、限界が来たら、すぐに止めること。それだけ約束してください」
「わかりました」
*
施術の前夜、カレンは一人で庭に出た。
星が多い夜だった。辺境の村は光が少ないので、星がよく見える。子供の頃から好きな、この村の夜空。
足音がした。振り返ると、オスカルが立っていた。
「眠れないのか」と彼は言った。「少し、夜風が欲しくて」
オスカルが隣に立った。二人で星を見た。
「明日の施術で、終わりにするつもりだ」とオスカルが言った。カレンが彼を見た。「なぜ」
「エフィに聞いた」
カレンは少し黙った。
「……何を聞いたんですか」
「お前の振動が乱れていること。消耗が危険なレベルに近づいていること」
「エフィ先生が」
「俺が聞いた。彼女は答えた」
また星の沈黙があった。
「だから、明日で終わりにする。心臓卵がどうなろうと、お前が消耗する方が問題だ」
「……違います」とカレンは言った。「明日で終わりにするのは私が決めたことです。あなたが決めることじゃない」
「お前が決めるのか」
「術師が決めます」
「俺はお前に消耗してほしくない」
カレンは星から目を離し、オスカルを見た。
彼は星を見たままだった。表情は変わらない。ただ、声が少しだけいつもと違った。
「……それは、依頼人として言っていますか」
「違う」
一言だった。カレンは、それ以上聞かなかった。
カレンは星を見た。空が広かった。辺境の、光のない、広い空。
「核に届いたとき」とカレンは言った。「あなたの感情が、全部流れてきた。泣くのを止め続けている、あなたの痛みが。それを感じながら、私は思った。この人の心臓卵は、絶対に目覚めさせる、と」
オスカルが、カレンを見た。
「なぜ」
「わかりません。ただ、そう思った。術師の直感かもしれないし、違うかもしれない。でも――あなたの心臓卵が目覚めてほしい。ちゃんと振動してほしい。私が、そう思っている」
沈黙があった。長い沈黙だった。
「……俺も、お前に無事でいてほしい」とオスカルが言った。「それが同じ気持ちかどうかは、わからない。でも、言っておきたかった」
カレンは何も言わなかった。夜風が来て、髪が揺れた。
「明日、一度で終わらせます」とカレンは言った。「その後は、お互い無事で」
「……ああ」
ふたりはしばらく、星を見ていた。肩と肩が、ほんの少し近かった。
*
最後の施術は、朝から始めた。
エフィが立ち会った。オスカルが横になった。カレンが椅子を引いた。
深呼吸。心拍を整える。水面を鏡にする。
耳を当てた。
心臓卵が、すぐに反応した。今まで積み重ねてきた施術の結果、表面はほとんど溶けていた。
残るは核だけだ。でもその核は、まだ硬かった。三ヶ月分の罰が、最後まで残っている。
カレンは共鳴を始めた。
ゆっくりと、丁寧に。核の周波数を探した。かつて触れたことのある、あの振動。痛みの振動。
見つけた。
合わせた。
共鳴が始まった瞬間、カレンに流れ込んできたものがあった。部下の顔。あの夜の音。罪悪感と、それを閉じ込めようとする力と。でも今回は前と違った。核がやわらかくなっていた。
圧縮されていたものが、少しずつ、広がろうとしていた。
カレンはそれを受け取り続けた。
流れ込んでくるものが増えていく。カレンの体が重くなる。頭が揺れる。でも離れない。もう少し。もう少しだ。
核が、揺れた。
今までとは違う揺れ方だった。内側から、閉じ込められていたものが一気に広がろうとしていた。
カレンは全力で共鳴させた。
自分の振動の全部を、オスカルの心臓卵に向けた。
その瞬間、カレン自身の振動が乱れた。
エフィが「カレン」と叫ぶ声が聞こえた。遠かった。視界が白くなり始めた。体が、倒れようとしていた。
離れなければならない。手が動かなかった。
核が、割れた。
音はなかった。それでも確かに感じた。三ヶ月分の氷が砕け、心臓卵が三ヶ月ぶりに自分の力で振動し始めた。強く、明確に。
カレンは意識が遠のく中で、それを感じた。
目覚めた。
そう思った瞬間、誰かがカレンの手を掴んだ。
「消えるな」
オスカルの声だった。施術中に声を出すことは、今まで一度もなかった。でも今、彼が起き上がり、カレンの手を両手で掴んでいた。
「消えるな。カレン」
もう一度、言った。命令ではなかった。懇願だった。
カレンは、目を開けた。
オスカルが、カレンを見ていた。あの、感情のない目が、今は違った。何かが、その目の中にあった。ずっと閉じていたものが、開いていた。
「……大丈夫、です」とカレンは言った。「目覚めました。あなたの、心臓卵」
オスカルはカレンの手を放さなかった。
「俺のことより、お前の状態は」
「少し、消耗しました。でも、大丈夫です」
エフィが来て、カレンの脈を取った。「問題ない」と言った。「ただ、しばらく安静にしなさい」
カレンは頷いた。視界が少しずつ戻っていた。
オスカルがまだ、カレンの手を持っていた。気づいていないのかもしれなかった。それとも気づいていて、放さないのかもしれなかった。
カレンは答えず、ただ握られた手を見つめた。
手が、温かかった。
*
三日間、カレンは安静にしていた。
エフィは二日目まで滞在し、カレンの回復を確認してから王都に戻った。「振動は戻っている。本当に無茶をした」と言って、でも笑いながら去った。
オスカルは、戻らなかった。
「もう少しいる」と言った。カレンは「もう術は終わりましたよ」と言った。「知っている」彼の返事は短い。それ以上、理由は言わなかった。三日目の朝、カレンは自分で台所に立てるようになった。お茶を入れていると、オスカルが来た。向かいに座り、カレンが置いたカップを手に取った。今日は、飲んだ。カレンはそれを見て、なぜか少し嬉しかった。最初の日、彼はカップを受け取ったが飲まなかった。今は飲んでいる。それだけのことだが。「心臓卵の具合は」と彼女は聞いた。「よく振動している、とエフィが言っていた」
「よかった」
「お前のおかげだ」
「術師の仕事です」
「お前が選んだことだ。術師の仕事という言葉で、終わりにしたくない」
カレンはカップを持ったまま、オスカルを見た。
「……あの施術中、私の手を掴みましたね」
オスカルは少し間を置いた。
「ああ」
「なぜ」
「お前が消えそうだった」
「それで、なぜ手を」
「……掴まなければならない気がした。止めなければならない気がした」
カレンは窓を見た。外に光が入っていた。秋が深まっていた。
「あの施術で、あなたの心臓卵が目覚めたとき」とカレンは言った。「共鳴で、流れてきたものがあった。今まで閉じていたものが、一気に解けた感覚。三ヶ月分の、全部」
「……俺は」
「泣いてましたよ。共鳴の中で」
長い沈黙があった。
「……そうか」とオスカルは言った。「俺は気づかなかった」
「泣くことに気づかないくらい、閉じていた。でも心臓卵が目覚めたとき、ちゃんと泣けていた」
また沈黙。
「……よかった」とオスカルが言った。「泣けたなら」
カレンは彼を見た。今のその一言は、今まで聞いた中で一番オスカルらしくなく、同時に一番正直に聞こえた。
*
五日目、オスカルが出発することを告げた。
カレンは玄関先まで見送りに出た。馬が準備されていた。荷物が積まれていた。
「報酬は、追って送る」とオスカルは言った。「倍額でいいか」
「倍はいらないです」
「お前が消耗した分、報酬は増える。俺の基準だ」
「……わかりました」
オスカルが馬に乗った。手綱を持った。
「王都に来いという話、覚えているか」
「覚えてます」
「その気になったら、来てほしい。案内する」
「……いつでもいいですか」
「いつでも。待っている」
カレンは少し考えた。今、何かを言う必要があるか。
「オスカルさん」
「なんだ」
「心臓卵が目覚めたから、感情が出やすくなります。最初は慣れないかもしれないけれど――感じることが、あなたを弱くするわけじゃない。振動師として、保証します」
オスカルは馬の上で、カレンを見た。
「わかった」
短い返事だった。でも聞いた。
「行く」
馬が動き出した。カレンは見送った。
オスカルが角を曲がる直前、一度だけ振り返った。カレンは手を上げた。彼も、ほんのわずか、手を上げた。それだけだった。
それだけで、十分だった。
*
一週間後、カレンは振動師として仕事を再開した。
村人からの依頼。孵化しない卵。目覚めない種。いつもの仕事なのに、何かが違った。
卵を手に持ったとき、内側の振動を感じた。カレンの振動が、いつもより安定していた。乱れない。整っている。
雛が殻を破った瞬間、カレンの胸が跳ねた。それでも棚の花は揺れなかった。眠っていた鶏も跳び起きない。感情が動いても、自分の振動は外へ漏れていなかった。
不思議だった。消耗したはずなのに、振動が安定している。
夜、一人で考えた。共鳴施術で消耗したのは確かだ。同時に、オスカルの心臓卵と深く共鳴したことで、カレン自身の振動も変わったのかもしれない。深い共鳴は、相手だけでなく、術師自身も変える。そういうことが、ある。
オスカルの振動の記憶が、まだカレンの中にあった。
罪悪感と、閉じることと、それでも起きようとしていた命の振動。
カレンはそれを、大切に持っていた。
*
一か月後。
王都の橋の上で、オスカルはもう治療を必要としていなかった。
心臓卵は自力で動く。
カレンが触れる理由もない。
「では、私は村へ戻ります」
「……わかった。待つ」
「何を?」
オスカルは答えず、右手を差し出した。
「手を貸せ」
カレンが手を乗せると、彼はその手を自分の胸へ導いた。
服越しに、鼓動が伝わる。
トン、トン、トン。
治療中より速い。
「今日は施術じゃないですよ」
「知っている」
「聞かせる必要もありません」
「それも知っている」
「では、なぜ」
オスカルは視線を川へ逃がした。
耳が赤い。
「治ったはずなのに、お前が近いと速くなる」
カレンは指先へ意識を集めた。
確かに速い。
「異常ではありません」
「診断できるのか」
「はい」
「何だ」
カレンは笑った。
「たぶん、恋です」
オスカルがようやく彼女を見た。
「治るのか」
「治したいんですか?」
長い沈黙。
オスカルはカレンの手を胸に置いたまま、首を横に振った。
「いや」
橋の下を水が流れた。
その日から、カレンが彼の胸に触れるのは治療ではなくなった。
了




