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無愛想な騎士様の胸に触れるのは治療のはずでした――治ったあとも「お前が近いと鼓動が速い」と言われています(akwm)

掲載日:2026/09/21

【あらすじ】

辺境の振動師カレンは、王宮騎士オスカルの凍りついた《心臓卵》を起こすため、彼の胸へ直接触れて生命振動を重ねることになる。何度も胸に耳を当てるうち、凍っていたのは心臓卵だけではなく、感情まで閉じ込めていたオスカル自身だと分かる。治療が終われば、触れる理由もなくなるはずだった。ところが治った彼は、自分からカレンの手を胸へ導く。


「胸に耳を当てろ」

初対面の男に言われて、カレンは聞き返した。

「……今、なんて?」

王宮騎士オスカルは眉一つ動かさない。

「俺が言ったんじゃない。治療条件だ」

机の上の診断書には、確かにそう書かれていた。

《心臓卵の凍結。外部振動に反応なし。共鳴体質の術者による直接接触を要す》

カレンは紙と男の胸を交互に見た。

「服の上から?」

「好きにしろ」

「では失礼します」

耳を当てた瞬間、聞こえた。

心臓ではない。

もっと奥。

氷の底で、ひとつだけ鳴ろうとしている音。

トン。

長い沈黙。

トン。

「起きようとしてる」

カレンが顔を上げると、オスカルは彼女を見下ろしていた。

「何が」

「あなたの命です」

*

治療は一度では終わらなかった。

毎日、カレンはオスカルの胸へ手を当てた。

最初は五分。

次は十分。

三回目には、凍っていた心臓卵が彼女の振動へ返事をした。

トン、トン。

その日、オスカルが初めてカレンの手首を掴んだ。

「離れるな」

「まだ離してません」

「そうか」

掴んだ本人の方が先に手を離した。

カレンは何も言わなかった。

ただ、次の施術日を手帳へ書いた。

*

四回目の施術で、カレンの振動が乱れた。

オスカルの心臓卵へ送り込んだ波が戻り、自分の胸まで震わせたからだ。

「止めろ」

「まだ届いてません」

「お前の顔色が悪い」

「治療中です」

「命令だ」

カレンは手を離した。

悔しくて俯くと、オスカルが低い声で言った。

「俺を起こすために、お前が消える必要はない」

「騎士様がそんなこと言うんですね」

「何だと思っていた」

「自分の命なら平気で捨てる人」

オスカルは黙った。

図星だった。

その日から、施術の終わりには必ず彼が聞いた。

「眩暈は」

「なし」

「息苦しさ」

「なし」

「手の震え」

「ありません」

「なら帰れ」

言葉は冷たいのに、最後まで見送った。

*

一ヶ月が経った頃、王宮の主席医術師エフィが経過診察に来た。

今度は長く滞在した。施術を観察し、カレンに詳しく質問し、心臓卵の状態を精密に診断した。その夜、三人で話し合いをした。

「進行は予想を上回っています」とエフィは言った。「凍結の三分の二が解けている。残りの核は、まだ深いところにあるが、カレンの共鳴が届き始めている」

「あとどのくらいかかる」とオスカルが聞いた。「わかりません。ただ、一つ問題があります」

エフィがカレンを見た。

「カレン、あなたの生命振動が、一ヶ月前より弱くなっている」

「……どのくらい」

「十五パーセント程度。通常の施術者なら、この程度は問題ない範囲です。でもあなたの共鳴施術は、消耗が通常より大きい。このまま続ければ、さらに弱くなる」

沈黙があった。

オスカルがカレンを見た。カレンはエフィを見た。

「止めるということですか」

「決めるのはあなたです。ただ、知っておくべきだと思って」

カレンは少し間を置いた。

「続けます」

「カレン」

「核まであと少しです。ここで止めたら、また元に戻るかもしれない。それより、早く終わらせた方がいい」

エフィが何か言おうとした。オスカルが先に口を開いた。

「お前が決めることなのか」

オスカルがカレンを見ていた。静かな声だったが、何かが含まれていた。

「……施術の方針は、術師が決めます」

「お前自身が消耗するなら、俺にも関係がある」

「依頼人には、術の詳細に口を出す権限はありません」

「そういう問題じゃない」

二人の視線がぶつかった。エフィが静かにお茶を飲んだ。

「……少し、施術の間隔を空けます」とカレンが言った。「毎日じゃなく、一日おきに。その代わり、続けます。それでいいですか」

オスカルは何も言わなかった。しばらく見てから、視線を外した。それが答えだった。

*

施術が一日おきになったことで、残りの日は時間ができた。

最初の休止日の翌朝、前日にやわらいでいた核の縁が、また硬く閉じていた。完全に元へ戻ったわけではない。それでも、止めれば凍結が進むことをカレンは初めて確かめた。

オスカルは村の周辺を歩くことが多くなった。カレンが時々一緒に歩いた。特に何かを話すわけではなく、ただ並んで歩いた。

ある日、川沿いを歩いていると、オスカルが止まった。

「この川、水が澄んでいる」

「辺境だから人が少なくて。上流に何もないので」

「王都の川は濁ってる」

「見たことないです」

「来れば見られる」

カレンは少し驚いた。何でもないような言い方だったが、それは「王都に来い」ということだった。

「……術が終わったら、行ってみたいです」

「案内する」

短く言って、オスカルはまた川を見た。

カレンは川を見た。水が、光を受けて揺れていた。

*

施術から六週間目、オスカルが珍しく先にカレンに話しかけた。

台に横になる前に、立ったまま言った。

「俺の話をしていいか」

「はい」

「聞いてくれるか」

「もちろん」

オスカルが台に腰かけた。いつも迷いなく横になるのに、今日は座ったまま話そうとしていた。

「三ヶ月前の任務は、山間部の討伐作戦だった。事前の情報と現地の状況が違っていた。俺は情報を信用して動いた。それが間違いだった」

カレンは黙って聞いた。

「五人が死んだ。二人は直属の部下だった。入隊したばかりの若い兵士も、二人いた。俺が違う判断をしていれば、死ななかった」

「……軍の調査で、過失なしとされたんですよね」

「された。情報の誤りは俺の責任ではないと。でも」

彼が止まった。

「俺は、情報に依存した。現地で確認すれば、おかしいと気づけたかもしれない。そうしなかったのは俺だ」

「……後悔しているんですね」

「後悔、という言葉では足りない」

カレンはオスカルを見た。彼は視線を床に落としていた。

「あなたは、自分を罰するために感情を閉じた」

オスカルが顔を上げた。

「……そう見えるか」

「振動からそう感じます。心臓卵の核は、罰の形をしている。自分を責めることで、痛みを感じないようにしている」

長い沈黙があった。

「……そうかもしれない」とオスカルが言った。「感じると、動けなくなる気がした。だから閉じた」

「感じても、動けますよ」とカレンは言った。「痛みを持ったまま、動ける。振動師から見ると、感情を閉じている人より、感じながら動いている人の方が、ずっと強い振動を持っている」

オスカルはしばらく何も言わなかった。

「……俺には、まだわからない」

「わかろうとしている。それで十分です」

カレンはそう言って、「始めましょう」と台を示した。

オスカルは、いつもより少しゆっくり横になった。

*

その日の施術で、カレンは核に触れた。

今までにない深さまで振動が届いた。心臓卵の最も硬い部分、三ヶ月分の罰と痛みが凝り固まった核に。

カレンは共鳴させた。全力で。

核が、揺れた。

揺れた瞬間、流れ込んできたものがあった。今まで感じたどれよりも大きかった。部下五人の顔。任務の夜。自分の判断を何度も繰り返し思い返す苦しみ。泣くことを許さない、自分への命令。それが全部、一度にカレンの中に入ってきた。

カレンは離れなかった。

痛い。重い。でも離れない。ここで離れたら、また核が閉じる。もう一回、触れる機会があるかどうか、わからない。

共鳴を保ち続けた。

どのくらいの時間だったか。一分か、五分か。やがて核が、少しだけやわらかくなった。硬い氷が、端から溶け始めるように。

カレンは離れた。

目を開けると、視界がぼやけていた。頭が重かった。体が、鉛のように感じた。

「カレン」

オスカルが起き上がった。カレンの顔を見た。

「大丈夫か」

「……大丈夫、です」

立とうとして、足がふらついた。オスカルが腕を掴んだ。素早かった。カレンが倒れる前に、支えていた。

「嘘をつくな」

「少し、消耗が大きかっただけです」

「もう終わりだ」

「でも、核に触れました。あと、もう少し」

「今日はここまでだ」

有無を言わせない声だった。カレンはそれ以上言えなかった。

オスカルはカレンを椅子に座らせ、水を持ってきた。何も言わなかった。ただ水を置いて、椅子の前に立っていた。

カレンは水を飲んだ。少し、頭が軽くなった。

「……ありがとうございます」

オスカルは返事をしなかった。その場も離れなかった。

*

エフィが次の診察に来たとき、表情が違った。

いつも穏やかな顔をしているが、この日は何かを懸念している顔だった。診察を終えて、オスカルが席を外したとき、エフィがカレンに言った。

「カレン、正直に教えてください。体の状態は」

「問題はないです」

「嘘をついてはいけません」

カレンは少し間を置いた。

「……朝、振動が乱れることが増えました。施術の前に整えるのに、時間がかかる」

「それは、自分の振動を制御できなくなり始めている、ということです」

「わかってます」

「これ以上進むと――」

「わかってます」

エフィが黙った。

「一度で終わらせます」とカレンは言った。「次の施術で、核を全部解く。そのためにどれだけ消耗するかは、わかりません。でも、長引かせる方が、私にとっても悪い」

「一度で全部解こうとすると、あなたへの負荷は今までの比ではないですよ」

「それでも、一度で終わらせる方がいい」

エフィは長い間、カレンを見ていた。

「……オスカルには、言いましたか」

「言いません。彼が心配すると、共鳴がうまくいかない」

「カレン」

「彼の心臓卵が目覚めることと、私の消耗は、別の問題です。私が決めます」

エフィは何も言わなかった。カップを置いた。

「……わかりました。ただ、限界が来たら、すぐに止めること。それだけ約束してください」

「わかりました」

*

施術の前夜、カレンは一人で庭に出た。

星が多い夜だった。辺境の村は光が少ないので、星がよく見える。子供の頃から好きな、この村の夜空。

足音がした。振り返ると、オスカルが立っていた。

「眠れないのか」と彼は言った。「少し、夜風が欲しくて」

オスカルが隣に立った。二人で星を見た。

「明日の施術で、終わりにするつもりだ」とオスカルが言った。カレンが彼を見た。「なぜ」

「エフィに聞いた」

カレンは少し黙った。

「……何を聞いたんですか」

「お前の振動が乱れていること。消耗が危険なレベルに近づいていること」

「エフィ先生が」

「俺が聞いた。彼女は答えた」

また星の沈黙があった。

「だから、明日で終わりにする。心臓卵がどうなろうと、お前が消耗する方が問題だ」

「……違います」とカレンは言った。「明日で終わりにするのは私が決めたことです。あなたが決めることじゃない」

「お前が決めるのか」

「術師が決めます」

「俺はお前に消耗してほしくない」

カレンは星から目を離し、オスカルを見た。

彼は星を見たままだった。表情は変わらない。ただ、声が少しだけいつもと違った。

「……それは、依頼人として言っていますか」

「違う」

一言だった。カレンは、それ以上聞かなかった。

カレンは星を見た。空が広かった。辺境の、光のない、広い空。

「核に届いたとき」とカレンは言った。「あなたの感情が、全部流れてきた。泣くのを止め続けている、あなたの痛みが。それを感じながら、私は思った。この人の心臓卵は、絶対に目覚めさせる、と」

オスカルが、カレンを見た。

「なぜ」

「わかりません。ただ、そう思った。術師の直感かもしれないし、違うかもしれない。でも――あなたの心臓卵が目覚めてほしい。ちゃんと振動してほしい。私が、そう思っている」

沈黙があった。長い沈黙だった。

「……俺も、お前に無事でいてほしい」とオスカルが言った。「それが同じ気持ちかどうかは、わからない。でも、言っておきたかった」

カレンは何も言わなかった。夜風が来て、髪が揺れた。

「明日、一度で終わらせます」とカレンは言った。「その後は、お互い無事で」

「……ああ」

ふたりはしばらく、星を見ていた。肩と肩が、ほんの少し近かった。

*

最後の施術は、朝から始めた。

エフィが立ち会った。オスカルが横になった。カレンが椅子を引いた。

深呼吸。心拍を整える。水面を鏡にする。

耳を当てた。

心臓卵が、すぐに反応した。今まで積み重ねてきた施術の結果、表面はほとんど溶けていた。

残るは核だけだ。でもその核は、まだ硬かった。三ヶ月分の罰が、最後まで残っている。

カレンは共鳴を始めた。

ゆっくりと、丁寧に。核の周波数を探した。かつて触れたことのある、あの振動。痛みの振動。

見つけた。

合わせた。

共鳴が始まった瞬間、カレンに流れ込んできたものがあった。部下の顔。あの夜の音。罪悪感と、それを閉じ込めようとする力と。でも今回は前と違った。核がやわらかくなっていた。

圧縮されていたものが、少しずつ、広がろうとしていた。

カレンはそれを受け取り続けた。

流れ込んでくるものが増えていく。カレンの体が重くなる。頭が揺れる。でも離れない。もう少し。もう少しだ。

核が、揺れた。

今までとは違う揺れ方だった。内側から、閉じ込められていたものが一気に広がろうとしていた。

カレンは全力で共鳴させた。

自分の振動の全部を、オスカルの心臓卵に向けた。

その瞬間、カレン自身の振動が乱れた。

エフィが「カレン」と叫ぶ声が聞こえた。遠かった。視界が白くなり始めた。体が、倒れようとしていた。

離れなければならない。手が動かなかった。

核が、割れた。

音はなかった。それでも確かに感じた。三ヶ月分の氷が砕け、心臓卵が三ヶ月ぶりに自分の力で振動し始めた。強く、明確に。

カレンは意識が遠のく中で、それを感じた。

目覚めた。

そう思った瞬間、誰かがカレンの手を掴んだ。

「消えるな」

オスカルの声だった。施術中に声を出すことは、今まで一度もなかった。でも今、彼が起き上がり、カレンの手を両手で掴んでいた。

「消えるな。カレン」

もう一度、言った。命令ではなかった。懇願だった。

カレンは、目を開けた。

オスカルが、カレンを見ていた。あの、感情のない目が、今は違った。何かが、その目の中にあった。ずっと閉じていたものが、開いていた。

「……大丈夫、です」とカレンは言った。「目覚めました。あなたの、心臓卵」

オスカルはカレンの手を放さなかった。

「俺のことより、お前の状態は」

「少し、消耗しました。でも、大丈夫です」

エフィが来て、カレンの脈を取った。「問題ない」と言った。「ただ、しばらく安静にしなさい」

カレンは頷いた。視界が少しずつ戻っていた。

オスカルがまだ、カレンの手を持っていた。気づいていないのかもしれなかった。それとも気づいていて、放さないのかもしれなかった。

カレンは答えず、ただ握られた手を見つめた。

手が、温かかった。

*

三日間、カレンは安静にしていた。

エフィは二日目まで滞在し、カレンの回復を確認してから王都に戻った。「振動は戻っている。本当に無茶をした」と言って、でも笑いながら去った。

オスカルは、戻らなかった。

「もう少しいる」と言った。カレンは「もう術は終わりましたよ」と言った。「知っている」彼の返事は短い。それ以上、理由は言わなかった。三日目の朝、カレンは自分で台所に立てるようになった。お茶を入れていると、オスカルが来た。向かいに座り、カレンが置いたカップを手に取った。今日は、飲んだ。カレンはそれを見て、なぜか少し嬉しかった。最初の日、彼はカップを受け取ったが飲まなかった。今は飲んでいる。それだけのことだが。「心臓卵の具合は」と彼女は聞いた。「よく振動している、とエフィが言っていた」

「よかった」

「お前のおかげだ」

「術師の仕事です」

「お前が選んだことだ。術師の仕事という言葉で、終わりにしたくない」

カレンはカップを持ったまま、オスカルを見た。

「……あの施術中、私の手を掴みましたね」

オスカルは少し間を置いた。

「ああ」

「なぜ」

「お前が消えそうだった」

「それで、なぜ手を」

「……掴まなければならない気がした。止めなければならない気がした」

カレンは窓を見た。外に光が入っていた。秋が深まっていた。

「あの施術で、あなたの心臓卵が目覚めたとき」とカレンは言った。「共鳴で、流れてきたものがあった。今まで閉じていたものが、一気に解けた感覚。三ヶ月分の、全部」

「……俺は」

「泣いてましたよ。共鳴の中で」

長い沈黙があった。

「……そうか」とオスカルは言った。「俺は気づかなかった」

「泣くことに気づかないくらい、閉じていた。でも心臓卵が目覚めたとき、ちゃんと泣けていた」

また沈黙。

「……よかった」とオスカルが言った。「泣けたなら」

カレンは彼を見た。今のその一言は、今まで聞いた中で一番オスカルらしくなく、同時に一番正直に聞こえた。

*

五日目、オスカルが出発することを告げた。

カレンは玄関先まで見送りに出た。馬が準備されていた。荷物が積まれていた。

「報酬は、追って送る」とオスカルは言った。「倍額でいいか」

「倍はいらないです」

「お前が消耗した分、報酬は増える。俺の基準だ」

「……わかりました」

オスカルが馬に乗った。手綱を持った。

「王都に来いという話、覚えているか」

「覚えてます」

「その気になったら、来てほしい。案内する」

「……いつでもいいですか」

「いつでも。待っている」

カレンは少し考えた。今、何かを言う必要があるか。

「オスカルさん」

「なんだ」

「心臓卵が目覚めたから、感情が出やすくなります。最初は慣れないかもしれないけれど――感じることが、あなたを弱くするわけじゃない。振動師として、保証します」

オスカルは馬の上で、カレンを見た。

「わかった」

短い返事だった。でも聞いた。

「行く」

馬が動き出した。カレンは見送った。

オスカルが角を曲がる直前、一度だけ振り返った。カレンは手を上げた。彼も、ほんのわずか、手を上げた。それだけだった。

それだけで、十分だった。

*

一週間後、カレンは振動師として仕事を再開した。

村人からの依頼。孵化しない卵。目覚めない種。いつもの仕事なのに、何かが違った。

卵を手に持ったとき、内側の振動を感じた。カレンの振動が、いつもより安定していた。乱れない。整っている。

雛が殻を破った瞬間、カレンの胸が跳ねた。それでも棚の花は揺れなかった。眠っていた鶏も跳び起きない。感情が動いても、自分の振動は外へ漏れていなかった。

不思議だった。消耗したはずなのに、振動が安定している。

夜、一人で考えた。共鳴施術で消耗したのは確かだ。同時に、オスカルの心臓卵と深く共鳴したことで、カレン自身の振動も変わったのかもしれない。深い共鳴は、相手だけでなく、術師自身も変える。そういうことが、ある。

オスカルの振動の記憶が、まだカレンの中にあった。

罪悪感と、閉じることと、それでも起きようとしていた命の振動。

カレンはそれを、大切に持っていた。

*

一か月後。

王都の橋の上で、オスカルはもう治療を必要としていなかった。

心臓卵は自力で動く。

カレンが触れる理由もない。

「では、私は村へ戻ります」

「……わかった。待つ」

「何を?」

オスカルは答えず、右手を差し出した。

「手を貸せ」

カレンが手を乗せると、彼はその手を自分の胸へ導いた。

服越しに、鼓動が伝わる。

トン、トン、トン。

治療中より速い。

「今日は施術じゃないですよ」

「知っている」

「聞かせる必要もありません」

「それも知っている」

「では、なぜ」

オスカルは視線を川へ逃がした。

耳が赤い。

「治ったはずなのに、お前が近いと速くなる」

カレンは指先へ意識を集めた。

確かに速い。

「異常ではありません」

「診断できるのか」

「はい」

「何だ」

カレンは笑った。

「たぶん、恋です」

オスカルがようやく彼女を見た。

「治るのか」

「治したいんですか?」

長い沈黙。

オスカルはカレンの手を胸に置いたまま、首を横に振った。

「いや」

橋の下を水が流れた。

その日から、カレンが彼の胸に触れるのは治療ではなくなった。

了



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