家の帰り方
それは唐突に前兆も前触れもなく私の中で起こった。
家の帰り道が分からない。
説明するのは難しい。私は朝に普段通り問題なく会社に通勤した。いつも通りに仕事を行いいつも通りに退勤した。
その瞬間に何かが私の中から滑り落ちていくのを感じた。脳髄から、今まで当然のようにそこに存在したはずの何かが、跡形もなく消え去ったかのような、悍ましい感覚。
そして疑問に思った。
家はどこにあった?
どう帰っていた?
そもそも歩きなのか自転車なのか公共交通機関を利用していたのか
全く覚えがない記憶がない分からない。
これは困った。どうやって家に辿り着けばいい?
そういえばスマートフォンのアプリには私の足跡を見ることができる機能があった。それを使えば分かるはずだ。
おかしい。これは本当にまずいかもしれない。
アプリの使い方がわからない。
どこをどう押せば起動するのかどうすれば足跡を追えるのかわからない。
画面に表示されるアイコンや文字が、まるで意味不明な記号の羅列に見えた。指先が震え、スマホを落としそうになる。
一度スマホを閉じて目を瞑って考える。いったい私に何が起きた?
仕事の疲れが祟ったのか一時的なものなのか全く皆目見当もつかない。家の形を思い出そうとしても思い出せない。まるで最初から頭に無かったかのように痕跡すら残さずに私の記憶から消えた。存在しない記憶を辿ろうとするたび、頭の中に空虚な、冷たい空間が広がる。
そうだ、家族に電話をして聞けば良い。そうすれば
景色が反転して鳥肌がたった。
スマホのパスワードがわからない。家族の電話番号も分からない。いや、そもそも「家族」という言葉が、まるで遠い異国の言葉のように、私の心に響かない。
何もかもが私を変にさせた。先ほどまでできていたはず、覚えていたはずなのに何も思い出せない。自分の存在そのものが、薄い霧の中に溶け出して消え去っていくような感覚。
呼吸が変になり、頭が吹っ飛んでいきそうな混乱が私を襲った。喉の奥から、乾いたヒューヒューという音が漏れる。街の喧騒が、遠く、歪んで聞こえ、まるで深海の底にいるかのようだ。
思い出せ、思い出せ、私は問題なく生きていたはず。頭におかしい部分などなかったはず。
だが、何をしてもどうやっても思い出せない。そもそも家族がいたかも怪しい。
私は、誰だ?
ここは、どこだ?
何のために、ここにいる?
会社のことも思い出せない。今日私は仕事をしていたのか? 私はなぜここにいる? 足元のコンクリートが、まるで私を飲み込もうとしているかのように、歪んで見える。
その時、ポケットの中でスマホが震えた。耳元に当てると、ひどく掠れた、だがどこか聞き覚えのある声が聞こえた。それはまるで、遠い記憶の残骸から呼び覚まされたような、不気味な響きだった。
「




