40 一緒に生きる
ロイはフィルヴェントに抱えてもらい、私も一緒に下界におりた。
ロイの指示で、ロイの部屋のバルコニーに降り立ち、フィルヴェントはひらりと手を振って再び飛んでいく。
「アリア」
飛び去ったフィルヴェントを見送っていると声をかけられたので振り向く。見慣れた無表情の顔が、私のことをじっと見ていた。
「本当に私と一緒に生きてくれるんだね」
「……うん」
「……抱きしめてもいい?」
こくんと頷くと、ロイはゆっくり動いて私のことを抱きしめた。少し強く感じるくらいしっかり抱きしめられ、私もロイの背中に手を回した。
「……嬉しい。凄く嬉しい」
隣から聞こえる声が本当に嬉しそうな声色をしている。
「…私は、ロイが私に向けてくれる感情と、全く同じものを返せる自信はないの。…でも、あなたと一緒に生きていきたいと思った。……私と一緒に、生きてくれる?」
「勿論だよ。…むしろ、離れたいって言われても離してあげられないから、覚悟してね」
ぎゅっ、と抱きしめる腕が強くなる。その行動にロイの気持ちが現れている気がする。
あれだけ信じられなかったのに、いざ信じるととても強い気持ちを感じるから不思議なものだ。
「一緒に生きよう、アリア」
「……うん」
それから私達はしばらくその場で抱き合っていた。
少しして我に返った私が、まだこのままでいたいと駄々を捏ねるロイを引きずって、ロイを待つ人たちの所へ連れていった。
するとロイは当たり前のように私を紹介してくれて、書類やらなんやらを書いて私は正式にロイの婚約者になった。
私が天使であることはロイの障害にならないのだろうかと不安だったけど、そんなことは全くなく、ここにいるロイの仲間たちも快く受け入れてくれた。
ロイの家族には後日直接挨拶に向かうつもりだが、ロイが天使と結婚したいという気持ちはもう伝えてあるらしく、反対どころか歓迎のムードらしい。安心した。
そして私はファンダート領の聖女と正式に任命され、元ファンダート王国の聖女はその任を解かれた。
するとやっぱり、元聖女は怒りを顕にした。
「この女が嘘をついているんです!私はれっきとした聖女です!この女は偽物だと神は仰ってます!」
元ファンダート王国の聖女として活動していた女性が、聖女の任を解かれるのを激しく拒否している。
そして新しく聖女になった私を罵倒しているのだ。
私が天使だというのは殆どの人が知ってるのに、よくそんなこと言えるな、と思う。それと、主の言葉を勝手に作らないで欲しい。気分が悪い。
「私は神に拝見して直接聞いたんだ。それにアリアは天使だ。何よりの証拠だと思うが?」
「天使なんて、自分で言ってるだけじゃないですか!ただの人間のくせに…!」
ロイが言っても聞く素振りを見せず、喚き散らしている。それを見たロイの空気がどんどん冷えていく。元聖女に向ける目も鋭いものに変わっている。
これは怒ってるな。
多分、私を馬鹿にされて怒ってるのだろう。
私はスっ、と元聖女の目の前に立つと、羽を広げた。ふぁさ、と音を立てて大きく開いた私の羽を、彼女は目を大きく見開いて固まる。
「私はこの通り天使です。お分かりいただけました?」
「………っ!」
彼女は何も言えなくなって口を噤む。少し悔しそうにも見えるが、それ以上何か言うことは無さそうだ。
そしてそのまま騎士に連れて行かれるのを見届けていると、折りたたんだ羽が触られる感覚がした。
この触り方は知ってるし、私の羽を触っていいのは1人しかいない。
ロイが私の羽を撫でながら、不機嫌そうな顔をしていた。
「……なんであんな奴のために、羽見せたの」
「その方が穏便かなって。あとロイも怒ってるみたいだったし」
「そりゃ怒るよ。アリアのことを馬鹿にされて怒らないわけないでしょ」
やっぱりそうだった。怒ってた理由はあってたみたい。
でもその不機嫌の理由は分からない。羽を見せたのが嫌だったんだろうか。
「無闇矢鱈に羽を見せないで」
「なんで?」
「美しいから。余計な虫が寄ってくるでしょ」
……なるほど?分かったような分からないような?
羽が生えるだけでそんなに変わるものかと思うけど、ロイからしたら結構違うみたいだ。
それに私は天使なんて死なない化け物のようだと思ってるんだけど、ロイの言い方では天使でも気にせず寄ってくる人がいるみたいだ。
「分かった。緊急の時以外は見せないようにする。使いたい時は気配を消すよ」
「…うん、ありがとう」
しゅっ、と羽を消すと、体だけになった私をロイが抱きしめた。少しほっとしたような顔で私に抱きついている。
以前の私なら、そんなの知らない、勝手にやってやるって反抗したんだろうけど、今はしない。
ロイが嫌がるのなら、なるべくしたくないと思う。特に何か大事なことに関わってるものでも無いし。
最近増えてきた自然なロイの笑顔をなるべく見たい。そう思って行動し始めてしまったらそれはやっぱり恋なんだろうか。
「はぁ、落ち着いた。じゃあ行こう、アリア」
そんなことを考えていると、ロイに手を差し出された。その手を取って、私たちは歩き出した。
そういえばロイはよく手を繋ぎたがる。少しの移動でも手を繋ぐし、一緒にソファでのんびりしてる時も手を繋ぎたがるんだよな。
そんなに手を繋ぐのが好きなんだろうか。
「ロイは手を繋ぐのが好きなの?」
「ん?…私がよくアリアの手を取るから?」
「うん」
自分でも頻度が多いことは分かってたみたいだ。
私の手を繋ぐロイが、手の力を少し強めた。
「特別手を繋ぐことが好きな訳では無いけど…。こうしていれば、アリアが勝手に飛んでいかないような気がして、少しだけ安心するんだよね」
え。びっくりした。思わず面食らった。
私が飛んでいかないか心配してるの、ロイは。
それって多分、天界に遊びに行ってくるね!って飛んでいく、とは違うよね?
「私が、ロイの意志を無視して飛んでいくのが不安なの?」
「そうだよ。アリアに飛ばれちゃうと、私は何も出来ないからね。かといってその翼をもぐことも縛り付けることも出来ないから。…こうして手を繋いでいれば、阻止できるかなって」
…確かに翼をもがれてもすぐに再生するし、縛られたら自分で切り落とすまで。
それが分かってるからロイはそれを選ばずに、自分の手で私を引き留めようとしているのか。
「勝手に飛んでいったりしないよ。私はロイと生きると決めたから、ロイから離れようとはしない」
「アリアが約束を破る人ではないのは分かってるよ。……でもどうしても不安でね。アリアが嫌じゃなければ、これからも手を繋いでいい?」
「もちろん」
全然嫌じゃない。それくらいでロイの不安が少しでも無くなるなら安いものだ。それ以外に私がその不安を払拭してあげることは出来そうにないから。
「殿下、お戻りですか。アリストリーゼ様も」
「今戻った」
ロイの執務室に一緒に戻ると、ロイの部下は私も一緒に笑顔で迎え入れてくれた。まぁロイが手を離そうとしないから、離れたくとも無理なんだけど。
そのままロイに手を引かれて、執務室のソファに座らされる。ロイも隣に座って、私の手をずっと握っている。
「……殿下」
「なんだ」
「…………仕事をしてもらえると…」
「…はぁ」
執務室の机で仕事している部下のひとりが、呆れた顔でロイに声をかける。それを聞いてロイはため息をついてようやく私の手を離した。
「アリア、ここにいて。すぐ終わらせるから」
「うん、分かった」
私がここにいるのは邪魔でしかないような気もするけど。
まぁ静かにしてればいいかな?
ロイが自分の机に戻り、部下から回された書類に目をやり、なにやら書いたり判子を押したりしている。
うーん…なんだか偉い人っぽい。
のんびりロイの仕事の様子を眺めていると、頭の中に主の声が響いた。
『アリストリーゼ。言い忘れたんだが』
『なんでしょう』
『新しい結界石が必要なら贈るが、どうする』
主の声に耳を傾けて、私も主に声を届けるために目をつぶって集中した。
新しい結界石…。そうだよね、この土地には今結界石はひとつもない状態で、至る所に魔物が出現してる状態だもんね。
『ロイに聞いてからでもいいですか』
『勿論だとも。必要なら個数まで教えてくれ』
『ありがとうございます』
主の声が聞こえなくなり、目を開けて私は再びロイに目線をやる。忙しそうに書類を捌いているけど、声をかけてもいいだろうか。
そわそわと様子を伺ってると、ロイがこちらを見た。
「どうしたの、アリア」
「あ、ごめんね。ちょっと聞きたいことあるんだけどいいかな」
「うん、いいよ」
私がロイに用があることなんてお見通しのようで、ロイはすぐに書類を机の端に寄せて私の隣に来た。
そして私の手を握って、私の顔を伺っている。
「結界石をね、新しいのいるかって聞かれたんだけど」
「……それは、神に?」
「うん」
気の抜けた顔をしていたロイがきりっ、と顔に力を入れる。まぁそうなるよね。主からのお言葉だもんね。
「……それはこちらが決めていいの?」
「どうするって聞かれたから、こっちが決めていいんだと思うよ。個数も教えてくれって」
「……恐れ多いね、それは」
ロイは困った顔をして苦笑いをした。
ロイは神を信じたくないと言っていたし、頼りたくもないとも言っていた。だからこそどう答えるべきか悩むんだろう。
「そうだな…慈悲を下さるというのであれば、いただこう」
「いくつもらう?」
「ひとつで充分だね」
満足そうな顔で言うから、ロイはやっぱり主に頼ろうとしないんだな、と思って嬉しく感じてしまう。
それがロイなりの主への信仰心なのだから。
「分かった、そう言ってみるね」
「うん、頼むよ」
私はロイに手を繋がれたまま目をつぶる。そして集中して主に呼びかけた。
主はすぐに反応してくれて、私は主にひとつだけ下さいと頼む。
『なんだ、ひとつだけか。欲のない人間だな』
主が少しつまらなそうな声でそう言う。
『まぁいい。明日あたり天使を寄越すから、受け取ってくれ』
『ありがとうございます』
『これくらいどうってことない。娘の住む土地が平和であるよう願うのは当たり前のことだ』
主の優しい声を最後に、私はゆっくり目をあける。目を開けてすぐに見えたのは私の手を握るロイの手。
ロイの手からゆっくりロイに目線を向けると、彼は少し心配そうな顔で私を見ていた。
「…私どっか行きそうに見える?」
「…少しだけ。ごめんね、信じてないわけじゃないんだけど」
「大丈夫、ここにいるよ」
安心させるようにロイの手にもう片方の私の手を重ねる。
大丈夫、私はもうロイに何も言わずに去ったりはしない。
ロイが少し息を吐いて体の力を緩めると、私に柔らかい表情を向けた。
「………うん、ありがとう。それで、神はなんと仰っていた?」
「明日あたり天使を寄越すって言ってたよ。あとロイが欲が無くてつまらないって」
「はは、そう見えるのかな」
ロイが少し笑みを浮かべる。うん、やっぱり自然な笑顔だ。少しずつだけどロイの自然な笑顔が見れて嬉しい。
そう思ってると、ロイが繋いでる私の手を、開いてるロイの片手でそっと撫でる。
「私は1番欲しかったものを手に入れたから、他はそんなに必要ないんだ」
「1番欲しかったもの?」
「そこで首を傾げるの?君のことだよ、アリア」
あ、私のことですか。
「神の大切な天使を頂いたんだ。それ以上に望むことは無いよ」
うん、とロイはひとりでに頷いている。満足そうな顔をしている。
他にいらないくらい、私のことを求めてくれていたのか。なんか嬉しいな。私個人を求めてくれるのは、嬉しいかもしれない。
「あれ、もしかして喜んでる?アリアが私の言葉で喜んでくれるの初めてじゃない?嬉しいな」
顔に出ていただろうか。ロイに見破られて、ロイは口角を釣り上げる。言葉通り彼も少し嬉しそうな顔だ。
「初めてじゃないよ。ロイに主のことどう思ってるか聞いた時のロイの返事も、すごく嬉しかったから」
「そういえばそんなことあったね。そっか、あれも嬉しかったんだ」
それより前で言うと、ロイの言葉で喜んだことがあったかどうか思い出せない。なかったかもしれない。
「もうアリアは私の言葉を信じてくれるんだよね」
「うん。ロイの言葉も態度も信じるよ。でもあの胡散臭い笑顔はやめて欲しいな」
「分かった、アリアにあれは向けないよ」
なら良かった。いくらロイのことを信じるとはいえ、あの仮面を向けられるとどうしても疑いたくなってしまうから。
どれだけ無表情でも、ロイの素の顔でいて欲しい。私の前では。
まぁ最近は少しずつ、無表情でいても感情が出てくるようになったけど。
ロイはほんのり嬉しそうな顔をしながら私の手を握っていて、痺れを切らしたロイの部下が声をかけてくるまでずっとそうしていた。
ロイの仕事が終わったのはもう夕飯の時間になるところで、仕事が終わるなり2人で夕食をとった。
お城で食べる夕食は豪華なメニューで、それらを綺麗に食べるロイはやっぱり様になっていた。
夕食が終わればその後はもう別行動で、私は私に与えられた部屋に行き、ロイはロイの部屋に行く。
そのはずだけど、ロイは夕食を食べ終えて別れる時何故か寂しそうな顔をしていたのが気になった。
気になったまま、私のために整えたらしい部屋に案内されて、風呂に入る。そして用意された寝巻きに着替えた。
私には人間の思うことが全部は理解できない。今日の去り際にロイが寂しげだったことも、どういうことかあまり分からない。
普通に考えたら私と離れるのが寂しいのかな、とも思うけど、今日殆ど一緒にいたのにそんなことあるのかな、とも思うし。
私は天使だから、人間の気持ちはわからないから。
だから、気になったらすぐ本人に確認しにいこう。きっとそれがいい。
私はバルコニーに出て気配を消し、羽を生やしてロイの部屋のバルコニーまで飛んだ。