39 私が死ぬまで
「アリアがいないと私は何も楽しくないし、ここ数日なんのために生きてるのか分からなかった。今アリアが死んだら、私はきっと後を追うよ」
「なにを…」
「でもやっぱり君が痛い思いをするのは嫌だから、精一杯足掻くよ。それでも勝てないだろうけど、全力で足掻いてなるべく君の記憶に残ってから、私が君を殺す。なるべく痛くないようにする。そして私もすぐに後を追う。1人で逝かせないよ」
何を、言ってるの?
勝てないのに、足掻くの?足掻いて私を殺してから自分も死ぬの?
私が死ぬのは構わないけど、ロイが死んだら嫌だから私はここに来たのに!
「やだ、死んで欲しくない」
「でもアリアは死ぬんでしょ?なら一緒に死ぬよ。それが私の幸せだよ、アリア」
「…わかんない……」
なんで一緒に死ぬのが幸せなの。なんで生きるって思ってくれないの。
わかんない。わかんないよ…。
ロイから確かに愛情を感じる。でも、一緒に死ぬのが幸せなんて聞いたことがない。私はロイに生きて欲しいのに。
死んで欲しく、ないのに。
「……ロイに、生きてもらうにはどうすればいいの」
「アリアが生きてくれれば、私も生きてるよ」
「でも私は、罪を償わないと…」
「私も一緒に償うよ。アリアの全てを受け入れる覚悟をしているんだ。一緒に背負わせて欲しい」
「なにを…」
「君を愛してる、アリア。私の残り少ない人生を、一緒に歩んでくれないか」
先程からピクリとも動かない背中から、驚くくらい柔らかい声が聞こえる。
「なんで、今」
「今しかないでしょ?たとえあと1時間の命でも、アリアと共に歩みたいんだ」
この後死ぬことになっても、ということ?
たったそれだけの短い時間でも、私と一緒にいることを望むの?
ロイが望むのは、私と一緒にいることだけなの?
私は人間の地位もないし、人間の価値観も分からないけど、それでもロイは私を求めてくれるの?
私は天使。天使でも、死ぬ時は死ぬ。それが早いか遅いかだけの違いで、私はもうすぐみたい。
死ぬことに恐怖はない。でも、ロイが死ぬのは怖い。
怖いけど、ロイが先に私を殺してくれると言った。それなら、私は怖い思いをしないで済むのかもしれない。
それに、どうせ死ぬのならそれまでの間は、ロイと話をしたいなと思った。
ロイと話すのは楽しいから。最期は穏やかに話をしたい。
最も今は、そんな余裕はないけど。
「……いいよ。一緒にいる。私が死ぬまで、ロイのそばにいるよ」
「……本当に?私と一緒にいてくれるって言った?」
「言ったよ。……死ぬなら、それまでロイとお喋りがしたいなって思ったんだ」
最期にしたいことがロイとのお喋りだなんて、なんだか締まらない。それでも私らしくていいと思う。
「ロイは、違う事したいかもしれないけど…」
「ううん、私もアリアと話したい。アリアが死ぬまで、話をしよう」
「うん」
ロイも同じ気持ちだったようで嬉しく感じる。さっきまで怖くて震えてた心が暖かくなる。
こんなに暖かい気持ちで死ねるなら、幸せなのかもしれない。
私は胸にそっと手を当てた。直接暖かくは感じないけど、暖かいような気はした。
「でも向き合って話が出来なくてごめんね。ちゃんと声は聞いてるから」
ロイは変わらずフィルヴェントの方を向いたままだ。彼と戦いながら私と話をして、限界を感じたら私を殺して自分も死ぬつもりなのだろう。器用な人だ。
「待たせて悪いな。私たちは今の会話通り、逃げも隠れもしない。罪は償う。私が限界を感じるまでの数時間、御相手願おうか」
「………」
ロイが口調を変えてフィルヴェントに圧の篭った声を出す。それに対してフィルヴェントは、ロイに剣先を向けたまま口を開かない。
フィルヴェントが動かなければロイも動かず、少しの間そのままなんの音もなく時間が過ぎた。
私からロイの顔は見えないが、恐らく両者が睨み合って数分。
フィルヴェントが剣を床に落とした。
そして、両手をあげた。
「はーい、降参降参。ちゃんとまとまったし、これでいいだろ」
「……は?」
「お前もアリストリーゼも殺す気ないから安心しろ。あと50年くらいお喋りし放題でよかったな」
ははは、とフィルヴェントが高らかに笑う。私はその様子を見て目をぱちぱち瞬きさせる。
…え、なに?どういうこと?私のことも殺す気ないの?
いち早く状況に気づいたロイが剣を収め、私の方を向いた。
その顔は困ったように微笑んでいた。
「どうやら私たち2人して、試されていたようだね」
「………私も?なんのために?」
「そりゃお前がわかんないってずっと悩んでるからだろ」
首を傾げた私に、フィルヴェントはニヤニヤしながら近付いてくる。
「お前はこのままじゃ絶対後悔するって思った主が、芝居してこいって俺を送り出したんだよ。その人間が俺に認められなかったら殺せって言うのも、そう言えって主に言われただけで、本当の命令じゃねぇ」
そもそも俺人間興味ないから、認めるとかわかんねぇ、とフィルヴェントは呆れたような顔で言う。
ロイを殺すのは本当の命令じゃなかったの?だから私がそれに背いても、反逆行為には当たらないというの?
主が、私のためにこんなことまでしてくれたの?
「それで、いいんだなアリストリーゼ。お前はその人間と共に生きるってことで」
想定外で寿命が伸びた。長くなった分も含めて、ロイと一緒に生きていけるのか。
…いや、生きていけるのか、じゃないんだよね、たぶん。
一緒に生きていきたいのかどうかなんだよね。
「……うん。ロイと生きる」
「分かった。……じゃあ」
しっかり頷いてフィルヴェントを見ると、彼も分かったと頷いて私たちの方に歩いてきた。
そして何をするのかと思えば、ロイの腰に手を回した。
…え。
「じゃ、こいつ借りてくわ」
「ちょ、どこに!?」
「主のとこー」
そう言いながらフィルヴェントは羽を生やして勢いよく開いてる窓から飛んでいってしまった。片手にロイを抱えたまま。
……まぁ、主のところならしょうがない、か?
フィルヴェントが落としたりしない限りは安心だろうし。
…でももう少し説明があってからでも良かったんじゃないの?
フィルヴェントの突飛な行動にため息をつき、私は練習場の入口に居た騎士に事情を説明してから、フィルヴェントの後を追うように天へと飛び立った。
天界に着くと、主の前にフィルヴェントとロイがいた。フィルヴェントは立っていてロイは跪いている。
私が着くと主が私に目線を向けて微笑んでくれた。
「アリストリーゼ、ようやく心が決まったようだな」
「ご心配お掛けしました」
「お前が後悔しない道を選べたのならいい」
主の優しさが身に染みる。フィルヴェントの演技に騙されて、私は1度主を裏切ったのに。主に逆らう意志を見せたのに、それでも主は優しい。
きっと許してくださったんだ。私の愚行を。
「君がアリストリーゼの相手の人間だな?」
「はい」
「ふむふむ、なるほど…。どうやら君はシャルディシュの血が入ってるらしいな」
主の告げた言葉に私はえっ、と声を漏らした。
だってシャルディシュって、過去に人間と結婚した天使の名前だ。その血がまさか、ロイに入ってるなんて。
「シャルディシュとは、過去に人間と結婚した天使の事でな。その血が入っているし、しかも先祖返りのようだ。ほんの少し天使の力を感じる」
「ロイに天使の力が…。じゃあ私のことが見えたのも、そういうことなんですか?」
「恐らく。人より能力が優れているのもその影響だろう。まぁ本人の才能もあるがな」
ロイがすごく強いのも、そういう事なのか。それに本人の才能と努力が相まって、めちゃくちゃ強くなったって事なのか。
「まぁだから何ということは無いが。人間、私がお前に望むことはひとつだけだ」
「はい」
「アリストリーゼと残りの人生を共に歩んでくれ。幸も不幸も共に分かちあって、寄り添っていてほしい」
主の言葉は強制するようなものでは無い。人間であるロイに命令ではなく、望みを口にしている。
それが神としてではなく、私の保護者としてのような気がして心が暖かくなる。
「はい。お約束いたします」
「天使のアリストリーゼを娶るのは大変だと思うが、頼んだぞ」
「はい」
ロイは主に真剣な目でしっかり頷いている。
そこにロイの覚悟のようなものを感じる。私がした覚悟よりもよっぽど重い覚悟を、ロイはしている。
私には真似出来ないけど、でもそれでいいんだ。
「さてアリストリーゼ。お前の残りの寿命を、その人間と合わせるぞ。いいな?」
「はい」
私は主の前に跪くと、主は私の頭に手をかざす。そこからパァァァっと光が漏れる。
人間と共に生きる選択をした私は、ロイと共に老いて死ぬ。天使だったらあと数百年は生きていたであろう命を、50年ほどに縮めたのだ。
もう後戻りは出来ないし、でも後悔もしていない。
「その他の力はそのままだ。お前が好きに使え」
天使の羽も、治癒能力も天使の時のままだと言うことだ。天使としてロイのそばに居てもいいし、人間の振りをまたしてもいいし、どちらでも応援してくれるということだろう。
「私がお前に命令することはもう無い」
「……はい」
「だがお前の声は私に届くし、私の声も届けよう。…あぁそうだ、こうしたらちょうどいいか」
主は再び手を私に翳すと、ふわっと、私の手の甲が光った。そこには神に選ばれし聖女としての烙印がついていた。
「主、私に聖女になれということですか?」
「私の声も聞こえるし、あの土地に私の声を聞けるものはいないのだからちょうどいいだろう」
ちょうどいい…のだろうか。
まぁ聖女と言っても、主の声を届けるくらいしかやることないし、なにも負担にはならないけど。
「天使でありながら聖女になって人間と共に生きる。……それも面白そうだ。アリストリーゼ、私を楽しませてくれよ」
「はい」
「何か困ったら私を頼れ。私はお前の親のつもりなんだからな」
「ありがとうございます」
そして主は、私に慈悲深い笑みを浮かべてくれた。
「幸せになれよ、アリストリーゼ」
「…仰せのままに、ウェステリア様」
きっとこの言葉を言うのも最後なのだと思いながら、私は頭を垂れた。