38 分からない
天界の原っぱの端っこに座り込んで、正面を見つめる。少し前に進むと、地面は途切れていて、そこから下に落ちれば人間たちのいる下界に着く。
その下界に悩みの種がいるから、私はそちらの方を見て頭をうならせているのだ。
「うーーん……」
「悩み事?珍しいわね」
悩む私に声をかけてきたのは、同じ天使のティフィレイア。
彼女はふわっと地面に降り立つと、羽を畳んで私の隣に腰掛けた。
「主が気にしていたわ」
「主…」
心配かけているかな。申し訳ないな、私の問題なのに。
「私でよければ聞くわよ。どうしたの?」
ティフィレイアが優しく声をかけてくれて、私の口も緩んだ。
私はロイのことを話した。今まであったこと全て。どんな人でどういう行動をとる人なのかも。
そしてその人に結婚して欲しいと言われて悩んでいることも。
「…なるほどね。でもあなたが悩むくらい、彼はあなたの心に入り込んでいるのね」
「…そう、かも…」
ロイとは何年も一緒にいた仲でもないのに、求婚されて悩むくらいには私の心の中にいる。だから、困ってるんだ。
断るべきなんだろう。私は天使で彼は人間。生きてきた環境も違うし、価値観も違う。ロイの大事な人を私も大事に出来るかと言われると、自信はない。
人間と一緒に過ごしていく自信もない。
だから断るべきなんだ。なのに、なんで断れないんだろう。
「…ティフィレイアは、以前人間と結婚した天使のこと、知ってる?」
「300年前だったかしらね。覚えているわよ」
「……どんな天使だったの?」
私が尋ねると、ティフィレイアは数メートル先の下に見える下界を見ながら、思い馳せるように言う。
「一生懸命な天使だったわ。何をするにも全力で、一生懸命任務を遂行して、常にやる気に満ち溢れているような天使だった」
「……うん」
「でも彼女が言っていたのは、とある人間のそばに居ると落ち着くのだと言っていたわ。いつも全力だったから、彼のそばはとても安心できて落ち着くのだと」
落ち着ける場所…。常に頑張っていた天使からすれば、とても心地のいい空間なのだろう。
ロイのそばは落ち着けるだろうか?
…落ち着ける、と思う。
何より彼は強いし、私を傷つけるものを許さない。天使の自分より強くて守ってくれる存在なんて、そんな安全な所はないだろう。
「その天使は、人間と一緒になることを迷わなかったの?」
「最初は迷っていたわ。でも相手の人間が怪我して生死をさまよったことがあってね。その人間が知らないところで死ぬのが嫌だと言って、人間と結婚することを決めたみたいよ」
知らないところで死ぬ?
もしもロイが私の知らないところで命を失っていたら?
素直に嫌だと思った。
そもそもロイが寿命以外で死ぬことに抵抗がある。殺されたり事故で死んだりしないで、生を全うして欲しい。
この気持ちは、過去の天使と同じ気持ちなんだろうか。
ロイが私に向けてくれる気持ちとは、ちょっと違うような気もするけど。
「それでも自分の気持ちが確信できない?」
「…うん。ロイの向けてくれる気持ちとは、違うと思うの」
私のこれはそういうものではなく、ただ大切な人に向けるものなのかもしれない。親愛的な。
「だって私は多分、主に殺せと命じられればロイを殺せると思う。好きだったらそんなことは出来ないでしょ?」
「本当にそんなことできる?」
「……多分」
その状況にならないと本当のところは分からないけど、出来る気がする。
多分。いやどうだろう。ロイの顔を見たら何も出来なくなるのだろうか。
「後悔のないようにね。人間はあっという間に老いて死んでしまうのだから」
「…そうだね」
私が求婚を受けても受けなくても、彼はあと50年ほどで死んでしまう。私達天使からしたら一瞬の出来事だ。
その一瞬を、人間達は一生懸命生きているんだ。
私はそんな風に生きられるのだろうか。
主にも相談してみたが、気持ちは定まらないまま。ただ主は私の選択を尊重すると言って下さった。ダメとも行けとも言われなかった。いっそのこと主に命令された方が分かりやすくていいのに。
日の沈まない天界で、ぼんやり空を眺めて考えること5日。
タイムリミットは迫っているのに、何も分からないまま。
ロイへの気持ちも分からず、この先どうしていいかも分からない。
でもこんな中途半端な気持ちでロイの求婚を受けるのは失礼だとは思う。だからやっぱり、断る、が正解なんだろう。
うん、あと1日考えて、何も分からないままだったら断ろう。ずっと待たせるのは可哀想だ。
ロイには私がいなくとも、これから色んな人に出会えるだろうし、色んな人に好意を向けられるだろう。私より綺麗な人も、私より強いひとも沢山いる。
きっとロイは、私以上に好きになれる人を見つけられる。
多分それがロイの幸せだ。
…そう思うのに、なんで寂しく感じるんだろう。
「アリストリーゼ!」
悩みながら散歩をしていた私に、ティフィレイアが飛んできた。急いでいるようにも見える。
「どうしたの?」
「アリストリーゼ、大変!フィルヴェントがあなたの大切な人を殺しに行ったって!」
「…え?」
フィルヴェントが、ロイを?
なんで?なんでフィルヴェントが?
「ティフィレイア、私ちょっと止めてくる」
「うん、主には私から伝えておくわ」
「ありがとう!」
バサッと羽を広げて飛び上がり、天界の端からロイのいるファンダート領まで一直線に落ちていく。落ちながらも羽ばたいて、なるべくスピードをあげた。
全力で羽ばたきながら、思考を巡らせる。
なんでフィルヴェントがロイを殺しに行ったの…?
ロイは強い。剣の腕ならフィルヴェントより強い。
でも、殺し合いになって天使に勝てるわけが無い。
だって天使はほぼ不死身だ。唯一の急所、心臓を思い切り1突きされない限り、永遠に再生し続ける。
おまけに疲労を感じず、ずっと戦っていられる。
ロイがどれだけ強くても、勝ち目はない。
フィルヴェントを止められるのは、同じ天使の私しかいない。
お願い、どうか、間に合って…!
ファンダート領の城に着き、上空から敷地内に入る。気配を消しながら中に入り、辺りを見回す。
だめだ、どこにいるのか全然分からない。
すぐに方向を変えて私は気配を戻した。天使である証拠の羽だけ生やしたまま城の廊下を突き進む。
そしてようやく見つけた1人目の人間に声をかける。
「すいません、ロディスレイ殿下ってどこにいるか分かりますか!?」
「て、天使様!?えと、殿下なら練習場に行かれたと…」
「それってどこですか!案内してください!」
侍女らしき女性は私の姿に目を見開いて驚きつつも、私の言葉に頷いてくれた。きっと天使が相手だから素直に応じてくれたんだと思う。羽を出していたのはそれが狙いだ。
侍女に先頭を歩いてもらい、私はその後をついていく。もう羽はしまっているが、すれ違う城の人間は、私が来ると私に頭を下げて通り過ぎるのを待っている。
ロイから私のことを聞いているのだろうか。
いや、そんなものは後回しだ。
今はフィルヴェントを止めないと!
侍女に案内してもらった練習場に着くと、入口の前に騎士が数人立っていた。
彼らは私の姿を見るとすぐに入口の前から退いてくれて、私は遠慮せずその扉を開けた。
力を込めて開けた扉は思ったよりも大きな音がして、広い練習場によく響いた。
そして真ん中に剣を交わしているロイとフィルヴェントがこちらを見た。
ロイが私を認識して、その強ばった顔が少し緩んだ。
なんでこんな時にそんな嬉しそうに…!
「フィルヴェント、なんでロイを殺そうとするの」
ロイの嬉しそうな顔は一旦置いて、フィルヴェントに声をかける。すると彼は剣を下ろし、それにつられてロイも剣を下ろした。
「あ?殺しに来たわけじゃねぇよ。見極めに来たんだ」
「見極めに?」
「そうだ。主からの命令で、アリストリーゼを任せられる人間が確かめに来たんだよ」
主からの命令で?
とりあえず胸を撫で下ろす。すぐに殺すつもりは無さそうだ。主からの命令ならそもそも殺す気もないだろう。
そう思ったのに、フィルヴェントは折角下ろした剣を持ち上げ、その剣先をロイの顔に向ける。
「俺の判断で、こいつにアリストリーゼが任せられないなら殺せとの命令だ。そして俺は、任せられないと判断する」
フィルヴェントの判断でロイの生死が決まる。それを主が命じた。
そしてフィルヴェントは、ロイには私を任せられないと判断した。それはつまり。
「……ロイを殺すってこと?」
「文句あるか?アリストリーゼ、もう一度言うが、これは命令だ。お前は主に逆らうのか?」
主に、逆らう?
主は私の全てだ。私を生み出し、私に存在価値を与えてくれた全てだ。私は主のために生きて死ぬのが役目なのだ。
主のためならなんでもやるし、そこに躊躇いも生まない。逆らうなんてとんでもない。そんなことをするくらいなら、命を絶った方がマシだ。
……そう思っていたのに。
私は歩いて2人の元にたどり着くと、そっとフィルヴェントとロイの間に入る。
そしてフィルヴェントの方を向いた。
フィルヴェントがにやりと口角を釣り上げる。
「へぇ、主の命令に背くのか」
「……わ、分からない。自分でも分からないけど、ロイを殺して欲しくないって思う…」
肩が震える。この震えは、フィルヴェントに剣を向けられてることに対する震えじゃない。
知らなかったけど、私はロイが死ぬのが怖いようだ。
体の震えが治まらないくらいに。
「主の命令に背いたら、どうなるか分かってるよな?」
「……うん」
「そうか。それなら俺は、今からお前を殺す。主への反逆者を無に返さなくてはいけない」
当たり前のことだ。主の意に反するだなんて、それは死をもって償うしか方法はない。
だって私たちは主のために生まれた生き物。主の言うことが聞けないなら必要ないのだ。
覚悟を決めてフィルヴェントの目を見ようとしたが、目の前に背中が現れてそれは叶わない。
「それはさせない。アリアを傷つけるものは、たとえ天使でも神でも許さない」
ロイが、私の前に立っていた。フィルヴェントから私を庇うように。
「何してるの、ロイ…。人間じゃ天使には叶わないよ」
「知ってる。でも、だからって引くことは出来ないよ」
なんで。なんで…。
私が主に逆らったのは、私の意思だ。そこにロイは関係ないのだから、庇う意味がわからない。
それに負けると分かっていてフィルヴェントに立ち塞がる意味も、分からない。
ロイは私のことを振り返ることなく、私に話しかける。
「アリア、言い忘れていたんだけど」
「……なに」
「私はもう、君がいないと生きていけないんだよ」
ロイがこちらを向くことはしなかったが、彼の声色が笑っているような気がした。




