31 6つめの結界石
ロイは組織の中では偉い人だと思っていた。指示する側だと言っていたし、それなりの地位をもってるんだと。
まさか王子様なんて。
斜め前を歩くロイをちらりと盗み見る。
ロイが、王族…。いやありえない話ではない。第1王子が国王になって国を束ね、その下の王子たちが騎士団や諜報部隊のトップに立つのはよくある事だ。
それにそんな大きな嘘をつく必要は無いと思う。王子様だと嘘をついて良いことなんてないし、私がそれに釣られるともロイは思ってない。
だから多分…本当なんだろう。
え、じゃあ私がロイの求婚を受け入れたら、王子様の奥さんになるの?私平民扱いだけどいいの?
っていうか、天使が王族に嫁いでいいの?
どうしよう、分からない。
分からなすぎて天界に戻って聞きたいのに、聞く暇がない!
考えがまとまらないまま野営地に戻り、私もロイもいつもの状態に戻る。平然を装ってはいるけど内心とても混乱している。
色んな疑問が浮かびすぎて、何から消化していいか分からないのだ。
頑張って頭を働かせても、何も浮かばない。
うーん、詰んだ。
結局何も進まないままドレンタの街に舞い戻ってきた。
私は意を決して、宿の部屋でグレイスに声をかける。
「グレイス、聞きたいんだけど…」
「あら、なぁに?アリアから質問だなんて珍しいわね」
天使としての価値観はとりあえず今は解決できない。ならば人間の価値観を聞くまで。
「あのさ……結婚って、どういうことかな」
「えっ!?」
私が聞くとグレイスはとても驚いた顔で声を上げた。
あれ、そんなに驚くようなこと聞いたかな。
「え、え…結婚?」
「うん。…そういうのに疎くて、結婚がどういうものなのか、どういう気持ちで結婚するのか分からなくて……」
人間で女性であるグレイスなら詳しいんじゃないだろうか。グレイスは未婚だけど綺麗な女性だし、縁のない話じゃないだろう。
「えぇっと……ロイからプロポーズされたの?」
「プロポーズ……。結婚して欲しいって言ってきたのはプロポーズだよね?」
「プロポーズね……。一応聞くけど、付き合ってはないのよね?」
「ない」
恋人関係ではない。だって私はそういう意味で好きじゃない。
恋人関係は好き同士がなるものだと認識してる。
グレイスは少し考え込んで頭を傾げる。
「ロイはアリアのことを本当に好きだと思っていたんだけど…」
「好きだとは言われたよ。愛して欲しいけどとりあえず自分のものになって欲しいから結婚してって」
「……なるほどね」
それだけでグレイスは分かったようで大きく頷いている。そしていつもの穏やかな顔で私の目を見た。
「結婚が何かと言っていたわね。普通はお互い好きになって恋人になった後、ずっと一緒にいたい、一緒に家庭を築いていきたいと思ったら結婚するの。平民はね」
「うん」
「ロイはアリアに好きになって貰えるまで待てないのね。まぁそういう考えの人もたまにはいるわ」
「うーん…。どうして結婚なの?結婚したら何が変わるの?恋人とはどう違うの?」
ずっと一緒にいたい、一緒に家庭を築いていきたい、それは恋人じゃ出来ないこと?
今までも私に好きだと言ってきた男はいた。でもそのどれもが、私と恋人になりたいと言っていた。それとどう違うのだろうか。
恋人の延長線上に結婚があるなら、恋人ではダメなのか。
「そうね…結婚しても大きく何かが変わるわけじゃないわ。結婚したら一緒に住んだり、子供を産んで育てたり。恋人関係でも出来るけど、覚悟の違いかしら」
「覚悟…」
「えぇ。恋人なんてなんの証明もできない曖昧なものよ。お互いがそう言ってるだけの関係。でも結婚はきちんと書類を提出して、お互いの両親や国にも認めてもらうもの。子供が出来れば一緒に育てる義務があるし、他の異性のところに行くことも許されない。ただの好きな人じゃない、家族なのよ」
家族…。
グレイスの言葉はわかりやすいのに、理解し難い。それはきっと私が天使だから理解し難いのだろう。
「アリアはロイの子供を産んで一緒に育てられる?この先長い人生を、ロイと共に過ごせる?片方に何かあっても、一緒に解決していける?それが出来る覚悟があれば、結婚してもいいんじゃないかしら」
「覚悟…」
それらの覚悟をロイはしてるの?
…いやしてそうだったな。すごい真剣な顔をしていたし。私の主人に話をつけるとまで言っていたし。
それにロイは王族だから、グレイスの言葉以上の覚悟がいるんだろう。
それでも、人間の結婚の価値観が少し分かった気がした。
家族ってものはあまり分からないけど、とりあえず恋人と結婚の違いは分かった。
「なんとなく、わかった気がする。ありがとう、グレイス」
「ふふ、いいのよ。また何かあったら頼ってくれると嬉しいわ」
グレイスの言ったことが人間の価値観なら、私には向いてないかもしれない。家族がどんなものかも分からないし、子供も想像できない。
そして何より人間と生きていくと決めたら、私の天使としての人生はどうなってしまうんだろう。
過去に人間と結婚した天使は、主に頼んで寿命を人間と同じ長さに変えてもらったらしい。私が生まれる前のことだから詳しくは知らないけど。
だからその天使はもう生きてない。生きていたら話が聞きたかったのに。
あぁ、もう、分からない。
ドレンタで過ごす2日目。明日にはこの街を出て中央基地に戻る。久々の帰省になる。
そして今日も宿の外に出たわけだけど、当然のようにロイが隣にいる。
笑顔の仮面を被って。
「……なんかご機嫌だね」
「アリアが僕のことで悩んでくれてるからね。気分がいいよ」
仮面の笑顔越しでも分かる、ロイはとても上機嫌だ。私は悩んでるっていうのに…。
ロイとカフェに入って腰をおちつける。ロイの顔がスンッと真顔になる。さすがにお店の中まで入ってこないのは、知ってる顔だからなのだろうか。
「相当容疑が固まってるみたいだね」
こんなにずっと張り付かれていたことは無かった。多分この街に結界石があるから、私たちが何かしないかを見張っているんだろうけど、まるで私たちがなにかするのを確信してるから張り付いてるようにも思える。
「それで、アリアはこの街はどうするの?多分ここを壊したらアリアも私も捕まるだろうけど…」
「…ロイはそれでいいの?」
ロイは完全な巻き添えだ。何もしていないのに不可視の悪魔の仲間に見られて捕まるだろう。
ロイはほんの少し口に微笑を浮かべる。
「構わないよ。そう遠くないうちにこちらの計画も終わるし、アリアの仲間に見えるなら光栄だね」
「……なるほど」
ロイの計画が終わる。それは多分、この国が帝国のものになることを表しているんだと思う。ここ最近になって更に帝国騎士が駐在する街が増えたようだしきっともうすぐ終わるのだろう。
今ロイが捕まっても、計画が終わればすぐに釈放されるだろうし、騎士団にいてもやることは無い。だから私についていられるのか。
「それなら、行動してもいいかな」
「うん。いいと思うよ。魔物討伐は私も尽力しよう」
ロイが手助けしてくれるとこちらも有難い。安心して結界石を壊すことが出来る。
でもその手助けの理由が、本当に私を好きだからなんだろうか。
私を好きだから結婚したいのだろうか……。
「……ロイ、私はあれから考えてるけど、恋とか結婚とか、よく分からない。…だからロイの期待してるような返事は出来ないかもしれない」
私が天使だからこんなややこしい事になってる。ロイが私に酷いことはしたくないとは脅していたけど、ロイの求める答えを出せるようにも思えない。
「そっか、分からないか。アリアは深く考えすぎなのかもしれないね」
「考えすぎ…なのかな」
「そうだよ。結婚したからって何かが大きく変わるわけじゃないんだよ。アリアの意志を無視することはしないし、子供だっていなくてもいい。ただ私は、アリアに近づく男を振り払える大義名分が欲しいんだよ」
……ロイの言葉を聞いていると、結婚がそんなに重いものに聞こえない。私に近づく男を振り払う大義名分が欲しいって、それだけで決めていいことなの、結婚って。
「グレイスには、覚悟があればいいと言われたけど……。ロイは無くても結婚出来るの?」
「覚悟なら私はしているよ。この先一生アリアだけを愛して、どんなものからも守り抜く覚悟をしてる。でもアリアにそれは求めてないよ。してくれたら嬉しいけどね」
やっぱりロイには覚悟があるんだ。しっかり力強い目で頷かれてしまった。
「でもロイはその、立場があれでしょ?生半可な気持ちは良くないと思うんだけど」
「私の周りは私が納得させるよ。それは私がしなきゃいけないことだからね。だからアリアは、ただ私のそばにいてくれればいいだけだよ。どう?簡単じゃない?」
そばに居るだけと言われると簡単に思えるけど…。うん、わざと簡単に思えるように言ってるんだろう。
でもちゃんと本気でそう思ってるように聞こえた。多分私の気持ちを軽くしようとしてくれてるのだろう。
確かに少し軽くなった。思ったよりも重いものじゃないのかもしれないとは思えた。
まだ天使であることがネックになってはいるけど、そこは仕方ないしね。
「…もう少し考えてみるよ」
「うん、沢山考えてね」
ロイが自然に嬉しそうな笑顔を浮かべた。
もうあまりロイを疑う気持ちは残っていなかった。ロイの真剣な顔や言葉が嘘のように思えなくて、こちらも真剣に考えなくてはいけないような気がしているから。
それがいい事なのか悪いことなのか判断は出来ない。でも今はそうしたいと思ってる。
そしてその後、私は結界石を壊しに行った。