第32話 レオ
[視点:三人称]
暗がりの中、電気スタンドの光だけが煌々と輝く部屋。そこには、ただ淡々と書類仕事をこなす人がいた。
彼はただ書類に目を通していた。自分の抱える未来への不安を、仕事に没頭することによって忘れようとしていたのだ。
だが、明るみの中では気が散ってしまう。それゆえに、不安が何度も脳内を過ぎ去った。ペンの先が何度も震えた。パソコンのキーボードを叩く指の先も、また同様だった。彼はいつのまにか、光にすら恐怖を感じるようになってしまった。
その彼が一息をついたのは、ある紙切れを見つけた時。
「ブリティアと他全国との不可侵条約…」
不可侵条約は必要だということを、彼は分かっていた。
今の環境では、陸続きでないこの島国は亡命先には選ばれない。今の環境では、一方的に悪人を追い出せる。それは、一時的な安心材料の一つであることは確かだった。だが、あくまで一時的なものだ。各国で戦争が起きれば、この利しか受けていない国は逆恨みの対象になる。
普通の戦争ならば逆恨みなどで戦争を起こすものはいないだろう。だが、魔法というものはそれほどまでに悪だったのだ。自分が力を得たと過信し、法の世界を破壊する。今の環境では、そうした同じ考えを持った者が集まり、さらに秩序を乱す。
彼が不安に思っていたこととは、魔法により表層に浮き出た、純粋な悪意が世界を飲み込んで、愛するこの国すら飲み込んでしまうのではないかということだった。
「国境を閉じて、不可侵条約を結んでしまえば、後々は…」
実際、大国アメルはそのようにしているのだ。自立できる国ならば、そうした方がいいのは明らかだった。
要は、この不可侵条約を結ばないことは、国の甲斐性のアピールのようなものだった。国交を円滑にするためには、不可侵条約など結んではならない。
そして、ブリティアは、結んではならない国の一つだった。結んで仕舞えば3年としないうちに破綻するだろう。
その3年のうちに戦争が起き、そして終わるならばいい。むしろ国として優位に立てる。
それは…あまりにも分の悪い賭けだ。彼はそう感じていた。
第32話 レオ
「お困りかな」
それは、月明かりが一層輝いている日。書斎の仕事に疲弊していた彼は、気分転換に窓を開いた時だった。
その窓の淵に、ある人が着地したのだ。
いや。ある神というのが正しいだろう。世界を散々掻き回し、大空市にミサイルを落とし、そうして間接的にこの世界に魔法を復活させた…いわば、世界の仇たる神がそこに立っていた。
しかし、そんなことは彼は知る由もない。ただ、その状況に目を見開くだけだった。
「暗殺というものは、20世紀で消えたと思っていたんだが…」
彼はそう口を開く。神は、その疑念と恐怖に溢れながらも、王たる風格を保った高貴な表情を見て口角を上げる。
「随分と肝の座った王だな。まあそう怯えてくれなくていい。俺は別にお前を暗殺しにきたわけではない。『お前はただこの状況に疑問を持たず、話さえ聞いてくれれば、それでいい。』」
ロディアルはそう言い放った。途端に、彼の中にあったロディアルに対する疑念がすぅっと消えていく。いや、違う。そんなものは、最初からなかったのだ。彼は、窓から2歩引いて、本棚の側面に背中を寄せた。
「まずは自己紹介をさせていただこう。俺は摂理神ロディアル。ここには、君と交渉しにきたんだ。」
その声は、彼には奇妙に聞こえた。しかし、疑問を持つことはない。疑問を持つという概念が、そこにはない。ただ、彼はその言葉を受け入れた。
「交渉…とは、いったい何だ?」
「国を挙げての人探しだよ。黒髪で、月の髪飾りをしていて、そして右目を隠した少年が、きっとそのうちこの国を訪れるだろう。」
彼は愚王ではない。普通の状況ならば、聞く耳すら持たないような、突拍子もない話だった。
「国を挙げて…か。それをしたとして、お前は俺に何を与える?」
「国力の強化。それこそ、戦争が起きても必ず勝てるほどの…だ」
その言葉を聞いた瞬間、彼は腹を抱えて笑う。
「必ず勝てる戦争なんてない。そもそも俺は戦争に対して積極的でない。国民に血を流しては欲しくないのが本音だよ」
ロディアルは、彼のその言葉を予想していた、わかりきっていたと言わんばかりに、余裕の笑みを浮かべた。
「いいね、その通りだ。君はそういうやつだと俺は知っているよ。ブリティアの王、レオよ!」
レオはその表情に何も言うつもりも起きなかった。ただため息をついて、月明かりに照らされた恐怖を睨みつけるしかなかった。
「そういうわけだから他をあたってはくれないか?」
レオは、ただ淡々とそう呟いた。
「今、核を保持している国はアメルだけだ。この国には抑止力が必要…違うか?」
ロディアルのその言葉に対して、レオは興味を惹かれた。いや、しかし…と、レオは一考する。
「抑止力といっても、もうすでに魔法の復活によってこの世界は破綻している。戦争が起きればどちらも無事では済まない、それが抑止力の本質だ。もうすでに起こっている崩壊を恐れる道理はない。」
「いいや、そうでもないさ。どちらも無事では済まないというのは、お互いに攻撃しかしないからだ。だが、魔法さえあれば話は変わってくる。魔法には防御性能があるからね」
ロディアルの言う抑止力。それは、戦争における絶対兵器だった。戦えば、どんな相手であろうと無傷で完全勝利ができる。防御と攻撃を兼ね備えた魔法使いだ。
「そんな力を持った人物はそう現れない。その伝手があるとでも言うのか?」
「それこそ人探しのついでに行えるだろう?魔法を用いる大会でも行えばいい。国家を以てその人物を囲い込むんだよ。どんな願いでも一つ叶えると言って、ね。」
「だが、そんな人物が表舞台に立ってくるとは思えないが…」
ロディアルはその言葉に頷いた。
「それは事実だ。今はまだ、一個人では力が及ばない。すぐに魔力切れしてしまう。しかし、最近は世界に魔力が溢れ始めていてね。外から魔力を吸収する術さえ手に入れれば、お眼鏡にかなう力を持つものも表れるようになるだろう。」
ロディアルは最近、世界の魔力濃度を少しずつ高めていた。三月たちの見たような、強力な力を持つ者が現れたのは、単にロディアルが情報的な介入をしたからというだけではなかったのだ。
しかし、かといってレオが望むような、国一つを守り切れるような力を持つ人間は生まれない。これは、ロディアルのただのハッタリだった。
しかし。
「試す価値はある…か」
摂理が疑うことを許さない。水が高いところから低いところへ行くように。風で木の葉が揺れるように。レオはただ、それに従うしかなかった…
その頃、三月は夜野明と共に、飛行機に乗り込んでいた。パスポートが必要なくなっていたから、難なく乗ることができた。
飛行機の中から窓の外を眺め、三月は不安を感じていた。力不足を感じていた。政治のいざこざがよく分かっていなかったのが、そのうちの一つだった。
世界が立ち行かなくなりかねない暴挙を、世界をあげて行っている。三月が理解できたのはそこだけだ。
夜野明も言っていたように、すぐに戦争に走らなかった世界は優秀だったといえよう。力を得たら振るいたくなってしまうのは人の性だというのに。
しかし、同時に今やっている行動は後々起こる戦争を先延ばしにしただけの遅延行為に過ぎないことは、三月にも明にも理解できたことだった。
チナラという大国の消滅。魔法の復活。繰り返されるロディアルの介入。
三月は、知っていること、知らないこと、数々のことの終着点において、無力であった。しかし、今はロディアルを倒すことに全ての力を注がなければならない。彼はその不甲斐なさを忘れるために、今は眠りについた。
三月が目を覚ますころには、二人はブリティアにたどり着いていた。
景観は大して変わらない。海外に来たとしても、ガラス張りの都市がただそこにあるだけ。都会とはそういうものだった。
しかし、明はそんな中でも違和感を感じていた。なんだか一層騒がしかったのだ。
「魔法に対する対応が追いついていないのかな…?」
彼女はふとそう言ったが、現実は違うというのは本人もわかっていた。今まで目指し続けていた大国が、魔法が復活して一ヶ月経ってなおその火を払えないはずがない。
違和感の正体は、三月が地面に落ちていた新聞を手に取ったことで明らかになった。
「ブリティア国王が、魔法による大会を行うことを発表、勝者にはブリティアに協力することを条件に、叶えられる願いを何でも叶えよう…か」
三月は新聞をでかでかと飾るその文字を、読み上げた。
そう、この騒ぎの中央には一つの卓があった。魔法大会の受け付けである。
「何でも、ってことは神影があるならそれを望めば…」
そのような考えが、三月によぎる。ブリティアに協力する、というのが問題とはいえ、自由が完全に奪われるわけではないだろう。適当に理由をつけて世界を回ることはできるはずだ。ならば、この大会に参加しない理由はない。
「ねえ、三月、もしかして参加する気?」
真剣に喧騒の中央を見つめる三月を不審に思った明は、そう尋ねた。
もし参加するつもりならば、それを止める理由を探さなければならない。そう思ったのだ。しかし、思いつくことはなかった。ただ、尋ねるしかできなかった。
「参加しない理由がない。おそらく、ロディアルが手を回したのは軍部のみだ。参加する全員が民間人の暴徒…イタラルで見たようなやつくらいなら、負けるわけがない」
三月にあったのは、そういった自信だった。それは、明が与えたものだ。明は、自分の軽率な行動に頭を抱えた。
「止める理由はない…か」
明は、諦めたようにため息をついた。
「私はホテルをとってくるから、三月はここで列に並んでていいよ」
明は、それだけ言い残して立ち去った。
その後ろ姿を見て、三月は少し考えたことがあった。「吹雪の守護者」、夜野明の二つ名。そして、時間が経っても一切老けない顔。しかし現人神ではないという。
そこには、底の知れない実力が眠っていると、そう思えてならなかった。
周りを見ても、佐野先生ほどの力を持っていると思えるやつは一切いない。
「…まぁ、実力を見抜けるほどの力は、持っちゃいないけど」
自嘲するように、三月は笑う。今まで、戦いの中で生き残りはすれど、勝利したことはない。それなのに、なぜ俺はここまで自信を持っているのだろうと、そう自分に問いかけるように。
その自信の多くは大空市で培ったものであるため、信用できるものではある。だが、三月はそのようなことに気づく余裕など持ってはいなかった。
並んでしまった列はどんどんと進んで、ついに受付と顔を合わせる時が来た。
「あなた、見たところ子供ですけど、参加するんですか?」
受付の女性は、三月に対して極めて強く睨みつけた。
受付の女性は、その子供の風貌に注目していた。あきらかに戦闘に向いちゃあいない。それは、髪で右目が隠されているところから一目瞭然だった。
そこで、彼女は気づいたのだ。ああ、こいつは厨二病というやつだ、と。そんな子を大会に参加させて、怪我をさせるわけにはいかない。脅せば怖気付いて帰ってくれるはずだ。そう思った。
「参加する。」
しかし、その少年は引かなかった。受付の女性は、その言葉に驚きを隠せずにいた。しかし、その少年の目を見れば、引く気はないのだなということはわかる。
「痛い目を見ても知らないよ」
彼女は、そう言うしかできなかった。ため息を吐きつつ、三月に名を尋ね、その名前を名簿に書き込む。
三月は、それを見届けた後、その場を後にした。
ホテルは決して上等とは言えないものだった。ベットが二つあって、窓がある。窓の外には隣のホテルがあるので景観も何もあったもんじゃないが、今の三月たちからは気にする対象から外されていた。高すぎるのか、はたまたビル風か、窓がたびたびガタガタと揺れる。しかし、不満を抱くほどではない。内装は綺麗だし、値段的にも、長期滞在にはこれくらいがちょうどいい。明は、そう判断したのだ。
それぞれがそれぞれのベットに座りつつ、向かい合う。
「で、今後の方針は、ブリティアで神影を入手するまで待つってことでいいの?神影があるかどうかもわからないのに。」
明は、正直金銭面での不安を抱えていた。ペインと違い、ここでは結構物価が高い。チナラが滅んでいることを加味すれば、むしろよくここまで耐えている、と言えるほどではあるが。
滞在するならばバイトなりをしようと、そう考えていたのだった。
「国が何でも言うことを聞くってんなら、神影を探してもらうことだって可能なはずだ。情報集めくらいなら聞いてくれるはずだ。もっとも、ここに神影の一部があるならそれで終いなんだが」
三月はポケットから月影を取り出す。
「結局、月影は大空市での一個しか集まってないんだ。対して、暮影は3つ揃ったし、日影もあと二つあるんだ。そろそろ、月影と対面したいんだが…」
そう呟いて、三月はベットに寝転がった。
「まあ、もう気長に旅してもいいだろうからな」
時間制限は、三月自身が思っていたよりも、ずっと三月を追い詰めていた。明によって、その焦りは解かれるまでは、ずっと。
だが、余裕を持てたわけではない。ロディアルとの再戦までに、強くならなければいけないんだ。そう、三月は決意を胸にして、明日のために眠りについたのだった。
第32話 終




