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第29話 《吹雪の楽園》

身の程を知らないということは、どういうことか。先に進めば進むほど、いや、時間が経てば経つほどに、この先敵は強大になっていくだろうと思う。そうであっても、俺は進まなくてはならない。なら、どんな相手でも俺は勝てると思っていたほうが、実は精神的には正しいのかもしれない。

…考えれば考えるほど、身の程知らずというのがどうにも魅力的に思えてきた。佐野先生があんなこと言わなければ、ずっと側面無しの侮辱の言葉だと捉え続けていただろう。しかし、実際、今俺は身の程知らずのおかげでこの先に進めるわけだ。そう考えると…身の程知らずでよかったな、とそう思えるのだ。


第29話 《吹雪の楽園》


「で…そういうわけだから、俺はやっぱりロディアルを仕留めるために動く。神影を入手して、そしてロディアルに挑む。これは変えない。」

「そう、私もあなたが行動を変えるとは思ってなかったし、逆に変えられたら困ったから助かったわ」

佐野先生は運転の片手間にそう返答した。

「…変えられたら困るって、佐野先生もロディアルと戦うつもりだったってことか?」

「違うよ。…我が子同然に育ててきた生徒が、夢を叶えるために動いてるってのに、応援しないわけにはいかないでしょ?そのための覚悟は、もうしてしまった。今更もう戦いません、と言われても、この覚悟のやり場がないもの。」

先ほど見せた佐野先生の寂しげな表情は、どうやら見間違いではなかったらしい。教師としての矜持というものなのだろうか。

「教師が全員、佐野先生みたいな先生でいてくれれば良かったのに」

そしたら、俺はこんな旅に出ることもなかったのに。

「…旅に出たこと、後悔してる?」

「後悔って…それ以外選択肢無かっただろ。」

佐野先生が少し申し訳なさそうな顔をした。

「…戦場で死に物狂いで生きて、いつのまにか色々なものを失った気がするんだ。他に選択肢があったなら、後悔してただろうさ。」

失ったというよりは、失っていたことに気づいてしまった、のだが。

「…戦争は失うことばかりで、得られることなんて何一つないからね。見てきたはずだったのに、どうしてあなたを巻き込むなんて考えが生まれたのか、わかんないや」

佐野先生は、痛々しい作り笑顔でそう言った。

「…アンタも俺も、選択肢なんて無かっただろ」

そうだな、後悔ができるような旅だったなら、日暮も太陽もまだ隣にいたのかもな…

「…ところで、ブリティアまでどうやって行く、とかの段取りは組んであるのか?今のところただ荒野を車で走ってるだけなんだが…」

「イタラルに着いたら飛行機でも奪うつもり。操縦くらいなら出来る。」

あまりにもさらりと言ったので、俺は少し拍子抜けしてしまった。

「奪うって、先生からそんな言葉が出るなんてな」

俺がそう言った途端、先生は車を止め、そこから降りた。そのまま、車の後方に向かって歩いていく。

「忘れたの?私がどうやってここまで来たか。」

佐野先生を目で追って行った時に、あることに気づいた。敵襲だ。軍用車が数十の列をなして、俺たちを追ってきていたことに気づいた。

「ちょうどいいから言っておくわ。」

佐野先生は車の鍵についたキーホルダーの輪に、指を入れくるりと回して、言った。

「私、教師はやめてきたの!」

途端、車がガタガタと揺れ始めた。風が吹いているのだ。

佐野先生の魔法によって、吹雪が巻き起こる。その姿は、あの日、ペインで見たそれと、全く同じだった。

今まで、戦争なんてなかったのだ。当然ながら、佐野先生の本気の魔法を生で見るのは、この場が初めてだった。しかし。俺は窓を開けて、身を乗り出して叫ぶ。

「流石に佐野先生でも、戦車もあるようなやつらの相手はきついんじゃないか!?」

「なに、心配はいらないわ。」

佐野先生はそう言って、手を合わせて目を瞑った。その間にも、どんどん追手は迫ってくる。

「三月、そういえばあなたたちにはまだ名前付きの魔法の意味することを教えていなかったはずだけど、どこかで聞いたりした?」

佐野先生がふとそんなことを聞いてきた。

「ああ、アマネから聞いたよ。魔法使いの目標みたいなものなんだろう?」

「その通り。それで、私は今からその名前付きの魔法を使う。しかと見なさい。」

空を見上げると、そこには渦を巻いた雲があった。中心に向かえば向かうほど、その速度は増し、そしてどんどんと加速してゆく。

ここで、少し疑問を抱く。普通の人間が、ここまでの魔法を使えるだろうか。

「まさか、先生も…」

「…あの人と交わったからかなんでかわからないけど、私、今は普通の人よりは圧倒的に魔力量に優れているのよね。でも、これはそんなの関係ない。あの人とまだ付き合ってすらいない段階で、天音に認めさせた技よ。つまり、ただの技術の塊なの」

佐野先生は、静かに、そう答えた。

「てー!」

爆風による轟音の中、ふとそんな大声が聞こえた。そして間もないうちに、戦車の発砲音がした。

「飛んで火に入る夏の虫、とくれば、這って雪に飲まれる蛆の人、と言ったところかな」

佐野先生は、そう言って左手をゆっくりと前に持ち上げた。

「…《吹雪の楽園》」

刹那、雪と氷の混じった風が、一帯の空間全てを撫でた。文字通り、空間全てを撫でたのだ。砲弾は、虚に消えた。

砲弾だけではない。あったはずの戦車、軍用車、何もかもが、雪と氷に削り取られ、消えたのだ。

少し引っかかってはいた。アマネが《叢雲》を名付けする時に少し渋っていたのを。《幻想の序曲》、《サンライトフレア》、小結界《刺突の波紋》…今まで見てきた名前付きの魔法を、全て思い返す。

「綺麗…」

ただ茫然と、そんな言葉しか出なかった。名前付きの魔法とは、このようなものを指すのだと、今更ながらに理解した。

「あれ、相手は魔法も使えるようになったし、エネルギー結界くらい張ってるものだと思ってたけど…」

佐野先生は、そんなことを言って笑った。

「まあいっか。三月、この魔法はエネルギー結界で簡単に防御できる。これじゃあ誰も納得しないのはわかるでしょう?」

「…ああ、確かに」

「だから最後にダメ押しに、単純な質量攻撃をするのがこの魔法。いくらエネルギー結界でも、質量は無効化できないからね」

そうして佐野先生は、右手を振り上げた。

その時、上から巨大な雪の塊が落ちてきた。地面についた瞬間、とてつもない轟音と揺れが生じたのは、言うまでもない。

「いくら生成魔法が通常の魔法に比べコスパが良いとは言え、ここまでの質量にもなると現人神とかでなくては用意がきかない。でも、この魔法なら実現する。そして、この魔法のために準備するのはほんの一瞬だから、戦略性も高い。これが二十年前の戦争を生き延びた人の魔法だよ」

そう言って、佐野先生はこちらに向けて笑った。

「…楽しそうだな」

「うん、戦場は私の居場所だからね」

佐野先生の表情は、苦笑いに変わっていた。


そうして荒野を抜け、景色は森へと移る。

「…面倒だね。迂回はできるだろうけど、ガソリンもそろそろ尽きる。観念して森に入りますか」

とは、森に入る前に佐野先生が言った言葉だった。

「と言っても、もう夜だろ?森に入るのはどうなんだ?」

「追手がついちゃったからね。追手をつけないためにさっさと逃げたってのに…多分あいつらがヘマしたんでしょ。だったら視界は開けてない場所の方が合理的でしょ」

佐野先生がそう言ってさっさと森に入って行ってしまったので、俺はそれについていくしかなかった。

そのまま何時間歩き続けただろうか。俺は平気だが、現人神でもないただの人間が、こう何時間も歩き続けると疲れるはずだ。俺は佐野先生の顔色を伺いながら進んでいたが、だんだんと彼女の体力が尽きて行っているのは、目に見えてわかっていた。

「佐野先生、いつまで歩き続けるつもり?」

「できれば、森を抜けるまでのつもりだったけど…そうも行かなさそうだね」

佐野先生の声は、息切れして酷かった。

「あんな魔法を使えても、ただの人間、ということか…」

佐野先生があんな大技を見せた理由が、なんとなくわかった気がする。あれは彼女曰く少量の魔力でも実現する魔法だ。ということは、この先敵対する何人もの人間が、あの魔法を使えてもおかしくはないということ…

流石にあの魔法に対して対抗はできるだろう。だが…ロディアルはその何倍も、何億倍も強い。自惚れを自覚しろと、そう言いたかったのだろう。言葉じゃ伝わらないことがあるとも、もしかしたら言いたかったのかもしれない。

「あいつらと喧嘩、すべきだったかな」

俺がぼそっと呟くと、佐野先生は振り向いて、微笑んだ。

「気づいた?あなたたちに足りなかったのは対話じゃない。喧嘩よ」

家族だから、戦いたくはなかった。守っていたかった。だが、彼らは被守護者であるだけではなく、俺の「家族」だったことに気付く。

「あいつらも、俺を守りたかったのか…?」

でも、俺はそれを理解していなかった。ずっと、やり場のない感情と、足踏みすることに対する恐怖だけで動いていたのかもしれない。

旅を急ぎすぎて、大事なことを忘れていたのかもしれない。足踏みするのは、悪いことじゃないはずだった。佐野先生の息切れを見ていると、そう思えてくる。今、佐野先生は生き急いでいるようにしか見えない。俺だって、アマネから見たら、そう見えたのだろう。

「佐野先生、俺、ブリティアで神影を見つけたら一旦インデアに戻って二人に会おうと思う」

「そう。色々と、気づけたみたいでよかった。それじゃ、一休みしましょう」

本当に、この人はどこまで見透かしているんだろうか。教師とは、すごい職だなと、そう思わずにはいられなかった。


佐野先生はどうやら近場に小川を見つけていたようで、そこに生息する淡水魚などを獲っていた。

「塩は…まあ、一旦いいか」

佐野先生は、魚を淡々と調理している。調理といえど、焚き火で串刺しにした魚を焼くだけなのだが。

「…本当に現人神ではないんだな」

「さっき言ったでしょ?常人でもやろうと思えばあのくらいはできる。しっかりと学んで、しっかりと意思を持てば、才能問わず大抵なんでもできてしまうのが魔法というものよ」

そうは言っても、俺にはどうにもあの魔法が気にかかった。

「三月ならあの魔法には勝てるでしょ」

「そう、だな。だが、ロディアルはあれより何倍、何億倍も強いんだろう。摂理神なんて大層な名前背負っているなら、常人でできることなんて、軽々どころか無意識にやれそうだ」

「…なるほどね」

佐野先生は、俺に一尾焼き魚を差し出した。俺が受け取らないでいると、佐野先生は渋い顔をした。

「あのね、あの魔法は常人でも確かに使えはするけれど、相応の知識と経験がなきゃ使えたものじゃない。私はそもそも普通の人間の何万倍も強いの。だから、あなたの思うほどロディアルは強くない」

「身の程知らずだって言ったのはそっちなのに、そんなこと言うんだな」

「…仕方ないでしょ、三月がここにきて動けないとなったら困るからさ。私の魔法を見て、自信なくして、それで今更自分のこと客観視してるんだと思うけど、でもそれでもあなたがこの先やること、やれることは変わらないんだ。ロディアルを倒したいという思いがあるなら…少しでも、今ある不安の芽を潰したいと思うなら、ね。」

…自信、か。確かに、俺には自信があったのかもしれない。魔法を持たない相手にならば、誰にでも勝てると、心のどこかでそう思っていたのかもしれない。でも…

「…俺達は、普通の魔法しか使えない人にも負けるんじゃないかって、そう考えて、この世界に魔法が復活することを極端に恐れていたんだ」

そう。これは事実なんだ。自信なんて、俺には…なかったはずだ。

「よく言うよ。《吹雪の楽園》に勝てるとか言っちゃっておいて。」

佐野先生は俺の手に無理やり魚を刺した串を握らせた。

「…ここまでの旅は無駄じゃなかったんだよ。あなたは自分の技量を自覚して、勝てるか勝てないかくらいは見極められるようになってるはずだ。だったら、ここからが始まりでしょ?この先は魔法をいくらでも、本気で使い放題だ。そう。本気で。敵は、ないでしょ!」

佐野先生はそういって笑った。焚き火に照らされた温かな表情だった。

「…そう、だな」

俺は空を見上げた。ずいぶん遠くまで来てしまった気がするが、この先にも幾ばくかの希望は抱けそうだな、とそう思った。

「三月、食べないと冷めるよ」

ふと、佐野先生がそう言って焼き魚にかぶりついた。

「現人神は食事を必要としないんだ。だから、いらないよ。」

俺はそう言った。だが、佐野先生はそれでため息をついた。

「睡眠、食事は人間の根源的な欲求なんだよ。それをいらないからって切り捨ててたら、そりゃ精神も病むし希望も持てないでしょ。あなたは、生き残って家族と一緒にいられればそれでいいって言うつもり?そんなの、一緒にいる方もつまらないよ。」

佐野先生は、俺の腕を掴んで、俺の持っている魚をぐっと口に押し当てた。

「食事は楽しい時間だよ。ね?」

一理ある、そう思って俺は口を開け、魚を食した。

「うまい…」

うまいし、そして、なんだか懐かしい。一ヶ月、飲まず食わずだったことを、ここで思い出した。

「…泣きたければ泣いていいんだよ。辛ければ辛いでそれでいい。いくら慣れていたって、人間はずっと異常な環境で正常を保てるほど、強くないんだよ。ましてや、子供なんてのはね」

佐野先生はそう言って俺の頭を撫でた。

「本当なら、あなたにはもっといろいろな選択肢があったはずだし、平和も、娯楽もいろいろとあったはずなんだよ。あなたは、子供のはずなんだから。巻き込んだ本人が偉そうに言えたことじゃないけど、さ。」

なんだか、焚き火に照らされて光った粒が、佐野先生の顔を滴り落ちた。

「ごめんね、ごめんね。三月…」

俺は、何も言わず、ただしょっぱい魚を口に運ぶことしかできなかった。


第29話 終

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