8 危険なミッション
おばあちゃんはまた来てね、と言って私のことを見送ってくれた。
そういえば、あの出窓のところを見ていない。今度行ったら見せてくれるだろうか。友だちの家に行くのとはちょっと違う。あんな家、お話とかネットの中以外で実際に見るのなんか初めてだ。
「すごい人と知り合いになっちゃった」
思わず呟いてしまう。
次も行くのが楽しみだ。私の家にない物がたくさんある家。
にやにやと頬をゆるめた私だったが、今の今まで忘れていたことを思い出した。ポケットに入れっぱなしになっている消しゴムの存在だ。
そういえば、これをどこかに隠そうとして飛出してきたんだっけ。で、隠し場所とか色々ありそうな家っていいなと思って歩いているうちに、あの家に足が向いちゃったんだっけ。
「ああああああ」
なんて、謎の声を出してしまったりする。
私はため息を吐く。
すごく素敵な人と知り合いにはなったけど、私の問題は何も解決していない。
* * *
仕方なく、私は小学校にいるときも消しゴムをいつもポケットに入れておくことにした。そうすれば誰にも見られないし、私が忘れさえしなければ安全だ。
お母さんに見つからないように、絶対に洗濯に出すときに出しておかなければいけないし、毎日新しい服のポケットに入れ替えなければいけない。
かなり危険なミッションではある。なんて、ちょっとスパイっぽく言ってみたり。
だけど、大げさなんかじゃない。本当に私の家にはあのおばあちゃんの家みたいに安心して大事な物を置いておけるところが無いんだから。
「最近いつも一人じゃない?」
いつの間に席に戻ってきたのか、小田君から声を掛けられて私はびくんと飛び上がりそうになる。
小田君のくれた消しゴムのことを考えていたところに急に声なんか掛けられたら、びっくりもする。
小田君、気付いてたんだ。
「うん。なんとなく、最近はちょっとね」
心配させないように、私は笑ってみせる。
教室の遠くの方で、桃花ちゃんたちが楽しそうに話しているのが聞こえる。なんとなくあれから話し掛けづらい。別に話し掛けてもいいとは思うんだけど。
「そう?」
小田君はそれ以上突っ込んで聞いては来なかった。雰囲気を察してくれたのだろうか。
そう、女の子の友人関係って結構難しいんだ。
男の子は割と簡単そうに見える。けど、小田君はちゃんと気付いてくれたみたい。さすが小田君。
私が好きになっただけのことはある。なんて考えていたら急に顔が熱くなる。
思わず目を逸らしてしまって、しまったと思う。変に思われなかっただろうか。急に無視したと思われたりしたら最悪だ。
何か言わなきゃ。言わなきゃ。
変に思われる。嫌われたらイヤだ。
「……ええと、ありがとうね」
私はなんとかそれだけ言った。
「うん」
小田君はほっとしたように頷いた。よかった。気を悪くはしてないみたい。
だけど、ちょっとだけもやもやする。
小田君は私に変な態度を取られても、気にしないのかな。私は、小田君に何か変なことを言ってしまわないかといつもドキドキしてしまう。小田君は違うのかな。
私のことなんてなんとも思ってないのかな。
だから、簡単に納得してしまうのかな。
せっかく小田君が心配してくれているのに、こんなことで悩んでしまうのもイヤだ。
それなのに、私はもやもやした気持ちを消すことが出来ない。
私はちらりと小田君の方を見る。目が合ってしまった。小田君がにこっと笑う。
私も笑った。
また顔が熱い。でも、もやもやは今の小田君の笑顔で吹っ飛んだ。
私の悩み。簡単なのか難しいのかわからない。
ただ、私の耳には他の何も入っていなかった。
今の瞬間は、消しゴムをどうしようとか、桃花ちゃんとまた話せるようになるかなとか、家のこととか全部忘れてた。
それって、結構すごい。
あれ? でも。と私は思う。
あのおばあちゃんの家にいたとき、あの時も全部忘れてた。
おばあちゃんの家にまた行けるって思うと、わくわくして教室で一人だってこともあんまり気にならなかった。
全然ってわけではないけれど。
素敵な家とおばあちゃん。
私の好きな小田君。
全く違うことなのに不思議。