第九話
}第九話{
強い!
四天王というのは、これほどまでに強いのか。
俺、アレクは獣の四天王ウィールドと相対しながら、そんなことを考えていた。
「オラアッ!」
筋肉達磨の体から繰り出される、パワーとスピードの両方を併せ持つ一撃。
何度目かも分からないそれを、寸でのところで躱す。
受けたらダメだ。さっきのように、身体ごと吹き飛ばされる。
先ほど放った俺の最初にして唯一の攻撃は、ウィールドの爪によって易々と受け止められた。
一瞬の鍔迫り合いの末、純粋な力強さで負けた俺は吹き飛ばされてしまった。
「よけてばっかじゃ、面白くねえなあ!」
はっ。どうとでも言え。
右、左、右、左、右と、左右交互に繰り出される爪の攻撃。
それらを、身体を捻る、しゃがむなどの動作で避ける俺。
下手にこちらからしかけて、また力勝負になるとダメだ。俺が負け、大きな隙を晒してしまう。
よって、スタミナ勝負に持ち込む。
ウィールドは一撃一撃に全力を込めて放っている。
人間と魔物という種族の差はあれど、これだけ体力を消費させれば、先にガタが来るのはあちらの方だろう。
「つまんねえなあ、せっかく、反撃させてやろうと思ってゆっくり殴ってたのによう!」
「なにっ!」
全力では、なかっただと!?
避けるのが精一杯のあの攻撃が全て、手加減されたものだったというのか!?
「ッラアアッ!」
短いかけ声とともに、ウィールドの右腕が消えた。
そして一瞬で、見えるようになる。
その腕は、俺の腹に向かって伸びていた。
消えたんじゃない。目で捉え切れていなかっただけだ。
その瞬間、衝撃。
「ぐふぁぁぁっ!」
次は、違和感。左側の脇腹が、いつもと違う気がする。
血を吐きながら後ろへ吹き飛んだ。視界に鮮やかな赤が舞う。
……そうか、俺は。殴られたのか。
壁かなにかに背中を打ち付け、ズルズルと座るようにしてもたれかかった。
ただ殴られただけで、俺の腹は。
下を見て、自分の腹を覗き込む。
鎧が大きく凹んでいた。腹の様子が分からない。
「がはああっ!」
咳き込む。血が口から溢れて地面を濡らす。
ようやく痛みが襲ってくる。
痛い。苦しい。
「あああっ……」
声を漏らすと、余計に痛い。苦しい。
「あああっ……あああっ……ああっ……ああああっ………」
痛くて、声が漏れる。その声を出すとまた痛くなって、声が漏れる。
「痛みに耐えるのが精一杯か。いや、耐えられてねえか。うるせえし」
顔を上げる。
ウィールドがなにか言っている。
でも、痛い、苦しい。
「期待はずれだったな。さっさと殺すか」
滲んだ視界の中が、茶色で満たされていく。
ウィールドが、こちらに近づいてきている。
「ああああっ……ああっ……」
殺される。
動かないと、殺される。
これまでにも、戦いの中で大きなケガをしたことがあった。
痛みに苦しみながらも、目の前にいる敵を打ち破ってきた。
そうやって、今日まで生き残ってきた。
でも、この傷は違う。
呼吸すら許してもらえないほどの、痛み。
立ち上がることすら考えさせないほどの、苦しみ。
茶色がぐんぐんと広がっていく。あと数歩で、俺のところに来る。
痛い、苦しい。
それしか考えられない。
「じゃあな」
茶色でいっぱいになる。目の前に、ウィールドがいる。
俺は、ここで、死ぬ?
……それは、ダメだ。
サーニャは、ミキは、俺を信頼してくれた。
俺は、それに応えなければならない。
体をコントロールしろ。感じる痛みを消し去れ。
頭をクリアにしろ。覚える苦しみを排除しろ。
視界が澄んだ。
前に焦点を合わせると、すぐそこでウィールドが右腕を振りかぶっていた。
「……あ、あああああっ!」
剣士の性か、あの一撃を食らっても俺の右手には剣が握られていた。
咆哮と共にそれを持ち上げる。
「……ほう!戻ってきたか!」
腕を止めるウィールド。俺の無様な様子を眺めている。
無様でいい。こいつは俺を侮っている。
今がチャンスだ。
切っ先を正面にむけたまま膝を折り曲げ、壁を支えにして立ち上がる。
「でも、次の一撃で壊れるなよ!」
ウィールドが再び腕を持ち上げる。
俺は剣を両手で握りしめる。
今までのように、見てから反応してはならない。
攻撃の前に、躱す動作を取らなければならない。
先ほどの一撃は、掛け声と同時に攻撃が繰り出されていた。
耳だ。耳を集中させろ。
いや、目だ。声が届くより先に、口が開くはずだ。
目だ。やっぱり目を集中させて、口を観察しろ。
いや、胸だ。口を動かすよりも前に、あの毛むくじゃらの胸が空気を吸い込んで膨らむはずだ。
目を集中させて、胸を観察しろ。
「ッ」
攻撃の前の掛け声の前の呼吸。
それが今、始まった。
ここだ!
「オ」
攻撃の前の掛け声。
俺は上体を前に逸らしながら、地面を蹴る。
刃が前に進んでいく。
「ラ」
ウィールドの腕がブレる。
切っ先がウィールドの胸に触れる。
かすかな抵抗が両手に伝わってくる。
「ア」
ウィールドの爪が俺の左肩に到達する。
刃が、ウィールドの胸の中に潜り込んでいく。
抵抗がさらに強くなる。
「ア」
爪が左肩を壊す。
剣から左手を放し、右手だけで刃を前へと滑らせる。
感じていた抵抗が無くなった。
「ッ」
左肩の関節が内側に外れる。
右足を一歩踏み出し、グイと剣を押し込む。
刃の全てが胸に飲み込まれ、柄がウィールドの胸に当たって勢いが無くなる。
「!」
俺の左腕がよじれると同時に、振り抜かれたウィールドの右腕が姿を現す。
ものすごい衝撃が加わり、壁を粉砕して後ろに吹き飛ばされる。
色んなものにぶつかり、やがて勢いがなくなった俺の体は、仰向けになって地面に転がった。
目に映るのは地面と住居、青い空。それにそびえ立つ王城。
視界が徐々に狭くなっていく。
俺は意識を失った。
※※※
もうすぐだ、もうすぐ。
目に映る城の姿が随分と大きくなってきた。
王都を目指して旅を始め、今日で三日目だ。
魔物と戦うために足を止める以外は、常に全速力で走っている。
これなら、美紀たちに追いつけると思いたい。
エドが持っていた、毒の血の能力。この力で、美紀とアレク、サーニャを絶対に救う。
それが、俺がこの融和した世界で果たさなければならない役割だ。
立ち止まり、傷口が開きっぱなしの左腕を振るって、行く手を遮る魔物を倒す。
もう、腹が空いたなんて言ってられない。
魔物の亡骸を放置し、再び足を動かす。
脚も、肺も、左腕も、とっくのとうに限界を迎えているだろう。
『回復の魔法印』が、これらの限界を知らせる痛みをシャットアウトしている。
いつぶっ倒れるか分からない。
分からないが、そんなことはさせない。
そんなことをしている時間はない。
ただ、走ることに時間を消費しろ。
一歩でも前に、一メートルでも先に、体を置け。
俺は歯を食い縛り、拳を強く握りしめる。
意識を、手放すな。
ただ、城に向かって進め。