第八話
}第八話{
サーニャとともに少し走ると、王都の外周に重なるようにして建っている住宅があった。
「ここから通れそうだ」
住宅の前に立つと、サーニャが庭に回り込む道を指さす。
「私が先に行く」
「頼んだよ」
私が前、サーニャが後ろという形で、塀と家の間の道を進んでいく。
「ここが、結界が張られている場所だと思うけど……」
「少し後ろに行っててくれ、確かめるよ」
「うん、お願い」
魔物の気配はないので、サーニャに結界の有無を確認してもらう。
「いくよ」
先ほどやったように、右手を伸ばして結界に触れようとする彼女。
しかし、なににも邪魔されことなく右手が前に進んでいき、遂にピンと腕が伸び切った。
「……結界が、ない。私の仮説は正しかったようだ」
「やった!」
地球の領域と重なっていて結界が張られていなかった!
安全と分かったので、再び私を前にして庭を進む。
「……魔物はいないよ」
「分かった。じゃあ飛び越えても大丈夫だ」
索敵をした後、突き当りの塀を飛び越えて、私とサーニャは王都に侵入した。
「おかしい、誰もいないようだ」
「地球の人もいない……」
王国で最も人が多いとされている王都と、地球の住宅街が融和した街並みなのに、人っ子一人いない。
生きている人も……、遺体もない。
「王城通りに出れば、誰かいるかもしれない」
「王城通り?」
「街の外縁から王城まで一直線に走る、王都で最も活気のあった通りだよ」
なるほど。
ちょっと違うかもしれないけど、駅前の繁華街みたいなものかな。
「今ある『マナレガリア』の建物を参考にして、王城通りの方向を計算する。きみは周囲を警戒しておいてくれ」
「分かった」
そう答えるとサーニャは周りに視線を巡らせ、位置関係の把握に努めた。
私は物陰を注意しつつ、サーニャの示した方向に先行する。
しばらくの間これらを繰り返し、誰も見つからないまま数分ほど歩いた後。
遂に、私たちは白いレンガが敷き詰められた大きな道に出た。
「下はレンガ造り、周囲には大きな店と宿屋の数々。間違いない、ここが王城通りだ」
ところどころアスファルトの道路が横切ったり、道を塞ぐように住宅が建っているが、どうやらここが王城通りらしい。
確かに、道が伸びている右手奥に目を向けると、大きな門と城らしき建物が見える。
「見えたかい?あそこが王城だ」
「うん、見えるよ」
私が遠くを見ていることに気づいたサーニャが声をかけてくれる。
「じゃあ、あそこに向かって……」
「来た。警戒してくれ」
行こう、と言おうとしたその時、視界にたくさんの人が滲み出てきた。
建物の裏から、茂みの中から、車の陰から。
這いつくばりながら、歩きながら、よろめきながら。
「気配は全然しなかった!どうして!?」
「この人たちはもう死んでいる。気配のない亡者だ」
生気のない顔。ありえない方向にねじ曲がった四肢に、折れ曲がった体。どこにも焦点の合っていない二つの目。
言われてみれば、どの人も映画に出てくるゾンビみたいな見た目をしている。
「これだから、一刻も早く王都に向かいたかった!四天王が来ているとしたら、あの魔物も……」
「私のことか……」
「っ!」
くぐもった声が遠くから発せられる。
私は即座に聖剣を構え、周囲を警戒する。
すると、にゅるりとボロボロの黒いローブを着た男が姿を現した。
「骸の四天王、ソウリッチ!」
「私を知っているか、人間と……勇者………」
サーニャが高々と魔物の名前を叫ぶと、前に居るソウリッチと呼ばれた男は言葉を返した。
ソウリッチとの距離は、実に数百メートルほどある。なのにそのくぐもった低い声は、まるで耳元で発せられたかのようによく聞き取れる。
「勇者……。先へ行け。魔王様から貴様は骸にするなと言われている…………」
「信用できない!」
私たちとソウリッチの間には、ゾンビが数十体存在する。
骸の四天王という名前。そして、『貴様は骸にするな』という発言。
これらのことを考慮すると、街の人たちをゾンビ化させたのは、このソウリッチで間違いない。
甘言を吐いて私たちを油断させ、彼らを操って不意打ちをしようとしているのかもしれない。
「ミキ。これは嘘ではないだろう。やつはウィールドと同じことを言っている」
「そうだけど……」
「ここは私に任せてくれ。どのみちやつは、私が進むことを許してはくれない」
「でも……」
「なに、すぐに後ろからアレクが追いついてくる。そうすればソウリッチも倒せる」
理性的なサーニャらしからぬ、根拠のない発言。また、アレクがいないと、ソウリッチが倒せないだろうことも自白してしまっている。
自分の言っていることの真意に気づけないほど、彼女は焦っている。
「……サーニャ」
「なんだい?」
「落ち着いてね」
「……ありがとう。少し、気がはやっていたようだ」
「必ず、私に追いついてきてね」
「ああ、もちろんだ」
「今生の別れは済んだか……?」
私とソーニャが話している間、ソウリッチはなにもせず待っていた。
「亡者たちは任せてくれ。きみは走って通り抜けるだけでいい」
「うん」
私は王城通りを駆けた。
ソウリッチの言う通り、近くをすれ違っても、ゾンビはなんの反応を示さなかった。
走る。
さらにソウリッチの脇を通る。
聖剣を向けながら、最大限に警戒しながら足を前に進める。
「……」
でも、こちらを意に介さず、ソウリッチは遠くのサーニャを見つめていた。
一瞬、不意打ちをしかけようと思ったけど、ダメだ。
『きみは走って通り抜けるだけでいい』。
サーニャはウィールドのときと同じく、最悪のケースを想定してこう言ってくれた。
だから、私はサーニャを信頼する。
ソウリッチの横を通り過ぎる。宣言通り、やつはなにもしてこなかった。
私は背後を警戒することなく、ただひたすらに王城へ向かって走った。
※※※
急げ、急げ。
俺は全速力で走る。
もちろん、周囲の警戒は怠らない。
魔物が横の道路から飛び込んでくる。
「ガララララアアアッ!!……ンガッ!?」
一撃を躱し、最低限の動作で魔物に血を浴びせる。
「……よし」
魔物が倒れ、もう動かないことを確認すると、また走り始める。
これの繰り返しだ。魔物の肉を食べるのは、腹が減っているときだけにした。
おそらく、食った魔物の能力を得るというような能力は俺にはないみたいだった。
であれば、後は急ぐだけだ。美紀たちと合流して毒の血を使い、彼女らを守る。これが最優先事項だ。
「……っ」
急げ、急げ。走れ、走れ。
土を踏みしめ、木の間に潜り込み、行く手を遮る家を迂回する。
王都へ急げ!
「助けて!」
ふと足を止め、声のした方向を振り返る。
「っ!!」
右手の道路上に、女性が尻餅をついている。
女性の体は、右奥にある茂みの方を向いていた。
「グラアアッ!」
顔だけをこちらに向け、必死に助けを乞う女性に魔物が迫る。
それは獣のような魔物だった。母さんを殺した、あの魔物と同じような。
母さん。俺は母さんを助けられなかった。
でも美紀は、今目の前にいる女性は、助ける。
「待ってろっ!」
俺は方向転換して女性の方へ向かう。
「グラアア……」
獣が大きく口を開ける。
間に合わない?いや、間に合わせる!
「伏せろ!」
俺は女性に叫ぶ。
「……はいっ!」
女性はとっさに道路にうつぶせになる。
俺の大声につられて、魔物がこちらを向く。
左腕を水平に振るう。どす黒い血が横薙ぎに飛び散る。
魔物の顔に、胴に、俺の血が降りかかる。
「グラアアアッ!」
魔物は痛みに暴れる。
女性が危ない。
俺は足を全力で動かし、女性の下へひた走る。
彼女の左腕を掴み、引きずるようにして魔物と距離を取らせる。
「ここにいてくれ」
「はい……」
そして充分に女性の安全を確保すると、俺は魔物に近づきながらでたらめに左腕を振り続ける。
「グラアアアアアアアアッ!!」
魔物は一際大きな咆哮を上げると、遂に倒れ込み四肢をばたつかせる。
俺はそんな魔物に追い打ちをかける。
あまり血を流し続けると意識を失いかねない。
最後に大きく腕を振って血を浴びせた後、息を切らしつつ魔物の様子を見る。
「……もう大丈夫か」
魔物が完全に沈黙したことを確認し、女性の方を振り返る。
彼女はゆっくりと体を起こし、こちらを見てくる。
どうやら地球人のようだ。現代風の服装に身を包んでいる。
「ひっ!」
女性が悲鳴を上げる。
俺の皮膚が異様に赤黒いのと、欠損した左腕からだらだらと血を流しているせいだろう。
俺の見てくれの悪さは、以前カーブミラーで自分の姿を確かめたときに気づいた。
「安心してください。気持ち悪いかもしれませんが、これでも人間です、多分」
「……はい。すいません。変な声出してしまって」
「気にしていないから大丈夫です」
普通に会話ができるくらいに落ち着いている。今は腰が砕けているようだが、直に歩けるだろう。
だったら……。
「すいません。あなたにはなにがなんだか分からない状況でしょうが、とにかく避難してください。この道をずっと進んだところにある、岩倉高校は知っていますか?」
早口で女性に質問する。
「は、はい、分かります」
「あそこは安全です。ぜひあそこに避難してください」
「はい。……あなたも、一緒に来てくれませんか?」
女性がすがるような目つきで見てくる。
もう二度と危険な目に遭いたくない。そんな思いが目に詰まっていた。
だが俺は、この女性も、美紀たちも助ける。
そのためには……。
「本当にすいません。俺にはやらなくちゃいけないことがあるんです。……ですから、あなた一人で向かってほしいんです」
「……そうですか。すいません、変なこと言っちゃって」
「こちらこそすいません。力になれなくて……」
互いに「すいません」の応酬になっている。
こんなときでも、身に染みた習慣は表に出てしまうものだ。
「……よかったらこれを使ってください。無いよりかはマシだと思います」
俺は腰に括りつけていたナイフを取り出し、鞘を抜いて女性に刃を見せる。
「ナイフです。扱いには気をつけて」
「……はい」
ナイフを鞘に仕舞い、彼女に差し出す。
彼女はおっかなびっくりと言った様子で、それを受け取った。
「それじゃあ、行きます。……必ず生き残ってください」
「……はい!」
魔物と戦うなんて考えてもいないだろうから、「戦うな」という忠告はしないでいいだろう。
「気をつけてください」
「はい。あなたも」
互いの名前も聞かないまま、俺は再び王都を目指して走り始めた。