第十五話
}第十五話{
ある日突然地球と融和した剣と魔法の異世界『マナレガリア』の魔王に成す術もなく敗れた俺、相田桃理と妹の相田美紀。
敗走した俺は満身創痍の美紀の容態を伺いながら、仲間のサーニャとともにドラゴートの背に乗って移動し、上空に浮かぶでかい船を睨みつけるように観察していた。
「消えた……?」
それは空の旅を始めてから、割とすぐのことだった。
衝撃や見た目の変化は一切なく、俺が今まで視界に捉えていた、船のような新たな異世界が跡形もなく消えた。
「……王城の方角からとんでもない魔力の流れを感じ取った。とても信じられないが、魔王が魔法陣を使ってあの船のような世界を『チキュウ』と『マナレガリア』の融和した世界と融和させたのだろう」
「そんなこともできるのか、魔王は?」
サーニャの話だと、王都の魔法使いたちが地球にいる美紀を呼ぶために『地球』と『マナレガリア』を融和させたそうだが。
魔王一人の力で、世界どうしを融和させられるのか?それほどまでに、魔王は強大なのか。
「魔王は魔法や魔力の扱いに長けている。魔法陣の名残を使って、『マナレガリア』と『チキュウ』を融和させたのを再現したのだろうね」
「なんでもありだな。俺たちはマナレガリアだけでも大混乱なのに……」
「あれを人間の尺度で測らない方がいい。トーリも身を以て実感しただろう」
「ああ、そうだな……」
移動中することがないので、サーニャと意見を交わす。
ドラゴートのごつごつした背にしがみつくのは慣れないが、話すくらいならなんとかできる。魔王に負わされた傷も、『回復の魔法印』のおかげでじわじわと回復してきているのが分かる。
「アレクを回収しよう。ドラゴート、速度を落としてくれないか」
「分かった」
俺が二人と再会した辺りの上空付近でサーニャが声をかけると、ドラゴートはさも当たり前かのように返答する。
俺は内心びっくりした。飛びながらでも話せたのか。気を遣って会話に参加していなかっただけか。
「降りよう」
「ああ」
マナレガリアの王城正面に伸びる大通りにドラゴートが着陸した。上半身を屈め、俺たちが降りやすいようにしてくれる。
俺とサーニャは警戒しつつ、地面に降り立った。
「そういえば、教えてくれ。ドラゴートは仲間なのか?どうして話せるんだ?なんでサーニャと一緒に俺たちを助けてくれた?」
瓦礫と煙だらけのメインストリートを歩きながら、サーニャに訊いてみる。
「そうだね、一つずつ応えよう」
サーニャは重傷を負ったアレクの身を隠した場所を案内しながら、俺に話してくれる。
「ドラゴート、彼女は仲間だ。かつては魔王の腹心である四天王の一体だが、今は私たちの味方」
「四天王なのに味方?王城に入るとき、門の前で寝ているのを見たが」
「私も門前で会った。詳しく説明しよう」
景色に見覚えがある、こっちの方だ。サーニャが言う。
「とはいえ、私も詳しい事情は知らない。きみを追って城に入ろうとして出会ったとき、彼女が話してくれたことを要約して伝える」
「頼む」
「いた。まだ意識はないか。……『ハイ・ヒール・ナロウ』」
サーニャが倒壊した住宅のリビングの中央に横たえられている、ぼろぼろのアレクを見つけた。
特に怪我が激しい腹部に杖を当て、素早く回復の魔法を詠唱する。
「……」
「怪我、ひどそうだな」
「何度か魔法は使ったのだけど……。起きてもらわないと困る。目方の軽いミキならまだしも、ドラゴートの背に括りつけて飛ぶわけにはいかない」
「少し待つか?」
「時間がない。融和が事実なら、私たちはさらなる危機に直面することになるのだから」
サーニャは言いながら、未だ目覚めないアレクの頬を平手で叩き始めた。
そんな乱暴な。俺はなにかできることがないかと思い、周囲を見回した。
融和の影響か、モダンな一室は荒れに荒れていた。画面が割れた液晶テレビ、脚が折れたローテーブル、方々に散らばった食器類など、残骸やごみとしか思えないものばかりが目に映る。
奥の方に据え置きのコンロやシンク、冷蔵庫などが見える。見た感じ、我が家と似たつくりか。リビングとキッチンが一緒になっているタイプだ。
「なら、アレとアレが使えるな」
「なにか思いついたかい、トーリ?」
「ちょっと待っててくれ」
俺はキッチンの方に走った。
ごく普通の家庭なら、当然あるよな。フライパンとお玉。
左腕が二の腕までしかないため、二つを右手で握って持ち、サーニャとアレクのところに戻る。
「これは、鍋と匙かい?鍋にしては浅く、匙にしては大きいような」
「まあ、大方鍋と匙だ。持ってくれ」
「うん?」
俺はまず、フライパンをサーニャに手渡した。
「本来は縁がある方が上だが、ひっくり返してくれ」
「こうかい?」
「そうだ。そうしたら、これを反対の手でしっかり持って」
続けてお玉も渡す。
「軽いね。金属でできてるのに」
「地球の技術力というやつだ。準備はいいか?」
「うん、いいよ」
「その匙の先を力いっぱい鍋の底に叩きつけると、まるで打楽器かのような大きな音が鳴る。上手くいけば、アレクを起こせる」
「なるほど、荒療治だ」
俺のやりたいことを、サーニャは理解してくれた。
「じゃあ、いくよ……」
「なるべく、連続して打つといい」
「分かった」
彼女は自らの華奢な体に力を込める。右腕を振りかぶり、しならせるようにお玉をフライパンの底面に叩きつけた。
反発する勢いを利用し、何度も打ちつける。
カンカンカンカンカンッッ!!即席の覚醒装置が、絶えずけたたましい音を上げる。
奇しくもそれは、朝早くに母が俺や美紀を起こすときに出していた音に似ていた。すなわち、とんでもなくうるさい。
「っ~~!」
右手で右耳を塞いでいるが、左耳は無防備だ。数メートルの距離で鳴らされると強烈この上ない。
「……っな、なんだっ?なんだっ!!」
あまりの大音量にアレクが跳ね起きる。いや、跳ね起きようとして怪我のせいで失敗し、再び倒れ込んだ。
「おお、起きた」
カンカンカンカンッッ!!
「お、起きたらやめてくれ!」
「ああ、すまない。自分で鳴らすと癖になるね」
俺はサーニャを止め、音も止めさせた。
サーニャは満足げな顔でフライパンとお玉を下ろすと、背負っていたリュックサックの中にしまった。気に入ったのか?
「今のは警報か……?」
「まあ、ある意味警報だな」
「って、トーリ!?なんでここに?」
「俺も戦いたかったんだ。美紀やサーニャ、アレクたちの力になりたくて」
「そうだったのか。それで、ミキは?魔王を倒せたのか?」
「残念ながら、ミキとトーリは負けた。今は撤退するときだ」
「撤退?魔王はどうするんだ?」
「それは歩きながら話そう。立てるかい?」
「あ、ああ……」
俺以上に事情を知らないアレクは、しばしの間困惑気味だった。
しかし、すぐに今の状況を理解すると、自分の装備を確認して素早く起き上がる。
「まず、ミキとトーリは魔王のところまでたどり着けたが、敗れた。これは理解してくれ」
「俺は『回復の魔法印』があるからまだ動けるが、美紀の怪我がひどい。とても戦える状態じゃないんだ」
「分かった。希望が潰えたわけじゃないんだな」
「……ああ、そうだよ」
大きな音を出したので、魔物が寄ってくるかもしれない。
俺たちは十分用心しつつ、外の通りに出た。
「これから、ドラゴートというメスの竜の下に戻る。彼女は賢く、融和前はマナレガリアの北部の方で村を作り、他の賢い竜たちとともに暮らしていたそうだ」
「竜が村を?」
「もしかして、『チキュウ』には竜がいないのかい?」
「いないぞ」
俺は短く応えると、なるほどと言わんばかりにサーニャは手を打った。
「では一から説明しよう。『マナレガリア』の竜種には人間並みに賢く、人語を介すことのできる種類と、そうでない種類がいる。前者は竜どうしで村や街といった社会を築き、ひっそりと暮らす。社会といっても、人間と交流することはない。彼らだけの独立したコミュニティだ。ここまでは分かるかい?」
「ああ、なんとなくだが」
賢い竜は賢い者どうしで群れを作って生活するってことだろう。一部の地球の動物と似たようなものだな。
「一方後者、賢くない竜は普通の魔物の一種と考えていい。繁殖期以外単独で行動するのが専らで、色んなところに出没しては本能がままに暴れ回り、たまに人間たちによって討伐される」
「地球人の観点から言わせてもらうと、そっちの方が馴染み深いな」
「竜はいないのに、馴染み深いのかい?」
「あー、厳密に言うと、地球では竜は空想上の生き物としてみなされている。実際にはいないが、いたらこういう姿じゃないかとか、皆が勝手にイメージしていた」
「そういうことか」
「平和だったんだな、チキュウは……」
それを、俺たちが台無しにした。アレクは俯いてそう続けた。
「アレクのせいじゃない、いや、誰のせいでもないさ。続けてくれ、サーニャ」
「うん……」
俺は二人を元気づけるため、速足で前に出る。
アレクは怪我で大変だろうし、サーニャには魔力を節約してもらいたい。もし、魔物と遭遇したら戦うのは俺の役目だ。
「ドラゴートは賢い竜だ。だから意思疎通ができる。これはもうそういうことだと納得してくれ、トーリ」
「分かった」
「そして彼女が言うには、彼女は否応なしに四天王にさせられたそうだ」
どういうことだ?ちょうどドラゴートの巨体が見える位置まで戻ってきたところで、俺は疑問に思った。
「チキュウと融和するより遥か昔の話だ。彼女は竜の村のリーダーの娘で、次期リーダーの有力者だった」
「世襲制なんだな」
「そこは人間社会と変わらないんだよ。これは大変興味深いんだけれど、人間だろうが魔物だろうが、一定以上の知能を有する種は大体似たような規則やルールに則って集団社会を築くということが魔物生態学では通例とされていて……」
「サーニャ、ドラゴートの話をしてくれ」
「ああ、すまないね」
相変わらずの饒舌っぷりだ。知り合って短いが、サーニャが説明好きな性格なのは明白だった。
「ドラゴートは村のリーダーとなるため、強さを磨いたり知識を蓄えたりしていたそうだ。だがある日、悲劇が起こった。魔王が村にやってきて、ドラゴート以外の仲間たちを皆殺しにしたんだ」
「なんでだ?魔王は魔物の味方じゃないのかよ?」
「それが、そうとは限らないんだよ。魔王の性格にも色々あってね。きみが会ったのは最悪の部類だ」
最悪……。つい数十分前に出会った魔王の姿を思い返し、寒気を覚える。
強いだけじゃなく、残忍でもあるのか。
「自分の強さを確かめるためか、ドラゴートが気に入ったのか、それともその両方か。とにかく魔王は竜の村を滅ぼし、ドラゴートを無理やり配下にした。『逆らえば、お前も他の竜と同じように殺す』と脅してね」
「それはひどいな……」
話が事実なら、地球人の俺が持つ倫理観で測っても魔王は異常だ。
強いが故に狂っているのか、狂っているから強いのか、あるいはもともとそういう性格なのか。俺には分からないが、ドラゴートの気持ちは理解できる。
「だから、俺たちに協力してくれるのか?でも逆らえば殺されるんだよな」
「そこも彼女は説明してくれた。世界の融和という特殊すぎる出来事が起きて、もはや魔王に仕えるのは無意味だと判断したらしい。もともと混乱に乗じて逃げ出すことを考えていたところに、竜に詳しい私がやってきて対話を持ちかけたことで、逃亡を実行に移したとね」
「対話を持ちかけたのか」
「当時は魔王の従える竜だったからね。賢い種類じゃないかと思って、話しかけてみたんだ。そうしたら案の定、狸寝入りだった。魔王には門番を命じられていたけど、寝たふりをしてミキとトーリを通らせたと教えてくれた」
「え、あれ寝てたんじゃなかったのか……」
竜が寝たふりをするなんて、欠片も考えていなかった。こうして事情が分かれば納得だが。
「新たな世界が融和した今、彼女は完全に心変わりし、私たちの味方になる決心をしてくれた。よって、ドラゴートは味方だ」
「なるほど。俺はよく分かったが……」
「ちょっと待ってくれ、今『新たな世界が融和した』と言ったか?」
「ああ、言ったともアレク。ちょうど私がドラゴートと話しているとき、地球じゃない、また別な異世界が上空に出現してね」
「そして多分、魔王が王城の魔法陣を使ってその世界と今の世界を融和させた。だから今、この世界は三つの世界が融和した状態になっているはずだ」
「そんな……」
サーニャの説明に俺も参加すると、アレクは愕然とした。
ドラゴートのところに戻ってこれた。一対のまん丸な黄金の瞳が、傷だらけのアレクの体を見据える。
「ドラゴート、彼がアレクだ。アレク、彼女がドラゴートだ」
「よろしく頼む」
「よろしく」
「乗ってくれ。後の話は彼女を交えてだ」
事は一刻を争う。周りの安全をもう一度確認し、俺たちはドラゴートに乗り込んだ。
「竜の背に乗るのは初めてだ」
「アレクでもそうなのか」
「賢くない竜は乗る前に倒すし、賢い竜は珍しいからな」
竜を倒せるくらい強いんだな、アレクは。
俺も強くならないと。美紀を守るために。新たに決意を固くする。
「トーリ。上空からだけど、学校までの案内を頼めるかい?」
「任せてくれ」
黒い翼がはためき、硬い鱗に覆われた巨体が宙に浮かぶ。
こうして、俺、美紀(気絶中)、アレク、サーニャ、ドラゴートの四人と一体は、マナレガリアの王城を後にするのだった。
※※※
それから数分後、俺たちは高校に戻ることができた。
魔物である竜が接近することになり、学校にいる人たちを警戒させてしまったが、一旦学校近くに着陸してから俺たちだけで学校に向かって説明することにより、ドラゴートも仲間だと信じてもらえた。
彼女は校庭にいてもらうことになった。サイズが大きいので、とてもじゃないが屋内には入れない。
「魔物には慣れてきたつもりだけど、まさか竜がいるだなんて驚いたよ。それに真っ直ぐこっちに向かってくるんだから」
「驚かせてしまって、すまない」
「いいえ、責めているんじゃないんです」
律儀に謝るドラゴートに、向井さんも謙遜して返す。
傾き始めた日の光が照らす校庭で、俺たちはこれからのことを話していた。
「むしろ、戦力が増えてくれて嬉しい。学校を、人間たちの希望の砦をより一層強固にできる」
「それなら、ありがたい……」
ドラゴートはそう区切ると、頭を地面につけて目を閉じた。眠るつもりのようだ。
「桃理くん。美紀ちゃんは保健室の先生に診てもらっている。あれからマナ人の神官さんも何人か集まってくれて、怪我人の救助や魔法を使った回復はうまくいっているよ」
「よかったです。向井さん、本当にありがとうございます」
マナレガリアの住人と地球人の橋渡し役としてだけでなく、学校という拠点を守る統率役としても尽力してくれている向井さんには、感謝してもしきれない。俺は深々と頭を下げた。
「礼を言われるようなことはしてないよ。成り行きでリーダーみたいなことをしているだけだ。あとで三階の保健室を尋ねるといい」
「分かりました」
「というか、桃理くんも改めて治療してもらった方がいいね。後の話し合いは私たちに任せて、アレクくんと今すぐ保健室に行ってきなさい」
「でも……」
向井さんにしっかりと言われ、判断に困った俺はなんとなくサーニャの方を向いた。
すると彼女は、柔らかく微笑む。
「心配いらないよ、トーリ。もはや、きみの協力も不可欠な状況だ。今度は置いていかない」
「俺は別に、置いていかれることを恐れているわけじゃない……」
嘘だ。ならなぜ、話し合いから外されることを嫌がっているのか。
自分では気づいていないふりをしている。本当は、美紀を連れて一人置いていかれることがなによりも恐ろしいのに。
「でははっきりと言おう。きみも戦力だ。有毒な血を使い、マナレガリアの魔物を単独で倒せるのだから、今度またミキを連れて魔王を討伐しに行くと決めたときには、きみも一緒だよ?」
「ああ、ぜひ頼む」
「泣こうが喚こうが、引きずってでも連れていくよ。いいかい?」
「ああ、絶対俺も行く。美紀を、サーニャを、アレクを、助ける。勝つ」
美紀の命は、自分の命よりも大事だ。俺は改めて強く実感する。
その思いを込めて数十秒、俺はサーニャと真剣なまなざしを向け合った。
「……ふっ、覚悟は決まっているようだね」
やがてサーニャは諦めたようにそう締めくくると、口を噤む。
「行こうか、トーリ」
「ああ、待たせた」
もう、余計な心配はいらない。
難しい話はサーニャに任せた。特に消耗の激しい俺と美紀とアレクは、休む。
新たな世界が融和しようが、休息が必要なことには変わりない。今は向井さんが守ってくれた高校という拠点で、英気を養わせてもらう。これからのことは、それからでもいい。
そう思いながら、俺は開け放たれた校舎の昇降口に向かって歩みを進めるのだった。