第十一話
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走れ、城はもう少しだ。
俺は血の滴る左腕を振りながら、随分と大きくなった城を目指してひた走る。
走れ、走れ。
美紀、アレク、サーニャと一緒に、戦うんだ!
とっくのとうに肉体は限界だろうが、構わない。
三人を死なせるよりかはマシだ。
走れ、少しでも前へ!
「あっ、あれは……」
城が正面に見える大きな道路を走っていると、前方に人らしきものが見える。
二人、いや三人いる。
もう少し近づいてみる。
茶色い大きな人とその近くに倒れている人、そしてその人に寄り添う形で膝をついている人。
後の二人は、アレクとサーニャか?
目が霞んでいて見えないので、体に鞭を打ってスパートをかける。
もう少し距離を詰めたら、二人が誰なのかが分かった。
間違いない、倒れているのがアレクで、その傍にいるのがサーニャだ。
でも、少し離れたところにいる茶色い大男は誰だ?
人間には見えないし、トキシックのような人型の魔物か?
「おおおおおおおいいいっ!」
二人の様子からして周囲は安全そうだ。
俺は声を上げて二人の元へ駆け寄る。
「トーリっ!?」
サーニャがびっくりして俺の名を呼ぶ。
「君っ…どうしてここに……それにどうやってここまで来たんだ?」
「どうしては、三人の力になるために、どうやっては、これを使ってだ」
珍しく狼狽して一度に二つの質問をするサーニャ。
俺は二の腕の半ばまでしかない左腕を振り上げて答えた。
「左腕?…って傷口が開いているじゃないかっ!急いで治療しないと……」
「いや、俺は大丈夫だ。それより、美紀は?」
「一人で王城に向かった。今は他の四天王か、魔王と戦っているはずだ」
四天王とは?
と思ったが、魔王の部下の強い魔物という解釈でいいだろう。
それより、美紀に加勢しにいかないと。
「君、今の君の状態は危険だ。私の魔法で回復させるよ」
顔を下に向けてアレクを見る。
彼の左肩は外れ、左脇腹の鎧が大きくひしゃげている。
目を閉じて気を失っているし、相当危険な状態なんだろう。
サーニャはそんな状態のアレクに杖を向け、何かの魔法を使っているようだ。
白い光。これが回復魔法か。
「でも早く行かないと……」
「どのみち、今の君が向かっても全く戦力にならない。君は一般人なんだから」
一般人。
もう俺はその括りに入らないかもしれない。
「『回復の魔法印』のおかげで、痛みを感じないんだ」
「でも、血を流しすぎると……って、その色…」
サーニャが顔を上げて俺の方を見る。
俺の血が黒いことに気付いたようだ。
「そう、俺の血は、毒になったんだ。エドのような毒の血に」
「えっ?」
「自分でもよく分からないが、エドの血を含み、肉を食らったせいだと思う」
「そうか……」
俺が自分の体に起きた変化を説明すると、彼女は黙り込んだ。
「一般的に、魔物の血肉は人間にとって有害だ。大量に血を浴びたり、肉を食べてしまうと命の危険を伴う」
やっぱりそうか。俺、ここに来るまでに結構な量の肉を食べちゃったぞ。
「でも、俺には『回復の魔法印』があったから……」
「私も断定はできないが、恐らくそうだろう。血を飲み、肉を食らっても、同時に治癒の能力が働いて生きていられたのかもしれない」
魔物の血肉を食べて取り込んだ毒を、『回復の魔法印』の回復効果が打ち消してくれた。
そういう理屈だと考えられる、ということは分かった。でも……。
「どうして俺はトキシックのような毒の血液になったんだ?」
「それはね、また推測なんだが、魔物の血肉を貪った人間は魔物になるのではないだろうか。つまり、トーリは魔物になった」
「えっ!?」
顔を下ろし、アレクを再び見つめながらそう答えるサーニャ。
俺は彼女の発言に驚きの声を上げてしまった。
「俺が……魔物に…。確かに、肌も黒ずんでトキシックのようになったが……」
「そう、それなんだ。そもそも、人間だったトキシックがどうやって魔物になったのか、それが問題なんだ」
サーニャがパッと顔を上げる。
俺の目を見ながら、話を続ける。
「フォリアが持っていた手記には、エドがいなくなったとき、彼の部屋を見に行くと中には魔物の肉が散乱していた、とあった。つまり、彼も魔物の肉を食らって魔物になったと考えられる」
「でも、普通の人には毒なんだろ?魔物になる前に死んじゃうんじゃないか?」
先ほど、自分が生きていられる理由を説明してもらった。
その理由と今の話は矛盾しているんじゃないか?
「それは分からない。一緒に何か、無毒化するような成分を含んだのかもしれないし、エドの体質がそうさせたのかもしれない。なんにせよ、これは今考えても分からない」
「そうか……」
「でも、君が魔物になったといえる明確な根拠が、血や肌の変化と別にもう一つある」
今度はきっぱりと断言するサーニャ。
「それはなんだ?」
「失血量だよ。君は先ほど、左腕を使ってここまで来たと答えた。それはつまり、長い間血を流し続けていたということだ。さらにその状態で、走ってここに来たんだろう?血流が促進されてより血が失われるはずだ」
確かに。全く気にしていなかったが、そういえばそうだ。
「魔物の生命力は強靭だ。大量の血を流しても、致命傷を負わない限り生きていられる。だから君は意識を失わず、今も平気でいられるんだ。さらに、君には『回復の魔法印』が刻まれている。それの影響もあるだろう」
つまり、魔物になって『回復の魔法印』があったから、血を流し続けていてもここまで走ってこれたという訳か。
「私の推察は以上だ。…といっても、君も危険な状態であることには変わりは無い。アレクの処置が済んだら、君の番だ。いいね」
有無を言わせぬ彼女の言い草に圧倒される。
これは、治療してもらわないと通してくれないだろう。
「分かった。ここで少し休むよ」
「そう言ってくれると助かる。なに、ミキは強くなった。善戦しているさ」
理屈っぽいサーニャが希望的観測を漏らした。
よほど、俺を見過ごせないのだろう。
「えっ」
瞬間、足腰が砕けて地面に膝をついた。
「ほら、精神じゃなくて、肉体が限界なんだ」
「そうか……そうだよな」
休むことなくぶっ通しで、ここまで走ってきた。左腕から血を流し、魔物と戦いながら。
つい一週間ほど前まで普通の高校生だった俺の体が、この過酷な負荷に耐えられるはずがない。
俺は上体を前に倒し、俯せに寝転んだ。
「そっちの茶色の毛むくじゃらは誰だ?」
「魔王の忠実なる部下、四天王の一人、ウィールドだ。見て分かるだろうが、アレクが倒してくれた」
茶色い男、ウィールドは背中から剣を生やしている。
アレクの突きによって胸を貫かれたのだろう。右腕を振り抜いた状態で、立ったまま死んでいる。
「ちなみに、私は先ほど、四天王の一人、ソウリッチを撃破した。よって四天王はあと二体だ」
あと二体。
もう二体まで減らせた、か、あと二体もいる、のどちらで考えた方がいいのか。
「決して、ミキがその二体と戦うことになる、もしくは戦っている、とは限らない。魔王が四天王全員を連れてきたとは限らないからね」
「そうか」
でも、多分連れてきていると思う。これもサーニャの希望的観測だ。
「ま、俺とサーニャでその二体を倒して、美紀のために道を切り開けばいいさ」
「そうだな」
「それに、美紀が二体とも倒しているかもな」
「それもあり得るな」
俺とサーニャはなるべく暗い気持ちにならないようなことを話して、アレクの傷が癒えるのを待った。
※※※
「ここが…王城……!」
私は、城門に向かうための長い石段を見上げながら、圧巻の声を漏らした。
大きい。高く聳える門も、その奥で鎮座する城も、とてつもなく大きい。
サーニャは、融和の混乱に乗じて、魔王が王都を攻め滅ぼすつもりだ、と言っていた。
四天王のウィールド、ソウリッチがいたことから、そのことは間違いない。
さらに、ソウリッチのいた場所からここまで、誰にも会わなかった。
このことが意味するのは、市井が魔王たちによって蹂躙されたということだ。
城下町を手中に収めた魔王が、次に向かう場所といえば、ここ、王城しかない。
「………」
私は石段を一段ずつ登りながら考える。もちろん、周囲は警戒している。
王族が住み、恐らく勇者召喚が行われたであろう場所、王城。
ここを潰して初めて、王都が陥落したといえる。
勇者を殺して初めて、人類が敗北したといえる。
だから、魔王は多分城にいる。
あるいは、もう城に住む人を全て虐殺した後かもしれない。
それでも、城に居座るはずだ。
勇者がいないと気づいたから、って理由もあるけど、一番は自己顕示欲によるものだと思う。
魔王は悪逆非道な存在。
殺した人間たちの中で最も位の高い王が住む城で、勝ち誇った顔をしながら私が来るのを待つと思う。こういうタイプの存在は。
石段を上り切った。縦に格子の張られた大きな門が立っている。
そしてその向こうには……。
竜がいた。
竜。言い換えるとドラゴン。
黒い竜だ。でもお腹は白い。
そんな竜が、丸まって眠っている。門のすぐ向こうで。
おそらく、いや絶対に、あの竜も魔王の手下だろう。
「………」
物音を立てないようにして、門に近づく。
やるしかない。アレクとサーニャのためにも。
そして、兄貴のためにも。
私が門の目の前に立っても、竜はこれといった反応をせず、目をつぶったまま穏やかに呼吸をしている。
「………」
門扉に手をかける。
……竜は大丈夫だ。
「………」
静かに扉を引くが、重たい。
「……ふっ!………ふっ!……」
力を込め、小刻みに門を開けていく。
扉が動く度に、ギイィッという耳障りな音が鳴る。
「ふっ!……ふっ!…………」
起きないで、と思いながら、なんとか体を潜り込ませる程度の隙間を作った。
「………」
サッと体を滑り込ませて、城門をくぐった。
「………スゥゥゥッ………スゥゥッ…………スウゥゥッ………」
目と鼻の先に竜の顔がある。一定のリズムで吸う息が聞こえるほどだ。
「………」
体を竜の方に向けながら、カニのように横になって歩く。
「スウゥゥッ………」
「………」
竜から少し距離を置いたので、呼吸音が聞こえなくなり、顔も見えなくなった。
「………」
あと数歩で城の中に入れる。
いつ、首をこちらに曲げてくるか。
そんなことを思いながら、足を進めていく。
「……………ふう」
城の入口に立てられていたであろう扉は、内に向かって大きく破壊されている。そのため、扉を開くことなく城の中に入れた。
「この奥に、魔王が……」
充分に竜と距離を取ってから、そう呟く。
生きるか、死ぬか。
殺すか、殺されるか。
人類か、魔物か。
どちらに転ぶかは、私の手にかかっている。