第9話 ぱんつとボディクリームと永遠の別れ
女子高生は、崩れ落ちた上体を何とか起こして大丈夫と手を振ってみせたが、それでもやっぱり顔色は悪かった。膝枕でちょっと横になったくらいで、調子が戻るわけではなさそうだ。やはり帰ろう…そう思って、私は女子高生に告げる。
「顔色悪いから、今日はもう休んだ方が良いよ。今日はいろいろと悪かったよ」
来た時と同じように、縁側から今度は外へ出て帰ろうとすると、女子高生から声がかかる。
「…ルミおばあちゃんが、倒れた時みたいで怖かったんです。学校から帰ってきたら、次郎丸が吠えてて…縁側でおばあちゃんが倒れてた。それから数日寝込んで、おばあちゃんはそのまま亡くなりました。だから…ここで倒れた蕨さんを見た時、またか…って。ごめんなさい」
帰り際に私の背に向けられた女子高生の話に、私は振り返った勢いそのままに、縁側に座っていた女子高生を、ぎゅっと抱きしめた。
「わ、蕨さん? あの…」
抱きしめた腕の中から、女子高生の戸惑う声が聞こえてくる。それでも抱きしめたまま、私は口を開いた。
「解るよ。うちも…うちのばあちゃんも、そうだったから。倒れてからはずっと眠ってて…青白い顔して、いつもの威厳なんて何にもなくて、普段は怒るとめちゃくちゃ怖かったのに…痛みとか薬で辛いのに、最後までお小言だらけで…でも全然怖くなくてさ…それでも息引き取る間際までずっと、ああだこうだって説教だよ? なのに、直前になってあんなこと…」
ばあちゃんが死ぬ間際のことを思い出していた。それは遺言なんて大袈裟な話ではないけど、ばあちゃんらしからぬ発言に驚いた。
「蕨さん…?」
「あ、ごめん。そうだ、元はと言えば、私が倒れたせいだったよね。ごめん、じゃあ帰るわ。余計な時間と体力使わせて悪かったね…。ちゃんとゆっくり休んで。ルミばあちゃんにもよろしく」
私は自分の言いたいことだけ告げて、来た時と同じように縁側から帰った。縁側から出てきた私に向かって、次郎丸が吠えていたけど、そんなものは気にならなかった。
帰宅後、私はすぐにじいちゃんの部屋に向かい、勢いよく部屋の襖を開け放った。
「じいちゃん! ちょっとツラかして」
襖を勢いよく開けた先には、風呂上がりでツルッパゲの頭にボディクリームを塗るじいちゃんの姿があった。じいちゃんは、突然の孫の仁王立ちに何やら焦った様子を見せた。
「わ、蕨…突然ノックもなしに開けるやつがいるか! 親しき仲にも礼儀ありって言うじゃろうがっ…お前はわしがもし、ぱんつ履いてなかったらどうするんじゃ!?」
「はぁ? ぱんつ履いてんじゃん。つーか、襖にノックなんか出来ないし…大体いっつもこの時間には、風呂から上がって部屋に籠もる老人が何ハゲ頭にせっせとボディクリームとか塗って…ん? ボディクリームなんてどこから……あ、あぁっ!?」
じいちゃんが塗っていたボディクリームを取り上げてみれば、それは私が買ってきたちょっとお高い良い香りのするものだった。
「やたらと焦って抵抗すると思ったら…何で勝手に人が買ってきた高級品ちゃっかり使ってんだよ!! ハゲ頭のどこにこんなもんが必要なんだ、くそじじいがっ!!!!」
ちょっとずつ大事に使っていたものを使われた憤りから、口の悪さに拍車がかかる。しかし溜め込んでいたフツフツとした怒りは、すぐにはおさまりそうになくて、そのままの勢いで部屋を訪ねた元々の目的を果たした。
「クリームの件はあとで使った分だけ、きっちり金払ってよ! それよりルミばあちゃんのこと、じいちゃんはどうするつもりなの!? このままいつまでも仲良しこよしってわけにはいかないんだよ!?」
あとどれくらい、ルミばあちゃんに猶予期間があるのかなんて解らない。聞き方を間違えたとはいえ、それを聞くためにルミばあちゃんのあんな哀しい顔を何度も見たいわけじゃない。それでもこれからも生きていく人間と、命を既に終えてしまった魂が、まったく同じ時を過ごせるとは思えない。一時の感覚だって同じかどうか、生きてる私にはそれすら解らない。それなのに、じいちゃんが何を考えて、ルミばあちゃんと逢瀬を重ねているのか解らない。このままいたずらに時を進めて、また2人は別れを繰り返す道を選ぶのか…それも今度は永遠の別れだ。
「これじゃあ、ばあちゃんが何のために…」