十六話「悲鳴と血」
学園への入学を三カ月後に控えたある日、アルビーお兄様は急に元気がなくなり、部屋に引きこもるようになってしまいました。
部屋からは毎日すすり泣くような声が聞こえ、あれほど好きだった絵も描かれていないようなのです。
最初はスランプに陥ったのかと思いそっとしておきました。しかしお兄様は日に日にやつれていき……だんだん心配になって来ました。
お父様とお母様に相談し、何があったのか直接お兄様に尋ねようということに……。
それでお兄様を呼びに、お兄様の部屋に向かっていたのですが……。
「ぎゃぁァァァァああっ!! 痛いーー!!」
お兄様の部屋から悲鳴が! 私はお兄様の部屋へと急いだ!
扉を開け目に飛び込んで光景に息を呑む。
カーテンの締め切られた部屋、割れた花瓶、床に落ちた本、壁に刺さった剣、そして部屋の隅にうずくまるお兄様……!
この部屋でいったい何が!?
「お兄様! どうしたのですか!! 今の悲鳴は!!」
「リーナ、これはね……」
お兄様の怯えた様子を見て私は理解しました。
「賊ですか?」
荒らされた室内、壁に刺さった剣、目に涙をたたえたお兄様。
壁に突き刺さっている剣はお兄様のもの。
お兄様は温厚な性格で剣術が苦手、そのお兄様が室内で剣を抜くなど平時なら考えられない。
お兄様は剣を抜かなければならない状態に陥った。
誰かに襲われ身を守るために剣を抜いたと考えれば、この状況の説明がつく。
「賊が清楚で可憐なお兄様の貞操を奪おうと乱暴を……!」
こんな日が来るのではないかと思っていた。清らかで見目麗しいお兄様を、無理やり自分の者にしようとする痴女が現れるのではないかと……ずっと心配していた。
だから家族で守ってきたのに……! まさか屋敷内で襲われるとは!
「ぞ、賊じゃないよ……」
お兄様が首を横に振る。
その青白い顔を見れば分かります、何か怖い目にあったのでしょう? 賊でないなら他に誰が? まさか……。
「では使用人の誰かが?」
使用人の中に賊のスパイが紛れ込んでいたか、もしくは美麗なお兄様に欲望を抑えられなくなった性悪な女がお兄様を襲ったか。
「いつかこんな日が来ると思っていました! お兄様は華奢で色白で愛らしく見目麗しい! 理性が抑えられなくなった使用人が、お兄様を襲う日が来るのではないかと前々から危惧しておりました!」
「いやこれはね、リーナ……」
よく見るとお兄様の手首に血がついていた。
「お兄様、手に血が!」
お兄様の腕を掴み、回復魔法を唱える。
「最大・回復!」
淡い光がお兄様を包みお兄様の手首にあった傷が消える。良かったお兄様の細くしなやかな手首に傷が残らなくて。
「誰ですか! お兄様の柔らかい肌に傷を負わせたのわ!!」
お兄様の肩を掴み問いただす! 犯人を見つけ出し締め上げてやる!
「誤解だよ……これは自分でやったんだ。剣の練習をしていて」
お兄様は本当にお優しい方だ、こんな目にあわされたのに、犯人を庇おうとなさるなんて。
「お兄様は剣術はお嫌いでしたよね? 室内で剣術の練習をして自らの手を傷つけたとは思えません」
「それは……」
お兄様が消え入るような声で話す。
「ごめん……剣術の練習はしてない、でも自分でやったというのは本当だよ……」
お兄様がご自分で……?
「ご自分で自分を傷つけた? それも故意に? なぜそのようなことを……? もしや……!」
……お兄様はすでに何ものかの手によって汚されている?
だから一カ月もの間は部屋に閉じこもり、すすり泣いておられた……!
私は最悪の事態に、自然とお兄様の肩から手が離れていた。
「もうすでにお兄様は汚されてしまった! それでお兄様は一カ月部屋に引きこもり、すすり泣いていた! そうですね?」
お兄様が部屋に引き込まれたとき、扉を蹴破ってでも、窓を割ってでも、壁を壊してでも、部屋に入り、お兄様に事情を聞いていれば……!
清楚で可憐なお兄様が無理やりに……そのことに一カ月も気づけなかった自分の不甲斐なさを呪った。
「それで精神を患い、自殺未遂を……!」
お兄様が自ら命を絶ち家族を悲しませる理由など、他に考えられない。
「おのれ! 犯人許すまじ! 殺す!」
そこまでお兄様を追い詰めた犯人に対し怒りが湧いた! 事件を未然に防げなかった自分にも腹が立った!
知らずに手を力が入っていた、握りしめた拳から血がしたたり落ちる。
斬る! 犯人だけでなく犯人の家族も親戚も、一人残らず剣の錆にしてくれる!
「リーナ本当のことを話すから、ちゃんと聞いて……!」
お兄様が青い顔で私の手を掴む。お兄様の手に私の血がついてしまう。清らかなお兄様に、私の血などという不浄なものに触れさせてしまうとは……なんたる失態!
「アルビー、リーナ、なんの騒ぎだ?」
「アルビー、もう体調は良いの?」
お父様とお母様が騒ぎを聞きつけ部屋に駆け込んできた。
「お父様、お母様、聞いてください!
お兄様が……」
お兄様の身に起きたことをお父様とお母様に説明しようとしたとき。
「待ってリーナ! 僕がちゃんと話すからっ!」
お兄様に腕を掴まれ止められてしまった。