お願いします!ローリアン様
注意。変わった性癖の人が登場するお話です。
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ここは王立学園の裏庭。美しく整えられた花木に、ベンチやテーブル、椅子も所々に配置され綺麗にされているが、ここに居るのは女子生徒ただ一人だった。普段であれば、昼休みというこの時間帯に、ここに人が居ないという事は無いのだが、今日はこの女子生徒が手を回してこの状況を作り上げていた。目的の人物が自分に近付き易くなる為に。
女子生徒の名はローリアン・レガツォーニ。レガツォーニ公爵家の娘である。白金の真っ直ぐに伸びた艶やかな髪に夕日のようなオレンジ色の瞳の美女。しかし目尻がつり上がっており、高位の貴族らしい態度は対峙する者を自然と萎縮させてしまう威圧感が彼女にはあった。今は誰も居ない裏庭で本を読んでいる。座っているベンチは木陰になっていて、日焼けしていない真っ白な手がページを捲る姿は一枚の絵画のようだ。
「ローリアン様!」
女性としては少し低めの自身の声とは違う、柔らかく可愛らしい声に呼ばれローリアンは顔を上げた。目的の人物が近付いて来る事に内心ほくそ笑みながら、艶やかに微笑む。
「アンナ様、どうかされましたか?」
アンナと呼ばれた女子生徒は意を決したようにローリアンに近付いて来る。緩やかにウェーブがかかった肩まで伸びたストロベリーブロンドの髪が歩く度に揺れ、エメラルドグリーンの瞳はその決意からか潤んで輝いている。アンナは入学してからその頭の良さと顔の可愛らしさでよく話題に上がる人物であった。今の強い意志を感じさせる表情に紅潮した頬の彼女も、大変魅力的だ。
「ローリアン様に、お願いがあります。」
ローリアンの前に立ち、アンナは言った。ローリアンは座ったままアンナを見上げた。見上げているのに見下しているように見えるのは流石は公爵令嬢ローリアン様。平民のアンナにこの威圧感はとても出せない。アンナはたじろいたように表情を曇らせたが、言葉を続けた。
「私、見てしまったんです。フェルディナン様がローリアン様に靴を履かせて差し上げている所を。フェルディナン様は、いつもそのように、下僕のように扱われていると、仰っていました。…フェルディナン様を、解放して頂けませんか?」
フェルディナン・アンジュールはこの国の第二王子で、ローリアンの婚約者だ。アンナはフェルディナンを解放して欲しいと言う。これは婚約解消を求めているのだろうか。
フェルディナンがこちらに走って来ているのが見えた。いつも被っている王子の仮面は剥がれ、焦った表情が遠目に見てとれる。
ローリアンは最近、フェルディナンとアンナの事は噂でよく聞いていた。先日の友人達とお茶をしている際にも話題に上がったものだ。
「ローリアン様、フェルディナン殿下とアンナ様の噂を聞きまして?」
「どのような噂でございましょう?」
「とても親しくされているそうですよ?アンナ様が殿下の頬に手を当てて見つめ合っていたらしいですわ。」
「まぁ…。私も先日見てしまいましたのよ。一緒に本を読んでいる所でしたの。顔を寄せ合って読んでいらっしゃったわ。」
「私も聞きましたわよ。アンナ様が殿下の背中を撫でるように触っていらっしゃったと…見たという方から聞きましたの。」
と、色々な噂や目撃情報を聞かせてくれたものだ。フェルディナンが心変わりをしたのだろうか、とローリアンは考えた。考えられない事ではあるが、ローリアンの思い付いたもう一つの可能性よりは高い。
そもそも自分達は政略婚約だ。十歳の時に婚約してから愛を育んで来たつもりではあったが、本当の愛とやらに目覚めてしまった可能性もあるだろう。
フェルディナンが走って近付いて来ている。この距離ならばローリアンの声も聞こえるだろう。ローリアンはアンナに答えた。
「アンナ様は、婚約解消をお望みでございますか?」
私は別に構いませんわ、と滲ませるように笑顔で言うと、フェルディナンもアンナも青ざめ焦ったような表情になる。違う、となるとローリアンの考えたもう一つの方だろうか。違って欲しいと思いつつ、艶やかな笑顔を崩さない。
「ちっ違います!婚約解消なんて求めていません!」
「ローリィ!?婚約は解消しませんよ!何を話しているんですか?!」
アンナは首をブンブンと振って否定した。フェルディナンは肩で息をしながらアンナの隣に立つ。ローリアンは首を傾げた。
「アンナ様から、フェルディナン様を解放して欲しいとお願いされましたの。私てっきり婚約解消を求められたかと思ったのですが、違ったようですわね。」
フェルディナンはローリアンの仕草が可愛く感じ、顔を赤くしながらも、解放、という単語に反応する。
「解放?!アンナ君!君、もしかして…。」
「そうです!ローリアン様!フェルディナン様を解放して、私を下僕にして下さい!」
「駄目です!ローリィは私の!私のご主人様です!アンナ君には渡しません!」
以前思い付いたもう一つの可能性の方だった事に脱力したが、ローリアンは微笑みを絶やさずに二人の会話を聞いている。類は友を呼んでしまったらしい。アンナも、フェルディナンと同じ、サブミッション(服従者)だった。つまり、ローリアンが友人から聞いた噂は、アンナがフェルディナンから、ローリアンをドミネイション(支配者)として彼が何をされているのかの自慢話を聞き、頬を染めていた、というのが真相だろう。
全く、何を話しているのかしら。お仕置きが必要ね。とローリアンは言葉にせずフェルディナンを睨め付ける。その眼力にフェルディナンもアンナも顔を赤くした。
「フェルディナン様からローリアン様のお話を聞いておりまして、私の理想のご主人様だと思ったんです。どうか、私のご主人様になって下さい。ローリアン様の美しい御御足に、靴を履かせるご命令を賜る喜びを私にも頂けませんか?」
アンナはローリアンの足元に跪き、熱い瞳でローリアンを見つめた。フェルディナンも同様に跪き、ローリアンの言葉を待っている。
「アンナ様、私の僕はフェルディナン様だけですの。他の方を僕にする事は、今の所考えておりません。」
今の所…。フェルディナンはローリアンの言葉に不安を感じながらも、アンナの申し出を断ってくれた事に安心する。アンナは瞳を潤ませてローリアンを見上げた。可愛らしいアンナの縋るような表情にローリアンは内心たじろぐ。ローリアンはこの表情に弱かった。
「僕には出来ませんが、侍女として雇う事は出来ますわ。ただ、勿論扱いは侍女として、ですが。」
「それは、毎日ローリアン様のご命令を聞き、ローリアン様のお世話をして差し上げる事が出来るという事ですよね!?…ああ…こんなに嬉しい事はございません…。」
頬を染めて夢を見るように瞳を煌めかせるアンナに、若干引きつつもローリアンは釘を刺す。
「侍女として、ですわよ?仕事はしっかりして頂きます。しかし、折角この学園で学んでおりますのに、勿体無いのではなくて?」
アンナは特待生として入学して来てから今まで、学園一位の成績を維持している。将来有望な彼女を自分の侍女としてしまうのは気が引けるが、クセはあるが有能な人材を得る事が出来るのは僥倖だ。アンナはローリアンに忠実な侍女となるだろう。ローリアンは勿体無いと言っているが、将来王子妃の侍女になるのはかなり良い就職先である。平民のアンナはかなり扱かれる事になるだろうが、彼女にとっては本望だろう。
「いいえ。私はローリアン様に一生お仕え致します。」
アンナは頬を紅潮させて跪いたまま頭を下げた。ローリアンは微笑み話を終わらせる。
「ではアンナ様。手続きは後程させて頂きます。私はフェルディナン様と話がありますので、アンナ様はお戻り下さい。」
「はい、ローリアン様。では失礼致します。」
アンナは軽やかな足取りで校舎に戻って行った。アンナを見送るとローリアンはフェルディナンに視線を移す。フェルディナンは跪いたままローリアンを見つめていた。
「よく『待て』が出来ましたね。」
ローリアンは言葉にせずとも命令を理解したフェルディナンを褒める。そして片足を上げ足を揺らすと靴が脱げた。
「フェル。」
フェルディナンは脱げた靴を拾い上げ、恭しくローリアンの足に履かせた。ローリアンは満足そうに口角を上げる。
「フェル、学園内でアンナ様と、趣味の話をした事はよくありませんでしたね。貴方方の宜しくない噂も流れておりますのよ?ですので、罰を与えます。」
罰、という言葉にフェルディナンはビクリと体を強ばらせた。
「一週間、学園で私に話し掛ける事を禁じます。」
ローリアンはそう言うと立ち上がり、ショックで色を無くしているフェルディナンを置き去りに教室に戻って行った。
フェルディナンとローリアンが婚約者となったのは二人が十歳の時だった。フェルディナンの婚約者や友人を選ぶ為に開かれた王妃主催のお茶会の席にローリアンは弟のステファンと出席した。
ローリアンは王子妃になる事に興味が無かった為、フェルディナンに挨拶だけするとお茶を楽しんでいた。しかし、いつまでも姉の陰に隠れてビクビクしている人見知りのステファンに我慢がならなかったローリアンは、弟を庭園の人気のない通路に連れ出した。
「ステファン!いつまで私の後ろで隠れてるつもりなの!?そんなんじゃ第二王子殿下の友人に選ばれないじゃない!」
「で、でも、それはお姉様だって…。」
「私は良いのよ!お父様も婚約者に選ばれなくても構わないと仰ってくれたわ。私も別になりたいと思わないもの。貴方はお父様から何て言われたの?」
ステファンは俯き地面を見て黙り込む。ローリアンは腕を組んで苛苛と睨みつける。暫く二人は黙ったまま向かい合い立っていた。するとステファンは恐る恐る口を開いた。
「お父様は…第二王子殿下に限らず、友人が出来るといいな、と仰られました…。」
ステファンの言葉にローリアンはふぅとため息をつく。
「…分かったわ。教えてくれてありがとう。…でもそれならやっぱり私から離れて他の方に話し掛けなければね。…頑張るのよ?では行きましょう。」
そう言うとローリアンはスタスタと会場に戻って行く。ステファンはその後ろ姿をしょんぼりと追い掛けた。
お茶会があった数日後、ローリアンは父親からフェルディナンの婚約者に選ばれたと知らされた。ローリアンは驚いた。何故自分が選ばれたのか分からない。自分がお茶会でした事は、フェルディナンに挨拶をし、お茶を楽しみ弟を陰で叱りつけた位だ。あのお茶会で呼ばれた令嬢の中で一番身分の高かったのは自分だった。きっと身分で選ばれたのだろう。ローリアンはそう結論付けた。
そしてまた数日後、レガツォーニ公爵邸にフェルディナンが婚約の申し込みにやって来た。爽やかに微笑むフェルディナンは正しく王子様で、ローリアンの手を取り跪くとローリアンの顔をじっと見つめた。
「ローリアン・レガツォーニ様、私の婚約者になって頂けませんか?」
「はい、私でよろしければ、喜んで。」
ローリアンは見目麗しい王子に婚約を申し込まれ、胸をときめかせながら答えた。周りの大人達もニコニコと笑いながら拍手をして二人を祝福していた。
…あの頃は、フェルディナンがこのような性癖を持っているなんて考えもしなかった。ローリアンは座って本を読んでいたのだが、いつの間にか思い出に耽ってしまっていたらしい。長い間耽っていたのだろうか。椅子も心なしかプルプル震えている気がする。ローリアンは本を閉じて立ち上がった。
「お疲れ様でした。痛い所はありませんか?」
ローリアンは椅子にしていたフェルディナンを座らせ、労るように頬に手を添えた。よく出来ましたと愛情を込めて親指で頬を撫でた。この飴と鞭がフェルディナンの大好物だ。フェルディナンはローリアンと婚約してから自分を叱って欲しいと願い、最近では肉体的に痛め付けられる事を望むようになった。ローリアンは全くもってそのような趣味は無いのだが、フェルディナンの望みを叶えようと頭を悩ませている。ローリアン自身、最近ではご主人様らしく振る舞えるようになってきたと思う。当然のようにフェルディナンに靴を履かせているし、椅子や犬のように扱う事を躊躇わなくなった。
「ローリィ、大丈夫ですよ。もっと重くても良い位ですから。それより、いつ私を噛んでくれるのですか?」
「っ!噛みません!それは出来ないと、お断りしたではないですか…。」
フェルディナンはローリアンに跡が付く程強く噛んで欲しいと頼んでいた。ローリアンは王族であるフェルディナンを傷付ける事が恐ろしく、当然断った。以前縄で縛り、そのまま学園で一日を過ごさせ夕方縄を解いた際に縄の跡が付いていたのを見て青ざめた位なのに、歯跡だなんてとんでもないとローリアンは思う。対してフェルディナンは赤く染まった縄の跡を鏡で見ては満足そうに微笑んでいた。
「残念ですね。…結婚したら、してくれますか?」
フェルディナンはローリアンの顔を覗き込みながら聞く。ローリアンが断り辛い縋るような表情を浮かべながら。ローリアンはやはり、フェルディナンの顔を見ると顔を赤らめながら言葉に詰まる。
「ローリィ?」
「…そんなのっ、約束出来ませんわ!私、もうお暇させて頂きます。」
ローリアンは早口にそう言うと立ち上がる。フェルディナンも立ち上がり、部屋を出ようとするローリアンの腕を引き抱き寄せる。先程よりも更に赤く染まったローリアンは顔を下に向けようとするが、指で顎を持ち上げて目を合わせた。
「ローリィ…キスしても、良いですか?」
「いっ…!?キ…キスに許可を求めないで下さい…。」
「だってローリィは、学園でしようとすると怒るじゃないですか。」
「当然です!学園ではいけません!…フェルの部屋でしたら、許可は要りませんから…。」
ローリアンは恥ずかしそうに目を逸らすが、フェルディナンは彼女の顎を少し持ち上げて自分を見るように促す。フェルディナンを見つめるオレンジ色の綺麗な瞳が揺れている。フェルディナンはふふっと笑うと柔らかく口付けをした。
「ローリィ、愛しています。」
「フェル…、私も、愛しております…。」
離れ難かったが、フェルディナンはローリアンを見送った。愛しい婚約者であり、ご主人様である彼女は初めて会ったお茶会の頃から変わらない、凛としていて、強くて、そして優しい。
フェルディナンはお茶会で弟を叱りつけているローリアンを見ていた。令嬢達に囲まれていたが、ローリアンが苛立っている気配を遠くから敏感に察知し、ステファンを連れて行った所を追い掛けた。そして隠れて二人のやり取りを見ていた。しょんぼりしていたステファンを羨ましいと思った、自分も彼女に叱られたいと思った。弟を厳しく叱りつけるローリアンを見て、フェルディナンの隠されていた扉が開いてしまったらしい。
それからフェルディナンはローリアンに婚約を申し込み、今のような関係になる事が出来た。彼女が居るだけで、今も未来も薔薇色だ。可愛いローリィ、どうかこれからも、私を虐めて、そして甘やかして…。フェルディナンは部屋で一人うっとりと微笑んだ。
お読み頂きありがとうございました。