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スカイストーン  作者: サーナベル
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第1章

電子の音がピーとなる。

研究はまだまだこれからだ。

チェスは溜息を吐いた。そもそも、所長のシオドアが出すテストが難題過ぎる。

昔、未確認だった氷の結晶からデータを取り出そうと電力を流すが、未確認だった氷の結晶<スカイストーン>は解析できず、チェスの頭がズキズキと傷んだ。

何がいけないのかチェスは顎に手を当て考えた。

<エデンバッテリー>搭載の携帯がチカチカと光る。最新型の携帯は充電なしで永遠と使えるバッテリーが付いている。

またレパリーのデートのお誘いだ。

チェスはワズラわしく『うるさい』とだけ返した。レパリーはチェスに毎日5回はメールしてくる。その口説き方は同僚達に同情される程、下手だった。

良い人ではあるのだけど…。

レパリーのボサボサの金髪と黒い指輪と黄色い花のピアスはもはや何も考えず研究所へチェスの尻を追いかけただけのただのバカだった。

チェスのピンクのミディアムヘヤーが窓の外からの風で揺らめく。最近買った<アクアジェット>の香りがフワッと漂った。ミントのような清楚な匂いだ。

眼鏡をクイッと持ち上げる。高級な眼鏡がチェスの冷血さを物語っていた。研究員が仕事が終わるまで帰らないよう監視するのがチェスの本来の役目だ。

だが、今日は休日出勤だった。それでも呼び出されたのは<スカイストーン>の研究を電子レベルでやっているのがチェスだけだったからなのに他ならない。

チェスは<スカイストーン>に魅入られてから個人で研究をしている。<スカイストーン>があれば、空も飛べるという実験結果が出ていた。

だが、空への引力が弱過ぎる。

チェスは考えた。こんなちっぽけな物をイジるより、<スカイストーン>の大元を探した方が効率はいいのではないか。

空を飛ぶ。

簡単そうに聴こえるが、最も恐ろしい行為だ。人の好みもあるが、落ちたら死ぬ。それに恐怖を覚えない者は人間をやめている。

シオドアが<ユーザーパスコード>を打ち込む音がする。

「何の発展もなかった」とは言えまい。

チェスの脳の中で神経系がピタリと止まった。

薄笑いして誤魔化すチェスを銀髪ロン毛の妙齢の男が観察した。マジマジと見ると渋く顔を歪ませる。

「天才もこれまでか」

チェスの顔付きが鋭く変わった。反抗的な態度でシオドアを見据える。

「お言葉ですが、所長。私の何を持ってして天才というのでしょうか?」

眉間にしばらく手を当て、シオドアは声を上げて笑った。子供が泣いて逃げそうな笑い声だった。

「君は本当に面白い人だ。<スカイストーン>を知って我々の帝国は栄えた。そのメカニズムを科学的に解析するのが君の使命と言っても過言ではあるまい」

研究所の端で鼠が走る。追走カメラが認知して、鼠を焼き殺す光線を放った。黒焦げになった鼠の死骸を掃除用ロボットが回収する。

視界の端でチラリとそれを確認するとチェスは不敵に笑った。

「使命とは何なのかご理解お持ちでいらっしゃるのでしょうか。そもそもそれは科学者には必要のない概念です。有神論者は全て神に置き換えて片付けてしまう」

右の人差し指で机を軽くコンコンと叩いた。

「私達は使命など持ち得ないのです」

また眉間に手を当ててシオドアが「そうなのだが…」と唸る。

「君の頭と花月の石、どちらの方が硬いのか私は興味が湧いてきたよ」

シャレた冗談のつもりでシオドアは言ったのだろうが、チェスには別のニュアンスで聴こえていた。

「花月の石は壊してはならないと掟で定まっているはずなのですが?私の石頭で破壊しても良いという指示で間違いありませんね」

シオドアの肩がピクリと震える。嫌な予感にソローと目を泳がせた。

「あのね、君。何も私は君の石頭をバカにした訳ではないのだ。自分で何を言ったか考えて成果が出るまで〝石ころ〟で遊んでいたまえ」

優しい父親のような風格で溜息を吐き捨て、シオドアが<ユーザーパスコード>を打ち込み、去って行く。

後ろ姿をじっと見守り、チェスはVCバーチャルコンピュータを起動させた。電子の計算式をなぞり、再び<スカイストーン>に電流を流して、電子がショートするようなピーという音を立てる。

SS=H2O+G+X÷1÷3×5

この数式に間違いない。だが、この世の物体では有り得ないのだ。こういう時はレパリーのアホ面の載った写真を取り出すのに限る。未知の生命体同士仲良く並ぶと心の底から愉快に思えてくるのだ。

チェスの苦笑いが一瞬、少女の可愛げを含んだが、本人は自覚していなかった。

シンと静まり返った研究室で同じことを何度も繰り返す。

何かが足りない。そもそも、Xの定義が何なのかが明白ではない。

スーと息を凝らす。チェスは考えた。シオドアの<ユーザーパスコード>をチラリと見たことがある。手の動きだけで32631192だと分かった。

今、チェスは軟禁状態だ。出ることが可能ならば、この檻を抜け出さないのは愚行ではないか。

こんな〝石ころ〟と遊んで生涯を終えるのは真っ平御免だった。

監視カメラに手持ちの<デストミー銃>を向け、一瞬当てる。モニターが混線してブロック状態になるのが予想できた。

チェスの心が晴れる。あんなパワハラ上司の言いなりになってもいいことはない。

チェスの手は自然と研究仲間を集めていた。今日は行ったことのない花月の石の先を探索してみよう。

5人ぐらいに『花月の石の先に行かない?』と誘いの言葉をかける。

1番最初に応答したのはネロだった。赤髪の前髪が特徴的な30代の男だ。黄色い目が長い前髪でほとんど見えない。チェスには卑屈な笑みしか向けない男だが、チェスは密かに想いを寄せていた。

『俺達、仲良いもんな。友達だもんな。で、何?』

また歪んだ言い回しをしている。こんなのだから、友達がチェスしかいないのだ。

『探索を進めない?』

『良い子ちゃんがそんなことしていいのかな?』

煮え切らないネロの返信後、当たり前のようにレパリーからも返信が来る。

『どこへでも君を追いかけるよ、マイプリンセス』

ネロと2人きりで出かけることをチェスは想像した。会話が続かないのが目に見えている。ならば、今日は考え直すか。

研究所を出ると、強い光と同時にレパリーの<ハイビックス>が見えた。黒光りする最速の車にサングラスをかけたレパリーが乗っている。

手遅れだったか。

チェスはしがなく肩を落とした。

レパリーがサングラスを外し、<ユニットドライブ>場から出て来る。<ハイビックス>を研究所用駐車場に駐車し、白い手袋を握ったり開いたりを繰り返して、堂々とチェスに歩み寄って来た。

無理して値高い男を気取っている、とチェスは彼、レパリーのことを評価している。研究所内でも陰口が広まる中で平然といられるのはレパリーがチェス狂いしているためだ。良い言い方をすると恋は盲目ということなのだろう。

レパリーは女性用の電子コミックの中の王子様のようにチェスに跪き、手の甲にキスしようとした。

チェスが咄嗟にデコピンを食らわせる。それでもめげず、キザにニタリと笑った。

「君の一言で僕の人生は大きく変わる」

チェスにはレパリーの傲慢な態度が我慢ならなかった。

「1回死んでみる?」

レパリーの地面に付いた左手を踏みにじる。ビジネスシューズだったため結構痛くて当たり前だった。

レパリーは微かに悲鳴を上げ、困惑したように『口説き屋バイブル』を取り出す。

「女性は運命を感じたら、その相手しか見ない…だよな。今日、俺を呼び出したのはとうとう俺に運命を感じたからじゃないのか?チェス」

「バカな人」とチェスは冷笑した。

「後、4人の男性にも同じ文が送られているわ」

レパリーの顔色が一気に青くなった。よく日焼けした体から血の気が引く。

「チェス、悪い冗談はやめてくれ。君のように清らかな人がまさか男遊びなんて」

一瞬呆気に取られて、チェスはレパリーの様子を伺い、塞がらない口をモゴモゴと動かした。

「私が所内のはみ出し者なのは知ってるでしょ?後、残念だったわね。私はそういった面倒なものには興味がないのよ」

ゆっくりとレパリーが立ち上がった。いつ噛み付くか分からない犬と対面しているかのように一つ一つの動作に無駄がない。

レパリー程自信家を装った貧民はそう滅多にいないだろう。実際、産まれがシリアルキラーの父親と首を吊った母親という恵まれない環境でよく<ジェイコニフ>研究所に立ち入りできる許可を得たものだ。

チェスは舌打ちをし、「悪かったわよ」と言い放った。

「あなたも花月の石の向こうに来なさい」

レパリーはフフっと笑った。

「2人きりで悪いことするのか。ロマンティックでいいじゃん!」

「2人きりじゃないわよ」

小型の洒落た光沢をした<ハイビックス>から降りた小柄で長い赤髪の男が<ユニットドライブ>場にドラフトする。腰をったように手を当てて顔を顰めて出て来た。

「昼間から愉しそうに2人で何してる?」

ネロが黒い蛇革の服に身を包み、低い声で威嚇しながら、チェス達を睨み付けた。

この警戒心をチェスは多大に評価している。チェスより小柄なのに欲深く嫉妬深い。ネロからしたら、チェスもレパリーも〝無能なのにシオドアに評価されるえこひいき〟なのだろう。

「ネロ!先にバカが来ちゃったじゃない」

チェスの言葉にネロはそっぽを向いた。

「ガキ2人で仲良くやってろ。俺はただ花月を越えたいだけだ」

レパリーが気に入らなさそうに拳を握る。

「少しでもチェスに何かしてみろ。本気でぶん殴ってやる」

チェスはレパリーが何を示唆しているのかしばらく考えてから気付いた。3日前の研究所職員会議でネロはハッキリと「女はこの任務から下ろすべきだ。何故なら女は足でまといにしかならない」と告げたのだ。

「女が偉そうにするな」がチェスに対してのネロの口癖だった。僻んでいるだけだとチェスは捉えて大した脅威を持たずにいたが、どこまで本気なのか分からない。

シオドアに感知されない間に荷物を用意する。<スカイストーン>を取りに行ったが最後、永遠に帰って来なかった者もいた。

チェスは写真立ての父親に挨拶する。薄らと影があり、顔がほとんど見えない。

チェスの父も<スカイストーン>の研究中、忽然と姿を消した。

チェスの胸元には父から譲り受けた反重力の砂時計がキラキラ光っていた。全ての砂が上へ昇る。何度回転させても同じだ。<スカイストーン>も上へ上がる性質を持っている。

<スカイストーン>は透明感溢れる水色だが、砂時計の砂はただの変わった砂だった。

どこで採れたか記憶の中の父が話す。7歳の時のチェスは父の顔さえ朧気に見ていた。

生命線のロープを用意する。万が一落ちても、2人で引っ張れば助かるだろう。

チェスはクラッキー(非常食用の食べ物)を荷物にギュウギュウに詰め込んで、白いコートをはためかせた。

父からもらった大切な研究員の証が実験に胸を踊らせる。

ネロは艶めかしい漆黒の蛇革のままだ。

レパリーはラフなラッパーのような服に白衣を纏う。

それぞれ準備はできたようだった。

「花月の5の層では足元で蝙蝠が歩くらしい」

ネロがチェスを脅かそうと法螺話を口にする。

猛烈に怒ったレパリーが身長差に物を言わせ、レパリーらしくない口調で恐喝した。

「さっさと行け!それとも怖いのか?オジサン」

「おい、ガキ。訂正しろ。この俺が怖い訳ないじゃあるまいか」

レパリーとネロの睨み合いが続く中、飄々とチェスは先を進んでいた。


<アペント・サンクチュアリ>で自身の周りの無事を確保する。探索必須アイテムであり、指に嵌めるだけでいい。ガーネットの指輪と大差ない外見をしていた。

研究所を出て、<シュガーレッドバッカル>ーー3階建ての高速バスに揺られて3時間経っていた。もうそろそろシオドアが悪態を吐いている頃だろう。

バスから降りて1時間下山し、どんどん空気が濃くなっていく。噎せ返るような熱気に喘息持ちのネロが激しく咳き込み出した。

「オッサン、大丈夫か?」

レパリーに静止するよう合図し、チェスが柔らかく、ネロに尋ねた。

「大丈夫?ネロ」

ネロの目が爛々と輝いている。黒猫が獲物を見つけ、ひた隠しに狙うようだった。

「俺は大丈夫だ。まだ洞窟にも入っていないのにこのザマか」

ネロは面白そうにヘヘッと笑った。空気を吸って更に咳き込む。

チェスは吸引器をネロの荷物から勝手に出して、ネロの口元に押さえ込んだ。

ネロががむしゃらに吸引器に吸い付く。喘息が収まると虎が唸るように「フーフー」と肩で息をし、閉じていた目をカッと見開いた。

洞窟の中に入っていく。花月の石を越えた所で一行は戸惑いと混乱に支配された。

花月の石は半透明な月の色をしたミステリアスで誰もを魅了する石だった。

「マグマみたいだな」

レパリーが周りを見渡し、率直な感想を言う。轟々音がし、時々、金属を金槌で叩くようなカンカンという音も混じる。

ボコッと火が湧き上がった。そのまま、空中で静止している。

チェスは勇気を出してマグマのような赤い塊に触れる。

「嘘。熱くない」

チェスの言葉にレパリーとネロは驚きを隠そうとはしなかった。

「そ、そんなバカなッ!マグマが熱くない?信じられない」

レパリーがチェスの前に出て、マグマに触れ、何度も触り直す。

「嘘だろ…。冷たい」

ネロの腕が組まれる。試しに他の箇所のマグマに触れ、感触を述べた。

「これはマグマじゃない」

「じゃあ、何よ?」

「俺達の知らない〝何か〟だ」

洞窟の中、足音がコツコツと鳴り響く。

チェスは密かに花月を越えたことを後悔していた。未知の世界は不安を煽る。探究心はいいが好奇心は猫を殺すとはよく言ったものだ。

レパリーが天真爛漫な鼻歌を歌い出した。チェスを元気付けるためなのがよく分かる純愛ソングのサビの部分だけだった。

ネロが引き攣り笑いをして、自分の身長より高いガキを見下げた様子で溜息を吐く。

「彼女のために素敵な歌を捧げているようだが耳が腐りそうだ」

ぶっきらぼうな悪意にレパリーはまた拳を固めた。

「アンタの耳は元々腐ってんだよ」

ここに来て喧嘩とは、2人共良い度胸だ。

チェスは舌を舐めて、どこで引き返すか考えていた。ここまで来るのは研究室を卒業したら、もう機会はない。最速18歳で卒業だから、後1年だ。この機を逃せばもう二度と花月の石の先は歩めないだろう。だが、失踪事件の絶たない場所に行けば後は自己責任だ。幸いだったのは今いる3人共、身内がいないことだった。

ネロは孤児院で育った。父親の顔も母親の顔も見たことがないらしい。路地裏でスリをして食べていっていた所を院長が連れ帰った。当時5歳と聞いた。

ネロのネチネチとした性格は孤児院でイジメにあっていたからだとチェスは勝手に推測していた。両親に物心もつかない内から捨てられ、生きるのに精一杯で薄汚い路地裏を徘徊する日々ーー。

チェスの母親はチェスを産んだ時死んだ。残った父は<スカイストーン>の研究中、失踪した。

丁度、今の自分のように。

ぞくりと嫌な汗がチェスの首筋を伝う。

悪い妄想だ。この先進んだ所で何のトラブルもない。きっと通せんぼに逢うだけだ。

チェスはゴクリと唾を飲み込んだ。

陽気な歌をレパリーももう歌っていない。震える声で前を直視していた。

「なあ、どこまで続いてるんだ?おかしいだろ。研究所では花月の先は崖崩れがあるだけってあれだけ教えられたのに」

ネロが珍しくレパリーに合意した。

「妙だな。ここの空気はまるで月の上のようだ。俺達は何を教えられた?」

「2人共、冗談はやめて。どこかで花月の石と違う所を曲がったんでしょ。そうだわ!そうでしか有り得ないわ!」

レパリーがお手上げというように手を挙げて見せる。

「種も仕掛けもございません。ってか誰がイタズラしてんだよ。もう充分だ!」

ネロが面白そうに笑い出した。

「考えることは皆同じか。だが、残念だったな。俺達は一直線にしか歩いて来なかった。分岐点など元々ない」

チェスの頭の中でネロの「俺達は一直線にしか歩いて来なかった」という言葉がグルグル回る。つまり、ここは危険地帯ということだ。

「引き返しましょ」

チェスの青い瞳に怯えたレパリーの姿が映っている。黄色い花のピアスが何とも場違いだった。

「賛成だ」

ネロは少し考えてから、頷いた。長い赤髪が揺れる。

「いいだろう」

引き返そうとする一行の前に青い光が一瞬、稲妻のように走った。バチバチと大きな音を立てて何かが壊れる音がする。

チェスが大急ぎで今までとは反対の方向へ走り出した。

「何?何があったって言うのよ!?」

普段は冷徹な顔のチェスも今回だけはパニックに乗じていた。危険地帯に入ると死ぬというイメージが根強く心臓を鷲掴みにする。心臓の鼓動がラット並にバクバクと破裂しそうな程脈打っていた。

レパリーとネロもチェスの跡を必死に追う。足元で石が転げ落ち砕ける感触がした。

「分からないよ!……けど、ヤベエ!!!」

レパリーの混乱ぶりにネロは舌打ちしたが、恐怖に萎縮しているようなか細い声を絞り出していた。

「……ガキ共、早く何とかしろ…ッ」

「アンタね、今の状況分かってるの?」

チェスは正気に戻ってすぐ、ネロを咎めた。

「年長者の責任よ、これは」

ネロが何か言い返そうとしてやめる。

3分程休まず走り続けて、花月の石に行き当たった。

「よっしゃ、俺達生きてる!!」

レパリーが1人はしゃぐ。

異変に気付くのはチェスが早かった。

「花月の石が割れてる……ッ!」

花月の石が中央から真っ二つに割れ、中の砂がチェスのネックレスの砂と同じように上に昇って行っていた。

ネロが驚きに黄色い目を見開く。

「何だ?これは」

チェスはポツリと呟いた。

「反重力なんだわ」

砂に触れる。手の隙間から砂が漏れて、天井へ上がっていく様は美しくもあった。

「さっきの何か壊れる音は花月の石が割れる音だったのよ」

うっとりとしたチェスとは裏腹に、ネロの我慢は限界を越えていた。

「ガキの世話に命を注ぎ込む程、俺はバカじゃない」

ネロが歳にしては華奢な背を向ける。

「もう沢山だ!どうしてチェス、アンタに人が着いて来ないか分かった気がする。アンタは余りにも命知らずだ」

チェスの記憶がフラッシュバックする。いつも〝変な女〟だった。近付く人皆、チェスの計算高い行動に戸惑い怒り、そして最後は去った。

去り行くネロに手を伸ばす。だが、それは心の中でだけだった。

唐突に洞窟全体が大きく揺れた。花月の石が地割れし、なだれ込んでいく。大きな轟音を立てて、洞窟が変形していっていた。

立っていた地点が逆さまになり、チェス達は暗い谷底へと落ちて行った。


意識を取り戻すとチェスは美麗な景色に圧倒された。

大きな<スカイストーン>が1つタケノコのように生えている。透明な青い光が洞窟を照らしていた。

レパリーとネロが柔らかい土の上で倒れている。2人共、多少の打撲はあっても致命傷には至ってなさそうだった。

左膝がジンジンと痛む。チェスは自分の左脚をソロっと確認した。青痣になっている。

ここにある貴重な<スカイストーン>の塊を持って帰れば、一生金に困ることはないだろう。最もグラビティ帝国においては、誰も仕事や勉学を強制されることはないが。国王がダミアンに変わってからは国民は自由を謳歌していた。

チェスの手に金槌が握られる。コンコン打ち付けて、<スカイストーン>の根元を掘っていた。

ネロが目を覚ました。怪訝そうに辺りを見渡している。

「何なんだ?ここは」

チェスはネロに工具を渡した。

「手伝って、ネロ」

ネロの状況把握能力は優れていた。何も言わず、頷く。

少しずつ大胆に金槌を振るう。コンコンという音からカンカンという音に切り替わっていた。

レパリーが魘され、寝返りを打つ。

「このバカは」とネロが辛辣に罵った。

「こんな時にも眠ってやがる」

少し気遣うようにチェスが言った。

「悪夢でも見てるのかしら?もう少しして起きなかったら無理にでも起こしましょう」

面白くなさそうにネロの口元が曲がる。

「本当使えないな」

<スカイストーン>は本来、天井にぶら下がっている物だ。地面から伸びたそれは奇怪でもあった。少しずつネロの手に握られた金槌の動きが緩くなっていく。何か予兆を見つけたかのように黄色い瞳で<スカイストーン>を観察していた。

チェスは夢中で<スカイストーン>の塊を掘っている。一心不乱で掘り進める手元は研究者のそれだった。

チェスが最後に大きく振り上げ、塊を掘り返しきった時、それは起こった。

地面がヒビ割れ安物のガラスのように割れる。バキバキという音と共にチェスの体がよろめき<スカイストーン>の塊ごと真っ逆さまに落ちて行った。

チェスが手を伸ばす。

「ネロ!!」

ネロは邪悪な目で見下ろしてせせら笑った。

チェスが漆黒の闇に溶け込む。

しばらく周りを見渡し、自分以外の目撃者がいないことを確認した後、ネロはゆっくりと割れた地盤の底を眺めた。風の吹く音だけが佇んでいる。暗闇がポッカリ口を開けていた。

落盤で落ちて来た石に頭を強打し、レパリーはハッキリとした視界の中にチェスがいないことに猛烈な困惑を覚えた。

「イテテッ……あれ?チェスは?チェス?どこだ?」

これはチャンスかもしれないとばかりにネロが暗い面持ちを演出する。葬式でもネロがこんな顔をすることはないだろう。

「レパリー、残念だがチェスは落ちた…」

気が狂ったかのようにレパリーは立ち上がり、声の限り喚いた。洞窟の中でレパリーの声が無闇矢鱈に反響する。

「チェス!!!嘘だろ、チェス!!返事してくれ。お願いだから返事を……ッ!」

目眩にレパリーの視界はボヤけた。よろよろと立ち往生する。

レパリーはネロの芝居に絶望していた。

ネロはチェスのことが研究所に入ってからずっと気に食わなかった。女のクセに自分より成果を上げ、認められている。今日、花月の石を越えるのに賛同したのも、チェスの失態を見たいからに他ならない。だから、チェスが地下に落ちたことは都合のいい話だった。

この高さから落ちたらまず間違いなく死んでいる。だが、<スカイストーン>の塊が浮いて来なければ別だ。一応、レパリーや上にはチェスは死んだということで話を通そう。

密かにニタリとほくそ笑み、泣くレパリーの肩をネロは軽く叩いた。

「俺が気付いた時にはチェスはいなかった。この裂け目に落ちたなら、もう助からないだろう」

レパリーが乱暴にネロの手を払い除ける。

「ふざけんな!チェスが死ぬまで眠ってたってのかよ!?」

「八つ当たりはやめろ、ガキ。俺達も危なかったんだ。被害が最小限で良かったじゃないか。それにお前も俺と同じだ」

レパリーの瞳から大粒の涙が溢れ出し、声にならない嗚咽を漏らしていた。

レパリーとネロだけ花月の石の成りの果てに辿り着く。ひたすら洞窟を昇り詰めて3時間は経った。随分、下まで落ちていたらしい。

花月の石は辛うじて墓のようにまるびを帯び、見分けが付いた。


レパリーの心の沈みようは傍目哀れだった。

雨がしとしとと降っている。漆黒の群れが列を成していた。黒い傘がアジサイのように咲いている。

「…俺達がチェスをあんな場所に連れて行ったからだ…」

葬式の席で声を震わせながら、死んだ目のレパリーが耳を澄まさなくては聴こえないぐらいの声量でブツブツ呟く。

「俺達が…いや、俺がチェスを殺したんだ…ッ」

ネロはチラリとレパリーの哀しみようを目にする。何を言っても無駄にしかならないと分かっていた。それでも思わず口に出す。

「あの女は自業自得だ。先生の用をすっぽかして禁忌を冒したのだ」

数少ない人数の葬式でその言葉は大袈裟に大きく響いた。

レパリーが激昂する。ネロの胸ぐらを掴んで怒鳴った。

「チェスはな!チェスはアンタのこと気に止めていたんだ!!どうしてそんなに冷酷になれる?俺達の責任なんだよ!!!」

ネロはレパリーの指を1本ずつほどいて身だしなみを整え、黄色い横目で静かに見据えて見せた。普段から黒い服のせいで格段雰囲気が変わることはない。

シオドアがレパリーとネロの頭に大きな分厚い本を力一杯にぶつけて制裁を下す。

「この場を何だと思っている?バカ共。レパリー、お前はまだ若い。新しい恋もあるだろう。ネロ、年相応の態度を要求する。レパリーに謝罪したまえ。勿論、弔い人にもな」

ネロの目が怒りの焔を宿したのは一瞬のことだった。

「すまなかった、レパリー、そしてチェス」

その場に居た堪れなくなったレパリーが唐突に大声で「バカ野郎!!」と叫び、雨の中大泣きしながら、傘を放り出して会場から走り去って行った。

ネロの口元が緩む。レパリーの傘を畳み、会場の傘立てに立てて、無料自販機でホットココアのボタンを押した。

甘い物で喉を潤し、考える。念の為だ。念の為、もう一度花月の石の下の層を覗く必要がある。もし、生きていられたら厄介だ。自分の信用の問題に関わって来る。

嫌な気分だ。この雨のようにジトジトと広がる不安は断ち切らなくては。

ネロの猫舌の舌がココアで火傷する。ネロはココアを飲み干すとゴミ箱に空き缶を投げ捨てた。

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