地母神の祝福
第114回フリーワンライ
お題:
咲かない花
太陽が眩しすぎて直視できないのと同じように
フリーワンライ企画概要
http://privatter.net/p/271257
#深夜の真剣文字書き60分一本勝負
彼らは短い一生を人々に捧げることが宿命付けられている。
見方を変えれば、地母神に仕える殉教者とも言える。
厳しい冬を過ぎた穏やかな春の候、彼らは厳しい選別を受ける。見出されなかった“芽なし”はその時点で放逐されてしまう。そうなれば、二度と日の目を見ることはない。
選別を突破したものも、そのままでは済まない。毎日、水を浴びせかけられ、体の基礎を作らなければならない。それが一週間ほど続く。
選別されたとはいえ、その時点で腐りきり、脱落するものもある。
春も中頃を過ぎると、今度は土にまみれることになる。丹念に転がされ、一度倒れれば見向きもされない。
その厳しさは必要なことだった。気の遠くなるほど昔から、そうやって彼らを育てることで、人々の平穏は保たれてきた。必要不可欠な犠牲と言える。
そうして春を越えられた有望なものにだけ、ようやく“芽”が出る。突出したものはいない。必要ない。
均一に育てられた彼らは、同じほどの成長度で並び立つ。この種のものたちに要求されるのは、一部の突出した曲者などではなく、全体が統制され均質化した集まりだ。跳ねっ返りは調和を乱す元でしかない。
次に彼らは敢えて足場の不安定な汚泥に身を浸す。それでも、しっかりまっすぐ立ち続けることが、彼らに課せられた使命だった。
すでに選別を受け、厳しい時期を踏破した彼らは、不平不満も述べることなく、一心に背を伸ばして立ち続ける。もっと、もっと高みを目指して。
来る日も来る日も、毎日毎日、ただひたすら立ち続ける。
季節は夏になった。太陽が容赦なく照りつける。だが、若々しく青々としたその姿にはむしろ余裕すら窺えた。
最早、何者も彼らをくじくことは出来ない。それほどの立ち居振る舞い。
あれほどぬかるんでいた地面が乾いても、彼らは音を上げない。風が吹いても、雨が降っても、決して姿勢を変えることはない。
夏の間中、ずっと試練は続く。
その禁欲的な有り様から、彼らに青春などないように思われる。花などはないと。しかし、それは違う。この時期こそ彼らの青春そのものなのだ。目立たないところで、ひっそりと花開く……ひっそりと、慎ましやかに。
残暑も残り僅かとなった頃。
この時期には、さしもの選ばれしものたちも折れる。
あれほど厳しく照りつける太陽に耐えてきた彼らも、ついのその眩しさから目を逸らすように、あるいは豊穣もたらす神の現し身を崇めるように、そっと項垂れる。その頭からは、もう青臭さは抜けきっていた。日に照らされ、灼けたように変色している。
何ヶ月も厳しい試練を受けてきた彼らに、誰がその行状を責められるだろうか。
人々はこうべを垂れる彼らを見て、むしろ喜びの感情に包まれるだろう。
季節は巡り、選別から半年が過ぎた。
堪え忍んだ彼らが、ついに身を捧げる時が来た。
何万、何十万と集まった彼らは、重く、深く、こうべを垂れる。それは祭祀における礼のようにも思われた。
その頭を無慈悲に鎌で刈り落とす。
世は実りの秋である。
『地母神の祝福』了
関係ないんですけど、今日稲刈りの手伝いをして来ましてね。
稲の元になる種籾ってーのは、四月の中旬に準備を始めて、柔らかい培土で発芽させるんですって。あとはまあ、特に農業に詳しくない方でも、梅雨前に田植えして、夏の間手入れして(照るに任せるなんてことはしちゃいかんよ)、秋に入って収穫なんてことはご存じでしょう。
ええ。全然関係ないんですけれど。