病気の源泉
治療院で働き始めて四日目、いよいよインフルエンザもどきの患者の数が手に負えなくなってきた。今までなら俺が治療している昼間だけは患者の数が拮抗していたのに、昼頃から十人治療すると十二人やって来るという状況になってきた。
さすがにこれはまずいのでディアナさんに応援を頼む。恐らく焼け石に水なんだろうけど、今のままでは現状を維持することも難しくなってきた。
そして、俺が恐れていた二次感染の症状が看護師にも現れてきた。さすがに連日昼も夜も働きづめだと体力が弱るし、常に患者と接していれば感染もしてしまうだろう。幸い初期症状が出たら俺が治療しているので大したことにはなっていないが、これ一歩間違えたら共倒れなんだよな。非常に危うい。
更に悪いことに、とうとうノースフォートの外からきた商人や冒険者も患者としてやって来るようになった。今まで来なかったのが不思議なくらいだけど、いざこうやって駆け込まれると街全体に広がりつつあることを実感してしまう。
こんないくらやってもきりのない状態に追い込まれると、範囲指定して複数人を一気に回復させたくなる。しかし、光属性の回復にはそんな便利な機能はない。だからひとりずつ治療している。
ただ、こうも事態が逼迫してくるとどうにかしたくなる。治療しながら何とかならないものかと考えていると、ふと試したいことが閃いた。
「あ、そこの二人、俺の前に並んで座って」
たまたま似た症状の患者が続けて並んでいたので、俺は目の前で横並びになってもらった。並ばされた患者はもちろん、手伝ってくれている神官や信徒も怪訝な表情をしている。そんな中、俺は二人の患者に手を当てて呪文を唱えた。
「我が下に集いし魔力よ、神の奇跡を我らにもたらせ、回復」
俺が呪文を発動させると二人の症状は劇的に回復した。やっぱり、似たような症状ならつぎ込む魔力の量を倍にするだけで治せるのか。
本当は異なる症状の患者についても調べるべきなんだろうけど、たぶんやる意味はあんまりないだろう。軽い症状の患者に合わせて魔力を注ぐと、重い症状の患者は完治せずに再度魔法をかけ直さないといけない。逆だと軽い症状の患者に不要な魔力を使うことになってしまう。それが予想できるので、本当に困ったときにまた確認してみようと思う。
「これから並べる患者は、できるだけ似た症状の人を一組にしてください。一度に治療します。でないと間に合わないですから。ただし、できるだけでいいです。無理に組み合わせなくてもいいです」
完治した患者が述べてくる礼を尻目に、俺は周囲にいる神官と信徒にそう告げる。俺以上にここの状況をよくわかっているその人達は、真剣な表情で頷くとすぐさま去っていった。
それからは二人一組の患者が増えたので、治療できる人数が更に増えた。二回に一回は二人組なので単純に五割増しといったところか。この対応のおかげで、収容されている患者の数は徐々に減っていく。しかし恐ろしいことに、劇的には減らなかった。それだけ駆け込んでくる患者が増えているのだ。どうするんだ、これ。
やっていることは超人的なことのはずなのに、それでも尚拮抗している流行病というものに俺は戦慄を覚えた。
日没後、ようやく俺はこの日の治療を終える。とは言っても患者がいなくなったわけじゃない。単に俺の業務時間が終わっただけだ。治療院内のインフルエンザもどきの患者は半分くらいまで減った。でもあの様子だと、明日の朝にはまた患者で埋め尽くされているんだろうなぁ。
さすがに疲れた俺だったけど、周囲の人はそれ以上に疲労困憊状態だ。我慢してディアナさんの所へと向かう。そこには昨日と違って、クレア、スカリー、アリーの三人がいた。
「あれ、今日は三人ともいるんだ」
「お疲れ様です、師匠。大活躍だったそうですね。ディアナ殿から話を聞きました」
最初にアリーが話しかけてくる。そうか、報告は逐次されているんだっけ。
「大活躍ね。けど、それでも患者はいなくならないんだよなぁ。それに、明日はまた一杯になっているぞ、絶対」
「それでも三日間で三千人近くの患者を治療するなんて奇跡よ! 高名な術者六十人分の働きをして尚も平気だなんて、さすがだわ!」
感極まっているらしいディアナさんが俺の両手を掴んでぶんぶんと振ってくる。えっと、正確には二千八百人くらいだと思うけど、大した違いじゃないんだろうな。
「それで、病気の発生源って特定できたんですか?」
その対処ができていないと、俺の超人的な働きでも対応しきれなくなる。流行病の広がりはそれほど速い。
「ユージ先生、その特定はできたで! 怪しいもんは片っ端から取り除いて燃やしてるところやし、先生のゆうとおり養豚場も一ヵ所あったから、豚全部を処分して建物も打ち壊しや!」
これは俺の提案をそのまま実行してもらっている。
そもそもこの症状がインフルエンザであるかどうかなんて俺にはわからない。しかし、症状が似ていることから、特定した範囲内で豚や牛なんかの動物が大量に飼育されている場合は、処分するように助言したのだ。あと、見かけたら野良犬、野良猫、鼠もだ。黒死病なんかと混同している部分は確かにあるけど、そもそもどんな病気なのか特定できていないので、可能性は全て潰しておく必要があった。
「症状が発症した人は遠慮なく治療院へやって来るように申しつけてあるらしいですけど、この三日間でどれだけ原因を取り除けるのかで今後が変わってきますね」
クレアの言う通りだ。もしこれでもインフルエンザもどきをどうにもできなければ、いよいよノースフォートは大混乱に陥るだろう。
「危険を察知した商人や冒険者は急速にノースフォートを離れているから、何としてもここで被害を食い止めておきたいのよね」
ようやく落ち着いたディアナさんが街の今後を憂いている。商人がいなくなるということは経済活動が麻痺するということだし、冒険者がいなくなるということは街の中の配達や街の外の外敵駆除の機能が止まるということだ。この状態が長期間続くと、ノースフォートは衰退どころか滅亡してしまう。
「今回の処置の効果が出てくるのはどのくらいかかりますか?」
「うーん、少なくとも数日、一週間は様子を見ないとわからないわね。あれで原因を取り除けたなら、今月中にどうにかなると思うけど」
やっぱりそのくらいはかかるか。となると、当面は毎日あの数の患者を相手にしないといけないんだ。うわぁ。
「師匠は毎日千人もの患者を治療しているそうですが、魔力は問題ないのですか?」
「うん、減ってはいるんだろうけど、尽きる様子は今のところないよ。だからこの先続けていても大丈夫だと思う」
実際のところ、魔王と対峙したときに使った光の剣を使ったときの方が魔力の消耗はずっと大きかった。それに夜は屋敷で休めるから体力面でも限界が来ることはないだろう。
「無尽蔵の魔力ってどんなもんなんか今まで全然想像できひんかったけど、やっとわかったわ。無茶苦茶やな」
スカリーが呆れた様子で俺に視線を向けている。そんな目で見られても俺としてはどうしようもない。
「ともかく、しばらくはそのまま患者の治療に専念してね。どうなるにせよ、やって来る患者の数は多いままでしょうから」
ディアナさんに言われるまでもなく、それはわかっている。だからこそ肩を落としてしまうが。
「それじゃ、今日はもう屋敷に戻って休んでちょうだい」
「司祭様はここ数日治療院に籠もりきりみたいですけど、お体に障りませんか?」
周囲の様子を見ても、ここにいてはろくに休めないことは簡単に想像できる。クレアが母親を心配するのも無理はない。
「大丈夫ですよ。皆さんのおかげで少し楽になったくらいですから。今回の処置の効果がはっきりとすれば、家でゆっくりと休みます」
こういうときのための責任者なんだから、ここは踏ん張らないといけない。ディアナさんもそれをよく知っているので、ある程度先を見通せるようになってから休むと言っているわけだ。
その返事に多少顔を曇らせたクレアだったが、それ以上は何もできない。スカリーに促されながら俺達と一緒に屋敷へと戻るしかなかった。
俺としては、今回の住宅街への対応で病人が減ってくれることを切に祈った。
あれから一週間が過ぎた。振り返ってみればあっという間だったけど、毎日延々と治療を続けるというのは本当にきつかったな。例え魔力が無限にあっても、使う俺の体力と精神力は有限なんだということがよくわかった。
それで、インフルエンザもどきの病気なんだけど、これは収まる傾向にある。どの対処が効果的だったのかはよくわからないが、病人の数が減ってくれるのは大歓迎だ。治療院への缶詰はもうこりごりである。
治療院へとやって来る患者も今ではかなり減った。とはいっても、一番酷かった時期に比べてというだけで、依然普段のときよりもずっと多い。俺がまだインフルエンザもどきの患者を専属で治療している時点でお察しだ。
戒厳令は予定通り三日間で解除されたので、今では一見するといつもの街に戻ったかのように見える。しかし、商人も冒険者も未だに流出している状態なので、街の機能は徐々に麻痺してきているらしい。こういうのって後で遅れてからじわりとくるんだよな。
そんな中、俺は半日だけ休みをもらった。さすがに光の教団の信者でもない俺を十日間以上も拘束し続けたことを悪いと思ったのか、ディアナさんはあっさりと許可してくれる。治療院の状況も一時に比べたらだいぶ落ち着いたから、俺も頼んだんだけどな。
最初は屋敷でごろごろしようかとも思っていたけど、街の様子、特に住宅街がどうなっているのか気になったので、アリーの案内で外出することにした。
「アリー、住宅街へ入ったら、途端にフードをかぶった人が増えたけど?」
「ああ、これは病対策だそうです。空気感染することがわかったんで、みんな顔や頭を隠すように努めているんですよ」
マスクをするようなものか。そういえば、マスクを見かけたことがないな。その代わりなのかもしれない。
「これじゃ、みんな怪しく見えてしまうよなぁ」
「そうですね。おかげで警邏隊が苦労しているそうです」
なんでも犯人を追いかけていたら、よく見失ってしまうそうだ。なかなか厄介だな。
案内してもらったところは、発生源とされた養豚場だった。住宅街の中に養豚場なんてあるのかとも思ったが、一家がやっているこぢんまりとしたものだったらしい。しかし、今は更地になってしまっている。
「提案した俺が言うのもなんだけど、これ、その一家の財産を取り上げたも同然なんだよな」
「後日保証金が支給されると聞いています。ですから、心配する必要はないでしょう」
まだ救いはあるということか。それにしても、ある日突然全部取り上げられるっていうのは驚いただろうな。
「しっかし、ノースフォートってこういう疫病のときって今までどう対処していたんだろう」
「さぁ、そこまではわかりません」
治療院の様子を見ている限り、全体的に後手に回っているように思えた。もしかしたら、遥か昔に発生してそれ以来何もなかったのかもしれない。
「ディアナ殿がおっしゃってましたが、今回の流行病は規模の割に死者が少ないそうです。とても喜んでいらっしゃいました」
「それは俺も聞いた」
延べ人数になるが、俺が治療した患者の数はこの十日間で一万人近いらしい。一日千人ずつ治療していたんだからそれくらいになるだろう。ノースフォートの人口が公称六万人だから六分の一だ。それで死者が数百人だというのなら、確かに規模の割に少ない。治療院で病死した患者はほとんどいないから、何らかの理由で治療院に来ることができなかった人ばかりだ。
「ふふふ、そのせいで、師匠はすっかり有名人になりましたね」
「おかげで俺もフードが手放せない」
俺に治療してもらった人の多くが俺を見るとお礼を言ってくるわけだけど、一万人も治療したとなると、住宅街を一歩歩く度にお礼を言われかねない。さすがにそれは面倒なので顔を隠す羽目になっていた。
「治療が一段落したらさっさとここを出よう。いくら何でもこれは目立ちすぎる」
熱心な信者の中には、俺を聖人扱いする人も出てきている。信者でもないのに崇められても困るだけだ。
「そうですね。予定よりも滞在期間が延びていますから。私もそろそろ……師匠?」
アリーが何やら嬉しそうに話をしているときだった。
お互い養豚場跡を横に向き合って話をしていたが、アリーの奥にある枝分かれしている路地のひとつに、奇妙な人物が立っていた。冬でもないのに外套で足下までしっかりと隠し、頭部はフードですっぽりと覆われていて見えない。
いや、その出で立ち自体はそこまでおかしなものじゃない。旅人や冒険者の中には足下まである外套を使っている奴だっているし、今の住宅街だと頭を隠すのも珍しくない。そう、おかしいのは外見じゃない。雰囲気だ。なんというか、妙な圧迫感がある。離れているせいかそれほどではないけど、どうしてあいつからだけそんな感触を受けるんだろう。これ、殺気とも違うし。
「師匠? どうかされましたか?」
「え、ああ、いや」
何と説明したらいいのかわからない俺は、どう言ったらいいものかとしばらく考える。
そして、ふと先ほどの路地へと再び視線を向けると、もうそこには誰もいなかった。
思わず俺はそこまで駆け出す。路地の奥を見るがそいつの姿は見えなかった。
「師匠、誰かいたのですか?」
「ああ、うん、ちょっと気になる奴がな。見失ったけど」
アリーが特徴などを聞いてきたので答えるが、はっきり言って手がかりになるようなものじゃない。
何か嫌な感じがするな。今のが誰なのかはわからないけど、絶対にろくな奴じゃない。
後を追って探したい気持ちはあるものの、今は見つけられる気がしない。でも、もし俺に関わりがあるのなら、今後どこかで会える気がする。できれば会いたくないが。
俺は逸るアリーを宥めながら、住宅街の見学を切り上げて屋敷に戻ることにした。