治療院でのお仕事
大量の急患が見込まれるということで、急遽治療院で俺も患者の治療を手伝うことになった。もちろん、スカリーとアリーもだ。
ディアナさんを先頭に治療院へ入ると、そこにはたくさんの患者が横たえられている。やっぱり結構広い。そして、神官の指示の元に助手の信徒が忙しそうに動き回っていた。
「司祭様! それにクレア様も! お帰りなさいませ。こんなに大きくなられて!」
神官のひとりがディアナさんとクレアに気づいて、嬉しそうに寄って来て挨拶をしてきた。そして、久しぶりに会ったらしいクレアと少し言葉を交わすと、ディアナさんに現状を報告する。それが終わると、今度は俺、スカリー、アリーの三人に顔を向けてきた。
「あの、司祭様、この方達は?」
「ふふふ、強力な助っ人よ。さぁ、これからお話がありますから、神官を集めなさい」
ディアナさんから屋敷にいた脳天気な様子が影を潜め、何やら仕事ができるような雰囲気が漂ってくる。後で聞いたけど、ディアナさんはこの治療院を預かる責任者だそうだ。一瞬大丈夫なのかと思ったのは内緒である。
責任者から呼びかけられて集められた神官達がディアナさんの前に揃った。
「皆さん、ここ数日になって、酷い風邪に困っていらっしゃる患者が運び込まれています。しかも、その数が日に日に増えていることもご存じでしょう。このままでは、近いうちに治療院の収容人数を超えてしまい、我々の手が回らなくなってしまいます。そこで、今回はこの問題を解決するために、先月ペイリン魔法学園を卒業した我が娘クレアと、その仲間の方々にこれから助けていただくことになりました。クレア、皆さん、どうぞこちらへ」
流れるような言葉で自己紹介するよう促された俺達は、ディアナさんの横に立つ。
「クレアです。この度、無事ペイリン魔法学園を卒業して戻ってまいりました。今回は、学園でわたしが開発した回復魔法を、皆さんの中から使える方に伝授します」
クレアが一礼すると神官達が拍手をする。おお、愛されているなぁ。
「ユージです。ペイリン魔法学園の教師でクレアの担任をしていました。それと、クレアの開発した回復魔法の作成を手伝っていましたので、俺も皆さんに伝授することができます」
「あれ、もしかしてあなた、レサシガムの治療院でクレア様と一緒にいらっしゃった方ですか?」
「へ?」
まさかそんなことを指摘されるとは思っていなかった俺は、声のした方へと顔を向けた。そこにはひとりの神官が立っていたが見覚えはない。
「私、レサシガムの治療院で奉仕している者の友人なんです。先日、手紙でそのことを知ったんでもしやと思ったんですが」
「ああ、はい。去年の秋から年末にかけてでしたけど」
「やっぱり!」
思わぬところから声をかけられて驚いたが、どんなところで人がつながっているかなんてわからないものだな。この神官のおかげで、やや警戒色のあった視線が完全に仲間のものへと変わる。おお、人助けはしておくもんだな!
「うちはスカーレット・ペイリン、クレアの同期生で親友ですねん。四大系統の全部と無系統の魔法が使えますさかいに、何でも使ってや」
スカリーに関しては、神官の何人かが頷いているだけでそれ以上の反応はない。好意的な反応なので良しとしよう。
「私は、アレクサンドラ・ベック・ライオンズです。人ではなく魔族です。ユージ殿を師匠に、クレアとスカーレットと共にペイリン魔法学園で修行していました。私にできることがあるなら、何でも言っていただきたい」
さすがに魔族ということで神官の全員が驚いてアリーに注目する。ただ、基本的にノースフォートの人々は魔族を見たことがない。そのため、おとぎ話や演劇でしか魔族という存在に接する機会はないので、こうやって実物を目の当たりにするのは初めてのはずだ。
そのせいもあって、神官達の反応は何とも言えない微妙なものとなる。漠然と『魔族すなわち悪者』という印象があるものの、そのあまりの美しさに気圧されているようだ。他にも、ディアナさんが全く問題としている様子がないし、クレアの同期生となると迂闊なことは言えないよな。
「皆さんも、ペイリン魔法学園が魔界のライオンズ学園と提携していることはご存じですよね。アレクサンドラは、その学園を治める一族の出身なのよ」
「重篤な患者に魔界由来の薬草を煎じることもあるでしょう? ですから、今更魔族だからといって殊更隔意を抱くことはないと思いますよ」
更にクレアとディアナさんがアリーを支援する。これでとりあえず、みんな納得してくれたようだ。
「さて、協力してくださる方の紹介も終わりましたから、早速これからのことについてお話しましょう」
ディアナさんは俺達が治療院でみんなと一緒に働ける素地ができたと判断して、ようやく本題に入る。
その話を要約すると、治療をしている神官と助手の中で水属性と光属性の魔法がどちらも使える者を集めて、水付与回復を伝授する。両方を使える人はそんなに多くないが、これを使える人が俺とクレア以外でもいると効率は全然違う。
水付与回復は、光属性の回復よりは効果が低いが効率的という、複合魔法にしては非常に珍しい特性を持つ魔法だ。スカリーの理論を取り入れたおかげだと聞いている。扱いにはこつがいるらしいが、開発者のクレアがここにいるから、対象者をとりあえず使えるようにさせるのは何とかなる。
その次に、治療院に運ばれてくる患者をできるだけ負傷者、病床者に分ける。今は空いているところに患者を安置させているだけだが、体の弱っている負傷者を病床者の中に寝かせるのはいかにもまずい。今回は風邪をひいた患者をこれからも大量に受け付けることになるから、特に同じ症状の人はできるだけ一箇所にまとめておくべきだろう。
また、負傷者には水属性の魔法のみを使える人、病床者には光属性の魔法のみを使える人に担当してもらうことを徹底する。その上で、水付与回復を身につけた人は、傷口の負傷から病気になった患者を中心に治療してもらう。負傷と病気の両方を同時に治すのに、水付与回復は最も効果的だからだ。
こういったことを、ディアナさんとクレアから話してもらう。ここまで移動している最中にみんなで相談したことだ。治療院で働いている信者からしたら、この二人の言葉が一番受け入れやすいだろうからな。
「皆さん、理解できましたね? では、水属性と光属性を扱えるものはここに残って、クレアとユージさんに教えを請いなさい。他は仕事に戻ること。そして、水属性と光属性を扱える助手をここに寄越すように。いいわね」
全員の質問が出尽くしたところで、ディアナさんが話を締める。一度手を叩いて合図をすると、みんながそれぞれの仕事へと戻ってゆく。
「それじゃ、スカリーは負傷者の治療に当たってくれ。アリーはスカリーの助手だ。余裕があったら動けない患者の移送なんかを手伝った方がいいな。その辺はスカリーの指示に従ってくれ」
「まかしとき!」
「はい、師匠」
「そこのあなた、この二人に仕事を任せてちょうだい。こちらのスカリーは水属性の魔法が使えます」
俺の指示にスカリーとアリーが返事をすると同時に、ディアナさんが近くを通りかかった神官に二人を任せる。急に呼び止められた神官は驚いたが、一礼すると二人を伴ってこの場を離れてゆく。
「それじゃ、皆さん始めましょう。最初は簡単に概略からお話します」
俺が隣りにやって来たことを確認すると、クレアが既に集まっている神官達に新しい回復魔法の説明を始めた。
この日、俺とクレアは水付与回復を教えたばかりの神官と信徒の皆さんにつきっきりだった。さすがに教えてはいお終いで使いこなせるとは思っていなかったからだ。しかし、いつまでも多人数の看護師をぞろぞろと連れているわけにはいかない。だから、とりあえず発動できるようになった人から順次独り立ちしてもらった。問題があったときに相談に乗るということにしてだ。
こうして今日一日治療に従事したわけだけど、いや、恐ろしくしんどいね、これ。何がつらいかっていうと終わりが見えないことだ。怪我や病気自体は魔法で治せるんだけど、患者は次から次へとやって来て一向に減る気配がない。何しろ万単位で人が住んでいる街中から患者がやって来るからな。まるで賽の河原で石を積み上げているみたいな気分になる。
そして、患者の話を笑顔で聞き、愚痴は聞き流さないといけないのも慣れないときつい。治療に役立つ病状やそれに至る過程の話ならいくらでも聞くけど、関係のない家族や友人、それに仕事の愚痴を話されてもどうしよもない。けど、そういう不満を吐き出すことも平静を保つためには重要だということで、笑顔で対応しないといけないそうだ。みんなこれを年中やっているのか。
他には地味に怖いこととして、二次感染しないかということが常に脳裏にちらつくことだ。ミイラ取りがミイラになってしまうわけだけど、原因が周囲にありすぎて警戒のしようがない。確かに回復魔法を使えはするものの、基本的に医療に関して俺達は素人だ。どこにどんな危険があるのかさえもわからない。レサシガムの治療院でも似たようなものだったけど、あっちでは記録を取ることが主な仕事だったもんなぁ。
俺達四人が日没前に解放されてホーリーランド家の屋敷に戻った頃には、全員完全にへばっていた。これ、明日以降もするのか。
「いや、ほんまに参ったで。治療するのに薬を使うか魔法を使うか判断する方法を教えてもろたけど、慣れるのに時間がかかるなぁ、あれ」
「それでも飲み込みは早い方だと、指導されていた神官殿は感心していたぞ。あれだけの数をこなしていたら、数日中には単独で治療できるのではないのか?」
水を飲んで一息ついたスカリーとアリーが最初に口を開いた。
怪我人の治療に回された二人は、神官のひとりにずっとついて回ったそうだ。どちらも最初は慣れない作業に手間取ったらしい。しかし、元々魔法を使った作業が得意なスカリーは、しばらくすると次々と患者を完治させていった。一方のアリーは、薬を使った治療のときに神官の指示に従っていたらしい。変わった手伝い方として、火属性の魔法を使ってその場で湯を沸かすということをしていたとも聞いた。
「半分以上はお世辞やで。そもそも医療知識がろくにないのに、まともな判断なんてできるわけないやん。神官の指示に従って作業するのが限界やな。そういう意味では、優秀な助手って言えるんやろうけど」
「なるほど、そういうものか」
アリーが納得して頷いている間に、スカリーはこちらへと視線を向けてくる。今度は俺達の方か。
「一応、水付与回復を教えられる人には教えたわ。まだ不安な面はあるけど、もっと慣れたら治療の効率と効果は上がるはずよ」
「ただ、やっぱり患者の数に対して使い手の数は少ない。これで以前よりも状況が改善するっていうんだから、昨日までの状態は想像するだに恐ろしいな」
どの属性の魔法を使えるのかということも重要だけど、魔力がどの程度あるのかということも無視できない。単純に魔力がたくさんあればあるほど、それだけ救える患者の数も多くなるからだ。でも現実は、患者に対して回復魔法を使える看護師は少ないし、魔力という要素を加えて考えると圧倒的に不足している。
だからこそ、回復よりも魔力消費効率の良い水付与回復が活躍する余地があるのだが、水属性と光属性の二つを使えないといけない点が足を引っぱってしまう。そのため、以前よりも状況はましになったものの、その程度止まりなのだ。
「とゆうことは、数日したら治療院の状況はいくらかましになるんかな?」
「それが、例の風邪をひいた患者がたくさんやって来てきていて、そうとも言えないのよ」
楽観的な意見を出してきたスカリーに対して、クレアがそれを否定する。
「そんなにぎょうさん風邪ひきの患者が増えたんか?」
「帰り際、お母様にお話を聞いたら、昨日よりも増えているんですって」
「それに俺もちらりと患者の姿を見たけど、あれ、全員風邪をこじらせていないか? 軽い症状の患者なんてほとんどいなかったぞ」
どの患者も鼻水や喉の痛みだけじゃなく、全身がだるくて痛い、食欲がない、頭痛がすると訴えていた。これってインフルエンザだよな。でも俺の知識だと冬に罹る病気のはず。春先に罹る病気じゃない。原因不明の新病だとどうしよう。
「そうなのよね。ただの風邪ならそこまで酷くならないんだけど、お母様も原因がわからないって困っていらっしゃったわ」
「アリー、魔族で春に風邪みたいな病気が流行ることってあるんか?」
「魔界はここに比べて環境はずっと悪いからな。病気には年中罹るといえば罹るぞ。風邪に似た症状は確かにあるが、人間と同じものなのかは私にはわからない」
専門家であるディアナさんでさえわからないんだから、俺達がわかるはずもないか。
「治療院に入院している患者は昨日よりも増えたという話よ。それも風邪をひいた患者ばかりね。一応風邪薬を処方しているみたいだけど、あまり効果がないみたいだし」
そりゃインフルエンザみたいな病気に普通の風邪の薬は効きにくいわな。回復なら治せるらしいけど、使い手と魔力が足りない。
「クレア、水付与回復の指導はとりあえずもういいんだよな? だったら、明日からは俺が風邪をこじらせた患者を回復で治していくことにしよう」
「いいんですか?」
「このままだと、数日もしないうちに治療院が患者で溢れてしまう。更に、看護師や患者に二次感染で広まると最悪だ。治療どころじゃないだろう」
幸か不幸か、この風邪ひき以外の患者はいつも通りらしいから、インフルエンザっぽい患者さえどうにかしてしまえば、治療院の機能は維持できる。ほぼ無尽蔵な魔力を持つ俺ならどうにかできるかもしれない。
「うーん。けど、この風邪の原因をどうにかせんと、患者は増える一方やんなぁ」
「そっちは教会の方に原因を調べてもらったり、住民の方に注意を促しているんですけど、なかなか思うようにいかないらしいわ」
これからこの風邪もどきが流行るとなると、いくら俺が頑張ってもどうにもならない。そうなると、どうしたものか。
「いっそのこと、スカリーとアリーも調査に参加したらどうだろう。そっちの作業の方が得意だろう?」
「ノースフォートのことはそんなに知ってるわけとちゃうから、どこまでできるかわからんけどな。ただ、治療よりも調査の方が得意なんは間違いないわ」
「師匠、私はどちらも得意ではないのですが」
俺の言葉に頷くスカリーの隣で、アリーが申し訳なさそうに言葉を返してきた。
「だったら、スカリーだけが調査に参加したらいいんじゃないかしら。明日、お母様に二人のことを話しておくわよ」
自信なさげなアリーにクレアが再提案してきた。うん、まぁ、そうだな。俺の案は思いつきだからクレアに反対する理由はない。
「よし、それじゃ決まりだな。明日に備えて、今晩はしっかり食べて寝るとしよう」
ようやく明日の方針が決まった俺達は、晩ご飯を食べるために食堂へと向かった。