高嶺の花は低いところに持ってきてはいけない
ペイリン魔法学園を卒業したクレアとアリーを実家へと送り届けるために、俺はスカリーと一緒に同行することになった。これに途中まで帰り道が同じシャロンも加わるわけだが、この組み合わせで帰る手段が冒険者と同じというのが本来おかしい。どう考えたって立派な馬車で優雅に去って行くのがあるべき姿だろう。
それが五人揃ってレサシガムの冒険者ギルドの目の前にいるのは、半分俺のせいだったりする。前世が勇者ライナスの守護霊だということがみんなにばれた結果、クレアとアリーの実家へと同行することになったからだ。そして、それなら冒険者みたいに戻ってきてもいいんじゃないかと、あっさり決まったらしい。何それおかしい。
ともかく、クレアの実家では、スカリーのところと同じように守護霊認定してもらうことになると思う。また、アリーの祖母である俺の師匠のひとり、オフィーリア先生は俺と会いたいだけらしいけど、それは俺も同じだ。
朝一番ということもあって冒険者ギルドの出入りは激しい。次々と仕事を求めて冒険者がやって来ては、得た仕事をこなすために出て行く。ウェストフォートほど汗臭くないのは助かる。
「それでも、臭いものは臭いですわね」
建物の中に入って最初に口を開いたのはシャロンだった。隣でクレアが眉をしかめている。そうか、クレアは特にこの臭いが駄目だったっけ。
俺としては別に我慢大会をしたいわけじゃないから、往来の激しい広場を避けて待合場所へとみんなで移動する。そこにもやっぱり多数の冒険者が屯しているわけだけど、広場より臭いはましだ。気分の問題だが。
ただし、広場から待合場所へと移ると新たな問題が湧いてくる。所在なさげに雑談をしていた冒険者が一斉にこちらへと視線を向けてくるんだよな。そもそも冒険者ギルドに女はほとんどいない上に、四人全員が年頃の女の子、更に言うと街中でもそうは見かけないくらいの美人となれば、男としては振り向かない奴の方が少ない。
まぁ、本来なら女として魅力があるというのは喜ばしいことではあるが、好奇の視線に晒される方としてはやっぱり居心地が悪い。
「以前よりも注目されていない?」
「暇な連中が増えたんやろ」
クレアとスカリーが小声で言葉を交わす。間違いじゃないけど、その会話を聞いた俺は思わず苦笑した。
こんなに四人が注目されているのは朝一番で冒険者が多いからだ。人の数が増えればいろんな奴も増えるのは当然だろう。あと、春先で駆け出しの冒険者が多いというのもある。同世代で美人がいたら男として気になるのは仕方ない。
たまに口笛を吹いて気を引こうとする奴もいるけど、四人は全くの無視だ。こういった視線に晒されるのは慣れているのかもしれない。
そうそう、たまに俺へと視線を投げかけてくる奴もいるが、大半は敵意に満ちている。嫉妬なのはわかるけど、俺は何もしていないのに理不尽だ。
俺達は待合場所を通り抜けて、受付カウンターまでたどり着いた。カウンターの左側は依頼を引き受ける冒険者が列をなしている。俺は反対側のカウンターで職員と話を始めた。
今回は仕事や授業ではなくクレアとアリーの単なる移動なので、最初は馬車を借りようとした。ところが、その馬車が全て出払っていると返されて頭を抱える。
「え? ここの馬車ってそんなに大人気だったっけ?」
「いや、偉いさんが出払うんに使うとるんや。荷馬車やったらあるけど」
どうする? と視線で訴えかけてくる職員に対して、俺はしばらく考える。良家の子女を送り届けるのに荷馬車はいかがなものだろうか。しかし、別の店でここからノースフォートまでの馬車を借りるとなると、さすがに料金が跳ね上がる。距離もさることながら国境を越えるという点が大きい。さてどうしたものか。
馬車のことで職員と一緒に悩んでいると、真後ろが何やら騒がしくなった。なんだろうと振り返ってみたら、数人の若い冒険者が四人に話しかけてきている。
「自分、すっごい美人やん! 俺こんな美人初めて見たわ! どうや、あっちで話せぇへんか?」
「君の名前はなんていうんだい? 俺のパーティに入らないか? みんな頼りになる奴ばかりだよ」
「見たところ冒険者になりたてのようやんか。ちょうどええ。俺らも新しい仲間を探しとったんや! 俺らんところに来うへんか?」
「魔族なんて珍しい! パーティにそんなのがひとりいたら泊が付く。ぜひ我がパーティに入ってくれ!」
シャロン、クレア、スカリー、アリーに対して、みんな熱意溢れる勧誘を繰り広げている。ああ、こいつら全員見た目で判断して寄ってきたな。
待合場所にいる連中は面白そうにこちらを眺めている。ちょうどいい暇潰しらしい。まぁ、俺に対しては面白くなさそうな表情を向けてくるが。
一方、四人は面食らったり冷たい視線を投げかけたりしている。望みもしないのに多数から迫られても困るよな。
「師匠、これはどうにかならないのですか?」
アリーが俺に話を振ると他の三人も俺に顔を向けてくる。それに釣られて、勧誘していた俺の実年齢とあまり変わらない冒険者達も一斉に視線を向けてきた。不審、不満、敵意と色々なものが混ざっている。
ああ、場の流れが変わった。今度は俺が中心になりつつある。悪い意味で。
「なんやお前は? この子の知り合いか?」
「随分と頼りなさそうだな。彼女にふさわしいとは思えないね」
「せやな。大体、お前みたいなんが、こんな美人四人の面倒を見られるわけないやん」
「そうだ。俺達が彼女の面倒を見るから、お前はもういらないよ」
なんというか、初対面でいきなりな言い方だな。冒険者だと、気に入らない相手ならこんなものだというのは知っている。ただ、実際に面と向かってそんな体験をするとさすがに面白くない。
「こっちは仕事でこの四人を連れているんだ。邪魔しないでくれ」
非常に面白くないんだけど、ここはぐっと堪えて穏便に済ませようとする。出発初日の、しかもまだ出発すらしていない状態で面倒なことはしたくない。
「なら、俺がその仕事を変わってやるで。お前よりずっとうまくやったるわ」
「は? 何を言っているんだ? 彼女たちの護衛なら俺こそふさわしい」
「何を寝ぼけたことを! 俺に決まってるやん!」
「現実をよく見てものを言えよ。どう考えても俺が一番適任だろうが」
仕事の内容すら聞いていないのに、上手くできるなんて確信が持てるのはどうしてなんだろう。不思議で仕方ない。
今度は俺達そっちのけで、四人に言い寄ってきた若い冒険者は揉め始める。だんだん本来の目的を忘れてきていないか。
「荷馬車だったらあるんだよな? だったらそれで頼む」
「まいど。ほな、ここにサインして」
徐々に派手になっていく揉み合いを尻目にこっそりと職員に話しかけると、サインをするだけの状態にまで記入された書類を差し出される。
「あんなアホな連中の相手なんて、しとれんわな」
俺がこっそりとこの場を抜けるのを察してくれていたらしい。おっちゃん、ありがとう!
次第に乱闘へと変わっていく様子を背中で察しながら、俺は書類にサインをした。二枚のうちの一枚と料金を職員へと渡すと、もうひとつを手にして四人に向き直る。
(みんな、喧嘩が盛り上がっているうちにここから抜け出すぞ)
念のため、俺は精神感応を使って四人に話しかける。一瞬四人同時にびくりとして俺の方へと顔を向けたが、言葉の内容を理解すると一斉に頷いた。
喧嘩はすっかり派手なものになり、職員が止めに入ろうとしている。周囲の冒険者は無責任に囃し立てていた。朝から元気な連中だ。
そんな中、俺達はこっそりとカウンター近くにある出入り口から冒険者ギルド所有の広場へと出た。
「荷馬車を一台用意してください」
「え? ああ。中が騒がしいけど、喧嘩でもやっとるんか?」
建物の中の様子を見に行こうとした職員を捕まえて、俺は書類を見せながら荷馬車を要求した。突然横合いから声をかけられた職員は、多少驚きつつも書類を受け取って準備をしてくれる。
怒声や騒音などの大きさからすると、事態は落ち着いてきているらしい。突然の見世物に喜んでいた冒険者もいたけど、基本的に朝一番は仕事始めで忙しい時期だ。多くの冒険者が迷惑に思っていただろう。大きな乱闘には発展しなかったみたいだ。
「はぁ、迷惑な連中やな、もう」
「全くですわ。呼ばれてもいないのに寄って来られても、鬱陶しいだけですもの」
「しかも喧嘩まで始めてしまうなんて、周りに迷惑をかけていることに自覚がないのかしら?」
「朝から災難だったな」
ようやく一息つけるところまでやって来ると、四人は言い寄ってきた男達を酷評する。
「女の色香に惑わされたという話はよく聞くけど、それを目の当たりにするとはなぁ」
今まで女っ気のない生活をずっとしていた俺にとっては、それこそお話の上での出来事だったはずなのにな。
「それだけうちらが魅力的ってゆうことやんか」
「そうですわ。そんなわたくし達に囲まれているなんて、ユージ教諭は実に幸せですわね」
やたらと得意顔のスカリーとシャロンが、俺に対して自慢げに言葉を返してくる。多分そうなんだろうけど、こんな面倒なことに巻き込まれると全然嬉しくないぞ。
「なぁ、ウェストフォートにいたときも喧嘩騒ぎがあったんだよな? あれもこんな調子だったのか?」
「ええ、まぁ。結局、スカリーとカイルが思い切り言い返して喧嘩になりましたけど」
「それに比べて、今回は喧嘩に巻き込まれませんでした。こういう切り抜け方もあるのですね、師匠」
ちらっと思い出した疑問を投げかけると、クレアとアリーから返事があった。今回は職員のおっちゃんに助けてもらったんだけどな。
「あ、見つけた! どこに行くんだい!」
そうやって談笑していると、突然、建物の出入り口から聞き覚えのある声がした。振り向くと、そこには顔に痣のある男が立っている。ナンパまがいの勧誘をしていた連中のひとりだ。どうもあの騒ぎを抜け出せたらしい。
「また来ましたわね」
「どうして無駄だってわからないのかしら」
「ああいう手合いは自分勝手やからな。相手の都合なんてなんも考えへんねやろ」
近づいてくる男に対して三人は容赦ない。あのまま職員や警備員に取り押さえられていたら楽だったのに。
周囲は何が起きているのかわからないという者が大半で、不思議そうにこちらを見るばかりだ。四人に寄ってくる若い冒険者が喧嘩をしていたことは見た目でわかるものの、事情がわからないせいでじっと傍観している。
相手をするのは嫌だけど、結局割って入らないといけないので、俺は仕方なく痣のある冒険者の前に立ちふさがって話をしようとする。
「いやあのな、俺達はこれから仕事で……」
「邪魔するな!」
話しかけようとすると、いきなり殴りかかられた。頭に血が上っているにしてもいきなり殴ってくるか? 普通は話くらい聞くだろう!
不意打ち気味だったけど何とか躱して再度相手を見る。うわ、目が血走っているじゃないか。
「チッ! お前さえ倒せば、彼女たちも目が覚めるだろうさ」
顔は多少整っているけど体格と装備から戦士だとわかるこの冒険者は、そう断言するとひたすら殴りかかってくる。前衛職らしく筋肉で解決か。腰の剣を抜かなかっただけでもまし、いや、その必要はないと思ったんだろう。俺の腰にぶら下がっている鎚矛を見たら、僧侶に見えないこともないもんな。
近接戦闘はあまり得意じゃない俺だったが、目の前の戦士についてはなんとかなると思う。経験不足なせいか腕を力一杯振り回すばかりだ。顔に似合わずパワーファイターなんだな、こいつ。
あんまりにも足下がおろそかだったので、俺は右のストレートパンチを左に避けたときに軸足を蹴飛ばしてやる。すると、相手は左側へと倒れた。
周囲の野次馬は面白そうに笑う。すると、羞恥心で顔を真っ赤にした相手は立ち上がると同時に腰の剣を抜いた。うぉ、さすがにそれはまずい。
「てめぇ、殺してやる!」
殺意を隠そうともせずに剣を構えた目の前の戦士が、どう猛な笑みを浮かべる。どうやらナンパは二の次になってしまった模様。
これって正当防衛になるよな、なんてことを考えながら、俺も腰の鎚矛に手を添える。冒険者ギルド内でさすがにこれはなぁ。
「そこのお前ぇ、何しとんじゃぁ!!」
俺が鎚矛を手に取って構える寸前に、思いっきり柄の悪い警備員ひとりがこちらに向かって一目散に駆けてくる。その途端、周囲の職員以外の野次馬は全員知らんぷりだ。皆さん処世術に長けていらっしゃいますね。
それで、俺に襲いかかろうとしていた戦士は、さすがに自分が取り押さえられることくらいは想像できたらしく、逆側に逃げようとした。しかし、正反対には既にもうひとりの警備員が更に近づいてきている。
「くそ、覚えてろ!」
「お前なんぞすぐに忘れてやる」
相手の若い戦士が捨て台詞を吐いてきたので、俺は思わず言い返してやった。すると、一瞬睨み返してきたが、事態が切迫していたのですぐに駆けだす。
ふん、あの戦士はわかっていないな。ここは冒険者ギルドだぞ。街中と違って、周囲にいる職員はお前のことを見逃してくれない。近くにいた職員に次々と足止めされた戦士は、結局追いついた警備員に捕まってしまった。
ところが、話はこれで終わらなかった。
厄介事もようやく終わりだと思って荷馬車を待っていたら、別の警備員が寄ってくる。そして、事情聴取するためと言われて室内に案内されてしまった。その間に荷馬車を用意するということで、俺達は更に一時間ほど足止めされてしまう。
こうして結局、俺達はカウンターの職員の好意を活かせなかった。ごめん、おっちゃん。