卒業、そして旅立ち
試験期間が終わり、三月になった。学生は完全に春休み気分だ。何しろ、この頃にはもう自分の結果はわかっているから、進級か卒業、あるいは留年するかは見当がつくからな。
そんな中、俺の取り巻く環境も大きく変わろうとしている。まずはそれから話をすることにしたい。
まず補習授業だが、留年組は七割ほどが進級試験を合格した。八割に届くかなと思っていたが、やっぱり冬休みに遊んだ学生がいたらしい。あれだけ注意しても守らなかったわけだ。残念である。
今回の進級試験で、一回生と二回生合わせて五十人近くの留年者が発生してた。退学する者を差し引くと、来期の留年した学生は五十人弱ではないかと予想されている。この一年と同じやり方をすれば、再び多くの留年組を救えるだろう。
ということで、教員としては充分な成果を上げたといえる。補習授業を制度化するという話を現在サラ先生が進めているが、実現するための大きな支援となるに違いない。
ちなみに、ジェニーは進級できたそうだ。今度は三回生となり、とある小さな研究室に入るらしい。
一方、モーリスは補習授業の制度化に向けて色々と準備をしている。見方を変えればサラ先生にこき使われているわけだけど、一歩間違えたら俺がああなっていたんだよなぁ。
「どうして俺だけでやらなきゃなんないのさ」
などという恨みがましいことを俺に言ってくるが、手柄を丸々譲ったんだから諦めてほしい。
次に、サラ先生の研究室の管理業務だが、お魚君を中心とした作業員に作業を分担してもらうことになった。再び秘書さんに返すのが一番楽なんだけど、この一年で学校運営の仕事が増えたのでさすがに無理だったのだ。結局楽にはならないとこぼしていたな。
それで研究室の管理業務分担なんだけど、これはそんなに難しくなかった。最終的な決裁権はサラ先生が直轄することになり、日々の業務に直接関係する管理業をそれぞれの作業員に振り分けたからだ。分担した作業のすりあわせをするために余計な打ち合わせをしないといけなくなったが、それは休憩中の雑談に混ぜてやってしまえばいいと教えておいた。
卒業試験の処理が一段落したある日、俺はサラ先生の教授室にモーリスを伴って入室した。サラ先生は笑顔で出迎えてくれる。
「よう来たな~」
俺達は応接セットのソファを勧められたのでそこに座る。サラ先生はその向かいだ。
「報告は聞いてんで。ユージ君の引き継ぎ作業はもう終わったんやんね?」
「はい。研究室の業務は作業員のみんなに分担してもらいましたし、補習授業はモーリスに任せましたから」
俺はにこやかに返答した。何しろ、今まで毎日あった作業をもうしなくてもいいのだ。この開放感は体験しないとわからない。
「モーリス先生の方はどうやのん? 何か困ってることってある?」
「いえ、仕組みは既に大体できているんで、枠組みを作ること自体はいいんですけどね。来期からの教員確保が難しいんですよ」
そう言いながらモーリスは横目で俺を見る。
「毎月一回だけやってもらう講師のなり手が足りないってことか? 少なくとも、この一年間やってもらってた先生は大丈夫だろう」
「そっちじゃないよ。お前の代わりだ。ひとりで座学を手広く教えられる先生が抜けるんだぞ? その穴が簡単に埋まるはずないだろう」
それほど上手に教えられていたとは思わないが、汎用性の高さが重要だったらしい。
「元留学組で補うしかないなぁ」
「それも簡単にはいかないよ。四十人くらいの留年状態を脱した学生がいた一年前で、四人しか応じてくれなかったんだよ? そうなると、二十人以下しか元留年組がいない今年は、多くて二人しか応じてくれないはず」
その説明を聞いて納得した。確かにこれは簡単にはいきそうにないな。
「スカーレットやユージ君がいて初めて問題なく動いてたんやね~。うちももっと早う気づくべきやったわ~」
「まぁそれでも、やるしかないんだけどね」
どうも対応策があるらしいモーリスは、苦笑いしつつも自信ある態度に見える。
「それで、ユージの方はもう準備はいいのかい?」
「俺は身ひとつだからな。むしろクレアやアリー達の準備が整うまで待つだけだよ」
クレアはレサシガムの教会などとも結びつきがある。そのため、挨拶回りをしないといけないところが結構多いそうだ。そういう意味では、シャロンも挨拶回りがあるらしい。いずれここへ帰ってくるスカリーとは違うのだ。
「結局、冒険者家業に戻るみたいな形になったね。じっと学校で働いていればいいのにさ」
「そんなことを言われても、どうにもならないことってあるだろ」
「しかしどうしてユージが送り届けないといけないのさ? 実家から使いを寄越したらいいだろうに」
何も事情を知らないとそう思うよな。俺だってモーリスの立場だったら、きっとそう思ってた。
「クレアちゃんとアレクサンドラちゃんのご実家にも事情があるんやろうね~」
モーリスはため息をひとつついて黙る。どうせ答えてもらえないことを知っているからだ。
「まぁいいや。できるだけ早く帰ってきてくれよ。こっちは大変なんだからさ」
「俺の代わりに誰かなってもらえばいいだろう?」
「それが簡単にいかないから言っているんじゃないか」
あ、またため息をついた。そのうち幸運が逃げてしまうぞ。
「早く帰ってきてほしいんはうちも同じやね。でないと、スカーレットもずっとふらふらしっぱなしになってしまうし」
自分で許可しておきながら何を言っているんだとは思うが、ここは黙っておく。
「まぁええわ。それじゃ、モーリス先生は進捗と今後の話をして。ユージ君は何か意見があったらゆってな」
俺は黙って頷く。これが旅に出る前の最後の仕事だ。自分のわかるところは積極的に意見を述べて最後の業務を終えた。
引き継ぎ作業が終わった翌日、卒業生のための卒業式が行われた。とはいっても、入学式があっさりだったのと同様に、卒業式も簡単なものだった。卒業生を教室ひとつに集めて学園長が十分ほど話をし、そして卒業証書を全員に配っておしまいである。教師は卒業証書を用意して参加するだけなのでとても楽だ。
卒業証書を全員がもらって解散となると後は様々だ。もうこの学校に用はないとばかりに去って行く学生がいれば、仲の良かった先生と話をする学生もいるし、今後会えない可能性の高い友達といつまでも話をしている学生もいる。
そんな中、みんなが俺のところに寄ってきた。
「ユージ先生! 卒業しましたよ!」
「まぁ、うちらなんやから、できて当然なんやけどな!」
最初に声をかけてきたのはクレアだ。余程嬉しいのか、卒業証書を見せびらかせてくる。その後ろでスカリーが得意顔で威張っているが、全く喜びを隠せていない。
「ユージ教諭、三年間のご指導ありがとうございました。この卒業が、わたくしの新たな門出にふさわしいものになったのは、一重にユージ教諭のおかげですわ」
「師匠のおかげで、この三年間はとても有意義でした。これからは、この経験をどう活かすかが重要になるでしょう」
少し遅れてきたシャロンとアリーがやって来て俺に礼を述べてくる。なんだかこそばゆい。
「あれ、カイルは?」
「カイルなら、あっちでアハーン先生とモーリス先生の二人と話をしてんで」
スカリーが指さした先に三人で談笑する姿があった。色々世話になったろうから、話すこともたくさんあるだろう。
「とことでユージ先生。学校の仕事の引き継ぎはもできたんか?」
「ああ、終わった。もうそろそろ出発してもいいだろうな」
去年の夏休み前だったかに、一度会いたいという招待をクレアの実家とオフィーリア先生から受けている。そのため、俺はクレアとアリーの帰りに合わせて学校を離れることになったのだ。
せっかく仕事に慣れてさぁこれからというときだが、無視できる相手でもないので学校としても反対できなかった。その代わり、早く戻ってこいとサラ先生などからは言われている。
「それにしても、まさかスカリーが一緒に来るとは思わなかったわよ」
「いや、うちも行きたいなーって軽い気持ちでゆうたら、おかーちゃんが許してくれてん」
そう、今回の家路につく旅にスカリーも参加するのだ。最初は俺とクレアとアリーの三人だけで旅をする予定だったのに、旅の仲間は多いと何かと便利と押し切られたのだった。
「師匠をこの魔法学園に引き戻すためのお目付役にしか見えないがな」
「うちもそう思う」
スカリーは苦笑しているだけが、次期当主の一人娘を危険な旅に送り出すなんて普通は考えられない。よっぽど期待されているのか、それともスカリーが信用されているのか、判断が難しい。
「シャロンはノースフォートまで一緒なんだよな」
「ええ。そこからハーティアまでは家の馬車で帰りますわ」
今回の旅にはシャロンも同行する。今後の進路をどうするにせよ、一旦実家に帰って家族と話し合うことになったからだ。ということで、学校から出発する時点では、俺、スカリー、クレア、アリー、シャロンの五人で旅をすることになる。意外と大所帯になった。
「お、さすがにもうみんな集まってんな!」
モーリスとアハーン先生の二人と話をしていたカイルが、こちらにやって来た。もう向こうでの話は終わったらしい。
「あの二人にお礼は言い終わったのか?」
「はい、もう言いましたで。それに、俺はこれからもたまに学校へ来るんで、湿っぽい別れなんてする必要なんてないですし」
「どういうことだ?」
「たまにアハーン先生のところへ顔を出しに行くんですわ。駆け出しの頃はパーティメンバーにも言えないことがあるだろうって、色々相談に乗ってくれそうですねん」
なんと、思ったよりも面倒見がいいんだ。送り出しっぱなしじゃないんだな。
「カイル、入れてもらう冒険者のパーティには、いつ合流するのだ?」
「明日には合流するで。せやから、宿舎はもう今日中に引き払うんや」
カイルの返答に、質問したアリーだけでなく俺達も驚いた。
「随分と急な話だな。私はてっきり、今月くらいは宿舎に残っていると思っていたが」
「いくら何でもそれはないわ。それに卒業式が終わったら、すぐに合流して活動するってゆわれてんねん」
聞けば、卒業が確定した日にパーティメンバーと会い、そういう約束をしたらしい。ということは、直前になって話を聞いた俺達が急に感じただけなのか。
「そうなると、カイルと会うのは今日で最後なんやな」
「スカリーは学校に残るんやろ? せやったらたまに会うかもしれんで」
「しばらくは学校から離れるけどな」
「クレアとアリーを実家に送るんやったっけ。それにシャロンも便乗するんやったよな? なるほど。もう会わんかもしれんなぁ」
クレア達が実家に帰ることはカイルも知っていたはずだが、今更ながらそのことに気づいた様子だ。
ふと周囲を見ると、だいぶ人影は少なくなっている。そろそろ場所を変えてもいいか。
「なぁ、みんな。食堂に行って話の続きをしないか? 最後にみんなで一緒にご飯を食べよう」
「ええですね、先生! 俺、腹一杯食べまっせ!」
「この機に食いだめる気やな。まぁ、気持ちはわかるけどな」
「わたしも、次にいつここの食堂で食べられるかわからないから、よく味わっておかないといけないわね」
「そうですわね。ここの食事のお味は、なかなかのものですものね」
「確かに。さすがに伝統と格式のある学園なだけある」
学生としての五人とご飯を一緒に食べるのはこれで最後になる。またいつか、全員が揃ってご飯を食べられるときがくるといいなと思いながら、俺達は食堂へと移動した。
昼ご飯を食べながら散々騒いだ後、昼下がりにはカイルが魔法学園から去った。実にあったりとしたもので、悲しむ余地がなかったのはカイルらしかったと思う。俺達は、正門のところでその姿が見えなくなるまで見送った。
卒業式から数日後、いよいよ魔法学園を出発する日がやって来た。雲ひとつない快晴、三月だと日差しが暖かくて気持ちがいい。
俺、スカリー、クレア、アリー、シャロンの五人は宿舎を引き払い、旅装姿となっている。
「師匠、なんだか小森林へ遠征したときみたいですね」
黒装束のアリーが朝日を受けながら上機嫌に笑う。俺が集合場所の正門に着いたときには既にそこで待っていた。さすが、毎朝鍛錬をしているだけのことはある。
「お~、さすがに先生もアリーも早いなぁ」
「スカリーったら、昨日楽しみにしすぎて眠れなかったのよね」
「かわいらしいですわね、スカーレット様」
「ちょっ?! そんなんゆわんといてーな!」
もう遅い。俺もアリーも笑う。遠足前の小学生みたいな奴だな。
「もーそんなんええから、な! 早う出発しよ! 時間は無駄にしたらあかんで!」
顔を少し赤くしながら怒ったように俺達の先を進むが、みんな照れ隠しだということはわかっている。
俺達だけでなく、今年の卒業生は次々とこの学園から巣立っている。まだ残っている者はもうほとんどいない。
逆にこの頃から入学生が本格的にやって来る。卒業生の去った部屋は次々と清掃されて、この新たな学生に貸し与えられるんだ。
今もレサシガムから二人組が魔法学園へと向かって歩いてきた。近づくにつれ、仲のいい男女の一組だということがわかる。騒ぐスカリー達に視線を向けつつも、すれ違うと魔法学園へと顔を向ける。
「今の人達、楽しそうだったね」
「きっと卒業生……」
言葉はすぐに聞こえなくなったが、楽しそうに話をしていたのはわかった。あの二人も、三年間を楽しく過ごせるといいな。
「師匠! どうされました?」
歩みの遅れていた俺にアリーが声をかけてきた。他の三人もこちらを見ている。俺はみんなに向かって小走りに駆け寄りながら、ちらりと上を見た。
うん、今日も一日、良い天気になりそうだ。